ケンドー女剣良子の獅子奮闘記 カクヨム版

小夜子

第15話「大願と想い」




あれから何日経ったのだろう。
どうして、こんな所にいるのだろう。
ウチは何をしてるんだろう…。
良子は辺りに広がる海を眺めていた。
周りからはありふれた自然だけが目に入り、耳に残る。
風の音、塩の香り、漣と鳴き交わす鳥たち。
都会の生活音などは微塵も存在しない。
それがとても心地よく、さされくれた心を癒してくれる。
太陽が眩しい…。
手で光を遮り、ぼうと地平線を見つめる。
もうすぐ太陽が海の底へと沈みそうだ。
地球の反対側はきっと朝になるのだろう。
今、 良子は日常からかけ離れた場所にいる。
色々考えるべきことが山ほどあるはずだ。
だが、この風景を見ていると、そんな事はどうでもよくなってくる。
陽だまりの中でふと涙をこぼしてしまうような、そんな優しい気持ちに満たされる。
けれど、そういう訳にもいかないのだ。
今は現実を考えなくてはいけない。
自分一人だけではないのだから。
きっと、みんな心配している。
良子は頭を振って、我に返った。
とにかく、今は考えよう。
今までの出来事を思い出してみよう。





まず学園事件だ。
蛇に変身し、襲いかかってきた刺客を良子は倒した。
その後、屋上で芳江と戦ったが、敗れてしまう。
そして、気がづくとこんな島へと連れてこられていた。
ここがどこかはわからない。
わかっている のはどこかの無人島というだけだ。
携帯電話は壊され、正確な時間も日にちもわからない。
1週間か2週間ぐらいは過ぎているような気もするが、それも曖昧だ。
当たり前だが芳江もここがどこなのかを教えてくれない。
教えてくれたとしても帰る手段がないから意味はないが。




ここでの生活は非常に原始的だ。
海で魚を釣って、焼いては食べ、暗くなったら火を起こし、眠くなったら寝る。
そんな自給自足かつ原始的な毎日だった。
歴史の授業で習った、原始時代の人間達を思い出すほどに。
それぐらい、原始的な場所であった。
当初、芳江は拷問か何かをしてくるかと思ったが、それはなかった。
敵のはずなのに、休戦を持ちかけ、助け合いの生活をしようと言い出した。
おまけに丁寧かつ親切にしてくれる。
肝心な事は教えてくれないが、それ以外は何でも答えて くれる。
敵同士の二人が、今は同じ釜の飯を食う間柄になっている。
一体、何がしたいのだろうか。
拷問が目的でないなら、何故こんな所に?
芳江の目的はさっぱりわからない。





そしてもう一つ気がかりな事が仲間たちだ。
稲美、マコ、さくら。
恐らく京子も関わっているだろう。
そして、礼菜。
皆、学園で他の刺客と戦っていたはずだ。
果たして無事なのだろうか。
怪我はしていないのだろうか。
今頃、何をしているのだろうか。
きっと心配しているだろう。
それを思うと、胸が締め付けられた。
こんな所にずっといるわけにはいかない。
なんとか脱出しなければいけない。
だが、ここがどこかわからない以上、どうやって脱出する?
映画のようにイカダを作って島を出るというのか?
それはあまりにも無謀だといえるだろう。
ここがどこかもわからないし、地図すらない。
そんな状態で他の大陸につけるとは到底思えない。
第一、芳江が妨害してくるのは目に見えている。
どうすればいいのだろうか。




「どうかしたの、良子ちゃん」




そこへ芳江が声をかけてきた。
良子は振り返らずに、海を見つめるのに集中する。
海はただ規則的に同じ流れを繰り返している。




「…別に」




「ひょっとして、ホームシックかしら?」




芳江は良子の隣に「よっこいしょ」と腰掛け、良子を優しく見守る。
良子は気分を害したらしく、苦虫を噛み潰した顔をする。
だが、芳江は気づいていない。
或いは気づかないフリをしているのかもしれない。




「良子ちゃんはお友達がいっぱいいるのよね。
いつからの 付き合いなの?」




「…礼菜は中2から。後はみんな高校に入ってから」




いい加減無視するのも面倒になってきたので、良子は淡々と話す。
何か話していたほうが気も紛れるだろう。
無視するのにも疲れたというのが正しいだろうか。
しかし、言葉は少々刺々しく、おまけに敬語は使っていない。
相手が年上だとしても、敵は敵だ。
休戦になっても、その関係性は何も変わらない。
第一、敵に敬語を使うのも変な話だ。




「そう。礼菜ちゃんってあの可愛い子よね。
ショートカットで、落ち着いてて、いかにも女の子って感じの」





「うん」




「どんなきっかけで知り合ったの?」




「師匠がどっかから連れてきたの。始めの頃はとても内気でね。いつも必要最低限な事しか喋らなかった。家事や炊事も苦手だし、失敗も多かったわ。けど…」




「けど?」




「飲み込みが早くてね。何でも挑戦してすぐ得意になってたわ。ウチが料理を教えた時も頑張って覚えていったし。次第に剣術にも興味を示してね。ウチと師匠でやってた修行に礼菜も混ざって、いい感じで打ち解けていったの」




「へぇ・・・。それから?」




芳江は良子が心なしか笑顔になっているのに気付いていた。
その笑顔に釣られ、いつしか芳江も頬を緩めていた。
それだけ良子は礼菜の事が好きなのだろう。




「でも無口でクールなのは相変わらずでね。いつもウチはウジウジして、話すときも小さい声だし、性格も暗いの。いい加減、腹が立ったから腕試しも兼ねて勝負を挑ん でやったのよ。その日は師匠は用事で山にいなかったから、ちょうどよかったし。
ウチ達は木刀で本気でやりあった」




「いいわね、そういうの」




「けど、試合は三日三晩経っても決着つかなくてね。帰宅した師匠はもう大激怒。
お蔭で大目玉食らったわ。お説教3時間くらうわ、片付けやら炊事やら三日分全部やらされるわ、もう思い出すのも辛いほど、大変だったわ」




はははと力なく笑う良子。
げっそりとやつれた顔で苦笑いする。
本当にしんどかったのだろう。
その苦労が伺える。




「でも、それがきっかけで礼菜とはすごく仲良くなれた。
友達になろうって言ったら、すぐに「うん」って言ってくれた 。
あの時の嬉しそうな笑顔が今でも忘れらないな…」




えへへと照れながら話す良子。
その姿はまるで恋する乙女のようだ。
いや、実際二人は恋して付き合っているのだから間違いはないが。
そんな良子を芳江は聖母のように優しく見つめる。




