比翼の鳥
第60話 指名依頼
「おう、そこはもっと強く!!」
「は、はい。」
「違う! もっと、こう、バーンと……おお、そうだ。それで良い。」
「あ、はい。ありがとうございます。」
俺は、反射的にお礼を言いつつ、慣れない作業と言うこともあって、なんでこんな事になっているのかを考える暇も無かった。
目の前で槌を振りかぶる親父さん……もとい、親方は俺をまっすぐ見ると、赤熱した金属塊を小さく顎でしゃくり、示した。続けろって事だろうな。
俺は、小さく息を吸い込むと、槌の柄を握りしめ、力を込め振り下ろす。
少し鈍い打撃音が、短く響いた。
ちなみに、魔力による身体強化はあえて最小限に留めている。
理由は簡単で、力が出過ぎるからだ。
先端が握りこぶし3つ分位の小さな槌ではあるが、これを強化全開の全力付与で振り下ろしたら、どうなるか……あまり考えたくはない。
そんな訳で、意図的に身体能力を落としているためか、やはり体にかかる負荷は大きい。
息が切れる。そして、汗が滴る。しかし、そんな事は気にならない程、集中しなければならない俺は、目の前にある赤熱した金属塊を、一心不乱に叩く。
その度に、弾けた赤い火花がパッと散り、一瞬、光を放って消える。
俺が叩く度に、目の前の親方が合いの手を入れるように、更に鎚を入れる。
二人で息を合わせ、交互に金属塊を叩くと、まるで演奏をしているような、そんな不思議な気分が湧き上がる。
叩く。叩く。ひたすらに叩く。
その無心になれる空間が、今は心地よく感じられる。
なるほど。これはこれで良いものだ。
俺はそんな気持ちを頭の隅で感じながら、目の前の金属塊を無心で叩き続けるのだった。
「よし。今日はこの位だな。また、頼む。」
なんの前触れも無く親方は、そう口にすると、背を向けさっさと工房を出て行ってしまった。
あー……終わったのかな?
唐突に呼ばれたと思えば、唐突に終了。
全く持って、意味が分からん……。いや、と言うより、不条理ですらある。
であるが、そこに何か親方の意図が、そして、俺に対する何かしらの気遣いが見て取れた。
「お疲れ様でした。また、よろしくお願いします。」
だからだろうか。俺の口からは、そんな言葉が飛び出していた。
反射的に口をついた言葉に、親方が一瞬、歩みを止めると、振り返る事無く右手を軽く上げ、その場を去った。
結局、何故親方が、俺達を指名依頼したのか、良く分からないまま終わってしまった。
俺は、鍛冶の補助をお願いすると一方的に告げられ、ルナは更にその補助として同じように雇うと言われた。
もしかして、俺に定職を用意しようとしてくれているのか?
そう思うも、理由が見当たらない。謎だなぁ。
とりあえず、暫くの間はこれで、食べていけそうだし、鍛冶の技術は興味もあるから、やってみるのはやぶさかではない。
様子見かな? こりゃ。
そんな事を考えつつ、意図不明な親方の姿を見送った俺は、気怠さを抱えた体に気合を入れ直し、工房を出る。
すると俺を待っていたのだろう。俺の姿を発見したルナが、少し小走りで近寄って来ると、おずおずと言う感じで、俺の右腕に絡みついてきた。
はにかみながら、俺の様子を上目遣いに伺う彼女を見て、何も感じない男などいるのだろうか?
