比翼の鳥
第2話 代償
目を覚ますと、既に日は落ち、魔法により作り出された弱々しい明かりが、部屋の中を物寂しく照らしていた。
自分の体の状態を、再度確認する。
相変わらず体は重く、長期戦を覚悟しなければならない程、改善の兆しはこれっぽっちも見えなかった。
まいったな……。
俺は、そんな気持ちの詰まった、ため息を吐く。
ふと、足に重みを感じ、視線をめぐらせようとしたが、上手く行かない。
重さと感触的に、恐らくは此花と咲耶だろうか。
そして、視線を感じそちらに目を向けると、ルナが微笑んでこちらを見ていた。
腕を伸ばせば届きそうで届かないだろう、そんな微妙な位置にルナは鎮座している。
その姿を見て、俺は違和感を感じた。
何だ? 変だ……。そう、変なのだ。
ルナは俺が目を覚ました事を、理解している。
そう、理解しているはずだ。
なのに……何故……声をかけないのだ?
考えてみれば、俺が先程も起きてから、ルナは一言も声を発していない。
まさか……声が……出ない?
「ルナ、もしかして……君は……。」
俺は、焦りを胸の奥に押し込めつつ、静かにそこに鎮座し、見守るルナに声をかける。
ルナは寂しそうに微笑むと、頷いた。
「そうか……それがルナの代償か……。」
俺が呆然と呟いたその言葉に、またも頷くルナ。
そして、そのふっくらとした唇から、心を震わせるような綺麗な声が、皆を笑顔に出来るであろう歌が聞けないことに、無念さが心の底から沸きあがり、俺の胸を満たした。
俺は衝動的に謝ろうとして……ルナの微笑みを見て、出かかった言葉を飲み込んだ。
ルナは後悔していない。俺も後悔していない。
そこに謝罪は必要無い。誰のために謝るのだ? 俺の為ではないか。
俺が楽になるために、謝罪の言葉をルナにぶつけるのは間違っている。
ルナから視線を外すと、俺は天井を見上げ、深く息を吐き出した。
そして、考えをまとめるために、頭をフル回転させる。
倦怠感が酷く、体こそ動かないものの、先程のような頭に霞かかった様な感覚は無く、思考はスムーズに進んだ。
想像以上に、比翼の後遺症は大きいものだった。
俺も、暫く動けないだろうし、ルナは声を失っている。
どういう理屈なんだろうか? ルナの声は元に戻るのだろうか?
俺が動けなくなるのはまだ良い。それは、俺自身の行動により降りかかった代償だ。受け入れられる。
しかし、俺の願いを叶えるためにルナの声が失われる事は、黙って受け入れられる事ではないのだ。
ふと、比翼中にサポートしてくれたコティさんを思い出す。
あの人……いや、正確には人ではないのかもしれないが……は、ルナと常に話しを出来ているようだった。
自身の事を、情操教育支援OSと言っていた。
話をそのまま鵜呑みにするならば、システムと言う事になる。
確かに、言動も行動も、システムと言われても頷いてしまうだろう、見事なものだった。
ただ、言葉の端々に、感情を感じさせる物を感じたのは俺の気のせいなのだろうか?
そしてそんなコティさんの仕事は……情操教育。つまるところ、俺達の学校の授業で言うなら道徳だ。
正確に言えばその支援らしいのだが……。
広い意味で言えば、情を育み、心を育てる。
つまりは、その人の心の形を作る教育と言っても良い。
それは、その人がその人たる自我の形成を助け、その人がより良く人間社会に適応できるように、価値観を形成するものだ。
何ともなしに、納得する。
ルナの成長速度は異常だった。
たかだか数ヶ月で、幼児の思考だったそれは、今や成人に近い域へと達しようとしているのがわかる。
ひとえに、コティさんの存在あっての事なのだろう。
ならば、そんなコティさんだったら、この状況を打開する術を持っていないだろうか?
もしくは、どのような状況なのか教えてもらえないだろうか?
