比翼の鳥
第28話 忘れられた少女
「祈り……ですか。」
俺は思わず、ポツリと言葉を落とす。
正直に言って、その理由は意外だった。
いや、今の宇迦之さんだったら、違和感は無い。
何となくだが、尻尾を振って助けに行くようなイメージがある。
……孤族限定であるかもしれないが……。
だが、今まで聞かされた神たるナーガラーシャ様は、自分の事だけで精一杯。
失意のどん底にいて、そういった事に興味など示さないのでは? と、邪推してしまう。
そう考えてみて、ふと、今の宇迦之さんと、竜神ナーガラーシャのあまりにも違うその性格に、疑問を抱く。
その辺りも、この後の話に関係してくるのだろうか?
「やはり気になるかの?」
思案にふけっている俺に、宇迦之さんは声をかける。
「……ええ。失礼とは思いますが……今までの神としてのナーガラーシャさんの行動にしては、いささかイメージに合わないと言いますか。」
「そうじゃな。わらわも、そう思う。あれは、本当に気紛れであった……。」
そう、遠い目をして頭上の木立を見上げる宇迦之さん。
木漏れ日が彼女の顔を撫でるように照らす。その姿は、愁いを帯びつつも……美しかった。
その白く透き通る肌を持つ、整った顔立ちを見つめて、俺は改めて、彼女のその美しい顔を認識できることに、喜びを感じていた。
その視線に気付いたのか、宇迦之さんは視線をこちらに向けると、微笑む。
「何じゃ。わらわのこの顔がそんなに可笑しいか?」
「いいえ? 綺麗ですよ。とても。」
その言葉に宇迦之さんは、一瞬たじろぐも、息を吐くと少し疲れたように呟く。
「お主も、大概、いじわるよのぉ。分かっておるんじゃろ? わらわの顔が無いと言う事を。」
そう。宇迦之さんの言うように、俺は……いや、俺達は、最近まで、宇迦之さんの顔を認識することが出来なかった。
いや、その表現は正確ではないか。
より正確に言えば、宇迦之さんがどのような顔立ちなのか、誰も確認できなかった……いや、確認しようともしなかったのだ。
人を判断するには色々な要素がある。佇まいであったり、声であったり……。
しかし、やはり一番の判断基準は、容姿ではないだろうか?
その中でも、顔というものは、重要な位置づけだと思う。
目は切れ目なのか、垂れているのか?
口の形は? 鼻は高いのか? 頬は? 顎は? 髪はどんな長さ? 色は?
それぞれのパーツが組み合わさり、調和を持って作り出すものが顔であり、それがそのまま、本人の容姿に対する評価にも繋がる。
あの人、美人だよな。あの人、格好良いよね。
そう言った時、その言葉が意図するのは、顔立ちが整っていると言う意味であることが多い。
勿論、表情であったり、体格であったり、着こなしであったりをさす場合もある。
顔だけで見てたとしても……その他の内面的、外面的な要因によって、顔の印象というものは、容易に変化する。
更に、その人の持つ雰囲気であったり、瞬間瞬間の変化が予想も出来ない好意や嫌悪を引き出す場合もある。
なので、あくまで指標でしかないのだが……顔を潰す……などと言う言葉があるように、顔がその人の印象を決める上で、無視できない位置付けである事は、間違いないのだ。
だが、そんな大事な位置づけであるはずの顔を、俺達は最近まで認識できなかった。
文字通り、どんな顔か分からないのだ。
美人である……可愛い……と言う、漠然とした印象はあるものの、細かい特徴を挙げようとすると、途端に思考に霞がかかったように、おぼろげなものになる。
これに最初気がついたのは、ルナであった。
宇迦之さんと暮らし始めて、少しした頃、ルナが突然、問いかけてきたのだ。
「ねぇ、ツバサ。宇迦之さんって、どんな顔?」
その時、俺は、笑って答えようとして……そして、全くその顔が認識できていないことに気がついたのである。
見れば宇迦之さんと分かる。美人と可愛いと言う思いも湧き上がる。
だが、細部に関しては先程のように、霞がかかったように、途端に分からなくなるのだ。
それから、意識して宇迦之さんを見るようになったが……幾ら目を凝らしても、魔法で細部を確認しようとしても、その顔立ちを拝むことは叶わなかった。
それが、宇迦之さんと言う存在に、疑問を持ったきっかけである。それから、注意深く彼女を分析する中で……俺は、彼女が村で崇め恐れられている、竜神様ではないかと、疑うようになった。
きっかけは、顔の不思議だけでなく……様々な小さな物があったのだが……。
だが、俺の分析は、今は良い。そう思った俺は、ただ一度、彼女に向けて、しっかりと頷く。
