比翼の鳥
第28話 起床、そして穏やかな日々(10)
ざわめきが申し訳程度に響く部屋だったが、それも徐々に波が引くように収まってきた。
それは、リリーの疑う様子もない姿が、そうさせているようにも思える。
「い、いや、俺は、認めねぇぞ!!」
だが、そんな静けさを否定するかのように、力強く叫ぶ若者が一人。
それは、先程の言い合いで、若い衆の音頭を取っていた獣人だった。
その表情に悔しそうな物を滲ませながらも、俺に挑むように視線を向けてくる。
「マイス……もうよせ」
だが、流石に、目に余る行動だったようで、先程、ウトムルと呼ばれていた獣人が、静止するように声をかけた。
「いやだ! 俺ぁ納得できねぇ! だって、たかだか赤ん坊だ! それが、ちょっと何だか分からねぇ方法で喋ったからってなんだって言うんだ!」
いや、普通の赤ん坊は、何だか分からない方法で喋らないと思うんだが。
心でそう思わず突っ込みを入れるも、その声に勢いがある為なのか、諦めたくないだけなのか、同調する声がチラホラと起きる。
「そ、そうだ! 別に喋るくらいなんだ!」「それと、姉御に相応しいかは別問題だ!」と、声が上がるにつれ、また、元の喧騒が復活しようとしていた。
「そもそも、その赤ん坊をずっと背負ってたらいざって時、どうすんだよ!? お嬢の負担が増えるだけじゃねぇか!? それなら他のやつにそいつの面倒見て貰った方が良いだろう!?」
「そうだ! お嬢一人が危険な目に会うのはおかしい!」「赤ん坊は、お嬢から離すべきだ!」
その声にも、賛同の声が上がる。確かに、その主張には一理ある。まぁ、俺もちょっと前だったらそれでも良いと思っていた。
リリーの負担になりたいわけではないからな。
だが、彼女の決意を知ってしまった。彼女の今までの苦労を知ってしまった。
それを知って、俺は彼女を拒絶することは出来ない。むしろ、それならば、積極的に彼女の役に立つ方法を模索するさ。
だが、そんな彼女の心を知らない若者達は、それを理解できない。
彼女の心が本当に望む物を、彼らは知ろうとはしない。
彼らの都合の良い望みを、彼女が望んでいると思いたいのだ。
だから、彼らは思い至らないんだ。その主張が、彼女を傷つけているという事に。
ふと、視線をリリーへと向ける。その目には、何の色も湛えていなかった。無表情。それが、今の彼女の心を雄弁に物語っていた。
そして流石にこの状況を、ウトムルさんと呼ばれている獣人は、快く思わなかったようで、眉間に刻まれた皺が徐々に深くなっていく様子が俺からも確認できる。
うーむ。これはそろそろ、一喝が出るんだろうな。
そう、理解し、俺が耳を塞ごうとしたその時、リリーが何の色もないまま、本当に不思議そうな声で、こう呟く。
「皆さん、もし今ので納得頂けないようでしたら……それでも良いんですよ?」
その瞬間、音が消えた。
そして、リリーは俺を柔らかく抱きしめると、とても穏やかな声で、続きを語る。
「皆さんがどう思おうと……私の心は、もう決まっていますから。それは、ウトムルさんを初め、昔から助けて下さっている方でしたら、良くご存知でしょうし」
それは、言葉こそ柔らかいようだが、完全な拒絶だった。
そして、何より、先程から俺はリリーの顔を振り返ってみることが出来ない。
何故なら俺の背を通して染み渡る気配が、俺の本能を刺激しているからだ。反射的に泣き出そうとする身体を抑えるのに必死である。
そして、その物騒な気配は、殺気とまでは行かないものの、圧迫感を伴って部屋全体を支配していた。
おいおい、リリー、なんつー気配を撒き散らしてるんだ。
みれば、先程まで威勢の良かった若い衆は、今や完全にリリーの気配に飲まれて萎縮している。
対して、古参の者達は、冷や汗を浮かべるものもいるが、多くは苦笑しながらも、動じる様子はない。むしろ、この状況を楽しんでいる節すら感じる。
「ほれ、お嬢がヘソを曲げおった」「若い者は無茶するねぇ」
そんな声がこの場の雰囲気を解すように、かけられるに至り、圧迫感が霧散する。
「もう……。私だっていつまでも子供じゃないんですから」
そう拗ねるようなりリーの声に、漸く場が落ち着きを取り戻した。
