くらやみ忌憚

ノベルバユーザー91028

1999/7〈grand cross〉

さて。今日は何から話そうかな?
そうね、久しぶりに昔話でもしようか。
まぁあんまり畏まらずに、気軽に聞いていてよ。じゃあ始めようか。
これは、むかしむかしのおはなしです。
あるところに……。




お母様がうちに連れてきた、その男の子はとても変わった子でした。
上手く言い表せないのだけれど、世間ずれしているとでもいえばいいのかな。ううん、そんな甘ったるい表現なんかではありえない。
私達とは根本的に何かが違う。
考え方も価値観も、物の捉え方も全て。
きっとひとは彼を恐ろしいと感じるのだろうけれど、私にはなんだか彼が眩しく映ったんです。
「気狂い」に近いその有り様が、どうしてか無性に美しく見えた。
著名な画家の作品で一際グロテスクな絵画を見てしまったときのような、不思議な感慨を覚えていました。えっと、この例えで合ってるかしら。なかなか難しいなあ、言葉で伝えるのは。
……閑話休題。
ちょっと話がズレちゃったよね。じゃあ戻すよ。さっきの話の続き。


その男の子には、「託人たくと」という名前が与えられました。名付け親になったのはお母様。なんでも、男の子が生まれたらこんな名前を付けようって、元々考えていたんだって。あんなにこわい人だけど、ちゃんと親なんだよね。ふふ、そう思うと不思議かも。
その子は不幸なことに家族が生まれつきいないんだって聞かされました。理由は教えてもらえなかったけれど、今まで一人ぼっちだったから仲良くしてあげてねって。叔母様が言うの。
同い年で血の繋がらない、私のお兄さんになる男の子。ねぇ、やっぱりドキドキするでしょう?なんだか素敵な響きだわって、ちょっとだけ嬉しかったな。
えっ、ずいぶん乙女チック思考なやつだって?そうかなあ。……やっぱそう?
……まぁ、そういうことで託人くんは私の兄になったわけ。だからここからは兄さんって呼ぶね。


託人くん改め兄さんは、無口というかあんまり喋らない子でした。そのくせ表情もほとんど変わらなくて、最初は機械みたいで少し怖かったの。だって何を話しかけてもちっとも反応を示してくれないんだもの、そりゃあこわいよね。
だから、始めはあまり関わらないようにしてました。ずっと彼を遠ざけていて、ごはんのときも学校の帰り道もお互いに黙りこくったまま。それまで一人っ子だったのにいきなり兄ができてしまったから、どうやって接すればいいか分からなかったんです。……本当は、今でもよく分からないんだ。
けれども、そんなんで日常生活が上手く回るわけもなくてね。たまにはちゃんと会話をしなさいって、お母様と叔母様に怒られちゃった。


……あれは、暑い暑い夏の日のこと。
せっかくだし二人で遊びにでも行っておいでって、街の外に放り出されたことがあったの。もう本当に、不安だし寂しいし心細いしで、心の中は大変なことになってました。今まで箱入りだったのに、突然「箱」から出されたの。テコ入れにしたって酷い話でしょう?
それで、……渋谷の街を二人で手を繋いでトボトボ歩いてました。平日だっていうのにたくさん人が集まっていて、私達はまだ小さかったから視界がすっかり埋まってたのを今もよく覚えているよ。
だからごめんね、街の景色とかはさっぱり見てないんだ。見渡す限り人間ばかりなんだもん。
隣で歩いていた兄さんは憎たらしいくらい涼しい顔で、人ごみなんてまるで気にしていないみたいでした。でも本当は違っていて、人間が怖いのは兄さんの方だったのに、私のために我慢していただけだったんです。
ふふ、意地っ張りですよね。最初から言ってくれればよかったのに。そしたら、別の場所へ行こうと誘導できたかもしれないのにさ。
きれいな顔は全くの無表情だった。けれど頬は紙のように白く、握った手はとても冷たかった。あの頃、きちんと兄さんと関わっていたら、すぐに気付いたはずなのに。馬鹿だなぁ、私は。
お互い、指の跡がつくくらいにしっかりと手を繋いでいました。決して離れ離れにならないように。


