比翼の鳥
第27話 起床、そして穏やかな日々(9)
何を話し合っていたのかはいまいち不明ではあるが……何だか良く分からない内に、会議も終了となり、解散という雰囲気が流れ始めた。
のだったが……やはりと言うか、俺の予想以上に、事態は早く進み始める。
「あー、お嬢。ちょっと良いか?」
そう口を開いたのは、先程、若者達とのやり取りで、口を開いていた大柄の男だ。
「はい? 何でしょうか? ウトムルさん」
「あのな……その、言いにくかったら良いんだが」と、前置きした上で、ウトムルと呼ばれた大柄の男は、一気にその胸に溜まった疑問を口にする。
「その、背中の赤ん坊は……例の……なのか?」
その言葉で、場の空気の温度が一段、下がった気がした。
皆の目が、まるで吸い込まれる様に、こちらに向く。しかし、その視線に込められた思いは、大きく隔たった物の様に、俺には感じられた。
どうやら、実働部隊の方々は、ある程度事情を理解しているようで、その一言で、困った様な、興味深そうな表情を浮かべる者が多い。
対して若い者達は、不思議そうな表情をその顔に浮かべている。状況がいまいち掴めていないであろう事が、その様子から見て取れた。
ああ、来ちゃったよ。いや、まぁ、そうだよねぇ。
俺が眠っている間に、その説明が済んでいることも期待したが……やはり甘かった。
思わず、額に手を当てたくなる衝動を抑えつつ、俺はリリーの言葉を待つ。どうやら、緊張しているのは俺だけでなく、部屋の皆も同じようで、良く分からない緊迫感が、この場の雰囲気を重く縛り付けている様に感じる。
「はい、この方がツバサ様ですよ!」
だが、流石は、リリーと言った所か。そんな空気を全く感じている様子もなく、嬉しそうに振り返りながら俺を見ると、笑顔で言い切る。
それだけで、どこか空気が弛緩した様になり、その場の雰囲気が一気に軽くなる。何このセラピー的な何かは。
見ると、大の大人の男共が揃いも揃って、その満面の笑みを見て、何故か顔を赤らめていた。
いや、何故こいつらは、揃いも揃って、リリーの笑顔に騙されているのだ。
おい、そこのおっさん。しっかりしろ! 俺と言う存在が何なのかを確認するんじゃなかったのか?
だが、俺の心からの叱咤激励は届くはずも無く、リリーの笑みと、嬉しそうにゆっくりと振られる尻尾に、皆は釘付けの様だ。
「姉御……最高っす」「うむ、良い笑顔じゃ」「俺、お嬢の笑顔の為なら、死ねる」「あの尻尾、むしゃぶりつきてぇ……」
とか、かなり骨抜きにされている様子の呟きが、そこら中に溢れている。
あの尻尾は俺のだ。お前にはやらん……。と、妙な独占欲が一瞬湧き上がるも、首を振って、邪念を追い出しにかかる。
しかし……もう、この部隊、駄目なんじゃなかろうか?
そんな感想が、一瞬、俺の脳裏をよぎるも、そんな残念な想いは、取りあえず、棚に上げて置く。
そこで丁度、ウトムルと呼ばれていた獣人と俺の視線がぶつかった事で、彼は我に返ったように、咳払いを一つすると、口を開いた。
「いや、失礼した。という事は、その赤ん坊は……お嬢の……その、あのだな……」
だが、その言葉は何故か要領を得ない。そんな様子を見て、俺やリリーだけでなく、若い獣人達も首を捻る。
それに対して、実働部隊であろう熟練者たちは、その心境を理解できているらしく、不安そうな色をその瞳に宿しながら、成り行きを見守っていた。
そこで再度、俺と彼の視線が交錯するに至り、彼は何かを決意したようだ。
「その赤子。お嬢の、いい人……だと聞いたが、本当だろうか?」
「いい人……ああ、はい! ツバサ様は、私の旦那様になる方ですよ!」
空気を読まないリリーが満面の笑みで、この場に核爆弾を投下する。
いや、待て、こら。今の流れで、そんな事言ったら……。
「「「「「「うおぉおおおおぉ!?」」」」」」
一瞬にして音を失った部屋を、恐る恐る見渡した瞬間、今日一番の絶叫がこの部屋を揺らした。
そこから、正に、カオス。阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
流石に、実働部隊側の熟練者達は、ある程度覚悟していたようだった節があり、割り合い冷静にその言葉を受け止めていた。
中には、首を振りつつ、「やっぱりか……」とか「お嬢……くぅ、幸せになぁ……」と、妙にこう、老成した雰囲気を醸し出しつつ、ポツリと呟く方もチラホラと見受けられる。
何と言うか、孫を見守るお爺ちゃん的な……そんな感じだろうか?