そんな怒りを買った若い衆達はさぞかし落胆しているのだろうと思っていたのだが、見ると多くは、震えながらも何故かリリーに熱のこもった視線を向けている。
「さ、流石、姉御だぜ。久々に、キタぜ」「お、俺も、チビリそうになった」「「だが、それが良い」」
なんだか駄目な会話が聞こえてくるが、俺は黙殺する。あいつらのペースに乗ってはダメだ、何も考えるな。
俺が頭を降って、余計な考えを追い出そうとしていると、突然、会議室のドアが勢い良く開き、大きな音を室内に響かせる。
「おい! いつまで会議やってんだ!? 訓練すっぞ!!」
何か聞き覚えがある声が響いたかと思うと、それもそのはずで、
「あ、ダグスさん。今、終わりましたよ。ちょっと若い子達がごねちゃって遅くなりました。」
リリーがそうにこやかに答えながら振り返った事で、先日ぶりに彼の姿を視界に収めることになる。
どうやら先程まで稽古でもしていたのか、上半身を完全に露出し、湯気すら上がっている状態での登場に、俺はトラウマが蘇って反射的に身を固くすると、逃げるようにリリーの胸へとしがみついてしまう。
胸筋怖い……!? 柔らかい方が良い……!! 来ないでぇえ!?
だが、そんな俺の行動に気づいた様子もない彼は、そのまま顔をしかめると、
「んだぁ? お嬢に対して、奴らがゴネるなんて珍しいじゃねぇか。……ははぁん? なんだ、もしかしてツバサの事か?」
それはもう楽しそうな色を声に滲ませ、そうリリーに問いかけた。
「そうなんですよ。若い子達は、ツバサ様の凄さが分かってくれなくて。折角、ツバサ様が喋って下さったのに」
「おお、まだ目覚めて数日でそれか。やっぱ、すげぇな。流石、俺の見込んだだけはある。だが、そうか。まぁ、それじゃ奴らも納得しねぇか」
そうなんだよなぁ。俺の凄さ云々より、単純にリリーが取られるっていう思いの方が強いだけなんだろうし。
話を聞きながら、漸く、落ち着いてきた身体を制御し、俺は改めてダグスさんを見る。
ぐ、大胸筋が……いや、顔を見ればなんとか……髭……ぐむむ、いや、俺の身体よ、嫌がる気持ちは分かるがこらえろ。
何故か身体に嫌悪感が染み付いてしまったらしく、反射的に顔を背けようとする動作を、気合で阻止する。
別に彼が嫌いなわけではないのだ。あの不幸な事故も、彼の思いやりが暴走したって言うだけだし。
しかし、心は思った異常にトラウマを受けていたようだ。彼を見るのも一苦労である。
「お、そうだ。じゃぁ、いっその事、みせてやりゃぁ良いんだよ」
「みせる? いえ、流石にツバサ様はまだ、戦える状況じゃないですよ?」
そうですよ? 何とんでもない事言ってくれるかな!? 
流石に、炎の槍一つも打てない俺じゃ、話にならないよ!?
リリーだけでなく俺も反対したが、そんな様子を見て彼はニヤリと口元を歪めると、何とも楽しそうに、こう口にする。
「いや、戦うのは、お嬢だよ。ツバサを背負ったまま戦える姿をみせりゃ、奴らも、ちったぁ、納得するだろ?」
そして、その提案は、何故かリリーだけでなく、満場一致で支持されたのであった。
「ツバサ様は、何も心配しないで良いですからね? 私が守りますから」
リリーがふわりとした笑顔で、背中の俺に声をかける。
結局、どうやらリリーが俺を背負ったまま戦う姿を見せるという形で落ち着いたらしく、今は、廊下を移動中である。
どうやらこの先には訓練場があるらしく、そこでリリーと若い衆との実戦形式で訓練を行うことになったらしい。
それが決まると、ダグスさんに追い立てられるように、若い衆は会議室から蜘蛛の子を散らすように出ていった。
俺達は、ゆっくりとそれを追う形になる。ちなみに、更に後ろには、古参の者達が俺達にゾロゾロと着いてきているという構図である。
「しかし、面白いことになった」「うむ、久々にお嬢の戦う姿を堪能できるのぉ」
俺の背後からはそんな呑気な声が聞こえてくる。
まぁ、彼女も俺の知っている頃より、かなり場数を踏んで強くなっているようだし、心配はないと頭では理解している。
だが、それでも、一抹の不安が過るのはどうしようもない。
そういう意味では、この機会は、案外、良かったのかもしれない。
だが、何だろうか? 何かを見落としている気がする。
とても大事なことを……はて?
