比翼の鳥

風慎

第51話 聖痕

 俺は、ディーネちゃんの顔に視線を向けたまま、自分の視覚が脳へと伝えてくる情報を処理できず、動けずにいた。

 対してディーネちゃんは、胸に抱きとめた咲耶の頬を、愛おしそうに、ゆっくりと撫でている。
 それは、正に慈愛を司る水の精霊を思わせるものであったし、何より、母を感じさせる動きではあった。
 だがしかし、俺には、そんなディーネちゃんの表情を確認することがどうしても、出来なかったのだ。

 ……彼女の顔には、目があった。

 いや、それはそうだ。誰にだって目はあるさ。
 だが、そうではない。
 そうではなくて……。

「ツバサちゃん。そんなに、熱く見つめられると、お姉さん、照れちゃうわ。」

 そんな風に、腰を振りながら恥ずかしがるをする、ディーネちゃん。
 しかし、その軽い言葉とは裏腹に、声にいつもの余裕は感じられなかった。

「ディーネちゃん……それ……。」

 思わず出た俺の言葉で、もう隠せないと悟ったのだろうか。いや、本当は彼女だってとっくに気が付いているはずだ。俺には、それが見えてしまっている事に。
 そんなディーネちゃんは恥ずかしがるフリをやめ、こちらに視線を向ける。
 無遠慮に注がれる視線達に、俺は一瞬、言葉に詰まった。

 そう、ディーネちゃんの顔には……いや、違う。顔だけではない。露出されている皮膚のあらゆる場所に、あの、咲耶を苦しめていた忌々しいが、数え切れないほど張り付いていたのだ。

 それが一斉にこちらをる……いや、むしろると言う、言葉が相応しいのかもしれない。
 まるで、値踏みするかのように、こちらに視線を向けてくる。

 全身が粟立つのを感じながら、俺はそれでも、ディーネちゃんの顔から、いや、多くの目に埋没している中で、光を放つ、彼女の本当の目から、視線をそらす事はなかった。
 もし、この瞬間、誘惑に負けて目を外してしまったら、俺は自分の事が許せなくなるだろう。そんな確信があったからだ。
 だから、俺は、湧き上がる嫌悪感と戦いながらも、ディーネちゃんを見つめ続けた。
 そんな俺の強がりにも似た気持ちを、ディーネちゃんも感じていたのだろう。

「あーあ……お姉さん、失敗しちゃったわ。上手く隠せると思ってたのにね。本当は、このまま去ろうと思っていたんだけど……思わず飛び出しちゃったわ。だって、この子は、本当の意味で、私の希望になったんですもの。」

 そう言いながら、腕に優しく包まれている咲耶の頭を、ゆっくりと撫でる。
 俺はその言葉に、違和感を覚え、一瞬眉をしかめる。だが、その違和感も、

「この姿だけは……見られたくなかったわ……。」

 と言う、彼女の漏らした一言で、一気に霧散した。

「……っ。」

 そして、俺は、言葉をかけようとして……そして、何もかけられる言葉が浮かばなかった。
 くそ! こういう時にこそ、何か言うべきだろう!
 頭ではそう判っていても、言うべき言葉が全く浮かばない。
『そんな事はない?』 いや、俺は彼女の肌を多い尽くすその目を見て、嫌悪感を抱いている。
『そんな姿でもディーネちゃんの事を……』 いや、そう言う白々しい言葉など、役に立たないだろう?
 俺は、そう。ディーネちゃんの、その痛々しい姿を見たくない……そう思ってしまっていた。
 そして、その事実に、更に頭が真っ白になる。

 いや、違う。考えては駄目だ。俺はどうせ、そんな気の効いた台詞を言える性格ではないだろう?