「それからずっと友達だったの?」




「ううん。一旦別れたの」




そこで良子の顔が少し曇る。
聞いちゃいけなかったかしら?と芳江は思ったが、
良子は構わず話を続けた。




「礼菜は家族がいたの。ご両親とお兄さんがね。でも、お父さんは飛行機事故で亡くなった。そのせいでお母さんはパートで働くことになった。でも、お母さんは元々身体が弱かったから、過労で…。お兄さんと礼菜は親戚中を渡り歩いたけど、どこへ行ってもいい 扱いをされず、散々だったみたい。」




「…可哀想にね」




「そして、いつの間にかお兄さんも失踪した。礼菜はホームレス同然の暮らしをしてたところを師匠に拾われたそうよ。でも、内心ではお兄さんの事を心配していた。きっと今でも心配していると思う。唯一の家族だもの。当然よね」




「・・・・」




良子の瞳は少し遠くを見ているようだった。
良子には家族はいない。
父は行方不明、母は蒸発した。
そう考えると良子と礼菜はよく似ている。
気が合ったのはお互い、そういう苦労があったからかもしれない。




「礼菜は師匠に頼んで、お兄さんの情報を裏で集めてもらっていた。
そして、東京で目撃情報があった の。それを聞いた礼菜は意を決して、東京に転校することを決めた。でも、目撃情報って言っても確かなものじゃない。お兄さんという確証は無くて、似た人を見た程度だった。第一、手掛りもなしに東京で人一人を探すなんて相当難しいわ。ウチは本当は反対したかったけど、礼菜の意見を尊重した」




「そして、別れてからしばらくして。ウチは師匠から大阪にある別荘を与えられた。
一人暮らしして世の中を学べって言われてね。京都から大阪に移り住んで、モチ転校。学校とバイトの日々だったわ」




「そう。色々大変だったのね」




「まあね。でも、その分、礼菜と再会できた時は嬉しかったわ。
でもね」




「何?」




「礼菜の過去は後で聞いた話ばかりよ。それをウチがまとめただけで、本人から聞いたわけじゃない。礼菜自身は兄がいることも、家族のことも、何も話してくれなかった。だから、ウチは礼菜がどうして東京へ転校するのかわからなかった。礼菜を問い詰めても、答えてくれなかったし・・・信頼されてないのかもね」




「貴方を悲しませたくなかったのよ、きっと。誰だって話したくない事はあるでしょう?あなたの悲しい顔を見たくなかったんじゃないかしら」




「そうなのかな」




「親友の条件ってお互いの過去を全部話すことなの?全部、最初から最後まで話さないと、親友じゃないの?友達のまま?」




「いや、別にそう は言わないけどさ・・・ただ、ウチには話して欲しかったなって思ってね。一人で抱え込んでないでさ、少しは話して欲しいの。ウチは自分の事とか、いっぱい話した。けど、礼菜は聞いても、ほとんど何も教えてくれなかった」




芳江の言う通り、過去を全て話すことが親友の条件ではない。
友達付き合いが長く続く内にお互いの過去の片鱗を知ったり、時には色濃く話し合う機会だってあるだろう。別にそこまで話さなかったとしても、二人がお互いを親友だと気の合う仲間だと思っていれば、二人は親友なのは間違いない。
良子は礼菜を友人として恋人として、尊敬し、愛している。
きっと礼菜も同じ気持ちだろう。
その気持ちに嘘偽りはない。
だが、その思いとは裏腹に礼菜は自分の過去を全く話さな かった。
礼菜を攫った妖魔・グラントから話を聞くまで、彼女の過去を何も知らなかった。
良子としては、辛いことも悲しいことも二人が一緒なら大丈夫だと考えている。
二人でいれば、悲しいことは半分になり、楽しいことは倍になる。
全部とは言わないが、彼女の心の内を彼女自身から話してもらいたかった。
疑っている訳ではないが、好きな相手の事を何も知らないのはとても淋しい事だ。
心のどこかで、本当は信用されていないのではないかと不安になる事もあった。
良子が少し寂しさを感じているのもまた事実だ。
礼菜が良子を信頼しているのはわかっている。
それは以前、礼菜の部屋で見た日記帳の記述を見てもわかる。




”兄だけが私の唯一の家族。私 はどうしても兄を見つけたい。
それが私の生きる目的なのだから。良子達には話さない。
あまり心配をかけたくないし、自分の事は自分でケリをつけたい。
その代わり、帰ってきたら、みんなには腕を奮ってご馳走を作ろうと思う。
みんなの笑顔が楽しみだ。特に良子の「美味しかったよ」という言葉が聞けたら、泣いちゃうほど嬉しい。つか、絶対泣く(笑)
兄は果たして明治神宮にいるのだろうか。
何か手がかりは掴めるだろうか…”




日記は終始、良子や親友達の事だけが書かれていた。
他人には見せることのない日記は自分だけの秘密庭園だ。
良子はそれを理解しつつも、行方不明の礼菜の手がかりを求める為、読むことにしたが、やはり、礼菜としては自分の過去を話したくなかったのだろう。
良子や皆を悲しい顔にさせたくないのだ。
優しい彼女ならきっとそう考えているに違いない。




「こういうの無い物ねだりって言うのかもね」




「どんなに繋がってても、深い関係でも、不安になることはあるわ。
たとえ大恋愛をした仲だとしてもね。
寧ろ、大切な相手だからこそ余計に不安になってしまう。
自分の知らない所ではどうしているのか。
どんな人生を歩み、どんな人と付き合ってきたのか。
不安で心配で、何もかもに敏感になりすぎて疑心暗鬼になってしまう。
その気持ちは間違っていないわ。それで普通よ」




「…そうかな」




「相手も同じかもしれない」




「え?」




「相手だって不安になっているはずよ。私は礼菜ちゃんの事はよく知らないけど、二人は親友なんでしょう?それもとても大切で、すごく大事な人。きっと礼菜ちゃんも不安になっているはずだわ。大人しくて内向的な子は尚更、不安になりやすいでしょうね。恐らく、今の良子ちゃんと同じだと思う」




「・・・・」




良子は何も答えない。
ただ黙って何かを考えているようだ。
その瞳は沈んでいて、答えを模索しているのが伝わってくる。
ゆっくり考えるのもいいだろう。
都会と違い、ここには何も縛られる物はないのだから。
芳江は腰を上げ、その場を離れた。




「夕食の準備をしてくるわ。
お 腹がすいたら来て」




「ん」




良子は短く頷き、再び海を見つめることに集中する。
海はただ優しく漣を奏でていた。
空はいつしか夕焼けに染まっている。
あと少しで太陽は海の底へ沈む。
今日も日が沈み、夜がやってくる。
今頃、みんなはどうしているだろう。
礼菜はどうしているだろう。
何を想い、何を感じているのだろう。
会いたい。
話したい。
抱きしめたい。
キスをしたい。
そんな気持ちに駆られていく。
悲しみが心を乱していく。




「ああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」




良子はそんな想いを大声で発狂させた。
腹の底から出せれるだけの声を出し、叫んだ。
叫んだっ て誰も怒りはしない。
だったら、叫んで、叫んで、叫びまくる。
想いを、心をぶちまける。
形にならない想いを声に乗せて、礼菜に届けとばかりに
大声をだし、喉が張り裂けんばかりに叫び続ける。




「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」




良子は狂ったように何度も叫ぶ。
何度も何度も叫び続けた。
声が枯れるまでひたすら叫び続けた…。







「ん・・・美味しい」



良子はひとしきり叫び終えた後、竈で焼かれている魚をバグバグ食べる。
そして、水をゴクゴクと飲む。
ペットボトルを利用し、川から汲んできた水だ。
それを鍋で10分ほど煮沸したものである。
こうすること川の水でも安全に飲むことができる。
川自体は非常に綺麗だが、念の為にと芳江なりの工夫だ。
ペットボトルは芳江持参の物で、他にも幾つかのペットボトルを
所有し、それらにも煮沸した水を保存している。





「よく噛んで食べなさい。あと、骨にも気をつけて」



「ん」



もぐもぐ食べつつ、骨だけをぺぺっと捨てる良子。
竈はよく燃えており、魚は芯まで暖かくなっている。
おかげでとても食べ やすく、いくつでも食べられそうだ。



「良子ちゃん・・・お行儀よく食べなさい。
男じゃないんだから。品がないわよ」



「別にいいじゃん。誰も見てないし。
つか、アンタに説教される覚えないし」



素知らぬ顔の良子。
芳江の忠告を無視して魚を食べ続けていく。
ぺぺっと骨を口から捨てる。



「普段の行いってのは大事よ。
いざという時、マナーがなっていないと
知らない内に皆からドン引きされるんだから。
好きな男ができてから直そうとしても難しいわよ」




「ウチ、男は嫌い」




「・・・命短し恋せよ乙女よ、良子ちゃん。
男嫌いもほどほどにしておきなさい」




「いいのよ、別に。礼菜と付き合ってるから」




「え・・・」




流石の芳江も絶句。
一瞬、互の空気が止まったかのような雰囲気になる。




「あによ。今時珍しくないでしょうが」




「・・・だとしても、それって」




「言っとくけど、レズじゃないからね。
ウチは純粋に礼菜を好きになっただけ。
女好きって訳でもないの。
でも、男が好きって訳でもないわ。
男なんて野蛮だし、バカばかりだし・・・」



「全ての男がそうとは限らないでしょう?
そんな悪口は殿方に失礼よ」




「あーはいはい。ってゆーか、ウチと礼菜の事は何も追求しないのね?」




「あなたの人生だもの。あなたが思うようにすればいい。
私は何も否定しないわ」




それは侮蔑でも嘲笑でもなく 、心の底からの肯定だった。
てっきり男女の恋愛論だの持論だのを展開するかと思ったのだが。
芳江は目を瞑り、じっと佇む。




「ふうん。割とリベラルな思考ね。
てっきり反対するのかと思ったけど」




「人生色々よ、良子ちゃん」




「意味わかんない」




「私も」




二人はくすくす笑う。
何だか変な感じだ。
敵同士のはずなのに。
こんな暖かな笑みが溢れてしまうのは何故だろう。
心がおかしくなってしまったんだろうか。
それとも・・・。
二人はそれからもひとしきり談笑し、やがて眠ることにした。
芳江は寝ずに火の番をし、すやすや眠る良子をじっと見つめていた・・・。









次の日。
暑くて目が覚めた 。


「あづい・・・」


「おはよう良子ちゃん」



良子が目を覚ますと、芳江は既に起きていた。
どうやら煙草を吸っているらしい。



「おはよ。つか、暑くない?
6月だってのに・・・」



太陽は地面を照りつけ、じりじりと焼いてくる。
最近はそうでもなかったが、今日はかなり暑い。
猛暑にはまだ早いと思うのだが・・・。




「まあ、この島は南にあるからね。
これからも徐々に暑くなってくるわよ」




「これじゃあ、下着も汗まみれね・・・。
つか、服もそろそろ変えたいな。
ヤバげな臭がするし・・・」


自分の体臭だとはいえ、もう何日も制服のままだ。
できれば下着も変えたいと思う。
忘れがちだが、こう見えても良子は乙女 である。




「それもそうね・・・」




煙草を地面ですり潰した。
少し考えてから、決意したのか「うん」とう頷く。




「いい場所があるの。そこに行きましょう」








芳江の後についていく良子。
そこは森の奥深くで、木々を掻き分け、獣道を進んだ先にあった。




「うわぁ・・・」



ドドドド・・・と物凄い水流が音を立てている。
滝だ。それもとても大きな滝。




「ここで水浴びをしましょう」



「・・・・」



といって、いきなり服を脱ぎ出す芳江。
良子は恥ずかしいらしく、ぷいっと目をそらす。
オープンになるのは恥ずかしいので、木陰で脱ぎ始める。
恥ずかしい気持ちもあったが、女同士だし別にい いだろう。
他には誰もいないし・・・。次第に慣れてくるだろう。
そう思いながらそそくさと服を脱いでいく。



「今日はいい天気だし、きっと気持ちいいわよ」




「うん・・・」



二人は滝に向かって走り出した。










「くぁー、気持ちいい!」



「ええ。ホント、気持ちいい」



全裸のまま、滝にうたれる二人。
髪も胸も顔も足も全て水にうたれていく。
今までの汚れを全て洗い落とし、清潔さだけが身に染まっていく。
良子は水を飲んでみたが、とても美味しい。
髪にも滝を打たせたり、顔もついで洗う。



「いいわね、こういうのも。
こんなの始めてだわ」




「私もよ」



芳江も楽しいらしく、気持ちよ く滝に打たれている。
安堵した表情からは、今までの刺々しい雰囲気が無く、
ごく普通の女性としての笑顔がそこにあった。
良子はその笑顔に頬が緩むのを感じた。
芳江が敵である事を忘れたわけではない。
だが、実際にはごく普通の女性なのかもと良子は感じていた。



