比翼の鳥

風慎

第50話 百花繚乱

 ボーデさんが腰だめに放った拳を、咲耶は危なげもなくかわす。
 咲耶は生まれた隙を見逃さず、攻撃に転じた。
 弧を描きつつ淀みなく流れるように剣が空を滑り……天をさした所で突然止まる。

 そして、その剣は、振り下ろされることは無かった。

 咲耶の顔に浮かぶ苦悶の表情。どうやら、どうしても、そこから剣をおろすことができないらしい。
 その生まれた僅かな隙に、ボーデさんは躱された拳を横に振るい、裏拳気味に咲耶の顔を狙って振りぬく。
 それも、咲耶は最小の動きで見切ると、剣を横なぎに払おうとして……そのままの姿勢で固まってしまった。

 やはり、精霊に課せられた業は、並の事では断ち切れないか……。
 俺は、咲耶の動きを見て、改めてそう感じる。
 咲耶は、幾度となく、剣をボーデさんにあてようとしていた。
 勿論、本当にあててしまったら、ボーデさんは真っ二つになるのは明白なので、加減をして寸止めに留めようとしているはずだ。
 だが、それでも精霊の強制力が働くらしく、ボーデさんに対しある一定の間合いまで剣が近づくと、その剣筋は、壁に当たったように、止まってしまうのである。
 もう少し剣がボーデさんの近くまで踏み込むことができれば、ボーデさんも流石に、降参するだろうが……。
 だが、実際は、剣筋がそこまで行かないので、かえってボーデさんのプライドを逆なでしているらしく、

「おらぁ! お嬢ちゃん、どうした! 俺に一発当ててみろや! そんなんじゃ、俺はあんたの事を認められねぇぞ!」

 と、かなり頭に血が上った状態で、拳激を繰り広げている。
 そんな真っ赤なボーデさんとは対照的に、俺の隣で冷気を発しているのではいかと思えるほど、冷たい雰囲気をまとったライゼさんが口を開く。

「ツバサ、御免なさい。あの……恥晒しは……後で、調教しておく。」

 調教って何!?
 そう思うも、ライゼさんの割と本気っぽい発言に、俺は苦笑を返すことしかできなかった。
 ライゼさんの張り付いた笑みが、恐ろしいです。
 さらば、ボーデさん。たくましく生きてほしい。

 ふと見ると、ギルドマスターがまるで逃げるようにこちらに向かってきた。
 先程のボーデさんの技に、完全に巻き込まれそうになってたしな。
 流石に、身の危険を感じ、こちらに退避してきたようである。

「うむぅ……。あのボーデの拳を、これほどまであっさりと見切るとは……。恐ろしいお嬢ちゃんじゃの。しかし、確かに、ボーデの言う通り、解せんの。なぜ、あのお嬢ちゃんは、反撃しないのかの。」

 そんなギルドマスターの呟きにも、俺は言葉を返せないでいた。
 いやぁ、だって精霊ですし……、とか言おうものなら、どんな反応が返ってくるのやら。

 しかし、想像はしていたが、やはり精霊という存在は、人族にとってはあまり馴染みがないようだ。
 もしかしたら、ギルドマスターのような権力者には、我が子たちが精霊であることがばれるかと思っていたのだが、そういう事も無いらしい。

 その点は収穫ではあった。
 あったが、現在の状況の根本的な解決には至っていない。

「ふむ。解せぬ部分は多いが、既に力量は十分に見せてもらった……。あれだけボーデと対等に渡り合えれば十分じゃろ。」

 そんなギルドマスターの言葉に、俺は咄嗟に口を開く。

「いえ、もう少し様子を見させてください。」

 そんな俺の言葉が、心底意外であったのだろう。

「なんじゃと? もう十分じゃと思うが? ああなったのもボーデが勝手にやっていることじゃ。本来であれば、あの馬鹿が本気で技を放った時点で止めねばならんかったのじゃしのぉ。ありゃ反則負けじゃよ。死人を出すかもしれない技じゃしの。まぁ、結果として、それすらお嬢ちゃんは防いでしもうたわ。ギルドとしては、十分に合格点じゃよ?」

