比翼の鳥
第31話 起床、そして穏やかな日々(13)
合流したリリーとお姫様は、そのまま、当たり障りのない会話を続けながら、建屋の中心に位置する部屋へと足を運んだ。
その道すがら、時々、お姫様から突き刺さる様な視線が無遠慮に送られて来る事もあって、俺は口を開かず、その様子を見守るに留める。
はぁ、どうしたもんかね。ま、お姫様の気持ちも分からんではないけど。
チラチラと刺さる様にニアミスする視線を受け止めながら、俺は心でそっと溜息を吐く。
俺自身、嫌われるのは仕方ないと思っている。
今迄の経緯もあるし、誰にだって、相性の悪い人はいるだろうしな。許容できない人がいたって仕方ない。
それに俺は、この手の理不尽な敵意には、幸か不幸か多少耐性もあるし、慣れている部分がある。
一瞬、どす黒い感情と共に、凍える様な体験が脳裏に過るも、俺はそれを受け流した。
もう、過ぎた事だ。今更どうにかしたいという訳ではない。
ただ、いつも、心の隅に過る思いはある。
もっと上手くできなかったのだろうか?
どうすれば良かったのだろうか?
その問いに対する完璧な答えは、未だに見つかってはいない。
だが、答えに至る微かな道のような物は、見えた様な気がしていた。
気がしているだけかもしれないけどな。
そこは、追々、手繰って行けば良い。色々、試行錯誤しながら、人生の全てを費やして見付かればラッキーだろう。
結局、その位で良いんだと思う。
ただ、俺はそれで良いにせよ、このままにしておくと、近いうちに、関係性に修復不可能な亀裂が入る事は確実だと俺は思っていた。
勿論、俺と彼女ではない。リリーとお姫様の間に、である。
これがまた、非常に面倒な事になりそうなのだ。
だから、残念ではあるが、最悪の場合、ある程度俺が介入する必要がありそうだ。
そうならないと良いんだけどな……。
テーブルを挟んで向かいに座るお姫様を、リリーの肩越しに見つめつつ、そんな事を考えるのであった。
「留学する事になったの」
お姫様の切り出した言葉は、そんな一言だった。
その言葉に、リリーは特に反応する事も無く、その先を促した形となる。
そんな対応が当たり前の様に、お姫様も気にした様子無く、その続きを語る。
「単刀直入に言うわ。リリー、私と一緒に、来て欲しいの。最近、街道に害獣が現れると言う噂もあるし」
「ツバサ様と一緒なら良いですよ?」
シンプルな問いに対して、これまたシンプルな答えを返す両人。
そんなリリーの答えに対し、お姫様は、元々吊り上がっていた眉を、更に引き上げる。
そして、溜息を吐くと、そのまま、首を振った。
「それは認められないわ。今回は、長くなりそうだから」
「では、残念ですがお断りします」
「少しは、考えてくれても良いんじゃないかしら?」
分かっていたという様に、苦笑するも、お姫様の落胆は俺にも分かる程強いようだ。
まぁ、取り付く島もないと言う感じだからな。
「ツバサ様と離れる事は、考えられませんから。それは、リザも良く分かっているでしょ?」
前回、姫様と呼ばれた事が堪えたのか、一瞬、彼女の表情が緩むも、俺の視線に気が付いたようで、また眉を歪ませる。
うーむ、しかし、分かり易い程、盛大に嫌われたものだ。このままじゃ拙いかなぁ。
そう思っていた所、お姫様は何かを決意した様に、その瞳に何かを宿らせると、口を開いた。
「こんな事は言いたくなかったけど……仕方ないわ」
一瞬、目を伏せ、間を置くも、彼女はすぐに顔をあげ、冷たく、淡々とその言葉を口にした。
「リリー、その赤子を他に預け、単独にて私の護衛の任に着きなさい。これは王命です」
あ、馬鹿。それは彼女に対して一番やっちゃいけない事だぞ!?
そんな事言ったら、彼女はきっと……。
「お断ります」
ああ、もう、こう答えるに決まっている。
彼女の優先順位は、あくまで俺だ。それは、森を出た時から一貫して変わらない。
それは、きっとこのお姫様の前でも変わっていなかったはずだ。今までのやり取りを見たら、それは分かる。
だが、お姫様の認識は、俺とはズレていたようだ。
「リリー? 王命よ? 意味か分かっているの? 断る事なら、反逆の意思ありと見なされてもおかしくないのよ? 賢い貴女なら、それくらい分かっているでしょう?」
ふう……お姫様、あんたこそ分かっていない。リリーの本質を全く分かっていないよ。
俺のそんな心の声を、まるで反芻するかのように、リリーが口を開く。
「あなたこそ分かってないわ。私にとってツバサ様は、絶対なの。全てなの。今まで、その為に生きて来たと言っても言い過ぎではないわ。それをリザは捨てろと言うの?」
「別に、危害を加えると言っている訳ではないよ? ただ、貴方の任務の事を考えれば、連れて行くのは危険が伴うでしょう? これは、ある意味貴女の事を思ってでもあるのよ?」
この言葉を受けて、今迄、平坦だったリリーの言葉に、怒気が混ざり込む。
「それこそ、いらぬお世話です。私は、ツバサ様がいればそれで良いの。それを引き離されるなんて、死んでも嫌です」
「いい加減、我が儘はおよしなさいな、リリー。もう、貴女の存在は貴女一人の物では無いの。この国にとって必要な物なの」
お姫様も、そんなリリーの突き放す様な言葉に、食らいつく様に言葉を荒げた。
「そんな事、私には関係ありませんよ」
しかし、リリーはその一言で全てを振り払う。儘ならない状況を悔しがるかのように、唇をかみしめる姫様。
うーん、こりゃ、駄目だな。二人とも、熱くなりすぎている。
どちらも、ちょっとだけでも譲歩できれば、すんなり解決しそうなものなんだがな。
しかし、俺の思いは二人に届かず、更に、話は悪い方へと転がって行った。
「貴女……それと、私達全てを天秤にかけると言うの? それでもなお、それを取ると言うの?」
お姫様は、俺を指さしつつ、射殺す勢いで睨みながら、そう声を荒げた。
それに対し、リリーは一旦、瞑目し……
「そんな簡単な話じゃないのは分かっているけど、もし本当に……それしか道がないのなら……」
そう言葉を区切った後、更に深呼吸すると、続く言葉を吐き出す。
「私は、躊躇なくツバサ様を取ります」
それを絶望的な表情を浮かべながら、受け止めるお姫様。一瞬、のけぞったようにも見えた。それは、リリーの言葉が彼女にとって、如何に重かったかが伺える。
