ILIAD ~幻影の彼方~

夙多史

025 険悪なアスカリア

「――コリエンテ!!」
 アクアマリンの指輪をはめ、ウェスターはコリエンテを呼び出した。
「コリエンテ、今からそこの土砂を破壊します。飛び出してくる水を鎮めてください!」
「わかりました」
 コリエンテが頷くと、ウェスターはサニーに目配せをする。すると彼女は扇子を構え、術の詠唱を始める。
「――シャイニングクロス!!」
 光の十字架がダムを貫くと、ドーン、と音を立ててそれは決壊した。水がもの凄い勢いで飛び出してくる。だが、コリエンテの体が輝いたと思うと、水は勢いを失い、元の穏やかな流れへと変わった。
「これでよろしいですか?」
「ええ、コリエンテ、ありがとうございました」
 ウェスターが礼を言うと、彼女は優しく微笑み、消えていった。
「ふう、これで一安心ですね」
 セトルは大きく息をついた。
「さて、そろそろ船の修理も終わってるころでしょう。戻りますよ」
 ウェスターが踵を返すと、サニーがあからさまに嫌な顔をする。
「世界が大変なことになるって知ったのに何で村へ帰されなきゃいけないの!」
「今回は俺も同意見だ」
 アランは腕を組んだ。二人とも村へ帰りたくないわけではない。否、むしろ今すぐにでも帰りたいのだが、それよりも世界のことを優先して考えている。それはセトルも同じだ。
 コリエンテは、自分たちも知っておかなくてはいけないと言った。それはつまり、自分たちはそのことに関係があり、その危機から世界を救う行動がとれる、ということだと思う。
(この青い瞳はその使命を背負っているのかもしれない……)
 セトルは水面に映る自分の瞳を見詰めた。しかし――
「いえ、皆さんには村へ帰ってもらいますよ」
 やはりウェスターは首を縦には振らなかった。後ろでサニーがいつものように、あーもう、と叫んでいるのが聞こえる。
「ですが、一度村へ戻ればそのあとのことは知りません」
 ウェスターは意味ありげな笑みを浮かべる。
「そのあとは好きにしろってことか?」
 確かめるようにアランが訊くが、ウェスターは肯定も否定もしなかった。だが、それが答えだ。
 サニーの顔に笑みが戻る。
「わかったわ、それじゃあ早く行きましょ!」
 そう言うと、彼女は歩速を上げた。

        ✝ ✝ ✝

 修繕されたブルーオーブ号をインティルケープに泊め、セトルたちはついにアスカリアへと戻ってきた。
「パパ! ママ!」
 村のアーチをくぐったところにルードとスフィラを見つけ、サニーは歓喜の声を上げて彼らの元へと駆け寄った。
 瞳は涙で潤んでいる。
「ああ、サニー、無事でよかった……」
 スフィラはそんな彼女を強く抱きとめた。
「二人とも、ありがとう。それにあなたも。話はマーズさんから聞いています」
 ルードはウェスターに向かって深々と頭を下げた。すると彼は微笑みを浮かべ、いえいえ、と言う。
(何も……変わってないな)
 セトルは久々に帰ってきた村の光景を見回しながらそう思った。長閑な空気、静かに流れる小川、そして周りの家々、何もかも旅立つ前と同じだ。
「ここで立ち話もなんですから、私どもの家に行きましょう。何もないところですが、お茶くらいは出します」
 ルードは顔を上げ、自然な笑顔でそう言った。
「それでは御厚意にあまえさせてもらいます」
 ウェスターは意外にも断らなかった。いや、断れなかった。あの二人の雰囲気では断ったら逆に悪い気がする。
「俺は一度自分の家に戻るぜ!」とアラン。「セトルもケアリーさんが心配してるだろうからまずそっちに行ってきな!」
「うん、そうだね……そうするよ」
(とは言っても隣なんだけどなぁ……)
 セトルが頷くのを認め、アランはそのまま自分の家の方に駆けていった。
 一度広場に下り、小川の橋を渡ってその先の階段を登った大きな家の前でセトルはサニーたちと別れた。
家は静かだったが、ドアの鍵はかかっていない。セトルはそのまま中に入り、ただいま、と言ってケアリーの姿を探した。しかし――
「あれ? どこ行ったんだろう、集会場かな?」
 家の中に彼女は居なかった。だが、それはいつものこと。セトルはとりあえず二階にある自分の部屋のベッドに倒れ込んだ。開いた窓から青い空が見える。
 ――静かだ。
 首都やサンデルクといった都市とは空気そのものが違う。帰ってきたんだな、と体でそう感じ取れる。
 そのまましばらく待ったが、ケアリーが帰ってくる気配がなかったのでセトルは予定通り、隣のサニーの家に行くことにした。
(ん? 何だろう?)
 家を出ると、集会場の方が騒がしいことに気づいた。サニーたちもそれに気づいたのか、外に出てきた。ルードとスフィラはどこか深刻な顔をしている。
「あ、セトル! ねぇ、何かあったの?」
 サニーが歩み寄ってきてそう訊く。
「わからないけど、集会場の方みたいだよ」
「行ってみましょう!」
 ウェスターに促され、セトルたちは集会場へ急いだ。
『今、世界中で人々の負の念が増加しています』
 ふと、そんなコリエンテの言葉が頭を過ぎった。