「・・・・・」




「どうかしたの?」



しかし、ごく普通の女生と感じられない部分が一つだけあった。
それは身体だ。




「ふふ、いいプロポーションでしょう?」




「その刺青・・・」



「ああ、これ?」




そう、芳江には刺青がある。
背中に龍の刺青がある。
恐ろしい形相をした龍だ。
龍は猛々しく天へと登ろうとしている。
その蜷局が芳江の上半身・ 下半身、腕も足も支配している。
つまり、胸と局部以外のほとんどの場所が刺青だらけなのだ。
海外では刺青やタトゥーはごく一般的だ。
家族の顔やイニシャルを入れるのは当たり前だし、ファッション感覚の人も大勢いる。
だが、日本ではその意味合いが違ってくる。
刺青は極道の道に染まった者がするものだと世間は認識している。
タトゥー等をしているアーティストもいるが、近年は暴力団排除の動きが強く、
世間体もあるので、一般世間は刺青もタトゥーも受け入れていない。
企業もそんな人間は雇わないし、バレればすぐに解雇するだろう。
以前、ある県の学校の教職員が刺青をしていて問題になった事もある。
目立たないように一部分だけしている者もいるが、バレれば解雇 だ。
海や公衆浴場・プールなどでも刺青は御法度とされている。
一般市民は刺青を極道の象徴として怖がり、恐怖の対象とされている。
その芸術性を認めるものはごく一部の人間しかいないのが現状だ。
だが、芳江の刺青は全身に施されている。
胸と局部を除いて、全身という全身が龍に支配されている。
よほどの覚悟があって入魂を受け入れたのだと思われる。
その刺青を良子は知っている。



「ウチの師匠は鬼だった。鬼の刺青をしていた」




「・・・そう。でも、私のこれは龍よ。
信頼できる彫師の先生に頼んで彫ってもらったの。
素敵でしょう?」




「悪いけど、ウチにはそういうのはわからないわ」




「それは残念ね。でも、大人になればきっ とわかるわよ」




「・・・・」




良子は傍まで近づき、芳江をぎゅっと抱きしめた。



「りょ、良子ちゃん・・・?」




「・・・・・・」




良子は黙ったまま何も答えない。
ただ、芳江を抱きしめている。
芳江は戸惑ったが、引き剥がそうともしない。
胸の膨らみや身体の柔らかさが良子を包む。
それは女性特有の暖かさであり、もう何年も味わっていないものだった。
でも、身体のどこかでそれを覚えているという、奇妙で懐かしい感覚だった。




「ウチが三歳の時に、お母さんはウチを師匠に預けて蒸発した。
父親はその前から行方不明で・・・ウチはそれからずっと一人だった」




「・・・・」



芳江は何も答えない。
ただ黙って良子の言葉を聞く。



「師匠は家事や炊事、剣術を教えてくれた。
最初は厳しくて辛くて、しんどかった。
怪我だってしたし、痛い想いもいっぱいした。
それでも師匠の前では泣かなかった。
昔から負けず嫌いだったからね。
小さい頃は夜中に一人で泣いて、ストレス解消してたよ・・・」




「今でもその事は忘れていない。
あの頃の寂しさは今でも引きずっている。
友達といても、師匠といても、心のどこかでいつも
寂しい想いがあったんだ・・・」




「・・・・・・」




良子は泣きながら、芳江の顔を見つめる。
そして、彼女の胸に顔を埋める。
決して大きいものではないが、安らかな感触を覚えている。




「・・・芳 江。あなた、お母さんでしょう?
ウチの・・・お母さんなんでしょう?」



「どうしてそう言い切れるの?」




芳江は動揺した素振りを見せず、努めて冷静に答える。
だが、良子は見逃さなかった。
顔や言動は冷静でも、芳江の身体が震えていることを。



「昔、よくお母さんと一緒にお風呂に入った。
いつもウチが背中を流してあげた。
いつも気持ちいいわと言ってくれた。
その背中にある龍を・・・今でも覚えている」




「龍をした女性なんて珍しくないわよ」




「ウチは15で一人暮らしするまでは銭湯に行った事がないの。
師匠の家にはお風呂あったから銭湯に行く必要がなかった。
幼稚園のお泊り会や小学校の一泊移住、中学の林間学校でも・ ・・。
そんな背中をした人を見た事がないわ」




「・・・・」




「この肌の感触も覚えている。そして、何よりその首筋が証拠」



良子の指した芳江の首筋。
そこにはパッと見ではわかりにくいが、火傷の跡がある。



「これは師匠から聞いたんだけど・・・。ウチが赤ん坊の頃、
台所でハイハイしていた。お母さんはその時、台所で晩御飯を作っていた。
お鍋でシチューを煮込んでいたの。でも、その時大きい地震があった。
とても大きな地震で、鍋がひっくり返り、側にはウチがいた。
お母さんは私を守るために私を庇い、首筋と腕に大火傷をしたそうよ」




「・・・・・・・」




「アンタにはその火傷の跡がある。
ほら、わずかだけど・ ・・首と腕にもあるわ。
あなたはウチのお母さんなんでしょう!?」




「・・・そうよ」




芳江はとうとう否定しきれず、顔を背けて肯定した。
良子の疑問が氷解し、確信へと変わる。
だが、まだ納得ができない。



「・・・やっぱり。でもさ、納得いかないよ。
なんで、抱きしめてくれないの?
なんで、敵同士なの!?
なんで・・・迎えに来てくれなかったのよ」




良子は芳江の胸でわんわんと泣きじゃくった。
それは子供が母親に泣きつく姿そのものだ。
不安と喜びが消化不良のまま、ごちゃ混ぜに
良子の心を悲しみの底へと突き落とす。
13年ぶりの再会だ。
素直にお母さんと呼んで、抱きしめたかった。
抱きしめられたかった。
けれど、 今の良子と芳江は敵同士。
妖魔を操り、芳江は何かを企んでいる。
そして、芳江はきっと良子が自分の娘だと知っていた。
だから、最初から「良子ちゃん」と呼び捨てにしていた。
無人島生活で優しくしてくれたのは、実の娘だから・・・。
全ての辻褄が合う。
ほどけた糸が再び繋がり、絡まっていく。
それは理不尽なまでに絡まっていく。



「なんで、どうして!?
どうして親子で戦わなきゃならないの?
どうして迎えに来てくれなかったの?
なんでさっきから抱きしめてくれないの!」




芳江は良子を抱きしめようとしない。
良子は泣きじゃっくて、芳江の胸に顔をうずめたまま、動こうとしない。
自分の娘なら抱きしめてあげるのが普通だろう。
13年 ぶりに再会した親子なら、尚更・・・。
芳江はそれでも抱きしめようとはせず、答えの代わりに頭を撫でてあげた。
良子の濡れた髪を優しく撫でていた。




「私に親を名乗る資格はない」




「そんなのはウチが決めることでしょう!?
親に資格だの、何だの、決めるのは子供よ!
たとえどんな母親だったとしても、親と子供は見えない絆で繋がっている。
たぶん、産む前からずっと・・・。
親が子供を産んだら、育てるのが義務でしょう?
適当な事言って、育児放棄しないで!
ウチを・・・ウチを愛してよ!」



