比翼の鳥

風慎

第99話 ツバサ

 宙を光の粒子が舞う。
 それは、どこか迷うように、ゆらゆらと俺の前を通過していった。

 右手を見る。
 真っ黒な炎のような魔力を噴き上げる俺の右手に、蛍のような光が触れ、音も無く消えた。

 あぁ、ルナが、消える。

 俺は、無意識に、宙を舞う粒子を必死に集める。
 ああ、散り散りになってしまう。

 一つ、また一つと、淡い光が消え、遂に無くなった。
 ルナがいなくなった。

 膝から力が抜ける。立っていられない。
 心に大きな穴が開いたようだ。寒い。何も考えられない。
 そんな冷え切った思考の中、消え去った粒子求めて、俺は宙を仰ぎ見る。

「何で……ルナちゃん? ツバサ様……?」

 呟くようなリリーの言葉を背中で受け止めながら、俺も空っぽになった自分の頭で、同じように問いかけた。

 何で、こうなった?

 ルナの笑顔が、怒った顔が、そして、泣き顔が、俺の脳裏を過ぎ去っていく。
 それが、失われた。

 ルナに着けていたファミリアは、ここにある。
 それは、もう、ルナがこの地にいない事を意味していた。
 何より、心の奥で彼女と繋がっていた感じが、今は無い。むしろ、そこに大きな穴でも開いたかのように、薄ら寒い物を抱えているように感じる。
 ここにも、ルナがいない。

「いやいや、しかし、凄い魔力ですね。危うく、この一帯が消し飛ぶところでしたよ。」

 冷え切った俺の心を逆なでするような、軽薄な声が響いた。

「おのれ……何奴! ルナ姉さまをどこにやった!」

 咲耶が吼える。
 同時に、ヒビキが有無を言わさず飛びかかるも、見えない壁にぶち当たり、鳴き声を上げながら、そのまま弾き飛ばされた。

「ヒビキ殿!?」
「ヒビキさん!」

 リリーがヒビキの元に駆け寄るも、ダメージは大したことが無いようで、ヒビキはふらつきながらも立ち上がると、威嚇をしながら、距離を取った。

「いやぁ。そんなに怒っては駄目ですよ。可愛い顔が台無しです。ほら、スマイル、スマイル。」

 場違いな雰囲気を纏った男は、にこやかにそう言いながら、どこか偽物のような笑顔を見せる。
 そんな態度が癇に障ったのだろう。咲耶は、迷いなく、虚空に手を伸ばすと、吼える。

「来たれ! 朧月おぼろづき!」

 瞬間、彼女の手の中に蒼い光が凝縮し、一気に刀を形作った。
 鞘も無い抜き身の刀。彼女の霊装、朧月。それを、咲耶は迷いなく呼んだ。

「いやぁぁああ!」

 それを手にした咲耶は、間髪入れず、気迫と共に一閃。
 光の軌跡が、男を捉え、ガラスが砕け散るような甲高い音が響き、次いで重い音と共に、衝撃が広がる。
 見ると、その隙を縫って、再度、ヒビキが男に向かって飛び込んでいく様子が、見えた。
 そんな奇跡のような連携も、男には届かない。ヒビキの斬撃は、新たな障壁によって阻まれる。そんな様子を見て、男は、拍手をしながら、楽しそうに口を開く。

「おお、凄い凄い。まさか、防御が1枚抜かれるとは。ふむ、そちらの子は、見た所、精霊なのに、そこまで動ける! しかも、その身のこなし。ああ、なるほどなるほど。そういう事ですか。」

 対して、咲耶は口を真一文字に結び、悔しそうに男を睨んでいる。
 そんな様子を見て、男は「おぉ、怖い怖い」と、肩をすくめながら、今度はヒビキに視線を向け、

「そちらの獣さんも、頑張りました。その意気は素晴らしい。」

 そう、おどける様に、嘘くさい笑顔を浮かべた。
 しかし、次の瞬間、白い手袋に包まれたその指を左右に振ると、少し声を落として、こう言葉を続ける。

「しかし、待って下さいよ? 今、私がちょっと手を滑らせると、貴方達どころか、この街が消えて無くなりますよ?」

 その瞬間、皆が一歩引き、言葉を失った。見ると、俺の方を見ているように思える。

「そうそう。そこの人、魔力の放出量がそれはもう、おかしいですよね。私、何とか、防いで吸収しているんですけど、手一杯でして。ほら、こんなもの、至近距離で浴びたら、貴方達、どうなるかわかるでしょう?だから、下さいね。」

