くらやみ忌憚

ノベルバユーザー91028

託されたもの



同日、夜。


霧雨一族本邸は、たとえ夜間でも明かりが絶えず灯り夜の闇を眩しく照らし出す。最上階ともなればまるで真昼のように明るい。
戦国時代の山城を想起させる巨大な屋敷の天守に当たる、一番上の階層には応接間が設えられ、当主と面談を希望する者のみが利用することができた。
現在、此処に集結しているのはまさにその当主の仲間となる者たちだった。
「今日は、俺の呼びかけに応じてくれてありがとう。多分、かなり厳しい戦いになることが予想されるけど……。どうか、君たちの力を貸してほしい」
既に一般人への影響が出始めている。こうしている間にも霊障は酷くなる一方で、力を増した妖に敵わなかった退魔師が惨殺されるという事件も起きていた。
協会もただ手をこまねいている訳ではない。危険な任務には出ないよう勧告し、依頼の受諾を一時ストップしている。逆に、「レイン」のような実力者には積極的に仕事をしてもらうなど、様々な水際対策を講じている。
けれども被害が収まる様子は見えず、加えてコガネという有力な協力者が現れたことで、ついに託人は決断を下した。
すなわち、最大規模の討伐チームを組み、元凶の「夜光姫」を潰す。
今、託人の元に揃った面々は、その任務を受諾したことを意味していた。
また彼らは高い実力を備えているだけではなく、ずっと昔から一緒に仕事をしてきた信頼できる仲間でもある。
「ハッ、お前一人じゃ頼りになんねぇから仕方なく手伝ってやるんだよ」
白い狩衣姿の青年––––「賀茂 忠憲」がぶっきらぼうに言い放った。
「そうそう!託人くんだけだとイマイチ不安だからね〜」
修道服を模したミニスカートにポニーテールにの少女「シエナ=フランチェスカ」はきゃははと無邪気に笑い飛ばす。隣に佇む黒いスーツに拳銃を装備した少女「エミリア=メイゼンバーム」もまた、うんうんと頷いている。
コガネはそんな彼らの様子にしばしキョトンとしていたが、何か思うところがあったのか、ああなるほど!と呟いた。
彼らの賑やかなやり取りに、かつて霜華の補佐を務めた女性「霧雨 沙世さよ」は愉快そうに口元をほころばせた。託人にとっては義理の叔母にあたり、もう一人の母親的な存在だ。
「沙世さん、俺はまだ未熟で……至らないこともありますが、どうか、これからもよろしくお願いします」
丁寧に深々と頭を下げる託人に、彼女は小さく首を横に振って彼の肩をそっと叩いた。
姉の霜華によく似た面差しは、けれど柔らかに微笑んでいる。霜華が燃え盛る業火なら、彼女は優しく照らす熾火おきびのようだ。
「ふふ……。託人くんもずいぶん大きくなったね。初めて会ったときはまだ、私の腰にも届いていなかったのに。大丈夫。君なら、きっとやれるよ」
細くしなやかな腕が伸びて、託人の身体を抱き寄せた。布越しに伝わるぬくもりに、青年の身が震える。まるで何かを躊躇するかのように。
「……怖がるな、恐れるな。きっと、あの方ならそう仰るはずだよ。あなたはもう、独りにはならない。いいえ、此処にいるみんながさせない」
これまで本当の感情を曝け出すことのなかった託人の表情が明確に変わる。決して揺るがぬ黒い瞳が潤み、一筋の雫が伝い落ちた。静かに流れる涙を拭うこともせず、彼は微かな笑みに似た表情を形作る。落涙はただ一度だけ。瞬き一つした後にはもう、いつも通りの『託人』に戻っていた。
「……さぁ、行こうか。もうあまり、時間がない」
コガネのおかげで必要な情報は揃っている。悠長に作戦を練るよりも、迅速に動き出せばいい。何故なら此処には何より頼れる仲間がいるから。



