比翼の鳥
第85話 イルムガンド防衛戦 (10)
俺は、正に脳天まで突き刺す様な激痛を味わった後、身体を蹂躙し続ける様な、表現のしようがない鈍痛に苛まれ続ける。
これは、味わった事のある男性にしかわからない、特有のものだ。あまりの痛さに思わず、腰が動くも痛みからは逃れられない。
しかし、ルナさんや……これは、ダメだって……。何が駄目って、危険なのよ。
この世界では関係ないかもしれないが、下手すると子種が死ぬ。場合によっては、機能そのものが死ぬ。
男性特有の、正に急所なんです。禁じ手なの。駄目なの……変な精神状態になるくらい、危険なんです。
紳士淑女の皆様は、生命の危機を感じたとき以外は、軽々しく使っちゃダメです。割と本気で。
それに恐らく、俺がルナの攻撃で、悶絶したのは初めてなんじゃなかろうか? と、どこか頭の冷静な部分がそんな事を考えている。それくらいには、破壊力がある。
どうやら、俺でもそんな状態になるとは想像がつかなかったようで、加害者のルナも流石に、悶絶している俺を見て、オロオロしている。
リリーは、今の一連のショックで、正気に戻ったのか、心配そうに俺の背中を優しくなでてくれている、が、正直、気休めにしかならない。
脂汗を流しながら、俺は未だにひかない痛みと格闘し続ける事、五分強。漸く少し楽になって来て、俺は自分の状況を確認する。
うーむ。かろうじて、圧潰は免れた我が生殖器官ではあったが、結構やばかったらしい。
絶妙と言えば絶妙なのだが、そんな無駄な所で、限界点を極める必要は無い訳で。
っていうか、俺の障壁、少しで良いので仕事して下さい。完膚なきまでに、見事にぶち抜かれましたが。
「ルナさんや……。」
俺は、床にぐったりと突っ伏しながら、声をかける。
そんな死に体の言葉を聞いて、ルナは泣きそうな顔をしながらもこちらを向く。
「股間の攻撃は、最終手段ね? ダメ、絶対。」
そんな俺の死に体な言葉を聞いて、目に涙を浮べながらも、頷いた。
よし、これで俺の股間の平和は守られるだろう。しかし、色んな意味で疲れた……。
これは、復帰した後も、気力を根こそぎ持って行かれるから困る。なんか、情緒不安定にもなるし。
とりあえず、【ヒール】はかけて癒しているが、股間から魔力が発する淡い光が漏れる姿を想像すると、情けなさで泣きたくなる。
そんな状況で間が持たない事もあり、丁度良い機会なので、俺はルナへと、声をかけた。
「この際だから、ちゃんと伝えておくね。不安にさせちゃった事は、凄く申し訳ないと思う。けど、最初から暴力ありきは、良くない。言葉があるんだから、ちゃんと言ってくれると嬉しいな。どんなに汚くて醜い言葉でも、感情でも、時間はかかるかもしれんが、受け止めるから。けど、いきなりの暴力だけは駄目。それが許される事なんてないからね? そもそも、そんな事していたら、俺の身体が持たない……。」
そんな俺の言葉でルナは、何かを感じた様で、凄く申し訳なさそうにしながらも、何故か嬉しそうに、静かに頷いた。
うん、ちゃんと分ってくれたなら良かった。
世の中には、ごく稀に、口より先に手が出る人がいる。
ある意味仕方ないと思う面が無くも無い。だが、それは、そんな状況を自ら憂い、変える努力していてこその話だ。その過程で、通過儀礼としてであるのならば、許せる部分はある。人が変わるのに時間がかかるのは事実だからだ。