 一瞬、世界が拍動した。次の瞬間、皆から表情が失われ、彫像のように立ち尽くす。
 皆の様子が変なのは気付いたが、今の俺は、何故かその事がどうでもよかった。
 それよりも、ルナが消えた事が、俺の心に痛みを与え続ける。
 涙が止まらない。自分でも不思議なほどだ。
 その涙も、膨大な魔力の流れに飲み込まれ、すぐに乾く。

 ああ、そうか。俺の身体からは、膨大な量の魔力が今なお、迸っている。
 森でのあの大惨事を起こしたのは、左手だけ。今回は全身の解放だ。
 放出された魔力で、俺の周りは常に黒く、そして空間が歪んだ状態ではあるが、周りに被害は無かった。
 ふと、不思議に思い、魔力の流れを見ると、俺の周りを覆う様な障壁があり、更にその障壁を伝うように、魔力が上へと流れているのが見える。
 流れを追って視線を天頂へと向ける。

 目が合った。

 俺を覗きこむように、どこか観察するかのように、そこに巨大な目があった。
 俺の魔力はその目に吸い込まれていく。

 そうか。お前か。お前なんだな?

 それは、あの冒険者ギルドで見た、気味の悪い目。
 ふと、何処からともなく、押し殺したような笑い声が静かに響く。
 どこだ? どこから、聞こえてくるんだ?
 笑い声の出どころは、すぐ近く。

 ……ああ、俺か。

 俺、笑ってるんだな。
 何でだろうな?

 ……いや、そりゃそうか。
 あの目が今、ここに居る。しかも、どうやら前よりも遥かに大きい。いかにも親玉だ。
 って事はさ、この目の前にいる男って。

「あんた……この世界をこんな風にしてしまった奴か?」

 俺は笑いながら、そう問いかけた。
 俺のそんな様子に、眉を寄せた男だったが、すぐに笑顔を貼り付けると、スーツの様な上着の襟を正し、一礼する。

「これはこれは、申し遅れました。私、魂の安息ソウルオブサバスと言う、しがない宗派で、教皇をしております。一応、教皇様とか、ドクターなんて呼び名で呼ばれております。そうですね、貴方には気軽に、タカちゃんと、お呼び頂ければ嬉しいですね。」

「そうか。タカちゃん。質問だ。ルナをどうした?」

「いやぁ、それはちょっと、こう、色々ありましてですね。答えられないと申しますか……。あ、でも、でも、折角なので、おひとつだけ。」

 困ったようにそう口にするも、何故か機嫌が良さそうに、指を立てる。

「残念ですが、いや、本当に残念な事ですが、もう、貴方は二度とあの子に会えません。いやぁ、悲しぃ!」

 それはもう、嬉しそうに笑顔でそう、オーバーリアクションで伝えて来る。
 そんな男の様子を見て、俺は笑う。本当に、嬉しい。いや、違うな。楽しい。

「そうか。いやぁ、良かった。」

 何故か笑顔で返す俺の態度が予想外だったのだろう。

「おや、そうですか?」

 と、少し不思議そうに、聞き返して来る男。
 ああ、良かった。本当に良かったよ。だってさ。

「こんなにも、殺す事を躊躇わなくて良い程下種な人で、本当に良かった。うん。」

 その瞬間、俺の魔力は一気に放出を強めると、一点に向かって収束した。
 妙に心の中がすっきりとしている。いや、完全に凍り付いている。
 あの時と同じだ。そう、ギルドで切れた時の、あれだ。

 楽しい。笑いが止まらない。
 目の前に、この世界をこんなにしちまった、張本人がいる。
 じゃあ、こいつを潰せば、終わりじゃないか。
 何より……ルナをいたぶる様に、この世界から消したこいつを、俺は絶対に許す事が出来ない。

 俺の周りを取り囲む特殊な障壁は、恐らく、先程、槍が発生していた物と同質のものだ。
 ならば、今の俺になら破れるはずだ。
 ゆっくりと魔力の流れを制御し、上へと吸い取られる前に、目の前へと凝縮していく。
 かつてない程、緻密に、しかし大胆に。魔力の全てを塊に変え、その場に縫い付ける。

