ILIAD ~幻影の彼方~

夙多史

108 幻境の村

 薄暗く静かな村の広場に巨大な霊術陣が出現する。青白い六つの光が降ってきたかと思うと、それは六人の人の姿に変わる。
 アンバーカラーの瞳を持つアルヴィディアンが二人、エメラルドグリーンの瞳を持つノルティアンが二人、赤い瞳のハーフの女が一人、そして蒼き瞳を持つテュールの民が一人の計六人である。ついでにリスに似た小動物が一匹ノルティアンの少女の肩に乗っている。
「テューレン……帰ってきた」
 辺りを見回して、銀髪蒼眼の少年――セトル・サラディン、もといセルディアス・レイ・ローマルケイトが物懐かしそうに呟く。
 〝幻境の村〟テューレンはシルティスラントとは空間がずれた場所に存在し、セトルたち『テュールの民』はシルティスラントのことを『下界』と呼んでいる。空間に何らかしらの歪みが起きた時、テューレンの村が下界から見られることがある。それが〝幻影の村〟ミラージュと呼ばれた。
 周りの家々の造りはシルティスラントのサンデルク似だが、それらを形成している鉱石はシルティスラントにはないものである。
 下界からミラージュとして見た時にもわかる時計台が広場の先に立っている。フラードルにあった時計塔よりも二倍は背の高いそれの屋上から、光の軌跡がずっと天に伸びている。
 あそこが『神の階』の入口だ。
 そしてその最上部にはセトルの兄、ガルワース・レイ・ローマルケイトがいるはずである。
 時計台の扉の前に誰かがいる。
 まさかワースたち――ではないようだ。たった一人、それも白い鬚をたくわえた老人である。その老人がセトルたちに気づくと、青い瞳の目を驚きに見開いてよぼよぼとしながら駆け寄ってきた。
「せ、セルディアス! セルディアスじゃな!」
「ただいま、ゲーンズバラさん」
 ゲーンズバラと呼ばれた老人は表情を喜びと驚きで満たし、微笑むセトルの顔をよく見ようと手を伸ばしてくる。
「おお、セルディアス……ガルワースは死んだと言っておったのに……よく生きていてくれた」
「やっぱり兄さんはあそこにいるんですね?」
「ああそうじゃ、こりゃあいつも喜ぶわい。おお、背もちょっと伸びたかの?」
 ゲーンズバラはセトルの銀髪をくしゃくしゃと撫で回す。セトルはそれを嫌がりながらも懐かしそうに笑っていた。ところで――
「あー、感動の再会のところ失礼ですが、その方はどちら様で?」
 ゴホン、と咳払いをしてから蚊帳の外になりかけていた仲間たちを代表してウェスターが言う。
「ああ、紹介するよ。この人はゲーンズバラさん。テューレンの村長をしているんだ」
 そしてセトルはゲーンズバラに向き直り、仲間の紹介を簡単にした。

 紹介の途中、騒ぎ(?)を聞きつけて村の人たちが次々と家から出てきた。当然、全員蒼い瞳をしている。
「おい、ローマルケイトんとこの弟だぜ」
「ホント生きてたのね、よかったわ」
「セル兄ちゃんだー!」
「また大きくなっちゃって」「後ろのやつらは誰だ?」「まさか帰ってくるとはなぁ」「下界の人間か?」「ハーフがいるぞ、珍しいな」「つーか何でいるんだ?」「別にいいだろそんなの」「セル兄ちゃんただいまー」「おかえりでしょ」
 ワイワイガヤガヤ、嬉しさと怪訝が混ざり合った言葉が祭りの時のような賑わいを生む。彼らはサニーたち下界の住人を罵るようなことはなく、寧ろ歓迎しているみたいだ。
「すごい、こんなに青い目の人が……」
「何や別の世界に来たみたいや……ってそうやったな」
 サニーとしぐれはシルティスラントではありえない光景に感動していた。シャルンやアランも声には出さないが驚嘆しているようだった。
 ゲーンズバラが一番年上であるウェスターにおじぎをする。
「こやつが大変お世話になりました。皆さん、どうですかな? これから私の家でお茶でも」
「それはいいですねぇ♪ と言いたいところですが、そうはいきません」
「? どういうことですかな?」
 怪訝そうに首を傾げるゲーンズバラにセトルが答えた。
「僕……オレたちはこれから兄さんを止めに行かないといけないんだ」
 それを聞いて周囲が驚き騒めく。
「ガルワースを止めるじゃと!? おぬし、それがどういう意味かわかっておるのか? テュールの意志に反することになるんじゃぞ!」
「わかってます。わかってますけど、テュールの意志に反しているわけじゃない」
「どういうことじゃ?」
 セトルは左手をゲーンズバラに差し出した。上に向けた掌に青白い神霊術の輝きを灯す。さらに周りが騒がしくなる。
「それは神霊術!? なぜおぬしが……」
 神霊術とはテュールの民の中でもテュールの加護を受けている者、つまり神の使徒のみが使用できる力である。神に叛こうとしているセトル、もといセルディアスには使えるはずがない。それに元々試練すら受けていないセトルには使えなかったはずなのだ。
「神霊術が使えるから、オレの考えはテュールには反してないと思います」
「うぅむ、しかしガルワースたちも使えとったしの……」
 その点に関してはセトルにもわからなかった。一体何のつもりでテュールは反する考えを持つ両者に力を与えているのか。それは神のみぞ知るということだろうか。
「神霊術ってそんな意味があったの?」
「いや、聞いてねえよ」
 そのことを知らなかったシャルンがアランに訊くが、アランも知らない。当然だ、その意味を知っている仲間はサニーだけだろうから。
『簡単なことだ』
 ――!?
 突然頭の中に直接声が響いてきた。神剣ミスティルテインに宿っている精霊、ピアリオンのものである。
『テュールは試している、もしくは迷っているんだ。そりゃあ神だって迷うことくらいあるだろう。私ですらそうだからな。つまりだ。もうテュールの意志など関係はない。お前たち兄弟の意志が世界の方向を変えるんだ』
 ピアリオンは、やはり自分を神の上をいく存在だと主張しながらまともなことを言っている。
「この声は……もしや精霊神」
『〝王〟だ』
 そのやり取りはもうどうでもいい。セトルは二・三首を振ってピアリオンの意味不明な思考を頭から振り払い、ゲーンズバラを見る。
「そういうことですから、時計台に入る許可をください」
「う~む」
 ゲーンズバラはしばらく唸るように考え、やがて意を決したように答える。
「わかった。我々はここで世界がどう変わるかを見守ろう。だが、気をつけるんじゃ、神の階が発動したことで時計台の中は異空間になっておる。閉じ込められたらお終いじゃ」
 ありがとうございます、とセトルたちは礼を言い、蒼眼の人々に見送られながら時計台の大きな扉の方へ歩き始める。
「セルディアス!」
 ゲーンズバラのやけに通る声が背中にぶつかる。セトルは歩みを止めずに首だけで振り向いた。
「おぬしたちも、ガルワースたちも、皆が無事で帰ってくることをわしらは願っておるぞ」
 無茶を言わないでください、とは言わなかった。ただ無言で手を挙げて答えた。
 セトルたち一行が時計台の中に消えた後、残された人々はそれぞれの家に戻っていく。その中でゲーンズバラだけは時計台を見詰め、
「どうかテュールよ、両者共に慈悲を……」
 と祈るようにぽつりと呟いた。

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