比翼の鳥

風慎

第68話 精霊樹

 俺は、【サーチ】を飛ばしながら、草原をゆっくりと移動していた。
 一人で気ままに、景色を見ながら歩くのも悪くない。

 おや、こんな所に、サボテンのような植物が……。
 姿は、元の世界のサボテンの様に、緑色で、体中にびっしりと針を身に着けている植物を発見した。
 ただし、大きさがおかしい。軽く3m以上はある。俺を見下ろすようにそびえ立っていた。
 それ以上に、おかしいのが、保有魔力量である。そこらの野生動物の100倍以上はあるんですけど。

 うーん、砂漠では貴重な水資源だと言うけれど……特に活用できないし、良いかな?

 そう思い、背を向けた瞬間、背後から飛来する物体を感じ取る。
 正確に後頭部を狙ってきたそれを、俺は首をひねると、魔力を纏った左手で鷲掴みにした。
 その手に収まっていたのは、鋭く尖った針状の何か。
 しかも、強度がおかしい。軽く叩いてみると、甲高い音がする。まるで金属の様だ。
 中は空洞? しかし、この強度、凄いな。このままキリみたいに使えてしまいそうだ。

 しかし……まさか、攻撃されるとは……。

 俺が、呆れたように後ろを振り返ると、そこには、高くそびえ立つ、巨人のようなサボテンが俺を見下ろしていたのだった。



 サボテンと戯れていた時間は思いの外、長かったらしい。
 西の空に目を向けると、既に太陽は傾き始め、その色を徐々に白から赤へと変えつつあった。
 俺がそんなお遊びをしている間に、どうやら此花と咲耶は、入れ違いで街へと戻ってしまったようだ。

 巨大サボテンは、中々に面白い生物だった。
 針を飛ばすのは序の口で、巨大な腕のような部位を叩きつけてきたり、溶解液を撒き散らしてみたり、はたまた最後は、自爆までしようとしたり……かなりハチャメチャな奴だった。
 自爆しようとしていると気がつけなかったら、危なかった……。
 主に、ここら一帯の生命が、軒並み巻き添えになっただろう。
 もしかしたら、イルムガンドまで衝撃波位は届いたかもしれない。

 魔力の保有量が異常な時点で、ある程度覚悟はしていたが……流石の異世界だ。見た目と強さは全く合致しないんだな。
 俺は同じ植物で、今頃、森の黒い温泉に浸かっているであろう、最強の植物を思い描きながら、サボテンを【ストレージ】内へと収納した。

 さて、少し急がないといけないかな。

 そろそろ日没だ。あまり時間が無いと分かった俺は、得られた反応を元に、目的の物を探して、移動速度を速めた。

 うーん、こっちの方には無いかな。
 森にもあったから、同じような反応だと思うのだが……お? これかな?
 俺は目的の反応を見つけると、そちらの方向に、ゆっくりと走り始める。
 しかし、意外と距離がある。これでは、数十分はかかってしまうだろうか。

 あー、【サーチ】には特に反応も無いから、少し急ぐか。

 周りに人族の反応も無く、見られる心配もなさそうなので、手っ取り早く身体強化で身体能力を大幅に強化し、移動速度を増大させる。
 ただ、万が一見られているとまずいので、一応【ステルス】で、隠蔽だけはしてこう。
 一歩踏み出す度に、景色が恐ろしい勢いで後方へと過ぎ去っていく。
 少し意識を広げればわかる事だが、高速で移動するが故、発生する砂埃や衝撃までは流石に隠し切れなかったが、まぁ、良いやと、開き直って更に速度を上げる。

 最近は、ずっとヒビキに頼りっぱなしだったからなぁ。
 たまには自分の足で走るのも悪くない。

 そんな事を考えながら2分も走らない内に、目的地へと到着した。
 突然足を止めたせいか、後から追ってきた衝撃波が、前方から波紋のように広がり、根付く草達を大きく揺らして行く。
 同時に、そこにいた多くの野生動物達が、何事かと言うように首を上げ……そして、また草の影に身を潜める姿があちらこちらで見えた。