それを見て、宇迦之さんは、少し眉を下げながら、やっぱり……と言う、顔をしてため息を吐いた。
「お主は恐ろしいの。これだけ強固な認識阻害を、突破してしまうとはの……。」
一応、これでも神じゃぞ? と、少し拗ねた様に付け加える宇迦之さんを見て、俺は思わず笑ってしまう。
「きっかけは、ルナでしたけどね。」
そうフォローする、俺を横目で見つつ、宇迦之さんは、「まぁよい……。」と、言いながら、先を続けた。
「今更、お主に言い繕っても意味が無いじゃろ。これも全て、理由があるのじゃ。」
なるほど。それもこの先の話に関わるんだろう。
そう思った俺は、その言葉に黙って頷き、次の言葉を待った。
俺の様子を満足そうに確認した後、咳払いを一つして、宇迦之さんは話を続ける。
「先程、話した通り、わらわは、ある強固な祈りを受けて、興味本位に……いや、今思うと引き寄せられるように、その者の元へと向かったのじゃ。」
そう言いながら、彼女はしっかりとこちらを見据え、先を語る。
「祈りなど、それまでのわらわにすれば、ありふれたものじゃった。我が子たちに国を餌に与えたときなど、それはもう、他の負の感情と共に、嫌と言う程撒き散らされていたものじゃ。じゃが……彼女は違ったのじゃ。」
彼女? やはり女性なのか。そう思いながらも、表情には出さず、言葉を待つ。
「彼女の祈りは、至極……純粋じゃった。普通は祈りと言っても、様々な感情が混じるものじゃ。実際、今まではそうじゃった。自分の感情が交じり合って、酷く流れのある、変化の激しい物になるはずじゃ。はずなのじゃが……。」
宇迦之さんは、そこで言葉を区切り、少し迷ったように視線を外すと、一息つく。
「彼女は、本当に一心のみで祈っておったのじゃ。」
一心のみ……その単純な言葉に秘められた重みに俺は愕然とする。
しみじみと彼女が言うのも、良く分かる。
尤も、大多数の感情を感じ取れるのが、まず、ありえないように思うのだが……まぁ、神なる身なら、可能だと言うことで良いだろう。
普通、祈ると言っても、どうしたって、感情の揺らぎは出る物だろう。
よく、無心になるとか、明鏡止水がどうとか言われるが、あんなもん、普通の人には無理だ。
人の心は、その時々で、簡単に移ろう物だ。光や音、触覚。何でも良い。外部の刺激から、内面まで、その変化はとどまる事を知らず、常に心の中をかき乱そうとする。
だからこそ、その彼女とやらが、全く揺らがず、一心のみで祈っていたと言うのは、驚くべき事だと俺も理解できた。
そんな俺の思いが顔に出てしまったのか、宇迦之さんは、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべると、その答えをあっさりと口に出す。
「あやつの祈りは……単純じゃったよ。『孤族を救って欲しい。』これだけじゃ。それを10日にわたって、ひたすら祈り続けておったよ。正気の沙汰とは思えん。」
「10日……ですか……。」
10日……他の感情を挟まず……ひたすら一心に祈る……。
そんな事が、はたして可能なのだろうか?
ある意味、人をやめるか、精神が壊れていたら、それも可能なのだろうか?
「そうじゃ。余りにも、異質だったのでの……。思わず覗きに行ってしもうたわ。どんな狂人がいるのかとな。」
成程、そりゃそうだ。俺でもそう思う。
思わず頷いてしまった俺を、満足そうに見ると、宇迦之さんは続けて、
「じゃろう? そして、わらわは出会ったのじゃ。その狂った孤族の少女にの。」
そう、ニンマリとしながら、語り始めたのだった。
「わらわの本体は、既にこの森に覆い尽くされておったからの。仕方無しに一柱の僕を遣わせて、その少女の元へと向かったのじゃ。」
その言葉に俺は眉をひそめる。
「あれ? 視覚だけ飛ばすことは出来ないんですか?」
思わず口をついて出た質問に、宇迦之さんは呆れながら、
「お主が規格外すぎるのじゃ。わらわとて、万能ではないのじゃよ。薄く広がった思念は感じ取れるのじゃがな。実際に見て、しゃべるとなると、そこまでわらわの一部を持っていく必要があるのじゃ。お主の様に、怪奇で複雑な術法など、行使できる者がいるわけ無かろうに。無論、わらわにも無理よ。」
と、ため息と共に吐き出した。
あれ? なんかマジックフォンとか、近未来的な魔法技術がてっきりあると思っていたんだけど……。
今の話を聞く限り、俺がファミリアを利用して実現したテレビ電話モドキは、この世界初の技術だったりしたのだろうか?