そうこう考えている内に、視界の先が明るくなってきた。どうやら外のようだ。
考えてみたら、この前の離れが崩壊して以来、初めての外である。
しかも、あの時は夜だったから、昼間に外に出るのは、初めてかもしれない。
リリーが一歩踏み出し、俺は外の世界へと出る。
瞬間、視界が白く染まり……そして、何か変な感じがした。
ん? なんだ? この何とも言えない感覚は? こう、ぬるま湯のような何かに入ったような? まとわりつくような何かに足を踏み入れたような?
だが、それ程不快なわけでもなく、慣れてくれば違和感も薄れていった。うーん?
首を捻って考えるも、良く分からなかったので、とりあえずは棚上げすることにした。
歩みを止めないリリーに運ばれることで、視界に入ってくるものがあり、そちらに視線を移す。
視界に入ってくるものは、木々だけで、それもかなり遠くに見える。
どうやら、思った以上に広い空間のようだ。恐らくサッカー場が2~3個は入る。
そして、勿論、ここが訓練場で間違いないだろう。
ちなみに、地面は土のままだが、しっかりと踏み固められており、思いの外、歩きやすそうである。
周囲は、森が覆っており、この訓練場も、森を切り開いて広げたと思われる。その為、やや歪んだ長方形のような感じに広がっている感じがする。
よく見れば端の方は、まだ切り株が残っている場所が多かった。椅子の代わりにでも使っているのだろうか?
そして、リリーの進む方を見れば、何だか妙にやる気満々の集団がいた。その数、ざっと30人程。
見てくれと放つ雰囲気は、完全にヤンキーそのままである。
「やっとお出ましですかい。姉御、覚悟は良いですかね?」
訂正。マイスと呼ばれていた若者の口にした言葉もヤンキーのそれだった。
「俺、今日こそ、姉御の尻尾を……」「いや、馬鹿、まずは太ももだろ!?」「いや、あの板のような……いや、何でもないっす」
流石に学習したか……。そのままやられてくれれば、一人減ったのに。
とりあえず、こいつら全員死刑で。リリーに触らせるとか無いから。
憤りが勝り、流石に俺もちょっとイラッと来たので、本気でやることにした。
少しぐらいなら無茶しても、何とかなるだろう。どうやら、さっきの感じでは若干魔力が増えているようだし。
俺は身体に魔力を流し、いつでも魔法へと変換できるように循環させることにした。
その瞬間、身体に力が漲る。
ん? 何だこれ? 魔力量は大したこと無いはずなんだが……。
「マイスさん。ツバサ様を侮った罪……身体で償ってもらいますからね?」
リリーが何か変な発言をしているのを頭の片隅で聞きながら、俺は、別の事で戸惑っていた。
魔力が……増えていく?
循環させる度に、俺の保有魔力が僅かずつではあるが、何故か増えていくのを感じる。
試しに【アナライズ】を自分にかけてみて、それが間違いでないと確信した。
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いやいやいや……おかしいから。最大値超えて魔力あるから。しかも、100倍近くって何よ。
あ、けど、最大値も少し増えてるな。やっぱり、魔力を枯渇させると増えるのか。
「今日こそ、姉御に一泡吹かせてやりますよ! おめぇら! 気合い入れていくぞぉ!!」
マイスと呼ばれていた獣人が吠えると、周りの若者衆も同調し吠える。
だが、俺はそんな事に気を取られている余裕はなかった。異常事態である。
うーん、もしかして、【アナライズ】がバグっているとか無いよなぁ?
