シニガミヒロイン

山本正純

アイドルとの下校イベント

午後4時13分。桐谷凛太朗は街を走っていた。彼は焦っている。今日アイドルの倉永詩織との下校イベントを発生させなければ、死亡する。明日赤城恵一が、仲間を集めて同じタイミングで下校を申し込むらしい噂を学校で聞いた桐谷凛太朗には、後がない。4人同時に下校を申し込まれてしまえば、その時点で桐谷の敗北が決定するのだから。
下校イベント争奪戦開始まで、残り2分。
桐谷は手当たり次第に倉永詩織の居場所を探す。だが時間は2分しか残されていない。
多くの主婦たちが夕食の買い物うするために歩いている道を、彼は追い抜く。周囲を見渡しながら。しかし桐谷は息切れを起こし、コンビニの前で立ち止まってしまった。
全速力で街を走ったのは、現実世界で高校のマラソン大会に強制参加させられた時以来のこと。マラソン大会とは言ったが、2キロ程高校の周囲の道を走っただけ。普段あまり走らない桐谷は、運動不足を自覚しながら、筋肉痛になりかけている足を動かす。改めてスマートフォンで時間を確認してみると、タイムリミットは50秒になっていた。
結局今日も無理だったのかと、凛太朗の脳裏に諦めるという選択肢が浮かぶ。死への恐怖が桐谷の元へ忍び寄り、鳥肌が立った。
それでも凛太朗は重たくなった足を動かす。全ては倉永詩織と下校するために。


「大丈夫ですか?」
桐谷凛太朗の近くで聞こえたのは、聞き覚えのある声。彼が声が聞こえた方向へ振り向くと、そこには、赤色のニット帽に黒色のサングラスを掛けた低身長の少女が立っていた。少女の茶色の髪は肩まで伸ばされていて、ニット帽から軽くウェーブさせた前髪がはみ出ている。
「まさか倉永……」
柄もなく桐谷が大声を出そうとするが、それを少女が人差し指を立て、止めた。
「静かに。こう見えて一応有名人だから。そういえば、あなたのことを劇場で見たことがあるような」
「桐谷凛太朗です」
彼は咄嗟に頭を下げ、身分を明かす。何とか倉永詩織と接触できたが、このまま長話しては、タイムアップ。桐谷はスマートフォンを見て残り時間を確認してみる。残り時間は15秒。本当に時間がないと感じた桐谷は、少々早い口調で、頭を下げながら倉永詩織に依頼した。
「倉永さん。一般人の僕と一緒に劇場に行きませんか?」
こんな言葉で大丈夫なのかと、凛太朗は一瞬疑った。この言葉は前から考えていた台詞ではなく、焦りから生まれた言葉。
「いいけど、体調とか大丈夫? 何か息切れを起こしていたみたいだけど」
「大丈夫ですよ」
「それならいいよ」
倉永詩織はサングラスを外し、桐谷に対して可愛らしい笑顔を見せた。
それから桐谷凛太朗と倉永詩織は、劇場に向かい歩き始めた。
「本当に良かったのですか? 一般人の僕と一緒にいる所を見られたらスキャンダルになると思いますが」
桐谷はジト目になり、現実的な意見を口にした。それに対し倉永詩織は笑みを浮かべる。
「私は小さなステージの端っこで踊ってるだけ。それだけ知名度が低いってことは分かってるよね?」
「答えになっていませんね。どうしてあなたのファンである僕とあなたは一緒に歩いているのでしょうか?」
「ただのファンサービスだと思って。私のファンの人数なんて、片手で数えられるくらいしかいないから。それに私が所属する芸能事務所は、恋愛とかのプライベートは、個人に任せているから、彼氏がいても問題ない」
「それなら、このあからさまな変装をする必要はないように思えます」
「失礼ね。これは有名になった時の練習みたいな奴で」
倉永詩織の言葉にはネガティブな発言が多い。だがその言葉の裏には、彼女の現実が垣間見える。桐谷凛太朗はそのように感じながら、悔しそうな表情すら見せない倉永詩織の横顔を見つめた。