俺は、久々の不意打ちにクラッとしつつも、
「ありがとう、ルナ。待っててくれたんだな。」
と、努めて冷静に、そう声をかける。
ルナはそんな言葉に、笑顔を返すと、一瞬、虚空に指を置きかけ……その指をそのまま俺の右手の平へと押し付けた。
《 一人で帰るのがなんだか勿体なく思っちゃったの。それに、一人で寂しく帰るより、ツバサと一緒に帰りたかったから。 》
右手から文字として伝わる彼女の想い。
それは一生懸命、俺の右手に書き込む彼女の真剣さと相まって、俺の心にスッと入って来る。
視線を前に向ければ、外は既に日が落ち、工房に来た時と、その様子がすっかりと変わってしまっていた。
西側――と思われる――城壁の向こうには燃えるような赤い光が消えようとしていた。
その赤さと空の青さが混ざり合い、何とも言えない絶妙な時間を作り出している。
東の空に月の姿はまだない。良く見れば、城壁の上端から、淡く緑の光が見える……様な気もする。
先日、ルナと語らった時は、もう少し後の時間だったから、城壁から顔を出すのはまだ時間がかかるだろう。
家々の窓からこぼれる、暖かい光が道の端々を照らし、石組の家の間に広がる闇を淡く削り取る様に広がっていた。
なるほど。この景色を一人で帰るのは、何となく寂しいし、勿体ない気がするな。
「そうか、待たせちゃってごめんね。」
そんな俺の言葉に、ルナは首を振ると、
《 待ってるのも何だか楽しかったよ。何だろうね? 》
そう、嬉しそうに笑う。
そんなルナに俺には、「そっか。なら良かった。」と、返事をしつつ、気怠さを引きずったまま、ダラダラと家路……と言うより、宿へと歩を進める。
そして、頭の片隅で、ギルドでの良く分からない状況を思い返しながら、今後どうするかを悩むのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「指名依頼……ですか?」
「そうですよ! 指名依頼ですよ!! ツバサさん、あの偏屈ジジイに一体、どんな事をしたんですか? あのジジイは、初心者泣かせで有名なんですよ!? だからこそ、あの報酬ですし、しかも、あのジジイから指名依頼なんて、ギルド発足以来の珍事なんですよ!? ……はっ!? 賄賂ですか!? それとも、何か弱みをぉおおおお!? ちょ……ギブ!! ギブゥウウウ!?」
とりあえず、年上に対する礼儀がなってない上に、何故か悪だくみしか考えられない残念な思考回路を破壊するために、俺は、受付幼女の顔を半分本気で締め上げる。
分かっていた事だけど、やっぱりあの親父さんの所は、地雷だったか。まぁ、仕事した事の無い人が行くには、ハードル高そうだしなぁ。
しかし、そんな所に初心者を寄越すギルドもどうかと思うんだが……何か理由でもあるのかね?
おっと、力が強すぎたか? 何かひびの入る音が……。
俺は反射的にそのまま、無造作に手を離してしまい、その結果、床へとダイブする受付幼女。
「ぬおおおおお!? 目が!? 目がぁ!?」と、既に人である事も怪しくなる勢いで奇声を上げ、床に転がって悶えている様子を何となしに見ながら、俺は腕を組み、そんな事を考えていたのだが、ふと、その状況に違和感を覚える。
この受付幼女。中身は酷く残念だが、見た目は可憐な女性? いや、女の子? である。
黙っていれば、その愛くるしい笑顔で、冒険者達のハートも鷲掴み……出来るかもしれない位には可愛い。
まぁ、ともかく、性別で言えば、間違いなく女性だと思うのだが、そんな彼女に対し俺は、妙に攻撃的だと気付く。
うーん? 俺ってそんな性格ではないと思うのだが。
そもそも、冷静に考えてみれば、あまり面識のない女性の顔面を鷲掴みとか、普通に出来ない。それどころか、そんな事、今迄した事無かったし。
女の子の額にデコピンする事ですら、指が震えてしまう程度にはチキンであるはずだ。多分。
知らない間に、日頃のストレスでも溜まっていたのだろうか?
何と言うか、なんだかいちいち、彼女の言動と行動が癇に障ると言うか……。けど、森ではそんな事も無かったんだけどな。
あの子族の巫女のイルイちゃん? だったり、孤族の族長の時でも、イラッとはしたが、ここまで攻撃的にはならなかったはずなんだが……はて?
一瞬、またルナの影響かとも疑うが、これは何か違うような気がする。なんだかはっきりしないのが気にはなるが……。
そんな疑問を頭で反芻していたが、顔を押さえよろめきながら立ち上がって来た彼女を見て、今やるべき事を思い出した俺は確認の意味を込めて問いかけた。
「んで、その指名依頼って何でしょうか? 言葉からすれば、特定の方に名指しで依頼を持ちかけられたように聞こえるのですが。」
そんな俺の言葉に、受付幼女は頭を抱えながらも、
「あたたたた……全く、ツバサさんも愛情表現が激しすぎますね。もう少し素直に……いえ、御免なさいです。何でもないです。そのわきわきとした手の動きはやめて下さい。これ以上やられたら、私の柔骨が砕けてしまいます。」
喋りながら、涙目で首を振り後退する。
ちっ。流石に、これ以上は駄目か。
俺は、ため息を吐きつつ、獲物を求めていた手をひっこめた。
その様子を見て、ホッと息を吐いた彼女は、少し真面目な顔で口を開く。
「先程、ツバサさんがおっしゃった通り、指名依頼とは、ある特定の方から、冒険者個人を指名して発行される依頼の事ですね。本来これは、滅多な事では発行されません。何故なら、依頼主からそこまで信頼される事が難しいからです。普段なら何度も、同じ依頼主の依頼を、上手くこなし続けて、信頼を勝ち得ないと、この指名依頼は発生しないんですよ。」
なるほど。それは分かる。
だが、同時に疑問も残る。
今回の事案には当てはまらないが、名の売れた冒険者を指名して雇いたいという依頼主もいるはずだ。
そういう時なら、結構な頻度で依頼が発行されそうな気がするのだが?
