ILIAD ~幻影の彼方~

夙多史

023 アクエリスの危機

 ガタン!   
「おや?」
 洋上、ウェスターの霊導船《ブルーオーブ》号は妙な音を立てて停止した。
「何かあったんですか?」
 セトルが訊くと、ウェスターは特に慌てた様子もなく、軍船とは違う豪華な客室の壁に取り付けてある小さな霊導機を操作し、そこに向かって話しかけた。
「どうしました?」
 すると、少し耳障りな音がし、
『霊導機関にトラブルが発生しました。直すのに少々時間がかかるかと……』
 と、人の声が聞こえてきた。
 あれは離れた所に居る人と話ができる《伝声機》というものらしい、と不思議そうに見ているセトルにサニーが教えてくれた。村には無かったから、恐らく連行されたときに知ったのだろう。
「ふむ、では非常導力を使い、一番近くの港で修繕しましょう。――一番近い町は?」
『アクエリスです』
「では、そこまで最短航路で向かってください」
『了解しました』
 再び耳障りな音がし、ウェスターは伝声機のボタンを押す。すると音が消え、通信が切れたのだとわかった。
「もうアクエリスまで来たんですね」
 セトルは霊導船のスピードに感動したようだった。首都を出港して五日、帆船ではどんなに速くてもサンデルクまでが限界だろう。
「このブルーオーブ号は世界でもトップを争うスピードを持ってますからね♪」
「故障したけどね……」
 棘のある声でサニーがぼそっと呟くが、ウェスターはそれを笑って流した。
「ははは、まあそんなときもあるでしょうねぇ」
 しばらくすると、また耳障りな音が聞こえてきたので、ウェスターが伝声機のボタンを押し、どうかしましたか、と答える。
『もうすぐ到着しますが、中まで入りますか?』
「そうですね、そのまま運河に入り、町の港まで行きましょう」
『了解しました』
 プツン、と通信が切れる。
「アクエリスかぁ……あの町綺麗だからちょっと楽しみ♪」
「でも、迷子にはなるなよ、サニー。めんどうだからな」
 扉が開き、どこかに行っていたアランが入ってきてからかうようにそう言う。
「だ、大丈夫よ! それよりアランどこいってたの?」
「ああ、霊導船じゃあまり酔わないからな、いろいろと見てまわってたんだ」
 アランは微笑んだが、少し顔色が悪いように思われた。

        ✝ ✝ ✝

「な、何だよ……これは!?」
 水の都アクエリス、その美しい街並みは世界でも一位二位を争うほどだ。だが、アランが愕然としたように、そこにその美しさは無くなっていた。
「水が……ほとんど無い……」
 それが原因だった。セトルは辺りを見回すが、人々の姿もほとんど見えない。
 運河に入ろうとしたところ通行止めとなっていたので、仕方なく船をそこの灯台につけ、船を修理している間にセトルたちは陸路で町の様子を見に行った。途中で運河が枯渇していることに気づき、不安を覚えたが、それが今現実となったのだ。
「少し町を調べてみましょう。まだ残っている人がいるかもしれません」
 ウェスターにそう言われ町を一通り調べたが、人の気配は全くなかった。
 みんな避難しているのだろうか?
 当然水が枯渇している原因もわからず、セトルたちは途方に暮れていた。
「こうなったら」とウェスター。「川の上流を調べてみるしかありませんね」
「そうですね……」
 セトルは頷いた。嫌な予感がする……。

        ✝ ✝ ✝

 アクエリスの水は《ローレル川》という川から流れ込んでいる。彼らはそこを上流へ上流へと登って行った。
「あれ見ろよ、あんなところに洞窟があるぜ!」
 アランが指差した先には確かに人が入れるほどの洞窟があった。しかも普通なら川に沈んでいるだろうというところに。
「中に入ってみますか? 何か関係があるかもしれないし……」
 セトルが訊くとウェスターが頷いた。
「そうですね。関係がない、ということはないと思います」
 中に入るとすぐに広い空間になっていた。
「サニー、光霊球ライトボールを!」
「うん!」
 ウェスターに指示され、サニーは顔の前で人差し指を立てる。すると指先に光霊素ライトスピリクルが集まり、輝く球体ができた。彼女はそれを頭上に浮かばせ、一気に空間全体を照らした。
「サニーが光霊術士ライトスピリクラーで助かりましたよ♪」
 作り笑顔のような笑みを浮かべたウェスターを、アランが怪訝そうに見る。
「あんたはできないのか?」
「ええ、私は光属性の術は使えないんです」
 嘘――ではないようだ。具現招霊術士スペルシェイパーと呼ばれるほどのウェスターでも使えない属性はあるんだな。
 それにしても  
「ねぇ、この場所って……シルシド鉄山の奥にあった部屋に似てない?」
 周囲を見回し、セトルが言う。ガーゴイルはいないようだが、部屋のつくり、壁に刻まれた模様、全てが瓜二つだった。
 天井を見ると、僅かに濡れた跡など、この部屋が水で満たされていた痕跡がいくつもあった。
 壁の模様は輝いていない。いや、あの時みたいに輝きを失ったのかもしれない。
 ウェスターがその壁に近づき、なにかを調べるように手を触れた。
(すでに蛻の殻……ですか)
「何かわかったんですか?」
「いえ……わかったことは、ここは水が枯渇した原因ではないということぐらいですね。もう少し上に行ってみましょう」
 瞳を隠すように彼は眼鏡の位置を直した。
 洞窟を出て、しばらく登っていると土砂が積もった不自然なものが見えてきた。周囲は切り立った崖で、谷のようになっているため、それは巨大なダムと化していた。
「まさかこれが……」
 セトルはダムを見上げる。ウェスターがそれを調べ、そしてすぐに、ふむ、と呟いた。
「これが原因でしょう。水が塞き止められています。ですが、おかしいですね」
「何が?」
 サニーが小首を傾げる。
「周りの崖が崩れた様子はありませんし、この土砂はこの辺りとは質が違います」
「誰かが意図的にやった……ということですか?」
 セトルが顎に指を当ててそう言うと、ウェスターは頷いた。
「ええ、あれは地霊素アーススピリクルを使った人為的なものと見て間違いないでしょう。その犯人も、だいたい予想はつきます」
 するとサニーが前に出て、扇子を構える。まさか!
「とにかく、これが原因なら壊しちゃお? シャイニング――」
「ちょっと待ってサニー! そんなことしたら  」
 セトルは慌ててサニーの口を手で塞いだ。思った通り彼女はダムを壊す気だった。彼女はセトルの手を振り解くと、何でよ、と叫んだ。
「あれがぶっ壊れたら鉄砲水が俺たちだけじゃなく、アクエリスの町まで襲うだろ……」
 呆れたようにアランが言うと、彼女は、そうか、と納得したようだ。そして――
「あーもう! それじゃあどうすればいいのよ!」
 サニーが拳を振りまわすようにして叫ぶと、何かを考えていたウェスターが口を開いた。
「仕方ありませんね。精霊の力を借りましょう」
 彼がさらっと言った『精霊』という単語に、セトルたち三人は聞き覚えがなかった。そこでアランが、
「『精霊』って何だ?」
 と訊くが、ウェスターは答えず、土砂のダムを見た。つられてセトルたちもダムを見ると、微かに妙な音がしていることに気づいた。
「あまり時間がなさそうです。その話はここを下りながら折々話しましょう」
 そう言うとウェスターは踵を返し、川を下り始めた。
「どこに行くんですか?」
「海底洞窟です。そこに水の精霊が居るはずですから」

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