比翼の鳥

風慎

終話:比翼の鳥

『リンケージ接続――――完了。第二次バイパス開放――――完了。論理回路の形成に入ります。――――形成中――――完了。』

 頭の中で、繰り返し誰かの声と報告が繰り返される。
 俺はゆっくりとルナから唇を離そうとしたのだが、体が動かなかった。
 と言うより、俺の感覚が完全に消失したような印象を受ける。
 もちろん、目を開ける事も出来ず、その報告を聞くだけの時間が続く。

 この声は一体何なのだろうか? ちなみにその声は女性の声で、ちょっとキリッとした出来る人っぽい印象を受ける。
 先ほどから繰り返されているのは、何かのアナウンスのようだが、その声に生の質感を得る事ができない。
 まるで録音された声を再生するような機械的で、無機質な感じを受ける声だった。

『――バディ間のリンケージ――――構築完了。第二次精神防壁を開放――――コネクト。』

 その声が聞こえた瞬間、俺の頭の中に、ルナの思いが流れ込む。
 ルナの心には口づけをした際の余韻と、興奮、そして、この状況を俺がどう思うか? 嫌われないか? と言う様々な思いが渦巻いていた。
 そして、最も大きいものが、俺が好きだと言う至極単純で真っ直ぐな想いだった。

 俺はこんなにもこの子に愛されていたのか……と、改めて確認すると共に、それに答えてあげられていたかと、不安を覚える。
 そんな俺の心を敏感に感じ取ったのだろう。すぐに、満足していると言う心を返すルナ。
 伝わる心はまだクリアーなものではなく、ディーネちゃんとの心のふれあいをした時のような、強烈な一体感は無かったが、ルナの想いを今までに無いほど近くに感じ、俺は懐かしさと共に、愛しさを覚える。

『シンクロ率:52% 正常値で推移しています。――――第三次精神防壁を開放――――コネクト。』

 その声が聞こえた瞬間、(ツバサ!)と言う、ルナの声が心に響く。
 何事!?と、思うも、これが先ほどの開放だか、何だかの結果か? と推察する。
 ルナ?聞こえてるのか?

(うん! 聞こえてるよ!)

 なるほど……なんという便利な……。
 ディーネちゃんと同じように、心で会話できているんだな……。
 そうか、今まで一方的に読まれるだけだったが、聞く方はこんな感じか。

(ツバサの声が一杯だ! 嬉しいなー!)

 ああ、そうか。俺、あんまり声に出さないもんね。
 考えてから声に出す事が多いからな。
 ごめんなールナ。俺、色々考えちゃう人だから、五月蝿かったらすまん。

(そんな事無いよ! ルナ、色々なツバサの考えが知れて嬉しい!!)

 もう、この子本当に可愛い!この健気さで世界が救える気がする!

(むふー♪)

 と、俺の心を読んでか、ルナはご機嫌だった。
 俺達がそんなアホな会話を心の中で繰り広げていた間も、報告してくれている方は仕事をしていたようで、

『――――セーフティ解除――――最終ロック開放――――比翼システム、起動します。』

 と言う声と共に、俺の体の感覚が急速に戻ってくる。
 それと同時に、背中に何か違和感を覚える。と言うか……なんか熱い!?
 右肩甲骨の辺りから、熱い何かが勢い良く噴出しているような気がする。
 おいおい、俺の体のどこにそんなものがあるんだよ……。

 焦った俺が目を開くと、そこには、ルナの顔。
 !? 口付けしたままだった!?
 ルナも目を開き、お互いゆっくりと、顔を離す。

 は、恥ずかしい……恥ずかしいぞぉー!!!
 今更だが、なんだか凄く大胆な事をしていた事に気がつく。
 ルナも同じ想いらしく、(……! やー!)と、モジモジしていた。
 ああ、ルナだ。なんかルナだ。
 俺はその様子と、心の声を聞いて何となく懐かしさと嬉しさを覚える。
 そして、そんなルナをふと見て、思わず固まった。

 その背中……具体的には左肩甲骨の辺りから、白い粒子が勢い良く噴出しているのである。
 それは、偶然なのか、それとも意図されたものなのか、翼の様に見える。しかも、片翼しかない。
 その白い粒子の翼は、ルナの背丈の1.5倍くらいの大きさで、モジモジするルナに合わせてその形を変えていた。
 綺麗だ……。そんな陳腐な言葉しか浮かばない俺の語彙の無さを悔いる位、その非現実的な光景は美しかった。

(?)

 そんな俺の心を読み取ったのだろう。
 不思議そうに俺を見つめ、その目が俺に向けられ、その背中に固定される。

(ツバサ……綺麗……ツバサの翼、綺麗でカッコいいよ!!黒いの!!)