「ルナ。俺達が比翼を使った時にサポートしてくれた、コティさんとは今話せるかな? ちょっと聞きたい事があるんだけど。」
俺の言葉に、ルナは残念そうに首を振る。
そうか、コティさんは何らかの理由でお隠れ中か? あれだけの大規模な術式……と言って良いのかも分からない物をサポートしたのだ。俺達と同じように、ダメージをおっていてもおかしくないか。
結局のところ、今は手詰まり……か。
俺が考えに沈んでいると、ルナがスッと音も無く、俺の手を優しく抱き上げ、その手のひらをくすぐる。
いきなり訳が分からない……。
そう思ったのも一瞬で、俺が顔をしかめているのが分かったのか、今度はゆっくりと手のひらを、ルナの人差し指でなぞり始める。
その軌跡は、何か意味のあるもので……これは、文字?
俺の顔を覗き込みながら手のひらに必死に文字を書いていたルナは、俺の表情を見て、理解した事を悟ったのだろう。
嬉しそうに、文字を手のひらに書き始める。
だ……い……じ……よ……う……ぶ……。
大丈夫。
ルナはそう伝えていたのだ。
「ああ、そうだな。大丈夫だ。これ位の事で、絶望もしないし負けていられる時間も無いよ。ありがとう……ルナ。」
俺は声に出して、そう伝えた。
嬉しそうに微笑むルナは、続けて俺の手に文字を書き始めた。
そうして、俺達の不思議な会話は、明け方まで続いたのだった。
体こそ動かないものの、俺の思考がハッキリとしていたのは、幸いだった。
倦怠感はあるものの、思考を止めるまでには至らないそれを、俺は意思の力で押さえつける。
俺は、次の日、レイリさんやわが子達やルナに甲斐甲斐しく世話をされつつも、指示を飛ばしていく。
流石に……この年で、「あーん!」とかされるのは、非常に……心を軋ませるものがあったが……どうにか、堪える。
排泄の無い世界で本当に良かった。レイリさんが喜々として下の世話をする姿が、容易に想像できる。
俺は、良く分からないこの世界のあり方に改めて感謝すると、子族、猫族、狸族の長老達と会議を行っていた。
幸いな事に、あれ程の大騒ぎにも関わらず、死者はいなかった。
あの勇者の性格ならば、戯れに何人か手をかけていてもおかしくないと思ったのだが、そういう事も無かったらしい。
むしろ、勇者の姿を見たものが誰もいなかった辺り、結構チキンに後方から何かしているだけだったのだろう。
何となく、想像のつく構図だったため、俺は突っ込みもせず、そのまま流す。
問題は、この森に人族の進入を許したと言う事だ。
恐らくは、今井さんの能力に頼った、様子見の作戦だったのだろう。
もしそうならば、俺の取った選択肢は確実に功を奏しているはずだ。
情報を持っている2人は、この世界からは手の届かないところに送ってやった。
これで、暫くの間は、俺達の動きを察知できないはずである。
まぁ、カメラみたいな機能をする魔法で2人の行動を覗き見されていたり、他の人員も侵入していたらお手上げだが。
そんな特殊な術式は、気付かなかったので多分大丈夫だろう。
なので、まず、後顧の憂いの無いように、この森の探索を密に行う事を決めた。
もし、人族が侵入していたら、即刻排除し、対策を練らなくてはならない。
同様に森の入り口に当たる、森の切れ端部分を観測する必要もありそうだ。
そうなると、観測用の施設やらが必要となるわけで……その辺りを中心に皆で話し合った。
森の探索には、猫族と子族が全面的に協力してくれる事になり、早くも人員を選抜し始めていた。
そちらは、ラッテさんとレイリさんをはじめ、各氏族の族長に任せる事にした。
森林辺縁部での人族監視だが、こちらは、狸族が名乗りを上げてくれた。
どうやら、狸族は姿を消す事に長けているらしく、そう簡単には発見されないと、長老が得意そうに話していた。
なんだったら、森の入り口近くに里を構えて、常駐しても良いとまで言ってくれていたのだが……。
それは、今後の動向次第では、真っ先に戦場になる恐れがあるため、まずは様子見と言う事で、人員を選抜して辺縁部の監視をお願いする事にした。
此花と咲耶には、先程、ルカール村への伝達を任せた。
『鳥の姿でしたら、ひとっ飛びです! お任せあれ!』
『お父様。ちゃんと皆様に伝えてきますので、ゆっくり休んでくださいね?』
自分にもできる事があると分かった2人は、やる気満々だった。
やはり、勇者と戦った時の事が2人の心に、重石のように居座っていたのだろう。
それはそうだ。そんな簡単に、嫌な事を頭から追い出せる訳が無い。
だからこそ、俺は2人に役目を追わせたかった。
こういう時は何も考えず、必死に何かに打ち込むのが良いと、俺は経験から知っていたからだ。
本当ならルナにお願いしたいところだったのだが、今の状況ではルナ一人で行かせても、余計に皆を混乱させるだけだろうし、何より、俺の近くに置いておきたかったと言う、俺自身の我が侭な気持ちもあった。
コティさんが、話せるようになったら聞きたい事が山ほどある事もある。
しゃべれないルナに対して、少しでも近くにいたいと言う思いもある。
