比翼の鳥
第36話 旅立ち
暫く、宇迦之さんに噛み付かれた所が、熱を持って疼いていたがそれも収まって来た頃……宇迦之さんはその顔に貼り付けていた笑みを突然引っ込め、真面目な顔で俺に語りかけてきた。
「主殿、ちょっと良いかの?」
「ええ、何でしょうか? と言うか、主殿はやめましょうよ。これまで通りで結構です。」
俺は、呼ばれ慣れない呼称に思わず眉をしかめ、そのように返した。
しかし、宇迦之さんは、それを意にも介せず、そのまま話を進める。
「まぁ、そのうち慣れるから大丈夫じゃよ。それよりも、一つ主殿に知っておいて欲しい事があるのじゃ。」
いや、そんなあっさり流さなくても……と思うも、俺はそのまま渋々、話の流れに乗り、黙って頷いた。
それを見て、宇迦之さんも頷き返すと、少し姿勢を正し、口を開く。
「まず、これで主殿とわらわの間に繋がりが出来たのじゃ。これの繋がりは、今は弱いのじゃが、徐々に強くなっていくはずなのじゃ。」
その言葉に俺は頷く。
宇迦之さんの言う通り、俺と彼女の間には、魔力の通路が形成されていた。恐らく、これの事を言っているのだろう。
俺には知覚できるが、どうやら他の人にこの通路は見えないらしい。
まぁ、俺もかなり意識を向けないと見れない程、存在の薄い物だから、本当は見えてはいけない物なのかもしれない。
「そして、この繋がりが強くなれば、何処に居ても、主殿はわらわと会話し、存在を感じ、最終的には、呼び出す事が出来る様になるはずなのじゃ。」
「呼び出す……召喚魔法ですか?」
「うむ、人族の間ではそんな風にも言われておるの。」
宇迦之さんのそんな言葉に、俺は少し胸を高鳴らせる。
いや、だって召喚魔法ですよ? 我が呼びかけに……とか、ドカーンとやれる訳ですよ? これでときめかなくては、男ではないでしょう?
などと、不謹慎な事を考えていると、宇迦之さんは少し眉を寄せ、
「主殿……何か変な事を考えておるのかの?」
と、呟くが、そのまま「まぁよいわ。」と、話を続ける。
「ちと意外ではあるが、主殿がわらわを呼び出す事に対して、忌避感が無ければ良いのじゃ。」
「忌避感ですか?」
ナーガラーシャが派手に現われ、8つの首がブレスを吐きまくる光景を妄想していた俺は、不意打ちのような宇迦之さんの言葉に、思わずそう問い返した。
その俺の問いに、宇迦之さんは頷くと、
「いや、主殿と繋がっている精霊を呼び出す様子が無かったしの。呼び出すと言う事に、抵抗があるのかと思っておったのじゃ。じゃから、わらわの事も、呼び出すつもりが無いのかと思っておったのじゃよ。」
あー、それに関してはどうだろうか。
宇迦之さんとディーネちゃんでは、俺の中での扱いが違う。
ディーネちゃんを呼び出すのは躊躇してしまうが、宇迦之さんを呼び出すのは……いや、何か呼び出したら大変な事になるんじゃないの?
人族との争いで? いや、正に人が虫けらのように消え去るだろう。
何か強大な敵と対峙する時? 宇迦之さんクラスの敵とガチ勝負? 余波で軒並み壊滅じゃないの?
俺が、脳内で宇迦之さん……正確には、ナーガラーシャを呼び出す場面を想像するが、いずれも大惨事の光景しか思い浮かばない。
宇迦之さんは、そんな腕を組んで唸りだした俺を見て、深いため息を吐くと、
「やはり、主殿がわらわを呼び出すことは、余り無さそうじゃな。」
少し残念そうに、そう呟く。
う、そう言われましても……使い何処が不明です。
そんな俺の情けない心情を読み取ったのか、宇迦之さんは微笑むと、諭すように言葉を紡ぐ。
「まぁ、それが主殿なのじゃし、わらわとしても、そんな事で悩ませたくは無いのじゃ。」
そして、宇迦之さんは俺の目を真っ直ぐに見つめると、
「じゃが、もし……もしも、じゃ。わらわの力が必要になった時は……迷わないで欲しいのじゃ。わらわは、主殿に呼ばれるのを、いつも待っておるのじゃよ。それを忘れないで欲しいのじゃ。」
そう、小さな声で語りかけてきた。
声は小さかったが、その言葉には、懇願にも似た響きがあり、その声には真摯な思いも感じられた。
その姿を見て、俺の脳裏にディーネちゃんが浮かぶ。
そうか、そう言えばさっき、宇迦之さんは言っていたな。精霊とは、人に奉仕する存在だと。もしかしたら、神と呼ばれたナーガラーシャも、それに似た業を持っているのかもしれない。
まぁ、正直、どんな場面で呼び出す事になるかはわからないが、彼女がここまで言うのだ。その時が来たら……いや、来てしまったら、素直に竜神様に頼ることにしよう。
俺は、そう心を決めると、宇迦之さんの目を見つめ、
「判りました。その時が来たら、宇迦之さん、力を貸して下さい。」
そう力強く答える。
その俺の言葉を聞いて、宇迦之さんはふさふさの尻尾を更に膨らませると、
「うむ! きっとじゃぞ! 約束じゃからな!」
と、満面の笑みで答えたのだった。
そんな風に、宇迦之さんと話していると、
『ツバサ、大丈夫?』
と、目の前に突然文字が浮かんだ。見ると、ルナが氷の床近くまで、ゆっくりと飛んできていた。
氷の床を挟んで、ルナが俺の下に存在すると言う光景が、かなりの違和感を持って俺の目に飛び込んでくる。
良く見ると、他の皆も到着していたようだ。そう思っていると、俺達の直下から、声が響いてきた。
「ツバサさん! 大丈夫ですか!?」
「ツバサ様! お怪我は御座いませんか!」
そんなリリーとレイリさんの心配そうな声と、
「父上! さすが父上で御座います! 見事な一振りで御座いました!」
「お父様! 此花もお父様に置いて行かれない様、頑張りますわ!」
返答に困る我が子達の賛辞と、嬉しそうなティガ親子の鳴き声が響いてきた。
ちなみに、ヒビキにはリリーが跨り、クウガには咲耶が、アギトには此花が跨っているようだ。
取りあえず、俺は皆に無事を伝える為に、真下に向かい声をかける。
「皆、来てくれたのか。ありがとう! 俺は、大丈夫だよ! むしろ、情けない姿を見せてしまって、恥ずかしいよ。」
そんな俺の声に、何故か皆は気を使ってか賛辞を返す訳で、
「いえ! そんなことはありません! 凄かったです!」
「ええ、あの滑りは、見事でした。あのような事、常人には出来ません!」
「そうですぞ父上! 魔力で滑るなど……この咲耶、考えも及びませんでした。」
「しかもあのスピードのまま顔面で着氷とは……お父様の強靭さを改めて、心に刻み付けましたわ!」
……どう聞いても、俺は顔を両手で覆い隠すしかない状態であった。
皆、何故、俺の心を折りにかかるの!? ……忘れようとしていたのに!