 何です? 何かの駄洒落だじゃれ? と、俺はルナの視線を追い、俺の背中から生える黒い粒子の翼を見て固まった。
 首の稼動域的に先っぽしか見えないが、確かにルナに付いている様な粒子の翼が俺にもあった。

 なるほど……比翼システムね。比翼の鳥か。
 俺は、その由来に納得をする。
 この羽がそもそも何なのか、そのシステムがどういうものか分からないが、この姿が名前の由来だろう。
 俺は一人納得すると、いろいろな疑問が次から次へと頭の中に浮かびだす。
 そもそも、なんなんだ?このシステムとやら。
 先ほどの声といい、妙にSFチックなのだが……ここは剣と魔法の異世界ではないのだろうか?
 そう思った瞬間、またも声が響き、俺の視界が変化する。

『比翼システム……稼動完了――――臨界点へのカウントダウンを開始します。』

 効果音と共に、円形のタイマーのようなものが俺の視界の端に浮かぶ。
 ピザを綺麗に等分したように、その円は細かく区切れられていて、その円の真ん中に532と書いてある。
 ピッと言う音と共に、そのピザの欠片がひとつ消え、真ん中の数字が531に変わる。

 なんですとーー!? なんか物騒な言葉が聞こえたー!?
 何その臨界点って!? ちょっと、まさか、キャンセル無しの一方通行の片道切符って落ちじゃないよね!?

『……解答いたします。 キャンセルは可能です。臨界点を超えた場合、システムが強制的に停止されます。その際、生命の保証はしかねます。臨界点を超えなければ問題はありません。』

 俺のそんな焦った声に、先ほどまで無機質に報告だけをしていた声が答えた。
 おう……まさか答えてもらえると思ってなかったからビックリした。
 そんな貴女様はどちら様でしょうかね?

『……解答いたします。私は、情操教育支援OS【Cultivation-of-aesthetic-sensitivity support OS】のコティと申します。』

(コティは、ルナが名前をつけたんだよ!)

 ああ、なるほど。発音から取ったのかな?
 まぁ、無粋な事は思うまい……。
 って、ちげーよ!!そもそも異世界でなんで、システム!?

『その質問には解答できません。秘匿情報に抵触いたします。情報開示には、ルート権限および、第一級監査官の承認が必要です。』

 ぐっは……一気にSFとお役所仕事が飛び込んできた。職務に忠実ですね、コティさん!

『お褒め頂き、光栄です。』

 褒めてねーよ!?
 とか言っている間に、数字が減っていく事に気がついた俺は、とりあえず、疑問は棚上げにする。
 と、とりあえず、コティさん!この比翼システムって何なの!?

『その質問には解答できません。秘匿情報に抵触いたします。情報開示には、ルート権限および、第一級監査官の承認が必要です。』

 ちげぇーーー!? ぬぁー! 質問の仕方が悪かったのか!
 違うんだ! コティさん! このシステムのできる事は!?

『……解答いたします。特定のバディとリンクする事で、限界を超えた能力を発揮する事が可能です。現在の場合は、ルナ様と翼様のリンクにより、各能力の圧倒的な向上、及び、特別なフィールドが生成可能です。』

 能力の向上!? 特別なフィールド!? あの糞勇者のアンチマジックフィールドみたいな奴か!!
 コティさん! フィールド発生は可能? それで何が出来るの?
 時間の限られている俺は、捲くし立てるようにコティさんへと質問を投げかける。

『……解答いたします。ルナ様と翼様の現在の想いより発生するフィールドは、innocentイノセントです。現在の粒子濃度でしたら問題はありません。効果は、心の底から望んだ通りにフィールド内の全ての事象を改変します。』

 は?

『……再度、解答いたします。ルナ様と翼様の現在の想いより発生するフィールドは……。』

 いや、違くて!?
 今、なんか凄い、無茶苦茶な効果が聞こえたんだけど。
 何でも? 望んだとおりに? 回数は? できる事の制限は!?

『……解答いたします。粒子濃度により、改変できる事象に限界がございます。回数は特に制約はありません。消費するものもありません。』

 あ、あほか!? なんだそれ!? 事実上、ほぼ無敵じゃないか!?
 あ、もしかして……こんな事もできちゃう?
 俺はふと思いついた事を頭に思い浮かべる。

『……解答いたします。粒子濃度の圧縮により、可能です。濃度圧縮により展開範囲が半径100mに限定されます。圧縮に必要な時間を算出します――――計算中――――計算終了。必要時間は600秒です。』

 だぁー!? 駄目じゃん!?

『……解答いたします。現在の残り秒数では不可能ですが、残り時間100秒でバーストする事で、更に濃度圧縮を見込めます。その場合は、圧縮限界まで到達可能です。翼様のご希望の現象も再現可能です。ただし、2名が限界となります。』

 おおお!なんだか、わからないが出来るなら頼む!
 っと、ルナ、勝手に話進めてるけど良いか?

(うん! ツバサがやりたい様にやって!)

 俺はそんなルナの思いをありがたく受け取ると、コティさんにお願いする。
 コティさん! お願いします! フィールド発生してください!!