しかし、俺以外にも、勇者と言う奇妙な生物が召喚されているのだから、発想自体はそう目新しい物では無いはずだ。
それとも、長い間、この森に引きこもっていた宇迦之さんが知らないだけとか……?
唸りながら考え込む俺に、宇迦之さんは、またも盛大にため息をつくと、そのまま愚痴っぽい意見を吐き出した。
「全く……お主はもう少し自分のおかしさを自覚する必要があるのぉ。無論、今までにわらわは、数多くの優れた者達と敵対しておる。其の者たちは皆、実に個性的な力を振るう者達であったわい。じゃが……そんな者達を含めても、神たるわらわにココまで言わせたのは、お主が初めてじゃぞ。」
「えーっと……なんか、色々すいません?」
何となく居たたまれなくなった俺は、思わず謝罪する。
そんな様子の俺を見て、宇迦之さんは目を丸くすると、次の瞬間……またも爆笑し始めた。
うーむ……そこまでおかしいのか……いや、おかしいんだろうなぁ。
実際、笑われている身としては、憮然とした態度を取るのも有りなのだろうが……。
けど、まぁ、宇迦之さんが楽しそうだから良いかなーとか、そんな緩い思考に身を任せながら、俺は宇迦之さんが笑い神様から解放されるのをノンビリと待つのだった。
茂みも宇迦之さんに追従するかのように葉擦れ音を立て、風が心地よく頬を撫でる中、ひとしきり笑い倒した宇迦之さんは、目に浮かんだ涙を拭いながら、息も絶え絶えに、
「お主は、やはり……いや、もう良い。今ので確信した。許す。そのままで良い。」
と、意味不明な事を遥か上方からぶん投げてこられる。
うん、何か良く分からんけど、良いなら喜んでおこう。
「ええ、ありがとうございます。」
「うむ。任せておくが良い。」
良く分からないやり取りが成立した。
何だか分からないまま、何かを任せてしまったらしい。
ま、宇迦之さんならそうそう変な事にならないだろう。
「と、言うわけでじゃ。」
そんな風に、場を仕切りなおす宇迦之さんの言葉に、俺は真面目に頷く。
「何処まで話したかの……。」
思わず肩が下がる俺。
「少女に一柱とやらを飛ばした所までですか。」
「おう、そうじゃった!」
ポンと、手を打ち、先程より幾分、生き生きとして見える宇迦之さん。
先程のやり取りが、彼女から何かの重石を取り外したらしい。
「とにかく……少女と出会ったのじゃがな、まぁ、予想通りと言うか、変な奴での。」
宇迦之さんに変と言われた人が、俺の他にもいたのか。
「姿を隠してそっと近づいたのじゃが……何故かばれての。」
マジか。あれか? 卯族の巫女の皐月さんのように、何か特殊な力があるのだろうか?
「そうして、見えないはずのわらわに向かっての第一声が、『お待ちしておりました、神様。』じゃ。流石のわらわも、驚いたの。」
何か話だけ聞くと、凄い人のようなんだが……。
「じゃから、わらわも興にのっての。脅かすついでにいきなり姿を晒してやったのじゃがな……。驚きもせず、笑顔でいきなり『どうぞ、孤族をお救い下さい。』じゃ。思わず、『おかしな奴じゃな。』と返してしまっての。」
笑いながら語る宇迦之さんではあるが、その光景を想像している俺としては、何と言うか……残念すぎるのだが。
あんた……ノリで出て来て良いんですか……。一応、神様でしょ?
