比翼の鳥

風慎

第20話 起床、そして緩やかな日々(2)

 ……吸うのであった。じゃないってばさ。
 何当たり前のように、俺はリリーの乳房をむさぼっているんだよ。

 俺は自分で突っ込みを入れつつも、時既に遅く、満足した体を横たえながら、考えを深めていた。
 既にリリーの姿は無く、俺はまた一人、部屋の中に取り残されている。

 ただ、今まで違うことは、俺の意識がはっきりとしている事だ。
 魔力を再度貰った後、一旦眠りについた様だったが、すぐに目を覚ますことが出来た。
 これは、今までにない事だ。何が原因なのかは不明だが、今は、この時間を有効に活用しようと、俺は視線を部屋へと移す。

 リリーの体に遮られて、今まで見ることが構わなかった部屋の様子を観察すると、思いの外狭い部屋だったことが分かる。
 体がまだうまく動かないため、見える範囲で判断するしか無いが、恐らく6畳程の部屋ではないかと思われる。
 今の状況では、石造りの天井が、俺の視界のほぼ全てを埋め、背中側から降り注いでいるであろう、陽光を感じることしか出来ない。
 視線を横に転じれば、弾力のある柔らかい布が、俺の体をすっぽりと包んでいる様子が確認できた。
 中々に高級そうな布ではあるのだが、何処からこんなものを手に入れてきているのだろうか?
 一瞬、そんな疑問が湧くが、それを振り払い、俺は包まれた寝床から、何とか這い出そうと、体を動かす。

 ぐ……しかし、本当に、思うように……動かない……な! っと。

 体の大きさが違うからなのか、魔力が足りないからなのか分からないが、どうにも体の動きが鈍く、俺の思うようには動かない。
 それでも、悪戦苦闘すること数十分程、どうにか俺は、仰向けからうつ伏せになる。

 だが、ここで新たな問題が……。

 あかん、疲れた。寝返りをうつだけで、この疲労感。いかに自分が弱体化しているかが良く分かる。
 そして、それに伴い、急激に眠気が……しかも、周りは温かくふわふわのベッドな訳で。
 ダメだ、ここで、寝るわけに……は。

 ……気が付くと、部屋が真っ赤に染まっていた。
 どうやら、完膚なきまでに寝落ちしたらしい。部屋には、依然として人の気配はない。
 だが、俺の体勢は、うつ伏せから仰向けへと変化していた
 誰かが、元に戻したのだろうか?
 定期的に様子を見に来てくれている事はありがたいと思う反面、俺の苦労を無駄にしおってからに……と、ほぼ八つ当たり気味の感情も湧き上がって来る。

 いや、またうつ伏せになればいいだけだ。
 俺はそう思い直し、体を動かしにかかる。

 この、右手が、こうで……左足を、こう! むぅ、上手くいか……ない! はぁ、はぁ、ちょい休憩。

 先程は何とか上手く回転できたのだが、奇跡だったようだ。
 しかも、先程の疲れも抜けきっていないらしく、少し体が重い。
 いや、負けていられないぞ。俺は、早く、動けるようにならなければ!!

 うし、再開だ! ふん!! って腹筋が、ぎゃぁぁああ! 

 変な所に力が入ったせいか、はたまた、一日のうちに無理しすぎたせいなのか、生前……いや、死んでないけど、大人の時にすらったことのない腹筋が逝き、軽く悶絶する俺。
 そうして暫く全く思う様に動かない体と格闘するも、どう考えても労力に見合わないこの作業に軽く絶望していた。

 手足が短いという事が、これほどまでに致命的な事だとは、いままで生きて来て知る由もない事だった。
 亀がひっくり返ってジタバタしている様子を見て、笑っていたが、もう俺はあの姿から哀愁しか感じ取れないだろう。
 むしろ、これからは、同志と呼んでも良いかもしれない。

 そんな風に、胸中で勝手に亀への親近感を深めていると、ふいに俺の視界に影が差す。
 見ると俺を見下ろす様に佇む、銀髪のいかつい親父が立っていた。

 おう、いつの間に……。全く気が付かなかった。

 驚きながら見上げる俺と、いかつい親父の視線がぶつかり合う。
 しかし、親父は何も言わず、ただ、そこから俺の様子をジッと見つめていた。

 うーむ、俺を見守っている? いや、観察しているのか?