「いえ、そういう事ではないのです。実は、こちらも少し思うところがありまして……もう少しだけ、彼女とボーデさんを戦わせてくれませんか? お願いします。」

 俺はギルドマスターに頭を下げた。
 そんな俺を、ギルドマスターは言葉もなく見つめていたが、

「ふむ、そこまで言うのであれば、良いがの。今度こそ危ないと思ったら止めるぞ?」

「ええ、それで結構です。よろしくお願いします。」

 そう、俺の言葉を聞き入れてくれた。
 やはりギルドの長をしているだけはある。懐が深い。

 彼女は今、必死に戦っている。
 それは、ボーデさんを通して、彼女の背負う物とだ。
 まだ、彼女は全てを出し切っていない。
 同様に、俺の横で、歯を食いしばって咲耶の戦いを見守る此花だって、このままでは終わりたくないだろう。
 だから、あと少し、時間が欲しかった。
 だが、同時に俺は理解してしまっている。

 あと少し、何かが足りない。

 彼女の頑張りだけではなく、決定的な何かが……。
 それは何だろうか? 俺にできることがあるのだろうか?

 苦しそうに顔をゆがめながらも、素早く剣激を飛ばす咲耶。
 しかし、その太刀筋はいずれも、空中で阻まれるように止まってしまう。
 それを止めているのは、彼女の腕自体なのだろうが……全く……どうにかならないのか?

「そうよねぇ。本当にどうにかならないのかしら。幾らそれが世界の理だとしても、理不尽よね。」

 全くだ……。
 この世界も精霊に対して酷な事をする。
 もし、この世界の神と言うものがいるならば、それはさぞかし冷酷な奴に違いない。
 第一、人族が優遇されすぎだろう。まぁ、人族の守護神ならそれも頷ける話だが。

「あら、ツバサちゃん良い所に気が付いたわねぇ? そうなのよ。今の神様って不公平なのよねぇ。」

 なるほど。つか、神様っているのか。
 まぁ、精霊がいるのなら神様がいても不思議ではないかな?
 あ、とすると、もしかして、俺たちの行動って結構筒抜け?

「いいえ、私が守ってるから大丈夫よ。ツバサちゃん達には指一本触れさせないわ!」

 おお、それは頼りになる!! 流石!!

「んふふ。そうでしょ? もっとお姉さんを褒めてくれていいのよ? あ、ご褒美にあんな事やこんな事も……。」

「あー……流石に、それは口に出さないで下さい。ディーネちゃん。」

 そう。先程から、当たり前のように、俺の心の呟きに乗ってきたのはディーネちゃんだった。
 見ると俺の右側に、気配すら感じさせずフワフワと漂っている。
 いやー、本当に便利ですね。そのミノフスキー的な浮遊術。
 そんなディーネちゃんの姿は、相変わらず神々しく、慈愛に満ちており、その胸元は当たり前のように、おかしな質量を誇っていた。
 ひらひらと舞う水色の髪に、羽衣を思わせる服は、光を浴びてその色を水のようにゆらゆらと変えていく。
 足元には此花が、何故か祈るような姿勢で跪いていた。
 ん? 今回の顕現……もしかして、此花の働きかけか?

 更にこちらの騒ぎに気が付いたのだろう。
 ギルドマスターとライゼさんがこちらに視線を寄越し……彫像のように固まっていた。
 ギルドマスターに至っては、顎が外れそうな勢いで口を呆けたように開けている。

「いやん! ツバサちゃんのイケず!! そんな事どうでもいいじゃない! それより、折角、突然登場しても驚いてすらくれないなんて!」

 いや、全然良くないでしょう?
 ほら、人族のお二人が固まってますよ?

 つか、普通に驚きましたよ? けど、それ以上に、当たり前のように会話続けるんですもん。
 なんか、驚き所がつかめなくて、取りあえず流しちゃいましたよ?
 っていうか、イケずとか、そんな古い言葉、良く知ってますね!? そっちにびっくりですよ!?

「そりゃぁ、四六時中、ツバサちゃんの心を覗いているからよぉ。あまり傍にいられないんですもの。せめて心だけでも……ね?」

 あああああ!? またそうやって、恐ろしいことを何時の間に!?
 いや、頼みますから、そうやって、寂しさを盾に、俺の人権を蹂躙しないでください。
 プライバシーの権利を要求する! 断固!!