そう思い、試しにリリーに【アナライズ】をかけてみる。
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おいおい、リリー……魔力が一億あるぞ。
まぁ、そりゃ、前より強くなったって言ってたけどさ……。
なるほど。確かに、前の数値と比べて全然違う。
ちなみに余談だが、俺が眠りにつく前、最後に見たリリーの保有魔力は、数万の程度だった。
いや、それでも、獣人族の中ではべらぼうに高かったんだけどね?
最後に見たのはいつだったか……あれは、竜との一戦が終わったあとだったかな?
ちなみに、我が子達は余裕で京の桁を超えていた。
ただ、ヒビキでさえ、あの当時で数百万位だったから、今のリリーはそれよりも魔力量が高いということになる。
ちなみに、一般的な人族で数百。ボーデさんは三千を超えたかどうか位だったかな……。
獣人族は、強者と呼ばれるもので五千クラスが最大値だった。
あ、けど、ゴウラさん率いるガーディアン達は万に届こうかという所だったかな。あれは特別だった。
あのまま研鑽していれば、今はもっと伸びているはずだ。
そして、対峙する若者衆達に【アナライズ】をかけてみる。
軒並み三千~五千程度。
どうやら、俺の知っている大体の平均値と一致することから、【アナライズ】がバグっている訳では無さそうだ。
そうだとすれば……うん、あくまで魔力だけ比べたら、もう、話にならないレベルだ。
勿論、魔力は指標の一つにすぎない。だが、これ程の差だと……うーむ。
とりあえず、魔力の増えた理由は良くわからないが、怖いから魔力は身体に流して強化に使っておこう。
リリーの能力は、俺の知っている頃に比べて格段に上がっているようだし。
超高速で動かれたら、首が折れそうで怖い。リリーなら、うっかりでやりそうだ……うん。
思わず悲惨な未来を想像してしまい、俺は身震いする。
そうしている内に、魔力が周り、馴染みだしたようで、身体が軽く感じるようになった。
ついでに、知覚も強化するか……魔力は……
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うん?? 使っているはずなのに、何でか更に増えてるんだけど? 大丈夫なのか? これ?
流石に不安になってきたので、リリーに声をかけようとしたのだが……。
「では、お嬢、始めるぞ。両者、初めぃ!」
時既に遅く、俺のあずかり知らない所で、模擬戦の火蓋が切って落とされたのだった。
それは、リリーの疑う様子もない姿が、そうさせているようにも思える。
「い、いや、俺は、認めねぇぞ!!」
だが、そんな静けさを否定するかのように、力強く叫ぶ若者が一人。
それは、先程の言い合いで、若い衆の音頭を取っていた獣人だった。
その表情に悔しそうな物を滲ませながらも、俺に挑むように視線を向けてくる。
「マイス……もうよせ」
だが、流石に、目に余る行動だったようで、先程、ウトムルと呼ばれていた獣人が、静止するように声をかけた。
「いやだ! 俺ぁ納得できねぇ! だって、たかだか赤ん坊だ! それが、ちょっと何だか分からねぇ方法で喋ったからってなんだって言うんだ!」
いや、普通の赤ん坊は、何だか分からない方法で喋らないと思うんだが。
心でそう思わず突っ込みを入れるも、その声に勢いがある為なのか、諦めたくないだけなのか、同調する声がチラホラと起きる。
「そ、そうだ! 別に喋るくらいなんだ!」「それと、姉御に相応しいかは別問題だ!」と、声が上がるにつれ、また、元の喧騒が復活しようとしていた。
「そもそも、その赤ん坊をずっと背負ってたらいざって時、どうすんだよ!? お嬢の負担が増えるだけじゃねぇか!? それなら他のやつにそいつの面倒見て貰った方が良いだろう!?」
「そうだ! お嬢一人が危険な目に会うのはおかしい!」「赤ん坊は、お嬢から離すべきだ!」