ちなみに、堕ちた精霊に憑かれていた人々は、皆が既に、動けるほどには回復しているようで、今は、復興に向けて、各々が動き回っているとの事だ。
後遺症が心配だったがそういう事は無いとの事。
対処が早かったのが、良い方向に働いたのだろう。
後3日遅れていたら、どうなっていたのか考えたくも無い。
ゾンビのような各氏族に襲われるルカール村……最悪である。
だからこそ、そんな事を二度と起こさせない為にも……俺も独自でやれる事をやることにする。
まず、魔法を開発しなくてはならない。
特に、皆に連絡を出来るような魔法の開発。
そして、次に空間に干渉する魔法の開発。
更には、勇者がやってきたような魔法を封じられた時に備えて、対策をする事。
やる事は沢山だ。幸い、起き上がる事もできないので、考える時間は幾らでもある。
魔法の行使についても、特に問題は無い。
飛行魔法を使えば、擬似的に立ち上がる事も可能だし、移動もできるが、いい機会だから少し腰をすえて本格的に行うことにした。
そんな様子の俺を、ルナは何故かとても嬉しそうに微笑みながら見守っていた。
俺も、そんなルナの様子を見ながらも、時にルナの意見も聞きながら、魔法開発に力を入れたのだった。
それから1ヵ月。
俺は床から、体を起こす位までは出来るようになっていた。
何とか、徐々にではあるが、回復しているようだ。
しかし……ルナの声は依然として戻らなかった。
コティさんも、相変わらず音信不通のようだ。
もしかすると、その事と何か関係があるのかもしれない。
わが子達は、その間、何度かルカール村と、ここ……子族の村を往復してもらい、連絡係として活躍してもらっている。
本当であれば、手紙でも書きたいところだが、残念ながらルカール村には文字を読める人がいない。
ならばと、日本語を教えることにした。
講師は、わが子達だ。
流石は精霊。良く分からないが、俺の知識を受け継いだのだろうか?
当たり前のように日本語を習得していた。
正直、日本語で良いのか? と思ったのだが、どうせ文字がない環境だ。
深く考えず、そのまま教えることにした。
まずは、宇迦之さんとリリーをはじめ、長老達に優先的に習得してもらうことに決める。
わが子達は、俺の元に返ってくる度に、宇迦之さんが、「ぬ」が書けなくて、イライラしていたとか、リリーは意外と物覚えが速く、ひらがなをマスターした等、楽しそうに報告してくれた。
そして、皆が書いた手紙を見て、俺は微笑みながら、容赦なく添削し、それをまた、わが子達が嬉しそうに運んでいくのだ。
ちなみに、紙を作ろうと試行錯誤した時期もあったのだが、代用品が見つかっている為、今は保留してある。
それは、最近発見された木で、黒い幹に大きな葉っぱをもつ物で、背丈は男性の獣人の背よりやや大きい位らしい。
その葉っぱを乾かすと、薄く階層構造になって、簡単に一枚一枚剥がれる様になるそうだ。
それが、中々に書き心地の良い物なので、そのまま使っている。
今は墨を成形して、ちょっとしたペンのような形にした物で書いているが、その内、筆や墨汁、更に鉛筆のようなものも作りたいなぁと、密かに画策している。
ちなみに、その木の実は、とても固く、石すら割れるほど固い実なのだが、煮ると柔らかくなり、糸のような物になる様だ。
その中に、小さな種が入っており、それは計画的に栽培し、耕作するように指示をしておいた。
そんな実から取れた糸っぽい何かを、試しに撚り、更に生地を作ってみたようなのだが……凄い物になった。
絹のように、艶やかで手触りの感触が素晴らしい物なのだ。
しかも、それは、刃物を通さない程の強度を持っていた。
じゃあ、どうやって加工するのかと言えば、濡らして熱を持った刃物で切ると、あっさりと切れるようなのだ。
流石の異世界。良く分からない物があるものである。
他にも、ここ最近、森の様子を探ってくれている猫族や子族から、次々と役に立つものが見つかっていると報告を受けているのだが、今は割愛する。
そんな一ヶ月の間に、色々な事が進み、そして、新しいものが次々と見つかる中……。
「ティガが……!! ティガが出たぞぉ!!」
と言う、村人の叫び声で、俺は、家族達が痺れを切らしたことを知ったのだった。
自分の体の状態を、再度確認する。
相変わらず体は重く、長期戦を覚悟しなければならない程、改善の兆しはこれっぽっちも見えなかった。
まいったな……。
俺は、そんな気持ちの詰まった、ため息を吐く。
ふと、足に重みを感じ、視線をめぐらせようとしたが、上手く行かない。
重さと感触的に、恐らくは此花と咲耶だろうか。
そして、視線を感じそちらに目を向けると、ルナが微笑んでこちらを見ていた。
腕を伸ばせば届きそうで届かないだろう、そんな微妙な位置にルナは鎮座している。
その姿を見て、俺は違和感を感じた。
何だ? 変だ……。そう、変なのだ。
ルナは俺が目を覚ました事を、理解している。
そう、理解しているはずだ。
なのに……何故……声をかけないのだ?