『……了解いたしました。フィールド innocentイノセント 展開します。』

 その瞬間、俺とルナを中心に、強大な力が放出されるのを感じた。
 それは森を白く染め上げ、広がっていく。
 ふと、勇者のほうを見ると、ディーネちゃんの水球が消失したのだろう。
 こちらに向かってニヤニヤとしながら歩いてきて、俺らの姿を認め、固まる。
 そして、その姿のまま、広がっていくフィールドに飲み込まれる。
 さぁ、いらっしゃいませ。地獄の一丁目へ。
 俺はニヤリと勇者に黒い笑みを向けたのだった。

 今まで森の中だったのに、俺の視界は今、白一色に統一されていた。
 よく見ると、何か線のようなものが見える。
 これは……三次元CG等を作るときに見る、線でできた世界の様だ。
 なんと言ったか……ワイヤーフレームだっけ?
 うろ覚えの知識を引っ張り出しながら、俺はいきなり変貌した世界を見渡す。
 これもフィールドの効果だろうか?
 そんな俺の疑問に、ルナが答える。

(この光景……ツバサに会う前の光景だ……。ルナ、ずっとこの森に住んでいたの。)

 俺はそんなルナの呟きにも似た言葉に、驚愕した。
 こんな寒々しい……無機質な世界に……?
 俺はそんなルナの心情を想像し、胸が痛む。
 こんな……こんな世界にいたらココロが死んでしまう。
 色も無く、ただ線のみで構成された世界。それは、あまりにも……あまりにも寂しい。

(うん。ルナも気付いてなかったけど……寂しかったんだと思う。けどね、ツバサが来て変わったの。ツバサと一緒にいられるようになったら、この世界じゃなくて色鮮やかな世界になったの。皆と一緒にいられるようになって、毎日が凄く楽しいの!! だから、ツバサ! ありがとう!!)

 ルナはそんな過去の事など気にしないかのように、喜びと感謝の心を俺に送ってくる。
 そうか。俺は少しでもルナの支えになれていたか。
 俺は、そんな事を知ることができて、単純ながらも嬉しさで心が満たされる思いだった。

 そうやってルナと見つめあいながら、心で会話をしていると、

「おい……! オッサン! 何人前でイチャイチャしてんだよ! 気持ち悪い羽まで生やしやがって!」

 と、叫びながら切りかかってくる。
 ああ、いたな……こんな奴。すっかり忘れてた。
 もう、色々いっぺんに起こり過ぎて、頭が一杯なんだよね。
 俺はとりあえず、願う。

 こいつの攻撃など効かない。

 勇者は俺が避けない事で、勝利を確信したのだろうか。
 ニヤケた顔のまま、直線に剣を俺に振り下ろす。
 その剣が俺に触れようとした瞬間……。

 剣が砕け散った。

 刀身が砕け散り、柄だけになった剣を構えたまま、呆然とする勇者。
 俺はそんな勇者を、興味を失った目で見る。
 哀れだな。道化ピエロな勇者よ。

「な、な、何で!? せ、聖剣だぞ!? くそ!!」

 そんな勇者の言葉を無視し、とりあえず、俺は何をすれば良いか考える。
 聖剣ってあるんだ?と、頭の片隅で考えていた。
 既に、勇者は脅威になりえない。

 まず、こいつのアンチマジックフィールドを解除した。
 そして、ついでに魔力を回復するように願う。
 その効果は絶大で、さっくりと全快した事が分かる。体が一気に軽くなった。
 これは……反則過ぎる……。酷いなこれ。
 ゲームなら完全にクソゲーの領域だぞ?
 ふと残り時間を確認すると、残り431だった。

 アンチマジックフィールドが、解除されたのがわかったのだろう。
 あからさまに、焦ったように目を回りにさ迷わせると、「何で! 何でだ!?」と、狂ったように呟く。
 勇者は焦ったように、俺から距離をとると、「くそ! これだけは使いたくなかったが!!」と、テンプレを披露してくれる。
 なんと言うか……いろんな意味で入り込んでるなぁ……。痛々しくて、笑えもしない。
 あ、そうだ。今のうちに、今井さんを確保しておこう。

 今井さん、こっちへ。

 そう思うだけで、今井さんが瞬間移動したように俺の前に現れる。
 ……そうきたか。歩いてくるとかより良いけどさ……。なんか、酷いな本当に。
 突然、自分の居場所が変わったのが分かったのだろう。
 戸惑ったように、周りをキョロキョロと見るような仕草をする。
 見えてないのだろうが、元来、染み付いた行動はそう簡単には変わらないのだろうな。
 俺の横にいきなり現れた今井さんのそんな様子を見て、何かの技を用意をしていたと思われる勇者が叫ぶ。

「お前!? 俺の断りもなしに!?」

 いや、必要ないでしょ?もう、お前には何も出来ないし。
 しかし、そんな俺の思いが届くはずも無く、勇者は懐から黒々とした小さな珠を取り出す。

「貴様! 裏切ったお前が悪い! 死ね!!」

 そう言って何かしようとする。
 ったく……幾らなんでもその台詞はいろいろな意味で酷い。

 させねーよ!