って言うか、その巫女も、いきなり本題かよ……。
もっとこう、召喚してドカーン!って、厳かに出てくるとかさ。
宇迦之さんも、どっかの玉探しの物語みたいに、『呼び出したのはお主か……? 願い事を言うがよい。』とか、格好良く決めなさいよ。
少し盛り上がりを期待していた身としては、残念感が半端無いのだが。
微妙な顔をした俺に、宇迦之さんは笑いながら、
「何か夢を壊されたような顔をしておるが、現実などこんなものじゃよ。何となく噛み合った歯車が、現実を動かす。これだけじゃ。」
「いや、もう少しこう、演出しましょうよ。なんか日常のひとコマみたいに言われても、納得いきませんて。」
俺の言葉に頷くように、茂みが激しく揺れる。慌てて風が吹いてくる。
いや、君らも、いい加減出てくればいいのに……。
「そんなもん知らんわい。ともかくじゃ。その孤族の少女は、クイナと名乗ったのじゃ。そして、興に乗ったわらわは、クイナと名乗る少女に、見返りを要求したわけじゃ。」
その瞬間、茂みが激しく音を立てる。
「それが……巫女の魔力……ですか?」
そんな俺の言葉を聞いて、宇迦之さんは急に真面目な顔に戻ると、
「いいや……わらわは、具体的に何も要求しなかったのじゃ。逆に問うたよ。『お主には何が用意できるか?』とな。そうしたら、奴は、『それは、神様のお話を聞いてみないと判断できませんよ。』と笑顔で言いおった。中々に、度胸があり、頭の切れる奴じゃったよ。僕とは言え、わらわの姿を見て、物怖じしなかったのは、奴が初めてであったしの。」
それは凄い。
俺は宇迦之さんの真の姿を見ていないから何とも言えないが、少なくとも神の名を冠する以上、相当に威圧的な姿だったはずだ。
そして、その神をも恐れず対等に扱う人……か。成程、中々に好感が持てる。
「それは、面白い方ですね。」
思わずそう答える俺に、宇迦之さんは、間髪いれず
「お主程ではないがの。」
と、笑いながら答える。
「まぁ、そんな奴だったからかの。気がついたら、まんまと奴の誘導に乗ってしまっての……思わず、色々と話してしもうたわ。まぁ、今回のように大きな話ではないがの。お主以外で、過去の話をしたのは、後にも先にも奴だけじゃ。」
なんかすげーな……。
あった瞬間から、宇迦之さんを完全に掌握って、俺にはとても出来ないんですけど。
見たことの無い孤族の少女が、脳裏で微笑む。
そんな姿を妄想して、俺は、一瞬、身震いした。
お、恐ろしい。敵に回してはいけないタイプだ……。俺は本能でそれを悟る。
そんな俺の戦々恐々とした様子など目に入ってないように、宇迦之さんは尚も話を続けていく。
「そうしての……話を聞いた奴は……クイナは、わらわが予想もしないものを差し出してきおった。」
そう、切り出す宇迦之さんの声は、沈んでいた。
予想もしない物? 魔力ではなく? しかも、それは、宇迦之さんが直接要求したものではない?
確かに、宇迦之さん……もとい、竜神ナーガラーシャは、率先して魔力を欲するような立場では無かったはずだ。
そもそも、この森を救う考えすら、持っていなかったとも言える。
しかし、現在、こうして、この森は守護されている……そして、それは、クイナと呼ばれる少女からもたらされた報酬のお陰と言う事になる。
それほどまでに、宇迦之さんを惹きつける報酬……?
暫く無言で考える俺。それを宇迦之さんは、黙って見守っている。
宇迦之さんが、望んでいたもの。クイナと言う少女の思い。
今の宇迦之さん……ん? 今の? 何か引っかかる。
……待て。そうだ。何故、宇迦之さんは、今の姿なんだ?
竜神ナーガラーシャと、宇迦之さんと言う存在の格差。それは何だ?
顔を認識できない宇迦之さん……魔力……本体はどうなった?
……そういう事か……。
俺はゆっくりと、思考の海から浮かび上がる。
視線の先には、真剣な顔をした宇迦之さんの姿があった。
今はしっかりと、その表情を余すことなく認識できる。
艶やかな目を伏せがちにし、どこか愁いを含んだ瞳をこちらに向けている。
成程。時期を考えれば……俺も……一枚、噛んでるのか。
思えば、宇迦之さんがルカールに来たと言うことは、そういう一面もあったのだろう。
幾ら孤族で厄介払いされていたとは言え……普通は、巫女が直々に動くなどあってはならないことだ。
だとすれば、宇迦之さんは、自分の意思でルカールへと来たことになる。
孤族に子供が出来ない問題……それは、建前だったわけだ。
でないと、時系列が合わない。
色々と、腑に落ちなかったことが、一本の線に集約されていく。
ストンと、音を立て、理解が胸に収まるのを、俺は遠くの出来事のように感じていた。
そんな俺の様子を見て、宇迦之さんは少し申し訳なさそうな、困ったような表情を見せる。
おっといかん。想像通りだとしても、別に、宇迦之さんが悪いわけではない。
むしろ、誰も悪くない。少なくとも、俺はそう思う。
ただ、唯一……この話を聞いてショックを受けるとすれば……。
俺が、視線を宇迦之さんの後ろにある茂みへと向けると、彼女は一瞬目を伏せ、
「やはりお主は……凄い奴じゃの。それでこそ、わらわが見初めた者じゃ。……正解じゃよ。」
そう、少し緊張した面持ちで、呟いた。
俺は何とも言えず、首を振る。そして、
「俺が……言いますか?」
との問いに、宇迦之さんは黙って首を振る。
そして、宇迦之さんは、深呼吸を一つ、二つ、そして、大きく息を吸い込み、決定的な言葉を口にした。
「クイナは……その身を、わらわに差し出したのじゃよ。」
「そして、宇迦之さんはその要求をのんだと。」
「うむ。狐族に伝わる宝具と共に……その身を喰ろうた。」
そう淡々と答えた宇迦之さんの言葉を受けて、森は激しく、そして静かに、さざめいたのだった。
俺は思わず、ポツリと言葉を落とす。
正直に言って、その理由は意外だった。
いや、今の宇迦之さんだったら、違和感は無い。
何となくだが、尻尾を振って助けに行くようなイメージがある。
……孤族限定であるかもしれないが……。
だが、今まで聞かされた神たるナーガラーシャ様は、自分の事だけで精一杯。
失意のどん底にいて、そういった事に興味など示さないのでは? と、邪推してしまう。
そう考えてみて、ふと、今の宇迦之さんと、竜神ナーガラーシャのあまりにも違うその性格に、疑問を抱く。
その辺りも、この後の話に関係してくるのだろうか?