 そんな俺の目の前に広がった光景は、今迄の草原とは明らかに異質のものだった。

 まず目を引くのは、背の低い1本の木。
 幹の太さは俺の胴体を一回り程上回るだろうか?
 一見すると頼りない様に見えるが、そこから延びる根が大地をしっかりと掴み取っており、小さな体躯の割に、どっしりとした印象を与えている。
 また、その枝も特徴的で、俺の背丈より少し上の部分、2m位だろうか? そこから地面に平行に伸ばされており、まるで地面にお皿を被せた様に、こんもりとその足元を覆っていた。
 そんな枝から茂る葉は、白く輝き、その異質さを際立たせている。

 よく見れば、木の周りには魔力と精霊力が満ち溢れていた。
 その力に引き寄せられるように、微精霊達が、音もなく空中を滑るように移動している。
 そんな精霊達の光が、まるでホタルのように俺の視界を埋め尽くして、目の前の光景を幻想的な物に彩っていた。

 そう。これは精霊樹だ。
 森にもあったが、何故かそれよりも、木自体は小さかった。
 しかし、顕現している精霊は多い。と言うより、森の精霊樹には、精霊がいなかった気がする。
 何故なんだろうか? ふと、気になってしまうが、今はやることがある。
 俺は首を振ると、本来の目的を思い出し、地面へと視線を移した。

 そこには、色とりどりの大きな花々が、ちらりほらりと咲いている。
 しかも、その花の大きさが尋常ではないのだ。人の顔ほどの大きさがある。こんな大きさのものは、元の世界ではそうそう見ることが出来ないだろう。

 だが、目を引くのは花だけではない。
 その花々の間を埋めるように、おびただしい数の大きなつぼみが、鎮座していた。
 それは、固くその身を守るように、閉ざされている。

 俺がそんな光景を観察していると、【サーチ】に反応があった。それは、先程まで数10程度だったが、ここに来て一気に120を超えた。
 強化した視力で確認すると、どうやら小動物の群れのようである。
 しかも、1種ではない。多種雑多な反応が、この精霊樹の周りに集まってきていた。
 兎のような姿のものから、ダチョウのような動物もいる。

 この動物達は、親達だろう。

 もしかしなくても、精霊樹から生まれる子供達を、迎えに来たのではないだろうか?
 元々、今回は場所の確認が最優先で、あわよくば……とは思っていたのだが、これはラッキーなのかもしれない。
 折角の機会なので、俺はこれから何が起こるか見届けてから帰る事に決める。

【ステルス】の内側に遮音壁を作ると、俺はファミリアを通して、ルナに少し遅くなる旨を伝えた。

『うん、わかった。あまり遅くならないようにね?』

「うん。あまり遅くなると、閉めだされちゃいそうだからね。一応、余裕があったら、宿屋の女将さんにも伝えておいてくれ。」

『わかった。気をつけてね?』

「大丈夫だよ。あまりに遅いようだったら、先に寝て良いからね。」

 そんな会話を続けていると、更に動物達が増えていくのが【サーチ】から読み取れた。
 だが、一貫して肉食動物はいない。こんな所に肉食動物が混じったら、それこそ阿鼻叫喚の地獄絵図となりそうなものだが、そうならない所を見ると、また別の場所で生まれているのか、はたまた、法則でもあるのか……。

 日が沈み、空が深い青から、黒く染まっていく。
 そして、日が完全に沈んだ後、東の山脈を超えて、緑と青い月が音もなく顔を出した。
 水色の光が、草原を……そして、花畑を淡く照らしだす。
 その瞬間を待っていたかのように、固く閉ざされた蕾が一斉に花開いた。

 まるで開花を祝福するかのように、微精霊が舞う。
 そして、そんな美しい情景に感動しつつも、花からこぼれ落ちるように、何かが地面へと落ちていくのを俺は視界に収めていた。

 それは、動物達の赤子達だった。
 多種多様の動物達の赤子達は、それぞれ、最初は地面でもがいていたが、多くの者は1分もすると立ち上がり、そして、何かを目指すように、精霊樹を離れ、外へと足を向ける。
 そして、その向かう先には、親と思われる動物達の姿があった。