考えてみれば、俺が先程も起きてから、ルナは一言も声を発していない。
まさか……声が……出ない?
「ルナ、もしかして……君は……。」
俺は、焦りを胸の奥に押し込めつつ、静かにそこに鎮座し、見守るルナに声をかける。
ルナは寂しそうに微笑むと、頷いた。
「そうか……それがルナの代償か……。」
俺が呆然と呟いたその言葉に、またも頷くルナ。
そして、そのふっくらとした唇から、心を震わせるような綺麗な声が、皆を笑顔に出来るであろう歌が聞けないことに、無念さが心の底から沸きあがり、俺の胸を満たした。
俺は衝動的に謝ろうとして……ルナの微笑みを見て、出かかった言葉を飲み込んだ。
ルナは後悔していない。俺も後悔していない。
そこに謝罪は必要無い。誰のために謝るのだ? 俺の為ではないか。
俺が楽になるために、謝罪の言葉をルナにぶつけるのは間違っている。
ルナから視線を外すと、俺は天井を見上げ、深く息を吐き出した。
そして、考えをまとめるために、頭をフル回転させる。
倦怠感が酷く、体こそ動かないものの、先程のような頭に霞かかった様な感覚は無く、思考はスムーズに進んだ。
想像以上に、比翼の後遺症は大きいものだった。
俺も、暫く動けないだろうし、ルナは声を失っている。
どういう理屈なんだろうか? ルナの声は元に戻るのだろうか?
俺が動けなくなるのはまだ良い。それは、俺自身の行動により降りかかった代償だ。受け入れられる。
しかし、俺の願いを叶えるためにルナの声が失われる事は、黙って受け入れられる事ではないのだ。
ふと、比翼中にサポートしてくれたコティさんを思い出す。
あの人……いや、正確には人ではないのかもしれないが……は、ルナと常に話しを出来ているようだった。
自身の事を、情操教育支援OSと言っていた。
話をそのまま鵜呑みにするならば、システムと言う事になる。
確かに、言動も行動も、システムと言われても頷いてしまうだろう、見事なものだった。
ただ、言葉の端々に、感情を感じさせる物を感じたのは俺の気のせいなのだろうか?
そしてそんなコティさんの仕事は……情操教育。つまるところ、俺達の学校の授業で言うなら道徳だ。
正確に言えばその支援らしいのだが……。
広い意味で言えば、情を育み、心を育てる。
つまりは、その人の心の形を作る教育と言っても良い。
それは、その人がその人たる自我の形成を助け、その人がより良く人間社会に適応できるように、価値観を形成するものだ。
何ともなしに、納得する。
ルナの成長速度は異常だった。
たかだか数ヶ月で、幼児の思考だったそれは、今や成人に近い域へと達しようとしているのがわかる。
ひとえに、コティさんの存在あっての事なのだろう。
ならば、そんなコティさんだったら、この状況を打開する術を持っていないだろうか?
もしくは、どのような状況なのか教えてもらえないだろうか?
