比翼の鳥

風慎

第44話:桜花の告白

 あの日から、リリーは俺の事を「ツバサさん」と、呼ぶようになった。

 ルナもレイリさんも、此花も咲耶も…そして村のみんながその変化に気が付いた。
 そして、俺とリリーの間に何かあった事を察したようだ。
 まぁ、リリーがあんだけ俺に、熱視線送ってればバレるよな…。
 リリーは俺の近くに居る時は、常に笑顔で俺を見つめていた。
 時々、何故か急に「んふふふ…」と、小さく笑い何処かへ意識を飛ばしていることもあった。

 リリーの告白の翌日。朝食中に不審に思った桜花さんが、
「リリーや…。今日はご機嫌だのう?よもや…ツバサ殿と…。」と言葉に発した瞬間、
 リリーは顔を赤くしながら、「やだぁ!おじいちゃんったら!」と、みなまで言わさず、掌底モドキの突っ込みを肩に入れた。

 メキッだかボキッだか、聞きたくない音がして、桜花さんがもんどりうつ様子を俺は、言葉も出せずに見てしまった。
 数瞬後、慌てて俺は、桜花さんに駆け寄り、治療魔法を施そうとしたが、桜花さんが痛みとは別の何かでできた涙を流す様子を見て、俺は治療を躊躇した。
 その目は「貴様の情けなどうけんわ!!」と物語っていた。

 結局、ルナに治療して貰った桜花さんは、目で俺について来いと、訴えかけると、家の外へと俺を連れ出す。
 家を出るとき、チラリとリリーの方を見たが、幸せそうな顔で何処かに飛んで行っていたので、まずは大丈夫だろうとホッと息をつく。
 俺はルナと我が子達、そしてレイリさんに軽く目配せしておいた。
 皆、俺の意図を酌みとってくれたようだ。俺は安心して外へと出て行った。
 リリーが変な誤解をすれば…例えば、桜花さんが俺に危害を与えようとしていると思ってしまえば、桜花さんの身が危ないと俺は感じていたのだった。リリー…突き抜けすぎだ。どうしてこうなった…。

 桜花さんは外へ出ると、少しは落ち着いたのだろう。俺を見据え、

「何があったのじゃ?」と、怒りを押し殺した声で問い掛けて来た。

「リリーに告白されました。」と、俺は素直に答える。

 その瞬間、桜花さんの眉がピクッと動くが、それだけだった。
 そして、桜花さんは何かを考えるように、黙り込む。
 俺は、桜花さんの言葉をじっと待つように、その姿を見守り続ける。
 桜花さんは、一瞬、遠くを見つめるように視線を上げると、俺に語りかけて来た。

「レイリと番になった奴は村一番の力の持ち主でな…。それは強かった。そして、それ故に傲慢じゃった。」

 桜花さんは、俺では無く、過去の何かを見るように、遠くに視線を合わせながら更に語る。

「レイリは家で、いつも暴力を振るわれていたようじゃ。飯が不味い。亭主の迎え方がなってないとの。それでもレイリは、黙ってその暴力を受け止め続けたらしい。それが村の為になるならと、思っていたようじゃ。実際、奴は曲がりなりにも村を守る戦士じゃった。その妻になることは、獣人族の中では名誉なことなのじゃよ。そして、この村での女性の立場は低いのじゃ…。戦士として戦う力も無く、子を育て、夫の体調を管理する役目。その位しか望まれていないのが、この村の現状なのじゃよ。」

 俺はそんなレイリさんの過去を聞いて、真っ先に思ったのは「やっぱり…。」という事だった。あの真面目なレイリさんが、優しいリリーが父親の事を話さないのは違和感が大きすぎたのだ。むしろ、なかった事にしたい雰囲気すら感じる事もあった。
 レイリさんに告白された日、それは俺の中で確信へと変わった。過去の夫の事を語るレイリさんに、愛情の欠片を見る事が出来なかったからだ。
 女性の言葉は、時として、言葉の表面の意味以上に別の意味を含むことが多い。
 事、恋愛ごとになると言葉通りの意味でない事も多いと俺は知っている。
「悪い人ではない…。」そんな事を言っていた気がしたが、その言葉に愛情を感じる事は出来なかった。
「リリーを授かる程度…。」その程度の愛情しかなかった。という事だろう。案外、子を授かるのに必要なハードルは低いのかもしれない。番の片方が心を許していなくても、数撃てば当たるではないが、魔力さえあれば、何とかなってしまうのかもしれない。
 そんな俺の考えを余所に、桜花さんは更に、独白する。