その声にも、賛同の声が上がる。確かに、その主張には一理ある。まぁ、俺もちょっと前だったらそれでも良いと思っていた。
リリーの負担になりたいわけではないからな。
だが、彼女の決意を知ってしまった。彼女の今までの苦労を知ってしまった。
それを知って、俺は彼女を拒絶することは出来ない。むしろ、それならば、積極的に彼女の役に立つ方法を模索するさ。
だが、そんな彼女の心を知らない若者達は、それを理解できない。
彼女の心が本当に望む物を、彼らは知ろうとはしない。
彼らの都合の良い望みを、彼女が望んでいると思いたいのだ。
だから、彼らは思い至らないんだ。その主張が、彼女を傷つけているという事に。
ふと、視線をリリーへと向ける。その目には、何の色も湛えていなかった。無表情。それが、今の彼女の心を雄弁に物語っていた。
そして流石にこの状況を、ウトムルさんと呼ばれている獣人は、快く思わなかったようで、眉間に刻まれた皺が徐々に深くなっていく様子が俺からも確認できる。
うーむ。これはそろそろ、一喝が出るんだろうな。
そう、理解し、俺が耳を塞ごうとしたその時、リリーが何の色もないまま、本当に不思議そうな声で、こう呟く。
「皆さん、もし今ので納得頂けないようでしたら……それでも良いんですよ?」
その瞬間、音が消えた。
そして、リリーは俺を柔らかく抱きしめると、とても穏やかな声で、続きを語る。
「皆さんがどう思おうと……私の心は、もう決まっていますから。それは、ウトムルさんを初め、昔から助けて下さっている方でしたら、良くご存知でしょうし」
それは、言葉こそ柔らかいようだが、完全な拒絶だった。
そして、何より、先程から俺はリリーの顔を振り返ってみることが出来ない。
何故なら俺の背を通して染み渡る気配が、俺の本能を刺激しているからだ。反射的に泣き出そうとする身体を抑えるのに必死である。
そして、その物騒な気配は、殺気とまでは行かないものの、圧迫感を伴って部屋全体を支配していた。
おいおい、リリー、なんつー気配を撒き散らしてるんだ。
みれば、先程まで威勢の良かった若い衆は、今や完全にリリーの気配に飲まれて萎縮している。
対して、古参の者達は、冷や汗を浮かべるものもいるが、多くは苦笑しながらも、動じる様子はない。むしろ、この状況を楽しんでいる節すら感じる。
「ほれ、お嬢がヘソを曲げおった」「若い者は無茶するねぇ」
そんな声がこの場の雰囲気を解すように、かけられるに至り、圧迫感が霧散する。
「もう……。私だっていつまでも子供じゃないんですから」
そう拗ねるようなりリーの声に、漸く場が落ち着きを取り戻した。
そんな怒りを買った若い衆達はさぞかし落胆しているのだろうと思っていたのだが、見ると多くは、震えながらも何故かリリーに熱のこもった視線を向けている。
「さ、流石、姉御だぜ。久々に、キタぜ」「お、俺も、チビリそうになった」「「だが、それが良い」」
なんだか駄目な会話が聞こえてくるが、俺は黙殺する。あいつらのペースに乗ってはダメだ、何も考えるな。
俺が頭を降って、余計な考えを追い出そうとしていると、突然、会議室のドアが勢い良く開き、大きな音を室内に響かせる。
「おい! いつまで会議やってんだ!? 訓練すっぞ!!」
何か聞き覚えがある声が響いたかと思うと、それもそのはずで、
「あ、ダグスさん。今、終わりましたよ。ちょっと若い子達がごねちゃって遅くなりました。」
リリーがそうにこやかに答えながら振り返った事で、先日ぶりに彼の姿を視界に収めることになる。
どうやら先程まで稽古でもしていたのか、上半身を完全に露出し、湯気すら上がっている状態での登場に、俺はトラウマが蘇って反射的に身を固くすると、逃げるようにリリーの胸へとしがみついてしまう。
胸筋怖い……!? 柔らかい方が良い……!! 来ないでぇえ!?