だが、開き直っている人がいるのも事実なのだ。こちらは話にならない。
「怒るとつい、手が出ちゃうんだよねー。」
とか、笑顔で言われてみたら解る。あれは苦笑しか出ない。
そして、俺なら、そんな人とは距離を置くよ。だって、怒らせたときに殴られることが確定している訳だから。
更に、もう一つ。それを伝えて、予防線を張っておけば、許されると思っている節があるのがまた危うい。
そんな危険人物と、それでも積極的に深く付き合おうとするのは、その人がそれ以外の面で素晴らしい面を持っているか、利用価値があるかしかないと思うのだが。
そもそもそんな人は、思い違いをしている。
暴力で伝えられるのは、負の感情だけだ。その奥に隠れている本当の問題をかえって覆い隠してしまう。
受け取り手の側も、特殊な性癖の方を除いて、負の感情しか沸かないだろうさ。
それはお互いに不幸だ。
だから、ルナにはそうなって欲しくなかった。愛があればとか、そういう話じゃないんだよ。と言うか、そんなの言い訳だ。
コミュニケーションの手段として暴力を使って欲しくないのだ。それでは、誰も幸せになれないから。
元の世界にも、DVと呼ばれて、この形の問題が蔓延していた。
根っこは同じだ。暴力を対話の手段にしてしまっている。これは、どうやっても上手くいかない。
だから、人は言葉を交わす。だから、分かってもらおうと、こちらも分ろうと努力する。
感情を時々共有できる俺とルナの間ですら、こんなアホみたいなすれ違いが起こるんだ。
だったら、本当は、もっとより深く相手を理解する努力を、意識しないとだめなんだろうな。全く、やっぱりなかなか上手くいかないもんだ。
俺はそんな事を考えながらも、これも罰かと感じつつ、痛みが引くのをジッと待つのであった。
暫くして、俺は漸く痛みが引いてきたことを確認すると、ため息をつきつつ、立ち上がる。
そんな俺に、ルナがちょこちょこと近づいてきて、俺の瞳を下から覗き込んできた。
何故だか、その時、潤んだ目は、純粋で透明な彼女の気持ちを反映しているかの様に、俺には感じられた。
そんな彼女が、音も無く、宙にそっと言葉を浮かび上がらせる。
《 お願い。もっと、私を見て。 》
その文字を見た瞬間、心臓が跳ねた。
その言葉を頭が理解した瞬間、俺の中で抑えていた、何かが弾けた。
それはルナへの申し訳ない気持ちだったり、俺の不甲斐なさから来る羞恥心やら怒りであったり、それ以上の大きな感情として、ただただ、彼女が愛おしく、同時に食らってしまいたいと思えるほど、下種で野性的な感情だった。
そんな暴力的な衝動と本能としか言いようのない圧力が、俺を完全に支配する。
そんな大きすぎる衝動に突き動かされる様に、俺は、彼女の唇を強引に奪った。
感情が、身体が、どこか別の場所から動かされていて、自分の物で無い様な、不思議な状況。
こんな事、一生のうちで初めての事だ。なんだこれ?
マグマのように熱くたぎる自分の感情と、妙に冷えて冷静な自分が頭の端にいて、それを見下ろし、ぐちゃぐちゃな気持ちのまま、俺は彼女の唇をむさぼる様に……
『シンクロ率:89% 比翼システム――起動可能です。――起動しますか?』
唐突に降って来た懐かしい声によって、俺は急速に自我を取り戻した。
見ると、喘ぐように息をしながらも、俺の唇を吸い返す、ルナの姿。
ああああ、ちょっと待った!! 無し! 今の無し!!