「大丈夫よぉ。そんな些細なことで、私は貴方を嫌ったりしないわよ? 例えば、小学4年生にもなっておねs……。」

 すとーっぷ!?
 いいでしょ!? そんな子供の時の頃とか!?

「やーぁん! ツバサちゃんったら、恥ずかしがっちゃって! 可愛い!!」

 そう言いながら空中を滑るように俺の前へ移動し、額をツンツンするディーネちゃん。
 あかん、このままでは、また彼女のペースだ。

 そう心の中で突っ込んだとき、左腕に程よい弾力と重さがかかる。
 見るとまるで親の敵でも見るかのように、ルナがディーネちゃんを睨んでいた。

「やぁん! ルナちゃん、そんな怖い顔しちゃダメよ? 大丈夫。お姉さんはルナちゃんのツバサちゃんを取ったりしないから。」

 しかし、ルナは俺の左腕をしっかりと抱きかかえたまま、ディーネちゃんに唸り声を上げそうな勢いでけん制している。
 あらま。こんなルナを見るの、久々かもしれん。
 最近は何か悟ったような行動が多かったが、ここまで感情を露わにするのも久々ではなかろうか。

「しょうがないわねぇ。けど、ルナちゃんもやっと吹っ切れたのね。じゃあ、お姉さんも遠慮しないから!」

 そういうや否や、ディーネちゃんはルナと俺ごと、その大質量の物体に埋め込みにかかった。

 ちょっ!?
 だから、なんでいつも胸に俺を埋めにかか……俺にはルナが…………柔らか…………暖か…………うま……。

「もーー! 二人とも、本当に可愛いんだから! どうしてこんなにこの子達は純粋なのかしら!」

 そう言いながら俺とルナを胸に抱えたまま、左右にぶん回すディーネちゃん。
 俺の顔は柔らかい凶悪な物体に完全に包囲され、もはや抵抗する気すらそぎ落とされていた。
 同時に、ルナも初めはもがいていたが、徐々に動きが緩慢になり……最後は完全に俺と同じようにただ人形のように振り回されるのみとなった。

 そうして、しばらくの間、俺とルナはディーネちゃんの胸元で好きなように蹂躙され続けたのだった。



 しばらくして、解放された俺たちは、がっくりと膝をつき、荒く息をしていた。
 死ぬ……死んでしまう。危なかった。

 見ると、元凶であるディーネちゃんは、満足そうに微笑みながら、俺たちの前を音もなく滑っている。
 心なしか肌の艶が増している気がする。そうですか、満足ですか。

 なんか、すごい敗北感と凌辱感がごちゃ混ぜになった状態だ。
 これが、圧倒的な戦力差を目の前にした人の感情なのだろうか。

 ちなみに、ルナは声にこそ出てないが、無意識にだろう。口が動いていて何かを呟いているのが感じられた。
 とりあえず、俺は知らない方が良い気がするので、あえて見ないように視線を外す。

 ふと見ると、ディーネちゃんの後ろで、ボーデさんと咲耶が未だに戦っているのが見えて、俺は一気に思考が冷えていく。
 おいおい、咲耶が頑張ってるのに、ディーネちゃんの胸で溺れてる場合じゃないだろう!?

「うふふふ……ちょーっとはしゃぎすぎちゃったわね。失敗失敗。」

 失敗どころじゃねーよ!? 何してんの!? 俺たち親でしょぉおおおお!?
 子供が頑張ってる横で、イチャラブしてる場合じゃないでしょ!?
 ある意味、最低の部類の親じゃないですか!?

「やぁーん! 怒っちゃダメ。大丈夫よ、私は咲耶を助ける為に出てきたんだから。」

 いや、初めにそれ言おうよ! つか、早く助けましょうよ。流石に、咲耶が辛そうにしているのを見るのは嫌だ。

「んー、けど、咲耶を助けられるのは私じゃないのよ。」

 あれ? そうなの? じゃあ、誰が咲耶を助けられるんだ?