だが、お姫様はそれで、諦めない。食って掛かるかのように、感情を吐露した。
「ふ、ふざけないで!? 貴女の為を思っての事なのよ!? 貴女が、そんなんだから、心配で……」
「余計なお世話ですよ、姫様」
だが、それもリリーには既に届かない。彼女が吐き捨てる様に呟いたその冷淡な一言で、お姫様はその目に涙を浮べる。
「……っ!!!」
しかし、この二人……アホみたいに不器用すぎるだろう……。もう、しょうがないな……全く。
内心、呆れかえった所で、一周回って尊敬すらしそうになるよ。本当に見事なまでにお互いの意思が噛み合わない。
「そ、んなに、そんなに……わ、私よりも、それが大事な、ら」
「それじゃありません、ツバサ様です。いい加減、その呼び方はやめて下さい。不愉快です」
リリーの冷たい一言に、お姫様は、人目も憚らず涙をその目から溢れさせる。
だが、それでもリリーはそんな彼女に無機質な視線を注ぐだけなのが、その様子から見て取れた。
それを、首を振りながら、涙を流しつつ、見つめるお姫様。
「そん、な、なら、も、う……もう……」
あ、これもうダメだわ。リリー、君も君でやり過ぎだから。全く……あんまり成長しとらんじゃないの。
これ、完全に絶望しちゃってるじゃない、このお姫様。ちょっと追い込み過ぎだよ。
俺は内心で言葉にならない声を上げ、お姫様が致命的な何かを口にしようとしたその時……
「あう、あぶーー」
俺の、何とも間の抜けた声が、この部屋に響いたのだった。
「あ、え? ……な、なに? いま、の」
「ふふ、これがツバサ様のお力です」
完全に虚を突かれたようで、放心しながら、呟くお姫様に対し、まるで鬼の首でも取ったかのように勝ち誇っているリリー。
そのアホな発言を聞いて、イラッとしたが、まずは置いておく。
そういや、お姫様の前で喋るのは初めてだったな。
だって、いつも物騒な視線を射かけて来るんだもん。何となく喋るのが怖くなっちゃうしな。
そんな言い訳を頭の隅で考えつつ、彼女の肩を2回叩き、この部屋唯一の窓へと俺を置くように指示した。
「はい? どうしたのですか? ……えっと、はい、わかりました」
不思議そうに首を傾げるも、その命に従って、彼女は、俺を抱っこ袋ごと、窓際へと丁寧に置き、窓を開けた。
よし、これで、魔力が補充できるので、使いたい放題である。
さてと、まずは、リリーだな。
俺は、良く分からないまま、俺に笑顔を向けながら様子を伺っているリリーに、笑顔を向ける。
何だか嬉しそうなリリーに対し、お姫様は俺のその笑顔から何かを感じ取ったのか、嫌そうな表情を浮かべた。
うん、お姫様、正解だ。
今の俺はいたずらっ子が浮かべる様な、純粋であるがゆえにいやらしい笑顔を浮べているであろう。
それを自覚しつつ、魔力を集めると、小さな風を起こし……リリーの獣耳へとそっと吹きかける。
「ひぁん!?」
変な声を上げて硬直するリリーを尻目に、更に、風を起こし、緩急を付けつつ執拗に耳を攻めながら俺は、言葉を発した。
「ぶぅ~あ、あぶぁあううあう~~あうぅ~~」
そんな声に、キョトンとしたままのお姫様。
そんなお姫様に対し、「ちょ、耳は、あん!? ツバサ様、なんでぇー!?」とか、艶めかしい感じになって来たリリーの声をそのまま放置し、彼女に罰を与えている理由を説明する。
「あぶいいあー!いあぁ~うう、うああいあいぃ~!!」
俺の言葉に、お姫様はその涙に濡れた目を、パチクリと可愛く瞬きさせる。
それに対し、リリーは、「はぅ、あん、耳ふさ、いでも、やぁん!?」とか、悶えている姿が地味にエロいが、置いておく。
ちなみに、耳塞いだって防げないよ? 耳の穴に直接吹き込ませているんだから、塞いでも駄目です。魔法ってこういう時便利だよねー。ま、少しは反省しなさい。
「あぶぅあ、いぃ~あいやぁいあう~なああぁ、あうぶばぶぅ。」
魔法を制御しつつ、今度はお姫様に向って、口を開く俺。
そんな言葉に、ビクッと体をすくませるも、「な、な何よ!?」と、一応、受け答えをするお姫様。
その様子を見て、俺は、少し強めに、言葉を伝える。
「あうあいや~~ううぶぅ~あぁおあやぁ~うあやぁいやぁ。うやぁ~あぶぁうあぶうきゃ~あうおあぁ~」
「な、何よ!? あんたなんかに、私の何が分かるって言うのよ!? これでも、私は、リリーの為に……」
「あうあ~うぶぅ~あうあ~いぃあ~~~いあ」
俺の語気の強さに圧される様に、口を閉ざすお姫様。
その目には若干の混乱と、それより多くの苛立ちが宿っていた。
そんな彼女が、反論の為に口を開こうとしたのを見て、俺は更に言葉を被せる。
「あう~あぅあ、うあいぃ~~きゃう、ばぶぅ~うあぶばあ~あいあうぅ」
先程より、更に強く、俺はその言葉を、無遠慮にお姫様にぶつけた。
その瞬間、彼女の顔が強張ったのを確認する。どうやら、多少の自覚はあったようだ。
ならば、大丈夫だろうな。
悔しそうに臍を噛む彼女を横目にしつつ、俺は未だに悶えているリリーへと向き直ると同時に、リリーの耳に風を送るのをやめた。
やっとお仕置きから解放されたリリーが、息も絶え絶えで、薄っすらと上気した頬と潤んだ眼をこちらに向ける。
熱い吐息が、自然と漏れ、悶えた際に乱れた着衣が、扇情的な雰囲気を醸し出してしまっていた。
うん、これ、駄目な絵面だ。もう健全な青少年ならアウトな感じです。
こんな姿を団員の誰かに見られたら、大変な事になるのは火を見るよりも明らかである。
だが、幸いと言うか何と言うか、団員はこの近くには居ない。
どうやら、お姫様と会う時は、完全に人払いする事が、徹底されているようである。
そして、俺は赤ん坊になっているせいか、その光景が扇情的であると頭で理解できても、全く性的な方向に反応できない。
いや、物理的にではなく精神的にだ。精神的に反応しないので、物理的には勿論無理。まぁ、赤ん坊だからどの道無理だと思うけど。
うーむ、やはり体に引きずられているという事か。
そんな事を考えつつ、彼女の息が整うのを待って、俺は口を開いた。
「あい~ぃ、あうああぃあうあうあぃあ~~うぁあう?」
そんな俺の問いに、彼女は息を整えながら、首を弱々しく振る。
「あうぅ、うぶぅ~あうやぁ~ぃ。あぅあぃ、うやぅあ~うあうぶぅ~あう~あ……」
そこで一旦声を区切り、リリーの目を見る。乱れた着衣を戻しながら、彼女も俺を見た。
