高校ラブコメから始める社長育成計画。

すずろ

14.おやおや

  地区大会――

 それは県大会、また地方大会へ進むための予選であり、全国高校総体の登竜門第一歩である。

 会社の懇親会で勝利を納めた俺たちは勢い付いていた。
 夏香もリレーメンバーに復帰するまでとはいかないが、練習でも距離をこなすようになっている。
 そのことは他の部員たちに良い影響を与えてくれた。
 全体の士気が上がり、タイムも伸びる。
 全国も夢じゃないかもしれないと期待に胸を踊らせていた。
 そう、この時の俺はまだ、忍び寄る不穏な陰に気づけていなかったから――



「バンザーイ!!」

 地区大会はあっけなく優勝した。
 ほれみてみ。
 俺がトレーナーになったら余裕だぜ。
 予選はぶっちぎりで一位だった。
 陸上競技の大会では、予選のタイム順により決勝の走るレーンが決まる。
 内側の一レーンや外側の八レーンよりも、真ん中の三、四レーンに選ばれるのがトップチームである。
 そして決勝ではうちのチームが四レーンだった。
 つまり一番速かったってことだ。

「私たち、いけるっ!」
「みなさん決勝も頑張りましょうね!」
「はいっ!」

 予想以上の高タイムにテンションの上がるメンバーたち。
 かくゆう俺も興奮がとまらなかった。
 そして決勝。
 決勝は緊張もあってか、織田優理のスタートが出遅れたり、一年の後輩ちゃんが結構抜かれたりして危なかった。
 しかし、箕面がアンカーでずんずんと抜き返し、一着でゴール。
 ハラハラさせるドラマチックな優勝ではあったのだが、県大会への課題が見えた地区大会であった。

「もっと速く走れるように練習がんばります」

 みんなが優勝の喜びに浸っている中、ツインテ後輩ちゃんは浮かない顔でそう言った。
 確かに後輩ちゃんのところで他高の選手にだいぶ抜かれてしまったし、決して速い子ではない。
 だが、もともと幅跳びが専門種目であるわけで、そこまで責任を感じる必要性はないのだ。
 天才スポーツトレーナーの俺もその点は前から心配していて、後輩ちゃんとは交換日記をしている。
 と言っても健康管理のため。
 他の部員たちも含めて、後輩ちゃんから見たみんなのコンディションをカルテのように書かせているのだ。
 それも誰より頑張り屋なこの子が、一番無理をしてしまいそうだからである。

 しかし、その不安が悪い方向で的中してしまったのだ。
 県大会へ向けての練習をこなしていたある日、交換日記に次のようなことが書かれていた。

『先輩、脛《すね》が痛いのですが、今度みてもらえませんか』

 相談してくれるまで関係が築けているのは正直嬉しい。
 だが診察ができるほどの知識も経験もないので、俺は院長に相談し、とにかく接骨院に連れて行くことにした――



「はい、ちょっと冷たいですよー」
「ひゃっ……!」

 院長が超音波を使ってツインテ後輩ちゃんの脛を検査する。
 接骨院ではレントゲンの撮影はできないが、エコーという超音波検査は可能だそうだ。
 エコーは靭帯の断裂や筋肉、軟骨の損傷、骨折などをみることができる。
 人体に無害なので、よく妊婦さんがお腹の中の子供の成長を確認しているアレだ。

「君《きみ》、百瀬くんの練習メニュー以外にも個人練習とかしてませんでしたか?」
「え? はい……実は帰ってから家の周りを走ったり……」
「コンクリートの道路で?」
「はい……」

 あらあら、やっぱり無茶してたんじゃねーか。
 どうしてそんなに頑張れるのか、自堕落な俺なら自己練習なんて地味なことは絶対にできない。
 そして院長は衝撃の発言をする。