「そ・れ・はぁーー……。」

 そういって、ディーネちゃんは俺の前に来ると、俺の頬を両手で優しく包み込む。

「勿論、それはツバサちゃんにしかできないの。」

 真剣な表情で、俺の目を覗きこむディーネちゃん。
 その目に、いつもの緩んだ様子も、ふざけた様子もない。
 初めからそれで行きましょうよ……そう思うも、今は話を聞くことにする。

 しかし、どうやって? 俺に何ができるのだろうか?
 そう考えて、一瞬、俺の魔力に何か関係があるのかと思い至った。
 確か、此花と咲耶は、ディーネちゃんと同じように、魔力のバイパスが繋がっているはずだ。
 ならば、俺の魔力を糧にして、何か変化が……?

「いいえ、それも一つの要因ではあるけれど、それだけではダメなの。」

 うーむ……では、一体?

「それはね。」

 そう言うとディーネちゃんは俺の頬を撫でるように、そのまま俺の背後へと音もなく移動する。
 俺の頬を両手で挟んだまま、しっかりと俺の背中に密着するディーネちゃん。
 勿論、背中越しに強烈な弾力が感じられるが、流石にこの状況では、その弾力を楽しむ……いや、かまけている場合ではなかった。

「ここを見て。何か見える?」

 そう言って、ディーネちゃんは俺の顔を優しく動かし、ある一点へと視点を向けさせた。
 そこは咲耶の少し上。3m程だけ咲耶の頭から上がった位置だろうか。勿論、虚空である。俺の目には景色以外何も映っていない。
 言われた通り、必死に目を凝らすも、特段変わった様子も見受けられない。
 サーチにもひっかからないし、違和感はないように思える。

「うーん……特に変わった所は何も無いですよ?」

「いいえ、ツバサちゃんになら見えるはず。良く見て。……いえ、違うわね……。。本当の姿を。」

 見ようとする?
 本当の姿を?
 つまり、今のままでは見えない何かが隠されていると言う事か。

 俺は、今、ディーネちゃんに言われた事を、イメージする。

 隠されたものを暴く目を。

 それは、例えるなら……パソコンの隠しフォルダを見るように。
 箱の裏に書かれた文字を読むように。
 次元を隔てた壁の向こうを覗きこむように。

 今、この瞬間見えない何かを、見る。

 ―――管理者より一部権限が委譲されました―――

 その声は何処からともなく聞こえた。
 それは、前に聞いたことのあるような……しかし、全く聞き覚えがない気もするような……だが、あえて言うならば、人の温もりを全く感じさせない無機質な物だった。

 ――管理者権限を施行 資格情報権限を準一級へと設定いたします―――
 ――ロック解除 視覚情報を一時的に変更致しました―――

 一瞬、視界が歪む。
 何だ? 何が……起こ…………。

 ………………あれは、なんだ?

 咲耶の直上。
 ディーネちゃんが導いた視線の先に、はあった。

 誰が見ても、それを見たら、こう答えるだろう。

 気持ちの悪い……である。

 目玉では無い。その目は、まぶたを伴って、当たり前のように宙に浮いてるのだ。
 周りは白目、しかし、中心の黒目に当たる部分が真っ赤である。
 勿論、まぶたがあるので、まつ毛もある。上にも下にも、ハッキリとした形で存在しているのだ。
 なのでパッと見ると、すごくパッチリとした印象を受ける。
 だが、俺はその姿を見て、嫌悪感しか浮かばない。

 まずは、その動きが嫌だ。

 その目は、ずっと咲耶の上にあり、つぶさにその動きを追っていた。
 どう見ても、監視しているとしか思えない。
 そして、咲耶が剣を振ろうとした瞬間……まつ毛が数本伸び、咲耶の体を雁字搦めに絡めとる。
 その瞬間、咲耶は苦悶の表情を浮かべ、動きを止めるのである。

 そして、その咲耶の苦悶の表情見て……目の形が細く変わる。

 こいつ……笑ってやがる……。
 人の子供を苦しめておいて……こいつ、何、楽しそうに……偉そうに……。

「なぁにしてくれてんだ!? この化け物が!!」

 一瞬にして頭が沸騰しかけるも、俺はすんでで踏みとどまる。
 最近、俺、ちょっと切れやすくない? と心の片隅で冷静に思いつつ、それでも、俺はこの怒りを制御するために、息を整えた。