「やはり気になるかの?」
思案にふけっている俺に、宇迦之さんは声をかける。
「……ええ。失礼とは思いますが……今までの神としてのナーガラーシャさんの行動にしては、いささかイメージに合わないと言いますか。」
「そうじゃな。わらわも、そう思う。あれは、本当に気紛れであった……。」
そう、遠い目をして頭上の木立を見上げる宇迦之さん。
木漏れ日が彼女の顔を撫でるように照らす。その姿は、愁いを帯びつつも……美しかった。
その白く透き通る肌を持つ、整った顔立ちを見つめて、俺は改めて、彼女のその美しい顔を認識できることに、喜びを感じていた。
その視線に気付いたのか、宇迦之さんは視線をこちらに向けると、微笑む。
「何じゃ。わらわのこの顔がそんなに可笑しいか?」
「いいえ? 綺麗ですよ。とても。」
その言葉に宇迦之さんは、一瞬たじろぐも、息を吐くと少し疲れたように呟く。
「お主も、大概、いじわるよのぉ。分かっておるんじゃろ? わらわの顔が無いと言う事を。」
そう。宇迦之さんの言うように、俺は……いや、俺達は、最近まで、宇迦之さんの顔を認識することが出来なかった。
いや、その表現は正確ではないか。
より正確に言えば、宇迦之さんがどのような顔立ちなのか、誰も確認できなかった……いや、確認しようともしなかったのだ。
人を判断するには色々な要素がある。佇まいであったり、声であったり……。
しかし、やはり一番の判断基準は、容姿ではないだろうか?
その中でも、顔というものは、重要な位置づけだと思う。
目は切れ目なのか、垂れているのか?
口の形は? 鼻は高いのか? 頬は? 顎は? 髪はどんな長さ? 色は?
それぞれのパーツが組み合わさり、調和を持って作り出すものが顔であり、それがそのまま、本人の容姿に対する評価にも繋がる。
あの人、美人だよな。あの人、格好良いよね。
そう言った時、その言葉が意図するのは、顔立ちが整っていると言う意味であることが多い。
勿論、表情であったり、体格であったり、着こなしであったりをさす場合もある。
顔だけで見てたとしても……その他の内面的、外面的な要因によって、顔の印象というものは、容易に変化する。
更に、その人の持つ雰囲気であったり、瞬間瞬間の変化が予想も出来ない好意や嫌悪を引き出す場合もある。
なので、あくまで指標でしかないのだが……顔を潰す……などと言う言葉があるように、顔がその人の印象を決める上で、無視できない位置付けである事は、間違いないのだ。
だが、そんな大事な位置づけであるはずの顔を、俺達は最近まで認識できなかった。
文字通り、どんな顔か分からないのだ。
美人である……可愛い……と言う、漠然とした印象はあるものの、細かい特徴を挙げようとすると、途端に思考に霞がかかったように、おぼろげなものになる。
これに最初気がついたのは、ルナであった。
宇迦之さんと暮らし始めて、少しした頃、ルナが突然、問いかけてきたのだ。
「ねぇ、ツバサ。宇迦之さんって、どんな顔?」
その時、俺は、笑って答えようとして……そして、全くその顔が認識できていないことに気がついたのである。
見れば宇迦之さんと分かる。美人と可愛いと言う思いも湧き上がる。
だが、細部に関しては先程のように、霞がかかったように、途端に分からなくなるのだ。
それから、意識して宇迦之さんを見るようになったが……幾ら目を凝らしても、魔法で細部を確認しようとしても、その顔立ちを拝むことは叶わなかった。
それが、宇迦之さんと言う存在に、疑問を持ったきっかけである。それから、注意深く彼女を分析する中で……俺は、彼女が村で崇め恐れられている、竜神様ではないかと、疑うようになった。
きっかけは、顔の不思議だけでなく……様々な小さな物があったのだが……。
だが、俺の分析は、今は良い。そう思った俺は、ただ一度、彼女に向けて、しっかりと頷く。
それを見て、宇迦之さんは、少し眉を下げながら、やっぱり……と言う、顔をしてため息を吐いた。
「お主は恐ろしいの。これだけ強固な認識阻害を、突破してしまうとはの……。」
一応、これでも神じゃぞ? と、少し拗ねた様に付け加える宇迦之さんを見て、俺は思わず笑ってしまう。
「きっかけは、ルナでしたけどね。」
そうフォローする、俺を横目で見つつ、宇迦之さんは、「まぁよい……。」と、言いながら、先を続けた。