同日、深夜。〈霧雨一族・別棟地下〉


広大な敷地を誇る霧雨一族の屋敷に隣接する、古いレンガ造りの建物があった。おそらく、明治初期には既にあったと思われる其処は「別棟」と呼ばれているが、実際の役割はそのようなものではない。
此処は外に出せない封印された異形を保管する場所であり、または捕らえた人外を拷問するための施設だった。
地下へと続く階段を降りていくと、カツン、カツンと足音が反響する。一寸先も見えない暗闇の中、己の感覚だけが頼りだった。
「足元に気をつけろよ。ここ、規約で灯りをつけられないから」
別棟管理人である「霧雨 霆斗ていと」は平坦な声で言いのける。
「ああ、わかった。ところで、監視の方はどうなっている?」
隣を歩く託人の問いに、霆斗は悪い顔でニヤリと口元を裂いた。
「安心しろ、レインの連中は下がらせた。此処は、俺とあんたしかいない」
「……そうか。ならいい。お前も上に上がっていろ」
死にたくなければ、と付け加える彼に霆斗は背筋に冷たいものが駆け下りていくのに気付く。
「……あぁ、わかったよ。邪魔者はおとなしく退散するさ」
言葉通り、地下空間へ繋がる鍵を渡し霆斗は姿を消す。
いよいよ完全に一人となった託人は、階段を降り切ると目の前の扉を開け放った。ぶわ、と途端に舞う埃に眉をしかめる。
「くくっ…、やっと逢えたなぁ。どれほどこの時を待ち望んだことか!なぁアンタもそうだろ?……アウローラ」
沙世に向けたものとは180度違う、昏く不気味なおぞましい笑顔。それは、見た者の心胆を寒からしめるほど、不吉で歪だった。
粘度の高い濃い闇に浮かぶ、強固な封印を施された金色の鳥籠。その奥に、一人の女が閉じ込められていた。
粉雪色の長い髪、肌は透き徹るように白く、折れそうなほど細く頼りなげな身体。ボロボロに破けた絹のドレスを纏い、華奢な両手は鎖に繋がれて、柔和な顔立ちに不釣り合いな狂美的な笑みが刻まれている。
融けた純金の色の瞳が、ゆるやかな動いて託人を捉えた。
「あら。なぁんだ、見つかっちゃったわぁ。私のことなんて、すっかり忘れてしまえばよかったのに」
「悪いけれどこっちも仕事でね。アンタにはただ単に、情報を提供してもらいに来ただけだ」
淡々と告げ、一歩また一歩とアウローラに近づく託人。やがて彼女の目の前まで来ると、柵と柵の間から手を伸ばし、不意にその胸倉を掴む。
「吐け。夜光姫の弱点は、倒し方はなんだ。言わないならお前を殺す」
その恫喝は、決して脅しではない。
何故なら彼の手には猛毒を塗ったナイフが握られている。それは人間用でない、対魔物専用武器だ。まともに喰らえば、いかなアウローラとて無事ではすまない。
「クスクス……。いいの、私はあなたの母親よ?殺してしまえばもう二度と会えないのに」
「ハッ、何故テメェを母と思わなきゃなんねぇんだよ。お前はただの敵だ」
アウローラの揺さぶりに、しかし託人は態度を変えなかった。彼は此処へ来る時に確かな覚悟をしてきている。
すなわち、実母をこの手にかけるということを。
そして、託人の真意に気付かぬほど、彼女は愚かではなかった。殺伐とした空気を物ともせず、面白そうに肩を揺らしている。
「あっ、はは、ははっ…。あはははははははははははは!最っ高!!それでこそ私の子どもよ、そう、そうこなくては面白くないわ!あぁ、なんて楽しいんだろう!ふふっ、長生きすると良いことあるわねぇ!」
空気を震わす呵々大笑が地下空間に響き渡る。声そのものに波動があるかのような圧力に、けれど彼の眼差しは凪いだままだ。
「あっそ。アンタの感想なんかクソどうでもいいわ、いいからさっさと吐けよ」
言いつつ、ナイフをちらつかせる彼にアウローラは相好を崩して己を束縛する鎖を粉砕した。そしてドレスの胸元から何かを投擲する。
パシリといい音を立ててキャッチした託人は、手のひらの中に収まったものを見て首を傾げた。
かなりの年代物のように思える古ぼけた懐中時計だ。金属特有の光沢は失われ、施された意匠も消えかけている。蓋を開けると針は止まっていた。
「……なにコレ。俺にこんなの渡してどうするつもりだよ」
胡乱げな託人の視線にアウローラは軽く舌打ちする。
「あらあら、その反応、すごくもったいないわねぇ!ソレ、とっても良いモノなのに」
「はぁ?針も止まっているのに?……いや、まさか」
「ええ、そう。それ、私の能力を移し変えたものよ。今っぽくいうと、さしずめバックアップデータってやつかしら。まあ、厳密には少し違うけど」
一見ただの骨董品にしか見えない古時計は、いわば魔法道具とでもいうべき代物だった。確かに放っておくのはもったいないだろう。
懐中時計をポケットにしまい、彼は今回の任務の責任者として一つの結論を付けた。
「これが交換条件というやつか。まぁいいだろう、お前を見逃してやる。……ただし、我々の邪魔はするな。違えればその時は、必ず殺す」
それは単なる宣言ではなく、一つの決意が込められた言霊だった。ある種の契約に近く、託人、アウローラ双方とも絶対に破ることはできない。
「ええ、いいでしょう。精々あの方に嫌われないよう頑張りなさいな。あぁでも、あなた、あの方の好みじゃないから、むずかしいかもね」
きゃははは!と喧しい哄笑と共に、彼女は空気に溶けるように消えた。後には何も残らない。
一人立ち尽くした託人は、力が抜け落ちたようにガクリと膝を付き、そのままどうと倒れ伏した。胎児のように身体を丸め、己の手で自分を抱える。
奇妙なほど透き通り、ガラス玉の如く虚ろな瞳は最早、何も映さない。




そして、靄に包まれた薄明の頃。
これまでになく大規模な作戦がついに開始する。

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