その目に、理解の光が灯っている事を確認し、俺は続きを述べる。
「いやぁ~うぅあばぶぅあ~えやぁ~ううぶぅ~きゃう~うあういやぁ、あぶば~ばぶぅあ~う?」
一瞬、彼女の耳がへにょりと形を崩すも、何とかすぐに復帰した。そして、彼女は……俺を見据えながら、大きく頷く。
そう。今回、お姫様がリリーにした事は、昔、リリーとレイリさんが森で暴走した件と同じ様な問題を、根底に抱いている。
どちらも、相手を大事に思いながらも、当人の意思を無視し、自分の意思で判断したという所に、根本原因があった。
リリーは、それを理解している。ちゃんと問題として、自身で理解していた。
「あぶぅ、あぃ~、あばぁ~うきゃぅうぶぁ~あうおあうあぁぅ~あぃ?」
「私は……彼女の気持ちが何となくは理解できました。だって、昔の私と本当に同じだったから。だからこそ、私には彼女に何か偉そうな事を言う資格も無いと思ってしまいました。」
自嘲するかのように、笑みを浮べ、彼女は続ける。
「……でも、本当は……同時に、こうも思ってしまいました。今私が感じているこの虚しさと憤りが、かつてのツバサ様のお気持ちと同じなんだって」
彼女は胸抑え、その自分の気持ちをそっと支えるかのように、小さな声で懺悔する。
「ツバサ様と同じ痛みを共有している……。それを私は、どこかで嬉しく思ってしまっていたんですね。たった今、それを自覚しました」
そうだろうとは思っていた。
彼女は、本当に俺との繋がりだけを求めて生きている。
本来の彼女は、ただ優しくて、一途なだけだった。
だが、俺があの教皇にやられてしまった事で、彼女は一人になってしまった。
それは、元はと言えば、俺が不甲斐なかったばっかりに起きてしまった事。言い換えれば、彼女の現状は、俺のせいだとも言える。
「あぅ、いぃ~。あうぁ、あうぁ~いやぁうぁあう~やぅ~いやうやぅあ。」
首を振り、俺は、そう彼女に伝える。これは偽らざる俺の気持ち。俺も彼女と言う程、変わらない訳だしな。
だが、それでも俺は自分のその未熟さを棚に上げ、彼女へと更に言葉を投げかける。
「だうぁ、うやぁ~いぁ、やぅ~あうぁ~あぶぅ、ばぶぅ~いやぁ~ぅきゃぅ、あぅ~あうぅ~~だぅ、うぶ~ばぶぅ~あうぁ。」
これも俺の本心。嫌な事すら、俺と言う情けない存在を通して、受け止めてくれたことは、個人としては嬉しい。
「あぶぁ、あうぁ~やぅうぶあぁ~きゃぅ~あ、あう~あうぅ~うやぁ~ぶぅ」
だから、俺は、その気持ちは受け止める。肯定する。
まぁ、そりゃそうだ。リリーに思われる事は、嫌ではない。むしろ、光栄ですらあるさ。
だけど、それでも……ハッキリさせなくてはいけない事もあった。
「ばうぅ、いぃ~。ばぅ~あぅ~やぅうばぁ~うあぃ、あやぁ~う、やぅ~あう~あぃ~う。あばぁう、うやぁうあ?」
俺の視線がリリーを射抜く。彼女はその瞳に俺を映し、そして、静かに頷く。
「いぃ~あ、あぅ~~あぶ~~あぃぶぅ~あぅ、うぶぅ~だぅあばぁ~あぅうぁう~う?」
「はい……」
「あうぅ~うやぁ、あやぅ……うばぁ、うきゃぅ~あうぁう~あぅ~ぶぅ、うばぁきゃう~う。あう~あうぅ?」
「はい、それが私の偽らざる気持ちですし、微塵の迷いもありません」
その目の奥、彼女の想いの強さが見える。
やっぱりそうなんだよな。そうなんだよ。こう言う子なんだよ。けどなぁ、リリー。
それでは、駄目なんだよ。
「あやぁ~うぅうぁ~あうぅ~きゃぅ、おあぁ~あうぅきゃぅいやぁ~う、あぅうばぁ~うきゃぅ」
やや重すぎるとは思うが、それは言わない。結果、彼女の尻尾が喜びを受けて大きくしなる。
その上で、飲み込んだ言葉に苦笑しつつ、俺は彼女に残酷な一言を突きつける。
「ばぶぅ、いやぅ~あう~あ・うぅ・やぅうやぁ~うあぅ~う……あうぅやぅ~~あうあう~あうぅ?」
彼女の尻尾が、パタリと動きを止めた。
「あうぁあう~ぅいぃ~う、あゃ~あうぁ~うぅうやぁうぅ?」
耳が萎れ、リリーの表情が一気に陰りを増す。
「あうぅ~あばぁ~あう、うぶぅ~ういやぅ~あう?」
その最後の言葉で、彼女は、自分が何を間違ったのかを理解したのだろう。
彼女は、首を振りながら、思わず後ずさっていた。
「わ、私、ま、また……同じ、間違いを?」
そうだな。形は見えにくくなっていたが、本質は変わらない。
彼女は、俺の為と言う免罪符を盾に、彼女の望みを叶えようと、猛進していた。
そのこと自体を俺は責めるつもりはない。彼女なりに、苦労して、それを言い訳にでもしないと、進めない程大変だったのだろうと言う事は、想像に難くないからだ。
だが、今は俺が居る。彼女が間違っていると思うなら、それを正せる。
「いぃ~、あぶぅ、あやぁ~あう。うばぅ~あぅ~ううやぁ~あぃや~ぅ、あうぅ~あやぁ。ばぶぅ、あぶぅ~やぅ~あうきゃぅ~うあぅ~ああぶぅ~いやぁ~うぶぅ」
俺だって、そんな大層な存在ではないが、とは言え、彼女がこのままでは、一緒に笑い合う道は生まれないのは、間違いないのだ。
だから、俺は再度伝える。
俺が何度も間違って、漸く得た答えの一部を、彼女にもう一度託す。
「あぶ、うやぅ……うやぁ~あうぅだぅ~あうぅうやぁう?」
そう問いかけられたリリーは、涙を流しながらも、俺を見つめ、首を振る。
分からない。
どうして、また……そんな彼女の心の声が透けて見える様な、そんな狼狽えようだった。
本当であれば、時間をかけてゆっくりと諭してやるのも良いだろう。
だが、彼女は既に知っている。
俺から託された、その答えを知っている。
それを忘れているなら、もう一度、思い出せばいい。ただそれだけの事だ。
「うやぅ~あうぅ。うぶぅ~あうぁうきゃぅ、あばぅ。うやぁあぁうぶぅぁ。うやぁあぅ~いやぁ?」
俺のそんな言葉を受けて、彼女の意識は過去へと飛んだのだろう。
意識が宙に溶け、彼女の視点が、一瞬、はるか遠くへと向く。
そして、数瞬後に、一つの答えを探り当てたようだ。
目を見開き、こちらを見る。その底に、戸惑いと、淡い光を見た。
「見て……。そう、自分の事……ツバサ様の事を、ちゃんと見てくれ、と。」
涙を両目から流しつつ、彼女はそれでも、俺から視線を逸らさなかった。
「ごめんなさい、ツバサ様……私、また、ツバサ様を、言い訳にしていました。そうですよね、これは、私の意思。私の決意です」