 ふと、そんな考えが浮かぶ。そのお陰なのだろうか?
 そんな、開き直ったように考えが湧き出てくるのを、俺は不思議に思いつつ、しかし、俺は、そのまま受け入れた。

「ディーネちゃん。」

 俺は、自然と言葉を発する。
 一瞬、彼女の瞳に、影が差したように俺は感じた。
 それは、不安だろうか? 拒絶だろうか?
 そう思うも、俺の口は動くのを止めない。

「正直に言います。驚きました。そして……すいません。その姿は……正直、ちょっと見ているのが辛いです。」

 そんな俺の無遠慮な言葉に、ディーネちゃんは、一瞬顔を歪ませる。
 咲耶を抱く手に、力が入ったのも、俺にはわかった。
 それでも、俺はそんな不器用な言葉をそのまま投げつけたのだ。
 俺には、多分、それしか出来ない。だって、もう、俺の気持ちは、ディーネちゃんに伝わっているんだから。
 だからこそ隠さない。負の感情も、そして……

「……ですが。いえ、だからこそ……かな?」 

 俺は、一旦、目を閉じると、視界を閉ざし……そして、真っ直ぐにディーネちゃんを見つめる。

「俺は、貴女を救いたい。どうすれば良い! 教えてくれ! ディーネちゃん!!」

 心から湧き上がる感情も、そのままに、俺は、言葉に乗せた。
 それは、きっと、大事な事で、そして、何よりも必要な事だから。
 そう。言葉なんて、気持ちを伝える為の道具でしかないんだから……それなら、心のままに言葉を伝えれば良い。
 本当に伝えたいなら……それは、きっとどんな言葉でも、伝わるはずだから。

 そんな俺の不器用な言葉が、気持ちを届けてくれたのだろうか?
 俺の言葉を受けて、ディーネちゃんは少しだけ声を震わせながらも、

「も、もう……やだわ。ツバサちゃんったら……。こんな所で。」

 そう、良いながら、背を向ける。
 その背中は少し小さく見えて……そして、震えていた。
 しかし、ディーネちゃんは、すぐにこちらに向き直ると、俺に……恐らくだが、微笑みかけた。

「ありがとう。ツバサちゃん。私、今、ちょっと幸せ。」

 なんでなのだろうか?
 顔には依然として数え切れないほどの目が張り付いて、あのディーネちゃんの綺麗な顔を認識できないくらいに隠してしまっている。
 そして、その数多くの目に隠され、その姿は見えない。
 そう、見えないはずなのに……異常なその光景のはずなのに……俺は、心臓が跳ねるのを確かに感じた。
 そんな異常な姿なのに、一瞬、俺は彼女のその姿を、綺麗だと思ってしまったのだ。

 自分でも不思議に思い、言葉を失った俺だったが、それ以上に、ディーネちゃんは俺以上に、驚いたのだろうか? 口を塞ぐように両手を重ね、こちらを見る。

「つ、ツバサちゃん……貴方……貴方って人は……。」

 その彼女の目には大粒の涙が溢れ……そして、他の目を侵食しながら重力に引かれ、頬を伝っていく。
 ディーネちゃんの顔に……頬に……あらゆる所に張り付いたその目が、不規則に動き……そして、何故か俺の方を一斉に見た。

 うお!? ちょ、それは、流石にちょっと怖いです!

 思わず、後ずさる俺。
 しかし、逆に、ディーネちゃんは感極まったように、両手を胸の前に組み、潤んだ……と言うより、既に涙に濡れた目を一斉にこちらに……って、何で他の目まで涙を流してるんだよ!?
 俺が、そう心の中で思わず突っ込んだ次の瞬間、爆発的にテンションの上がったディーネちゃんは、

「やーん! もう! ツ・バ・サちゃーん!!」

 と、そのまま咲耶を放り投げ……って、おい!?
 ちょっと!? 咲耶!!
 と思う間もなく、そのまま強引にディーネちゃんに押し倒され……。

 え? ちょ、何ですか!?