だが、そんな俺の行動に気づいた様子もない彼は、そのまま顔をしかめると、
「んだぁ? お嬢に対して、奴らがゴネるなんて珍しいじゃねぇか。……ははぁん? なんだ、もしかしてツバサの事か?」
それはもう楽しそうな色を声に滲ませ、そうリリーに問いかけた。
「そうなんですよ。若い子達は、ツバサ様の凄さが分かってくれなくて。折角、ツバサ様が喋って下さったのに」
「おお、まだ目覚めて数日でそれか。やっぱ、すげぇな。流石、俺の見込んだだけはある。だが、そうか。まぁ、それじゃ奴らも納得しねぇか」
そうなんだよなぁ。俺の凄さ云々より、単純にリリーが取られるっていう思いの方が強いだけなんだろうし。
話を聞きながら、漸く、落ち着いてきた身体を制御し、俺は改めてダグスさんを見る。
ぐ、大胸筋が……いや、顔を見ればなんとか……髭……ぐむむ、いや、俺の身体よ、嫌がる気持ちは分かるがこらえろ。
何故か身体に嫌悪感が染み付いてしまったらしく、反射的に顔を背けようとする動作を、気合で阻止する。
別に彼が嫌いなわけではないのだ。あの不幸な事故も、彼の思いやりが暴走したって言うだけだし。
しかし、心は思った異常にトラウマを受けていたようだ。彼を見るのも一苦労である。
「お、そうだ。じゃぁ、いっその事、みせてやりゃぁ良いんだよ」
「みせる? いえ、流石にツバサ様はまだ、戦える状況じゃないですよ?」
そうですよ? 何とんでもない事言ってくれるかな!? 
流石に、炎の槍一つも打てない俺じゃ、話にならないよ!?
リリーだけでなく俺も反対したが、そんな様子を見て彼はニヤリと口元を歪めると、何とも楽しそうに、こう口にする。
「いや、戦うのは、お嬢だよ。ツバサを背負ったまま戦える姿をみせりゃ、奴らも、ちったぁ、納得するだろ?」
そして、その提案は、何故かリリーだけでなく、満場一致で支持されたのであった。
「ツバサ様は、何も心配しないで良いですからね? 私が守りますから」
リリーがふわりとした笑顔で、背中の俺に声をかける。
結局、どうやらリリーが俺を背負ったまま戦う姿を見せるという形で落ち着いたらしく、今は、廊下を移動中である。
どうやらこの先には訓練場があるらしく、そこでリリーと若い衆との実戦形式で訓練を行うことになったらしい。
それが決まると、ダグスさんに追い立てられるように、若い衆は会議室から蜘蛛の子を散らすように出ていった。
俺達は、ゆっくりとそれを追う形になる。ちなみに、更に後ろには、古参の者達が俺達にゾロゾロと着いてきているという構図である。
「しかし、面白いことになった」「うむ、久々にお嬢の戦う姿を堪能できるのぉ」
俺の背後からはそんな呑気な声が聞こえてくる。
まぁ、彼女も俺の知っている頃より、かなり場数を踏んで強くなっているようだし、心配はないと頭では理解している。
だが、それでも、一抹の不安が過るのはどうしようもない。
そういう意味では、この機会は、案外、良かったのかもしれない。
だが、何だろうか? 何かを見落としている気がする。
とても大事なことを……はて?
そうこう考えている内に、視界の先が明るくなってきた。どうやら外のようだ。
考えてみたら、この前の離れが崩壊して以来、初めての外である。
しかも、あの時は夜だったから、昼間に外に出るのは、初めてかもしれない。
リリーが一歩踏み出し、俺は外の世界へと出る。
瞬間、視界が白く染まり……そして、何か変な感じがした。
ん? なんだ? この何とも言えない感覚は? こう、ぬるま湯のような何かに入ったような? まとわりつくような何かに足を踏み入れたような?
だが、それ程不快なわけでもなく、慣れてくれば違和感も薄れていった。うーん?
首を捻って考えるも、良く分からなかったので、とりあえずは棚上げすることにした。
歩みを止めないリリーに運ばれることで、視界に入ってくるものがあり、そちらに視線を移す。
視界に入ってくるものは、木々だけで、それもかなり遠くに見える。
どうやら、思った以上に広い空間のようだ。恐らくサッカー場が2~3個は入る。
そして、勿論、ここが訓練場で間違いないだろう。
ちなみに、地面は土のままだが、しっかりと踏み固められており、思いの外、歩きやすそうである。
周囲は、森が覆っており、この訓練場も、森を切り開いて広げたと思われる。その為、やや歪んだ長方形のような感じに広がっている感じがする。
よく見れば端の方は、まだ切り株が残っている場所が多かった。椅子の代わりにでも使っているのだろうか?