 そう思うだけで、それは現象として発現する。
 勇者の手にあった黒い珠と、今井さんの首についていた首輪が同時に砕ける。

「な!? んだと!?」

 俺はそんな勇者を見て、本当にどうしようもない気持ちで一杯になる。
 あっさりと、今井さんを殺そうとしやがった。
 まぁ、そういう奴だというのは何となく分かっていたが、同胞に対して、最後の一線は越えないかもしれないと淡い期待も抱いていたのだ。
 殺さなければ良いのかという訳でもないのだが、やはり命を奪うと言うのはまた、次元の違う話だと俺は思っていた。
 しかし、こいつは最後の一線も超えた。もう、俺にとってこいつは人ですらない。
 人を害する存在。すなわち、人類にとっての敵である。

 そんな勇者は、「くそそおおお!!」とか、叫びつつ、何か呪文のようなものを唱えている。
 いやー……さっきから見てるけど、それ時間かかりすぎだから。
 既に30秒は唱えているだろうか? 俺が本気でこいつを殺す気なら既に、1秒1回殺す事ができている。
 そして、俺はその間に、今井さんの傷と残った傷跡を治し、目を治し、今井さんだけでなく皆の呪縛を解き、何だか良く分からない頭に付いたサークレットも外した。
 ついでに、勇者の隷属能力をその根本から消し去るように願う。
 さっくりと、その力が通り、勇者からその能力が消え去ったのがわかる。

「え? え? ……先生?」

「うん! お久しぶり。なんだか……色々酷い目にあったようだけど……全然気がついてあげられなくてごめんな……。けど、もう大丈夫だからな?」

 今井さんは俺の顔を見て、そして、目が見えていると言う事実に驚き、自分の顔や体を触り、確かめ、また俺の顔を覗き込む。

「先生? 本当に? 目も、体も? なんで?」

「先生凄いだろ? 自分でもちょっとビックリ何だが、なんか出来ちゃったからさ。治してみた。」

「あ……あぁ……わ、私……わ、わたしぃーーー!!」

 俺は柔らかく微笑むと、

「今井さん、今まで良く頑張ったな……もう大丈夫だからな。」

 と、優しく語り掛ける。
 その顔を見た今井さんは、目に涙を浮かべると、そのまま俺に抱きついて泣きじゃくった。
 今井さんは色々無茶苦茶に叫びながら、俺に胸にしがみつき、泣き続ける。
 ごめん……本当に……何もしてやれなくて……ごめん……。
 俺は、その胸をえぐる泣き声を聞いて、そう心の中で謝り続けた。

 そんな俺達の空気を読まない勇者は、なんだか良く分からない叫び声を上げると、

「これで、終わりだぁぁぁあ!! 死ねぇえええええええ!!!」

 と、大技と思われる、魔法を繰り出してくる。
 その瞬間、強大な力の本流が、稲妻となって俺達を襲う。
 爆音、そして、立ち上る煙、その向こうで、勇者は高笑いしている。

「ハハハハハ! ざまぁみろ! 俺を! この勇者カオル様を馬鹿にするからだ!! アハハハハ…………は?」

 煙が晴れた後、平然と佇む俺と今井さん。
 本当にテンプレありがとうございますだよ!!
 今井さんは、嫌悪感を隠しもしない目で、勇者を睨んでいた。
 そりゃそうだろうな……何度も酷い目にあって、今も殺されかけて……。
 あ、そうだ。

 勇者の動きを封じる!

 そう願った瞬間、勇者は動けなくなる。
 焦ったような表情をするも、指ひとつ動かせない勇者。
 「な……なんだ!? これは!?」とか、良い声で叫ぶ勇者。
 そんな様子の勇者に満足すると、俺は今井さんに声をかける。

「今井さん。あの馬鹿に一発入れてきなよ。」

「はい?」

「いや、今まで色々と酷い事されているでしょ? 望むなら……だけど、一発ぶん殴ってきなさい。先生が許可します。」

 聖職者に有るまじき暴言を吐く俺。
 けど、実際、ここまでやられて許してやれとか、俺は言えない。
 塾講師である前に、俺は人間だ。人として許せない事もある。
 それに、むしろ、ここで殴ってスッキリした方が、双方にとって良いような気がする。

 しばし、逡巡するように視線をさ迷わせた後、しっかりと俺を見据え頷いた。
 俺はポンと、頭を柔らかく叩くと、「思い切り行って来い!」と、送り出す。
「はい!」と、何か去来した感情を胸に抱えたまま、今井さんは勇者へと向かって歩き出す。

「おお! お前!! おら! 助けろよ!! 俺を守れ!!」

 そう、叫ぶが今井さんが従う様子は無い。
 当たり前だ。もうお前の隷属は効かないよ。俺がその能力ごとお前から消したからさ。
 そんな汚く罵る勇者を、今井さんは冷たい目で見る。

「あなたは……私に、何をしたか覚えていますか?」

 そんな今井さんの声に、勇者は口汚く罵ることしかしない。

「んだよ!? しらねぇよ! 可愛がってやった俺に、何タメ口聞いてんだよ! おら、早く助けろよ!!」

 自分の立場がわかっているのだろう。怯えるように、虚勢を張る勇者は醜く惨めだった。
 そんな誠意の欠片も見えない言葉に、今井さんは怒りを隠しもせず、叫ぶ。

「あなたは……私の……体を何度も傷つけた。痛かった。けどそれよりも酷く傷つけられたのは、心。何度も私を貶めた。夜伽もさせられた。何度も体を汚された。私は、私は……絶対にあなたを許さない! 殺してやりたいくらい憎い!!!」

 そう言って、徐に、手を振り上げ、その頬に思い切り振り下ろした。
 何かが砕ける音と共に勇者がぶっ飛ぶ。地面に叩きつけられ、何度もバウンドし、地面を削って止まる。

「え? えええ!?」

 今井さんはその光景を呆然とした様子で見つめていた。
 まぁ、そりゃ平手打ちで、そんな大惨事になるとは思わないよね!