 そのまま唇を強引に奪われる。

 そして、唇に刺激的な感触。それは、ここでは言い表せないほど、甘美で背徳的だったのだが……それ以上に、頬に、鼻に当たる目の奇妙な柔らかさが引き起こす生理的な嫌悪感が、背筋から悪寒を伴って、俺を侵食した。

 いや、待って!? いや、目、近っ!? ってか、多い!! いや、むしろ、凄く怖い!?
 ブニッて、やだ! ちょい、それ、何か気持ち悪!? やーめーてぇえええ! 押し付けないでぇええええ!!?
 許して!! いや、ちょっと、マジで!? 見てるから!? 何か凄い数で見てるから!? ギョロって! ほら!
 って、だから、魔力吸わな……いや、唾液も、吸わ……ちょっ、ディーネちゃん! いーーーーやーーーぁああああ!?

 俺が完全に、恐怖と嫌悪に支配される中、横合いからルナがのそりと、動き出した気配を感じた。

 おお! 俺の女神!! ルナさん、マジ助けて!?

 そんな俺の思いが届いたのか、ルナは魔力を貯め……って、あれ? ちょっと待って!? ルナさん、その威力はちょっとまずい気が……。
 急速に収束していく魔力の量を感じて、俺は背中の汗が、瞬時に引くのを感じた。
 おい、待て。そんなもん打たれたら……。

「ちょ、ル……もが。ぷはっ。ちょ、ディーネちゃ……うご。」

 ルナを静止しようとするも、俺はディーネちゃんに完全に蹂躙され……って、こらぁあ! 洒落ならんぞ!?
 そう、焦る間に、一秒ごとにルナに集まる魔力が大きくなる。それは、俺が今まで見て来た、どんなルナの攻撃より大きな物で……うおーい!? こんなの喰らったら死ぬわ!?
 俺は緊急回避的に、ディーネちゃんを押しのけようと、魔力回路を一時的に開放する。
 しかし、何故かその魔力が、凄い勢いでディーネちゃんに吸われて行くのを感じた。
 上手く魔力が体を巡らず、結果、身体強化が出来ずに、俺はディーネちゃんを押しのける事ができない。
 ちょっとー!? マジっすか!?

 こうなったら……こ、これはあれか。封印解除するしかないのか?
 こんなアホみたいな事で、宇迦之さんとの戦いを再現しなければならないのか?
 俺が躊躇ちゅうちょした瞬間、ディーネちゃんは徐に、体を起こし、ルナに語りかけた。

「ルナちゃん。ごめんね。もうちょっとだけ、お姉さんにツバサちゃんを貸して? お姉さん、もう我慢できないの!」

 それは、今まで聞いた事も無いほどディーネちゃんの必死な声で、俺だけでなく、流石のルナも一瞬、動きを止める。

「ごめんなさいね! すぐ終わるから!」

 その瞬間を、ディーネちゃんは見逃さなかった。
 少し青みがかった大量の水が壁となってルナを押しつぶすように襲い掛かり……謝罪の言葉を述べると共に、ルナを水球の中に閉じ込めてしまったのだ。

 うお!? あれは……糞勇者や、風の大精霊さんを閉じ込めたあの水の牢獄か!?

 見ると、ルナは焦ったように必死に水の壁を叩いていたが、それは柔らかくしなるだけで、破れる様子を見せなかった。
 ふと気がついたように、魔法を使おうとしていたようだが、どうも上手く使えないらしく、焦った様子を見せている。
 ルナがあんな顔する所……初めて見たぞ?