そんなうな垂れる俺を見て、ヒビキだけが何故か哀愁を含む鳴き声を放つ。何故、俺は人では無く、ティガに慰められているのだろうか……。
そんな様子を見ていた宇迦之さんは、横で笑い声を上げるのであった。
暫く、皆の拷問に似た賛辞を聞いた後、俺は何とか再起動した。
それを見たルナは、俺達に氷の結界を解くことを伝えると、俺と宇迦之さんはそれぞれ、一旦、空中へと浮かぶ。
地平線まで続いていた氷の床が、溶ける様に無くなっていく様子を、俺は上空から見ていた。
それは、中天を少し過ぎ、降って行く陽光に晒され、溶けていく氷そのものであった。
思いもしない美しい光景を堪能した俺は、にゆっくりと、地面へと降り立つ。そして、真っ先にルナへと声を掛けた。
「ルナ、ありがとう。今回も無理させちゃって、ごめんな。体、大丈夫か?」
ルナは、そんな俺の言葉を聞くと、首を静かに振り、
『大丈夫! あの位なら何度でも受け止めて見せるよ!』
と、笑顔で余裕の発言である。
だが、俺は知っていた。
今回の防壁の維持には、かなりの労力を使わなければならなかった事を。
ルナはこう言うが、実は結構、際どい所だったと思う。
何しろ、今回は俺が盛大に暴走した事もあって、防壁の維持に気が抜けなかったはずなのだ。
何処に飛ぶかわからない上に、威力も最大級の魔力弾だった訳だし。だからこそ、ルナの力をもってしても、山脈の防護は諦めなければならなかったし、所々、防壁が破損していたのだと思う。
いつもなら、着弾点を的確にガードしてくるはずなのに……だ。
だから、俺は黙って、ルナの頭をポンポンと、優しく叩くように撫でると、
「ああ、頼りにしているよ。けど、次はもう少し……うまくやるよ。」
そう笑いかけた。
ルナはいきなり撫でてくると思わなかったのか、一瞬呆然と俺の顔を見ると、まるで花が咲いたように、その顔に笑顔を浮かべ、しっかりと頷いたのであった。
しかし、そんな暖かい雰囲気も、
「そうだ、父上。言付けが御座いまする。」
「そうでしたわ。桜花爺様が、事が済んだら来る様にと、おっしゃっておりましたわ。」
と言う、我が子達の言葉を受けて、一瞬にして凍りついた。
ああ、忘れていた……。宇迦之さんの事も、戦いの事も何にも説明していなかったわ。村は今頃、盛大に混乱しているだろうな……。
山脈からいきなり龍が現われ、空には突然、氷の膜が張り、結界まで消え、あまつさえ龍達と俺がバトル。
見たことの無い魔法が乱舞し、レーザーが頭上を飛び交い、精霊の軍団が空を舞い、最後は山脈が大爆発して吹っ飛ぶという落ちだ。
流石に、日ごろ俺の良くわからない行動で耐性がついているとは言え、これは無理だろう。
ふと横を見ると、何故かレイリさんまで難しい顔である。まぁ、狼が難しい顔って言うのも、面白いが。
しかし、何故、レイリさんまで……? と考え、直ぐに心当たりに行き着く。
そうか、ここまで大事になるとは思ってなかったんだろうし、半分物見遊山で来ていたのだろう。と言うことは、自分の業務やら全てほったらかしなんだろうな……。
そして、この大惨事……なるほど、シャハルさん辺りが、静かに怒りを振りまいている頃だろうか……。
俺は、乾いた笑いを響かせながら、翼を天にそそり立たせる翼族の長を想像して身震いする。
そんな俺とレイリさんを見て、何故か宇迦之さんが、
「ふむ、ここはわらわとレイリに任せておくのじゃ。」
と豊満な胸を張って、宣言した。ゾワリと背中を伝う冷気に、俺は心で首を振る。俺は何もしていない!
そんな俺の心の攻防を置き去りにして話は進む。
「ちょっと……宇迦之。私も巻き込むとはどう言う……。」
「まぁ、待つのじゃ。」
レイリさんが異を唱えようとするも、珍しく強気の宇迦之さんに止められ、渋々、その口を閉ざす。
その様子を見て、宇迦之さんは満足げに頷くと、俺の方に向き直り、宣言した。
「ここは、わらわとレイリが収めるのじゃ。そして、主殿は、その間に外の世界に行くのじゃ。」
突然の宇迦之さんの提案に、皆驚く。
横目で見ると、レイリさんは口を開き、言葉を出そうとして……そのまま、力なく口を閉じた。
リリーは驚いた後、不思議そうな顔をしている。
そりゃそうだろう。俺もリリーと同じだ。何故、いきなり、このタイミングでなのかが、理解できない。
「いや、宇迦之さん。一回、ちゃんと皆に説明して、納得してもらってからにしましょうよ。」
だから、俺はそのまま、自分の思いを提案するも、それを聞いた宇迦之さんは首を振る。
「それでは、時間がかかりすぎるのじゃよ。」
「時間ですか? 良いではないですか。特に急ぐ必要も無いかと思うのですが。」
「いや、急がねばならんのじゃよ。結界が消え去ったこの状態は、色々と問題があるのじゃ。」
ならば、張りなおせば良いじゃないですか。
そう言いかけて、俺ははたと、気がつく。
まてよ? そう言えば、何故、宇迦之さんは、さっさと結界を張り直さない?