対して、若い衆の反応は、俺の嫌な予感の通り、激烈だった。
「うおおおぉん! 俺、姉御と結婚する筈だったのにぃ!?」
「ざけんな! お嬢は俺達のお嬢だ!!」
「んだとぉ!?」「やるかごるあぁ!?」
唐突に、泣き出す者。そして、喧嘩を始める者。
だが、それはまだ、良い。各自の中で騒いでいるだけだからだ。問題は、他の多くの者達で、その者達は、リリーの言葉に納得行かないらしく、彼女に詰め寄る姿があった。
「待ってくれ、姉御!? 何でだ!? その赤子と、本当に、添い遂げるつもりかよ!?」
「はい!」
いや、無理だから。赤ん坊と添い遂げるって何よ。
そして、その言葉を聞いた獣人が目の光を失って倒れた。大丈夫だろうか? と心配したが、次の瞬間、若者達の一団に引きずられるように回収されていく。
「お前……良くやったよ……」「俺、お前のこと、嫌いじゃなかったぜ……」との声が聞こえたが、俺は黙殺する。
そして、そんな打ちひしがれたような集団とは別の場所から、またも、若者の一人が吐き出されるように、リリーの前へとやってくる。
「お嬢、考え直せ!? 生首なら百歩譲って良いが、赤ん坊と言うのは……」
「ツバサ様ですから、大丈夫です!」
リリーの満面の笑みを受けて、「ぐほぉ!?」と奇っ怪な言葉を発すると、そのまま仰け反るように倒れ……またも、一団に吸収されていった。
うん、意味わからん。生首なら良いのか? むしろ、未来がある分、赤ん坊の方が良いのでは? って言うか、リリー、幾ら俺でも、このままでは無理ですよ?
そして、そんなコントの様なやり取りが、その後も、延々と続く。
「姉御!! 好きだ!! 結婚してくれ!!」
「ごめんなさい。私が愛しているのは、ツバサ様だけなので」
「うわぁああああ!? そんなぁああ!?」
目の前で玉砕特攻し、文字通り砕け散る者。ああ、膝から崩れ落ち涙する様が、心を抉る。
しかし、それを笑顔でキッパリ断るリリーに、俺は戦慄するも、彼女の迷いない言葉を受けて、少しだけ照れくさくなり非常に微妙な心境を持て余す。
「そ、そもそも、尻尾も耳も無いそいつの、どこが良いんだ!?」
「全部です!」
実に清々しい声で、そうキッパリと口にする。雰囲気から彼女が満面の笑みを浮べている事は、背中に背負われた俺でも、想像に難くない。そして、嬉しそうに振られる尻尾からも、それは容易に感じられる。
そして、どうやら彼女の喜ぶ姿は、俺が感じている以上に獣人達には、愛らしく映るらしい。
何か重い音が響いたので視線を移せば、そこでは何人かが、顔を真っ赤にしながら昇天している姿があった。
更に見ると、何ともだらしない顔をした大の男たちの集団が目の前に広がっている。
駄目だ……この部隊……早く何とかしないと。
そんな風に半ば諦めの気持ちを抱きつつ、いつ終わるとも分からない、この何とも言いようもない光景を眺めていたのだが、リリーは何かを思いついたらしく、「あ、そうですね」と呟くと、徐に、おんぶ紐を緩めると、背中に背負っていた俺を胸へと抱く。
その瞬間、我に返りどよめく男ども。
「く、くそぉ、あいつぅ!?」「お、俺も、姉御の胸に、顔を埋めたい……」「埋めるほど無いけ……ぐはぁ!?」
おい、最後の奴、死にたいのか?
