乙女よ。その扉を開け
陸(後書きに挿絵あり)
「気は済んだか舞姫」
一部始終を見ていた水輝静まった部屋の中で徐に口を開いた。
「あの、子は」
「そなたの捜していた銀だ」
それは知っている。
何もかも辻褄が合っているのだろうか。
「水輝様」
「なんだ」
「もう真実を話しても良いでしょう。あまりにも可哀想です」
縁の険しい顔に水輝は軽く目を見開いた。
「そなたがそんなに感情を出すとは」
「今までが大して感情を見せる程のことでは無かったのです」
何の話をしているのか分からない舞姫は二人を交互に見た。
「だが縁の言っていることも最もだ。舞姫、こちらへ来い」
「は、はい」
舞姫は水輝の近くに寄り、姿勢を正した。
「銀が何故そなたを突き放したか分かるか」
「わ、私に怒りを感じて?」
水輝は首を横に振る。
「そうであればまだいくらか良かっただろうな」
「銀はどうなってしまったのですか」
「山の崖から落ちたところを偶然真由美殿が見つけて急いで治療したのだ。体をいくつも貫かれてどの医者も諦めていたが、彼女だけは寝る暇も惜しんでひたすら世話をしたらしい」
混乱する舞姫だが、それでも小さく真由美に感謝した。
彼女が諦めなかったおかげで銀と――いや、今は里子と再開出来たのだから。
「回復してから里子殿は二週間高熱で寝込んだ。以前のそなたのようにな。彼女がまともに生活できるようになったのはつい二ヶ月前だったらしい」
半年だとすると里子は四ヶ月も苦労しながら生きていたのだ。
「里子殿は世話をしてくれた真由美殿には自分の心の内を全てさらけ出すようにしていたらしい。真由美殿が話してくれと言った時彼女が最初に言った言葉は」
水輝は顔を上げて舞姫と目を合わせた。
「里子殿は何も覚えていないと言った」
何も覚えていない――?
里子が舞姫を突き放した理由は怒りや憎しみからでは無かった。
“知らない人”に急に抱きしめられたら誰でもあんな行動をとるに決まっている。
「出会う前に言ってしまえばきっとそなたは素直に喜ぶことが出来ないと思って言わなかった。だがあそこまで里子殿が嫌悪を見せるとは思わなかった。すまない」
水輝は土下座をするように頭を垂れた。
本来なら付き人が止めるものを縁は静かに待っていた。
いくら主従と言えど水輝が告げもせず、余計に舞姫を傷つけたことに変わりは無い。
「銀には何一つ記憶が無いのですか」
「そう言っていた。名も年もどうして一人で山の中に瀕死の状態だったのかも」
「そうですか」
舞姫は水輝から視線を外してしばし俯いていた。
その口元が小さく上がっている。
「良かった」
「何?」
水輝は無表情だった顔に怪訝な情を見せた。
見えはしないが縁も同様だろう。
「だってあの子には酷い過去なんて残っていないのでしょう? 銀色の髪を奇異の目で見られることもひもじい思いをした過去も無い。禍乱様に可愛がられて幸せに暮らしている記憶だけ。家族が苦しい思いをすることが無いなんて私にとっては喜び以外の何物でもありません」
舞姫の声には戸惑いも強がりも無く、純粋に里子を思っているだけだった。
「ああなった後だ。もう面会をしてはくれない気がする」
「元気であればそれで結構。私の約束を叶えてくれました。これからは今までの非礼を詫びて精魂込めてお仕え致します」
舞姫が今まで水輝に反していたのは一重に里子を貶していたから。
しかしもう再開することも殆ど無い。
ならば反するだけ無駄だ。
「これからもどうぞよろしくお願いします」
「……そうか。下がって良い。着物を直して職に勤め」
「はい」
出る時に縁は舞姫と目を合わせたが、軽く微笑まれただけで後は何も無かった。
「縁」
「何でございましょう」
障子が完全に閉まり、足音が聞こえなくなるや否や、水輝は縁を呼んだ。
「これからお前は舞姫の付き人となれ」
「では水輝様の付き人は?」
「舞姫にやらせる」
ということは縁は地位を落とされた――というのが世間一般に広まるだろう。
「私はどう言い訳をすれば?」
「自尊心が許さないのなら舞姫に蹴落とされたとでも」
縁は嘲るように笑う。
「では私が里子の気分を損ねて舞姫が宥めたことにより、ということにしておきましょう。どうせあまり恥をかくこともありますまい」
当主への信頼を失うことは仕い人にとって何よりの恥だと思うが。
「それにしても水輝様が面倒事を自ら引き受けるなんて」
「気づいていたか」
「初めて会った時に。人とは思えない治癒力。即座に対応する順応力。それにあの狂った暴走。よく今まで誰も人間じゃないと本気で疑わなかったのか」
縁は両手で転がしていた半透明の小さな球体を床に落とした。
「だがあれは何の憑き者だ」
「さあ? ですが簡単に名前は付けさせてもらいました」
黒くて禍々しい獣を呼び出す娘。
「黒獣神とでも呼びましょうか」
四つの歯車が合わさるのはまだ先の話。