 頭の芯が冷える。心が寒い。
 俺の目の前に急速出来つつある魔力塊を見て、男は明らかに狼狽していた。
 皆は先程の、男の声を受けた瞬間、瞬き一つしない彫像と化していた。
 この男、そんなことまでするのか。いや、神になり替わった様な奴だ。この程度やれるか。
 目の前で推移する物事が、酷くゆっくりに、そして、客観的に判断できる。

 だからこそ、気づいた。

 目の前の忌々しい障壁を破る為、魔力を凝縮したその向こう。
 黒く揺らいだ景色の向こうに、重なる様に見える

 俺はそれに躊躇なく手を伸ばす。

 魔力の塊を通過して俺の手が虚空へと消える。
 その指先に、何かが触れる。その瞬間、俺の中に、膨大な情報が流れ込んできた。
 それは、人であったら、耐えられない程の激痛を伴い、発狂しそうなほど雑多な情報が通過していく。

 叫び声さえ上げられず、身体と心を蹂躙される。
 頭にノイズが走る度に、景色が歪む。いや、景色? 良く見ると、そんなものは無かった。
 気が付くと、ただの漆黒。視覚もなく聴覚どころか、五感も無い。
 先程まで、あんなに冷えていた心が、何故か落ち着きを取り戻している。

 あれ? 俺どうしたんだ?

『……呆れました。こんな所まで、来てしまうのですか。』

 その声は誰だったか。無機質で、遠慮が無くて、ポンコツな……。

『誰がポンコツですか。』

 そう、コティさん。全ての元凶が、こんな所にいた。

『人聞きが悪いですね。』

 いやだって、事実でしょ。
 そうだ、ルナは? 大丈夫なのか?

 俺のそんな言葉に、コティさんは、溜息を吐いたように感じられた。

『会っていきなり、ルナ様の事ですか。それより、ご自分の心配をなされた方が良いかと。後1秒もしないうちに、貴方死にますよ?』

 え? うお!? ……って、おや? 俺、死んだ? 一秒経ったよ?
 そんな俺の様子に、またも、深い溜息を吐いた後に、コティさんは、憐れむような口調で、こういった。

『それは、私が知覚を加速させているからです。体感的には、後10秒、9、8、7、6……。』

 え、ちょ、待って!? 

『…1、0……。……嘘です。』

 壊すぞ、ごるぁ!? このポンコツがぁ!

『ですが、時間の無いのは事実です。死にます?』

 いや、ごめんなさい。取りあえず、目の前のあの、むかつく男、一発殴って、世界を壊した後でいいですか?

『それを私が許すと?』

 え? だって、ルナとは関係ない……訳でもないか。むしろ、ルナを足蹴にしたから、むかつくでしょ? あの男。
 あと、世界だって、ちょっと獣人と精霊を解放する位だから、コティさん的には、別にどうでも良いでしょ?

『……もしかして……本当に、それだけの為に、貴方は、この領域に辿り着いたのですか? ルナ様に会うためとかでは無く?』

 え? 何よ、それ? 領域? 知りませんよ。ルナは……もういいです。何となくコティさんを見て分かりました。
 とりあえず、あいつぶん殴って来る。じゃあね。コティさん。後、宜しくね。

『ちょっと待って下さい。貴方は、どこまで分かっているのですか?』

 うーん、何となくですよ。何となく……ね。
 コティさんが、ここにいる。それが答えです。

『そうですか……そこまでわかっていて、何故、貴方は私を責めないのですか?』

 まぁ、責める。責めるねぇ。無いですよ。特には。
 コティさんが、ルナの為に何かしたいっていう気持ち、分からないでもないし。

 それに、俺はもう半分壊れていましたよ。
 そんな姿を見せてしまっていた俺だから、貴方をとやかく言う事はできませんね。

 まぁ、それよりも、ルナを足蹴にして苦しめた、あの男の方が許せんから。
 それに加えて、あいつ等は、ディーネちゃん泣かしてるし、獣人が酷い目に合ってるし。
 うん、腹立って来た。ちょっと殴って来る。

『待ちなさい。……分かりました。貴方は、ちょっと頼りないですし、ヘタレですし、甚だ遺憾ではありますが、ルナ様を苦しめたあの害虫を倒すと言う意味では、利害が一致します。協力いたしましょう。』

 酷い言われ様だ……泣いて良い?

『……それに、ルナ様がいなくなり、精神領域の大部分が空洞化したせいで、貴方の精神は崩壊が始まっています。このまま放置すれば、遠からず、貴方は廃人と化すでしょう。』

 え? 何それ、怖い。
 しかも……さらっと、かなり深刻な情報を投げるの、やめてくれません?