 その俺の怒声で一瞬、皆の視線が俺に向く。
 そして……あの目も、ゆっくりとこちらを向き……。
 俺は真正面から、その視線を受け止めた。

 その瞬間、目が震えだす。

 動揺してる? なぜ?
 俺が訝しがると同時に、咲耶の目もこちら向いた。
 その目には濃い疲労の色と、薄い絶望が見え隠れしている。
 視線が下がる。それは、幾らあがいても無駄かもしれないという、正に諦めの気持ちがそうさせているのが、俺には良く分かった。

「咲耶!」

 そんな我が子に俺は呼びかけた。
 はじかれるように、咲耶が顔を上げる。

「こんな物に負けるんじゃない。お前なら……勝てる。」

 それは何の根拠もない、ただの言葉だった。
 だが、それは俺の中では、確信でもあった。
 だから、俺は、その言葉を、ただ、咲耶に届けたのだ。

「お前なら、絶対に、勝てる!」

 俺は再度、咲耶にそう伝える。
 嘘になってもいい。それでも、俺はそう言わずにはいられなかった。
 俺が信じないで、誰が信じるというのだ。
 本人が駄目だと思っても、俺は諦めない。
 諦めなければ……それはいつか、本当になるかもしれないのだ。
 それを、俺は知っている。だから、俺は伝える。

「そんな目玉、倒してこい!」

 俺の言葉を受けて、咲耶は目に光を宿らせた。

「父上! 承知いたした!」

 ちなみに、完全に蚊帳の外であるボーデさんはかなり戸惑っていた。
 というか、俺に罵倒されたと勘違いしている彼は、一気に熱が冷め、うろたえている。

「え? いや、冷静に考えると、ちょっとやり過ぎたかもしれねぇけど……そんな、ちょっと待て、待て待て待て!?」

 対照的に、気迫をみなぎらせた咲耶が一歩ずつ、ボーデさんへと近づく。
 一歩ごとに、手を前で振りながら、汗を吹き出し、後退するボーデさん。
 正に、その様子は、蛇に睨まれた蛙である。

 そんな様子の二人を、何か放心したように見守るギルドマスターとライゼさん。

「某は……今、ここで、己を超える!!」

 咲耶が吼える。
 精霊力が彼女の体を駆け巡っているのが、俺には
 光を超えるかと思われるほど目にもとまらぬ速さで、咲耶は剣を振りかぶり、振りぬいた。
 その剣は、ボーデさんの脇腹数十cm所まで迫り……そして止まった。

 見ると、咲耶は苦悶の表情を浮かべ脂汗を垂らしながら、それでも剣を動かそうとしていた。
 本当にいつの間にか分からないくらいに、咲耶の体には、あの忌々しいまつ毛が巻き付いていたのだ。
 あの速さをもってしても、目の拘束からは逃れられなかったらしく、体を動かすこともできないらしい。

 どうやら、あの目は俺の事が気になるらしく、咲耶を絡めとって動きを封じながらも、時折、俺の方を横目でチラリと盗み見るように視線を寄越してきた。
 なんだってんだ。人の子を散々弄んでおいて、ただで済むと思うなよ?
 そう思うも、今は手を出すべきではないと、俺は思っていた。

 俺がこの目を倒してしまったら……いや、そもそも倒せるかどうかも定かでは無い、未確認生物であるのだが……こいつを倒したところで、次が来れば、また元の木阿弥なのだ。
 これは、あくまで、咲耶が越えなければいけない壁であって、俺がどうこうする話ではないと思っていた。
 そして、何より、俺は先程声に上げたように、咲耶にならできると確信していた。
 何故だかは分からない。この確信めいた感情を表す言葉を、俺は持っていないのだ。
 だが、分かる。彼女にはできる。できるのだ。

 咲耶は必死にもがいていた。
 精霊力を使い、何とか自分の体の自由を取り戻そうとしていた。
 そこで、俺はふと心に浮かんだ言葉に、自ら疑問を抱く。

 それじゃない。それでは駄目だ。

 そう思った瞬間、俺は口を開いていた。

「咲耶! その力では駄目だ!」

 そう。精霊力では駄目だ。駄目なのだ。
 精霊ではあの目に対抗できない。そういう風に作られている。
 直感で俺はそれを理解する。
 ならば、違う力を使うしかない。それは、咲耶も使える力で……そう、俺の子供だからこそ使える力。