良子は叫ぶように怒鳴る。
頭なんかいい。
どうして抱きしめてくれないのか。
不安が絶望が、心を襲う。
それを言葉に宿す。
抱きしめてくれ たら、こんな不安はすぐに消えるはずなのに・・・。




「・・・少し場所を移動しましょう」








良子は少し納得できなかったが、渋々場所を移動した。
芳江は前もって用意していた下着と服を良子に渡す。
下着はサイズが合っていて、すんなりと着られた。
服はTシャツと蒼色のジーンズだ。
どこぞの外国人女性が彩られたTシャツ。
有名ブランドのダメージジーンズ。
どちらも良子の好みの物だ。
芳江は道着と袴という服装だ。
いつも見ている黒スーツとは違い、とても新鮮である。
だが、その分、彼女の凄みが肌で感じられる。
どうやらこれが正装らしい。



「使いなさい」




そういって芳江はこちらに何かを投げた。
慌ててそれをキ ャッチする良子。
それは木刀だった。
長さは全長で3尺8寸以下であり、全長で117cm程度。
高校生が使うレベルのサイズとなっているようだ。
しかし、これはただの木刀ではないと良子は気づいていた。



「・・・これ、枇杷の木刀ね?」




「ご名答。木刀は一般的に赤樫、本赤樫や白樫なんかがあるわ。
けれど、打ち合いには不向きな物が多いの。ささくれだったり、割れやすかったり。
自分のトレーニング用として使うのがほとんどね。
枇杷の木刀は少々値段が張るけど、打ち合いには十分よ」




「確かに樫より弾力があるわ。三年殺しって異名もある。
後からじわりじわり効いて3年後には死ぬってね・・・」




良子は2、3度、木刀を振り感触を確かめる。< br>今でこそ刀を使っているが、中学の時には木刀を使っていた。
その木刀も枇杷であり、良子にとってその感触や重量には懐かしいものがある。
また、そこからは懐かしさが以外にも何か情熱的な熱いものが感じられてくる。
選び抜かれた木から洗練された技術・・・それが肌を通して伝わってくる。
それだけ、いい仕事をした名のある職人の木刀なのだろう。
プロの剣客は良き刀を見抜くプロでもある。
良子までのレベルになると、それは触るだけでも自然とわかるようになるのだ。
それだけ業物と呼ばれる名器に触れてきているからだ。



「今回は私も同じ物を使うわ。サイズも一緒。
防具は何もつけていないけど・・・これで試合をしましょう」




「・・・話してくれる んじゃなかったの?」




「そんな事言った覚えはないわ。聞きたいのなら、力づくでやる事ね。
あなたの得意分野でしょう?」




芳江の話し方は険のある言い方だった。
瞳は先ほど良子に向けた、母親としての瞳ではない。
妖魔達を指揮するあの瞳だ。
以前、芳江は妖魔たちを率い、カラオケボックスを火事にしていた事があった。
そう、あの時と全く同じ冷徹な瞳。
北極海の底よりも冷たく、剃刀のように鋭い瞳。
そこに慈悲や哀れみは一片もない。
人間のものとしての暖かさを完全に欠いたものである。
良子は心が切り刻まれるのを感じていた。
それは思わず目を逸らしてしまう程に。
逆に言えば、芳江は娘といえど容赦はしないという言葉でもある。
芳江 がどんな反社会的な事を企んでいるのかは知らない。
だが、それだけの瞳を実の娘にするなんて・・・。
一体、どれだけ狷介不屈なのだろうか。
それだけの信念や信条があるのだろうか。
芳江の気持ちは一向に見えてこない。
漆黒の霧に覆われたままだ。
けれど、逃げるわけにはいかない。
立ち向かわなければならない。
母を正すことができるのは、娘しかいないのだから・・・。
決意と勇気を持って、芳江をしっかりと見据える良子。
芳江はそんな良子に微笑する。
それは嘲笑なのか、侮蔑なのか。
良子にはわからなかった。



「けれど、あなたは私を母だと知ってしまった。
そんな貴女が私に刃を向けられるかしら?
母を倒す覚悟が・・・貴女にあるかしら?」
< br>


「・・・やるしかないなら、やるだけさ。
ウチはあなたを・・・お母さんを超えてみせる!」




そして、母と娘の試合は非情にも幕を開けた。






二人は駆け出した。
良子は正眼の構えに木刀を持つ。
この構えは剣先を相手に向けるもので、他の構えにもすぐに変える事ができる。
また隙が少なく、攻撃にせよ防御にせよ、この構えを起点にして様々な状況の変化に
対応することができるのだ。
すぐに打ち合いが始まる。
何度も互の木刀がぶつかり合う。
ぶつけ合い、ぶつかり合い、時にかわし、時にぶつけ合う。
硬質な甲高い音が海辺に響く。
木片が力のぶつかり合いで、徐々に削がれていく。
良質な枇杷ですら削がれていくとは・・・。
一体、二 人はどのような力を持っているのだろうか。
汗を飛び散らせ、両者互いに己が実力を最大限にまで引きずり出しながら、
打ち合いを続けていく。
そこには母と子はなく、剣客同士の立派な試合があった。




「ふふ。屋上での時よりはマシみたいね。結構、結構」



「あんたを倒して、何もかも喋ってもらうわ・・・」



つばぜり合いの中、言葉を交わす二人。
もはや二人に親子という概念は当になく、ただ敵同士という考えだけが存在している。
良子はいつも以上に真っ向勝負に打って出ている。
余裕の表情はそこになく、険しいものとなっている。
芳江は余裕の笑みを浮かべながらも、汗を流す自分を心地よく感じていた。
娘と真剣勝負で戦えることを心の底から喜ん でいた。
だから、手加減などしない。
全力で戦うまでだ。
同じ剣客たるもの、真剣勝負に手加減は失礼というもの。
娘が全力で行くというのなら、母はそれに応えるまでだ。




「はああああああ!」



芳江は阿修羅の如き勢いで、木刀を打ち込んでくる。
それは打ち込むというより叩き込むという方が正しいだろう。
目にも止まらぬ早さを連続で行い、良子はそれを防ぎつつも負けじと打ち込む。



「でやあ!」


芳江はそれをさらりとかわし、跳躍して背中に飛ぶ。
着地寸前でガラ空きの良子の背中にありったけの力を込めて木刀を叩き込む。
良子は回避しようとしたが、それよりも先に背中に木刀が命中してしまう。



「うああああああああああああああ ああああああああ!!!」




背骨にに衝撃が走る。
砕かれた音が聞こえるほどの痛覚が背中から一気に全身を駆け巡る。
もはやそれは痛いというレベルではなく、遥かに痛覚を超えていた。
折れたという感覚だけが後味悪く残り、悲鳴にもならない慟哭を良子は心の底で叫んでいた。
良子はそのまま剣圧で吹き飛ばされた。
受身もままならず、良子は幾つもの木々に衝突していく。
木々は志半ばで折られていく。
その衝撃も背中や全身の至る部分を傷つけ、壊していく。
骨だけではなく、既に内蔵機関すらも深刻なダメージを受けていた。




