くらやみ忌憚

ノベルバユーザー91028

Re:霧雨 霞の独白



––––〈回想、11年前〉


人間に危害を加える妖怪や魔物を退治することを生業とする「退魔師」–––––彼らは、太古の昔からずっと存在していて世界と人を護ってきた。
その退魔師達を束ねる「霧雨一族」の直系でありながら、わたしは一切のチカラを持たずに生まれてきてしまった。そして今まで、なんにも知らずにのうのうと暮らしてきていた。そう、わたし達の命を守るために兄さんがどれほどの犠牲となったのか、気づきもせずに。


わたし達が家族になった日のことを今でもよく覚えている。


あのとき、わたしはまだ子どもで小学校に入って初めての夏休みを迎えた。
……あれは、暑い暑い夏の日のこと。
グツグツと赤熱する太陽と焼き尽くされるようにあかい空、ジィジィと不吉に哭くアブラゼミ。
空調の効いた室内は涼しいけれど、外に出してもらえないのがつまらなくてわたしはその日、ずっと憂鬱だった。
「ねぇ、だって夏休みなんだよ?なのにどうして外で遊んではいけないの」
ブツブツと不満をぶつけるわたしに、お手伝いさん達は眉尻を下げて申し訳なさそうに首を横に振った。
「すみません、お嬢様。夏は妖怪や魔物共が活発化する時期ですから……お嬢様のような退魔の一族の者は外出できない決まりなのです」
「でも、お母様はしょっちゅう外に出てるよ?それはいけないことではないの」
「それは……その……」
お手伝いさんはみんなして口ごもった。当時はそれがとても不思議だったけれど、今なら分かる。いつまでたっても夏の日に外出できないのは、わたしが弱く何の力も持たないからだ。
だから、厳重に結界を張って強固に護られた屋敷の中にいるしかない。
「もういい。だったらわたし一人で行くから。言っておくけれど、このことをお母様にチクッたらあなたをクビにしちゃうからね」
「な、ちょっ……お嬢様っ⁉︎お待ちください‼︎」
慌ててお手伝いさん達が追いかけてくるのを振り切って、わたしは全力でダッシュした。ぐんぐん風を切って走ると胸が空くような心地になる。
「ふふっ……あはは!わたしは自由だ!ざまあみろ、ははは!!」
木目の美しい観音扉を開け放ち、外へ飛び出そうと足を踏み出した。が、後ろからぐいっと襟首を掴まれて動けなくなる。
「うわ!な、誰なの?」
「ほう……。お前は実の母に対して、『誰だ』と誰何するか。生意気な、しばらく蔵で反省させてやってもいいんだぞ?」
女性にしては低い、艶のあるアルトの声がそうっと耳元で囁く。脅すような……あるいは、からかうような言葉にゾクリと背筋を震わせる。
「ひゃっ、お、お母様っ。ごめんなさい、だから蔵に入れるのはやめてぇ!」
「ふむ……まぁいいだろう。で、何故言いつけを破って外に出ようとした」
お母様に嘘は効かない。あの人は子どもがついた嘘なんて、すぐ見破ってしまう。だからわたしは本当のことを言うしかなかった。
「……あのね、友達のサっちゃんに今夜夏祭りがあるから一緒に行かない?って誘われたの。お願い、今日だけだから、夏祭りに行かせて」
深く、深く頭を下げた。あの頃、わたしはなんにも知らない子どもだったから、真剣に頼めば認めてもらえると無邪気に信じていた。
「駄目だ。お前を屋敷から出すことは、如何ような理由があるとしても許可しない」
「えっ、どうして?わたしが子どもだからなの?……いつもいつも、わたしはみんなと違って許されないことばっかりよ!お母様、ひどい」
どんなに詰め寄っても、泣いても喚いても、お母様が折れることはない。分かっていてもわたしはただ叫ぶしかなかった。
「お前がこの家に生まれていなければ、普通の人間であったら。こんなことは言わない」
「わたしが、霧雨の人間だからなの?だったら、こんな家に生まれてこなければよかった!」
今にして思えば、わたしはお母様に対してなんて酷いことを言ったのだろう。一方的に詰り、責めた。あの人がどんな思いでわたしを育ててきたか、そんなことさえ想像を巡らすこともせずに。
「わたし、この家が大嫌い。いつか必ず離れて、もう二度と戻らないから」
わたしは年齢同様に幼く愚かだった。霧雨一族という括りから離れて生きていくことなど、決してできないのだとまるで分かっていなかった。
この家から遠ざかれば、それだけ死に近づくということにも。
だから、多分、わたしはこの家に生まれてはいけなかった。
何の力もないわたしがいるだけで、みんなの負担となってしまうのだから。
「そうしたければすればいい。私は、お前の歩む道を塞ぐことはしない。だが覚悟しておけ。普通に生きてゆこうと思えば、いつかお前自身が足枷になると」
お母様が言ったことをあのときはさっぱり理解していなかったけれど。ようやく悟った。あの言葉に間違いなど何一つないのだと。
「……わたし、部屋に戻る。誰も入ってこないで」
もう誰にも会いたくなかった。……独りになりたかった。
もし心配した誰かが様子を見にきても、きっとやつ当たりで酷いことを言ってしまいそうで。
トボトボと頼りない足取りで自室に帰り、ドアを閉めて鍵もかける。
そこから先の記憶は朧気だった。
そのままズルズルともたれこんで、そのうちにいつしか眠ってしまったみたいだから。