そして、リリーの進む方を見れば、何だか妙にやる気満々の集団がいた。その数、ざっと30人程。
見てくれと放つ雰囲気は、完全にヤンキーそのままである。
「やっとお出ましですかい。姉御、覚悟は良いですかね?」
訂正。マイスと呼ばれていた若者の口にした言葉もヤンキーのそれだった。
「俺、今日こそ、姉御の尻尾を……」「いや、馬鹿、まずは太ももだろ!?」「いや、あの板のような……いや、何でもないっす」
流石に学習したか……。そのままやられてくれれば、一人減ったのに。
とりあえず、こいつら全員死刑で。リリーに触らせるとか無いから。
憤りが勝り、流石に俺もちょっとイラッと来たので、本気でやることにした。
少しぐらいなら無茶しても、何とかなるだろう。どうやら、さっきの感じでは若干魔力が増えているようだし。
俺は身体に魔力を流し、いつでも魔法へと変換できるように循環させることにした。
その瞬間、身体に力が漲る。
ん? 何だこれ? 魔力量は大したこと無いはずなんだが……。
「マイスさん。ツバサ様を侮った罪……身体で償ってもらいますからね?」
リリーが何か変な発言をしているのを頭の片隅で聞きながら、俺は、別の事で戸惑っていた。
魔力が……増えていく?
循環させる度に、俺の保有魔力が僅かずつではあるが、何故か増えていくのを感じる。
試しに【アナライズ】を自分にかけてみて、それが間違いでないと確信した。
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いやいやいや……おかしいから。最大値超えて魔力あるから。しかも、100倍近くって何よ。
あ、けど、最大値も少し増えてるな。やっぱり、魔力を枯渇させると増えるのか。
「今日こそ、姉御に一泡吹かせてやりますよ! おめぇら! 気合い入れていくぞぉ!!」
マイスと呼ばれていた獣人が吠えると、周りの若者衆も同調し吠える。
だが、俺はそんな事に気を取られている余裕はなかった。異常事態である。
うーん、もしかして、【アナライズ】がバグっているとか無いよなぁ?
そう思い、試しにリリーに【アナライズ】をかけてみる。
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おいおい、リリー……魔力が一億あるぞ。
まぁ、そりゃ、前より強くなったって言ってたけどさ……。
なるほど。確かに、前の数値と比べて全然違う。
ちなみに余談だが、俺が眠りにつく前、最後に見たリリーの保有魔力は、数万の程度だった。
いや、それでも、獣人族の中ではべらぼうに高かったんだけどね?
最後に見たのはいつだったか……あれは、竜との一戦が終わったあとだったかな?
ちなみに、我が子達は余裕で京の桁を超えていた。
ただ、ヒビキでさえ、あの当時で数百万位だったから、今のリリーはそれよりも魔力量が高いということになる。
ちなみに、一般的な人族で数百。ボーデさんは三千を超えたかどうか位だったかな……。
獣人族は、強者と呼ばれるもので五千クラスが最大値だった。
あ、けど、ゴウラさん率いるガーディアン達は万に届こうかという所だったかな。あれは特別だった。
あのまま研鑽していれば、今はもっと伸びているはずだ。
そして、対峙する若者衆達に【アナライズ】をかけてみる。
軒並み三千~五千程度。
どうやら、俺の知っている大体の平均値と一致することから、【アナライズ】がバグっている訳では無さそうだ。
そうだとすれば……うん、あくまで魔力だけ比べたら、もう、話にならないレベルだ。
勿論、魔力は指標の一つにすぎない。だが、これ程の差だと……うーむ。
とりあえず、魔力の増えた理由は良くわからないが、怖いから魔力は身体に流して強化に使っておこう。
リリーの能力は、俺の知っている頃に比べて格段に上がっているようだし。
超高速で動かれたら、首が折れそうで怖い。リリーなら、うっかりでやりそうだ……うん。
思わず悲惨な未来を想像してしまい、俺は身震いする。
そうしている内に、魔力が周り、馴染みだしたようで、身体が軽く感じるようになった。
ついでに、知覚も強化するか……魔力は……
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うん?? 使っているはずなのに、何でか更に増えてるんだけど? 大丈夫なのか? これ?
流石に不安になってきたので、リリーに声をかけようとしたのだが……。
「では、お嬢、始めるぞ。両者、初めぃ!」
時既に遅く、俺のあずかり知らない所で、模擬戦の火蓋が切って落とされたのだった。
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