そして、首を振る。涙が飛び散る。その後に、彼女はそれでも泣きながら笑顔で口を開いた。
「それでも私、駄目な子だけど、ツバサ様と一緒に行きたい……一緒に笑いたいんです。お傍に……居たいんです。それだけなんです」
涙に濡れたまま笑顔でそう呟く彼女は、とても美しく見えた。
その姿を見て、お姫様も思う所があったのだろう。一瞬、息をのみ、そして、悔しそうに唇を噛む。
彼女にも、少しは伝わったようだ。リリーのその純粋で深い思いが。
ならば、後は、もう一息だな。
「あぶぅ~あうぁ。いやぁ~あぅあ~うぶぅ。ばぶぅ~あぅ、いぃ~……いやぁ~あうぅあ、あぶぅやぅ?」
俺は、彼女にそう優しく語り掛けた。何故か、お姫様が息を飲む様子が視界の片隅に引っ掛かるも、俺はそのまま続ける。
「だぅ~、あぅあ~やぅ、いぃ~やあぶぅあばぁうやぁ~う。だぅ~、あうぁ~うぶぅやぅ、あうあぁ~うえやぁ~あうぅだう。やぁ~あぶぅ?」
その言葉に、リリーは嬉しそうに何度も頷き、涙を零す。
「だぅ~あぅ、あぶぅ~うやぁ。いぃ~、いやぁうばぅあやぁ? うやぁ~あぶぅ、うきゃぅあぶぅ」
いきなり俺の口からご指名を受けた事に戸惑うお姫様。
おや、そんなに意外だったのだろうか? 全く、彼女にも俺の事を色々と知ってもらう必要がありそうだ。
「あぶぅ、あやぅ~、うや~あぅうきゃぅ~あぶぅ? いやぁぅ~あう、あぶぅきゃぅうやぁ~あう」
リリーはそんな俺の言葉に驚き、そして、自分に何が欠けていたのか、真の意味で理解したようだった。
何度も頷きながら、涙を零す。
そう。前に言ったまんまである。お互いに知ろうとする努力が足りなかった。それだけだ。
一方通行では勿論駄目だし、今回はお互いがお互いの想いを、ただぶつけ合うだけだった。
一歩引いて、相手を理解し受け入れる。それを相互理解と言う。
その姿勢が無ければ、想いは凶器に変わる。相手を傷つける、刃となって、いずれは自分をも孤独にするだろう。
そうだろ? ルナ。
この世界に来て俺が犯した最大のミス。
前の世界から、ずっと繰り返し続けている、愚行。形を変え、それは俺をずっと苦しめて来た。
結局、俺も目の前の彼女達と変わらないんだよな。
偉そうな事を言って置きながら、結局、同じ穴のムジナだ。
俺もまた、ルナを知る努力を怠った。
意識共有と言う便利な物と、ルナの理解力に全てを任せてしまった。
何と横着な事か。なんという怠惰。そりゃ、ああなるわ。
結局、全てを理解する時間も無く、最悪の結果で幕を閉じたんだ。
ならば、せめて……そんなアホな過去の経験を、少しでも生かさなくてどうするよ。
じゃないと、もしまた彼女と会う時があったなら……俺は彼女に謝る事すらできない。
「ああ、私、また驕っていました……。そっか、わかりました。私、言葉を尽くしていませんでしたね。」
「あやぅ~あぅ。あぶぅ、うぶぅ、あきゃぅ~う? あやぅ~、うやぁ~あぶぅ~やぅいやぁ~あうぅ~」
完全に虚を突かれたように、お姫様が、目を瞬かせる。
それを見て俺は、少し意地悪な笑みを浮べつつ、言葉を続けた。
「あぶぅ~うぁ~うきゃぅ~いやぁ~あぅ、いぃ~あぅあぶぅ~やぅ~う? うやぅ~あぅ~あやぁ~」
俺のそんな言葉は完全に予想外だったようだ。お姫様は、すぐに顔を真っ赤にすると、俺を睨みながら口を開く。
「ばっ……。余計ない事を!? べ、別に、そ、そんな事、……ある、けど……赤ん坊のあんたに言われると、凄くむかつくわね。」
おや、どうやら、思った以上に態度が軟化している。もう少し、否定されると思ったのだが。
少しは、先程のやり取りで、思う所があったか?
「リザ……だから、ツバサ様には……。はぁ……、まぁ、いいです。その辺りも含めて、きっちりとお話ししましょう。ね?」
少し呆れた様な、困った様な、そんな風に、リリーはお姫様に提案する。
「し、仕方ないわね……。ちょっとだけよ? 丁度、運のいいことに、本当に偶然だけど、私も……少しだけ、話したい事があるし」
真っ赤になりながら明後日の方を向きつつ、それでも、ちゃんと申し出を受ける。
実にこのお姫様らしいと俺は苦笑した俺は、思わず一言。
「あぶぅ~うきゃぁ~。うぶぅ~あやぅ~きゃぅう~」
「ちょ、うっさいわね!? 一体、こいつ、本当に何なのよ!?」
「ばぶー」
ただのしがない赤ん坊です。
そんな彼女の怒りを、俺は敢えて赤ん坊のフリで流す。しかし、予想通りと言うか、彼女はお気に召さなかったようだ。
「あぁあーー! もう、意味分かんない!? しかも、なんか、凄くむかつく!? 調子狂う!?」
そんな風に地団駄を踏みつつ、それでも、俺に手を上げない位には理性的だった。半分、獣化してるけど。
はっはっは、いじるとまた、良い声で鳴くねぇ。これは、良いおもちゃに出来そうだ。
そんな俺の素敵な笑顔を見て、心底嫌そうな表情を浮かべるお姫様。何て失礼な。
ま、そもそも、根は悪い子じゃないんだよね。リリーと上手くやってる位だし。
「それがツバサ様ですから。けど、大丈夫。リザ、貴女もその内、慣れますよ」
そんな良く分からない評価をリリーが下し、俺は遺憾の意を表情で訴えかけるも、笑顔で無視された。
こうして、先程とは違って、穏やかに話が始まった。
そんな二人の乙女が、等身大でお互いの気持ちを吐露し合う光景を、俺は眩しそうに見つめる。
それは、俺が入る隙間も無い程、彼女達の絆を感じさせる物だったのだった。
その道すがら、時々、お姫様から突き刺さる様な視線が無遠慮に送られて来る事もあって、俺は口を開かず、その様子を見守るに留める。
はぁ、どうしたもんかね。ま、お姫様の気持ちも分からんではないけど。
チラチラと刺さる様にニアミスする視線を受け止めながら、俺は心でそっと溜息を吐く。
俺自身、嫌われるのは仕方ないと思っている。
今迄の経緯もあるし、誰にだって、相性の悪い人はいるだろうしな。許容できない人がいたって仕方ない。
それに俺は、この手の理不尽な敵意には、幸か不幸か多少耐性もあるし、慣れている部分がある。
一瞬、どす黒い感情と共に、凍える様な体験が脳裏に過るも、俺はそれを受け流した。
もう、過ぎた事だ。今更どうにかしたいという訳ではない。
ただ、いつも、心の隅に過る思いはある。
もっと上手くできなかったのだろうか?