『起動しませんか? ……下種め。』
……何か聞こえた。そして纏わりつくような黒い感情が、俺を掴んで離さない。
何これ、凄く怖いんですけど。っていうか、すいません、ちょっと我を見失いました。
俺は深呼吸しようとして、……体が動かないので、した気になる事で心をクールダウンする。
よし、大丈夫だ。
コティさんお久しぶりです。お蔭で助かりました。
『……良いのですか? ある意味チャンスですが?』
何がだよ。いや、ナニのだよね? いやいや、無理ですよ? もう、完全に羞恥プレイじゃないですか。公開とか、ハードル高すぎ。
『そうですか。臆病な貴方には、その方がお似合いですね。』
ああ、コティさんの言葉が何でか、いや、原因は解ってるが、ものすごく黒くて痛い。
それに、前と比べて遥かに感情が豊かになられている。それを明るい方向に引き出せればよかったのに。
『どこかの誰かが甲斐性なしのお蔭で、こうなりました。』
重い言葉を受けて、急速に胃に負荷がかかる。今なら俺はストレスで血が吐ける気がするぞ。
すいません。いや、本当に申し訳ない。
って言うか凄く居たたまれない。穴があったら入りたい。
心でそっと自分の顔を覆う俺。
『まぁ、良いでしょう。これからもルナ様を傷つける事の無いようにお願いいたします。それでもルナ様は、貴方と共に居る事が、絶対の幸せの様ですが。……全く、こんな下種のどこが……。』
もうやめて! 俺のHPはゼロよ!? 助けてルナさん! ……って、あれ? そういえば、ルナが動かない?
『今の私の状況をルナ様に見せる訳にも行かないので、こうして隔離して、話をしています。』
おや、それはコティさんの弱みなのでは? って、すいません、冗談ですから殺気飛ばさないで下さい。
ちゅーか、これだけで竜も逃げ帰るレベルだよ。コティさん、一体どうなっちゃったの?
『その質問には解答できません。秘匿情報に抵触いたします。情報開示には、ルート権限および、第一級監査官の承認が必要です。』
出たよ、お役所仕事。まぁ、良いけどね。
じゃあ、答えられる範囲で。コティさん、ルナと話す事は出来ないの?
『その質問には解答できません。秘匿情報に抵触いたします。情報開示には、ルート権限および、第一級監査官の承認が必要です。』
ええぃ。じゃあ、今、ルナと話していってよ。
『その命令は遂行できません。秘匿情報に抵触いたします。命令遂行には、ルート権限および、第一級監査官の承認が必要です。』
比翼システムを解放したら? それなら行けるんじゃないの?
『その質問には解答できません。秘匿情報に抵触いたします。情報開示には、ルート権限および、第一級監査官の承認が必要です。』
何でやねん!? その為に出て来たんじゃないのか!?
『いいえ、どこかの野獣からルナ様を守る為です。』
ああ、さいですか……。
ドッと疲れた俺は、肩を落とす。まぁ、動かないんだけど。
『ところで……。』
はいはい、何ですか?
『先程から、何故、私をルナ様に引き合わせようとするのですか?』
え? そんなの決まっているじゃないですか。
ルナだって、コティさんに会いたいと思っているからですよ。
彼女だって、絶対喜ぶし。それなら、この機会を逃す手はないでしょ?
俺のそんな思考に、何故か溜息で返して来るコティさん。つか、システムに溜息で返されたのって、実は、俺が人類初なんじゃなかろうか。
『そういう所があるからなんでしょうね。仕方ありません。後で、ゆっくりルナ様とはお話しいたします。貴方抜きで。』
ああ、はいはい。そうしてくれると、俺も嬉しいよ。
『ルナ様に、貴方の気持ち悪いその行動をたっぷりと伝えておきましょう。』
とりあえず、心当たりは無いけど、そんな事しかしないなら、もう帰っていいよ!?
『その命令は遂行できません。秘匿情報に抵触いたします。命令遂行には、ルート権限および、第一級監査官の承認が必要です。』
はぁ……もういいや。とりあえず、コティさん、ありがとう。それだけは本当に思っているから。
『……どういたしまして。それでは、ツバサさん、また近いうちに。』
え、ちょっと!?
なんか色々と凄く気になる言い回しをされたので、聞き返そうとした瞬間……感覚が戻り、ルナが積極的に俺の唇を……って、こらぁあ!?