「お父さんの力を、持っていきなさい!」

 その言葉を聞いた瞬間、咲耶の目つきが変わった。
 それは、確信。それは、悟り。

 咲耶は、瞬時に俺の言葉を理解して、実行する。
 その変化は劇的だった。

 今まで透き通るような、薄い空色だった長い髪が染まっていく。
 全てを飲み込む漆黒の大河のように。

 少し吊り上がって、勝気に見えた空色の瞳が色を変える。
 夜を照らす月のような、金と銀を併せ持つ不思議な色の目に。

 何より、体を駆け巡る力が明らかに変わる。
 それは、黒い本流。
 大気に触れ、火花を散らす。

 火花……火花……火花……それは爆ぜ、徐々に明るさを増す。

 その中で、形が残る花が表れ始めた。
 これは……桜の……花びら?

 まるで、雪のように、ふわりふわり。
 それは、数を徐々に増やし、まるで舞うことを楽しむかのように、縦横無尽じゅうおうむじんに空間を駆け巡る。

 桜吹雪。

 そうとしか言いようがない光景に、俺は呆然と成り行きを見守る。

「そうであったか。某、一番大事なことを忘れておりました。」

 まつ毛に縛られながらも、咲耶は力を抜き、目を伏せ静かに、そう呟いた。
 そして、目を見開くと、

「某は……大精霊ウィンディーネと、魔導王ツバサの子、咲耶である!」

 そう吼えた。
 それは、正に獅子吼であり、その声は魂を揺さぶるほど力にあふれていた。
 そして、咲耶が吼えたその瞬間、今まで咲耶を縛っていたまつ毛が、すべてはじけ飛ぶ。

「大精霊と偉大なる父上……その子である某に……切れぬものなど無し!」

 咲耶は剣を掲げるように頭上へと向ける。
 その瞬間、剣はその刀身を黒い光で塗りつぶされ、地は揺れ、無数の花びらが舞う。
 咲耶の黒髪は逆立ち、うねる様に天を目指す。それはさながら、龍のようであり、正に静と動の織り成す、究極の美であった。

 そして、その足元に、腰を抜かし呆然とへたり込む、ボーデさん。
 そのボーデさんを見据え、咲耶は最後の大音声を上げる。

「受けよ! 我が一撃!! 奥義 百花繚乱ひゃっかりょうらん!!」

 ボーデさんが自分を庇うように手を顔の前で交差させた時……。
 一気に静寂に支配された空間を、澄んだ音が一つ……通り過ぎた。

 いつの間にか腰より下に振りぬかれていた剣を、咲耶は胸の前まで持ち上げ、

「……つまらぬ物を……斬ってしまった。」

 そう言って振り払う。

 次の瞬間、花びらがすべて塵のように崩れて消え、追うように宙に浮いていた目玉が崩れて消えていった。
 ついでに、ボーデさんの服も千切れて消えていった……。

 皆が呆然とその様子を見守る中、咲耶は俺へと視線を向ける。
 その髪の色が、目の色がいつもの空色へと戻っていく。

「父上! 勝ちましたぞ!」

 そう花の咲くような笑顔を浮かべた咲耶は、いつもの咲耶だった。
 彼女は乗り越えた。精霊の業を引きちぎり、精霊でも人でもない、咲耶と言う存在へ第一歩を踏み出したのだ。

「ああ、おめでとう! よく頑張ったな!」

 俺のそんな言葉を聞くと、咲耶は気が緩んだのか、そのまま崩れ落ちるように体制を崩す。
 いかん!?
 俺は脚に魔力を通し、一気に駆け抜けようとして……その横を猛スピードで滑るように飛んでいく後姿を確認して、その足を止めた。
 青い髪をひるがえし、重力を感じさせないその動きでディーネちゃんは、咲耶を優しくその胸に抱き留めていた。
 さすがディーネちゃん。こうなる事もお見通しか。

 俺は頬を掻きながら、溜息をつく。
 そうして、俺はお礼を言おうとディーネちゃんに視線を向け……そして、言葉を無くしたのだった。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品