「儂は族長になり、焦っておったのかもしれん…。村の為に…。その大義名分の為、レイリに全てを押し付けてしまった…。竜神ナーガラージャ様のお力を借りるときにも、そうじゃった。あの子は文句ひとつ言わず、夫を亡くしたばかりじゃったのに、毅然とその役目を受け入れた。そして、儂は、その時にもなにもできんかった…。」

「駄目な父親じゃ…。」桜花さんは自嘲するように、肩を落としながら呟く。
 俺は、この年老いた父親の心に触れ、改めて、族長としての責務と親としての情の苦悩を知る。

「やっと、村に平穏が訪れ、レイリもリリーも、幸せになれると思ったのじゃが…現実は過酷じゃった。徐々に弱って行くレイリを見て、リリーからも少しずつ笑顔が消えて行ったのじゃ。折角、平和になってこれからじゃと言うのに…。我が子達に幸せはやって来なかった…。儂もせめてもの償いに、食事や衣服、住まいは用意したが、それだけで幸せにはなれんのじゃな…。この年にして思い知ったわぃ。」

 俺はかける言葉が見つからず、ただただ、桜花さんの話を聞くに止まる。
 物質的な豊かさと言うのは確かに、幸福を感じるうえで重要だが、所詮は物だ。
 表面上、豊かすぎる日本と言う国から来た俺は、身に染みてわかる話だった。
 あの国には、物はあふれていたが、心がしなびていた。

「そんな時に、ひょこっとお前さん達が現れた…。そして、あっという間に、レイリとリリーに笑顔が戻った。」

 突然、そんな事を言いながら俺を見据える桜花さん。

「儂がやろうとして、何も出来ずに終わろうとしていた処に、当たり前のように現れ、儂に出来なかった事を平然とやりおった。レイリも、リリーも、あんなに幸せそうな笑顔をしたことは、かつて一度たりともしたことが無かったのにじゃ。それを、お主が…この村を滅ぼしかけ、全てを奪って尚もわしらを苦しめている、人族のお主が!!それをやったのじゃ!!」

 そう、桜花さんは激高した。その言葉には、族長としての言葉が一つも無く、只々、娘と孫の幸せを願う、一人の男の心がむき出しで流れて来ただけだった。
 俺は、その血を吐くような心の叫びを、黙って真正面から受け止めた。
 この言葉に、俺は反発も、嫌悪も沸き起こる事は無かった。桜花さんの心の奥底から出た全てを、ただ受け止め理解するだけだった。

「今でも、儂らは人族を憎み恐れておる。だからこその、この村の雰囲気じゃ。そんな村の中にあって、人族であるお主が、リリーを幸せにできるのか!?」

 桜花さんは、吠えるように問い掛けた。
 その言葉の奥には、親としての気持ちがあり、そして、族長としての気持ちがあり、それが桜花さんと言う心を作り上げている。そんな事を感じさせる言葉だった。
 俺は、そのまっすぐな問いかけを受け止めると、桜花さんを見つめつつ答える。

「勿論、リリーを幸せにしますよ。」

 その問いは、出来る出来ないの問題ではないのだ。俺の覚悟を問うていた。
 そのまっすぐな俺の言葉の真意を見定めるかのように、桜花さんは俺を睨む。
 しかし、俺はそれにとどまらない。「あ、そうそう…」と、付け加えると、

「ちなみに、レイリさんにも告白されたので、レイリさんも幸せにします。」

 俺は軽く、あっさりとそんな事を言う。
 流石に、これには桜花さんも黙っていなかった。レイリさんに告白されたという事にか、それとも、俺の飄々ひょうひょうとした態度にだろうか?恐らく、その両方にであると思うが、桜花さんは激高して飛びかかって来る。
 俺は避けもせず、桜花さんの拳を軽々と受け止めると、「せっかちだなぁ。」と、呟き、前の桜花さんを見つめながら

「といいますか、この村全員幸せにしますよ。人族であることへの偏見?そんなもの、問題にすらなりませんよ。そんなもの、すぐにひっくり返してやります。」

 そんな俺の自信満々の言葉に、桜花さんはその小さな目を見開く。
 俺はそんな桜花さんの様子を間近に見ながら、更に続ける。

「そして、その中には、貴方も含まれているんですよ。。」

 その言葉を聞いて、桜花さんは「貴様に…お父さんなどと、呼ばれたくないわぁあああああ!!!」と、思いっきり回し蹴りをしてきた。俺は、掴んでいた拳を離すとそれも、スイッと避け、桜花さんと距離を取る。
 桜花さんは、肩で息をしながらも、俺を睨み言葉をぶつける。