どうすれば良かったのだろうか?
その問いに対する完璧な答えは、未だに見つかってはいない。
だが、答えに至る微かな道のような物は、見えた様な気がしていた。
気がしているだけかもしれないけどな。
そこは、追々、手繰って行けば良い。色々、試行錯誤しながら、人生の全てを費やして見付かればラッキーだろう。
結局、その位で良いんだと思う。
ただ、俺はそれで良いにせよ、このままにしておくと、近いうちに、関係性に修復不可能な亀裂が入る事は確実だと俺は思っていた。
勿論、俺と彼女ではない。リリーとお姫様の間に、である。
これがまた、非常に面倒な事になりそうなのだ。
だから、残念ではあるが、最悪の場合、ある程度俺が介入する必要がありそうだ。
そうならないと良いんだけどな……。
テーブルを挟んで向かいに座るお姫様を、リリーの肩越しに見つめつつ、そんな事を考えるのであった。
「留学する事になったの」
お姫様の切り出した言葉は、そんな一言だった。
その言葉に、リリーは特に反応する事も無く、その先を促した形となる。
そんな対応が当たり前の様に、お姫様も気にした様子無く、その続きを語る。
「単刀直入に言うわ。リリー、私と一緒に、来て欲しいの。最近、街道に害獣が現れると言う噂もあるし」
「ツバサ様と一緒なら良いですよ?」
シンプルな問いに対して、これまたシンプルな答えを返す両人。
そんなリリーの答えに対し、お姫様は、元々吊り上がっていた眉を、更に引き上げる。
そして、溜息を吐くと、そのまま、首を振った。
「それは認められないわ。今回は、長くなりそうだから」
「では、残念ですがお断りします」
「少しは、考えてくれても良いんじゃないかしら?」
分かっていたという様に、苦笑するも、お姫様の落胆は俺にも分かる程強いようだ。
まぁ、取り付く島もないと言う感じだからな。
「ツバサ様と離れる事は、考えられませんから。それは、リザも良く分かっているでしょ?」
前回、姫様と呼ばれた事が堪えたのか、一瞬、彼女の表情が緩むも、俺の視線に気が付いたようで、また眉を歪ませる。
うーむ、しかし、分かり易い程、盛大に嫌われたものだ。このままじゃ拙いかなぁ。
そう思っていた所、お姫様は何かを決意した様に、その瞳に何かを宿らせると、口を開いた。
「こんな事は言いたくなかったけど……仕方ないわ」
一瞬、目を伏せ、間を置くも、彼女はすぐに顔をあげ、冷たく、淡々とその言葉を口にした。
「リリー、その赤子を他に預け、単独にて私の護衛の任に着きなさい。これは王命です」
あ、馬鹿。それは彼女に対して一番やっちゃいけない事だぞ!?
そんな事言ったら、彼女はきっと……。
「お断ります」
ああ、もう、こう答えるに決まっている。
彼女の優先順位は、あくまで俺だ。それは、森を出た時から一貫して変わらない。
それは、きっとこのお姫様の前でも変わっていなかったはずだ。今までのやり取りを見たら、それは分かる。
だが、お姫様の認識は、俺とはズレていたようだ。
「リリー? 王命よ? 意味か分かっているの? 断る事なら、反逆の意思ありと見なされてもおかしくないのよ? 賢い貴女なら、それくらい分かっているでしょう?」
ふう……お姫様、あんたこそ分かっていない。リリーの本質を全く分かっていないよ。
俺のそんな心の声を、まるで反芻するかのように、リリーが口を開く。
「あなたこそ分かってないわ。私にとってツバサ様は、絶対なの。全てなの。今まで、その為に生きて来たと言っても言い過ぎではないわ。それをリザは捨てろと言うの?」
「別に、危害を加えると言っている訳ではないよ? ただ、貴方の任務の事を考えれば、連れて行くのは危険が伴うでしょう? これは、ある意味貴女の事を思ってでもあるのよ?」
この言葉を受けて、今迄、平坦だったリリーの言葉に、怒気が混ざり込む。
「それこそ、いらぬお世話です。私は、ツバサ様がいればそれで良いの。それを引き離されるなんて、死んでも嫌です」
「いい加減、我が儘はおよしなさいな、リリー。もう、貴女の存在は貴女一人の物では無いの。この国にとって必要な物なの」
お姫様も、そんなリリーの突き放す様な言葉に、食らいつく様に言葉を荒げた。
「そんな事、私には関係ありませんよ」
しかし、リリーはその一言で全てを振り払う。儘ならない状況を悔しがるかのように、唇をかみしめる姫様。
うーん、こりゃ、駄目だな。二人とも、熱くなりすぎている。
どちらも、ちょっとだけでも譲歩できれば、すんなり解決しそうなものなんだがな。
しかし、俺の思いは二人に届かず、更に、話は悪い方へと転がって行った。
「貴女……それと、私達全てを天秤にかけると言うの? それでもなお、それを取ると言うの?」
お姫様は、俺を指さしつつ、射殺す勢いで睨みながら、そう声を荒げた。
それに対し、リリーは一旦、瞑目し……
「そんな簡単な話じゃないのは分かっているけど、もし本当に……それしか道がないのなら……」
そう言葉を区切った後、更に深呼吸すると、続く言葉を吐き出す。
「私は、躊躇なくツバサ様を取ります」
それを絶望的な表情を浮かべながら、受け止めるお姫様。一瞬、のけぞったようにも見えた。それは、リリーの言葉が彼女にとって、如何に重かったかが伺える。
だが、お姫様はそれで、諦めない。食って掛かるかのように、感情を吐露した。
「ふ、ふざけないで!? 貴女の為を思っての事なのよ!? 貴女が、そんなんだから、心配で……」
「余計なお世話ですよ、姫様」
だが、それもリリーには既に届かない。彼女が吐き捨てる様に呟いたその冷淡な一言で、お姫様はその目に涙を浮べる。
「……っ!!!」
しかし、この二人……アホみたいに不器用すぎるだろう……。もう、しょうがないな……全く。
内心、呆れかえった所で、一周回って尊敬すらしそうになるよ。本当に見事なまでにお互いの意思が噛み合わない。