 なるほど。精霊樹の周りに、動物達が集まっていたのは、生まれる自分の子を迎えに来たからなのか。
 そして、動物達は、精霊樹の中には入っていかない。きっと、何か不文律のような、犯してはいけない物があるのだろう。

 俺は、そんな光景を更に動物達の輪から離れた外周から見て、複雑な思いを抱きつつ、静かに成り行きを見守っていた。

 今回、俺がここに来たのは、単純にどういった状況で、動物達が生まれ、そしてどうやって旅立っていくのかを確かめに来ただけだったのだ。
 この世界の生命は精霊樹を通して生まれる。
 少なくとも、森の中ではその理が支配する世界だった。
 そして、受付で何気なく聞いたことは、精霊樹がどこに有るかということと、野生の精霊樹に近づいても良いのか確認することだった。
 結論から言えば、精霊樹は存在し、要塞都市 イルムガンドの中にもあるとの事だった。
 その場所は、街の中心……つまりは、教団施設のど真ん中である。
 なるほど。その辺りも手中に収めているからこその、あの影響力なのだろうか。

 元々、教団が精霊樹を管理し、そこを中心に街が発展するのが、人族世界では普通なようだ。
 そうして、教団が街の実権を握る足がかりになるのだろう。いや、教団が街を作る実権を握っているというのが正しいのかもしれない。
 何せ、精霊樹がなければ、この世界では子供を授かることは出来ないのだから。
 子孫を残せないと言う事は、街の存続自体に致命的な影響を与えるしな。

 ただ、そう言った思惑も含めて、今回確認をしに来たのだが……思った以上に幻想的な光景を目の当たりにして、今度は皆を連れて、ここに来ようと心に決めた。

 俺が、そんな考えを頭の片隅で浮かべていると、動物達が一斉に動き始めた。
 子を迎えた親達が、精霊樹を離れて旅立っていくようだ。
【ステルス】で隠蔽状態にある俺の横を、鹿のような動物がゆっくりと通り過ぎて行く。
 遅れてくる子を時々振り返りながら、草原へと歩を進めていくその姿は、正に親の物だった。
 そんな親の後を、まだ震える足を懸命に前へと出しながら追いかける子供の姿。
 その姿が草原に飲み込まれるように消えていくのを、俺は黙って見守っていた。

 生まれ方は、俺の世界と明確に違うが、それでも、親子の繋がりはしっかりとあるんだな。

 そんな風に、思いを馳せていると、いつの間にか、外周に集っていた動物達は、皆姿を消していた。
【サーチ】で確認すると、皆、生まれたばかりの子供を引き連れて、足早に精霊樹から遠ざかっていく。
 と、同時に、幾つかの集団が、その親子に襲いかかる様子が、確認できてしまった。

 そうか……このタイミングを狙って、狩りをする動物もいるのか……。
 考えてみれば、それはそうだ。
 肉食動物にしたら、こんなに簡単に獲物を得る機会は、そうそう無いだろう。
 残酷な話ではあるが、自然の摂理としては、至極当然の話だ。
 その割には、先程の様子では、親と思われる動物以外は、精霊樹に近づかない所を見ると、何かルールがあるのだろうか。

 俺は頭を振ると、【サーチ】を切り、改めて目の前に広がる花畑に目を向ける。
 風が通りぬけ、花弁が空を舞う。
 いつの間にか、微精霊達も消えたその光景は、どこか物悲しさすら覚える。
 実際、その感傷は、間違いではないのかもしれない。
 多くの生まれ出る子達は、親の元へと旅立った。
 だが……その例に漏れ、こぼれ落ちた命がある事を、俺は推測していた。だからこそ、俺はここにいるのだ。

 風に乗って、か細い鳴き声が幾つか響いてきた。
 それは、親に迎えられること無く、生まれて道を失った子供達の声だった。
 花畑に、幼子達の声が響き渡る。それは、親を呼ぶ声だった。

 だが、この子達の親は多分……もう来ない。
 それは、親が既にこの場に来れない状態であることを意味していた。
 それでも、生まれたばかりの子供達は、親を求めて、鳴き続ける。
 俺の単なる思い込みなのだろうか? その声は、悲しみに満ちているように感じられた。