そんな疑問を彼女にぶつけてみると、帰って来たのは意外な言葉だった。
「実は、それはあまり無いんです。この指名依頼には、ある特別な制約があるのですよ。」
「そうなんですか?」
「はい。この指名依頼を発行するには、ギルドに対し指名料を支払う必要があります。なお金額は、差し控えさせていただきますが、普段の指名を発行するのに必要な手数料、およそ1万回分に相当すると思って下されば、その価値がお分かりになるかと思います。」
「それはまた……相当、ぼったくってますねぇ。」
思わず出た俺の本音に、受付幼女は素敵な笑顔で、
「ええ、絞れるところからは、限界まで絞りませんと。私達のお給料に響きますので!」
と、あっさりと俗物的な言葉を吐く。
いや、このシステム、利用されないのはそもそも、費用対効果の問題なのでは……。改善しないのかよ? と、俺は若干引き気味に苦笑するが、そんな俺の心の叫びを無視し、更に追い打ちをかけるように、彼女は続けた。
「あ、費用の面もそうなのですが、この指名依頼はもう一つ致命的な問題を抱えていまして。」
言っちゃったよ。この人、はっきりと問題って言っちゃったよ。
確かに、前の金額設定も問題だけど、それはある意味、資金力を見る為、篩にかけていると思えば、理解できなくもない。
つまり、指名依頼をかけるには、それなりの勢力……例えば、国であったり大富豪であったりと、力を持つ物でないとだめだという事だ。
誰でも彼でも、指名依頼をかけられてしまっては、そもそもギルドの処理能力を超えてしまう可能性もある。その都度、ギルドが冒険者と依頼者の双方にお伺いを立てていたら、幾ら人手があっても足りないだろう。
普通の依頼なら、ある意味、ギルドは発行に関して、受け身になれるので管理もしやすいだろうが、指名依頼の場合はそうはいかないだろうし。
何より、もし、仮に誰でも指名依頼を発行できるなら、問題も多そうだしな。
例えば、美人の冒険者とお近づきになりたくて……とか、特定の冒険者を罠にかけ、亡き者にするとか……悪い方に使えば幾らでもやりようはあるだろうし。
俺がそんな納得をしている所に、更に爆弾が投下される。
「実は、この指名依頼は、圧倒的に依頼者に不利な様に作られております。まず、依頼主様と冒険者様の間に、何かトラブルが発生した場合、ギルドは一切その責任を負わない事。しかしながら、冒険者様より、何かしらの訴えがギルドに届いた場合は、直ちにそれを精査し、場合によっては、実力行使により、事態収束を図る場合がある事。更に、冒険者様が、依頼のせいで何らかの危害を加えられ、冒険者を続けられなくなった場合、慰謝料として依頼料を全額、ギルドに支払っていただく事になっております。」
「え? 何その、めちゃくちゃな制度。」
思わず目が点になる。
「ですよね。なので、ハッキリ言って、余程の勢力……言ってしまえば国家クラスでないと、この制度を使うメリットがありません。いわば、賭けの様なものですので。」
それを聞いて、正に賭けだなと思った。
つまり、今の話を要約すると、指名依頼とは……特定の冒険者を指名できる代わりに、高い金を取られながら、何か問題が起こった際は、ギルドは何もしてくれない。
しかも、冒険者に不利な事をしようものなら、即座に、鉄拳制裁も辞さない構え……という事ですか。
それなら、自分で冒険者に働きかけて、引き抜いた方が早いやね。
「っていうか、これ、指名依頼出すメリットが無いんじゃないですか?」
「いえ、ギルドのお墨付きで特定の冒険者様を使えます。」
「それだけ……ですか。」
「はい!」
「引き抜きとか、別の手は幾らでもある気がするんですが……。」
「引き抜きで去っていくような程度の冒険者なら、ギルドが守る必要もありませんので。どうぞ、引き抜いて下さいって感じですね!」
またさらりと、猛毒を……。
まぁ、何となく言いたい事も分る。しかし、これはまた、随分過保護な気もするが、そうでもしないと一流の冒険者を守る事は出来ないのだろう。
この辺りは、今度、暇があったら、ライゼさんやボーデさんに聞いてみよう。
何か面白い話が聞けそうだな。
あれ? 待てよ? という事は、何か?