「そ、んなに、そんなに……わ、私よりも、それが大事な、ら」
「それじゃありません、ツバサ様です。いい加減、その呼び方はやめて下さい。不愉快です」
リリーの冷たい一言に、お姫様は、人目も憚らず涙をその目から溢れさせる。
だが、それでもリリーはそんな彼女に無機質な視線を注ぐだけなのが、その様子から見て取れた。
それを、首を振りながら、涙を流しつつ、見つめるお姫様。
「そん、な、なら、も、う……もう……」
あ、これもうダメだわ。リリー、君も君でやり過ぎだから。全く……あんまり成長しとらんじゃないの。
これ、完全に絶望しちゃってるじゃない、このお姫様。ちょっと追い込み過ぎだよ。
俺は内心で言葉にならない声を上げ、お姫様が致命的な何かを口にしようとしたその時……
「あう、あぶーー」
俺の、何とも間の抜けた声が、この部屋に響いたのだった。
「あ、え? ……な、なに? いま、の」
「ふふ、これがツバサ様のお力です」
完全に虚を突かれたようで、放心しながら、呟くお姫様に対し、まるで鬼の首でも取ったかのように勝ち誇っているリリー。
そのアホな発言を聞いて、イラッとしたが、まずは置いておく。
そういや、お姫様の前で喋るのは初めてだったな。
だって、いつも物騒な視線を射かけて来るんだもん。何となく喋るのが怖くなっちゃうしな。
そんな言い訳を頭の隅で考えつつ、彼女の肩を2回叩き、この部屋唯一の窓へと俺を置くように指示した。
「はい? どうしたのですか? ……えっと、はい、わかりました」
不思議そうに首を傾げるも、その命に従って、彼女は、俺を抱っこ袋ごと、窓際へと丁寧に置き、窓を開けた。
よし、これで、魔力が補充できるので、使いたい放題である。
さてと、まずは、リリーだな。
俺は、良く分からないまま、俺に笑顔を向けながら様子を伺っているリリーに、笑顔を向ける。
何だか嬉しそうなリリーに対し、お姫様は俺のその笑顔から何かを感じ取ったのか、嫌そうな表情を浮かべた。
うん、お姫様、正解だ。
今の俺はいたずらっ子が浮かべる様な、純粋であるがゆえにいやらしい笑顔を浮べているであろう。
それを自覚しつつ、魔力を集めると、小さな風を起こし……リリーの獣耳へとそっと吹きかける。
「ひぁん!?」
変な声を上げて硬直するリリーを尻目に、更に、風を起こし、緩急を付けつつ執拗に耳を攻めながら俺は、言葉を発した。
「ぶぅ~あ、あぶぁあううあう~~あうぅ~~」
そんな声に、キョトンとしたままのお姫様。
そんなお姫様に対し、「ちょ、耳は、あん!? ツバサ様、なんでぇー!?」とか、艶めかしい感じになって来たリリーの声をそのまま放置し、彼女に罰を与えている理由を説明する。
「あぶいいあー!いあぁ~うう、うああいあいぃ~!!」
俺の言葉に、お姫様はその涙に濡れた目を、パチクリと可愛く瞬きさせる。
それに対し、リリーは、「はぅ、あん、耳ふさ、いでも、やぁん!?」とか、悶えている姿が地味にエロいが、置いておく。
ちなみに、耳塞いだって防げないよ? 耳の穴に直接吹き込ませているんだから、塞いでも駄目です。魔法ってこういう時便利だよねー。ま、少しは反省しなさい。
「あぶぅあ、いぃ~あいやぁいあう~なああぁ、あうぶばぶぅ。」
魔法を制御しつつ、今度はお姫様に向って、口を開く俺。
そんな言葉に、ビクッと体をすくませるも、「な、な何よ!?」と、一応、受け答えをするお姫様。
その様子を見て、俺は、少し強めに、言葉を伝える。
「あうあいや~~ううぶぅ~あぁおあやぁ~うあやぁいやぁ。うやぁ~あぶぁうあぶうきゃ~あうおあぁ~」
「な、何よ!? あんたなんかに、私の何が分かるって言うのよ!? これでも、私は、リリーの為に……」
「あうあ~うぶぅ~あうあ~いぃあ~~~いあ」
俺の語気の強さに圧される様に、口を閉ざすお姫様。
その目には若干の混乱と、それより多くの苛立ちが宿っていた。
そんな彼女が、反論の為に口を開こうとしたのを見て、俺は更に言葉を被せる。
「あう~あぅあ、うあいぃ~~きゃう、ばぶぅ~うあぶばあ~あいあうぅ」
先程より、更に強く、俺はその言葉を、無遠慮にお姫様にぶつけた。
その瞬間、彼女の顔が強張ったのを確認する。どうやら、多少の自覚はあったようだ。
ならば、大丈夫だろうな。
悔しそうに臍を噛む彼女を横目にしつつ、俺は未だに悶えているリリーへと向き直ると同時に、リリーの耳に風を送るのをやめた。
やっとお仕置きから解放されたリリーが、息も絶え絶えで、薄っすらと上気した頬と潤んだ眼をこちらに向ける。
熱い吐息が、自然と漏れ、悶えた際に乱れた着衣が、扇情的な雰囲気を醸し出してしまっていた。
うん、これ、駄目な絵面だ。もう健全な青少年ならアウトな感じです。
こんな姿を団員の誰かに見られたら、大変な事になるのは火を見るよりも明らかである。
だが、幸いと言うか何と言うか、団員はこの近くには居ない。
どうやら、お姫様と会う時は、完全に人払いする事が、徹底されているようである。
そして、俺は赤ん坊になっているせいか、その光景が扇情的であると頭で理解できても、全く性的な方向に反応できない。
いや、物理的にではなく精神的にだ。精神的に反応しないので、物理的には勿論無理。まぁ、赤ん坊だからどの道無理だと思うけど。
うーむ、やはり体に引きずられているという事か。
そんな事を考えつつ、彼女の息が整うのを待って、俺は口を開いた。
「あい~ぃ、あうああぃあうあうあぃあ~~うぁあう?」
そんな俺の問いに、彼女は息を整えながら、首を弱々しく振る。
「あうぅ、うぶぅ~あうやぁ~ぃ。あぅあぃ、うやぅあ~うあうぶぅ~あう~あ……」
そこで一旦声を区切り、リリーの目を見る。乱れた着衣を戻しながら、彼女も俺を見た。
その目に、理解の光が灯っている事を確認し、俺は続きを述べる。
「いやぁ~うぅあばぶぅあ~えやぁ~ううぶぅ~きゃう~うあういやぁ、あぶば~ばぶぅあ~う?」