そう考えるや否や、目にもとまらぬ速さで、リリーが指弾を打ったのを俺は肌で感じたが、時すでに遅かったようだ。
「おい!? しっかりしろ!?」「大丈夫だ! ある意味、ご褒美だぞ!?」「姉御の……匂い……うへへ」
前言撤回。既に手遅れだ。もう、そのまま倒れてなさい。
そんな風に呆れていた俺だったが、今度はクルリと反転させられると、背中をリリーの胸に預ける形で、皆と対面することになる。
俺とリリーに、容赦ない視線が降り注ぐものの、彼女は意に介せず、そのまま笑顔で口を開いた。
「皆さんも、ツバサ様とお話すれば、その素晴らしさが分かる筈です!」
そうして、俺は、皆の視線に晒される。
いやぁ、リリー……それは、無茶でしょ。俺、まだ話せないんだけど。
俺は困りながら、リリーを見上げるように振り返るも、彼女の心は既に決まっているようだった。
そそり立つ耳と、何故だか不明だが、妙に自信満々のドヤ顔が、彼女の心を雄弁に語っている。
あ、駄目だ。この表情は、もう完全に俺がなんとかすると、信じ切っちゃっている時のだわ。
改めて視線を獣人達に戻すも、多くはリリーの姿を見て、呆けているようだった。一部、俺に視線を向けている者もいるが……ああ、先程から、場を仕切っていたウトムルと呼ばれている獣人も、こちらに目を向けている。
きっと、俺の存在がリリーにとって害悪であるかどうかを見極めたいのだろう。
ベイルさんは、何でか俺の事を買ってくれているようだが、ここでも試されているようだ。
まぁ、この状況では、どうであれ、俺が何かしてみるしかないだろう。
一瞬、前から検討していた方法が、頭の片隅を過る。
俺が眠りに付く前に、あの竜が使っていた方法だ。
残念ながら、解析していたファミリアごと異空間に格納されているので、未だに詳しい原理は不明であるのだが……実は、やり方の取っ掛かりだけは掴めている。
あの竜が使用していた念話とも言えるものは、特別な魔力を薄く放出しているのが特徴的だった。
恐らく、言語を圧縮して波のように広げ、それを直接相手へと届けているのだろうと推察できる。
実はその方法は、決して目新しいものではなかったのだ。思い返せば、俺の家族でも使っている者がいた。そう、ヒビキだ。
残念ながら、俺は彼女の言葉を正確に理解することはできなかったのだが、我が子達は理解していた。
恐らくだが、正確に言葉を伝える為には、受け手側に対応した形で言葉を変換する必要があるのだろうと俺は思っている。
精霊である彼女達は、獣であるヒビキと親和性が高かったのかもしれない。対して俺やリリー達など獣人には言葉が正確に伝わっている様子はなかった。
しかし、彼女が発する鳴き声には、想いが乗っていた。
つまり、伝え方が違っていたか、聞く方の受け方が違っていたか、そのどちらかが原因で、相手に正確に言葉が届かなかった可能性が高い。
しかも俺は、何となくではあるが、彼女の想いを常に感じ取ることが出来ていたのだ。ならば……声に魔力を載せることで、言葉は無理にしても、想いを伝えることは可能なのではなかろうか?
いや、もしかしたら、今まで無意識の内に、そういった現象が起こっていた可能性は高い。
ルナが俺の心情を恐ろしい精度で読み取っていたのは、比翼による影響だったとしても……その他の人々が俺の心情を組んでくれる機会が多かったのは、それだけでは説明がつかないからだ。
特に、先日のベイルさんの行動も、俺の魔力から何かを感じ取ったのであれば、ある程度は納得が行く話だ。
まぁ、それを踏まえても、意味不明な部分も多いが……それは、とりあえず、置いておく。
兎も角……ぶっつけ本番になってしまうが、試す価値はあるだろう。
問題は、どの程度の魔力を消費するか読めない点だ。場合によっては、またぶっ倒れる可能性もある。
うーん、まぁ、ヤバそうだったら辞めればいいだけだし。
それに、声に魔力を載せるだけだから、それほど、消費しないと思うんだよな。
うん、やってみてから判断しよう。
俺は、半ばやけくそになると、心持ち、大きく息を吸う。そんな俺の動きを、どうやら、ウトムルと呼ばれた獣人だけは、目に止めていたらしく、その顔に怪訝な表情を浮かべていた。
よし、では行くぞ! 魔力を制御して……うごごごご、減る、減っちゃう!?