 俺は息を吐くと、【ステルス】を解き、花畑へと足を踏み入れる。
 一瞬、鳴き声の唱和が止むも、今度はより一層、大きな声で、唱和が始まった。
 それは、親に助けを求める悲鳴だった。

 俺という部外者が現れたことによる、恐怖が何となく感じられる。
 それでも俺は、周りの様子に気を配りながらも黙って、歩を進める。

 進路にある花を踏みつけ、俺は一歩一歩、中心部に鎮座する精霊樹へと近づいていった。
 そんな中、進路にいる幼子の多くは、俺から逃げるように、懸命に離れていく。
 しかし、そんな中で、ふらつく足を動かし、俺の元に寄ってくる動物がいた。
 先程の、鹿のような動物の幼子だ。

 そうか。お前はあぶれたか……。

 そんな俺の思いに、この子は、何かを感じたのだろうか?
 俺に、つぶらな瞳を真っ直ぐに向けてきていた。
 そんな子鹿に向け歩を向けると、一瞬、腰が引けたように、後ずさるも、逃げ去る様子はなかった。
 俺が手の届く位置まで来ても、その子鹿は逃げず、逆に俺の匂いを興味深そうに嗅いでいる。

 ん? 俺の匂いは、障壁に阻まれて外に出てないはずなんだが……。

 そう考えたと同時に、俺は先程、同じ鹿のような動物が通り過ぎていった事を思い出す。
 もしかしたら、匂いが移ったのか? 障壁って、匂いが移るものなのか?

 そんな俺の考えを裏付けるかのように、子鹿は俺に擦り寄ってきた。
 どうやら、仲間認定を受けたらしい。
 そして、しきりに匂いを嗅ぐと、貫頭衣の腰布をしゃぶり始めた。
 その動作を見て、この子鹿が欲しているものが、すぐに頭に浮かぶ。

 ああ、お腹が空いているのか。

 とは言え、おっさんの胸からは、母乳は出ませんよ?
 しかし、そんな俺の思いなどお構いなしに、俺の腰帯を必死にしゃぶる姿を見て、俺は情にほだされてしまう。

 まぁ、元々、半分は、その為に来たようなものだしな。良いだろう。

 俺は徐ろに、空間に手を突っ込むと、【ストレージ】の中を漁り、目的のものを取り出した。
 手にしているのは木樽と、木製の小さなお皿である。
 そして、木樽から白い液体をお皿へと注ぐと、地面へと置いた。

 そう、白い液体とは、森の牛さんが提供してくれた牛乳の事だ。

 まぁ、正確には、元の世界とは違うものっぽいが、どうだろうか?
 つか、そもそも、牛乳って鹿に飲ませて良いのか?

 等々、色々なことを考えていたのだが、全くの杞憂だったようだ。
 最初は警戒するように、鼻を鳴らして牛乳の匂いを嗅いでいた子鹿だったが、一口、舐めとると……そこからは早かった。
 あっという間に、皿を舐め尽くすと、つぶらな瞳を俺に向けてくる。

 俺は苦笑すると、その皿に、先程より多めに牛乳を注ぎ入れた。
 そして、またもや、一心不乱に牛乳を飲み始める子鹿を確認した所で、俺は、違和感を覚える。

 先程まで響いていた鳴き声が……無い?

 そうして、改めて顔を上げた俺の目の前には、物欲しげな目で俺を見つめる、数多の瞳があったのだった。


 結局、俺は、求められた分だけ、牛乳を惜しげも無く放出した。
 皿も牛乳も、まだまだ備蓄はあるから良いのだが……そこの明らかに鳥類な君も、牛乳を飲むのかね? 良いのか? 大丈夫なの? 後、どう考えても爬虫類な君は……肉食じゃないのか? あれ? 飲むんですか? そうですか。

 元の世界の常識を尽く覆す光景を目の前にしながら、俺は給師に徹した結果、どうやら目の前の幼子達の腹を満たすことに成功したらしい。
 そんな幼子達は、俺を仲間と認定したのか、俺を中心に擦り寄るように、集まって来ていた。
 多種多様の草食動物……で良いのだろうか? あまり草食動物っぽくないけど、まぁ、ともかく、そんな動物達が一同に介する様子というのは、中々見られるものではない。