そんな国家レベルでしか使わない様な、全面的に不利な指名依頼を、俺にしてきたのか?
しかも、さっきの話だと、先程行ってきたばかりの、武器屋の親父さんが?
……何で?
確かに、これは、受付幼女じゃなくても首をかしげたくなる。
「なるほど。指名依頼の凄さは良く分かりました……。となると、何で武器屋の親父さんが、俺達に指名依頼をかけて来たのか、気になるのですが。」
「そうなんですよ! 何でですか? あ、その手はちょっとおろして下さい。いえ、何も言いませんから。良いですね? ……ふう。まず、指名されたのは、ツバサさんとルナさんです。ツバサさんには、鍛冶の補助を依頼されています。ルナさんはその他の雑用で依頼が来ています。……どちらも普通の依頼ですね……。凄く失礼な事を言うと、この内容だけを見れば、お二人を指名している意味がわかりません。内容だけなら、他の冒険者……それこそ、上位の冒険者でも問題ないはずです。指名しなければ、ずっとお安くお仕事を斡旋できますので。」
「つまり、俺達でないとならない理由がそこにある……のかな?」
「そうですね。そうでないと、指名する意味がありませんので。」
しばし、受付幼女と2人で考え込んでしまったが、正直、それとなる理由は何も浮かんでこない。
「まぁ、ともかく……直接お話を聞いた方が早そうですね。んで、今から行った方が良いんですかね?」
そんな俺の問いに、受付幼女がそれはもう楽しそうな笑顔で、
「はい。なるべく早く、とのご指名ですよ?」
と、口にしたのだった。
「は、はい。」
「違う! もっと、こう、バーンと……おお、そうだ。それで良い。」
「あ、はい。ありがとうございます。」
俺は、反射的にお礼を言いつつ、慣れない作業と言うこともあって、なんでこんな事になっているのかを考える暇も無かった。
目の前で槌を振りかぶる親父さん……もとい、親方は俺をまっすぐ見ると、赤熱した金属塊を小さく顎でしゃくり、示した。続けろって事だろうな。
俺は、小さく息を吸い込むと、槌の柄を握りしめ、力を込め振り下ろす。
少し鈍い打撃音が、短く響いた。
ちなみに、魔力による身体強化はあえて最小限に留めている。
理由は簡単で、力が出過ぎるからだ。
先端が握りこぶし3つ分位の小さな槌ではあるが、これを強化全開の全力付与で振り下ろしたら、どうなるか……あまり考えたくはない。
そんな訳で、意図的に身体能力を落としているためか、やはり体にかかる負荷は大きい。
息が切れる。そして、汗が滴る。しかし、そんな事は気にならない程、集中しなければならない俺は、目の前にある赤熱した金属塊を、一心不乱に叩く。
その度に、弾けた赤い火花がパッと散り、一瞬、光を放って消える。
俺が叩く度に、目の前の親方が合いの手を入れるように、更に鎚を入れる。
二人で息を合わせ、交互に金属塊を叩くと、まるで演奏をしているような、そんな不思議な気分が湧き上がる。
叩く。叩く。ひたすらに叩く。
その無心になれる空間が、今は心地よく感じられる。
なるほど。これはこれで良いものだ。
俺はそんな気持ちを頭の隅で感じながら、目の前の金属塊を無心で叩き続けるのだった。
「よし。今日はこの位だな。また、頼む。」
なんの前触れも無く親方は、そう口にすると、背を向けさっさと工房を出て行ってしまった。
あー……終わったのかな?