ここまで劇場公演終了直後の握手会や、劇場裏口での出待ちくらいでしか倉永詩織と会話する機会がなかった。一応ブログも毎日チェックしてコメントも残しているけれど、やはり直接じゃないと聞けないこともあると凛太朗は考えていた。
倉永詩織は一瞬桐谷と視線を合わす。その顔付きは嬉しそうに見えた。
「ところで、どうしてコンビニから出て来たのですか?」
「アイドルがコンビニに居たら変なの?」
「個人的な興味です」
「誰にも言わないで。漫画雑誌の立ち読みをしてたの」
「なるほど」
この瞬間桐谷は言葉に詰まってしまった。これ以上彼女と話すことがない。彼女いない歴と年齢が一致する桐谷凛太朗にとって、女の子の隣を歩くと言う経験はなかった。それに付け加え、彼の隣を歩いているのは曲がりなりにもアイドル。現実世界では体験できそうにない経験に、桐谷は緊張している。
そんな桐谷凛太朗の表情から、彼は何かを考え込んでいるのではないかと疑う倉永詩織は頬を膨らませた。
「アイドルだって人間だもの。漫画雑誌くらい読むわよ」
「どこかで聞いたようなセリフですな。そういえば、どうしてそんなに明るく振る舞えるのでしょう。毎日バックダンサーをやって歌えない。それが倉永さんのアイドルですか?」
桐谷凛太朗からの思わぬ問いかけに倉永詩織の思考は一瞬停止する。そして彼女は瞳を閉じ、彼に答えを伝えた。
「ファンに夢を見せるのがアイドルだって誰かが言っていたけれど、そんな正論だけじゃない。有名になって生き別れの兄を探すという望みがあるから。どんなに人気がなくても、頑張れる。どこかで兄が見てると思うから」
「生き別れの兄?」
桐谷は、これまで聞いたことがなかった倉永詩織の言葉に過剰な反応を見せた。彼女の言葉には、攻略の鍵が隠されているのではないか。数多の恋愛シミュレーションゲームをプレイしてきた桐谷の勘が、そのように感じ取った。
すると倉永詩織はアタフタと両手を振り始めた。
「あっ、このことは秘密ね。劇場公演のリハーサル開始までの時間を、コンビニで過ごしていることと同じで」
そうこうしている間に、2人は劇場の裏口の前まで辿り着いた。
倉永詩織は周囲を見渡し、誰もいないことを確認。それから裏口の扉の前で立ち止まり、彼女は桐谷凛太朗へ頭を下げた。
「桐谷君って呼んでいいよね」
「もちろん。ってここはありがとうという言葉が先ではないのですか?」
「だから、先に呼び方を確認してからありがとうって言おうと思ったのに」
倉永詩織はそのままドアを開けようとドアノブを握る。だが桐谷はそれを呼び止めた。
「一緒に歩いてくれて、ありがとう」
その言葉を聞き、倉永詩織はマスクやサングラスを外し、素顔を見せ微笑んだ。


ドアが閉まり、桐谷の視界から倉永詩織が消える。その瞬間、桐谷凛太朗のスマートフォンが振動した。
桐谷は、裏口から離れながらスマートフォンを取り出し、頬を緩めた。
「桐谷君という呼び方も、1度きりですか」
スマートフォンには、3件の通知が表示されている。
1件目は、本日のイベントゲームをクリアした者について。桐谷凛太朗の他にも、阿部蓮や石田咲も3回戦進出したという事実。これで残る席は1つだけとなった。
2件目は、下校イベントによって1000経験値獲得されたという情報。
そして3件目。レベルアップボーナスという今まで見たことがない通知をタッチすると、画面が切り替わった。
『レベル30突破記念。ニックネームを設定しよう。以下の選択肢から、好きなニックネームを選んでね。ニックネームは一度設定したら二度と変更できなから、慎重にね』
明るい文体に、背景がシンプルなピンク色。画面をスワイプさせ、10種類の選択肢が外面に映し出される。
『A きり』
『B たに』
『C りん』
『D たろ』
『E きー』
『F りー』
『G たー』
『H にー』
『I ろー』
『J うー』
適当なニックネームだと一般人は思うだろう。だが桐谷は、やっぱりかと思いEという文字をタッチした。
恋愛シミュレーションゲームのニックネームは、自由に好きなニックネームが入力できず、コンピュータが自動的に名前を区切り、ニックネームの選択肢にする。
この10種類のニックネームの選択肢は、これまで桐谷は嫌というほど見て来た。その中で一番『きー』というニックネームがしっくりくると感じ、彼はEという選択肢を選んだのだった。
「さようなら。桐谷君」
凛太朗は小声で呟き、ニックネームを設定。これで倉永詩織は、今後桐谷凛太朗のことを『きー』と呼ぶことになるだろう。
それが楽しみになり、彼は劇場のチケットを購入した。

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