俺は、身体から一気にその量を減らして行く魔力をその身に感じつつ、完全にリリーに骨抜きにされている群衆に向かって、声を上げた。
「あばぁ。あうあ、うあ~あう~あうぁ~」
どうやら、魔力枯渇までは行かなかったようで、少しだるくなった物の、意識は保てていた。
そんな魔力を載せ、想いをそのままに発せられた声を聞いた獣人達は、一瞬、キョトンとした顔を見せると、一斉に俺を見る。
うお、怖っ!?
一瞬、仰け反った俺だったが、そんな俺を見つつも、皆、戸惑った様周りを見渡し、各々に声を上げ始める。
「なんだ……今の?」「誰かの声、声か?」「お前か?」「いや、俺じゃねぇよ!?」
「いや、声って言うより……」「ああ、意思そのものと言うか」
目の前に広がる動揺の渦。だが、その様子を見て、俺は、このやり方で正解だったと確信する。
ふと、リリーの腕に力が入り強く抱きしめられた事で、俺は視線を彼女に向ける。
見ると、満面の笑みを浮かべ、こちらを潤んだ目で見下ろす彼女と目が合った。
「久しぶりに……お声を聞きました。……いえ、感じました。私、嬉しいです……」
ポツリとそう漏らした彼女の目から、涙が溢れそうになるも、それを良しとしないように直ぐに上を向く。
そうして、一瞬、堪えたように身体に力を入れると、次の瞬間には、いつもの彼女がいた。
「どうですか! ツバサ様のお言葉が皆さんにも伝わったでしょう?」
そうして、動揺する皆にかけられたリリーの声に、先程の感極まった様子であったという面影はない。
しっかりと前を向いて、彼らに自信満々の笑みを向ける彼女は、いつも通りの物である。
そうか。皆の前では泣けないか。そりゃそうかもな。
本当に立派になったんだなぁ、リリー。
だけどな。とりあえず、尻尾の制御は、もう少し練習した方がいいな。
彼女の気分を代弁するかのように後ろで舞い上がっている埃を見て、俺は心で苦笑するのだった。
のだったが……やはりと言うか、俺の予想以上に、事態は早く進み始める。
「あー、お嬢。ちょっと良いか?」
そう口を開いたのは、先程、若者達とのやり取りで、口を開いていた大柄の男だ。
「はい? 何でしょうか? ウトムルさん」
「あのな……その、言いにくかったら良いんだが」と、前置きした上で、ウトムルと呼ばれた大柄の男は、一気にその胸に溜まった疑問を口にする。
「その、背中の赤ん坊は……例の……なのか?」
その言葉で、場の空気の温度が一段、下がった気がした。
皆の目が、まるで吸い込まれる様に、こちらに向く。しかし、その視線に込められた思いは、大きく隔たった物の様に、俺には感じられた。
どうやら、実働部隊の方々は、ある程度事情を理解しているようで、その一言で、困った様な、興味深そうな表情を浮かべる者が多い。
対して若い者達は、不思議そうな表情をその顔に浮かべている。状況がいまいち掴めていないであろう事が、その様子から見て取れた。
ああ、来ちゃったよ。いや、まぁ、そうだよねぇ。
俺が眠っている間に、その説明が済んでいることも期待したが……やはり甘かった。
思わず、額に手を当てたくなる衝動を抑えつつ、俺はリリーの言葉を待つ。どうやら、緊張しているのは俺だけでなく、部屋の皆も同じようで、良く分からない緊迫感が、この場の雰囲気を重く縛り付けている様に感じる。
「はい、この方がツバサ様ですよ!」
だが、流石は、リリーと言った所か。そんな空気を全く感じている様子もなく、嬉しそうに振り返りながら俺を見ると、笑顔で言い切る。
それだけで、どこか空気が弛緩した様になり、その場の雰囲気が一気に軽くなる。何このセラピー的な何かは。
見ると、大の大人の男共が揃いも揃って、その満面の笑みを見て、何故か顔を赤らめていた。
いや、何故こいつらは、揃いも揃って、リリーの笑顔に騙されているのだ。
おい、そこのおっさん。しっかりしろ! 俺と言う存在が何なのかを確認するんじゃなかったのか?