 思わず首を傾げた俺の様子を見て、銀色に光る濃い眉と、頭に鎮座する千切れた耳がピクリと動いた。

 なんだが、妙に貫禄のある獣人さんだな。

 俺は彼の事をそんな風に評価しつつ、同じく観察する。

 まず最初に気が付いた事。この親父さん、どうやら、銀狼族の様である。
 と言うのも、夕暮れの光に惑わされそうになるが、その光を吸って輝く髪は芸術品の様な色彩を放つ、銀髪だったからだ。
 その頭には、一対の獣耳。しかし、その片方は、途中から千切れた様に無くなっている。
 壮観な顔には、十文字に傷が刻まれており、ただでさえ厳ついその顔を、極悪人の様に仕立て上げていた。
 鋭い眼光は、それだけで人を殺せそうな程の鋭さである。多分、子供が見たら、有無を言わさず泣くだろう。

 そこまで考えを進めて、あっと、彼の心境に思い至る。
 もしかして、俺が怖がらないか、試しているのでは? もしくは、怖がらない俺を不思議がっているのかも。

 そう考えて見ると、何となく俺の事の様子を興味深々に観察している節が見て取れる。
 先程から、何となく、空気が動いている感じを受けるが……もしかして、尻尾が振れているんじゃなかろうか?

 何故か言葉も無く、親父と赤ん坊の俺が見つめ合う時間が続く。
 だが、それも、唐突に終わりを告げた。

「お前……俺が怖くないのか?」

 そんな言葉に、俺は一瞬考えてしまうが、これはチャンスと考え、そのまま頷く。
 俺が明確に頷いたのを見て、目を見開く親父。
 そのまま、後ずさるように覗き込んでいた顔を遠ざけ、俺の視界から消えた。
 だが、気配は遠ざかっておらず、まだ近くにいるらしい。
 耳をすませば、何か独り言のように、「本当に……いやしかし、お嬢は確かに……」等とブツブツと呟く声が、辛うじて伝え聞こえてきた。

 ふむ、ちょっと刺激が強すぎたのか?
 けど、調度良いタイミングだったしなぁ。この機を逃す手は無いと思うんだよな。

 俺がそんな風に考え込んでいると、再度、親父が俺を覗き込む形で視界に現れる。

「おい。お前、本当にしゃべれるのか?」

 唐突に投げかけられる問い。
 それに俺は、やはり考えてしまうが、ここまで来たら隠す必要もないと悟り、ゆっくり首を振る。
 その動作を見て、親父は、今度は眉をピクリと動かすに留まった。
 だが、少なくとも俺に言葉が通じていると分かったのだろう。

「なるほど。理解はしているという事か。くそっ、お嬢の言う通りと言う訳か……」

 舌打ちをしつつも、毒づく彼の様子を見て、俺はまた首を傾げる。

 お嬢……リリーの事だよな?
 言う通りって言うのは、良く分からないが、彼の中で何か合点がいったらしい。
 それより驚きなのは、リリーよりも先に、この親父とスムーズに会話が成立している事だ。

 しかし、冷静になって考えてみたら、当然の事だった。
 俺は、今迄、リリーと事に躍起になっていたのだ。

 細かい意思の疎通を図るには、どうしても言葉が必要になる。
 だが、逆に言えば、大雑把な意思を伝えるだけなら、言葉は必要ないのだ。
 こんな簡単な事に気が付けなかったなんて……どれだけ焦ってるんだ、俺。

 心の中で溜め息を吐きながら、そんな当たり前のことを再確認する。
 見ると、目の前の親父も何かを考え込んでいたようで、俺の視線に気がつくと、頭を振ると、今までに無い真剣な眼差しを向けてきた。

「なぁ、お前。お嬢の味方か?」

 俺はその言葉にただ、頷きをもって返す。
 そんなの聞かれるまでもない。その為に、俺はここにいる。
 残念ながら今はまだ力が無いが、すぐに何とかしてみせる。まぁ、何となく方針は固まりつつある訳で、後は、実践あるのみだ。
 いつまでも、俺は赤ちゃんでいる訳には、いかないのだ。