 同時に、そんな姿を見て、何故、ディーネちゃんがここまでしなければならないのか、不思議に思った。
 だが、意識を回す余裕もなく、俺は頬を目に覆われた手でがっしりと掴まれる。

 視線を向けると、そこには……肉食獣のような気配を漂わせた、ディーネちゃんの姿。

「さぁ、これで二人きりね……。うふふ……ツバサちゃん……。」

「ちょ、ディーネちゃん……落ち着きま……ちょっと! いやぁあああ!?」

 その後、数分間、俺の悲鳴が、闘技場に響いたのだった。



 あれから何分経ったのだろうか……?
 何かこう、色々とある意味下品で、ある意味卑猥な音を立てつつ、俺は唇……いや、もう、口内といって良いだろうか?
 それだけではなく、何か心の中の大切な物辺りも含めて、全てを蹂躙され尽くした。

 うぅ……もうお嫁にいけない。
 そんな気分になってしまうほど、一方的な蹂躙であった。

 対して、ディーネちゃんと言えば、俺のマウントポジションを維持したまま、艶々とした表情……だと思う……で、赤い舌を、同じく真っ赤な唇に這わせていた。
 ちなみに、ルナは先ほどの水の牢獄から結局復帰できなかったらしく、今は諦めたようで、静かに沈んでいるようだ。
 ルナの方から黒いオーラのような物が漂ってくるのを感じられるが、俺はそちらに目を向ける勇気がどうしても持てない。

 放り投げられ宙を舞った咲耶は、先ほど、水のマットに包まれて、浮遊している姿がチラリと確認できたので、一安心している。
 此花は力尽きたのか、咲耶と同じように、いつの間にか作られた水のマットに包まれて浮遊していた。
 ちなみに、残りのお三方については、今は考えたくないので、無視だ。もう、色々……急展開過ぎてどうして良いかわかりません。
 って言うか、冷静になるまでもなく、どうすれば良いんだろう? この状況……。

 俺は溜息をつき、満面の笑みを浮かべていると思われるディーネちゃんを見る。
 視線が交錯するも、ディーネちゃんは頬を染めて、視線を外してしまった。

 何でやねん!
 あれだけ好き勝手やって、今更何を恥ずかしがるんですか!?

 思わず突っ込んだ俺の心の叫びを受けて、ディーネちゃんは全ての目を向けると、

「いえ、だって、ほら。感極まったとは言え、冷静に考えちゃうと……ちょっと大胆だったかしら……ってね? てへ♪」

 いや、可愛いけど、てへ♪ じゃすみませんよ!? これ!?
 どうすんの!? この状況!?

「だってぇ……もう、ツバサちゃんったら、こんな姿なのに……それでも、お姉さんの事、ちゃんと思ってくれるんですもの。もう、お姉さん、嬉しくって。つい……ね?」

 ね? じゃねぇよ!?
 嬉しいのは判るけど、何ゆえ皆さんの前で熱烈なラブシーンを披露しなければならんですか……。
 しかも、ルナを受け入れると決意したばかりにこの体たらく……。
 ルナのオーラが3割り増しで暗くなったのは、間違いなく俺の抵抗も空しくあっさり蹂躙じゅうりんされた事が大きいだろう。
 全く……俺って奴は……。
 早速、浮気でもしてしまった残念な男に成り果てた気がして、途端に罪悪感が湧き上がるものの、ディーネちゃんのあの圧倒的な攻勢の前に、俺の理性や道徳心など何の役にも立たないと言うことも、良く判っている。
 そう、ディーネちゃんが本気を出したら、俺では止められないのだ。うん。

「えー。だって、ルナちゃんは、これからいつでもツバサちゃんに甘えられるけど、お姉さんは制限があるのよ? こういう時じゃないと、堪能できないじゃないの。」

 いや、初めて会ったときに、子をなしてくれるだけで満足とか言ってた様な……。
 俺のほぼノータイムの心の呟きに、ディーネちゃんは一瞬、怯んだ様子を見せるも、

「じ、時間が経てば色々変わるのよ! そ、そもそも、最初はそんなつもりは無かったの! けど、ツバサちゃん……ほら……私のこの姿を見ても、それでも、私の事……思ってくれたのが判ったから……。お姉さん、どうしても我慢できなくなっちゃって。」