一瞬、彼女の耳がへにょりと形を崩すも、何とかすぐに復帰した。そして、彼女は……俺を見据えながら、大きく頷く。
そう。今回、お姫様がリリーにした事は、昔、リリーとレイリさんが森で暴走した件と同じ様な問題を、根底に抱いている。
どちらも、相手を大事に思いながらも、当人の意思を無視し、自分の意思で判断したという所に、根本原因があった。
リリーは、それを理解している。ちゃんと問題として、自身で理解していた。
「あぶぅ、あぃ~、あばぁ~うきゃぅうぶぁ~あうおあうあぁぅ~あぃ?」
「私は……彼女の気持ちが何となくは理解できました。だって、昔の私と本当に同じだったから。だからこそ、私には彼女に何か偉そうな事を言う資格も無いと思ってしまいました。」
自嘲するかのように、笑みを浮べ、彼女は続ける。
「……でも、本当は……同時に、こうも思ってしまいました。今私が感じているこの虚しさと憤りが、かつてのツバサ様のお気持ちと同じなんだって」
彼女は胸抑え、その自分の気持ちをそっと支えるかのように、小さな声で懺悔する。
「ツバサ様と同じ痛みを共有している……。それを私は、どこかで嬉しく思ってしまっていたんですね。たった今、それを自覚しました」
そうだろうとは思っていた。
彼女は、本当に俺との繋がりだけを求めて生きている。
本来の彼女は、ただ優しくて、一途なだけだった。
だが、俺があの教皇にやられてしまった事で、彼女は一人になってしまった。
それは、元はと言えば、俺が不甲斐なかったばっかりに起きてしまった事。言い換えれば、彼女の現状は、俺のせいだとも言える。
「あぅ、いぃ~。あうぁ、あうぁ~いやぁうぁあう~やぅ~いやうやぅあ。」
首を振り、俺は、そう彼女に伝える。これは偽らざる俺の気持ち。俺も彼女と言う程、変わらない訳だしな。
だが、それでも俺は自分のその未熟さを棚に上げ、彼女へと更に言葉を投げかける。
「だうぁ、うやぁ~いぁ、やぅ~あうぁ~あぶぅ、ばぶぅ~いやぁ~ぅきゃぅ、あぅ~あうぅ~~だぅ、うぶ~ばぶぅ~あうぁ。」
これも俺の本心。嫌な事すら、俺と言う情けない存在を通して、受け止めてくれたことは、個人としては嬉しい。
「あぶぁ、あうぁ~やぅうぶあぁ~きゃぅ~あ、あう~あうぅ~うやぁ~ぶぅ」
だから、俺は、その気持ちは受け止める。肯定する。
まぁ、そりゃそうだ。リリーに思われる事は、嫌ではない。むしろ、光栄ですらあるさ。
だけど、それでも……ハッキリさせなくてはいけない事もあった。
「ばうぅ、いぃ~。ばぅ~あぅ~やぅうばぁ~うあぃ、あやぁ~う、やぅ~あう~あぃ~う。あばぁう、うやぁうあ?」
俺の視線がリリーを射抜く。彼女はその瞳に俺を映し、そして、静かに頷く。
「いぃ~あ、あぅ~~あぶ~~あぃぶぅ~あぅ、うぶぅ~だぅあばぁ~あぅうぁう~う?」
「はい……」
「あうぅ~うやぁ、あやぅ……うばぁ、うきゃぅ~あうぁう~あぅ~ぶぅ、うばぁきゃう~う。あう~あうぅ?」
「はい、それが私の偽らざる気持ちですし、微塵の迷いもありません」
その目の奥、彼女の想いの強さが見える。
やっぱりそうなんだよな。そうなんだよ。こう言う子なんだよ。けどなぁ、リリー。
それでは、駄目なんだよ。
「あやぁ~うぅうぁ~あうぅ~きゃぅ、おあぁ~あうぅきゃぅいやぁ~う、あぅうばぁ~うきゃぅ」
やや重すぎるとは思うが、それは言わない。結果、彼女の尻尾が喜びを受けて大きくしなる。
その上で、飲み込んだ言葉に苦笑しつつ、俺は彼女に残酷な一言を突きつける。
「ばぶぅ、いやぅ~あう~あ・うぅ・やぅうやぁ~うあぅ~う……あうぅやぅ~~あうあう~あうぅ?」
彼女の尻尾が、パタリと動きを止めた。
「あうぁあう~ぅいぃ~う、あゃ~あうぁ~うぅうやぁうぅ?」
耳が萎れ、リリーの表情が一気に陰りを増す。
「あうぅ~あばぁ~あう、うぶぅ~ういやぅ~あう?」
その最後の言葉で、彼女は、自分が何を間違ったのかを理解したのだろう。
彼女は、首を振りながら、思わず後ずさっていた。
「わ、私、ま、また……同じ、間違いを?」
そうだな。形は見えにくくなっていたが、本質は変わらない。
彼女は、俺の為と言う免罪符を盾に、彼女の望みを叶えようと、猛進していた。
そのこと自体を俺は責めるつもりはない。彼女なりに、苦労して、それを言い訳にでもしないと、進めない程大変だったのだろうと言う事は、想像に難くないからだ。
だが、今は俺が居る。彼女が間違っていると思うなら、それを正せる。
「いぃ~、あぶぅ、あやぁ~あう。うばぅ~あぅ~ううやぁ~あぃや~ぅ、あうぅ~あやぁ。ばぶぅ、あぶぅ~やぅ~あうきゃぅ~うあぅ~ああぶぅ~いやぁ~うぶぅ」
俺だって、そんな大層な存在ではないが、とは言え、彼女がこのままでは、一緒に笑い合う道は生まれないのは、間違いないのだ。
だから、俺は再度伝える。
俺が何度も間違って、漸く得た答えの一部を、彼女にもう一度託す。
「あぶ、うやぅ……うやぁ~あうぅだぅ~あうぅうやぁう?」
そう問いかけられたリリーは、涙を流しながらも、俺を見つめ、首を振る。
分からない。
どうして、また……そんな彼女の心の声が透けて見える様な、そんな狼狽えようだった。
本当であれば、時間をかけてゆっくりと諭してやるのも良いだろう。
だが、彼女は既に知っている。
俺から託された、その答えを知っている。
それを忘れているなら、もう一度、思い出せばいい。ただそれだけの事だ。
「うやぅ~あうぅ。うぶぅ~あうぁうきゃぅ、あばぅ。うやぁあぁうぶぅぁ。うやぁあぅ~いやぁ?」
俺のそんな言葉を受けて、彼女の意識は過去へと飛んだのだろう。
意識が宙に溶け、彼女の視点が、一瞬、はるか遠くへと向く。
そして、数瞬後に、一つの答えを探り当てたようだ。
目を見開き、こちらを見る。その底に、戸惑いと、淡い光を見た。