だが、俺の心からの叱咤激励は届くはずも無く、リリーの笑みと、嬉しそうにゆっくりと振られる尻尾に、皆は釘付けの様だ。
「姉御……最高っす」「うむ、良い笑顔じゃ」「俺、お嬢の笑顔の為なら、死ねる」「あの尻尾、むしゃぶりつきてぇ……」
とか、かなり骨抜きにされている様子の呟きが、そこら中に溢れている。
あの尻尾は俺のだ。お前にはやらん……。と、妙な独占欲が一瞬湧き上がるも、首を振って、邪念を追い出しにかかる。
しかし……もう、この部隊、駄目なんじゃなかろうか?
そんな感想が、一瞬、俺の脳裏をよぎるも、そんな残念な想いは、取りあえず、棚に上げて置く。
そこで丁度、ウトムルと呼ばれていた獣人と俺の視線がぶつかった事で、彼は我に返ったように、咳払いを一つすると、口を開いた。
「いや、失礼した。という事は、その赤ん坊は……お嬢の……その、あのだな……」
だが、その言葉は何故か要領を得ない。そんな様子を見て、俺やリリーだけでなく、若い獣人達も首を捻る。
それに対して、実働部隊であろう熟練者たちは、その心境を理解できているらしく、不安そうな色をその瞳に宿しながら、成り行きを見守っていた。
そこで再度、俺と彼の視線が交錯するに至り、彼は何かを決意したようだ。
「その赤子。お嬢の、いい人……だと聞いたが、本当だろうか?」
「いい人……ああ、はい! ツバサ様は、私の旦那様になる方ですよ!」
空気を読まないリリーが満面の笑みで、この場に核爆弾を投下する。
いや、待て、こら。今の流れで、そんな事言ったら……。
「「「「「「うおぉおおおおぉ!?」」」」」」
一瞬にして音を失った部屋を、恐る恐る見渡した瞬間、今日一番の絶叫がこの部屋を揺らした。
そこから、正に、カオス。阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
流石に、実働部隊側の熟練者達は、ある程度覚悟していたようだった節があり、割り合い冷静にその言葉を受け止めていた。
中には、首を振りつつ、「やっぱりか……」とか「お嬢……くぅ、幸せになぁ……」と、妙にこう、老成した雰囲気を醸し出しつつ、ポツリと呟く方もチラホラと見受けられる。
何と言うか、孫を見守るお爺ちゃん的な……そんな感じだろうか?
対して、若い衆の反応は、俺の嫌な予感の通り、激烈だった。
「うおおおぉん! 俺、姉御と結婚する筈だったのにぃ!?」
「ざけんな! お嬢は俺達のお嬢だ!!」
「んだとぉ!?」「やるかごるあぁ!?」
唐突に、泣き出す者。そして、喧嘩を始める者。
だが、それはまだ、良い。各自の中で騒いでいるだけだからだ。問題は、他の多くの者達で、その者達は、リリーの言葉に納得行かないらしく、彼女に詰め寄る姿があった。
「待ってくれ、姉御!? 何でだ!? その赤子と、本当に、添い遂げるつもりかよ!?」
「はい!」
いや、無理だから。赤ん坊と添い遂げるって何よ。
そして、その言葉を聞いた獣人が目の光を失って倒れた。大丈夫だろうか? と心配したが、次の瞬間、若者達の一団に引きずられるように回収されていく。
「お前……良くやったよ……」「俺、お前のこと、嫌いじゃなかったぜ……」との声が聞こえたが、俺は黙殺する。
そして、そんな打ちひしがれたような集団とは別の場所から、またも、若者の一人が吐き出されるように、リリーの前へとやってくる。
「お嬢、考え直せ!? 生首なら百歩譲って良いが、赤ん坊と言うのは……」
「ツバサ様ですから、大丈夫です!」
リリーの満面の笑みを受けて、「ぐほぉ!?」と奇っ怪な言葉を発すると、そのまま仰け反るように倒れ……またも、一団に吸収されていった。
うん、意味わからん。生首なら良いのか? むしろ、未来がある分、赤ん坊の方が良いのでは? って言うか、リリー、幾ら俺でも、このままでは無理ですよ?
