ILIAD ~幻影の彼方~

夙多史

056 シャルン復帰

 次の日の夕方。ブライトドールが完成したので、セトルたちはサンデルクに戻っていた。すぐにシャルンのいる大学の医務室へと向かう。
 医務室に入るとハーマン医師がいた。ベッドに座っているシャルンも見つける。まだ顔色はよくないが、だいぶ元気になったように見える。
「シャルン、もう大丈夫なの?」
 サニーが早速彼女の容体を訊いてみる。するとシャルンは微笑んで、ええ、と頷いた。その頬笑みには柔らかいものが感じられる。
「彼女の回復力には目を瞠りました。普通フラードル風邪は二・三日寝込むものなのですが……。それでも、もう一日は休んでもらいますよ」
「それはダメ! 時間がないんだから」
 ハーマンがシャルンに強く言い聞かせるが、彼女は不満な顔をして首を振った。セトルたちはまだつらそうな彼女を危険な場所に連れて行きたくはなかったが、かといって彼女を置いていくわけにもいかない。やはりハーマン医師の言うように、あと一日は休んでおいた方がいいだろう。しかし、彼女の顔は言っても聞かない人の顔だ。説得は難しそうである。無理やり留まれば彼女の気持ちが焦りで不安定になり、治りが遅くなるかもしれない。
「すみませんが、シャルン。あと一日待ってくれませんか? 実はまだブライトドールは完成しているわけではないのです。スウィフトに頼んでここの施設を使わせてもらおうかと思っています」
 ウェスターは彼女に見せるようにブライトドールを取り出す。その名の通り、淡く輝く人形のような形をしたそれを彼は回して見せた。そうしたところでそれのどこが完成していないのかセトルにはわからなかったが、彼がそう言うならそうなのだろう。彼女もそれを聞いて諦めたのか、ゆっくりと目を閉じて息をつく。
「そう……それなら仕方ないわね」
 セトルはふと部屋を見回す。そしてようやくアランがいないことに気づいた。
「そういえば、アランは?」
「トイレやないの?」
 しぐれはそう思っていたようだ。でも、トイレにしては長いような気がする。セトルは少し心配になった。
「そういえば、昨日から見てませんね」とハーマン。
「アラン、残ってくれてたの?」
 シャルンは知らないかったのか? 思えばあのとき彼女は眠っていたからそれは当たり前か。
「迷子にでもなってるんじゃないの?」
 嘲笑うかのようにサニーが腰に手をあてて言う。すると――
「そんなわけねぇだろ! サニーじゃないんだからよ」
 戸が開き、絶妙なタイミングでアランが帰ってきた。服や肌が妙に汚れている。本当に何をしていたのだろうか?
 彼はそのまま堂々と中に入り、ハーマン医師に何かを渡した。
「これはセレズニアの花!? どうしてあなたが?」
「へへ、ちょっくら海底洞窟から採ってきたんだ。これでシャルンの薬が調合できるんだろ?」
 アランは自慢げに鼻をすすってシャルンを見る。
「薬の調合って……わたしはもう治ったわよ?」
「へ?」
 意外な反応が返ってきて彼は目を瞬いた。そしてあたふたする。言っていることがよくわからなかった。
「だって、昨日の朝、調合室でこれがないから薬が作れないって……薬がないと手遅れになるってあんた言ってただろ」
「ああ、あれは違いますよ。あれは別の患者のことです。それに手遅れになるとは言ってません。ただ、早急に作れと言われていただけで……まあでも、あなたのおかげで助かりました。ありとうございます」
 ハーマンが深々と礼をしてからしばらく間を置いて、アランはようやく勘違いだということに気づいた。全身の力が抜け、腰を抜かしたようにその場に座り込む。
「お、俺の努力は一体……」
 そう呟きながら彼は完全に倒れた。恐る恐る寄って見たが、眠っているようだ。どうやら海底洞窟を一日中走り回っていたと思われる。今その緊張の糸が切れて、疲れがこれまでの旅のものと一緒にのしかかったのだろう。
「フフ」
 珍しくシャルンが声に出して笑った。それを火種に部屋の中が笑いに溢れる。アランを嘲るような悪口を言いながらサニーとしぐれは腹を抱えて大笑いしている。
「ここは医務室ですよ。静かにしてください」
 とハーマン医師が笑いながら言うが、他の患者はいないし、病棟や講義室は離れているので、あまり迷惑はかけないと思われる。
「ところで、ウェスターさん」
 シャルンには聞こえないようにセトルが訊く。
「ブライトドールが完成してないって本当ですか?」
「もちろん嘘ですよ。そうでも言わないと彼女は納得しないでしょうから。まあ、どこかのアランのおかげでもう一日の休息は必要になったようですが」
「…………」
 セトルは苦笑を浮かべ、床に倒れ込んでいるアランを哀れむような目で見た。

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