        ✝ ✝ ✝

「――もう我慢ならねぇ!」
 集会場は広場から見て南の方角にある。そこから苛立った男性の声が聞こえ、セトルたちは立ち止った。 
 その男性は黒っぽい髭を生やした熊のような大男で、アルヴィディアンの人々を引き連れ集会場を挟んだ先にいるノルティアンの団体を睨んでいた。
「ちょっとウォルフさんやめとくれ! あなたたちも何やってるんだい!」
 その間に割って入り、両者を牽制しているのは――ケアリーだ!
「おい、これは一体何の騒ぎだ?」
「アラン!」
 この騒ぎを聞きつけ、アランがセトルたちの元へ駆けてきた。
「ケアリーさん、あんたはどいていな。今日こそは奴らにわからせるんだ!」
 男――ウォルフは、止めに入ったケアリーを押しのけると、そのまま前に進み始めた。
ノルティアンの人々はたじろぎながらも身構える。その中にはニクソンの姿も見られた。
「ちょっと待って!!」
 そう叫びながらセトルたちはウォルフの前に立ち塞がる。ルードたちとその場に残ったウェスターは事の成り行きを見守るように目を眇める。
「ウォルフさん、一体何があったんだ?」
「アラン……お前たち……戻ってたのか」
「ついさっきな」
 ウォルフたちに一瞬戸惑いが生じるが、彼らはすぐに顔を引き締めた。ケアリーだけはセトルたちの姿を見て安堵した表情をしている。
「それで、何があったんですか?」
 セトルが話を戻す。するとウォルフは鼻を鳴らした。
「フン、あいつらが俺たちにありもしねぇことを擦りつけてきたんだよ!」
「でも」とニクソン。「俺らはちゃんとこの目で見てるんだ! あんたらが狂ったように俺らの物を壊してるのをな!」
 ノルティアン全員が頷く。
「うるせぇ! そんなもん知らねぇよ!」
 ウォルフは一喝し、後ろの人たちも、そうだそうだ、と声を上げる。
 どちらかが嘘を? いや、どちらも嘘を言っているようには聞こえない。
(どういうことなんだ?)
 皆の顔を見回し、セトルは眉をひそめた。
「ねぇ、やっぱこんなことになっちゃった理由があるんじゃ……」
 サニーは眉を吊り上げ、腰に手をあててウォルフに言った。すると、激怒した彼は拳を握りしめ、
「うるせぇっつってんだろうがぁ!!」
「きゃっ!」
 思わず彼女をぶってしまった。ウォルフは倒れた彼女を見て自分が何をしたのかを理解し、その震えた拳を見詰めた。周りが一気に静まり返る。
「サニー!」
 セトルは彼女を抱き起こし、ウォルフを睨んだ。
「――まずいですね」
 その様子を冷静な表情で見ていたウェスターが呟く。
 一度鎮まったと思われた殺気がノルティアンたちの方から沸き立ってくる。それにつられてアルヴィディアンたちも殺気立った。そして――
 ――――うおぉぉぉぉぉぉぉ!!――――
 咆哮し、両者はぶつかりあった。
(おかしい……こんなのおかしいよ!)
 気絶したサニーを抱え、セトルはただそれを見ていることしかできなかった。
(何で……何で同じ村の人たちが争わないといけないんだ!)
 そう思った途端、セトルは自分の中に何か熱いものが込み上げてくるのを感じた。
「やめ……やめろ……やめろー!!」
 思いっきり叫ぶ。すると、彼の体から招治法しょうちほうに似た、だがそれとは違う温かい光が発せられた。それはここにいる者全員を包みこんで広がっていく。
「何だ、この光は!? セトルのやつどうしちまったんだ!?」
 アランはその眩しさに思わず腕で目を庇った。
 強く、それでいて優しい、心が癒されるような光だ。
 光が収まると、争いはやんでいた。もう誰からも戦意を感じない。
 傷も癒えている。ということは、あの光は招治法しょうちほうの進化形なのだろうか?
「やめて……ください……」
 セトルは最後にそう呟くと、気を失ったのか、その場に倒れ込んだ。

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