そして、そんなコントの様なやり取りが、その後も、延々と続く。
「姉御!! 好きだ!! 結婚してくれ!!」
「ごめんなさい。私が愛しているのは、ツバサ様だけなので」
「うわぁああああ!? そんなぁああ!?」
目の前で玉砕特攻し、文字通り砕け散る者。ああ、膝から崩れ落ち涙する様が、心を抉る。
しかし、それを笑顔でキッパリ断るリリーに、俺は戦慄するも、彼女の迷いない言葉を受けて、少しだけ照れくさくなり非常に微妙な心境を持て余す。
「そ、そもそも、尻尾も耳も無いそいつの、どこが良いんだ!?」
「全部です!」
実に清々しい声で、そうキッパリと口にする。雰囲気から彼女が満面の笑みを浮べている事は、背中に背負われた俺でも、想像に難くない。そして、嬉しそうに振られる尻尾からも、それは容易に感じられる。
そして、どうやら彼女の喜ぶ姿は、俺が感じている以上に獣人達には、愛らしく映るらしい。
何か重い音が響いたので視線を移せば、そこでは何人かが、顔を真っ赤にしながら昇天している姿があった。
更に見ると、何ともだらしない顔をした大の男たちの集団が目の前に広がっている。
駄目だ……この部隊……早く何とかしないと。
そんな風に半ば諦めの気持ちを抱きつつ、いつ終わるとも分からない、この何とも言いようもない光景を眺めていたのだが、リリーは何かを思いついたらしく、「あ、そうですね」と呟くと、徐に、おんぶ紐を緩めると、背中に背負っていた俺を胸へと抱く。
その瞬間、我に返りどよめく男ども。
「く、くそぉ、あいつぅ!?」「お、俺も、姉御の胸に、顔を埋めたい……」「埋めるほど無いけ……ぐはぁ!?」
おい、最後の奴、死にたいのか?
そう考えるや否や、目にもとまらぬ速さで、リリーが指弾を打ったのを俺は肌で感じたが、時すでに遅かったようだ。
「おい!? しっかりしろ!?」「大丈夫だ! ある意味、ご褒美だぞ!?」「姉御の……匂い……うへへ」
前言撤回。既に手遅れだ。もう、そのまま倒れてなさい。
そんな風に呆れていた俺だったが、今度はクルリと反転させられると、背中をリリーの胸に預ける形で、皆と対面することになる。
俺とリリーに、容赦ない視線が降り注ぐものの、彼女は意に介せず、そのまま笑顔で口を開いた。
「皆さんも、ツバサ様とお話すれば、その素晴らしさが分かる筈です!」
そうして、俺は、皆の視線に晒される。
いやぁ、リリー……それは、無茶でしょ。俺、まだ話せないんだけど。
俺は困りながら、リリーを見上げるように振り返るも、彼女の心は既に決まっているようだった。
そそり立つ耳と、何故だか不明だが、妙に自信満々のドヤ顔が、彼女の心を雄弁に語っている。
あ、駄目だ。この表情は、もう完全に俺がなんとかすると、信じ切っちゃっている時のだわ。
改めて視線を獣人達に戻すも、多くはリリーの姿を見て、呆けているようだった。一部、俺に視線を向けている者もいるが……ああ、先程から、場を仕切っていたウトムルと呼ばれている獣人も、こちらに目を向けている。
きっと、俺の存在がリリーにとって害悪であるかどうかを見極めたいのだろう。
ベイルさんは、何でか俺の事を買ってくれているようだが、ここでも試されているようだ。
まぁ、この状況では、どうであれ、俺が何かしてみるしかないだろう。
一瞬、前から検討していた方法が、頭の片隅を過る。
俺が眠りに付く前に、あの竜が使っていた方法だ。
残念ながら、解析していたファミリアごと異空間に格納されているので、未だに詳しい原理は不明であるのだが……実は、やり方の取っ掛かりだけは掴めている。
あの竜が使用していた念話とも言えるものは、特別な魔力を薄く放出しているのが特徴的だった。
恐らく、言語を圧縮して波のように広げ、それを直接相手へと届けているのだろうと推察できる。
実はその方法は、決して目新しいものではなかったのだ。思い返せば、俺の家族でも使っている者がいた。そう、ヒビキだ。
残念ながら、俺は彼女の言葉を正確に理解することはできなかったのだが、我が子達は理解していた。
恐らくだが、正確に言葉を伝える為には、受け手側に対応した形で言葉を変換する必要があるのだろうと俺は思っている。
精霊である彼女達は、獣であるヒビキと親和性が高かったのかもしれない。対して俺やリリー達など獣人には言葉が正確に伝わっている様子はなかった。
しかし、彼女が発する鳴き声には、想いが乗っていた。
つまり、伝え方が違っていたか、聞く方の受け方が違っていたか、そのどちらかが原因で、相手に正確に言葉が届かなかった可能性が高い。
しかも俺は、何となくではあるが、彼女の想いを常に感じ取ることが出来ていたのだ。ならば……声に魔力を載せることで、言葉は無理にしても、想いを伝えることは可能なのではなかろうか?
