くらやみ忌憚

ノベルバユーザー91028

ーlotus or lycorisー

髪や肌、身に纏う服のあちこちに返り血をこびり付かせた状態のまま、託人は「彼女」の姿をみとめ、苛烈な眼差しを光姫に突き付けた。
「……何を考えている?お前はそんなに俺に殺されたいか」
視線だけで人を射殺しそうな彼の殺意をまともにぶつけられても、光姫は微動だにしない。ほうと小さく嘆息し、気だるそうに告げた。
「もちろん私は止めたよ。でも、彼女はどうしても見たいと言って聞かなかったの」
「何故、その身をもって防がなかった?俺なんか見せたって、霞が傷つくだけだろう!」
撒き散らされる怒りと憤りを鼻で笑い、彼女は横柄な態度に転じる。まるで己こそが絶対的に正しいと宣うように。
「何、自分に都合の良いように人を使おうとしてるの?なんでそこまで私が気を遣ってやらなきゃいけない?……何より分かっているなら始めからこんなことしなきゃいいでしょう」
核心をついた言葉に、託人が息を呑んだ。くしゃりと歪んだ顔にはどうしようもない苦悩と悲嘆が滲んでいる。
「霞、ごめんな……。駄目な兄貴でほんとに、すまない……」


「今更言ったって仕方ないけど、俺は、お前にだけは、嫌われたくなかった。ヒトとして認めてもらいたかった。あの時助けてくれた、恩を返したかったんだ」
まだ小さくて、幼かったあのころ。善も悪も存在しない狭い世界に生きていた。だから命の重みも分からなくて、狂気を制御しようともせずに欲望のまま人をたくさん殺した。
踏み外した道へと引き戻してくれたのは、自分よりも更にあどけない女の子だった。あの子のために生きようと思い、その一心でどんなことにも手を染めた。
命じられるまま、罪を重ね続けてきた。
こんな、どうしようもないときになってようやく、全て間違いばかりだったと知る。もう、遅いのに。
「俺はもうお前の傍にいる資格がない。だから、いつか、離れるよ。遠くでその幸せを祈らせて」


狂気を抱えたこの身では、いつか大切なひとを傷つけてしまうだろう。狂った心はもう元に戻らない。砕けた硝子を直せないように。
あの日掬われた、だから全てを捧げようと決めたこの気持ちに嘘偽りはない。
守りたくて護りたくて、傍に居たくて。二人のままでいられるのなら、きっとそれだけで満ち足りた。
大切にしたい、けれどきっと壊してしまう。赤く汚れたこの手では、あなたさえ穢してしまうから。
歪な愛は何も生まない、そのことをどれほど理解していたっていうのだろう?
たった一人の大切な誰か。あなたが笑っていてくれるならなんだってできた。
どれも本当。どの思いも真実で。
–––––数少ない選択肢から、何を選びとればいいというんだろうか。
ただ夢中で堕ちていく、もう止められないとやっと悟った。
だから、終わりにする。何もかも。


「……そうやって、私から逃げるんだ?狡いね、残酷だね。いつだってあなたの愛は独り善がりだよ」
厳しくも激しい言葉が紡がれる。
薄闇の中にいても失われない、銀の髪が仄かに輝く。蒼瞳が一切の淀みもなく真っ直ぐに託人を捉えた。
「ええ、そう!いつもあなたは諦めてばかり!暗い未来は自分で招いているだけでしょう!ねえ、苦しんだのがあなただけだと思うの。あなたの狂気を鎮めようとした母様の想いはどうなるの。自分本意なんだよ!結局、自分さえ良ければそれでいいんでしょう!私のことなんか、さっぱり考えてないくせにっ……」


「じゃあ、俺はどうしたら良かった?もう、何も、わかんないよ。ねえ教えて。俺は、どうやって誰かを愛せばいい?」
途方に暮れて迷い惑う少年は、たった今全ての拠り所をなくした。
ぼろぼろと、彼を支えていたものが崩れ落ちていく。
呼吸いきするように、水を飲むように、私を思ってよ。簡単でしょう?むつかしいことなんか考えないでよ、一緒にいてほしいだけなの」
「……いつか、壊してしまうとしても?それでも、許してくれるのか」
誰かを殺して、何かを壊して生きてきた彼はもう、そこから離れることなんてできなくなってしまった。
立ち尽くしたままの少年に、彼女はそっと手を差し伸べる。
「あなたになら壊されてもいいよ。……いいえ。いつか、あなたが私を壊して。そして、全てを終わりにして」
少年が狂っているというのなら、ずっと一緒だった少女だって、きっとどこかおかしくなったに決まっている。
もしかしたら違う道のりを進むはずだった二人は、こうしてようやく交わった。
清廉潔白に生きる『賢しい』やり方を捨て、いばらの道へと迷い込む。


「どうして俺を拒まない?なぜ俺を愛してくれるの」
こんなにきたないのに、こんなにオカシイのに、こんなに狂ってしまっているのに。それでもあなたは遠ざからない。
暗澹たる道へ共に進もうとする。
「私もあなたがすきだから。そして、私も狂ってしまったから。きっと本当ならあなたを正すべきなんだと思う。でも、初めて逢った、狂気に侵されたあなたを愛してしまったから、綺麗になってあなたの姿がなんだか想像つかないの」