俺は思わず、ルナを引きはがすように、距離を取る。
全身が心臓になってしまったのかと思うほど、凄い勢いでリズムを刻んでいた。
見ると、何か不満そうなルナの顔。
視線をずらせば、真っ赤な顔を手で覆い隠して……いるつもりで、指の隙間からちゃっかり全部見ているリリーと目が合う。
いや、顔そらしたらバレバレだし。しかも、尻尾とか凄い膨らんでいるんですけど。
更に、背中からクリームさんの視線が突き刺さっていたが、俺はそれらを全て無視し、深呼吸をすると、口を開く。
「すまん。あまりのルナの可愛さに暴走した。」
事実なので、その辺りはあっさり白状する。
ルナは呆けた表情のまま、艶のある目で、俺を見つめる。そして、舌を唇に這わして、まるで何か名残を確かめるように、往復させる。はっきり言おう。これまたエロイ。
このまま放っておくと、なんか、また変な空気になりそうなので、俺は機先を制するため、更に続けた。
「先程のリリーといい、ルナといい、可愛い子達に迫られて、ちょっと理性が崩壊しかかってます。はい。」
そんな言葉に、二人とも、何か思うところがあったのか、期待するような目を向けてきた。
だから、それ反則ですってば。
俺は、衝動を意志の力でねじ伏せ、更に続ける。
「でも、今は駄目だ。やるべき事が残っているからね。二人に溺れてしまいたい気持ちもあるけど、都市の皆を犠牲にしてまでする事ではないと思う。だから、……全部終わったら、ちゃんとしよう。」
ルナを見て、そして、その後、リリーを見て、ゆっくりと、そう告げた。告げてしまった。
それは、ある意味、俺の覚悟でもある。場合によっては、一線を越える事も想定しての話だ。
今まで、のらりくらりと躱してきたが、もう駄目だろう。
そんな俺の雰囲気が、いつもと何かが違う事を、二人とも理解したのだろう。俺の視線を受けて、一瞬、たじろぐように、表情を固まらせるも、すぐに頷く。
「よし、じゃあ……やるべき事を……やりますか。」
そう言いながら、俺はファミリアが送ってくる画像に目を向け、
「なんか、勇者がズタボロですね?」
そういうリリーの言葉を聞きながら、竜にフルボッコにされている勇者の絵を見て、肩を落としたのだった。
これは、味わった事のある男性にしかわからない、特有のものだ。あまりの痛さに思わず、腰が動くも痛みからは逃れられない。
しかし、ルナさんや……これは、ダメだって……。何が駄目って、危険なのよ。
この世界では関係ないかもしれないが、下手すると子種が死ぬ。場合によっては、機能そのものが死ぬ。
男性特有の、正に急所なんです。禁じ手なの。駄目なの……変な精神状態になるくらい、危険なんです。
紳士淑女の皆様は、生命の危機を感じたとき以外は、軽々しく使っちゃダメです。割と本気で。
それに恐らく、俺がルナの攻撃で、悶絶したのは初めてなんじゃなかろうか? と、どこか頭の冷静な部分がそんな事を考えている。それくらいには、破壊力がある。
どうやら、俺でもそんな状態になるとは想像がつかなかったようで、加害者のルナも流石に、悶絶している俺を見て、オロオロしている。
リリーは、今の一連のショックで、正気に戻ったのか、心配そうに俺の背中を優しくなでてくれている、が、正直、気休めにしかならない。
脂汗を流しながら、俺は未だにひかない痛みと格闘し続ける事、五分強。漸く少し楽になって来て、俺は自分の状況を確認する。
うーむ。かろうじて、圧潰は免れた我が生殖器官ではあったが、結構やばかったらしい。
絶妙と言えば絶妙なのだが、そんな無駄な所で、限界点を極める必要は無い訳で。
っていうか、俺の障壁、少しで良いので仕事して下さい。完膚なきまでに、見事にぶち抜かれましたが。
「ルナさんや……。」
俺は、床にぐったりと突っ伏しながら、声をかける。
そんな死に体の言葉を聞いて、ルナは泣きそうな顔をしながらもこちらを向く。
「股間の攻撃は、最終手段ね? ダメ、絶対。」
そんな俺の死に体な言葉を聞いて、目に涙を浮べながらも、頷いた。
よし、これで俺の股間の平和は守られるだろう。しかし、色んな意味で疲れた……。