確かに、結界が無い状態は、安全面から言えば、あまり良い状況じゃない。だが、それだって、張ってしまえば良いだけだし……。そこまで考えて、俺は違和感を覚える。
俺は少し考え、推測を立てる。
宇迦之さんが言う以上、そこに問題があるからこそ、実行できない筈である。
先程まで、結界の無い状態は落ち着かないと言っていた。
ならば、契約が完了した時点で、結界を張り直せば良かったのだ。
しかし、現実として、彼女は今まで結界を張り直していない訳で……。
単純に、タイミングの問題? なら、今張れば良いだけだ。それが出来ないのは……。
「もしかして……また結界を張ったら、外に出れない?」
心の底からポツリと浮かんだ言葉が、口をついて出た。
そして、俺のそんな言葉に、宇迦之さんは黙って頷くと、
「うむ、その通りじゃ。」
と、非情な現実を突きつける。
それは……想定外だった。
いや、契約したら、好き勝手に結界を通り抜けられるようになると、自分勝手に考えていたが、そりゃ、そんな都合よくいくわけが無いのは当たり前だ。
「いや、しかし、一回、張った後に、また解除して、張りなおせば……。」
「大結界を張った後、わらわは暫く、眠りにつくことになるのじゃ。恐らく、年単位で動けなくなるかの。」
「何なら、暫くの間は……結界無しで……。」
「それではこの森の生態系が瓦解するのじゃ。結界が無くては、森の隅々まで主殿の魔力が行き渡らん。」
「それなら俺が結界を……。」
「主殿の魔力は、わらわを通して森に循環させなくては、意味がないのじゃよ。物理的に、空間的に囲い込むだけでは駄目なのじゃ。森を、わらわの中に飲み込むのが、大結界なのじゃからな。」
「いや、それでも何か手が……。」
考え込む俺に、宇迦之さんは不思議そうに聞く。
「主殿は、外の世界に行きたいのではなかったのかの?」
「いや、流石に、夜逃げのように、皆の前から姿を消すのは嫌ですね。出来れば、皆に納得してもらった上で……。」
「いえ、それは無理です。ツバサ様。」
しかし、俺の言葉は、横合いからの言葉に一刀両断される。
「レイリさん……。」
俺の驚いた声に、一瞬、何かを考えるも、直ぐにレイリさんはその目に力を滲ませ、説明を始める。
「残念ですが、今の私達の意識では、ツバサ様が外に出るのを良しとする者など、居ないでしょう。それ程までに、ツバサ様の影響力は強いのです。また、桜花は……きっとのらりくらりと、返答をかわすでしょう。そして、膨大な時間を掛けた後、結局、ツバサ様は、お一人で森を出て行く……そうなると思います。」
その一遍の曇りの無い言葉を受けて、俺は考える。
確かに、そうなる可能性は高い。
今の獣人族の結束は、俺を中心に結ばれている訳だし、そんな俺を、みすみすと危険な外へ出したいとは思わないだろう。
事実、前の会議でも、俺が外へ出て行くことに、皆、難色を示した。
もし、代役が立てられるのであれば、獣人族の皆は、それで折り合いを付けたいと望むはずだ。
しかし、俺はこの目で外の世界を、見てみたい。だからこそ、俺が行かなくては意味がないのだ。
勿論、必要だから行くという部分もある。俺の力で無いと、外の情勢が詳しく判らないだろう。
だが、やはり、それでも……。
考え込む俺の顔を見て、レイリさんが口を開く。
「ツバサ様……お行き下さい。後のことは、私と宇迦之が何とかします。」
その言葉に、俺だけでなく、その場に居る皆が、驚いた。
「お主……。」「お母さん?」
思わず、宇迦之さんとリリーが、言葉を漏らす。
しかし、その中で、ヒビキだけは、その目に力を込めてレイリさんを見ていた。
その目は問うている。それで良いのか? ……と。
レイリさんは、一瞬、ヒビキと睨みあう様に、視線を合わせると、自嘲気味に口元を歪ませた。
「本音を言えば、私もツバサ様に着いていきたい。」
そうして、目を閉じる。一瞬の黙考の後、
「ですが、それではツバサ様のいない間、森を守る者がいなくなります。」
目を閉じたまま、レイリさんは、残念そうに呟いた。
そして、狼の……森の王者たるその視線を俺に向ける。
「何より……私の力では、ツバサ様をお守りできません。外の世界では、私は足手まといにすらなるでしょう。」
何故か、はっきりと、そう俺に告げた。
いや、何故なのか……俺は何となく判っている。
彼女は言っているのだ。自分では、隣に立てないと。
「ですから……ツバサ様。」
俺は、その視線を受け止める。彼女の言葉から、逃げる訳には……いかない。
俺には、その義務がある。……いや、ごまかすのは辞めよう。そうしなければ、俺は進めない。
互いの視線が交差する中、俺はレイリさんの陰る瞳を見つめ、そして、
「私は、森に残ります。」
その言葉を聞いた瞬間、別離の悲しみと、しかし、森を任せられると言う安堵や、その他の感情がごちゃ混ぜになって、俺の心をかき乱していった。
「そう……ですか。いえ、レイリさんが残って下さるなら、俺は安心して……いや、でも……もしかしたら、まだ何か方法が……。」
一瞬にして別離を言い渡された俺は、そんなごちゃ混ぜの感情をそのまま吐露する。
森も任せたい。俺は森を出たい。けど、レイリさんと離れるのは寂しい。
これが、まだ時間を掛けて納得できる環境であったならまだしも、突然の展開である。
覚悟はしていたつもりだが……やはり、つもりだったらしい。
俺は、心の中に吹きすさぶ、感情の嵐を持て余していた。
そんな俺を見て、レイリさんは、クスリと笑うと、
「ふふふ……そのお言葉だけで十分です。森はお任せ下さい。ツバサ様は、思うとおりに……私は隣にはいられませんが、その分、影で支えさせて貰います。」
そんな風に、何故か素敵な笑顔……で言う。それが狼の物であったとしても、だ。
俺は、そんなレイリさんの笑顔を見て、はっきりと、別れを悟る。
いや、そりゃ、いつかは出て行くつもりだったけど、ここまで余裕の無い形になるとは思わなかった。
何とか……何とかならない物だろうか?