「貴様は、儂に最後に残された、2人の可愛い娘達すらも、奪い取ろうと言うのか!何でも出来るお主が!儂の宝を!!」

 そこには、全ての心をさらけ出した、小さな男の姿があった。
 俺はそれを見て、自分の過去を思い出す。
 人の心は弱い。確固たる信念が無いと容易たやすく折れてしまう。
 心が折れるとは、即ち自身の価値観の崩壊につながる。
 今迄、頑なに信じていた物が、崩れ去る。
 それは足元が無くなり、そのまま暗闇に放り込まれたような恐怖にそっくりだ。
 だからこそ、人は抗う。そんな自分の信念と言う刀を振りかざし、遅い来る未知に立ち向かうのだ。
 しかし、今、目の前に、刀を折られながらも、なお、その目に畏怖と勇気を抱き、こちらを見つめる男がいた。
 そして、その目には、若干の祈りにも似た何かが煌めいていた。

 俺は、桜花さんの言葉を受けると、それに返す。

「俺は…、桜花さんではないので、桜花さんの苦悩を理解する事は出来ません。ただ、俺もこんなんですが、色々な経験をしてきました。何度も、何度も、自分の思い描く通りに事が進まず、それどころか、自分のせいで周りに迷惑ばかりかけて、後悔して、立ち上がって、また、後悔して…。そんな事を延々と繰り返してきたんです。」

 俺は言葉を区切りながら、一つ一つ、丁寧に音にする。それは、桜花さんに、この言葉が届いてほしいと言う、俺の心の表れだった。

かる責任感の重圧に、血を吐いた事もありました。ですから、桜花さん。貴方のその肩にかかる重荷が相当な物であると言うは、俺には何となくですが分かるつもりです。俺がもし、桜花さんの立場に置かれたら…桜花さんのように、毅然と判断を下す事はできなかったでしょう。そうしたら…この村は今頃無かったと思います。」

 俺が何でも出来るように見えるのは、俺が元の世界の知識を使って、たまたま魔法を制御できているからに過ぎない。
 俺自身の力や判断力と言ったら微々たるものなのだ。何より、俺には冷徹な決断を下せる判断力は無い。
 もし、誰かを切り捨てなくてはならなくなった時、俺はそれを決断できないだろう。
 欲張りな俺に、組織を預かる判断など出来る訳が無いのだ。

「この村を存続し、今に繋げたのは紛れも無く、桜花さん。貴方の力です。俺は、そんな桜花さんの力を羨ましく思っていますし、同様に、尊敬の念を持っています。貴方は自分のした事を悔いているようですが、俺はそんな事は無いと思います。確かに、もっと上手いやり方はあったのかもしれませんが、それは未来から見た話です。結果が出てみないと分からないことなど沢山あるんです。」

 桜花さんは、俺の言葉に一つ一つ、反応しながら、考え込む様に俺の言葉に耳を傾けてくれていた。

「そして…最も重要なお二人の事ですが…。」という俺の声で、桜花さんはピクリと耳を動かす。
 そんな様子を眺めつつ、俺は言葉を続ける。

「なんだか、勘違いされているようですが、レイリさんもリリーも、今幸せそうにしているのは、桜花さん。貴方がいるからですよ?」

 そんな俺の言葉に、心底意外そうな顔で俺を見つめて来る。

「リリーは、俺に告白してきた時に、お礼を言ってきました。『おじいちゃんを助けてくれてありがとう。』って。あと、いつも桜花さんが苦労されている様子を見て、胸を痛めていたようですね。自分には何も出来なかったって涙ながらに伝えてきましたよ。」

 そんな俺の言葉に、桜花さんはショックを受けたのだろう。
「そ、そんな…。リリー…。」と、呟きながら狼狽えていた。
 おれは、そんな桜花さんに更に言葉をぶつける。

「レイリさんは分かり難いですが、とても桜花さんの事を心配していますね。最近、桜花さんが朝食を取りに来るようになって、レイリさんも生き生きとしていますよ。」

 まぁ、ちょっと元気すぎて、色々面倒臭いのが玉に瑕なのだが、楽しそうだからいいかなと思っている。
「しかし…儂は…何も…。」と、なおも納得のいかないようにつぶやいている。