唐突に呼ばれたと思えば、唐突に終了。
全く持って、意味が分からん……。いや、と言うより、不条理ですらある。
であるが、そこに何か親方の意図が、そして、俺に対する何かしらの気遣いが見て取れた。
「お疲れ様でした。また、よろしくお願いします。」
だからだろうか。俺の口からは、そんな言葉が飛び出していた。
反射的に口をついた言葉に、親方が一瞬、歩みを止めると、振り返る事無く右手を軽く上げ、その場を去った。
結局、何故親方が、俺達を指名依頼したのか、良く分からないまま終わってしまった。
俺は、鍛冶の補助をお願いすると一方的に告げられ、ルナは更にその補助として同じように雇うと言われた。
もしかして、俺に定職を用意しようとしてくれているのか?
そう思うも、理由が見当たらない。謎だなぁ。
とりあえず、暫くの間はこれで、食べていけそうだし、鍛冶の技術は興味もあるから、やってみるのはやぶさかではない。
様子見かな? こりゃ。
そんな事を考えつつ、意図不明な親方の姿を見送った俺は、気怠さを抱えた体に気合を入れ直し、工房を出る。
すると俺を待っていたのだろう。俺の姿を発見したルナが、少し小走りで近寄って来ると、おずおずと言う感じで、俺の右腕に絡みついてきた。
はにかみながら、俺の様子を上目遣いに伺う彼女を見て、何も感じない男などいるのだろうか?
俺は、久々の不意打ちにクラッとしつつも、
「ありがとう、ルナ。待っててくれたんだな。」
と、努めて冷静に、そう声をかける。
ルナはそんな言葉に、笑顔を返すと、一瞬、虚空に指を置きかけ……その指をそのまま俺の右手の平へと押し付けた。
《 一人で帰るのがなんだか勿体なく思っちゃったの。それに、一人で寂しく帰るより、ツバサと一緒に帰りたかったから。 》
右手から文字として伝わる彼女の想い。
それは一生懸命、俺の右手に書き込む彼女の真剣さと相まって、俺の心にスッと入って来る。
視線を前に向ければ、外は既に日が落ち、工房に来た時と、その様子がすっかりと変わってしまっていた。
西側――と思われる――城壁の向こうには燃えるような赤い光が消えようとしていた。
その赤さと空の青さが混ざり合い、何とも言えない絶妙な時間を作り出している。
東の空に月の姿はまだない。良く見れば、城壁の上端から、淡く緑の光が見える……様な気もする。
先日、ルナと語らった時は、もう少し後の時間だったから、城壁から顔を出すのはまだ時間がかかるだろう。
家々の窓からこぼれる、暖かい光が道の端々を照らし、石組の家の間に広がる闇を淡く削り取る様に広がっていた。
なるほど。この景色を一人で帰るのは、何となく寂しいし、勿体ない気がするな。
「そうか、待たせちゃってごめんね。」
そんな俺の言葉に、ルナは首を振ると、
《 待ってるのも何だか楽しかったよ。何だろうね? 》
そう、嬉しそうに笑う。
そんなルナに俺には、「そっか。なら良かった。」と、返事をしつつ、気怠さを引きずったまま、ダラダラと家路……と言うより、宿へと歩を進める。
そして、頭の片隅で、ギルドでの良く分からない状況を思い返しながら、今後どうするかを悩むのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「指名依頼……ですか?」
「そうですよ! 指名依頼ですよ!! ツバサさん、あの偏屈ジジイに一体、どんな事をしたんですか? あのジジイは、初心者泣かせで有名なんですよ!? だからこそ、あの報酬ですし、しかも、あのジジイから指名依頼なんて、ギルド発足以来の珍事なんですよ!? ……はっ!? 賄賂ですか!? それとも、何か弱みをぉおおおお!? ちょ……ギブ!! ギブゥウウウ!?」
とりあえず、年上に対する礼儀がなってない上に、何故か悪だくみしか考えられない残念な思考回路を破壊するために、俺は、受付幼女の顔を半分本気で締め上げる。
分かっていた事だけど、やっぱりあの親父さんの所は、地雷だったか。まぁ、仕事した事の無い人が行くには、ハードル高そうだしなぁ。
しかし、そんな所に初心者を寄越すギルドもどうかと思うんだが……何か理由でもあるのかね?
