くらやみ忌憚

ノベルバユーザー91028

それは、時として残酷な

退魔師の世界には、「御三家」と呼ばれる三つの巨大な組織が存在する。
一つは全国退魔師協会会長職を歴任する「霧雨一族」。
その同盟関係にある「土壌一族」。
最後に、国内全ての陰陽師を束ねる、あの「安倍 晴明」を輩出した一族「土御門家」を指す。霧雨一族に続いて大きな権力を持つこの家は、代々霧雨家と相争う敵対ライバル関係にあった。




–––––某日、京都市中心部。


千二百年以上の長い歴史を誇る観光都市の一角に古めかしい屋敷が聳えていた。まるで時代劇に出てくるような、朱塗りの柱も美しい寝殿造りの立派な邸宅に、一人の青年が堂々とした振る舞いで押し入っていく。
「あぁ、勝手に入られては困ります、お客様っ!……ちょっと、誰かこの人止めてよ!」
「なりません、まだ主人は戻ってきておりませんから!」
周りの式神達が慌てて取り押さえようとするのも意に介さない。
「……うるさい。少し黙ってろ」
眉間に皺を寄せ苛立ちも露わに、青年––––霧雨 託人は式神達を睨んだ。途端、ネジの切れた人形のように彼らは動きを止めてしまう。
その瞬間。
パチパチ、とどこか乾いた拍手の音が虚ろに響き渡った。気だるげに託人が音源の方へ目を遣ると、彼より幾分か年上の男性が粘つく笑みで託人を観察していた。
「おお、さすが次代の当主といったところかな?私の作った式神を容易く操るとは。全く恐れいったよ」
背を覆う艶やかな長い黒髪、男にしては色白の肌、精悍な顔立ちに穏やかな雰囲気、五芒星をあしらった純白の狩衣をふわりと纏う彼の名を「土御門 晴哉せいや」という。
「当代最高峰の陰陽師」そして、「晴明の再来」と謳われる彼は、託人にとってこの世で最も嫌いな人間だった。
「クソが、相変わらず手ぇ抜きやがって!馬鹿にするのも大概にしろッ……」
憎悪の籠った眼差しを向けられても、晴哉は飄々とした態度を崩さない。
「あれ、気に入らなかった?僕的にはなかなかの出来映えだと思うんだけどなぁ」
面白がるような笑みが癇に障ったのか、元より長くない託人の堪忍袋の尾が遂に切れた。
「ハァ?あの駄作が?本気で言ってんなら今すぐ陰陽師なんか辞めちまえ。向いてねぇから」
聞きようによっては暴言とも取れる発言に、しかし晴哉の表情は変わらず落ち着いていた。というのも、こうしたやり取りは毎度のことだからだ。
「はぁ……、託人くんは相変わらず素直じゃないなぁ。その様子でお姫様の騎士ナイトになれるのかい?」
「黙れよ。そういうお前には守るべきものなんか無いくせに。……それで、今日は何故俺を此処まで呼んだ?」
単なる連絡ならば式文を飛ばせばいい。わざわざ直に会って話し合う意味が分からない。
不信感を隠すことすらせず、託人はライバルの顔を睨めつける。だが、
「相変わらずつれないねぇ…。同じハーフ同士、仲良くしようじゃないか!」
––––とうとう、晴哉は絶対に言ってはいけないことをサラリと唇にしてしまった。それも、ひどく明るく妙に爽やかな笑顔で。
「……テメェ、それを言うってことは死ぬ覚悟はできてんだろうなぁ?」
地を這うように低く重い、ドスの効いた声で託人は恫喝する。彼の怒りに感応してか、常は首筋を覆っている黒髪がブワリと逆立った。
「んふふ、キミに僕が殺せるかなぁ?ただの、––––雑種のくせに」
「……何が言いたい。お前は俺の何を知っているって、あぁ?」
狩衣の袂で口元を隠し、切れ長の瞳を細めて笑う晴哉は心底おかしそうに言い放った。
「もちろん知っているよ。キミが何故大嫌いな僕へ会いに来たのか、キミのことなら何もかも。……それを踏まえて、さぁ言ってご覧よ。キミは何のために此処へ来た?」
からかいというにはあまりにも度の過ぎた言葉の羅列に、託人は一切の表情を消した。能面のような顔からは、何の感情も読み取れない。
「……そうか。なら、話は早い。単刀直入に訊く。お前は何を知っている?」
この上なく楽しそうに、愉快げに、それでいてどこか皮肉に満ちた態度で、晴哉は告げる。語る。ある一つの真実と、それに纏わる物語を。