 しかし、俺の目的は……君らを救うことではないんだよ。

 俺は、当初の目的を思い出すと、ため息をつきながら立ち上がる。
 そう。俺がここに来たのは、此花と咲耶に育ててもらう動物を探すため。
 そして、もう一つは、長期的に飼育出来る動物を見繕うためだった。

 飼育に適した動物を見繕うのは難しいが、今回の場合の問題点は、2つだけだ。

 人に慣れる動物かと言う事。
 これに関しては、この動物達は大丈夫だろう。
 と言っても、正確には、ここで生まれた全ての幼子達が、俺に擦り寄って来たわけではない。
【サーチ】は常に発動しているが、俺から距離を取って近づこうとしない反応の方が遥かに多いのだ。
 その子達は、恐らく、このまま朽ちていくだろうが、そこまでは面倒を見きれないのが現状だ。
 残酷なようではあるが、この時点で俺に近づけないのであれば、飼育には適さないだろうし、ここは割り切る。

 そして、もう一つの重要な事は、餌である。
 元の世界で言えば、皆、草食動物に分類される者が多い。多いのだが、先程の餌付けで俺の常識は揺らいでいる。
 こればっかりは、今、密かにイルムガンド郊外で作成している地下農場に連れて行ってみないとわからない部分も多い。
 一応、ある程度の植物は育成できることが分かっている。
 むしろ、地表より植生の幅は格段に多い。草食動物であるならば、ある程度は適応出来ると思うんだが。

 まぁ、そういう訳で、今俺の回りにいる幼子達は、一応、その資質を有していると思われる。
 後は、この子達の意思を問おう。

 お腹も膨れ、寛いでいる幼子達を横目に見ながら、俺は徐ろに立ち上がると、花畑の外へと視線を向けた。
 それに釣られるように、幼子達の視線が俺を追う。
 そんな視線の先……花畑の外側の世界は、水色に輝き、草原は別世界の様にも見える。

 俺は、幼子達が作った囲みを跳躍して飛び越えると、花畑の外苑へと、ゆっくりと歩み始めた。
 何頭かの動物達が、慌てて俺の後を追従しようと追いかけてくる。
 思ったより、懐いてくれているのか? 嬉しいことだが、ここまで来られるかな?
 そう心で呟いた俺は、そのまま振り返らず、花畑を出る。

 そう。精霊樹の庇護下から、俺はあっさりと飛び出してしまった。
 俺を追ってきた動物達も、多くがその境界線上で足を止めていた。
 ただ、最初に俺に寄ってきた子鹿のような動物だけは、一瞬、迷ったように動きを止めたようだが、すぐに俺に追いすがってきた。

 そうか。お前は、俺と一緒に来るか。
 何となく嬉しくなり、俺は歩みを止めると、その子鹿の頭を優しく撫でる。
 気持ちよさそうに目を瞑り、体を擦りつけてくる子鹿が愛しく感じられた。

 振り向くと、何頭かが、その境界を超えて、おっかなびっくりしながらも、俺の元へと歩んできた。
 しかし、それでも、その数は十数頭である。残りの30頭近くの幼子達は、そこでジッとこちらを見ていた。

 そう。これが俺の最後の問いだ。
 ある程度、俺に懐いたとはいえ、外に出てくれないと話にならない。
 何より、動物とはいえ、自分のことは自分で決めて欲しいと、俺は勝手に思っていた。

 ただ、繁殖しやすい家畜を育てるだけなら、そこら辺の親子をかっさらってくれば良いのだ。
 餌と環境さえ揃えてやれば、工業的に飼育は可能だし、ファミリアも魔法もある。
 オートメーション化など、今の俺には造作も無い。
 それもいずれはやるつもりではあるが、今回は少し思うところもあって、ある程度、俺に慣れてくれる個体を探していた。
 まぁ、此花や咲耶のプレゼントというのも、その一つではあるのだが。

 元々、ティガと言う野生動物だったヒビキに代表されるように、どうやら、野生動物の中にも、ある程度、人と意思疎通の出来る個体がいると俺はにらんでいた。
 そんな個体を探すために、俺は今回、足を伸ばしたのが一番の大きな理由だったのだ。