「ルナ。俺達が比翼を使った時にサポートしてくれた、コティさんとは今話せるかな? ちょっと聞きたい事があるんだけど。」
俺の言葉に、ルナは残念そうに首を振る。
そうか、コティさんは何らかの理由でお隠れ中か? あれだけの大規模な術式……と言って良いのかも分からない物をサポートしたのだ。俺達と同じように、ダメージをおっていてもおかしくないか。
結局のところ、今は手詰まり……か。
俺が考えに沈んでいると、ルナがスッと音も無く、俺の手を優しく抱き上げ、その手のひらをくすぐる。
いきなり訳が分からない……。
そう思ったのも一瞬で、俺が顔をしかめているのが分かったのか、今度はゆっくりと手のひらを、ルナの人差し指でなぞり始める。
その軌跡は、何か意味のあるもので……これは、文字?
俺の顔を覗き込みながら手のひらに必死に文字を書いていたルナは、俺の表情を見て、理解した事を悟ったのだろう。
嬉しそうに、文字を手のひらに書き始める。
だ……い……じ……よ……う……ぶ……。
大丈夫。
ルナはそう伝えていたのだ。
「ああ、そうだな。大丈夫だ。これ位の事で、絶望もしないし負けていられる時間も無いよ。ありがとう……ルナ。」
俺は声に出して、そう伝えた。
嬉しそうに微笑むルナは、続けて俺の手に文字を書き始めた。
そうして、俺達の不思議な会話は、明け方まで続いたのだった。
体こそ動かないものの、俺の思考がハッキリとしていたのは、幸いだった。
倦怠感はあるものの、思考を止めるまでには至らないそれを、俺は意思の力で押さえつける。
俺は、次の日、レイリさんやわが子達やルナに甲斐甲斐しく世話をされつつも、指示を飛ばしていく。
流石に……この年で、「あーん!」とかされるのは、非常に……心を軋ませるものがあったが……どうにか、堪える。
排泄の無い世界で本当に良かった。レイリさんが喜々として下の世話をする姿が、容易に想像できる。
俺は、良く分からないこの世界のあり方に改めて感謝すると、子族、猫族、狸族の長老達と会議を行っていた。
幸いな事に、あれ程の大騒ぎにも関わらず、死者はいなかった。
あの勇者の性格ならば、戯れに何人か手をかけていてもおかしくないと思ったのだが、そういう事も無かったらしい。
むしろ、勇者の姿を見たものが誰もいなかった辺り、結構チキンに後方から何かしているだけだったのだろう。
何となく、想像のつく構図だったため、俺は突っ込みもせず、そのまま流す。
問題は、この森に人族の進入を許したと言う事だ。
恐らくは、今井さんの能力に頼った、様子見の作戦だったのだろう。
もしそうならば、俺の取った選択肢は確実に功を奏しているはずだ。
情報を持っている2人は、この世界からは手の届かないところに送ってやった。
これで、暫くの間は、俺達の動きを察知できないはずである。
まぁ、カメラみたいな機能をする魔法で2人の行動を覗き見されていたり、他の人員も侵入していたらお手上げだが。
そんな特殊な術式は、気付かなかったので多分大丈夫だろう。
なので、まず、後顧の憂いの無いように、この森の探索を密に行う事を決めた。
もし、人族が侵入していたら、即刻排除し、対策を練らなくてはならない。
同様に森の入り口に当たる、森の切れ端部分を観測する必要もありそうだ。
そうなると、観測用の施設やらが必要となるわけで……その辺りを中心に皆で話し合った。
森の探索には、猫族と子族が全面的に協力してくれる事になり、早くも人員を選抜し始めていた。
そちらは、ラッテさんとレイリさんをはじめ、各氏族の族長に任せる事にした。
森林辺縁部での人族監視だが、こちらは、狸族が名乗りを上げてくれた。
どうやら、狸族は姿を消す事に長けているらしく、そう簡単には発見されないと、長老が得意そうに話していた。
なんだったら、森の入り口近くに里を構えて、常駐しても良いとまで言ってくれていたのだが……。
それは、今後の動向次第では、真っ先に戦場になる恐れがあるため、まずは様子見と言う事で、人員を選抜して辺縁部の監視をお願いする事にした。
此花と咲耶には、先程、ルカール村への伝達を任せた。
『鳥の姿でしたら、ひとっ飛びです! お任せあれ!』
『お父様。ちゃんと皆様に伝えてきますので、ゆっくり休んでくださいね?』
自分にもできる事があると分かった2人は、やる気満々だった。
やはり、勇者と戦った時の事が2人の心に、重石のように居座っていたのだろう。
それはそうだ。そんな簡単に、嫌な事を頭から追い出せる訳が無い。
だからこそ、俺は2人に役目を追わせたかった。
こういう時は何も考えず、必死に何かに打ち込むのが良いと、俺は経験から知っていたからだ。