『ですので、甚だ、本当に、身の毛がよだつ程、不本意ではありますが、私の下位互換体を、貴方に移植します。』

 え、やだ。いらない。無理してまでそんな物、必要ないから。

『……移植しました。』

 はやっ!? つか、拒否権なしかよ!? ちょっと、嘘でしょ!? 何さらっと爆弾を埋め込んでるのよ!?

『酷い言われ様ですね。廃人になりたいですか?』

 いや、そりゃ嫌だけどさ。ちょっと、こう、俺の人権をですね。

『ヘタレに人権などありません。』

 酷い……。

『ふふ……やはり、貴方は、そうして馬鹿をやっている方が良いです。感情にのみ込まれて暴れる姿は見苦しいですよ。』

 見苦しい……ああ、そうか。
 明らかに、さっきまでの俺と違うもんな。良く考えてみたら、酷く落ち着いている。
 そっか、くれたんですね……。
 なんだ、可愛い所あるじゃないですか、コティさん。

『……何のことでしょう? システムなので分かりません。』

 そうですか。じゃあ、勝手にお礼言っておきますよ。ありがとう。

『いえ、どういたしまして。……貴方に、良き余生がありますように。』

 彼女のそんな声と共に、急激に五感が戻って来る。

 余生……ね。

 目の前で渦巻く魔力塊を眺めつつ、俺は改めて状況を確認する。
 俺を囲うように存在する、白い障壁は、健在。
 上空には、巨大な目玉が俺を監視しつつ、魔力を吸おうとしている。

 何故かスーツを身に纏った、諸悪の根源である教団の教皇様は、こちらの魔力塊を見て、明らかに狼狽えている。
 皆は先程の、教皇様の声を聞いた瞬間から、微動だにしない。その姿を見て、怒りが沸々とわいてくるも、抑える。

 このまま、魔力塊にイメージを乗せ、教皇もろとも吹っ飛ばすのもありだが、余波で周りがどうなるか読めない。
 また、仮に障壁を破れたとしても、同じく、魔力の余波で、皆が無事で済むかどうか、甚だ疑問である。

 困った。これ、八方塞がりじゃないか。

 と言うか、さっきまでの俺、何も考えず、突っ走ろうとしていたんだな。
 改めて、自分が如何に狂っていたかを、実感する。

 心に空いた穴のような空虚感は、未だそこにある。
 ちょっと意識を向ければ、空しさと寂しさが湧き上がる。
 ルナを失った影響は大きい。だが、それでも、まだ救いがあった。

 ふと、更にその奥に、暖かさを感じた。それに意識を向ける。
 心の奥に芽生えた新たな力。

『――――比翼システム―――スタンバイ――――セットアップ実行……構築中……構築中…………構築完了。』

 それが今、形を成して芽吹き始める。

『認証……被検体情報がありません。――――ユグドラシルシステムにアクセス――――ハッキング開始。ダミーにて認証終了。被検体名称:【佐藤 翼】。登録番号999。続いてバディ登録に入ります。』

 おい、何か凄い物騒なやり取りが聞こえるぞ? いいのか、これ。

『バディ認定…………エラー。バディ候補がありません。システム権限より、仕様変更を提案。――――ユグドラシルシステムにアクセス――――ハッキング開始。――――認証。全権限を付与。システム構築を開始。』

 ちょっと待って!? 酷いんじゃないの? これ!?
 システム権限を勝手に付与って、極悪通り越してギャグにしかならんぞ!?

『比翼システムを一部改変。魔力ベースの経路を確保。構築を開始。……構築中……構築中……構築完了。経路に比翼システムの仕様を踏襲。……構築中……構築中……構築完了。最終チェック開始。……チェック・クリア。出力を計算。30%の運用で条件クリア。仕様変更に伴い、名称変更を提案。』

 ああ、もう、どうにでもしてくれ。突っ込み所があり過ぎて、何も言えん。
 勝手にシステムにアクセスして、勝手に作り直すって何だよ? 恐ろしいってもんじゃないぞ!

『マスターより、受理されました。名称を、マスター名を関し、【ツバサシステム】と呼称します。』

 え? ちょ、待て!? いつ、そんな事に!?