「う・・・ぐ・・・・」



どれだけの木々が折れたのだろうか。
良子はかろうじて意識だけは保っていた。
だが、倒れた 姿勢のまま動くことができない。
身体がいう事を効かないのだ。
少しでも動かそうものなら、骨に衝撃が響く・・・。



「うぐぐぐぁぁぁ・・・」


凄まじい痛覚に涙が出てくる。
けれど、ここで諦めれば全てが終わりだ。
ここでケリをつけなければ・・・。
そんな良子の背中を芳江は踏み潰す。
まるでアリを潰すかのように。




「うあああああああ!!!!!」




「・・・残念ね。あなたにはもう少し期待していたのに。
この程度の実力しかないなんて」



良子の頭を踏みつけたまま、芳江は見下した瞳を向ける。
それは完全に良子を嘲笑し、馬鹿にしている。
その笑顔は嘲笑から呆れへと移り変わる。



「屋上の時は大蛇との戦闘後だったから、体力 が不足していたから負けた・・・。
私はそう考えたわ。そこで、この無人島であなたの体力が回復するのを待ったのよ。
なのに・・・とんだ見込み違いね」



「・・・っ」




「あなたにはセンスはある。素質も才能も十分。けれど、覚悟が足りない。
妖魔と戦うことも、友達付き合いも下手くそで中途半端。
例えるなら、何をしても煮え切らない、消化不良で不完全燃焼の生ゴミよ。
力を追い求め、力自慢で弱い者を倒して、自分は強いのだと自惚れる。
そのうぬぼれがあなたの弱さよ」



「・・・・」



思い当たる節がない訳でもない。
以前の良子は道場破りやヤクザの事務所を襲い、大勢の人間を倒して力自慢をしていた。
自分の実力がどこまでなのかを試し たい。
それを大義名分に良子は幾つもの道場のを襲い、門下生や師範を傷つけた挙句、看板を奪った。
看板が奪われれば道場は閉鎖を余儀なくされ、真面目に学ぶ門下生は目標を失う。
師範は弟子を失っただけでは済まず、収入源を奪われ、路頭に迷う。
同じく、ヤクザの組を潰せばヤクザ同士が互いに疑心暗鬼の状態になり、抗争へと発展する。
抗争になれば、一般住民が巻き込まれる可能性も大いに出てくる。
近年、抗争事件で住民が巻き込まれて死亡する事件も決して珍しくない。
今時のヤクザはカタギに手を出さないという古い任侠映画のような信念や心情は一切ない。
いかに多く組に上納金を入れるか、いかに敵勢力を潰すかが昇進の鍵だ。
そんなヤクザ達が抗争を起こせばどう なるか?
街は戦争となるだろう。




「自分の実力を知りたい気持ちをあなたは悪い方向に使ってしまった。
何かの信念があるわけじゃない。ただ強くありたい、正義を振りかざして悪人を倒す・・・。
そんな時代劇の観念だけで剣を振るうのは、今の時代では間違いよ。
世の中、勧善懲悪で成り立っているわけではないのよ」




「・・・なら、あんたのしている事はなんなのさ?
アンタは妖魔と手を組んで、この世界をどうする気なのさ?
それが正しい行いだというの?」




「正しい、正しくないを判断するのは後世の人間よ。
私は己の野望の為にこの力を使うまでよ。
あなたには何もない。
何もないから実力がつかないままなの。
だから、中途半端のままな のよ。
どんなに才能豊かで経験豊富だとしても、それでは意味を成さない。
自分の信念がなければ、木刀でも真剣でも本当の切れ味は生まれない。
あなたと私が違うのは、そういった心の部分よ」




「・・・・・・」




芳江は足をどかす。
代わりに良子の首へ木刀を向ける。
それはまるで死刑執行人のようだ。
良子は芳江の木刀がギロチンのように見えた。
ここが最後だろうか。



「私は親としてあなたには何もしてあげられなかった。
その償いとして、楽に殺してあげましょう。
来世で会える事を祈ってるわ、良子ちゃん」




「・・・・」




芳江は木刀を振り上げ、それを良子の首に向けて一直線に振り落とす。
死刑執行のギロチンが落と されたのだ。
それは見事に命中したかのように見えた。
芳江も初めはそう思ったが・・・。



「なっ・・・」



良子は首を横に向け、辛うじて芳江の木刀をかわした。
そこから反でんぐり返しの体制を取る。
驚く芳江を余所にそこから勢いで両足を芳江の首に絡める。
芳江は振りほどこうとするが、がっちり締まっている。
良子は芳江の説教を聞きながら考えていた。
そして、自分の足が芳江の首をきちんと絡めるタイミングを計算していた。
もちろん、絡めるだけで終わりではない。




「うらああああああああああああ!!!」



良子は絶叫の如く、雄叫びをあげた。
首を絡めたまま、そのまま芳江の頭を地面へと叩きつけた。
受身を取ることもできず、 重力と重なって脳天を直撃した芳江。
ただ落すだけでなく、威力をつけての脳天直下だ。
恐らく、かなりのダメージを受けたはずだ。






良子は痛みを我慢しながら、木刀を地面に突き刺す。
木刀を掴み、重心を預ける。
誰がどう見ても、辛うじて立っているという状態だった。
また、思った以上にびっしりと汗が吹き出ていた。
滝でシャワーを浴びたのが台無しだ。




「ふふふ・・・こんなプロレス技まで持っているのね、良子ちゃん」



芳江はゆっくりと立ち上がった。
少々ふらついてはいるようだが、芳江は笑みを浮かべている。
それは奇妙とも不気味ともとれる陰鬱な微笑。
苦しいのか、悲しいのか、楽しいのか・・・。
その表情だけでは判断がで きない。



「・・・剣術だけが、脳じゃ、ない・・・からね。色々な、技を、応用することも・・・
時には、必要、よ・・・」



といっても、苦肉の策だ。
相手が責めだけを考えていたからこそ、成功することができた。
もし相手が冷静だった場合、すぐにかわされてしまうだろう。
そして、そのまますぐに攻撃されてKO負けだ。
おまけに何度も使えない技でもある。
息を荒く吐きながら、途切れ途切れでも良子は言い切る。