そんな迷う俺を、優しく諭すように、
「それでは私が着いて行けない代わりに、リリーを連れて行って下さい。私ほど抱き心地は良くないでしょうが、これでも一応、私の娘ですからね。なんでしたら、私の分まで、存分に愛して頂いても宜しいのですよ?」
そんな風に、茶化すレイリさん。
そして、「お母さん!?」と、リリーが真っ赤な顔で向き合うと、突然、レイリさんは真剣な顔になって、リリーに問うた。
「リリー。貴女は、ツバサ様の傍に居たい?」
いきなりの問いに、リリーは戸惑った様子だったが、直ぐに真剣な顔になると、
「うん。私、ツバサさんと離れたくない。」
と、その耳を起立させ、狼姿である母を真っ直ぐに見つめる。
一瞬、少し寂しそうな表情が、レイリさんの顔に現われ……直ぐに消える。
そして、一歩も引かない、リリーの気丈な様子を見て、更にレイリさんは、問う。
「そう……けど、リリー。貴女は、ツバサ様と同じ位置に……立てるの?」
そういわれた瞬間、リリーの耳がしなしなとしおれる様に崩れ、頭にぺターンと張り付く。
おう、何と判りやすい。流石はリリー。耳は口ほどに物を言う。
しかし、見ると、リリーの目は死んでいなかった。
「判らない……けど……立ちたい。今は無理かもしれないけど。いつかは……私……ツバサさんに相応しい人になりたいの。」
「あれを……見た後でも、なのね?」
「うん。」
耳は完全に屈服しながらも、目だけは、まだその光を残して、そう言い返す。
そんな娘の姿を見て、レイリさんは微笑むと、
「そう……。ならば、頑張りなさい。喰らいついて、絶対に、離しては駄目よ?」
そんな風に、恐ろしい事を平然と言う。
いや、比喩だって言うのは判るんだけど、狼だけに洒落になりません。
丸かじりされる光景が一瞬脳裏に浮かぶも、激励された娘は、素敵な笑顔で、「うん!」と、頷くのだった。
そんな親子の会話の中、俺の探知に見知った反応がかかった。
一直線に、ルカールからこちらに向かってくる。
これは……シャハルさんか?
そして、少し遅れて、レイリさんが鼻をひくつかせると、シャハルさんが飛来する方向を見て、顔をしかめた。
「あの翼族……なんて間の悪い……。」
そう毒づくも、レイリさんは直ぐにこちらに振り返り、
「ツバサ様、森は私達にお任せ下さい。ツバサ様が導いてくれたこの国を、もっと素晴らしい国家に仕上げて見せますわ。そして、お戻りになられる日まで、このレイリ、いつまでもお待ちしております。」
そう言うと、一歩踏み出すも、思い出したようにまた振り返ると、
「そうそう、リリーの事もよろしくお願いします。リリー、しっかりね? ……それでは……御武運を!」
そう捲くし立てると、シャハルさんの飛来する方へと、駆け出していった。
え? いや、何で? 折角なんだし、シャハルさんに挨拶してからでも……。
てか、レイリさん、何しに行くの!?
俺が混乱していると、宇迦之さんが、やれやれと言うように、肩をすくめて、問いかけてきた。
「主殿……シャハル殿に挨拶してから……とか、思っておるのじゃろ?」
「え、ええ。その方が良いかなと……。駄目ですか?」
このまま行くにしても、やはり申し訳ない気持ちもある。
少し位、挨拶していっても、良いのでは……と思うのだが。今まで散々、お世話になった訳だし。
しかし、俺の答えを聞いて、宇迦之さんは少し真剣な顔で
「駄目に決まっておろう。主殿の事を絶対に外に出したくない獣人の筆頭が、あの翼族じゃしの。延々と拝み倒され、泣き落とされて、折角のチャンスをふいにするのが、目に見えるわい。」
う……確かに……。
何だか、シャハルさんの頼みは断れない部分があるのは確かだ。
なんだかんだで、色々良くして貰っているし。そういう部分で、無下に出来ないのはその通りだろう。
「しかし、少し位なら、挨拶しても……。」
「主殿……絶対に言い負かされるぞ。じゃから駄目じゃ。何の為にレイリが行ったと思っておるのじゃ。」
そう言われて探知を見ると、何故かレイリさんとシャハルさんの反応が戦っていた。
いやいやいや……そこまでする必要ないんじゃないの!?
「ちょ、レイリさん……そこまでするの!?」
俺の言葉に、埒が明かないと思ったのだろうか。宇迦之さんは、少し苛立った様に、言う。
「よし、主殿。煮え切らないのなら、わらわやレイリのせいにしてくれて良い。主殿が森を出て行けば、わらわ達の勝ちなのじゃよ。」
「いや、わけ判らないんですけど!?」
そんな勝負、挑んだ覚えもなければ、そんな大事になると言う実感も湧きやしない。
しかし、そんな俺の胸中など知らないと言った様に、宇迦之さんは声を上げる。
「伯! やるのじゃ!」
「承知した。」
一瞬にして、金の龍さんの顎に噛み付かれる俺。
しかし、既に通常モードに戻っていた防護壁が作動し、その牙を押し止めていた。
「ちょ!? 宇迦之さん!?」
何をする気なのかと思ったら、いきなり視界が猛スピードで移り変わる。
「ちょ!? なーーーにーーーーーをぉおおおおーーーーーーーー!?」
ブレまくる視界をもって、俺は、凄い勢いで金の龍さんにぶん回されていると理解する。
理解はしたが、途端に平衡感覚が狂い、先程暴発した時と同様に、目が回り、気持ちが……ううぅ。
そんな中、宇迦之さんの声が、何故か明瞭に聞こえた。
「大丈夫じゃ。わらわと主殿の子供達は、皆、強く賢いのじゃ。森は任せて、安心して行って来るが良いぞ。」
は!? いや、宇迦之さんと俺の子供!? いや、それは、失敗……って、ああああああ!?