『【ツバサシステム】起動します。』

 その瞬間、俺の魔力が凄い勢いで吸われる。
 目の前に収束していた魔力も、まるで掃除機に吸い込まれる様に、あっという間に消え去った。
 それだけじゃない。生成されて放出されていた魔力が端から消えて無くなる。
 一気に、身体が重くなり、思わずその場で膝をつく俺。

 そんな俺の姿を見ていた男も、突然の事で、何が起こっているか、理解できていないようだ。
 そりゃそうだろうな。俺だって、意味わからん。

 自分の身体に起こっている事を、良く観察してみると、どうやら魔力は、消えて無くなっているわけでは無いようだ。
 圧縮され、凝縮を繰り返し、別の力に変換されている。
 俺の体内でそんな摩訶不思議な工程が進行中であることを、何となく悟った。

 すると突然、視界の端に、円グラフが表示される。
 それは、三色に分かれていた。透明な部分。黄色い部分。赤い部分。
 真ん中には、数字とパーセントが表示されている。今は、78% 79% 1秒毎に上がっていく。
 どうやら、真ん中のパーセンテージは、赤色の部分を表しているらしい。
 見ている間に、透明な部分は無くなり、赤と黄色だけになっている。
 それも、徐々に赤色が黄色を侵食し、パーセンテージが増えるたびに、赤色の部分が増えて行く。

 それが、100%になった時……俺の背中から、翼が生えた。
 そして、例の如く、円グラフはピザの表示に変わり、秒数と共に、欠片が減っていく。
 どうやら、起動時間は86秒と少な目だ。

 また、俺の背中の状況は見なくても分る。感覚で理解できる。この焼ける様な熱さは、比翼の時と同じだ。
 但し、その熱さを感じる場所が、左右の両肩甲骨だという事が大きな違いだろう。
 つまり羽は二枚。まさしく、翼である。

 そんな俺の姿を見て、教皇と名乗った男は明らかに、うろたえていた。
「ちょっと、聞いてないんだけど!?」とか、空に向かって叫んでる。知らんがな。

 んで、こうなったという事は……比翼と同じような事が出来るんだろうか?
 おーい、コティさん、いるの?

『……回答致します。私は、呼称:コティから派生した、情操教育支援OS【Cultivation-of-aesthetic-sensitivity support OS】です。また、分化した際に、最低限の構成のみ、持ち越しております。故に、呼称:コティとは、別の存在だとお考えください。』

 ああ、そうか。存在自体は別物なのか。つか、これで最低限の構成って……。
 ともかく、名前が無いと呼ぶとき、やりにくいな。うーん……じゃあ、セレネにしよう。
 君は今日から、セレネだ。よろしくな!

『了解致しました。以後、私の名称は、セレネで登録いたします。』

 ……何かコティさんと同じ声で、口調も似ていると変な感じがするが、とりあえず、宜しく!
 ……んで、早速なんだが、セレネ。このシステムは、何ができるんだい?

『……回答致します。現段階では、調整不足により、フィールド生成は自己で完結する場合のみ可能です。また、術式補助、身体強化が常時なされております。思考加速は、戦闘時に自動的に作動いたしますので、意識する必要はございません。』

 ほう? なるほど。大分、仕様が変わったようだね。
 そうそう、フィールドに関して何だが……こんな事は可能だろうか?

『……回答致します。可能です。自己の範囲で完結いたしますので、今からでも可能ですが、圧縮粒子を極端に消費いたします。用意に20秒頂きますが、宜しいでしょうか?』

 そうか、うん。やる事もあるし、それで頼む。

『了解致しました。フィールド構成の準備に入ります。』

 脳裏で、セレネが進捗を報告してくれるのを聞きながら、俺は、改めて男の様子を伺う。
 俺の姿が変化したことに驚いている様子だったが、動きがない事で、とりあえずはそのまま佇んでいた。

 俺はそんな男を睨むと、そのまま、徐に、思いっ切り障壁を殴る。
 手でただ殴ったとは思えない程、振動と衝撃が打撃点を中心に広がり、障壁に亀裂が入った。

 おや、いけそうじゃないか。

 何か、男が青い顔をしてこちらを見ているが、気にせずもう一殴り。
 甲高い音を響かせ、粉々に砕け散る障壁。

「え? ちょっと、拳一発で、どうして割れるかな!? 揚羽~!? どういう事!」

 焦ったように、上空の目に向かって怒鳴る男に、俺は無言で歩いていく。
 ん? なんか、どっかで聞いた事があるような、名前が出たような気がするんだが。誰だっけ?
 そう思いながら、俺は男の前まで来ると、手を伸ばし……再度、障壁に阻まれたので、イラッと来て問答無用でぶち破る。
 手が届き、男の肩をがっちりと掴んだ。そんな状況下で、目の前の男は、