二人の行く先に、きっと素敵な結末ハッピーエンドなんてない。そして彼らも望まない。
善悪など気にも留めず、二人にとっての『幸せ』だけを探し続ける。
たとえ、何を犠牲にしても、心なんて痛まないだろう。否。その代償さえも幸せのための糧にするのだろう。
血に塗れても、汚泥の川を這うとしても、荒野を彷徨うような物だとしても。
–––––赦されないと知っていても。
やがて重ねた罪を裁かれて、途方もない罰を受けると分かって、二人は二人でい続ける。だからこそ、罪深い。


「兄さん。……いいえ、『託人』さん。私達はこれからも一緒でしょう?約束してね、何があっても離れないと。たとえ結果として私が消えることになっても」
「そうだよ。俺らは永遠にひとつだ。約束する。霞は絶対に独りにしない」


歪で壊れた二人の関係を、光姫は少し遠くから観察していた。
義理の兄妹でありながら、まるで恋人同士のように仲睦まじく微笑み合う二人。この愛に正しさはなく、けれどその想いに間違いはない。そして、彼女は自分に意味などないと気付く。
二人の世界に付け入る隙なんてない。己はただの脇役だ。長い時間をかけて紡いだ二人の繋がりを否定することなんてできるわけがない。
だから自分に赦されているのは、こうして距離を置いたところから見つめることだけだ。関わってはいけない。触れてはいけない。
禁忌を犯せば、いつかされるのは自分自身なのだから。


そして、彼女もまた笑う。次はどんなことをして遊ぼうかと考えながら。




–––––同時刻。


フワリと三つの影が降り立った。大きいのと小さいのと、とっても小さいのと、ちょうどみっつ。
真ん中に立つ赤いケープに身を包んだ子どもがひらひらと手を振った。
「ハローハロー。今日はとっても良いお天気だねえ!こんな日はピクニックなんて良いと思うよね?」
二つに結んだ柔らかそうな栗色の髪が風に靡き、淡い碧の双眸がきらりと輝く。とても可愛いらしい少女だった。背後の保護者らしき人物達など、もはや『彼』の視界から消えている。
「あっはっは!これは可愛いお嬢さん。僕と遊びたいのかな?うーん、それならあと10年くらい経ってイロイロ育ってからの方が嬉しいんだけどなぁ。まあ、ロリはロリでいけないわけじゃないし。いいよ、ナニして遊ぼうか♪」
富豪の息子とは思えない、下卑た欲望でいっぱいの笑みを向け、彼–––––「西条院 冷泉」は手を伸ばす。
子どもは眼前の掌を掴み、背負い投げの要領で投げ飛ばした。成人男性の身体が宙に浮き、硬い地面に叩きつけられる。
「ぐっ……!か、っは!痛っ……、いきなり酷くないかなぁ。誘ったのはそっちでしょ?」
あくまでも余裕を失わない青年に、チョコはぺっと唾を吐き捨てた。
「はっ、あんたみたいな犯罪者に人権なんかあると思うの?このペド野郎」
辛辣な物言いだというのに、彼はどこか嬉しそうに頬を赤らめた。
「ふふっ……。いいね、ちっちゃな子どもに罵られるのもなかなかオツだよ。たまんないなぁ、もっと言っていいよ」
「うげっ、あんた本気で気持ち悪い。関わりたくないなあ……、でも仕事だし」
バサリ、と赤いケープを脱ぎ捨て、子どもは–––––否、長い髪をたなびかせ、優雅に歩み寄るその女は上品に微笑んだ。
身長は冷泉と同じくらい、もちろん胸は標準以上に膨らんでいる。巻きスカートはもはやミニサイズになっており、着ていたシャツはボタンが飛んでいる。
彼女は、あえて子どもの外見をとっていただけだ。
「ハローハロー。殺されると分かっていて、今のご機嫌はいかが?この状況でもまだ、余裕を貫けるかしら」
しなやかに伸びる彼女の手に、星座の図を模した奇妙な紋様が浮かび上がる。指先から腕にかけて、点と線を結んだような紋様が無数に走り、白い肌をくまなく覆い尽くしていく。
やがて、肘の辺りまで紋様で埋め尽くされると、チョコと名乗っていたその生命体は異様な外見の手の表面を重ね合わせる。それからゆっくりと離していくと、ブワァと亜空間が広がった。
手と手の間にマーブル模様の空間が覗いている。
「さぁ、おいで。あなたを身体、魂ごと全て飲み込んであげる♡」


ズルリ。
掃除機に吸い込まれる埃のように、冷泉はたちまち亜空間の向こうへと引っ張られ、やがて跡形もなくなった。
「ハイ、お掃除おしまーい。よっし、これで組織に帰れるね!サポートありがとね、屑羽くずは屑葉しょうよう
普段は幼い子どものナリをした女は、ぱんぱんと元に戻った手を打ち払い、いつものようにケープを纏う。


少女生命体は、任務がある限り何度でもこの星に降り立つだろう。

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