先程の話の中で、宇迦之さんの言葉でふと気になった、違和感の正体に俺は気がついた。
しかし、その言葉の意味を理解したと同時に、俺は、猛回転をしながら、森の外へと、すっ飛んでいったのだった。
「主殿、ちょっと良いかの?」
「ええ、何でしょうか? と言うか、主殿はやめましょうよ。これまで通りで結構です。」
俺は、呼ばれ慣れない呼称に思わず眉をしかめ、そのように返した。
しかし、宇迦之さんは、それを意にも介せず、そのまま話を進める。
「まぁ、そのうち慣れるから大丈夫じゃよ。それよりも、一つ主殿に知っておいて欲しい事があるのじゃ。」
いや、そんなあっさり流さなくても……と思うも、俺はそのまま渋々、話の流れに乗り、黙って頷いた。
それを見て、宇迦之さんも頷き返すと、少し姿勢を正し、口を開く。
「まず、これで主殿とわらわの間に繋がりが出来たのじゃ。これの繋がりは、今は弱いのじゃが、徐々に強くなっていくはずなのじゃ。」
その言葉に俺は頷く。
宇迦之さんの言う通り、俺と彼女の間には、魔力の通路が形成されていた。恐らく、これの事を言っているのだろう。
俺には知覚できるが、どうやら他の人にこの通路は見えないらしい。
まぁ、俺もかなり意識を向けないと見れない程、存在の薄い物だから、本当は見えてはいけない物なのかもしれない。
「そして、この繋がりが強くなれば、何処に居ても、主殿はわらわと会話し、存在を感じ、最終的には、呼び出す事が出来る様になるはずなのじゃ。」
「呼び出す……召喚魔法ですか?」
「うむ、人族の間ではそんな風にも言われておるの。」
宇迦之さんのそんな言葉に、俺は少し胸を高鳴らせる。
いや、だって召喚魔法ですよ? 我が呼びかけに……とか、ドカーンとやれる訳ですよ? これでときめかなくては、男ではないでしょう?
などと、不謹慎な事を考えていると、宇迦之さんは少し眉を寄せ、
「主殿……何か変な事を考えておるのかの?」
と、呟くが、そのまま「まぁよいわ。」と、話を続ける。
「ちと意外ではあるが、主殿がわらわを呼び出す事に対して、忌避感が無ければ良いのじゃ。」
「忌避感ですか?」
ナーガラーシャが派手に現われ、8つの首がブレスを吐きまくる光景を妄想していた俺は、不意打ちのような宇迦之さんの言葉に、思わずそう問い返した。
その俺の問いに、宇迦之さんは頷くと、
「いや、主殿と繋がっている精霊を呼び出す様子が無かったしの。呼び出すと言う事に、抵抗があるのかと思っておったのじゃ。じゃから、わらわの事も、呼び出すつもりが無いのかと思っておったのじゃよ。」
あー、それに関してはどうだろうか。
宇迦之さんとディーネちゃんでは、俺の中での扱いが違う。
ディーネちゃんを呼び出すのは躊躇してしまうが、宇迦之さんを呼び出すのは……いや、何か呼び出したら大変な事になるんじゃないの?
人族との争いで? いや、正に人が虫けらのように消え去るだろう。
何か強大な敵と対峙する時? 宇迦之さんクラスの敵とガチ勝負? 余波で軒並み壊滅じゃないの?
俺が、脳内で宇迦之さん……正確には、ナーガラーシャを呼び出す場面を想像するが、いずれも大惨事の光景しか思い浮かばない。
宇迦之さんは、そんな腕を組んで唸りだした俺を見て、深いため息を吐くと、
「やはり、主殿がわらわを呼び出すことは、余り無さそうじゃな。」
少し残念そうに、そう呟く。
う、そう言われましても……使い何処が不明です。
そんな俺の情けない心情を読み取ったのか、宇迦之さんは微笑むと、諭すように言葉を紡ぐ。
「まぁ、それが主殿なのじゃし、わらわとしても、そんな事で悩ませたくは無いのじゃ。」
そして、宇迦之さんは俺の目を真っ直ぐに見つめると、
「じゃが、もし……もしも、じゃ。わらわの力が必要になった時は……迷わないで欲しいのじゃ。わらわは、主殿に呼ばれるのを、いつも待っておるのじゃよ。それを忘れないで欲しいのじゃ。」
そう、小さな声で語りかけてきた。
声は小さかったが、その言葉には、懇願にも似た響きがあり、その声には真摯な思いも感じられた。
その姿を見て、俺の脳裏にディーネちゃんが浮かぶ。
そうか、そう言えばさっき、宇迦之さんは言っていたな。精霊とは、人に奉仕する存在だと。もしかしたら、神と呼ばれたナーガラーシャも、それに似た業を持っているのかもしれない。
まぁ、正直、どんな場面で呼び出す事になるかはわからないが、彼女がここまで言うのだ。その時が来たら……いや、来てしまったら、素直に竜神様に頼ることにしよう。
俺は、そう心を決めると、宇迦之さんの目を見つめ、
「判りました。その時が来たら、宇迦之さん、力を貸して下さい。」
そう力強く答える。
その俺の言葉を聞いて、宇迦之さんはふさふさの尻尾を更に膨らませると、
「うむ! きっとじゃぞ! 約束じゃからな!」
と、満面の笑みで答えたのだった。
そんな風に、宇迦之さんと話していると、
『ツバサ、大丈夫?』
と、目の前に突然文字が浮かんだ。見ると、ルナが氷の床近くまで、ゆっくりと飛んできていた。
氷の床を挟んで、ルナが俺の下に存在すると言う光景が、かなりの違和感を持って俺の目に飛び込んでくる。
良く見ると、他の皆も到着していたようだ。そう思っていると、俺達の直下から、声が響いてきた。
「ツバサさん! 大丈夫ですか!?」
「ツバサ様! お怪我は御座いませんか!」
そんなリリーとレイリさんの心配そうな声と、
「父上! さすが父上で御座います! 見事な一振りで御座いました!」
「お父様! 此花もお父様に置いて行かれない様、頑張りますわ!」
返答に困る我が子達の賛辞と、嬉しそうなティガ親子の鳴き声が響いてきた。
ちなみに、ヒビキにはリリーが跨り、クウガには咲耶が、アギトには此花が跨っているようだ。
取りあえず、俺は皆に無事を伝える為に、真下に向かい声をかける。
「皆、来てくれたのか。ありがとう! 俺は、大丈夫だよ! むしろ、情けない姿を見せてしまって、恥ずかしいよ。」
そんな俺の声に、何故か皆は気を使ってか賛辞を返す訳で、
「いえ! そんなことはありません! 凄かったです!」
「ええ、あの滑りは、見事でした。あのような事、常人には出来ません!」
「そうですぞ父上! 魔力で滑るなど……この咲耶、考えも及びませんでした。」
「しかもあのスピードのまま顔面で着氷とは……お父様の強靭さを改めて、心に刻み付けましたわ!」
……どう聞いても、俺は顔を両手で覆い隠すしかない状態であった。
皆、何故、俺の心を折りにかかるの!? ……忘れようとしていたのに!