 俺の思いが伝わったのか、親父は、「そうか」とだけ呟くと、何か難しい顔をして、虚空に視線を寄越す。
 しばし、そのまま、何処か思いを馳せるように、その視線が宙を射抜く。いや、過去か、或いは、未来かもしれない。
 考えてみれば、リリーもこの親父も、きっと色々な苦労があったのだろう。
 リリーは、俺を守ってくれていたらしい。そして、そんな姿を、この親父も間近で見てきたのかもしれない。

 いつか、その時の話を聞いてみたいな。
 俺はそんな、感傷にも似た気持ちを、胸に宿らせた。

 そんな風に見上げていた俺の視線が、親父の視線と交わる。
 それだけで、どこか心が通ったような、そんな錯覚さえ覚えた。
 不意にニヤリと親父は、笑う。俺も、釣られて笑みを浮かべる。

「そうか、そうだな。疑った事は許して欲しい。どうしても、お嬢の言葉だけでは、信じられんでな。だが、分かった。確かに、そうなのだろう。」

 少し吹っ切れた様に、親父は頷く。
 何かは分からないが、彼の中で一つの葛藤が終焉を迎えたようである。
 とりあえず、彼から放たれる雰囲気というか殺気のようなものが薄れたことで、俺は人知れず安堵した。

 だが、そんな俺の落ち着いた心を乱そうとするかのように、親父は徐ろに……上着を脱ぎ捨てた。

 は?

 一瞬、何が起きているのか理解できない俺をよそに、親父は、むんずと俺の体を片手で掴み上げると、そのまま顔の前まで持ち上げる。

 え? 何? ちょっと、どういうこと?

 混乱する俺を置いてけぼりにしたまま、視線がぶつかる。

「お嬢の味方なら、早く強くなれ。でないとお嬢を守れん。その為なら、わしも一肌脱ごう。」

 文字通り上半身裸の親父が、そう静かに俺に言う。鍛え上げられたその肉体は、はち切れんばかりの質量を晒しており、その表面はうっとおしいと言われても仕方がないほど、多くの剛毛に覆われている。
 親父が息をする度に、その筋肉の塊が、ゆっくりと膨張と収縮を繰り返す様は、男ながら見事であると言わざるを得ない。

「お前も、お嬢の為に、戦ってくれるか?」

 筋肉を晒したその巨躯から、静かに放たれたその言葉には、有無を言わさない迫力があった。
 状況についていけない俺は、色々と思うところがあるが、基本的には賛成だ。

 このままでは、俺は何も出来ない。

 だから、俺は状況がよく飲み込めないままではあったが、何とか頷こうとした。
 それは、どうやら伝わったらしく、親父は口を釣り上げ、辛うじて笑みと呼べそうな表情を浮かべる。
 しかしそれは、どこからどう見ても悪役のそれにしか見えない事から、オレの心には、不安しか沸いてこない。

「よしよし、そうだろう。では、わしが魔力をやろう。さぁ、銀狼族の力、とくと受け継ぐが良い。」

 え? ちょっと待って? だって、あんた男……。

 そう思ったが、先日からの一連のやり取りから、その考えがそもそも間違っていることに、すぐに思い当たる。

 日々、リリーの乳房から、与えられていた魔力。
 そして、先日のやり取りの最中語られた内容。

『ああ、そうだ、魔力だけなら俺でもやれるだろ』
『んな事言っても、魔力吸わせるだけなら、俺でも良いだろ』

 その言葉の意味する所は……近づいてくる胸毛に覆われた、はち切れんばかりの筋肉の塊。
 しかも、俺の顔を背けさせないようにだろう。ガッチリと抱え込むように、ロックしてやがる。

 待って、それは、ちょっと急には、心の準備が……。

 しかし、そんな俺の心の悲鳴が聞こえるはずもなく、徐々に近づいてくるジャングル。
 何か変な熱気と、理屈では到底説明の付かない嫌悪感を漂わせているそれは、俺にとっては、あまりにも耐え難く。

 え……ちょ、まっ……それは……。

あぶぅ~~~いやだー!」

 その瞬間、俺の心の叫びは、赤ん坊の泣き声となり、大きく響いたのだった。

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