 そう、掌を愛おしそうに、俺の頬へと、そっと添える。

 本当に、この精霊様は……。
 俺は心の底で溜息を吐きつつ、それでも、ディーネちゃんの心の重荷を少しでも外す事ができたなら、それはそれで良いかなと思ってしまう自分がいる事も感じていた。
 そう。ディーネちゃんだって、色々と考えて、そして、悩んで、それで今のディーネちゃんになったのだ。
 短い間だったが心を通わせ、垣間見た彼女の心の底を思うだけでも、それは、俺では到底想像もつかない様な、長く険しい旅だったに違いない。
 その旅の果てに、彼女は俺を選んだ。
 それは俺にとっても、一種、誇らしい事で、それ以上にありがたい事だ。
 だからこそ、俺は彼女に報いたいと思うし、可能な限り、出来る事はしたいと思う。

 そう。俺は彼女の力になりたい。

 だからこそ……俺は、彼女が避けたがっているだろう言葉を、あえて彼女にぶつける事にする。

「ディーネちゃん。その目について、教えて下さい。」

 俺が放った突然の問いを受け、彼女は一瞬、体を震わせた。
 その問いは、俺の頬に触れていた手を通しても感じられる程、大きな動揺を伴って、彼女の心を揺さぶったのだろう。
 ディーネちゃんは、恐らく寂しそうに微笑みながら……それでも俺の頬を優しく撫で続ける。

 今まで、のらりくらりと、大事な部分をかわされていたのは、ずっと感じていた。
 それは今回だけでなく、今までずっとである。
 突然現われ、大事な言葉を残して去っていくディーネちゃん。
 時に、大暴れし、台風のように周りを巻き込んで、そして、その印象を植え付けて行った。
 だが、俺はその度に思った。

 まるで、何かを有耶無耶にするかのような、その不自然な暴れっぷり。

 そう、不自然なのだ。
 俺が初めて彼女と会った時の、あの印象と、彼女のあのやり方は、あまりにも印象が違いすぎる。
 いや、勿論、根本的なところでは変わらない。
 おどけてみたり、いきなり真面目になってみたり。
 ただ、そう……大げさすぎるのだ……行動が。まるで、見せ付けるかのようなあの大立ち回り。

 彼女は何かを求め、そして何かを隠している。

 そう思い至るのに時間はかからなかった。
 だがそれは、必要であれば、ディーネちゃんの方から働きかけがあるのだと、勝手に思っていた。
 だって、彼女は俺より遥かに長き時を生きる精霊だ。
 俺よりもしっかりしていて、彼女なりの考えがあるのだと……そう、勝手に思い込んでいた。

 だが……今日、こうなってみてわかった。

 彼女は、少しも完璧ではなかったのだ。
 ディーネちゃんは、実は俺が思う以上に、迷い、苦しみながらにいるのだと、何となく判ってしまった。

 彼女はルナに、そして俺にも言った。

 もう、我慢できないと。

 返せば、今まで我慢してきたと言うことだ。
 何を? 決まってる。俺と会う事……いや、違うか? もしかしたら……。
 まて、そうなると……?
 思考を加速する。そうして、俺は一つの考えに行き着く。
 精霊の業。精霊と言う存在。そして、あの目。彼女が語った言葉。咲耶の存在。

 ……ああ、そうか。

 何となく、判ってしまった。彼女が何をしているのか。何に苦しんでいるのか。最終的に、何を成そうとしているのか。
 ……と言うことは、行き着く先は……。

 考えから浮かび上がってきた俺の目が、ディーネちゃんを捕らえる。
 いつの間にか、ディーネちゃんは俺の頬を撫でてはおらず、ただ添えているだけだった。
 その目は、慈悲を持って俺に注がれている。

「そうよ……ツバサちゃんの考えている通り……。」

「そうですか……。」

 それ以上の言葉は必要なかった。
 いつものように、間の抜けた声で「ぴんぽぉ~ん♪」とも言ってくれなかった。
 それがちょっと寂しくもあり、それ以上に、現実となって俺の胸を貫いて行く。