 俺は、今井さんにこっそりと身体強化を施していたのだ。
 しかも、勇者への憎悪とともに、その強化度合いが上がるようにした。
 いつもの俺の力では、他人の強化もできないが、フィールドのある今なら楽勝だ。
 願えば良いのだから。
 しかし、盛大に強化されているようだ。
 それだけ、勇者への憎しみが強いということなのだろう。

 対して、勇者にも保護をかけている。
 このフィールドの中では絶対に死ねない。
 死ぬ前に体が回復して、ギリギリ死ねない程度の状態を保つようにした。
 だから、俺は心配していなかった。死なないんだし。

 勇者は、今井さんの一発でピクピクと痙攣しているようだが、生きている。
 顔の骨やら体の骨が完全にバラバラだろうが、死ねないのだ。

 今井さんが困ったように俺を見てくるので、俺は大丈夫だと伝えておいた。
 納得はいかないようだが、とりあえず戻ってくる。

 さてと、ルナ?どうしたい?あいつ殴る?

(うん!)

 と、それはもう爽やかな心で、答えてきた。
 これからやる事は酷いのに、その事を全く感じさせないのが凄い。

 ルナは、軽い足取りで勇者に近寄っていくと、勇者を無造作に蹴り上げる。
 うお!? えげつない!?

「これは、レイリさんの分ね?」

 そう言うルナの顔は険しい。明らかに怒っていた。
 隠しもしない怒りの感情が、俺にも常に伝わってきていた。
 ルナはぶっ飛んだ勇者を見つめると、首をかしげる。

 ん?どうかしたのか?

 そんな俺の思いを感じ、ルナは心で語りかける。

(んー? 何か足りない気がするの。なんだろう?)

 その言葉を聞いて、俺は思わず、こう考えてしまった。
 勇者の反応がないからでは?と。
 思った後で、しまった!?と思うも、もう遅かった。

(あ、そっか!! ツバサ!! ありがと!!)

 そう心でお礼を言ってきたルナは、スキップしながら勇者へと近づいていった。
 俺は、そんなルナにどういたしまして……とも言えず、黙って見守ることしかできなかった。

 どうやら、ルナは勇者を治療したらしい。
 そうですよねぇ……元気じゃないと叫べませんしね。
 後ろから、
「これは……此花ちゃんの分!!」とか、聞こえてきた後で、轟音と絶叫が聞こえてくるわけで…。
 きっと、殴られて動けなくなるたびに回復させらているんだろうな。
 瀕死状態で殴られるのと、回復して殴られるのってどっちがきついんだろうな……。 

 とりあえず、俺は華麗にそんなバックミュージックを無視することにした。
 主に、精神衛生的な感じで。

 それから、ずっと勇者の絶叫とルナの叫び声は止まらない。
「これもツバサの……分!!!」と言う声と共に轟音が響く。

 ちなみに、ルナの言う俺の分は今ので100を越えたと思う。
 なんだかもう、俺は最後の仕上げだけしてれば良いかなーと思い始めていた。

 あれだけ、ボロクソにやられているのを見ると、お腹一杯である。
 あ、勇者が空に上がっていく。ルナに蹴飛ばされて。
 あ、ルナが瞬間移動で先回りした後、蹴りつけて地面に叩きつけた。
 七つの玉を探す、国民的アニメも真っ青な動きである。

 ルナは、俺とリンクしていることで、俺の技術と能力を引き継いで強化されているようだ。
 今なら、ゴウラさんや卯族の長老とフィールドの恩恵なしでも、サシでやっても負けないのではないか?
 更に余談だが、勇者の束縛はとっくのとうに解かれている。ルナの手によって。
 それでもあの様だ。何も出来ずに一方的になぶられている。

 あ、ルナが分身して、勇者を全方向からぶっ叩いている。
 そんな縦横無尽に楽しそうに笑いながら、勇者をフルボッコするルナを見て、俺はため息をつく。

 やっている本人は良いのかもしれないが、見ている方はかなり微妙な気持ちになると言うのをこの年になって改めて学んだ。
 人生、まだまだ勉強である。

 同じように、目の前で繰り広げられている、一方的な惨劇を、今井さんは、呆然とした顔で見つめていた。

 せっかく時間ができたし、これから話す事もできなくなるので、ルナに勇者の制裁はお任せして、彼女と今の内に話を進めておこうと思った。

「今井さん、いいかい?」

 俺の呼び掛けに、今井さんは、はっと我に返ると、俺の方を見つめ、「はい! 先生!」と、微笑む。

 良い子だ。俺には言えないくらい辛い思いをしただろうに、それ以上に強くなって、今ここにいる。
 今は、まだ救われたと言う実感の方が強くて、辛さを忘れられているだけだろうが。
 それでも、この子なら大丈夫だと思った。