たぶん、あのときに私達の関係性は決まったんです。
それはひどく歪な共依存。互いが互いのためだけに存在する。ああ、なんてトチ狂った関係なんだろうか?
でも、今更変えることなんてできない。変わってしまうなど、ゆるせない。
……おかしいよね、私もそう思うよ。
でも、だからって、何が間違いだっていうの?私達を否定するというのなら、「正しい関係」を教えてよ。それができないんだったら黙っていて。でなければ、……あなたを殺してしまうから。


ああいけない。また話が逸れちゃった。ごめんなさい、つい癖で……。いい加減直さないとね。
えっとどこまで話したっけかな。


ありがたいことにその日は不良に絡まれたりせず、無事に家へ帰れました。あんまりパッとしないエピソードで悪いけれど、それが私とあの人の馴れ初めだよ。ああいやだ。恥ずかしいよう、だからホントは言いたくなかったのにな。
えっ。なになに、物足りないって?そんなあ、もう勘弁してよー!うええ、仕方ないなあ……。
じゃあ特別ね。今度は、兄さんに話してもらいましょっか。




コンクリートジャングルの谷間。とっくに消灯しており濃厚な闇の気配が漂うビル街を、小柄な人影が闊歩していた。
おそらく、年の頃は十にも達していないだろうか。シンプルなデザインのキャップを目深に被り、ギリースーツに身を包んでいる。ごつい厚底ブーツを履いているにも関わらず、足音は全くしない。
闇に溶け込むその姿はまるで鴉のよう。あるいは、背後に忍び寄る暗殺者アサシンか。
どちらにせよ不気味な存在であることは確かだった。
踊るようにリズミカルな足取りで進むその者はふいにギリースーツの前を開け、中からそっと手を出した。小さな矮躯に相応しい細い手の中で鈍く輝く大振りのナイフを躊躇いもなく一閃する。
全ては、一瞬。
しゅぱっ、という風切り音と共にナイフが横薙ぎに振るわれ、ビチャビチャと粘ついた血液が周囲に飛び散った。
そして、どしぃん……と腹の底に響く重低音を立ててナニカが倒れ伏す。
辺りに満ちる金臭い匂いに彼は口元を緩ませつつ、ナニカの元へと近付いた。
「やった、ちゃんと死んでる。これで任務は完了かな」
小声で呟かれたそれは、まだ幼い少年だけが持つ高音。
ふいに、少年はキャップを頭から外し、遥かなそらを仰いだ。
分厚い雲に覆われた夜空は濁っており、綺麗とは微塵も思えない。月も星も隠されて、街の姿を照らすのは街灯だけ。けれどそれさえも、少年のいる場所においては消されてしまっている。
「ええと、これで何体目だっけ。……ああ、五体目か。うーん、まだまだ先は長いなあ」
少年の役目は、人間と彼らの住む世界に害を及ぼす危険な化け物を退治することだった。
ヒトにとって「害悪」と判断されたモノを確実に倒すのが仕事。ゆえに、子どもが寝る時間でもお構いなしに、任務が入れば駆り出される。とはいえ彼はそれを苦にはしていなかった。
何故ならば。
誰かを殺すことこそが、彼にとってはただの「日常」だったから。
少年の名は「霧雨 託人」。
その後与えられた別名を「ブルー・シャドウ」という。
のちに全ての「退魔師」の頂点に君臨することになる彼は、この時もただ淡々と任務日常をこなすだけだった。