「今更、お主に言い繕っても意味が無いじゃろ。これも全て、理由があるのじゃ。」
なるほど。それもこの先の話に関わるんだろう。
そう思った俺は、その言葉に黙って頷き、次の言葉を待った。
俺の様子を満足そうに確認した後、咳払いを一つして、宇迦之さんは話を続ける。
「先程、話した通り、わらわは、ある強固な祈りを受けて、興味本位に……いや、今思うと引き寄せられるように、その者の元へと向かったのじゃ。」
そう言いながら、彼女はしっかりとこちらを見据え、先を語る。
「祈りなど、それまでのわらわにすれば、ありふれたものじゃった。我が子たちに国を餌に与えたときなど、それはもう、他の負の感情と共に、嫌と言う程撒き散らされていたものじゃ。じゃが……彼女は違ったのじゃ。」
彼女? やはり女性なのか。そう思いながらも、表情には出さず、言葉を待つ。
「彼女の祈りは、至極……純粋じゃった。普通は祈りと言っても、様々な感情が混じるものじゃ。実際、今まではそうじゃった。自分の感情が交じり合って、酷く流れのある、変化の激しい物になるはずじゃ。はずなのじゃが……。」
宇迦之さんは、そこで言葉を区切り、少し迷ったように視線を外すと、一息つく。
「彼女は、本当に一心のみで祈っておったのじゃ。」
一心のみ……その単純な言葉に秘められた重みに俺は愕然とする。
しみじみと彼女が言うのも、良く分かる。
尤も、大多数の感情を感じ取れるのが、まず、ありえないように思うのだが……まぁ、神なる身なら、可能だと言うことで良いだろう。
普通、祈ると言っても、どうしたって、感情の揺らぎは出る物だろう。
よく、無心になるとか、明鏡止水がどうとか言われるが、あんなもん、普通の人には無理だ。
人の心は、その時々で、簡単に移ろう物だ。光や音、触覚。何でも良い。外部の刺激から、内面まで、その変化はとどまる事を知らず、常に心の中をかき乱そうとする。
だからこそ、その彼女とやらが、全く揺らがず、一心のみで祈っていたと言うのは、驚くべき事だと俺も理解できた。
そんな俺の思いが顔に出てしまったのか、宇迦之さんは、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべると、その答えをあっさりと口に出す。
「あやつの祈りは……単純じゃったよ。『孤族を救って欲しい。』これだけじゃ。それを10日にわたって、ひたすら祈り続けておったよ。正気の沙汰とは思えん。」
「10日……ですか……。」
10日……他の感情を挟まず……ひたすら一心に祈る……。
そんな事が、はたして可能なのだろうか?
ある意味、人をやめるか、精神が壊れていたら、それも可能なのだろうか?
「そうじゃ。余りにも、異質だったのでの……。思わず覗きに行ってしもうたわ。どんな狂人がいるのかとな。」
成程、そりゃそうだ。俺でもそう思う。
思わず頷いてしまった俺を、満足そうに見ると、宇迦之さんは続けて、
「じゃろう? そして、わらわは出会ったのじゃ。その狂った孤族の少女にの。」
そう、ニンマリとしながら、語り始めたのだった。
「わらわの本体は、既にこの森に覆い尽くされておったからの。仕方無しに一柱の僕を遣わせて、その少女の元へと向かったのじゃ。」
その言葉に俺は眉をひそめる。
「あれ? 視覚だけ飛ばすことは出来ないんですか?」
思わず口をついて出た質問に、宇迦之さんは呆れながら、
「お主が規格外すぎるのじゃ。わらわとて、万能ではないのじゃよ。薄く広がった思念は感じ取れるのじゃがな。実際に見て、しゃべるとなると、そこまでわらわの一部を持っていく必要があるのじゃ。お主の様に、怪奇で複雑な術法など、行使できる者がいるわけ無かろうに。無論、わらわにも無理よ。」
と、ため息と共に吐き出した。
あれ? なんかマジックフォンとか、近未来的な魔法技術がてっきりあると思っていたんだけど……。
今の話を聞く限り、俺がファミリアを利用して実現したテレビ電話モドキは、この世界初の技術だったりしたのだろうか?
しかし、俺以外にも、勇者と言う奇妙な生物が召喚されているのだから、発想自体はそう目新しい物では無いはずだ。
それとも、長い間、この森に引きこもっていた宇迦之さんが知らないだけとか……?