そんなうな垂れる俺を見て、ヒビキだけが何故か哀愁を含む鳴き声を放つ。何故、俺は人では無く、ティガに慰められているのだろうか……。
そんな様子を見ていた宇迦之さんは、横で笑い声を上げるのであった。
暫く、皆の拷問に似た賛辞を聞いた後、俺は何とか再起動した。
それを見たルナは、俺達に氷の結界を解くことを伝えると、俺と宇迦之さんはそれぞれ、一旦、空中へと浮かぶ。
地平線まで続いていた氷の床が、溶ける様に無くなっていく様子を、俺は上空から見ていた。
それは、中天を少し過ぎ、降って行く陽光に晒され、溶けていく氷そのものであった。
思いもしない美しい光景を堪能した俺は、にゆっくりと、地面へと降り立つ。そして、真っ先にルナへと声を掛けた。
「ルナ、ありがとう。今回も無理させちゃって、ごめんな。体、大丈夫か?」
ルナは、そんな俺の言葉を聞くと、首を静かに振り、
『大丈夫! あの位なら何度でも受け止めて見せるよ!』
と、笑顔で余裕の発言である。
だが、俺は知っていた。
今回の防壁の維持には、かなりの労力を使わなければならなかった事を。
ルナはこう言うが、実は結構、際どい所だったと思う。
何しろ、今回は俺が盛大に暴走した事もあって、防壁の維持に気が抜けなかったはずなのだ。
何処に飛ぶかわからない上に、威力も最大級の魔力弾だった訳だし。だからこそ、ルナの力をもってしても、山脈の防護は諦めなければならなかったし、所々、防壁が破損していたのだと思う。
いつもなら、着弾点を的確にガードしてくるはずなのに……だ。
だから、俺は黙って、ルナの頭をポンポンと、優しく叩くように撫でると、
「ああ、頼りにしているよ。けど、次はもう少し……うまくやるよ。」
そう笑いかけた。
ルナはいきなり撫でてくると思わなかったのか、一瞬呆然と俺の顔を見ると、まるで花が咲いたように、その顔に笑顔を浮かべ、しっかりと頷いたのであった。
しかし、そんな暖かい雰囲気も、
「そうだ、父上。言付けが御座いまする。」
「そうでしたわ。桜花爺様が、事が済んだら来る様にと、おっしゃっておりましたわ。」
と言う、我が子達の言葉を受けて、一瞬にして凍りついた。
ああ、忘れていた……。宇迦之さんの事も、戦いの事も何にも説明していなかったわ。村は今頃、盛大に混乱しているだろうな……。
山脈からいきなり龍が現われ、空には突然、氷の膜が張り、結界まで消え、あまつさえ龍達と俺がバトル。
見たことの無い魔法が乱舞し、レーザーが頭上を飛び交い、精霊の軍団が空を舞い、最後は山脈が大爆発して吹っ飛ぶという落ちだ。
流石に、日ごろ俺の良くわからない行動で耐性がついているとは言え、これは無理だろう。
ふと横を見ると、何故かレイリさんまで難しい顔である。まぁ、狼が難しい顔って言うのも、面白いが。
しかし、何故、レイリさんまで……? と考え、直ぐに心当たりに行き着く。
そうか、ここまで大事になるとは思ってなかったんだろうし、半分物見遊山で来ていたのだろう。と言うことは、自分の業務やら全てほったらかしなんだろうな……。
そして、この大惨事……なるほど、シャハルさん辺りが、静かに怒りを振りまいている頃だろうか……。
俺は、乾いた笑いを響かせながら、翼を天にそそり立たせる翼族の長を想像して身震いする。
そんな俺とレイリさんを見て、何故か宇迦之さんが、
「ふむ、ここはわらわとレイリに任せておくのじゃ。」
と豊満な胸を張って、宣言した。ゾワリと背中を伝う冷気に、俺は心で首を振る。俺は何もしていない!
そんな俺の心の攻防を置き去りにして話は進む。
「ちょっと……宇迦之。私も巻き込むとはどう言う……。」
「まぁ、待つのじゃ。」
レイリさんが異を唱えようとするも、珍しく強気の宇迦之さんに止められ、渋々、その口を閉ざす。
その様子を見て、宇迦之さんは満足げに頷くと、俺の方に向き直り、宣言した。
「ここは、わらわとレイリが収めるのじゃ。そして、主殿は、その間に外の世界に行くのじゃ。」
突然の宇迦之さんの提案に、皆驚く。
横目で見ると、レイリさんは口を開き、言葉を出そうとして……そのまま、力なく口を閉じた。
リリーは驚いた後、不思議そうな顔をしている。
そりゃそうだろう。俺もリリーと同じだ。何故、いきなり、このタイミングでなのかが、理解できない。
「いや、宇迦之さん。一回、ちゃんと皆に説明して、納得してもらってからにしましょうよ。」
だから、俺はそのまま、自分の思いを提案するも、それを聞いた宇迦之さんは首を振る。
「それでは、時間がかかりすぎるのじゃよ。」
「時間ですか? 良いではないですか。特に急ぐ必要も無いかと思うのですが。」
「いや、急がねばならんのじゃよ。結界が消え去ったこの状態は、色々と問題があるのじゃ。」
ならば、張りなおせば良いじゃないですか。
そう言いかけて、俺ははたと、気がつく。
まてよ? そう言えば、何故、宇迦之さんは、さっさと結界を張り直さない?