おっと、力が強すぎたか? 何かひびの入る音が……。
俺は反射的にそのまま、無造作に手を離してしまい、その結果、床へとダイブする受付幼女。
「ぬおおおおお!? 目が!? 目がぁ!?」と、既に人である事も怪しくなる勢いで奇声を上げ、床に転がって悶えている様子を何となしに見ながら、俺は腕を組み、そんな事を考えていたのだが、ふと、その状況に違和感を覚える。
この受付幼女。中身は酷く残念だが、見た目は可憐な女性? いや、女の子? である。
黙っていれば、その愛くるしい笑顔で、冒険者達のハートも鷲掴み……出来るかもしれない位には可愛い。
まぁ、ともかく、性別で言えば、間違いなく女性だと思うのだが、そんな彼女に対し俺は、妙に攻撃的だと気付く。
うーん? 俺ってそんな性格ではないと思うのだが。
そもそも、冷静に考えてみれば、あまり面識のない女性の顔面を鷲掴みとか、普通に出来ない。それどころか、そんな事、今迄した事無かったし。
女の子の額にデコピンする事ですら、指が震えてしまう程度にはチキンであるはずだ。多分。
知らない間に、日頃のストレスでも溜まっていたのだろうか?
何と言うか、なんだかいちいち、彼女の言動と行動が癇に障ると言うか……。けど、森ではそんな事も無かったんだけどな。
あの子族の巫女のイルイちゃん? だったり、孤族の族長の時でも、イラッとはしたが、ここまで攻撃的にはならなかったはずなんだが……はて?
一瞬、またルナの影響かとも疑うが、これは何か違うような気がする。なんだかはっきりしないのが気にはなるが……。
そんな疑問を頭で反芻していたが、顔を押さえよろめきながら立ち上がって来た彼女を見て、今やるべき事を思い出した俺は確認の意味を込めて問いかけた。
「んで、その指名依頼って何でしょうか? 言葉からすれば、特定の方に名指しで依頼を持ちかけられたように聞こえるのですが。」
そんな俺の言葉に、受付幼女は頭を抱えながらも、
「あたたたた……全く、ツバサさんも愛情表現が激しすぎますね。もう少し素直に……いえ、御免なさいです。何でもないです。そのわきわきとした手の動きはやめて下さい。これ以上やられたら、私の柔骨が砕けてしまいます。」
喋りながら、涙目で首を振り後退する。
ちっ。流石に、これ以上は駄目か。
俺は、ため息を吐きつつ、獲物を求めていた手をひっこめた。
その様子を見て、ホッと息を吐いた彼女は、少し真面目な顔で口を開く。
「先程、ツバサさんがおっしゃった通り、指名依頼とは、ある特定の方から、冒険者個人を指名して発行される依頼の事ですね。本来これは、滅多な事では発行されません。何故なら、依頼主からそこまで信頼される事が難しいからです。普段なら何度も、同じ依頼主の依頼を、上手くこなし続けて、信頼を勝ち得ないと、この指名依頼は発生しないんですよ。」
なるほど。それは分かる。
だが、同時に疑問も残る。
今回の事案には当てはまらないが、名の売れた冒険者を指名して雇いたいという依頼主もいるはずだ。
そういう時なら、結構な頻度で依頼が発行されそうな気がするのだが?
そんな疑問を彼女にぶつけてみると、帰って来たのは意外な言葉だった。
「実は、それはあまり無いんです。この指名依頼には、ある特別な制約があるのですよ。」
「そうなんですか?」
「はい。この指名依頼を発行するには、ギルドに対し指名料を支払う必要があります。なお金額は、差し控えさせていただきますが、普段の指名を発行するのに必要な手数料、およそ1万回分に相当すると思って下されば、その価値がお分かりになるかと思います。」
「それはまた……相当、ぼったくってますねぇ。」
思わず出た俺の本音に、受付幼女は素敵な笑顔で、
「ええ、絞れるところからは、限界まで絞りませんと。私達のお給料に響きますので!」
と、あっさりと俗物的な言葉を吐く。
いや、このシステム、利用されないのはそもそも、費用対効果の問題なのでは……。改善しないのかよ? と、俺は若干引き気味に苦笑するが、そんな俺の心の叫びを無視し、更に追い打ちをかけるように、彼女は続けた。
「あ、費用の面もそうなのですが、この指名依頼はもう一つ致命的な問題を抱えていまして。」
言っちゃったよ。この人、はっきりと問題って言っちゃったよ。
確かに、前の金額設定も問題だけど、それはある意味、資金力を見る為、篩にかけていると思えば、理解できなくもない。
つまり、指名依頼をかけるには、それなりの勢力……例えば、国であったり大富豪であったりと、力を持つ物でないとだめだという事だ。