唸りながら考え込む俺に、宇迦之さんは、またも盛大にため息をつくと、そのまま愚痴っぽい意見を吐き出した。
「全く……お主はもう少し自分のおかしさを自覚する必要があるのぉ。無論、今までにわらわは、数多くの優れた者達と敵対しておる。其の者たちは皆、実に個性的な力を振るう者達であったわい。じゃが……そんな者達を含めても、神たるわらわにココまで言わせたのは、お主が初めてじゃぞ。」
「えーっと……なんか、色々すいません?」
何となく居たたまれなくなった俺は、思わず謝罪する。
そんな様子の俺を見て、宇迦之さんは目を丸くすると、次の瞬間……またも爆笑し始めた。
うーむ……そこまでおかしいのか……いや、おかしいんだろうなぁ。
実際、笑われている身としては、憮然とした態度を取るのも有りなのだろうが……。
けど、まぁ、宇迦之さんが楽しそうだから良いかなーとか、そんな緩い思考に身を任せながら、俺は宇迦之さんが笑い神様から解放されるのをノンビリと待つのだった。
茂みも宇迦之さんに追従するかのように葉擦れ音を立て、風が心地よく頬を撫でる中、ひとしきり笑い倒した宇迦之さんは、目に浮かんだ涙を拭いながら、息も絶え絶えに、
「お主は、やはり……いや、もう良い。今ので確信した。許す。そのままで良い。」
と、意味不明な事を遥か上方からぶん投げてこられる。
うん、何か良く分からんけど、良いなら喜んでおこう。
「ええ、ありがとうございます。」
「うむ。任せておくが良い。」
良く分からないやり取りが成立した。
何だか分からないまま、何かを任せてしまったらしい。
ま、宇迦之さんならそうそう変な事にならないだろう。
「と、言うわけでじゃ。」
そんな風に、場を仕切りなおす宇迦之さんの言葉に、俺は真面目に頷く。
「何処まで話したかの……。」
思わず肩が下がる俺。
「少女に一柱とやらを飛ばした所までですか。」
「おう、そうじゃった!」
ポンと、手を打ち、先程より幾分、生き生きとして見える宇迦之さん。
先程のやり取りが、彼女から何かの重石を取り外したらしい。
「とにかく……少女と出会ったのじゃがな、まぁ、予想通りと言うか、変な奴での。」
宇迦之さんに変と言われた人が、俺の他にもいたのか。
「姿を隠してそっと近づいたのじゃが……何故かばれての。」
マジか。あれか? 卯族の巫女の皐月さんのように、何か特殊な力があるのだろうか?
「そうして、見えないはずのわらわに向かっての第一声が、『お待ちしておりました、神様。』じゃ。流石のわらわも、驚いたの。」
何か話だけ聞くと、凄い人のようなんだが……。
「じゃから、わらわも興にのっての。脅かすついでにいきなり姿を晒してやったのじゃがな……。驚きもせず、笑顔でいきなり『どうぞ、孤族をお救い下さい。』じゃ。思わず、『おかしな奴じゃな。』と返してしまっての。」
笑いながら語る宇迦之さんではあるが、その光景を想像している俺としては、何と言うか……残念すぎるのだが。
あんた……ノリで出て来て良いんですか……。一応、神様でしょ?