確かに、結界が無い状態は、安全面から言えば、あまり良い状況じゃない。だが、それだって、張ってしまえば良いだけだし……。そこまで考えて、俺は違和感を覚える。
俺は少し考え、推測を立てる。
宇迦之さんが言う以上、そこに問題があるからこそ、実行できない筈である。
先程まで、結界の無い状態は落ち着かないと言っていた。
ならば、契約が完了した時点で、結界を張り直せば良かったのだ。
しかし、現実として、彼女は今まで結界を張り直していない訳で……。
単純に、タイミングの問題? なら、今張れば良いだけだ。それが出来ないのは……。
「もしかして……また結界を張ったら、外に出れない?」
心の底からポツリと浮かんだ言葉が、口をついて出た。
そして、俺のそんな言葉に、宇迦之さんは黙って頷くと、
「うむ、その通りじゃ。」
と、非情な現実を突きつける。
それは……想定外だった。
いや、契約したら、好き勝手に結界を通り抜けられるようになると、自分勝手に考えていたが、そりゃ、そんな都合よくいくわけが無いのは当たり前だ。
「いや、しかし、一回、張った後に、また解除して、張りなおせば……。」
「大結界を張った後、わらわは暫く、眠りにつくことになるのじゃ。恐らく、年単位で動けなくなるかの。」
「何なら、暫くの間は……結界無しで……。」
「それではこの森の生態系が瓦解するのじゃ。結界が無くては、森の隅々まで主殿の魔力が行き渡らん。」
「それなら俺が結界を……。」
「主殿の魔力は、わらわを通して森に循環させなくては、意味がないのじゃよ。物理的に、空間的に囲い込むだけでは駄目なのじゃ。森を、わらわの中に飲み込むのが、大結界なのじゃからな。」
「いや、それでも何か手が……。」
考え込む俺に、宇迦之さんは不思議そうに聞く。
「主殿は、外の世界に行きたいのではなかったのかの?」
「いや、流石に、夜逃げのように、皆の前から姿を消すのは嫌ですね。出来れば、皆に納得してもらった上で……。」
「いえ、それは無理です。ツバサ様。」
しかし、俺の言葉は、横合いからの言葉に一刀両断される。
「レイリさん……。」
俺の驚いた声に、一瞬、何かを考えるも、直ぐにレイリさんはその目に力を滲ませ、説明を始める。
「残念ですが、今の私達の意識では、ツバサ様が外に出るのを良しとする者など、居ないでしょう。それ程までに、ツバサ様の影響力は強いのです。また、桜花は……きっとのらりくらりと、返答をかわすでしょう。そして、膨大な時間を掛けた後、結局、ツバサ様は、お一人で森を出て行く……そうなると思います。」
その一遍の曇りの無い言葉を受けて、俺は考える。
確かに、そうなる可能性は高い。
今の獣人族の結束は、俺を中心に結ばれている訳だし、そんな俺を、みすみすと危険な外へ出したいとは思わないだろう。
事実、前の会議でも、俺が外へ出て行くことに、皆、難色を示した。
もし、代役が立てられるのであれば、獣人族の皆は、それで折り合いを付けたいと望むはずだ。
しかし、俺はこの目で外の世界を、見てみたい。だからこそ、俺が行かなくては意味がないのだ。
勿論、必要だから行くという部分もある。俺の力で無いと、外の情勢が詳しく判らないだろう。
だが、やはり、それでも……。
考え込む俺の顔を見て、レイリさんが口を開く。
「ツバサ様……お行き下さい。後のことは、私と宇迦之が何とかします。」
その言葉に、俺だけでなく、その場に居る皆が、驚いた。
「お主……。」「お母さん?」
思わず、宇迦之さんとリリーが、言葉を漏らす。
しかし、その中で、ヒビキだけは、その目に力を込めてレイリさんを見ていた。
その目は問うている。それで良いのか? ……と。
レイリさんは、一瞬、ヒビキと睨みあう様に、視線を合わせると、自嘲気味に口元を歪ませた。
「本音を言えば、私もツバサ様に着いていきたい。」
そうして、目を閉じる。一瞬の黙考の後、
「ですが、それではツバサ様のいない間、森を守る者がいなくなります。」
目を閉じたまま、レイリさんは、残念そうに呟いた。
そして、狼の……森の王者たるその視線を俺に向ける。
「何より……私の力では、ツバサ様をお守りできません。外の世界では、私は足手まといにすらなるでしょう。」
何故か、はっきりと、そう俺に告げた。
いや、何故なのか……俺は何となく判っている。
彼女は言っているのだ。自分では、隣に立てないと。
「ですから……ツバサ様。」
俺は、その視線を受け止める。彼女の言葉から、逃げる訳には……いかない。
俺には、その義務がある。……いや、ごまかすのは辞めよう。そうしなければ、俺は進めない。
互いの視線が交差する中、俺はレイリさんの陰る瞳を見つめ、そして、
「私は、森に残ります。」
その言葉を聞いた瞬間、別離の悲しみと、しかし、森を任せられると言う安堵や、その他の感情がごちゃ混ぜになって、俺の心をかき乱していった。
「そう……ですか。いえ、レイリさんが残って下さるなら、俺は安心して……いや、でも……もしかしたら、まだ何か方法が……。」
一瞬にして別離を言い渡された俺は、そんなごちゃ混ぜの感情をそのまま吐露する。
森も任せたい。俺は森を出たい。けど、レイリさんと離れるのは寂しい。
これが、まだ時間を掛けて納得できる環境であったならまだしも、突然の展開である。
覚悟はしていたつもりだが……やはり、つもりだったらしい。
俺は、心の中に吹きすさぶ、感情の嵐を持て余していた。
そんな俺を見て、レイリさんは、クスリと笑うと、
「ふふふ……そのお言葉だけで十分です。森はお任せ下さい。ツバサ様は、思うとおりに……私は隣にはいられませんが、その分、影で支えさせて貰います。」
そんな風に、何故か素敵な笑顔……で言う。それが狼の物であったとしても、だ。
俺は、そんなレイリさんの笑顔を見て、はっきりと、別れを悟る。
いや、そりゃ、いつかは出て行くつもりだったけど、ここまで余裕の無い形になるとは思わなかった。
何とか……何とかならない物だろうか?