「この目はね……精霊の業の証のような物なの。」

 ポツリと、そう呟いたディーネちゃんは、空を見ていた。

「業ですか。」

「そう。業。と言っても、私達が何かしたわけじゃないんだけれどね。そうね……都合が良かったから……でしょうね。」

 俺は、その言葉に眉をひそめる。
 その言葉の裏に潜む物は……それでは、まるで……。
 そんな俺の考えを断ち切るように、ディーネちゃんは、大事な言葉を紡いだ。

「この目はね……業であり、楔なの。精霊は人の良き隣人である……そういう風に宿命付けられているわ。だからね、そうあるために、常にいるのよ。」

「……それが、その目の役割……ですか?」

「そうよ。このは、どれだけ人と交わったか……契約したかで数が決まるの。生まれたての精霊には1つだけ。咲耶の時のように、虚空から見守られるだけよ。だけど、力ある精霊や、多くの人を精霊には、直接体に刻まれるわ。」

「それは……つまり……。」

「……汚い体で、ごめんなさいね。」

「冗談でも、怒りますよ?」

 俺が考えるよりも先に、口が開いた。
 その様子に、ディーネちゃんも驚いたように、こちらを見つめる。
 心を読むより、口が出る。
 そんな事、今までで初めてのことだろう。
 それ位、俺の口は感情に直結して……いや、感情以上に早く、動いたのだ。

 つまり、ディーネちゃんはこう言いたかったのだ。
 精霊が多くの目を持つと言うことは……それだけ多くの人に使と言う事だ。
 俺は、ディーネちゃんの心を覗いたとき、その悲惨な惨状を見てきた。
 だからこそ、余計に判るのだ。彼女はそう言った事を含めて、自分をと語ったのだ。

 ふざけるのも大概にして欲しい。

 そんな事で、ディーネちゃんの美しさが損なわれる物か。
 むしろ、そのような事を含めて、全てを乗り越えて今まで生き抜いてきたんだ。
 それがどれだけ凄い事か、俺は良く分かる。彼女に比べれば、俺の人生などカスみたいなものだろう。それでも、何度か終わりかけ、絶望も経験しているのだ。
 そんな俺より凄い歴史を歩んでいるんだぞ? 敬意こそ抱くが、侮蔑などどうして出来ようか。
 そして、そんなある意味でくだらない輩に、ディーネちゃん自身がへりくだっている事に、俺は怒りを覚えたのだ。
 そんな過去にディーネちゃんが悩まされる必要など、これっぽっちもあるはずが無いんだよ!
 まぁ、張り付いた目は、嫌悪感を起こす物なので、それに対しては、もう暫く、慣れるまで猶予が欲しい物だが……。

「あ、ありがとう……ツバサちゃん。」

 ディーネちゃんは、呆けたように力を抜きながら、俺を見て……泣いていた。
 ああ、もう! なんだよ! そんな顔されたら、例え気持ち悪い目だらけでも、放って置けないじゃないの……。

 俺は自分の頭を乱暴に掻いた後、ディーネちゃんの頭を鷲掴わしづかむと、そのまま胸へと抱え込んだ。
 それはある意味、俺の照れ隠しであり……まぁ、心を読まれてるから隠せてないんだけど……それでも、目をまだ忌避してしまう自分に対しての、一種の苛立ちが現われた行動でもあったと思う。
 俺の胸にすっぽりと顔を押し付けられたディーネちゃんは、暫くそのままでいたが、俺が優しく頭を叩くように撫で始めると、それがきっかけで号泣し始めた。
 それは、まるで、今まで泣くのを我慢していた子が、初めて泣いたような……そんな遠慮も何も無いほど、素直な泣きっぷりだった。

 それから暫くの間、闘技場に、大精霊ウィンディーネの泣き声が、響き渡る。
 それは、豪雨のように、激しく叩きつけられた。しかし、その先に待つ……虹を抱いた晴れ渡る空を連想させるような……希望を孕んだ物だった。

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