くらやみ忌憚

ノベルバユーザー91028

時雨に赫い華の咲く

皓々と望月の照り輝く夜。


全身を返り血で汚した子どもが覚束ない足取りで歩く。年の頃、四、五歳とみえるその子どもはあどけない顔に氷の如き無表情を張り付け黙々と歩を進めていたが–––––、やがて糸の切れた人形のようにその場に崩折れてしまう。


其処は、幻想のように美しい処。
見渡す限り一面に、血濡れた真紅の華が揺れている。どこまでも果てなく続く華の野は、まるで空気さえ紅く染め上げてしまうかのよう。
死者を見送る赫い華が咲き群れる、禍々しくも美しい世界。
月明かりに照らされて仄かな燐光を灯す花野を見つめ、子どもは安堵の笑みで静かに意識を手放した。


「……おや、子どもがいる。まだ生きているね」
一人の少女が音もなく大地に降り立ち、軽々と子どもの身体を抱き上げた。
緩く波打つ流れる血の如き赤い髪を背の中まで伸ばし、豪奢な深紅のドレスを纏っている。人形のように秀麗な面差しに珍しく慈愛の色を宿し、夕陽色の瞳を柔らかに細める。
「起きなさい。生きたくば目を覚ませ」
銀器を鳴らす、涼やかで美しい声に反応し、子どもは瞼を震わせる。
「ここがどこか分かるか。私の名前は真赭 茜ますほあかねという。お前の名前は何という?」
少女の問いに、だが子どもは答えない。黙したまま項垂れている。
「……そうか。ならば、いい。その心と身が癒えるまで、此処にいなさい」
子どもを抱え直し、少女は自分の住む家へと向かう。道すがら、子どもは彼女のドレスをぎゅっと掴み、か細い声でそっと囁く。
「……何も、分からない。……逃げてきた。追われてた、から」
辛かっただろう。苦しかっただろう。何もかもが、恐ろしかっただろう。けれど子どもは、まだ生を望んでいる。足掻こうとしている。
少女は子どもの頭を撫で、優しい声音で告げた。
「大丈夫。お前は必ず、私が守る。だから今は、ゆっくりお休み」


まだ頑是ない子どもが、何故全身を返り血に染めてこんなところまで来てしまったのかは分からない。けれどどうしてか
守りたいと強く強く思った。
偶然なのか、必然なのか。
確かにこの子は、私の世界に導かれてきたのだから。
幼いあの子は心にも身体にも深い傷を負っていて、今にも消えてしまいそうだった。身体の傷はいつかきっと癒えるだろう。でも心はどうなのか。
粉々に散って砕けてしまえば、もう二度と元に戻りはしない。
一体何があの子を追い詰めたのか。
あの子は決して語らなかった。
いずれ彼は、どうしようもない狂いを抱えて生きていくことになる。あの子の狂気が何を招くか、それはまだ未知数だけれど。それでも傍に居たいと願った。
–––––たとえ、彼の狂気に呑み込まれてしまうとしても。


ただ、愛しい。
いつか笑えるようになってほしい。
そして、自らの手で幸せを掴めるようになってほしい。


その想いに嘘はないけれど。
きっと私は、喪った我が子をあの子に重ねていたのだろう。
初めて出逢ったあのときに。生まれ変わりと、気付いてしまったから。

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