一部始終を見ていた水輝静まった部屋の中で徐に口を開いた。
「あの、子は」
「そなたの捜していた銀だ」
それは知っている。
何もかも辻褄が合っているのだろうか。
「水輝様」
「なんだ」
「もう真実を話しても良いでしょう。あまりにも可哀想です」
縁の険しい顔に水輝は軽く目を見開いた。
「そなたがそんなに感情を出すとは」
「今までが大して感情を見せる程のことでは無かったのです」
何の話をしているのか分からない舞姫は二人を交互に見た。
「だが縁の言っていることも最もだ。舞姫、こちらへ来い」
「は、はい」
舞姫は水輝の近くに寄り、姿勢を正した。
「銀が何故そなたを突き放したか分かるか」
「わ、私に怒りを感じて?」
水輝は首を横に振る。
「そうであればまだいくらか良かっただろうな」
「銀はどうなってしまったのですか」
「山の崖から落ちたところを偶然真由美殿が見つけて急いで治療したのだ。体をいくつも貫かれてどの医者も諦めていたが、彼女だけは寝る暇も惜しんでひたすら世話をしたらしい」
混乱する舞姫だが、それでも小さく真由美に感謝した。
彼女が諦めなかったおかげで銀と――いや、今は里子と再開出来たのだから。
「回復してから里子殿は二週間高熱で寝込んだ。以前のそなたのようにな。彼女がまともに生活できるようになったのはつい二ヶ月前だったらしい」
半年だとすると里子は四ヶ月も苦労しながら生きていたのだ。
「里子殿は世話をしてくれた真由美殿には自分の心の内を全てさらけ出すようにしていたらしい。真由美殿が話してくれと言った時彼女が最初に言った言葉は」
水輝は顔を上げて舞姫と目を合わせた。
「里子殿は何も覚えていないと言った」
何も覚えていない――?
里子が舞姫を突き放した理由は怒りや憎しみからでは無かった。
“知らない人”に急に抱きしめられたら誰でもあんな行動をとるに決まっている。
「出会う前に言ってしまえばきっとそなたは素直に喜ぶことが出来ないと思って言わなかった。だがあそこまで里子殿が嫌悪を見せるとは思わなかった。すまない」
水輝は土下座をするように頭を垂れた。
本来なら付き人が止めるものを縁は静かに待っていた。
いくら主従と言えど水輝が告げもせず、余計に舞姫を傷つけたことに変わりは無い。
「銀には何一つ記憶が無いのですか」
「そう言っていた。名も年もどうして一人で山の中に瀕死の状態だったのかも」
「そうですか」
舞姫は水輝から視線を外してしばし俯いていた。
その口元が小さく上がっている。
「良かった」
「何?」
水輝は無表情だった顔に怪訝な情を見せた。
見えはしないが縁も同様だろう。
「だってあの子には酷い過去なんて残っていないのでしょう? 銀色の髪を奇異の目で見られることもひもじい思いをした過去も無い。禍乱様に可愛がられて幸せに暮らしている記憶だけ。家族が苦しい思いをすることが無いなんて私にとっては喜び以外の何物でもありません」
舞姫の声には戸惑いも強がりも無く、純粋に里子を思っているだけだった。
「ああなった後だ。もう面会をしてはくれない気がする」
「元気であればそれで結構。私の約束を叶えてくれました。これからは今までの非礼を詫びて精魂込めてお仕え致します」
舞姫が今まで水輝に反していたのは一重に里子を貶していたから。
しかしもう再開することも殆ど無い。
ならば反するだけ無駄だ。
「これからもどうぞよろしくお願いします」
「……そうか。下がって良い。着物を直して職に勤め」
「はい」
出る時に縁は舞姫と目を合わせたが、軽く微笑まれただけで後は何も無かった。
「縁」
「何でございましょう」
障子が完全に閉まり、足音が聞こえなくなるや否や、水輝は縁を呼んだ。
「これからお前は舞姫の付き人となれ」
「では水輝様の付き人は?」
「舞姫にやらせる」
ということは縁は地位を落とされた――というのが世間一般に広まるだろう。
「私はどう言い訳をすれば?」
「自尊心が許さないのなら舞姫に蹴落とされたとでも」
縁は嘲るように笑う。
「では私が里子の気分を損ねて舞姫が宥めたことにより、ということにしておきましょう。どうせあまり恥をかくこともありますまい」
当主への信頼を失うことは仕い人にとって何よりの恥だと思うが。
「それにしても水輝様が面倒事を自ら引き受けるなんて」
「気づいていたか」
「初めて会った時に。人とは思えない治癒力。即座に対応する順応力。それにあの狂った暴走。よく今まで誰も人間じゃないと本気で疑わなかったのか」
縁は両手で転がしていた半透明の小さな球体を床に落とした。
「だがあれは何の憑き者だ」
「さあ? ですが簡単に名前は付けさせてもらいました」
黒くて禍々しい獣を呼び出す娘。
「黒獣神とでも呼びましょうか」
四つの歯車が合わさるのはまだ先の話。
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