僕と狼姉様の十五夜幻想物語 ー温泉旅館から始まる少し破廉恥な非日常ー

稲荷一等兵

第5節—銀狼様の墓参り—

「さて、では我が家の息子の帰宅と」
「銀狼様を歓迎して」
「かんぱーい!」
「おお、乾杯じゃ」

 グラス同士がぶつかる。小気味良い音と共に、少し遅めの夕食が始まった。乾杯と言ってぶつけたグラスの中身のお茶を、ぐいっと飲み干して。
 久々の家族と、そして初めましての神様と、美味しい豪華な料理を食べて。どんどん膨らむ会話に、食卓はどんどん華やかさを増していってた。

「東京ってどんなところだった? 楽しかったの?」
「楽しかったよ。すごい華やかだったし、少し移動するだけで高いビルばっかり並んでたりしちゃって。でもなんだろうな、地元だからっていうのもあるんだろうけど、やっぱりここが一番しっくりくるよ」

 おじいちゃん、おばあちゃんの家は、都会によくある綺麗で現代的な家じゃなかったんだ。和風建築の、古い素朴な家。だから、違和感なく過ごせてたんだけどね。

「ほう、食物の中では肉が一番かと思っておったが、葉の物もいけるのう。味付けが良いのじゃな」
「銀狼様に褒めていただけると、誇らしいですねぇ」

 随分と分かりやすい、どや顔をした母さんがおかしくて、僕はけらけらと笑う。料理の一品一品に、銀露はいちいち感想を言ってた。そんな中、伊代姉は僕の口についた米粒を、すっと指でとって食べちゃった。恥ずかしくて顔を真っ赤にする僕を見て、にやにやと笑みを浮かべたり。

 伊代姉が、弓道部の一年の中では、ダントツの腕を見せてるって話を改めて母さんがした。余計なこと言わないでって、今度は伊代姉が顔を真っ赤にしたり。

 そんな楽しげな会話を、料理を食べ終えて満足している銀露は、微笑ましそうに眺めてた。

(京矢のやつめ、随分と幸せそうな家族を残したようじゃの)



 ーー……彼女は、この食卓に置かれた四つの椅子の一つに座っている。先程、柊一家の三人がしていた話から、この場所は本来柊京矢が座っていた席だと知った。ここに、彼が居れば、だ。自分はここに来る事もなかったのかと、複雑な心境で居住まいを正す。

 千草、伊代、そしてその二人の母、千鶴。そこに京矢が居れば、どのような話をしていただろうか。そんなことを思っていると。

「銀露って、本当に綺麗な髪してるよね」
「うん?」

ーー……。


 食事が終わって、主賓はゆっくり休んでなさいなんて言われた。せっかく、後片付けを手伝おうと思ったのに、伊代姉と母さんに手伝いを断られたんだ。仕方ないから僕は、リビングに銀露と並んで、おとなしく座った。膨れたお腹をさすりながら、食事の余韻に浸ってたんだ。で、ふと銀露の綺麗な銀色の髪が気になって、そんなことを言ってしまっていた。

「くふふ、自慢の毛じゃ。褒めるところをわかっておるのう、ぬし」

 銀露の頭のお耳がぴこぴこと跳ねた。その上、尻尾が振られ、ぱたぱたと床に当たって音を立ててる。
 よし、うまくご機嫌を取れたみたいだ。よし、僕の目的を、うまくぶっこむことができるかもしれないぞ……。

 そう、銀露のあの柔らかそうで、暖かそうな立派な尻尾。それを、もふもふとさせてもらうという目的を!