「先生は最初、今井さんの記憶を消そうと思ったんだ。」

 突然の俺の言葉に、今井さんは、良くわからないと言う顔をする。

「きっと、今井さんは、先生には想像もつかない苦しい思いをしたのだと思う。だから、もし、辛いならそれを消しておこうと思ったんだ。」

 そんな風に言う、俺の言葉に思うところがあるのだろう。突然、険しい顔をして黙りこんでしまう。

「けどね、やめた。」

 俺はあっけらかんと言う。
 そんな俺の言葉を受けて、今井さんは、残念なような、不思議そうなそんな複雑な思いをのせた表情をする。

「俺はね、今井さん。君なら乗り越えられると確信している。多分、普通の人なら死んじゃいたい位、嫌な思いをしたのだろうけど、それでも君は今、ここにいる。それは、凄いことなんだよ?」

 今井さんは、きっと死を選んだこともあったはずだ。けど死にきれなかったのかもしれない。それでも、何があっても、生きている。
 今ここにいて、俺の話を聞いている。
 結果として、俺はこの子に出会うことができた。
 生きてくれていたからこそだ。

 今なら、俺の親の気持ちが良くわかる。
 まずは、生きていてほしい。
 例えそれが、ハッピーエンドじゃなくても、幸せになる確率がどんなに低くても、その先にしか未来はないのだ。

「わ、私、違います。流されて、回りに言われるままに何となくきちゃって……それで、こんな所にいるんです。私、先生の言うように強くありません。」

 その言葉に込められた思いは、深かった。
 恐らく、この異世界だけでなく、自分の生き方そのものを指しているのだろう事は、言われなくてもわかった。

 俺は一瞬、友人の鈴木君を思い出す。
 彼は、親に言われるままに、ずっと進路を決め、黙々と勉強し、そして、今や公務員様だ。
 俺から言わせれば、黙々と努力を続け、結果を出した勝ち組である。
 そんな彼が言っていた。「僕は選ぶことのできない人間だった。」と。

 選ぶことは確かに大事だ。
 だが、俺から言わせれば、彼は親の言うことを聞くことを選んだと言うことだろうと思っている。
 選んでいないのではない。自分でその事に気がついていないだけなのだ。
 だから、俺は彼も立派に選択したと思っている。
 しかし、彼の中では、その事が自分の中で引っ掛かっていたのだろう。

 彼は、自分で選択し、大都市の公務員ではなく地方へと就職した。
 俺はそんなもので良いと思っている。
 結果、彼は、三十路半ばにして悠々自適のスローライフを歩んでいる。
 俺からすれば理想の生き方だ。羨ましい限りである。
 俺が、そんな事を思って笑うと、今井さんは訝しげに俺を見る。

「ああ、すまん。同じ様なことを友人が言っていたのを思い出してね。それはそうと、今井さん、君は流されたと言っているが、それのどこが悪いんだい?先生は、そう言うのもありだと思うぞ?」

「え? だけど、私……自分のやりたいことも見つからないし、できることも何も無いし……。」

 そんな今井さんの素直な言葉に俺は笑顔になり、思わず今井さんの頭を撫でる。

「せ、先生?」

 おっと、しまった……この世界に来てから、抵抗がないからついつい……と思いつつ、俺は撫でるのをやめない。

「今井さん。今はそれで良いんだよ。ただ、興味があることはドンドンやりなさい。あ、人の迷惑にならない程度にね。だって、先生だってこの年になって、未だにやりたいことなんて見付かってないよ。こんなおっさんですらそうなんだ。若い今井さんなら、もっと色々できるさ。」

 今井さんは、俺に撫でられながら恥ずかしそうにしていたが、嫌ではないようで、首をすくめながらも、黙って撫でられていた。
 塾じゃこんなことできないからなぁ。
 女子の体とか触ったら一歩間違えれば即、解雇だし。
 絶対にこちらからは、触ることはしなかった。
 それは親の仕事なのだ。本来なら、教師のやる事ではない。

「なんだか……先生、変わりましたよね。」

 何故か少し、面白くなさそうに今井さんは言う。

「んー、先生もこっちに来て色々あったからなぁ。」

 そう言って、ここまでの事をなんとも無しに思い出す。
 何だかんだと色々あったが、楽しかった。
 それは俺が単に恵まれていたからなのだろう。
 今回の事で、色々と考えさせられる事も多い。

「先生。あの白い……女の子は、何ですか?」

 俺が懐かしさに浸っていると、斜め上の質問が来た。
 俺は、素敵な笑みを浮かべながら勇者をぶん殴っているルナをみて、苦笑しつつ答える。

「生徒兼、相棒兼、婚約者……かな?」

「!? せ、先生、結婚してるんですか!?」

 何故か身を乗り出し、迫るように詰問してくる今井さん。
 はて?こんなに積極的な子では無かったが……そう思い、首を降る。
 俺が変わったように、彼女も変わった。そういうことだろう。

「そうだなぁ。結婚したいなぁ。後3人いるけど。」

「3人!?」

 愕然としたように、今井さんは後ずさる。
 あー、そうですよね。こっちの感覚に慣れてくると気にならないけど、向こうの価値観ではそんなもんですよね。

「すまんなぁ。先生、こちらの世界にきて、何でかモテ期が到来したらしくてな。なんか気がついたらこうなった。先生も今井さんの事、偉そうに言えないな。流されまくってるよ。」