誰でも彼でも、指名依頼をかけられてしまっては、そもそもギルドの処理能力を超えてしまう可能性もある。その都度、ギルドが冒険者と依頼者の双方にお伺いを立てていたら、幾ら人手があっても足りないだろう。
普通の依頼なら、ある意味、ギルドは発行に関して、受け身になれるので管理もしやすいだろうが、指名依頼の場合はそうはいかないだろうし。
何より、もし、仮に誰でも指名依頼を発行できるなら、問題も多そうだしな。
例えば、美人の冒険者とお近づきになりたくて……とか、特定の冒険者を罠にかけ、亡き者にするとか……悪い方に使えば幾らでもやりようはあるだろうし。
俺がそんな納得をしている所に、更に爆弾が投下される。
「実は、この指名依頼は、圧倒的に依頼者に不利な様に作られております。まず、依頼主様と冒険者様の間に、何かトラブルが発生した場合、ギルドは一切その責任を負わない事。しかしながら、冒険者様より、何かしらの訴えがギルドに届いた場合は、直ちにそれを精査し、場合によっては、実力行使により、事態収束を図る場合がある事。更に、冒険者様が、依頼のせいで何らかの危害を加えられ、冒険者を続けられなくなった場合、慰謝料として依頼料を全額、ギルドに支払っていただく事になっております。」
「え? 何その、めちゃくちゃな制度。」
思わず目が点になる。
「ですよね。なので、ハッキリ言って、余程の勢力……言ってしまえば国家クラスでないと、この制度を使うメリットがありません。いわば、賭けの様なものですので。」
それを聞いて、正に賭けだなと思った。
つまり、今の話を要約すると、指名依頼とは……特定の冒険者を指名できる代わりに、高い金を取られながら、何か問題が起こった際は、ギルドは何もしてくれない。
しかも、冒険者に不利な事をしようものなら、即座に、鉄拳制裁も辞さない構え……という事ですか。
それなら、自分で冒険者に働きかけて、引き抜いた方が早いやね。
「っていうか、これ、指名依頼出すメリットが無いんじゃないですか?」
「いえ、ギルドのお墨付きで特定の冒険者様を使えます。」
「それだけ……ですか。」
「はい!」
「引き抜きとか、別の手は幾らでもある気がするんですが……。」
「引き抜きで去っていくような程度の冒険者なら、ギルドが守る必要もありませんので。どうぞ、引き抜いて下さいって感じですね!」
またさらりと、猛毒を……。
まぁ、何となく言いたい事も分る。しかし、これはまた、随分過保護な気もするが、そうでもしないと一流の冒険者を守る事は出来ないのだろう。
この辺りは、今度、暇があったら、ライゼさんやボーデさんに聞いてみよう。
何か面白い話が聞けそうだな。
あれ? 待てよ? という事は、何か?
そんな国家レベルでしか使わない様な、全面的に不利な指名依頼を、俺にしてきたのか?
しかも、さっきの話だと、先程行ってきたばかりの、武器屋の親父さんが?
……何で?
確かに、これは、受付幼女じゃなくても首をかしげたくなる。
「なるほど。指名依頼の凄さは良く分かりました……。となると、何で武器屋の親父さんが、俺達に指名依頼をかけて来たのか、気になるのですが。」
「そうなんですよ! 何でですか? あ、その手はちょっとおろして下さい。いえ、何も言いませんから。良いですね? ……ふう。まず、指名されたのは、ツバサさんとルナさんです。ツバサさんには、鍛冶の補助を依頼されています。ルナさんはその他の雑用で依頼が来ています。……どちらも普通の依頼ですね……。凄く失礼な事を言うと、この内容だけを見れば、お二人を指名している意味がわかりません。内容だけなら、他の冒険者……それこそ、上位の冒険者でも問題ないはずです。指名しなければ、ずっとお安くお仕事を斡旋できますので。」
「つまり、俺達でないとならない理由がそこにある……のかな?」
「そうですね。そうでないと、指名する意味がありませんので。」
しばし、受付幼女と2人で考え込んでしまったが、正直、それとなる理由は何も浮かんでこない。
「まぁ、ともかく……直接お話を聞いた方が早そうですね。んで、今から行った方が良いんですかね?」
そんな俺の問いに、受付幼女がそれはもう楽しそうな笑顔で、
「はい。なるべく早く、とのご指名ですよ?」
と、口にしたのだった。
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