そんな迷う俺を、優しく諭すように、
「それでは私が着いて行けない代わりに、リリーを連れて行って下さい。私ほど抱き心地は良くないでしょうが、これでも一応、私の娘ですからね。なんでしたら、私の分まで、存分に愛して頂いても宜しいのですよ?」
そんな風に、茶化すレイリさん。
そして、「お母さん!?」と、リリーが真っ赤な顔で向き合うと、突然、レイリさんは真剣な顔になって、リリーに問うた。
「リリー。貴女は、ツバサ様の傍に居たい?」
いきなりの問いに、リリーは戸惑った様子だったが、直ぐに真剣な顔になると、
「うん。私、ツバサさんと離れたくない。」
と、その耳を起立させ、狼姿である母を真っ直ぐに見つめる。
一瞬、少し寂しそうな表情が、レイリさんの顔に現われ……直ぐに消える。
そして、一歩も引かない、リリーの気丈な様子を見て、更にレイリさんは、問う。
「そう……けど、リリー。貴女は、ツバサ様と同じ位置に……立てるの?」
そういわれた瞬間、リリーの耳がしなしなとしおれる様に崩れ、頭にぺターンと張り付く。
おう、何と判りやすい。流石はリリー。耳は口ほどに物を言う。
しかし、見ると、リリーの目は死んでいなかった。
「判らない……けど……立ちたい。今は無理かもしれないけど。いつかは……私……ツバサさんに相応しい人になりたいの。」
「あれを……見た後でも、なのね?」
「うん。」
耳は完全に屈服しながらも、目だけは、まだその光を残して、そう言い返す。
そんな娘の姿を見て、レイリさんは微笑むと、
「そう……。ならば、頑張りなさい。喰らいついて、絶対に、離しては駄目よ?」
そんな風に、恐ろしい事を平然と言う。
いや、比喩だって言うのは判るんだけど、狼だけに洒落になりません。
丸かじりされる光景が一瞬脳裏に浮かぶも、激励された娘は、素敵な笑顔で、「うん!」と、頷くのだった。
そんな親子の会話の中、俺の探知に見知った反応がかかった。
一直線に、ルカールからこちらに向かってくる。
これは……シャハルさんか?
そして、少し遅れて、レイリさんが鼻をひくつかせると、シャハルさんが飛来する方向を見て、顔をしかめた。
「あの翼族……なんて間の悪い……。」
そう毒づくも、レイリさんは直ぐにこちらに振り返り、
「ツバサ様、森は私達にお任せ下さい。ツバサ様が導いてくれたこの国を、もっと素晴らしい国家に仕上げて見せますわ。そして、お戻りになられる日まで、このレイリ、いつまでもお待ちしております。」
そう言うと、一歩踏み出すも、思い出したようにまた振り返ると、
「そうそう、リリーの事もよろしくお願いします。リリー、しっかりね? ……それでは……御武運を!」
そう捲くし立てると、シャハルさんの飛来する方へと、駆け出していった。
え? いや、何で? 折角なんだし、シャハルさんに挨拶してからでも……。
てか、レイリさん、何しに行くの!?
俺が混乱していると、宇迦之さんが、やれやれと言うように、肩をすくめて、問いかけてきた。
「主殿……シャハル殿に挨拶してから……とか、思っておるのじゃろ?」
「え、ええ。その方が良いかなと……。駄目ですか?」
このまま行くにしても、やはり申し訳ない気持ちもある。
少し位、挨拶していっても、良いのでは……と思うのだが。今まで散々、お世話になった訳だし。
しかし、俺の答えを聞いて、宇迦之さんは少し真剣な顔で
「駄目に決まっておろう。主殿の事を絶対に外に出したくない獣人の筆頭が、あの翼族じゃしの。延々と拝み倒され、泣き落とされて、折角のチャンスをふいにするのが、目に見えるわい。」
う……確かに……。
何だか、シャハルさんの頼みは断れない部分があるのは確かだ。
なんだかんだで、色々良くして貰っているし。そういう部分で、無下に出来ないのはその通りだろう。
「しかし、少し位なら、挨拶しても……。」
「主殿……絶対に言い負かされるぞ。じゃから駄目じゃ。何の為にレイリが行ったと思っておるのじゃ。」
そう言われて探知を見ると、何故かレイリさんとシャハルさんの反応が戦っていた。
いやいやいや……そこまでする必要ないんじゃないの!?
「ちょ、レイリさん……そこまでするの!?」
俺の言葉に、埒が明かないと思ったのだろうか。宇迦之さんは、少し苛立った様に、言う。
「よし、主殿。煮え切らないのなら、わらわやレイリのせいにしてくれて良い。主殿が森を出て行けば、わらわ達の勝ちなのじゃよ。」
「いや、わけ判らないんですけど!?」
そんな勝負、挑んだ覚えもなければ、そんな大事になると言う実感も湧きやしない。
しかし、そんな俺の胸中など知らないと言った様に、宇迦之さんは声を上げる。
「伯! やるのじゃ!」
「承知した。」
一瞬にして、金の龍さんの顎に噛み付かれる俺。
しかし、既に通常モードに戻っていた防護壁が作動し、その牙を押し止めていた。
「ちょ!? 宇迦之さん!?」
何をする気なのかと思ったら、いきなり視界が猛スピードで移り変わる。
「ちょ!? なーーーにーーーーーをぉおおおおーーーーーーーー!?」
ブレまくる視界をもって、俺は、凄い勢いで金の龍さんにぶん回されていると理解する。
理解はしたが、途端に平衡感覚が狂い、先程暴発した時と同様に、目が回り、気持ちが……ううぅ。
そんな中、宇迦之さんの声が、何故か明瞭に聞こえた。
「大丈夫じゃ。わらわと主殿の子供達は、皆、強く賢いのじゃ。森は任せて、安心して行って来るが良いぞ。」
は!? いや、宇迦之さんと俺の子供!? いや、それは、失敗……って、ああああああ!?
先程の話の中で、宇迦之さんの言葉でふと気になった、違和感の正体に俺は気がついた。
しかし、その言葉の意味を理解したと同時に、俺は、猛回転をしながら、森の外へと、すっ飛んでいったのだった。
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