これは、復帰した後も、気力を根こそぎ持って行かれるから困る。なんか、情緒不安定にもなるし。
とりあえず、【ヒール】はかけて癒しているが、股間から魔力が発する淡い光が漏れる姿を想像すると、情けなさで泣きたくなる。
そんな状況で間が持たない事もあり、丁度良い機会なので、俺はルナへと、声をかけた。
「この際だから、ちゃんと伝えておくね。不安にさせちゃった事は、凄く申し訳ないと思う。けど、最初から暴力ありきは、良くない。言葉があるんだから、ちゃんと言ってくれると嬉しいな。どんなに汚くて醜い言葉でも、感情でも、時間はかかるかもしれんが、受け止めるから。けど、いきなりの暴力だけは駄目。それが許される事なんてないからね? そもそも、そんな事していたら、俺の身体が持たない……。」
そんな俺の言葉でルナは、何かを感じた様で、凄く申し訳なさそうにしながらも、何故か嬉しそうに、静かに頷いた。
うん、ちゃんと分ってくれたなら良かった。
世の中には、ごく稀に、口より先に手が出る人がいる。
ある意味仕方ないと思う面が無くも無い。だが、それは、そんな状況を自ら憂い、変える努力していてこその話だ。その過程で、通過儀礼としてであるのならば、許せる部分はある。人が変わるのに時間がかかるのは事実だからだ。
だが、開き直っている人がいるのも事実なのだ。こちらは話にならない。
「怒るとつい、手が出ちゃうんだよねー。」
とか、笑顔で言われてみたら解る。あれは苦笑しか出ない。
そして、俺なら、そんな人とは距離を置くよ。だって、怒らせたときに殴られることが確定している訳だから。
更に、もう一つ。それを伝えて、予防線を張っておけば、許されると思っている節があるのがまた危うい。
そんな危険人物と、それでも積極的に深く付き合おうとするのは、その人がそれ以外の面で素晴らしい面を持っているか、利用価値があるかしかないと思うのだが。
そもそもそんな人は、思い違いをしている。
暴力で伝えられるのは、負の感情だけだ。その奥に隠れている本当の問題をかえって覆い隠してしまう。
受け取り手の側も、特殊な性癖の方を除いて、負の感情しか沸かないだろうさ。
それはお互いに不幸だ。
だから、ルナにはそうなって欲しくなかった。愛があればとか、そういう話じゃないんだよ。と言うか、そんなの言い訳だ。
コミュニケーションの手段として暴力を使って欲しくないのだ。それでは、誰も幸せになれないから。
元の世界にも、DVと呼ばれて、この形の問題が蔓延していた。
根っこは同じだ。暴力を対話の手段にしてしまっている。これは、どうやっても上手くいかない。
だから、人は言葉を交わす。だから、分かってもらおうと、こちらも分ろうと努力する。
感情を時々共有できる俺とルナの間ですら、こんなアホみたいなすれ違いが起こるんだ。
だったら、本当は、もっとより深く相手を理解する努力を、意識しないとだめなんだろうな。全く、やっぱりなかなか上手くいかないもんだ。
俺はそんな事を考えながらも、これも罰かと感じつつ、痛みが引くのをジッと待つのであった。
暫くして、俺は漸く痛みが引いてきたことを確認すると、ため息をつきつつ、立ち上がる。
そんな俺に、ルナがちょこちょこと近づいてきて、俺の瞳を下から覗き込んできた。
何故だか、その時、潤んだ目は、純粋で透明な彼女の気持ちを反映しているかの様に、俺には感じられた。
そんな彼女が、音も無く、宙にそっと言葉を浮かび上がらせる。
《 お願い。もっと、私を見て。 》
その文字を見た瞬間、心臓が跳ねた。
その言葉を頭が理解した瞬間、俺の中で抑えていた、何かが弾けた。
それはルナへの申し訳ない気持ちだったり、俺の不甲斐なさから来る羞恥心やら怒りであったり、それ以上の大きな感情として、ただただ、彼女が愛おしく、同時に食らってしまいたいと思えるほど、下種で野性的な感情だった。
そんな暴力的な衝動と本能としか言いようのない圧力が、俺を完全に支配する。
そんな大きすぎる衝動に突き動かされる様に、俺は、彼女の唇を強引に奪った。
感情が、身体が、どこか別の場所から動かされていて、自分の物で無い様な、不思議な状況。
こんな事、一生のうちで初めての事だ。なんだこれ?