「見て……。そう、自分の事……ツバサ様の事を、ちゃんと見てくれ、と。」
涙を両目から流しつつ、彼女はそれでも、俺から視線を逸らさなかった。
「ごめんなさい、ツバサ様……私、また、ツバサ様を、言い訳にしていました。そうですよね、これは、私の意思。私の決意です」
そして、首を振る。涙が飛び散る。その後に、彼女はそれでも泣きながら笑顔で口を開いた。
「それでも私、駄目な子だけど、ツバサ様と一緒に行きたい……一緒に笑いたいんです。お傍に……居たいんです。それだけなんです」
涙に濡れたまま笑顔でそう呟く彼女は、とても美しく見えた。
その姿を見て、お姫様も思う所があったのだろう。一瞬、息をのみ、そして、悔しそうに唇を噛む。
彼女にも、少しは伝わったようだ。リリーのその純粋で深い思いが。
ならば、後は、もう一息だな。
「あぶぅ~あうぁ。いやぁ~あぅあ~うぶぅ。ばぶぅ~あぅ、いぃ~……いやぁ~あうぅあ、あぶぅやぅ?」
俺は、彼女にそう優しく語り掛けた。何故か、お姫様が息を飲む様子が視界の片隅に引っ掛かるも、俺はそのまま続ける。
「だぅ~、あぅあ~やぅ、いぃ~やあぶぅあばぁうやぁ~う。だぅ~、あうぁ~うぶぅやぅ、あうあぁ~うえやぁ~あうぅだう。やぁ~あぶぅ?」
その言葉に、リリーは嬉しそうに何度も頷き、涙を零す。
「だぅ~あぅ、あぶぅ~うやぁ。いぃ~、いやぁうばぅあやぁ? うやぁ~あぶぅ、うきゃぅあぶぅ」
いきなり俺の口からご指名を受けた事に戸惑うお姫様。
おや、そんなに意外だったのだろうか? 全く、彼女にも俺の事を色々と知ってもらう必要がありそうだ。
「あぶぅ、あやぅ~、うや~あぅうきゃぅ~あぶぅ? いやぁぅ~あう、あぶぅきゃぅうやぁ~あう」
リリーはそんな俺の言葉に驚き、そして、自分に何が欠けていたのか、真の意味で理解したようだった。
何度も頷きながら、涙を零す。
そう。前に言ったまんまである。お互いに知ろうとする努力が足りなかった。それだけだ。
一方通行では勿論駄目だし、今回はお互いがお互いの想いを、ただぶつけ合うだけだった。
一歩引いて、相手を理解し受け入れる。それを相互理解と言う。
その姿勢が無ければ、想いは凶器に変わる。相手を傷つける、刃となって、いずれは自分をも孤独にするだろう。
そうだろ? ルナ。
この世界に来て俺が犯した最大のミス。
前の世界から、ずっと繰り返し続けている、愚行。形を変え、それは俺をずっと苦しめて来た。
結局、俺も目の前の彼女達と変わらないんだよな。
偉そうな事を言って置きながら、結局、同じ穴のムジナだ。
俺もまた、ルナを知る努力を怠った。
意識共有と言う便利な物と、ルナの理解力に全てを任せてしまった。
何と横着な事か。なんという怠惰。そりゃ、ああなるわ。
結局、全てを理解する時間も無く、最悪の結果で幕を閉じたんだ。
ならば、せめて……そんなアホな過去の経験を、少しでも生かさなくてどうするよ。
じゃないと、もしまた彼女と会う時があったなら……俺は彼女に謝る事すらできない。
「ああ、私、また驕っていました……。そっか、わかりました。私、言葉を尽くしていませんでしたね。」
「あやぅ~あぅ。あぶぅ、うぶぅ、あきゃぅ~う? あやぅ~、うやぁ~あぶぅ~やぅいやぁ~あうぅ~」
完全に虚を突かれたように、お姫様が、目を瞬かせる。
それを見て俺は、少し意地悪な笑みを浮べつつ、言葉を続けた。
「あぶぅ~うぁ~うきゃぅ~いやぁ~あぅ、いぃ~あぅあぶぅ~やぅ~う? うやぅ~あぅ~あやぁ~」
俺のそんな言葉は完全に予想外だったようだ。お姫様は、すぐに顔を真っ赤にすると、俺を睨みながら口を開く。
「ばっ……。余計ない事を!? べ、別に、そ、そんな事、……ある、けど……赤ん坊のあんたに言われると、凄くむかつくわね。」
おや、どうやら、思った以上に態度が軟化している。もう少し、否定されると思ったのだが。
少しは、先程のやり取りで、思う所があったか?
「リザ……だから、ツバサ様には……。はぁ……、まぁ、いいです。その辺りも含めて、きっちりとお話ししましょう。ね?」
少し呆れた様な、困った様な、そんな風に、リリーはお姫様に提案する。
「し、仕方ないわね……。ちょっとだけよ? 丁度、運のいいことに、本当に偶然だけど、私も……少しだけ、話したい事があるし」
真っ赤になりながら明後日の方を向きつつ、それでも、ちゃんと申し出を受ける。
実にこのお姫様らしいと俺は苦笑した俺は、思わず一言。
「あぶぅ~うきゃぁ~。うぶぅ~あやぅ~きゃぅう~」
「ちょ、うっさいわね!? 一体、こいつ、本当に何なのよ!?」
「ばぶー」
ただのしがない赤ん坊です。
そんな彼女の怒りを、俺は敢えて赤ん坊のフリで流す。しかし、予想通りと言うか、彼女はお気に召さなかったようだ。
「あぁあーー! もう、意味分かんない!? しかも、なんか、凄くむかつく!? 調子狂う!?」
そんな風に地団駄を踏みつつ、それでも、俺に手を上げない位には理性的だった。半分、獣化してるけど。
はっはっは、いじるとまた、良い声で鳴くねぇ。これは、良いおもちゃに出来そうだ。
そんな俺の素敵な笑顔を見て、心底嫌そうな表情を浮かべるお姫様。何て失礼な。
ま、そもそも、根は悪い子じゃないんだよね。リリーと上手くやってる位だし。
「それがツバサ様ですから。けど、大丈夫。リザ、貴女もその内、慣れますよ」
そんな良く分からない評価をリリーが下し、俺は遺憾の意を表情で訴えかけるも、笑顔で無視された。
こうして、先程とは違って、穏やかに話が始まった。
そんな二人の乙女が、等身大でお互いの気持ちを吐露し合う光景を、俺は眩しそうに見つめる。
それは、俺が入る隙間も無い程、彼女達の絆を感じさせる物だったのだった。
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