次の記憶は、本来は一族の当主しか入ることを許されない、通称「おさの間」に通されたところから始まる。
出入り口前は注連縄しめなわ紙垂しでが下がり、煌々と灯りの灯る距離感を失くしそうなほど広すぎる部屋。
床は畳張りで左右には等間隔に木製の灯籠が並ぶ。最奥に霧雨家の家紋を刺繍した旗が掲げられ、上座に座すのは私にとって「母親」であり、一族における当主である
「霧雨 霜華」そのひとだった。
十二単を模した白地に雪の花を描いた装束を纏い、足元近くまである緩く波打つ銀髪に、深く澄んだ蒼い瞳。
冷たい美貌に浮かぶ尊大にして苛烈な眼差しは、それまでわたしが見たことのないものだった。
「ほう…。逃げずに此処へ来たか。てっきり部屋に閉じこもると思っていたが。少しは成長したということかねぇ?」
「いい加減、わたしを馬鹿にするのはやめてくれない。お母様、わたしはあなたの人形じゃない」
彼女は少しだけめを丸くし、何処か愉快そうに笑う。
「クックックッ……。さすが、私の子どもだなぁ!ふふ、母は嬉しいぞ。ようやく自分自身の立場を理解したようだからなぁ」
「信じらんない、あんたみたいなのがわたしの親だなんて。……二度とあんたを母と思うもんか」
忌々しさを隠しきれず吐き捨てると、霜華は嘲笑する。まるで馬鹿な子どもに呆れ返るみたいに。
「最初から、私はお前の母として接したつもりなどないが。……残念だよ。これほど聡明なくせに一切チカラを持たぬなんて」
他ならぬ私の子どもなのに……と、そう言いたげで、苛立ちだけが募った。
ただわたしを傷つけるためだけに吐かれた言葉。なんて非道なのだろうか。こいつに、ひとの心なんてない。
「うるさい、うるさい!もう知ってるよ、そんなの!けど今更そんなのどうでもいいでしょ。……で、何の用なの」
「あ、そうそう忘れるところだった!
お前に兄ができるよ。……大嫌いな母親から守ってくれる人だといいねぇ」
衝撃的な一言に、一瞬呼吸が止まる。
「は、はぁ?わたしの、兄さん……?」
「ああ、そうさ。お前の兄になる子どもだよ、同い年だけど。出ておいで、
……託人」
霜華の背後にある出入り口から、一人の男の子が姿を現した。
肩まで伸びたきれいな黒髪に、色白の肌とほっそりした体つき。繊細な顔立ちは全くの無表情で、夜空を閉じ込めたような瞳が静かにわたしを見つめていた。
「初めまして。俺は、『霧雨 託人』という。……以後、よろしく」
アッサリした自己紹介にぽかんとしていると、彼はクスリと微笑んだ。すると急に空気が柔らかくなる。
「あ、あの……、わたしは霞といいます。えっと、こちらこそよろしくね」
不思議なくらい、落ち着いた男の子だった。クラスの男子なんかよりよっぽど大人びて見える。どうしてだろう、だってわたしと同い年のはずなのに。
あぁ、緊張してうまく話せない。
「ありがとう、わたしの兄さんになってくれて」
血が繋がらないのに、この家に来てくれた。何か事情があったにせよ、この人はこれからわたしの家族になるんだ。それがただ、たまらなく嬉しい。
託人くんは屈託なく笑って、わたしの頭をぽんぽんと叩いた。
「うん、俺も妹ができて嬉しい。だから守るよ。……たとえ命に代えても」


今も。
何故あのとき、兄さんはあんなことを言ったのか、分からない。
わたしにチカラがないから?それとも妹だから?
いいえ、いいえきっと違う。




けれど、わたしが彼の真意に気づくことは終になかった。

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