ILIAD ~幻影の彼方~

夙多史

028 久々のマーズ邸

 三日後に彼らはインティルケープまで戻ってきた。
 セトルの切られた服はいつもなら自分で繕っていたのだが、今回はサニーが無理やり繕ったため変に継ぎはぎだらけになった。だが特に目立つわけではなく、セトルは普通にそれを着ている。
 インティルケープは帰ってきてから何度か通っているが、急いでいてマーズさんやミセルに自分たちが戻ってきたことを伝えてなかった気がする。時間がないことはわかっている。でも一度寄って自分たちが無事だということ伝えたい。
 そう思っているとウェスターが立ち止まり、
「皆さん、少しマーズ氏に挨拶をしておきたいのですが、よろしいですか?」
 と言いだした。丁度そう思っていたし、願ってもないことだ。
「いいですよ。僕たちも無事に帰ってきたことを伝えてませんから」
 邸ではマーズが優しく出迎えてくれた。彼はウェスターと古い知人のように挨拶を交わし、リビングへと通してくれた。
 すぐにミセルが二階から下りてくる。
「――そうですか、アスカリアでそんなことが……」
 真剣にウェスターの話を聞いていたマーズは、カップに入っている紅茶を一口啜ると小さく息をついた。
「実はここでも似たようなことがありまして……まだ大きな被害は出ていませんが、これからどうなるか……」
 ウェスターはテーブルに肘を置き、掌を顔の前で組んで、ふむ、と呟いた。
「そういった負の念の増加、やはり原因を調べてみる必要がありますね」
「お願いします……」
 マーズは頭を下げた。
 彼らがソファでまじめな話をしている間、セトルたちはミセルの持ってきた背もたれのない椅子に腰掛け、楽しそうに会話していた。
「それにしてもよかった!」ミセルが嬉しそうにサニーの背中を何度も叩く。「サニーちゃんが無事に戻ってきて」
「い、痛い、痛いよ、ミセル!」
 サニーは咳き込み、助けを求めるようにセトルを見た。
「ははは、その辺にしときなよ、ミセル」
 セトルにそう言われたミセルは、ごめんごめん、と謝り、どこか皮肉めいた笑みを浮かべた。
「でも、うらやましいなぁ。旅の間ずっとセトル君独り占めしてたんでしょ?」
「な、何言ってんのよ!」
 サニーはなぜか顔を赤らめ、今度は逆にミセルの背を叩いた。
「そうでもないわよ……」
 そのあとでサニーは、誰にも聞こえないようにそう呟いた。セトルは彼女が何かを呟いたのはわかったが、やはり聞こえておらず、訊こうとしたけど彼女の表情を見て思い留まった。
「ところでアラン」ミセルが少し怒ったような口調で言う。「ここんとこずっと顔見せなかったけど、何してたのかな?」
 するとアランは口に含んだクッキーを呑み込むようにして、慌てたような仕草をする。
 ミセルは元々母親とアスカリアに住んでいて、サニーやアランとは幼馴染である。五年
前に彼女の母親が亡くなったため、インティルケープに別居していた父親のマーズのところに引き取られたらしい、とセトルは聞いている。
「あ、ああ、その、じっちゃんが柄にもなく野菜とか作りだしてな、俺が狩りをしてるからもうほとんど自給自足な生活になっちまって、インティルケープまで出ることがなかったんだよ……二年くらい行ってないかな? ハハハ」
 アランは頭を掻いてそう言い分けした。それも理由の一つだろうが、一番の理由は面倒だったからだと思う。よくニクソンとかがインティルケープに行く時、買い物を頼んでたし……。なので――
「アラン、そんなこと言って、僕たちに買い物頼んでたじゃない?」
 とセトルは茶化すようにそう言った。
「あ、あれはだなぁ……」
 アランは言葉に詰まり、ただ笑って誤魔化そうとしたが、そこにミセルの拳が飛んできたため、はぐ! と面白い悲鳴を上げて彼は椅子を倒して転がった。
 目から星が出ているようだ。
「まったく……アランは変わってないわね。セトル君もまだ記憶戻ってないようだし」
 立ち上がったままミセルは嘆息した。
「そのことなら、手がかりはあったよ」
 え!? という表情をしてミセルはセトルを振り返った。
「僕を知っている同じ青い目の人に会ったんだ」
 ワースさんと、スラッファさんだ。もう一人居るらしいけど、その人には会っていない。
「何、じゃあ記憶戻ったの?」
 ミセルが訊くと、彼は首を振った。
「残念ながらまだ……。でも、もう少しな気もする」
「セトル、いつも思い出そうとして頑張ってるもんね♪」
 サニーが明るく微笑むとセトルは、うん、と言って頷いた。
「その人に記憶は教えてもらうんじゃなくて、自分で取り戻さないといけないって言われたしね。まだ旅を続けるから、もしかしたら次に会うときは記憶が戻ってるかもしれないよ」
 そうだといいね、と言うようにミセルは微笑んだ。
 それからしばらくしてウェスターが立ち上がり、皆を呼んだ。
「そろそろ行きましょうか」
 そうですね、とセトルが言うと、ミセルが寂しそうに眉をひそめた。
「もう行っちゃうの? 泊ってけばいいのに……」
 彼女はいつものように引き留めようとするが、まだ昼過ぎだし、ゆっくりすることなどできない。
「ごめん、ミセル。今回はゆっくりしてられないんだ」
 セトルは首を振り、相手を傷つけないように優しい口調で断った。
「でも、何か雨が降りそうだし……」
 確かに窓から見える空はだんだんと黒くなっているようだった。これは間違いなく雨が降る。耳を澄ませばゴロゴロとまだ微かだが雷の鳴る音も聞こえた。しかし――
「この程度ならすぐに町を出れば問題ありませんよ」
 ウェスターは窓からその黒雲を見上げる。
「ミセル、セトルくんたちにも事情ってものがあるんだよ」
 マーズは優しく、そして強く言い聞かせた。ミセルはセトルを見詰め、わかったわ、と呟き俯いた。
「では、行きましょうか」
 ウェスターはそう言うと先にリビングを出、セトルたちは簡単にお礼を言ってそれについていった。
「気をつけてよ!」
 邸を出ようとすると後ろからミセルの声が追いかけてきたので、三人は一度振り返り、手を振ってから邸を出た。

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