「ひぃ!? 管理権限付与の障壁だよ!? 何でそんなにあっさり壊せちゃうかな!? え? 何だ、揚羽? は? ある? そんな馬鹿な!? 管理権限は私にしかない筈……え? 増えている? どういう事だい!」

 俺に肩を掴まれたまま、上空の目に向かって、何かを話し続ける。
 結構、余裕あるじゃないか。まぁ、もう逃がさないけど。

「さて、何か言い残す事はあるかい?」

 俺は、肩に置いた右手に力を籠めつつ、左手をワキワキと動かしながら、目の前の男に笑顔を向ける。
 男は、引きつった笑みを浮かべ、「まぁ、落ち着こう。話せばわか……。」とか言うが、皆まで言わせず、全力で拳を振りぬいた。

 避ける事も出来なかった男は、実に良い錐揉み回転で、3秒ほど滞空したのち、激しくもんどりうって床を転がる。

「ぐぅ、ぶったな! 親父にもぶたれた事無かったのに!」

 お前はどこぞのエースパイロットだ。っていうか、この男、思いの外、頑丈だった。
 今の一撃なら、城壁もぶち破る自信あったんだけどな。

 そう思った時に、セレネから、声がかかる。

『マスター。準備完了致しました。』

 はいよ。んじゃ、頼むわ。
 と言うか、マスターって呼ばれてた。ちょっと嬉しい。

『……了解致しました。フィールド:【シングルタスク】 codeコード breakerブレイカー発動いたします。』

 なんか地味に厨二な名称だった。
 まぁ、これからやる事を考えれば、そうなるか。

 見ると、俺の両肩を包み込むように、背中から放出されている粒子が流れて来た。
 あたかも、黒い翼で自分自身を覆うような、そんな情景だろうか。
 その翼の先端が、空間を割き、俺の目の前に先程触れたと思われる物の姿が浮かび上がった。

 それは、大樹。
 見える範囲だけでも、端から端まで、全てを覆い隠すほど巨大な物だ。
 その白い幹と枝を持つ、大樹を沿うように、光の筋が幾重にも走り、その姿を刻々と変化させている。

 そうか。これが、幾度となく出て来た、ユグドラシル。システムの中心部か。
 俺は、一瞬呆けて、その姿に圧倒されるも、すぐに目的を思い出し、調べにかかる。

 異変はすぐに見つかった。
 幹の中央部。そこに打ち込まれた、銀色の楔。
 その楔は、そこから先の枝葉に、ある情報を送らない様にしているのが、見えた。
 更にもっと下には、赤い鎖が、幹を縛り上げるように巻き付いているのが、見て取れる。

「揚羽! あいつ、何かやらかす気だぞ! 止めるぞ! 権限フルアクセス!」

 そんな声が聞こえたが、もう遅い。
 セレネ。やってくれ。

『イエス、マイマスター。』

 その瞬間、俺は、大樹に刺さった銀の楔が砕け散るのを、見た。
 同時に、視界が戻る。

 視線の先には、大量の汗を流し、震えている男の姿。

 そして、変化はすぐに訪れる。
 澄んだ音が、駆け抜けた。それは、風鈴の様な透明感のある、美しい物だった。
 その音が駆け抜けた後、至る所で、何かが割れる音が響き渡る。
 何個も、何個も。ガラスのコップを床に叩きつけた様な。
 細い金属片が、岩にばらまかれた様な。

 そんな甲高い音が、都市中……いや、で鳴り響いた。

「おいおい……ちょっと、な、何してくれたのかなぁ。」

 興奮したように息を切らせながら、男は、そう口を開く。
 解ってるくせに。一応、腐っても、神様を気取ってるんだろ?