「……昔話をしようか。遠い、遠い昔々のお話だよ––––」


気の遠くなるような昔、まだ世界が幾つにも分かれていた頃のこと。
ある、恐ろしい化け物が生まれた。
生み出したのは人間。それは、ヒトの持つ「恐れ」という本能が具現化した存在だった。最初は不定形の暗闇そのものだったそれは、やがて創造主たる人間を模した姿に変化し始める。
そしてそいつは、知性と固有の能力を獲得し人格を得た。
「原初の異形」にして恐怖そのものの存在。「最強にして最恐にして最凶」の怪物と、後に呼ばれることとなるモノの名を「夜光姫」という。
彼女の「能力」は異世界を創るというもの。夜光姫によって創り出された世界は現実世界と密接に繋がり、自在に行き来ができる。その神の如き所業から人々に畏怖されてきた。
彼女はかつて大陸の西側にある国に拠点を置いていたが、その国が消滅した––––正しくは、彼女によって消されたために大陸を渡り歩き、やがてこの国へとたどり着いた。
そんな、いずれ世界を滅ぼしかねない怪物を放置することなどできない。
遂に一人の人間が、命を賭して夜光姫を封印した。彼女の命と引き換えに夜光姫は深い眠りについた。
–––––その人間こそが、霧雨一族開祖にして史上最高の退魔師「霧雨 水雨きりさめみう」である。
彼女の功績により、弱小の退魔師一派だった霧雨一族は目覚ましい成長を遂げた。現在では、国内の退魔師業界を牛耳るほどに。


「僕が『知っている』ことはそれだけさ。どうだい、これで満足したかな?」
長々と話し終えて喉が渇いたのか、手ずから淹れたお茶を優雅に飲みながら晴哉は問うた。しかし、対する託人は厳しい表情を浮かべている。
「まだある。もう一つ聞きたいんだが……何故、夜光姫を封印するための『秘伝書』が霧雨本邸でなく帝都土御門邸にある?」
本来なら夜光姫に関する資料や文献、封印に纏わるものは実際に封印に携わった霧雨一族が管理するべきだろう。しかしそれらは土御門邸に保管されている。
最も詳細な事実を把握していなければならないはずの霧雨一族は、夜光姫についてあまりよく分かっていないという有様だ。託人自身も。
だからこそ嫌いな人間であっても呼び出しに応じたわけだが。
「僕の先祖が誰か知っているだろう。
––––あの方が、夜光姫に関する全ての処遇を決めた。何故なら、彼は夜光姫の『家族』だったからだ」
「家族……?安倍晴明と夜光姫が?どういうことだ、こっちはそんな事実を何も聞いていない!」
絶叫に近い声で唸る青年に、年上の陰陽師は仄暗い眼差しを向けた。怒り、憎しみ、……そんな単純なものではない。もっと深い、ドロドロと淀んでいる、膿のようなものだ。
常に心を鎮め、陽にも陰にも偏ってはいけないはずの陰陽師とは思えない。
その暗さに、託人は覚えがある。
己もまた同じ闇を抱えていたからだ。
今もまだ、全ての闇を拭えたわけではない。ただ、自分にはもう守るべきものがあるから。
「……悪い。今日は少し言い過ぎた。また日を改めて……といきたいけれど時間がない。せめて、『封印の書』だけでも見せてもらえないか」
「––––いいだろう。どうせ、僕には大して用のないものだ。好きなだけ見ていくがいい」
くるりと踵を返し、付いて来いとばかりに晴哉はスタスタと歩き出した。屋根付きの渡り廊下で繋がれた屋敷を移動してゆき、中央にある蔵––––塗籠へと案内される。
「此処に夜光姫に関する全ての資料を置いてある。欲しいものがあれば持っていけ。僕はもう戻るけど、帰る時には必ず鍵をかけておけよ」
ぶっきらぼうに吐き捨て、翻った晴哉の背中はあっという間に小さくなっていく。真鍮の鍵を渡された託人は意を決し、塗籠へと入っていった。



––––数時間後。
様々な呪具や霊装の置かれた埃っぽく薄暗い室内を片っ端から探して回り、隠し棚の裏側にしまい込まれていた巻物をようやく見つけ出した。
流麗な字で書き綴られているのは、まるで日記のような「封印の秘伝」に纏わることだった。
曰く。
・夜光姫を封印するためには、次に挙げる方陣、呪文、霊符を使うべし。
・更に、封印の術に完璧を期すため、己の生命を代償にせねばならない。
・また、…………
…………


「え、……な、どういうことだ?封印するためには、死ななければいけないって……」
愕然と、託人は膝をつく。
こんな時に限って晴哉の表情が思い浮かび、そうか、だからとようやく納得する。この事実を知っていたからこそ、彼はあんなにも悲痛な目をしていたのだと。
きっと、安倍 晴明は家族だった夜光姫を封印できなかった。結果、代役として霧雨水雨が命を落とした。
何故、あれ程の力を持った大陰陽師が彼女を封じられなかったのか、それはもう分からないけれど。
あの眼差しは託人に向けられたものではなく、
「––––そうだな、それなら恨んでしまうよな。わかったよ、ようやくあんたのことが」



出会ったときから嫌いだった。


何を考えているのか分からなくて、彼のことが理解できなくて。何処までも平坦で奥底の見えない視線が怖くて、何を言っても受け流してしまうから。
同じヒトとは違う血を引く「同類ハーフ」なのに、けれどやっぱり仲間と思いきれず怯えていた。
でも。もう、こわくない。



「晴哉、俺は……誰も死なない方法を見つけてみせるよ。もう、誰も憎まなくて済むように」

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