いや、もしかしたら、今まで無意識の内に、そういった現象が起こっていた可能性は高い。
ルナが俺の心情を恐ろしい精度で読み取っていたのは、比翼による影響だったとしても……その他の人々が俺の心情を組んでくれる機会が多かったのは、それだけでは説明がつかないからだ。
特に、先日のベイルさんの行動も、俺の魔力から何かを感じ取ったのであれば、ある程度は納得が行く話だ。
まぁ、それを踏まえても、意味不明な部分も多いが……それは、とりあえず、置いておく。
兎も角……ぶっつけ本番になってしまうが、試す価値はあるだろう。
問題は、どの程度の魔力を消費するか読めない点だ。場合によっては、またぶっ倒れる可能性もある。
うーん、まぁ、ヤバそうだったら辞めればいいだけだし。
それに、声に魔力を載せるだけだから、それほど、消費しないと思うんだよな。
うん、やってみてから判断しよう。
俺は、半ばやけくそになると、心持ち、大きく息を吸う。そんな俺の動きを、どうやら、ウトムルと呼ばれた獣人だけは、目に止めていたらしく、その顔に怪訝な表情を浮かべていた。
よし、では行くぞ! 魔力を制御して……うごごごご、減る、減っちゃう!?
俺は、身体から一気にその量を減らして行く魔力をその身に感じつつ、完全にリリーに骨抜きにされている群衆に向かって、声を上げた。
「あばぁ。あうあ、うあ~あう~あうぁ~」
どうやら、魔力枯渇までは行かなかったようで、少しだるくなった物の、意識は保てていた。
そんな魔力を載せ、想いをそのままに発せられた声を聞いた獣人達は、一瞬、キョトンとした顔を見せると、一斉に俺を見る。
うお、怖っ!?
一瞬、仰け反った俺だったが、そんな俺を見つつも、皆、戸惑った様周りを見渡し、各々に声を上げ始める。
「なんだ……今の?」「誰かの声、声か?」「お前か?」「いや、俺じゃねぇよ!?」
「いや、声って言うより……」「ああ、意思そのものと言うか」
目の前に広がる動揺の渦。だが、その様子を見て、俺は、このやり方で正解だったと確信する。
ふと、リリーの腕に力が入り強く抱きしめられた事で、俺は視線を彼女に向ける。
見ると、満面の笑みを浮かべ、こちらを潤んだ目で見下ろす彼女と目が合った。
「久しぶりに……お声を聞きました。……いえ、感じました。私、嬉しいです……」
ポツリとそう漏らした彼女の目から、涙が溢れそうになるも、それを良しとしないように直ぐに上を向く。
そうして、一瞬、堪えたように身体に力を入れると、次の瞬間には、いつもの彼女がいた。
「どうですか! ツバサ様のお言葉が皆さんにも伝わったでしょう?」
そうして、動揺する皆にかけられたリリーの声に、先程の感極まった様子であったという面影はない。
しっかりと前を向いて、彼らに自信満々の笑みを向ける彼女は、いつも通りの物である。
そうか。皆の前では泣けないか。そりゃそうかもな。
本当に立派になったんだなぁ、リリー。
だけどな。とりあえず、尻尾の制御は、もう少し練習した方がいいな。
彼女の気分を代弁するかのように後ろで舞い上がっている埃を見て、俺は心で苦笑するのだった。
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