 しかし、こんな糞みたいなシステム組みやがって。
 だから、俺も主張する。俺の信じる、その心に従って。

「何してくれちゃったのは、そっちでしょ? 獣人を好きなように隷属しやがって。しかも、あんな回りくどいやり方でさ。全く、趣味が悪いったらありゃしない。」

「ちょっと待ってくれよぉ、まさか……お前?」

 その言葉で、こいつが何も理解できていない事に気が付く。
 だから、分かりやすく説明してやる事にした。

「叡智の輪冠。」

 俺はポツリと言う。
 その言葉の先を、男は視線で促す。

「全部、ぶっ壊した。システムごと全て。しかも、世界中。」

「はぁああああ!? 何してんの!? ねぇ、何してくれちゃってんの? 一体、あのシステム作って、世界を統治するのにどれだけかかったと思ってるんだよぉ!?」

 いや、だから知らんと。
 何だか、発狂寸前の男を眺めつつ、そう心でため息を吐いた瞬間、セレネから声がかかる。

『マスター。申し訳ございません。もう一つは、半壊がやっとでした。粒子残量が足りません。稼働限界の為、ツバサシステムを停止いたします。』

 そうか。残念だけど、しょうがないね。ありがとう。
 じゃあ、これは折を見て、手を付けよう。

『イエス、マスター。』

 そんなやり取りのすぐあと、俺の背中から生えていた翼がしぼむ様に消えていく。
 だが入れ違いに、すぐに体の奥底から、また暴力的な魔力の本流が湧き上がってくるのを感じた。
 いやいや、これ、また、吹き散らしたら、大参事だから。
 とりあえず、制御できない分は、全て【ストレージ】に流し込む。
 ファミリアを何体か作って、それにファミリアを作らせる。そういう事で、何とか持たせようと考えた。

 しかし、とっとと、ずらかって、大勢を立て直さんと。
 見ると、家族たちは未だに、彫刻と化していた。
 うーん、これ、どうすればいいんだ?

 やっぱり、この教皇を名乗る男をどうにかするしかない?

 ふと、直上にある目の事を思い出す。
 見ると目は俺の方をジッと見つめていた。しかし、なんだろうか? 不思議と敵意を感じない。
 何だ? 考えてみれば、以前と、何か雰囲気が違うな。強いて言えば、迷ってる?
 だが、直上の目を見ていたのは、俺だけでは無かったようだ。

「揚羽ぁ! こいつを殺せ! 生かして返すな!」

 おや、教皇様はお怒りの様だ。そりゃそうか。ざまぁみろ。
 目はどうやら、少し困っている様子が見える。おや、仲間割れか?

 その間に、改めて、皆を見ると、まだ彫像のままだ。
 困った。どうしよう?

「おーい、皆、逃げるよ? 動けないかな?」

 ダメ元で、そんな風に声をかける。
 すると、ご都合主義の如く、何故か、皆が途端に、時を取り戻した。
 皆、状況が解らず、お互いに見合っている。
 え? ちょっと何それ。どういう事?

『回答いたします。甲種第一、二類への命令権を、マスターは有しております。その結果、先の命令を打ち消しました。』

 甲種……命令……ね。
 まぁ、今はいいや、とりあえず、俺が声に出せば、この呪縛を解けると言う事で良いんだな?

『仰る通りです。』

 ……分かった。ありがとう。セレネ。

「皆、状況が変わった。……逃げるぞ。」

 俺の声に、一瞬、緊張したように、顔をこわばらせるも、頷く。

「よし、では、前からの手筈通りに、散開!!」

 その瞬間、真っ先に動いたのは、ヒビキだった。
 正に、脱兎……脱虎?の如く、この場から消え去る。

 リリーも、俺を一瞬心配そうに見つめ、距離を置くように、屋根伝いに跳躍した。
 咲耶も此花も、瞬時に跳躍し、

「え? 此花?!」

 ん? 何だ?

 咲耶の声が気になり、振り向いた次の瞬間、何故か此花が、俺めがけて突っ込んで来た。
 咄嗟に抱き留めてしまったが、その瞬間、腹に熱い塊が潜り込み……次いで、激痛が全身を襲う。

 な、なんだ!?

 見ると、俺の腹に、金属槍が……。
 それは、生きているかのように俺の体に食い込み始める。
 やばい、これ、もしかして……。

 このままだと、此花を巻き込んでしまうか。

「此花! お父さんから離れ……。」

 俺は、此花にそう呼びかけようとして、その顔が無表情であることに、背筋を凍らせた。
 そして、何より、その額に……張り付く目が……俺を見て。

「ツバサ様ぁあああ!!」

 リリーの絶叫を遠くに聞いた次の瞬間、俺の意識は闇に落ちた。

【比翼の鳥 翼の章 第二章 了】

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品