「ふふふ・・・面白い。確かに結構効いたわ。
でも、実の母親を地面に叩きつけるなんて酷い娘ね」



「本気で、娘を、殺そうと、する母親も、どうかと、思うけど?
ちょっとは、手加減、しようって、親心は、ない、訳?」



良子は 尚も息を切らせながら、しかし相手に伝わるようにハッキリと一字一句を発音する。
そんな彼女を実の母親は虫けらを見るような見下した目で嘲笑する。



「ふふ・・・せっかくの娘との試合なんですもの。
本気で挑むのが親心よ」



二人は軽口を叩き合う。
それが心地よい。
二人は親子であり、別れてから13年という溝がある。
だが、今の二人に溝はない。
真剣勝負で戦う二人の心には、剣客としての心がある。
その魂が本気でぶつかり合うとき、二人の人生観も何も関係ない。
そこにはただ試合をしたい、相手を超えたい・・・。
そういったシンプルな気持ちだけがある。
それが赤々と燃え上がっていくのを感じる。
親子だろうが、なんだろうが関係ない。




「だけど、その体力じゃ歩くことすらままならないでしょうね。
木刀を振るう力さえあなたには残っていない。ううん、力はあっても
痛みが邪魔して思うように木刀を振れないのが正しいかもしれないわね」




「ぐ・・・」



その通りだった。
芳江の言葉は全て当たっていた。
プロの剣客は自分の太刀筋がどれだけ強力なのかを知っている。
どれだけの力でどれだけの威力を与えられたのか。
痛みを知っているからこそ、威力も知っている。
どれだけの威力かを知らずに剣を振るう者は初心者だ。
ただ力を振るうだけではなく、相手によって力量を調整する。
闇雲に力を振るうだけでは空回りするだけだ。
男性にはテストステロンという男性ホルモンがあり、それが支配 欲、性欲、征服欲などをかきたてている。
それを抑制する脳内物質のセロトニン値が暴力常習者には極めて低い。
だから野蛮な男達は人の痛みなど構わず、力の限りの暴行を尽くす事ができるのだ。
だが、女性はそうではない。
女性は極めて現実的である生き物だ。
暴力・支配欲などに頼らずとも、理性的に戦うことができる。
男より力で劣る分、頭脳で男を上回ることができるのだ。
恐らく、芳江は実力の10分の1ですら出していないのだろう。
それぐらいで十分の相手だと思われているのだ。
本気で戦う程の価値などないということだ。




「さあ、そろそろお遊びも終わりね。
死ぬよりも辛い苦痛を味わってもらうわ」




「・・・フン。余裕ぶっこいてんじゃないわ よ、オバサン。
今時の若者を甘く見られちゃ困るね・・・」



良子は不敵な笑みを浮かべる。
オバサンの部分に反応したのか、芳江の顔が少し険しくなる。



「・・・言っておくけど、まだ34歳よ。オバサンなんて言われる歳じゃないわ」



険のある言い方の芳江。
良子はそれを気にせず、寧ろ不気味に笑う。




「・・・余裕ぶっこいてんのも今の内だよ。
この勝負、ウチが勝つから」




良子の言葉に芳江は鼻で笑う。




「・・・そんな身体で何を言ってるの?
もうフラフラじゃないの。いい加減、諦めなさい。
あなたが勝つ要素は万に一つもないわ。
ハッタリも大概にする事ね」



「そんな古い考えだからオバサンなのよ。
若者はね、ど んな状況でも諦めちゃいけないんだ。
吐いてでも、這いつくばっても、逃げずに、諦めずに、
一ミリでも、ただただ前へと進む事だけを考えなくちゃいけない。
でなきゃ、その先にある勝利も喜びも勝ち取れないからね」




良子は笑みをこぼす。
それは決して作り笑顔ではなく、心の底からの笑みだった。
芳江はそれに強い疑問符を覚える。
良子にはお世辞にも体力が残っているとはいえず、立っているだけでも精一杯だ。
芳江自身、彼女にどれだけのダメージを与えるか計算して攻撃を加えた。
それなのに、何故笑みを浮かべることができる?
こんな状況なのに諦めていないのか?
・・・いや、そんなことはないはずだ。
これはきっとハッタリなのだろう。
大口を叩くだ け叩いて、自身のモチベーションを上げているのだろう。
それで少しでもやる気と活力を出そうとしているのかもしれない・・・。
こちらを激昂させるような事を言ったのも、それを悟らせないためだ。
そう考えると辻褄が合う。
芳江は早々に結論を出し、早期に決着をつける事を決めた。
良子の体力が少ないとはいえ、モチベーションを回復されるのはやっかいだ。
自分自身強がってはいるものの、ダメージが全くない訳ではない。
決着さえつければ、良子は何も言わなくなるはずだ。
格の違いを見せてやるしかない。



「・・・少し黙っていなさい。今すぐ、楽にさせてあげるわ!」



芳江は駆け出し、木刀を振るう。
それは見事、良子に命中したかに見えた。
だが、良 子はそれを寸前の所でかわしている。




「夜叉神桜刃流・霞幻影(かすみげんえい)!」



突如、芳江の目の前に良子が三人になる。
いや、三人とは言っても幻影・・・つまり分身だ。
この中の一人が本物の良子なのは間違いない。
芳江は一大きく木刀を横に振るい、幻影を三体いっぺんに切り裂く。
幻影は簡単に切り裂かれ、影のように消えていく。
だが、その中に良子はいなかった。



「だから言ったでしょ。そんな古い考えだからオバサンだって」



その声は芳江のすぐ背後から聞こえた。
しかし、芳江が振り向く暇はなかった。



「夜叉神桜刃流奥義・天龍剣!」


天の構えから良子は一気に木刀を振り落とす。
激痛が芳江を襲うが、痛みを感じる 暇もない。
何故なら、それと同時に消えたはずの良子の分身が再び芳江の前に現れ、
現物の良子と同じように木刀を振り落とすからだ。
影に実態はないから、例え切り裂かれても死んだわけではない。
良子が生きている限り、影は生き続ける。
四人全ての剣が龍を落すかの如く、芳江を切り裂く。
芳江は前後両方から切り裂かれる羽目になった。









「やるわね・・・良子ちゃん」


芳江は強烈なダメージを背負いながらも自力で立っていた。
だが、目は座っており、気を抜けばすぐにでも倒れてしまいそうなほどだった。



「そいつはどうも・・・」


だが、それは良子も同じだ。
幻影から天龍剣までの一連の技で、良子の体力は限界の限界まで力を出し 切った。
良子はついに立っていられず、座り込む。
木にもたれながら、息を荒く吐いている。
もはや、立つ気力はない。
木刀を握る力さえ残っていない。
おまけに芳江から受けた攻撃が痛みを増し、全身が強烈な痛覚に襲われる。