本当ならルナにお願いしたいところだったのだが、今の状況ではルナ一人で行かせても、余計に皆を混乱させるだけだろうし、何より、俺の近くに置いておきたかったと言う、俺自身の我が侭な気持ちもあった。
コティさんが、話せるようになったら聞きたい事が山ほどある事もある。
しゃべれないルナに対して、少しでも近くにいたいと言う思いもある。
ちなみに、堕ちた精霊に憑かれていた人々は、皆が既に、動けるほどには回復しているようで、今は、復興に向けて、各々が動き回っているとの事だ。
後遺症が心配だったがそういう事は無いとの事。
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後3日遅れていたら、どうなっていたのか考えたくも無い。
ゾンビのような各氏族に襲われるルカール村……最悪である。
だからこそ、そんな事を二度と起こさせない為にも……俺も独自でやれる事をやることにする。
まず、魔法を開発しなくてはならない。
特に、皆に連絡を出来るような魔法の開発。
そして、次に空間に干渉する魔法の開発。
更には、勇者がやってきたような魔法を封じられた時に備えて、対策をする事。
やる事は沢山だ。幸い、起き上がる事もできないので、考える時間は幾らでもある。
魔法の行使についても、特に問題は無い。
飛行魔法を使えば、擬似的に立ち上がる事も可能だし、移動もできるが、いい機会だから少し腰をすえて本格的に行うことにした。
そんな様子の俺を、ルナは何故かとても嬉しそうに微笑みながら見守っていた。
俺も、そんなルナの様子を見ながらも、時にルナの意見も聞きながら、魔法開発に力を入れたのだった。
それから1ヵ月。
俺は床から、体を起こす位までは出来るようになっていた。
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しかし……ルナの声は依然として戻らなかった。
コティさんも、相変わらず音信不通のようだ。
もしかすると、その事と何か関係があるのかもしれない。
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本当であれば、手紙でも書きたいところだが、残念ながらルカール村には文字を読める人がいない。
ならばと、日本語を教えることにした。
講師は、わが子達だ。
流石は精霊。良く分からないが、俺の知識を受け継いだのだろうか?
当たり前のように日本語を習得していた。
正直、日本語で良いのか? と思ったのだが、どうせ文字がない環境だ。
深く考えず、そのまま教えることにした。
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そして、皆が書いた手紙を見て、俺は微笑みながら、容赦なく添削し、それをまた、わが子達が嬉しそうに運んでいくのだ。
ちなみに、紙を作ろうと試行錯誤した時期もあったのだが、代用品が見つかっている為、今は保留してある。
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その葉っぱを乾かすと、薄く階層構造になって、簡単に一枚一枚剥がれる様になるそうだ。
それが、中々に書き心地の良い物なので、そのまま使っている。
今は墨を成形して、ちょっとしたペンのような形にした物で書いているが、その内、筆や墨汁、更に鉛筆のようなものも作りたいなぁと、密かに画策している。
ちなみに、その木の実は、とても固く、石すら割れるほど固い実なのだが、煮ると柔らかくなり、糸のような物になる様だ。
その中に、小さな種が入っており、それは計画的に栽培し、耕作するように指示をしておいた。
そんな実から取れた糸っぽい何かを、試しに撚り、更に生地を作ってみたようなのだが……凄い物になった。
絹のように、艶やかで手触りの感触が素晴らしい物なのだ。
しかも、それは、刃物を通さない程の強度を持っていた。
じゃあ、どうやって加工するのかと言えば、濡らして熱を持った刃物で切ると、あっさりと切れるようなのだ。
流石の異世界。良く分からない物があるものである。
他にも、ここ最近、森の様子を探ってくれている猫族や子族から、次々と役に立つものが見つかっていると報告を受けているのだが、今は割愛する。
そんな一ヶ月の間に、色々な事が進み、そして、新しいものが次々と見つかる中……。
「ティガが……!! ティガが出たぞぉ!!」
と言う、村人の叫び声で、俺は、家族達が痺れを切らしたことを知ったのだった。
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