って言うか、その巫女も、いきなり本題かよ……。
もっとこう、召喚してドカーン!って、厳かに出てくるとかさ。
宇迦之さんも、どっかの玉探しの物語みたいに、『呼び出したのはお主か……? 願い事を言うがよい。』とか、格好良く決めなさいよ。
少し盛り上がりを期待していた身としては、残念感が半端無いのだが。
微妙な顔をした俺に、宇迦之さんは笑いながら、
「何か夢を壊されたような顔をしておるが、現実などこんなものじゃよ。何となく噛み合った歯車が、現実を動かす。これだけじゃ。」
「いや、もう少しこう、演出しましょうよ。なんか日常のひとコマみたいに言われても、納得いきませんて。」
俺の言葉に頷くように、茂みが激しく揺れる。慌てて風が吹いてくる。
いや、君らも、いい加減出てくればいいのに……。
「そんなもん知らんわい。ともかくじゃ。その孤族の少女は、クイナと名乗ったのじゃ。そして、興に乗ったわらわは、クイナと名乗る少女に、見返りを要求したわけじゃ。」
その瞬間、茂みが激しく音を立てる。
「それが……巫女の魔力……ですか?」
そんな俺の言葉を聞いて、宇迦之さんは急に真面目な顔に戻ると、
「いいや……わらわは、具体的に何も要求しなかったのじゃ。逆に問うたよ。『お主には何が用意できるか?』とな。そうしたら、奴は、『それは、神様のお話を聞いてみないと判断できませんよ。』と笑顔で言いおった。中々に、度胸があり、頭の切れる奴じゃったよ。僕とは言え、わらわの姿を見て、物怖じしなかったのは、奴が初めてであったしの。」
それは凄い。
俺は宇迦之さんの真の姿を見ていないから何とも言えないが、少なくとも神の名を冠する以上、相当に威圧的な姿だったはずだ。
そして、その神をも恐れず対等に扱う人……か。成程、中々に好感が持てる。
「それは、面白い方ですね。」
思わずそう答える俺に、宇迦之さんは、間髪いれず
「お主程ではないがの。」
と、笑いながら答える。
「まぁ、そんな奴だったからかの。気がついたら、まんまと奴の誘導に乗ってしまっての……思わず、色々と話してしもうたわ。まぁ、今回のように大きな話ではないがの。お主以外で、過去の話をしたのは、後にも先にも奴だけじゃ。」
なんかすげーな……。
あった瞬間から、宇迦之さんを完全に掌握って、俺にはとても出来ないんですけど。
見たことの無い孤族の少女が、脳裏で微笑む。
そんな姿を妄想して、俺は、一瞬、身震いした。
お、恐ろしい。敵に回してはいけないタイプだ……。俺は本能でそれを悟る。
そんな俺の戦々恐々とした様子など目に入ってないように、宇迦之さんは尚も話を続けていく。
「そうしての……話を聞いた奴は……クイナは、わらわが予想もしないものを差し出してきおった。」
そう、切り出す宇迦之さんの声は、沈んでいた。
予想もしない物? 魔力ではなく? しかも、それは、宇迦之さんが直接要求したものではない?
確かに、宇迦之さん……もとい、竜神ナーガラーシャは、率先して魔力を欲するような立場では無かったはずだ。
そもそも、この森を救う考えすら、持っていなかったとも言える。
しかし、現在、こうして、この森は守護されている……そして、それは、クイナと呼ばれる少女からもたらされた報酬のお陰と言う事になる。
それほどまでに、宇迦之さんを惹きつける報酬……?
暫く無言で考える俺。それを宇迦之さんは、黙って見守っている。
宇迦之さんが、望んでいたもの。クイナと言う少女の思い。
今の宇迦之さん……ん? 今の? 何か引っかかる。
……待て。そうだ。何故、宇迦之さんは、今の姿なんだ?
竜神ナーガラーシャと、宇迦之さんと言う存在の格差。それは何だ?
顔を認識できない宇迦之さん……魔力……本体はどうなった?
……そういう事か……。
俺はゆっくりと、思考の海から浮かび上がる。
視線の先には、真剣な顔をした宇迦之さんの姿があった。
今はしっかりと、その表情を余すことなく認識できる。
艶やかな目を伏せがちにし、どこか愁いを含んだ瞳をこちらに向けている。
成程。時期を考えれば……俺も……一枚、噛んでるのか。
思えば、宇迦之さんがルカールに来たと言うことは、そういう一面もあったのだろう。
幾ら孤族で厄介払いされていたとは言え……普通は、巫女が直々に動くなどあってはならないことだ。
だとすれば、宇迦之さんは、自分の意思でルカールへと来たことになる。
孤族に子供が出来ない問題……それは、建前だったわけだ。
でないと、時系列が合わない。
色々と、腑に落ちなかったことが、一本の線に集約されていく。
ストンと、音を立て、理解が胸に収まるのを、俺は遠くの出来事のように感じていた。
そんな俺の様子を見て、宇迦之さんは少し申し訳なさそうな、困ったような表情を見せる。
おっといかん。想像通りだとしても、別に、宇迦之さんが悪いわけではない。
むしろ、誰も悪くない。少なくとも、俺はそう思う。
ただ、唯一……この話を聞いてショックを受けるとすれば……。
俺が、視線を宇迦之さんの後ろにある茂みへと向けると、彼女は一瞬目を伏せ、
「やはりお主は……凄い奴じゃの。それでこそ、わらわが見初めた者じゃ。……正解じゃよ。」
そう、少し緊張した面持ちで、呟いた。
俺は何とも言えず、首を振る。そして、
「俺が……言いますか?」
との問いに、宇迦之さんは黙って首を振る。
そして、宇迦之さんは、深呼吸を一つ、二つ、そして、大きく息を吸い込み、決定的な言葉を口にした。
「クイナは……その身を、わらわに差し出したのじゃよ。」
「そして、宇迦之さんはその要求をのんだと。」
「うむ。狐族に伝わる宝具と共に……その身を喰ろうた。」
そう淡々と答えた宇迦之さんの言葉を受けて、森は激しく、そして静かに、さざめいたのだった。
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