 気持ちは分かる。俺もそれで悩んだ時期もあったし。
 ふと、元の世界の家族の事が脳裏を掠り、罪悪感を覚え、郷愁にかられる。
 俺も、結局、最後まで親不孝しかできていなかった。
 俺が納得できる形での親孝行など、あまりに迷惑をかけすぎたため、それを帳消しにできる恩返しなど想像も出来なかった。
 しかも、これからだったのに、俺は勝手に消え去った。
 何のために生まれて来たのやら…と、自己存在の意義について悩みたくなる位、俺はひたすら不義理な息子だった。
 それでも、出来た事もあった。それを俺は桜花さんに伝えるべく、口を開く。

「桜花さん…。俺も、実はこの世界に来る前に、桜花さんと同じ様なことで悩んだことがあります。」

 そんな俺の言葉に、桜花さんは驚いたように、俺を見つめる。

「俺はこの世界に飛ばされる前…家族に特に迷惑をかけていました。ちょっと色々ありまして、全然働けなかったんですよ。それはもう、典型的な無駄飯ぐらいでしたね…全く恥ずかしいです。」

「ツバサ殿程の御仁が…まさかそのような…。」と、桜花さんは驚いているようだったが、俺はそんな様子に苦笑しながら更に話を進める。

「まぁ、ここと全く別の文明の世界なので、ちょっと想像できないかもしれませんが、俺は役立たずでした。社会からも、家族の中でもやれることなど殆どないばかりか、迷惑をかける存在だったんです。ですから、俺は早く自分の存在を消してしまえれば…といつも思っていました。」

 あの光を無くし色褪せ、全てが絶望の色に染まった世界を思い出す。
 ふと、妹の春香が俺の食事を持って来て、殴りながら俺の口に、強引に流動食を流し込んできた記憶がよみがえる。
 あいつ…今考えると無茶も良い所だったな…。一歩間違えれば嚥下できず、窒息死だぞ。
 まぁ、だからこそ、食事とトイレだけはちゃんと自分でやるようになった訳だが…。

「けど、俺の家族が泣きながら言ったんですよ。『生きていてくれればそれで良いから。もし、元気に過ごしてくれれば、もっと良い。その姿を見せてくれるだけで、充分だから』って。」

 桜花さんは俺のその言葉を聞いて、呻く。何か思う所があったのだろう。

「俺は思うんですよ。人って、そこにいるだけで、他の人に影響を与える生き物なんだって。俺ですらただ、そこにいただけなのに、家族は先程のように言ってくれました。桜花さんは頑張ったじゃないですか。その姿を見て、レイリさんもリリーも、今迄頑張って来れたんじゃないんですかね?なら、桜花さんの頑張っている姿を見せていたことで、既に2人に何かを与えていたことになると思うんですが、いかがでしょうか?」

 桜花さんは、頭を鈍器で殴られたように、グラリと体制を崩すと、「いや、しかし…。」と呟きながら、しゃがみ込み、額に手をやる。
 俺はそんな桜花さんを見て、更に言葉を続ける。

「もし、それでも自分が何もしてこなかったと言うのでしたら、それは桜花さん個人の気持ちです。レイリさんもリリーも、既に桜花さんから受け取ったモノがある筈です。それを否定する事は、桜花さん本人でも無理ですよ?ですから、もし、それでも…自分はまだ何もできてないと思うのでしたら…。」

 俺は、しゃがみ込んだ桜花さん前に跪き、桜花さんと目を合わせる。

「桜花さんが納得できるまで、2人に与え続けるしかないですね。とりあえずは、そうですね…1日1回、笑顔で2人と話す事を目標に頑張れば良いんじゃないですか?」

 俺はそんな提案を桜花さんにした。
 桜花さんは、ジッと俺を俺を見つめていたが、

「ふん…ツバサ殿に言われるまでも無いわぃ…。」

 そう、ちょっと拗ねたように、ぷいっと顔を逸らす桜花さんだった。
 俺達は、しばらくそのままでいたが、桜花さんが「よっこいしょ…。」と、立ち上がると。
 何も言わずに、家へと戻ろうとする。俺も、何も言わず、その後へと続く。

 ふと、桜花さんが振り返らず、ぽつりと「レイリとリリーを、幸せにしてやってくれ…。」と、寂しそうに言った。
 俺は、その言葉に頷きながらも、「俺一人だと厳しいんで、力を貸してください。お父さん。」と、背中に声をかける。

「ふん…。だぁれが、お父さんじゃ…。…しかし、仕方ない…少しだけ手を貸してやるわい。」

 そんな風に、力ない声ながらも俺にはっきりと答えてくれた。

 その日の朝食の後、桜花さんの口より婚約を正式に認める言葉が、レイリさんとリリーに伝えられた。
 居間は一時、レイリさんとリリーの驚愕を載せた声に彩られたのであった。

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