 俺はそう言いながら苦笑する。
 今井さんは何か真剣に考えるように、「先に好きになったのは……。」とか、
「ずるい……。」とか呟いていたが、おもむろに、顔をあげると、

「じゃ、じゃあ、先生!! 私も!!」

「だーめ。」

 と、一瞬で俺は却下する。
 絶望したように俺の顔を除きこむ今井さんに、言葉の続きを伝える。

「だって、今井さん。元の世界に戻れるし。」

「え?」

 そうなのだ。俺が、コティさんに確認したのは、彼女達が元の世界戻れるかどうかと言うことだった。
 異世界モノの通例としては、普通はダメっぽいか、かなりの努力が必要なのだが、なんか大丈夫らしい。

 ただ、自分自身は無理そうだ。
 まぁ、フィールド維持しないとダメだしな。そりゃそうだろ。

「と言うわけで、先生はここに残りますが、今井さんは、元の世界で頑張ってください。」

 あっさりと帰還を告げる俺に、今井さんの視線が突き刺さる。

「戻れる……んですか?」

「うん。先生が戻します。心配せず、泥舟に乗った気持ちで構えてなさい。」

「沈んじゃいますよ?それ。」

「きっと、凄い泥なんだよ。」

「なんですかーそれー。」

 クスクスと笑う今井さんを、俺は眩しそうに見つめる。
 その時、警告音と共に、コティさんより声がかかる。

『臨界点まで、後100秒。――――バーストモードに移行。バーストを開始します。』

 ふと、タイマーを見ると、100を切って99。
 と思ったとたんに、視界がとってもデンジャラスな表示に変わる。
 こう、赤い警告色が、眼の端にチラチラする感じだ。
 タイマーも、表示が拡大され、ピザの欠片の大きさが100個に等分されていた。色は今は青。
 だが時間が進むたびに、色が赤に近づいていくようだ。
 見るからに限界!! と言う感じである。

 そして、バースト開始と同時に、俺とルナの翼が拡大する。
 俺の身長を遥かに超え、木々まで届く勢いだ。
 なんか、飛べそうだけど、噴射圧も質量も無いなぁ……残念。
 と、何か間違った方向に思考がそれる。
 周りを見渡すと、キラキラと光る粒子が空間に満ちていた。
 その光は幻想的で、だからこそ、何でも出来てしまいそうなそんな不思議な感覚を覚える。

 その翼を見て、今井さんが、「先生……それ……。」と、俺の翼に見とれる。

「今井さん、負けるんじゃないぞ? 色々あるだろうが……君ならちゃんと進めるからな!」

 そういうと、俺は、勇者のぶっ倒れてる所に脚を向ける。
 後ろから今井さんが着いて来る気配があるが、今は振り向かない。
 ルナ! そろそろ時間だ。もう良いね?

(うん! たっぷり仕返ししたよ!)

 と、満面の笑みで、ルナが戻ってくる。
 俺は苦笑しながら、ルナの頭を撫でると、勇者の前に立つ。
 一応、体に傷は無い。ルナが治したのだろう。服はボロボロだが。
 勇者は、すっかりと怯えたように、「ぶ、ぶたないで……ごめんなさい……。」と、体を震わせていた。
 どうやら勇者は動けない様だ。ルナが束縛しているのだろう。まぁ、動けても、もはや何も出来ないと思うが。
 しかし……全く、痛い目に合った途端にそれか……調子の良い事だ。
 俺は、嘆息すると、勇者の肩を掴み、語りかける。

「おい、勇者様。圧倒的に強いものに虐げられた気分はどうだ?」

「あああ、ご、ごめん、なさいぃ……。」

 俺は勇者の肩を掴んだ手に、力を込める。
 こいつは……本当に……!!!!

「俺は……大人だからな。子供のした事にしては、酷いものだが、子供は子供だ。一回だけチャンスをやる。」

 その言葉に、勇者は、驚いたように顔を上げ、ヘラヘラと笑い始める。
 俺はその、吐き気のする作り笑いを無視して告げる。

「お前を……元の世界に返す。」

 その瞬間、勇者の顔に絶望が広がった。

「悪いと思うなら、元の世界で、立派な人間になって、沢山の人に優しくして見ろ。それが俺からの罰だ。」

 コイツは元の世界からの鬱屈うっくつを発散する形でああなったのは、想像に難くない。
 と言う事は、コイツにとって、元の世界は地獄に等しいはずだ。
 絶対に戻りたくないだろう。だが、俺は戻す。それが俺の考えた、こいつに対する最大の罰だ。
 俺のそんな言葉を受け入れられないかのように頭を抱えると、必死に、俺に対して、謝り始める。