「ふむ、これは骨折してますね」
「……へ?」
「えっ、でもあたし普通に走れますよ!?」
「そうっすよ、なに言っちゃってんすか」

 だよな、骨が折れてたら歩けないだろうに。
 俺の足首でさえ骨は大丈夫だったんだから。

「疲労《ひろう》骨折というものです。まああとでちゃんとレントゲンも撮ってきてもらいますが」
「ひろう……?」
「ええ。例えば安全ピンなどの金属の棒なんかを何度も何度も曲げ伸ばししていたらポキッと折れてしまうでしょ?」
「……はい」
「あんな感じで、繰り返し何度も地面から衝撃を受けていた君の脛が悲鳴をあげている状態です」
「……あたし、どうすればいいんですか?」
「一ヶ月間は安静ですね」
「安静……?」
「それってどういう……」
「運動禁止です。大会には間に合いませんが、まだ一年生ですから。将来のためです」
「え……」
「模型で説明しましょうか。この骨の上から三分の一ぐらいのところが――」

 たんたんと説明する院長。
 診察する側の人間が動揺しては患者に悪影響である、それは知ってる。
 でも、院長の言葉たちは俺の耳に入ってこない。
 専門用語が難しいからではない。
 骨折していることが理解できない訳でもない。

 それは俺の目の前のツインテールが震えているから。

「うっ……ううっ……」

 俺の目の前で泣いているから。

「うっ……ううっ……ひぐっ……」

 ぽろぽろと零れ落ちる涙を必死にブレザーの袖で拭う後輩ちゃん。
 あんなに頑張っていた後輩ちゃん。
 誰よりも先輩たちを全国へ連れていってあげたいと意気込んでいたのも知っている。
 俺は震えるツインテールを見ながら、ただただ立ちつくす。

「そんなことってよぉ……」

 鼻の奥がツーンと痛む。
 ここまで順調に来ていた――いや、順調すぎるぐらいだったのだろう。
 俺なんかが練習の指導なんてするのが間違いだったのかもしれない。
 ただのネクラでアニオタの俺なんかが。
 なんの魅力も才能も無い俺なんかが。

「くそっ……」

 俺は自分の太ももをグーで殴る。
 悔しい。

「せんぱいぃぃ……あたし……あたし……」
「くそっ……」

 そして俺たちは無言のまま帰路に着いた。
 いったい何と声をかけてあげればいいのかもわからない。
 こんなときに上辺の裏技なんて役に立たない。
 俺のせいだ。
 俺の組んだ練習メニューが悪いんだ。

「すまん……」
「先輩のせいじゃないです……あたしがもっと早く言っていればよかったんです……」
「すまん……」

 悔しい。
 俺よりもっとこの子は悔しいだろう。
 やるせない――

 その後、心配していた箕面から『どうだった?』とメールがきた。
 俺はもう、どうすればいいのかわからなくなって、箕面に電話をかける。

「――と、いう訳だ……」
「そっか……」
「……ああ」
「……ひっく」
「お前まで泣くなよ……!」
「ごめん……でも、辛いだろうね、あの子頑張ってたから……」
「……俺はもう、トレーナー職を降りようと思う」
「え……?」
「俺のせいだから。もう泣かせるのは嫌だ。というか、もう誰かが泣いてるのを見るのが嫌だ。俺のわがままだ!」
「それは……絶対違う!!」
「え……」

 箕面に否定されたのは始めてかもしれない。
 いつも同意してくれたはずの箕面。
 うんうん、そうだよねと頷いてくれたはずの箕面。

「ゆーまは頑張ってんじゃん! 頑張ってるのに……」
「でもよ、あいつも頑張ってただろ!? 知ってるだろ? 頑張ったって頑張ったって……なんも報われねえじゃねーか!」
「……報われるもん!!」
「いや、そんな断言されても」
「報われるもん……」
「俺よりわがままかよ」

 凄いなこいつ。信念なのか馬鹿なのか。
 強引に意見を突き通してきやがった。

「やっぱ憧れるわ……」
「へ? 誰が? 誰に?」
「お前だよ」
「いや意味がわかんないけど……」
「馬鹿すぎんだよお前……」
「はう……」
「ほんと、かっこいい馬鹿だよ……」
「ボクは……いつも応援してるから」
「すまんな」
「ゆーまを応援してるから!」
「……ありがとう」

 選手に応援されてどうすんだ。
 頑張ろう。
 みんなが幸せになれる方法、まだあるかもしれない。
 泣いてるのを見るのは嫌だが、フラッシュモブの白石先生みたいな嬉しい涙はまた見たい。
 とても綺麗なものだったから。



 episode『おやおや』end...

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