 足元に擦り寄る子鹿を見て、俺はその考えに間違いが無い事を確信していた。
 そして、俺の元へと歩んできた動物達も、同じようにその素養があると俺は考えている。

 もし、俺の考えが間違ってないなら、これでも大丈夫なはずだ。
 俺は、全ての障壁を解く。今まで障壁につけられていた匂いが霧散したはずだ。
 そんな状況に、俺の元へと馳せ参じた動物達が、一番に反応した。
 動物達にしたら、いきなり匂いが変わったように感じられた筈だ。普通の野生動物なら、真っ先に逃げ出すだろう。

 だが、幼子達は不思議そうに匂いを嗅ぐことはあったが、それだけだった。
 むしろ、我先にと自分の匂いをつけようと、殺到されると言う始末。

「ぬお、ちょ、待て。いっぺんに来るな!?」

 そんな俺の言葉も通じず、足元が獣だらけの状態に陥る。
 しかも、膝裏とか脛にも容赦なく体当たりが飛んで来るわけで、強化していなかったら、今頃俺は転んでもみくちゃにされていただろう事は、想像に難くない。

 そんな事をしている間に、更に数頭が境界を超えて、俺の元へとやって来てその輪に加わり、更にカオスな状況に陥る。
 いや、俺の思った以上に図太いな……こいつら。
 俺は、心配が杞憂だった事を悟ると、再度視線を花畑の中へと向ける。
 そこには、諦めて花畑へと去っていく個体が多く見受けられた。
 それを一瞬、寂しく思うも、まだ残っている個体に、俺は声をかける。

「お前達。もし、生きたいと願うなら……こちらにおいで。」

 それは、最初で最後の通告を、迷っていた幼子達に送った。

 そう。あの精霊樹の傍で残っていても、生きることは恐らく出来ない。
 俺がそう思う理由は色々とあるが、一番は、状況証拠だ。
 あの花畑に入った時、動物の屍骸は一つとして無かった。
 もし、このような事が繰り返されているならば、そこで死んでいった幼子達の屍骸が多数あってもおかしくない筈だ。
 だが、それが一つもない。異常である。

 ならば……恐らくは、あの花畑に残った個体は、何らかの方法で処分される。
 もしかしたら、それは肉食獣の餌食と言う形になるのかもしれないし、もっと残酷ならば……いや、やめよう。

 兎も角、全ての個体がそこに留まる事が出来ないのは確定事項だ。
 何かの強制力で、外に出されたとしても、その先、幼子達だけで生きていく事は無理だろう。
 どの道、迎えが来なかった時点で、この子達の生命は、ほぼ終わっている。

 それが分かっているのか、本能でそう感じているのかは定かでは無いが、そんな状況で俺に着いて来られる子だけは、助けるつもりだ。
 必要以上に、この世界の理に介入する気も無いしな。

 そう考えながら、俺は視線を境界で留まっている動物達に向けていた。
 月が徐々に、その高さを増し、世界がより明るく照らしだされて行く中で、一頭、また一頭と、背を向けて、花畑へと戻っていった。
 そして、最後の一頭だけが、震えるように、ゆっくりとこちらに向かってきたのを確認して、俺は息を付く。
 俺の言葉が通じたのか、それとも、状況故か? まぁ、兎も角、これで決まりだ。

 最後の一頭は、ダチョウのような姿をした鳥類の個体だった。
 図体だけはでかいのだが、どうやら肝は小さいようである。まぁ、生まれたばかりだから、そりゃそうか。

 俺は、ゆっくりと歩んできたその個体に近づくと、優しく体を撫でた。
 途端に甘えるように首を擦りつけて来る様子を見て、この子も色々な葛藤と戦ったのかと実感する。
 それから、他の幼子達の様子が落ち着くのを待って、俺は一人呟く。

「よし、じゃあ、君達の新しい家に行くか。」

 最後に、俺は精霊樹と花畑に目を向けた。
 それは、水色の世界の中で、寂しく墓標のように佇んでいるように見えたのだった。

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