東京・光陽台市にある、武家屋敷を思わせる純和風の邸宅が託人の家だ。
しかし改装された内部はむしろ西洋風なので、初めて入った人間は混乱してしまうことだろう。やたらと縦に大きい建物の上へ上へと進んでいき、ついに最上階に辿り着く。
豪華さ、煌びやかさが一段と増した階層の最奥部。そこに、「長の間」はある。
「失礼します。霧雨 託人、只今帰還しました。長に目通りを願いたいのですが」
「……入れ」
すぐに応えがあったので、三回ノックしてからドアを開ける。廊下と違い、「長の間」はかなり異様な外観をしていた。真新しい畳の敷かれた床に、金箔で繊細な意匠の施された壁。おそろしく高い天井は籠目の模様が描かれている。朱色に塗られた木製の灯籠が等間隔に並び、広間の奥には「霧雨家」の家紋を刺繍した旗が交差した状態で掲げられている。
そして端座したまま微笑む妖艶な美女。つま先まで届く緩く波打つくすんだ銀髪に、蒼穹を溶かし込んだかの如き瞳。肌は病的なまでに白く、しなやかな肢体を立花で彩った純白の装束に包んでいる。紅を引いた厚い唇がす、と持ち上がる。
「ふふ、初仕事の味は如何かな?お前の欲を満たすには足りるかい」
「いいえ。まだまだです、霜華様。足りない……。あんなんじゃあ生温くて、嘔吐いてしまいそうですよ」
「おやおや。困った子だねえ、やはり引き取って正解だったようだ。あのままでは最悪の夜叉に育っていただろうな」
困った、と言いつつも霜華様と呼ばれた女の表情はむしろ楽しげだ。ころころと鈴のような音を立てて笑う。
「今は瘟鬼おんき討伐の五体目だったな。あれは病を撒き散らす。風邪など引かないように対策を怠るなよ」
「はい、心得ております。……ところで本日は、どのような用件でしょうか」
任務終了後すぐに長の間へ来るよう言われたものの、託人は肝心の理由を聞いていなかった。瘟鬼討伐任務は全部で八体あるので、報告なら八体全て完了したあとに行うのが通例のはずだ。
「うん。それなのだが……。お前、私の『狗』になるつもりはあるか」


霜華が言ったことをすぐには理解できなかった。『狗』とは何か分からなかったからだ。かろうじて動物を意味していないことは察したものの本意を掴めない。
「『狗』とは、なんですか。それは、俺にとってどういう意味を持ちますか」
まだ小学校に通っているような年齢の子どもは、無感情な視線を送り、尋ねる。そこには拒絶も、従属の意思もない。
まるで「人形」のようだと霜華は思う。しかし、彼女は説明らしいものを何一つ口にしなかった。
「お前は私のためだけに動く『駒』だ。ゆえにどのような命令にも従ってもらう。そのうえ、屈辱的な扱いを受けることになる。何より、お前は二度と陽の当たる道を歩けない。それでもいいか」
ふ、と少年は薄く笑む。人間味に欠けた笑顔はひどくシニカルだった。
「もしも、断れば俺はどうなります?」
「どうもしない。ただ、あの子にやってもらおうかと考えているさ」
対する霜華もまた、仄暗い笑みで返す。
託人は観念したようにため息を吐いた。
「いいですよ。……どうせ、真っ当な生き方なんてとっくに諦めてますので」
「そう、……話が早くて助かるよ。さすが私の子どもだ、物分かりが良いね」
着物の袂から腕が伸びて、彼の頭をそっと撫でた。手首に連ねた翡翠の数珠がチャリチャリと澄んだ音色を奏でる。
静かに少年は瞼を下ろし、ゆっくりとその身を霜華に預けた。
「すまない。……卑怯な手段と分かっていてもこれしか思いつかなかった。これからお前には辛い役目を背負わせることになってしまう。それでも、耐えられるかい?」
「だいじょうぶ。俺はまだ頑張れるよ。だから、あいつの傍にいてもいいかな」
小刻みに震える両手で「氷の女王」は幼子をしっかと抱きしめる。
「ああ、ああ。……どうか、共に居てやってくれ。そして、私の代わりにあの子を守ってほしい。……私に、その役は不釣り合いだから……」
泣き濡れる声がしとしとと落ちていく。
彼女はあの子のたった一人の母親なのに「お母さん」になることを赦されない。
霧雨 霜華は「母」である前に「当主」にして「長」だから。



そして、少年は悲壮な覚悟のもとに誓いを立てる。


「うん、分かった。俺、やるよ。義母さんのために……いや、あいつのために。俺は『狗』になる」

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