マグマのように熱くたぎる自分の感情と、妙に冷えて冷静な自分が頭の端にいて、それを見下ろし、ぐちゃぐちゃな気持ちのまま、俺は彼女の唇をむさぼる様に……
『シンクロ率:89% 比翼システム――起動可能です。――起動しますか?』
唐突に降って来た懐かしい声によって、俺は急速に自我を取り戻した。
見ると、喘ぐように息をしながらも、俺の唇を吸い返す、ルナの姿。
ああああ、ちょっと待った!! 無し! 今の無し!!
『起動しませんか? ……下種め。』
……何か聞こえた。そして纏わりつくような黒い感情が、俺を掴んで離さない。
何これ、凄く怖いんですけど。っていうか、すいません、ちょっと我を見失いました。
俺は深呼吸しようとして、……体が動かないので、した気になる事で心をクールダウンする。
よし、大丈夫だ。
コティさんお久しぶりです。お蔭で助かりました。
『……良いのですか? ある意味チャンスですが?』
何がだよ。いや、ナニのだよね? いやいや、無理ですよ? もう、完全に羞恥プレイじゃないですか。公開とか、ハードル高すぎ。
『そうですか。臆病な貴方には、その方がお似合いですね。』
ああ、コティさんの言葉が何でか、いや、原因は解ってるが、ものすごく黒くて痛い。
それに、前と比べて遥かに感情が豊かになられている。それを明るい方向に引き出せればよかったのに。
『どこかの誰かが甲斐性なしのお蔭で、こうなりました。』
重い言葉を受けて、急速に胃に負荷がかかる。今なら俺はストレスで血が吐ける気がするぞ。
すいません。いや、本当に申し訳ない。
って言うか凄く居たたまれない。穴があったら入りたい。
心でそっと自分の顔を覆う俺。
『まぁ、良いでしょう。これからもルナ様を傷つける事の無いようにお願いいたします。それでもルナ様は、貴方と共に居る事が、絶対の幸せの様ですが。……全く、こんな下種のどこが……。』
もうやめて! 俺のHPはゼロよ!? 助けてルナさん! ……って、あれ? そういえば、ルナが動かない?
『今の私の状況をルナ様に見せる訳にも行かないので、こうして隔離して、話をしています。』
おや、それはコティさんの弱みなのでは? って、すいません、冗談ですから殺気飛ばさないで下さい。
ちゅーか、これだけで竜も逃げ帰るレベルだよ。コティさん、一体どうなっちゃったの?
『その質問には解答できません。秘匿情報に抵触いたします。情報開示には、ルート権限および、第一級監査官の承認が必要です。』
出たよ、お役所仕事。まぁ、良いけどね。
じゃあ、答えられる範囲で。コティさん、ルナと話す事は出来ないの?
『その質問には解答できません。秘匿情報に抵触いたします。情報開示には、ルート権限および、第一級監査官の承認が必要です。』
ええぃ。じゃあ、今、ルナと話していってよ。
『その命令は遂行できません。秘匿情報に抵触いたします。命令遂行には、ルート権限および、第一級監査官の承認が必要です。』
比翼システムを解放したら? それなら行けるんじゃないの?
『その質問には解答できません。秘匿情報に抵触いたします。情報開示には、ルート権限および、第一級監査官の承認が必要です。』
何でやねん!? その為に出て来たんじゃないのか!?