「う・・・あああ・・・ああ・・・」



「良子ちゃん・・・」




芳江はそっと良子に近づき、何かを準備している。




「・・・なにやってんのよ。死ぬよりも、辛い苦痛を味あわせるんでしょ?
もう、ウチは動けない。煮るなり焼くなり、好きにすればいいでしょ・・・」



「じっとしてて」



芳江はまず出血した部分を確認する。
良子は腕と足、顔面の額の部分から出血していた。
大出血という量でもないが、放っ ておくと破傷風など危険が伴う。
まず、患部を持ってきている綺麗な水でできるだけ清潔にする。
川の水だと雑菌が混ざっていて危険なので使用しない。



「うっ・・・」



「しみるけど、我慢して」



その後で消毒薬を消毒し、大きい出血の部分には滅菌ガーゼを使う。
すぐに収まらない出血は直接圧迫して止血した方が効果があるからだ。
細かな傷の部分には絆創膏を貼って対処しておく。
また打撲の跡には冷やしたタオルで患部を冷やす。




「感覚が戻ったら、冷やすのやめればいいわ。これを三回繰り返せば大丈夫のはずよ。
後で医者に見てもらうことね」




「・・・お母さん、なんでそんなに優しいの?
ウチを殺したいんじゃないの?
お母さん はウチの事・・・どう思ってるの?」



それは良子がずっと胸に秘めていた疑問だった。
母にとって自分は何なのか。
何故、自分を染井に預けて出て行ったのか・・・・。
良子は何度もその事を自分なりに考えてきた。
自分の事が嫌いなのか?
愛してくれていたのか?
事情があったとして、何の事情があったのか?
だが、その答えはわからないままだった。
わからないまま、その疑問は氷解せず、逆に大きくなっていく。
年齢を重ねれば重ねるほどに・・・。
世の中には子供を愛さない、愛せない母親が大勢いる。
2歳の娘を放置してSNSサイトに没頭し、娘を餓死させた母親。
産んだものの、どうしていいかわからず、コインロッカーへ放置
する母親。しつけの為と暴行し 、子供を殺してしまう母親・・・。
全ての母親がこんな母親というわけではない。
だが、こんな事件が日常化してしまうほどに「子供」のままの親が多すぎる。
何故、自分の腹を痛めた子供を殺したり、放置したままに出来るのか・・・。
良子には全くもって理解できない。
そんな悲惨なニュースを見るたび、良子は想った。
母親は何故、染井に自分を預けたのか?
事情があるのか?
愛してくれていたのか?
どうでもいい存在だったから預けたのか?
どうして、父親は行方不明のままなのか?
良子は次々心に浮かぶ疑問をまだ心に押さえつけ、母の言葉を静かに待つ。




「・・・よく聞きなさい、良子ちゃん。
私は母親失格で最低な人間の一人。
あなたを自分の友人に 預けて育児放棄した。
だけどね、これだけは自身をもって言えるわ。
あなたのことを忘れた事はただの一度もない」




「・・・え?」




「昨今の若い世代の親は、平気で虐待や育児放棄をしている。
ニュースになっているのはごく一部で、実際には親で悩んだり
苦しんだりしている子供達はもっと大勢いるでしょうね。
けれど、私と彼女たちには明確に違う部分がある。
それはあなたを愛している事」




芳江はそっと良子の髪を撫でる。
その瞳は優しく、穏やかな表情をしている。
先ほどの修羅のような顔がまるで嘘のようだ。
今はどこにでもいる優しい、ごく普通の母親の顔である。




「あなたを愛している事は天地神明に誓って間違いのないことよ 。
けれど、その誓いほどの愛情をあなたに注ぐことはできないわ。
だから、母親失格の烙印を押されたままなのよ・・・」




「じゃあ、ウチを愛している証拠を見せてよ。
失格だの、資格だの・・・判断する権利は娘にあるはずよ。
今のままじゃ、屁理屈こねてるだけだと思うわ。
違う?」




「どう解釈しようがあなたの勝手よ。
きっと、愚かな母を蔑んできたでしょうね。
たとえ呪っていたとしても構わないわ。
たとえ母親失格だとしても・・・我が野望を達成するまでは
私はあなたを抱くことはできない」




「なんなのよ、野望って・・・。
それが娘を愛するよりも大事な事だっていうの!?」




良子は激昂した。
だが、対照的に芳江は涼し げな顔をしている。




「私はこの世界を破壊する。
一度破壊し、その上に新たな世界を創造するの。
そこには選ばれた者のみが住むことができる世界。
悲しみも苦しみもない、楽園の世界を。
それが私の野望であり、悲願・・・」




「な・・・・」



良子には意味が理解できなかった。
いや、言葉上の意味は理解できる。
世界を破壊する?
その上に新しい世界を創造する?
そんな神のような偉業を人が行うというのか?
芳江は娘を愛することよりも、そんな事が大事な事だというのか?




「きっと信じられないでしょうね。
でも、私は本気よ。方法も全てわかっている。
だけど、幾つかの要素がまだ不足しているわ。
けれど、それはもうすぐ揃う 。
新たな世界の扉は既に開きつつあるわ」




「意味わかんない・・・。
たった一人の娘を愛せない貴女に他人を幸せになんかできるはずがないわ。
仮に新たな世界が創造されたとして、あんたの言う選ばれた民を
あなたは愛する事ができるというの?」




「・・・・」




芳江は何もいわない。
何か言葉を選んでいるのか、ただ黙って俯いている。
その瞳は見えず、彼女が何を考えているのか良子にはわからなかった。
芳江は良子に背を向けた。



「お喋りはここまでにしましょう。
この母を止めたければ、私を殺すつもりで来なさい。
生半可な覚悟じゃ、あなたが死ぬだけよ。
また会いましょう、良子ちゃん」




そのまま芳江はゆっくりと歩 いていく。
いけない。
このままでは、母との会話が途切れてしまう。
良子はなんとか立ち上がり、声をかけようとするが、倒れてしまう。
体力の圧倒的な不足と怪我のせいで、歩くことすらままならないのだ。
母の背中は次第に遠くなっていく。
それはかつて自分を染井の家に置いていった時のあの背中とシンクロする。
「すぐに迎えに来るわ」と言い残し、二度と戻ってこなかった母。
そんな母とようやく再会出来たというのに・・・。




「おかあさああああああああああああああああああああああああん!!!!!」







良子の悲鳴にも似た叫びに芳江は振り向くことなく、やがて消えていった。













それから数分後。
何かの 機械音が聞こえてきた。
それは映画なんかで聞く、ヘリのローターブレードの回転音だ。
ヘリから砂浜付近に到着し、そこから良子の見知った人間が次々と現れ、一目散に良子の元へやってきた。



「良子センパイ!」
「良子!」
「良子さん!」
「りょうこ!」



「みんな・・・」




良子は何か言葉をかけようとした。
だが、脳に考える力が無い。
なんだか、考えようとしても頭が真っ白になってしまう。
そして、そのまま意識が途切れた。
糸が切れたかのように、良子は気を失った・・・。




















































































































          

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