「ああああ、ごめんなさい! もう、しないからな! な? 嫌だ! ごめんなさい! すいませんでした!」

 そんな風に、卑屈に謝り始める勇者を、俺は侮蔑のこもった目で、見下ろすと、俺は言葉を吐く。

「勇者さんよ……お前……誰に謝ってるんだ?」

 そんな俺の言葉を「え?」と呟くように声を出しながら、受け止める。

「お前さ……相手の顔を思い描きながら謝って無いだろ? ごめんなさいって言えばどうにかなるって思ってない? 元々さ……謝るって言う行為自体、自分の為なんだよ。誰の為でもない、自分が許してもらう為にするんだよ。なのにさ……お前、誰に許されたいと思ってるの? 思ってないだろ? ただ、その場を切り抜けようと必死なだけだろ? 軽いんだよ。お前のその謝罪。」

 そんな俺の言葉に、勇者は何故か逆ギレする。

「なんだよ!? じゃあどうしろって言うんだよ! ふざけんなよ! 謝ってんじゃんか!!」

 俺はその勇者の言葉を聞いて、ため息をつく。

「その態度でさ……許してもらう気があるって、他人に思ってもらえる方がおかしいよな? 自分がやられて嫌だって思うことを他の人にしない事ぐらい、基本中の基本だろ? 今のお前の対応を自分がやられた時、お前、そいつを許せるのかよ?」

 そういうと、勇者は悔しそうに俺を睨む。
 駄目だこれは。俺には無理だわ。
 と言うか、俺にその気がどうしても起こらない。
 一応、最低限の事は伝えた。後は知らん。

『臨界点まで、後60秒。――――バーストモード……最終段階に入ります。プロトコル装填。カウントダウンを開始します。残り15秒で、オーバーブースト状態に入ります。』

 コティさんの声が響き、それと同時に、俺達の翼が更に大きく大きくなっていく。

『――――ユグドラシルシステムに接続――――リンケージ――――完了。強制帰還プログラムを対象者に構築中――――完了。』

 コティさんの声と同時に、『29・28……』とカウントダウンの声が重なる。
 俺は無意識に、ルナに手を伸ばし、ルナも俺に手を伸ばす。
 伸ばされた手と手が、お互いの望むものに到達した瞬間、翼から出る粒子が爆発的に増える。
 ぬおぉ!? き、きつい!? 何か分からんけど、体から無理やり何かを搾り出してるようなそんな感じだ。
 見ると、ルナも眉をしかめて、必死に耐えてくれている。
 俺の我が侭に付き合わせてしまって、申し訳ないなぁと思うと、ルナはこちらを向き、花の咲くように微笑んだ。

 ふと見ると、今井さんは心配そうに俺達に視線を向けている。
 俺は微笑むと、今井さんに言葉をかける。

「今井さん。向こうに戻ったら、記憶喪失の振りをした方が良い。この世界の事は多分、真面目に話しても取り合ってもらえない。逆に、この世界の事や、何か困ったことが起きたら、俺の妹……『佐藤 春香はるか』を頼りなさい。あいつなら絶対に力になってくれるから。」

 そして、俺は、心の中で今井さんに、ある秘密の言葉を伝える。
 春香が今井さんの話を疑ったときに、絶対に俺の言葉と分かる、魔法の言葉だ。
 まだ、フィールドの効果は有効だったようで、それはしっかりと今井さんに伝わったようだ。
 今井さんは、泣きながら、それでもしっかりと頷いた。

『16……15……オーバーブースト! 強制帰還プログラム作動。 ユグドラシルシステムにハッキングを開始します。―――――――完了。』

 轟音と共に、俺達の翼が天を突く。
 既に、俺はルナの手を握って耐えるので精一杯だったりした。
 なんか凄い物騒な言葉が聞こえたような気がするが……いや、クラッキングじゃないから良しとしよう。
 とりあえず、2人……せめて今井さんだけでも帰れるならそれでいい!

「今井さん……志望校、合格しろよ! 台車の問題、気をつけてな!!」

 そんな俺の言葉に、今井さんは驚くと、泣きそうな顔を無理やり、笑顔にして、

「先生……ありがとうございました!!」

 そう、深々と礼をした。

『強制帰還まで、後、5……4……3……2……1……アクティブ!』

 その瞬間、視界が真っ白に染まり、次いで、光の帯が空へと昇っていくのが見えた。

『ブースト解除! 比翼システム強制ダウン。冷却開始――――――――――――――完了。』

 俺は、フラフラになりながら、ルナと顔を見合わせる。
 どうやら成功だろう……。俺達は力尽きたように、そのまま地面に倒れこむ。

 遠くから、誰かが俺達を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、俺は落ちるように意識を失っていった。
 繋いだ手から、伝わるルナの温もりが、心地よかったと感じたのが最後の記憶だった。

 その日、その瞬間。森の獣人達は白と黒の1対の光の翼が、天に突き刺さるように、広がるのを見た。
 その翼は、森を守る結界を傷つける事無く裂き、空に穴を空け、光の珠2つを誘ったと言われている。
 後世、獣人族たちに長く語り継がれることになる、奇跡の光景だったらしい。
 その名を皆、畏敬の念を込めて、こう読んだ。

 比翼の鳥と……。

 俺がその事を聞くのは、ルカール村でなのだが、それは俺達が目を覚ましてから、数ヶ月後の話だった。

【比翼の鳥 翼の章 第一章 了】

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