『いいえ、どこかの野獣からルナ様を守る為です。』
ああ、さいですか……。
ドッと疲れた俺は、肩を落とす。まぁ、動かないんだけど。
『ところで……。』
はいはい、何ですか?
『先程から、何故、私をルナ様に引き合わせようとするのですか?』
え? そんなの決まっているじゃないですか。
ルナだって、コティさんに会いたいと思っているからですよ。
彼女だって、絶対喜ぶし。それなら、この機会を逃す手はないでしょ?
俺のそんな思考に、何故か溜息で返して来るコティさん。つか、システムに溜息で返されたのって、実は、俺が人類初なんじゃなかろうか。
『そういう所があるからなんでしょうね。仕方ありません。後で、ゆっくりルナ様とはお話しいたします。貴方抜きで。』
ああ、はいはい。そうしてくれると、俺も嬉しいよ。
『ルナ様に、貴方の気持ち悪いその行動をたっぷりと伝えておきましょう。』
とりあえず、心当たりは無いけど、そんな事しかしないなら、もう帰っていいよ!?
『その命令は遂行できません。秘匿情報に抵触いたします。命令遂行には、ルート権限および、第一級監査官の承認が必要です。』
はぁ……もういいや。とりあえず、コティさん、ありがとう。それだけは本当に思っているから。
『……どういたしまして。それでは、ツバサさん、また近いうちに。』
え、ちょっと!?
なんか色々と凄く気になる言い回しをされたので、聞き返そうとした瞬間……感覚が戻り、ルナが積極的に俺の唇を……って、こらぁあ!?
俺は思わず、ルナを引きはがすように、距離を取る。
全身が心臓になってしまったのかと思うほど、凄い勢いでリズムを刻んでいた。
見ると、何か不満そうなルナの顔。
視線をずらせば、真っ赤な顔を手で覆い隠して……いるつもりで、指の隙間からちゃっかり全部見ているリリーと目が合う。
いや、顔そらしたらバレバレだし。しかも、尻尾とか凄い膨らんでいるんですけど。
更に、背中からクリームさんの視線が突き刺さっていたが、俺はそれらを全て無視し、深呼吸をすると、口を開く。
「すまん。あまりのルナの可愛さに暴走した。」
事実なので、その辺りはあっさり白状する。
ルナは呆けた表情のまま、艶のある目で、俺を見つめる。そして、舌を唇に這わして、まるで何か名残を確かめるように、往復させる。はっきり言おう。これまたエロイ。
このまま放っておくと、なんか、また変な空気になりそうなので、俺は機先を制するため、更に続けた。
「先程のリリーといい、ルナといい、可愛い子達に迫られて、ちょっと理性が崩壊しかかってます。はい。」
そんな言葉に、二人とも、何か思うところがあったのか、期待するような目を向けてきた。
だから、それ反則ですってば。
俺は、衝動を意志の力でねじ伏せ、更に続ける。
「でも、今は駄目だ。やるべき事が残っているからね。二人に溺れてしまいたい気持ちもあるけど、都市の皆を犠牲にしてまでする事ではないと思う。だから、……全部終わったら、ちゃんとしよう。」
ルナを見て、そして、その後、リリーを見て、ゆっくりと、そう告げた。告げてしまった。
それは、ある意味、俺の覚悟でもある。場合によっては、一線を越える事も想定しての話だ。
今まで、のらりくらりと躱してきたが、もう駄目だろう。
そんな俺の雰囲気が、いつもと何かが違う事を、二人とも理解したのだろう。俺の視線を受けて、一瞬、たじろぐように、表情を固まらせるも、すぐに頷く。
「よし、じゃあ……やるべき事を……やりますか。」
そう言いながら、俺はファミリアが送ってくる画像に目を向け、
「なんか、勇者がズタボロですね?」
そういうリリーの言葉を聞きながら、竜にフルボッコにされている勇者の絵を見て、肩を落としたのだった。
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