「銀露、ちょっと気になってたんだけどね、その尻尾触らせてもらっても」
「だめじゃ」
「ううっ、そんな食い気味に断らなくてもっ」

 ダメだった! かなりキッパリと断られたんだけど……、何故だろう。いやまぁ、尻尾が大切なところだっていうのはわかるよ。でも、ちょっと、ちょっとだけもふりたいだけなんだよ。

「じゃあその頭のお耳は」
「いやじゃ」
「くっ、やっぱりダメなのか……」
「儂のこの尻尾と耳は、狼としての誇りじゃ。そう軽々しく触れてよいものではないのじゃぞ。どうしてもというなら、そうじゃな……交換条件として」

 そこで銀露は床に手をつきながら、僕の耳に、その艶やかな唇を寄せて甘い吐息を漂わせながら、妖しく囁いた。

「ぬしを一夜ひとよ、可愛がらせてもらえるというのなら……考えんでもないがのう……?」
「うわわっわわ」
「くふふ、愛いのう。お顔が真っ赤じゃぞ」

 ダメだぁ、完全にからかわれちゃってらー! なんだよ、この狼様いちいち色気があるんだもの! 銀露は慌てる僕が面白いのか、にやにやと悪戯な笑みを浮かべるばかり。
 うう……、これじゃあ銀露の尻尾をモフれるのは、随分先になりそうだなぁ。

「儂は世話の焼けそうな、愛らしいは好きじゃぞ。イジメてもよし、可愛がってもよし、尻に敷いてもよしの捨てるとこ無しじゃ」
「僕そこまでなよなよしてないよ、多分……」
「存分に、儂を頼れということじゃ。面倒ごとはあまり好きではないが、頼られること自体は悪く思わんからの」

 これから僕は、銀露に色々と頼ることになるんだろうか。といっても、そうそう神様に頼るほど困ることなんて、普通に暮らしていればないと思う……のだけど。
 いや、そういうことじゃないんだろうな。父さんが、母さんや伊代姉だけじゃなくて、銀狼様にも僕をお願いしたってことはだ。きっと、何かを案じてのことなんだ。
 そしてそれは多分、僕が東京に行かされたこととも繋がってるんだろう。

「それはそうと千草」
「なに?」
「京矢の墓はどこにある? この近くなのじゃろ?」
「そうだよ、どうしてわかったの?」

 本来、お墓ってものは霊園なんかに建てるものだ。家の敷地に建てるものじゃないはず。近くにあるかどうか、確信を持って言う銀露には、少し驚かされた。
 父さんのお墓の場所は僕、言ってなかったんだけどな。

「案内してもらえると助かるのじゃが。少し、つらを合わせておこうと思うての」
「いいよ、じゃあこっちにきて」

 僕は、伊代姉と母さんに、どこに行くのか伝えてから、再び池の飛び地にある、父さんのお墓のところへ行くことになった。
 明るい時とは違って今は夜。耳をくすぐる虫の音と、足元を照らす灯篭。その、暖色の灯り。
 雪駄の底が、石畳を叩く音が二つ、虫の音を分けながら進んでいく。
 この風情ある雰囲気がなんとも言えない。東京にいた時は、どこもかしこも人工の光でキラキラしていたから。
 このやんわり、まったりとしていて、涼しげなこの環境が。心に沁みてとても心地いい。

「ここだよ、この飛び石を渡った先にあるのが父さんのお墓」
「ふむ」

 僕が先に池にある飛び石を渡っていく。と、それに続くように銀露も渡ってきた。父さんの墓を見るや否や、立派な墓石を建てたなと感心していた。

 銀露は、お墓の前で手をあわせることも、しゃがむこともしない。ただ、墓石を見下ろしながら、胸元からするりと何か取り出した。長細くて、先が丸くなってる……。これは、おじいちゃんも使ってたぞ。

「それ、煙管きせる?」
「うむ、よく知っておるな。今では使わんのじゃろ?」
「おじいちゃんが使ってたんだ。すーぱっぱ、すーぱっぱって。えへ」

 煙管を吸うおじいちゃんの真似をして、照れ笑いした僕を見て、笑う銀露。銀露の煙管は見るからに高級そうな物だ。火皿、雁首がんくび、吸い口は銀、羅宇らう黒檀こくたんでできていているみたい。それを少し、右手でもてあそんでから、左手人差し指に灯った、銀色の火を火皿の上に持っていく。
 とても綺麗な火だ。長く見つめていると、魅入られてその場から動けなくなるくらいに。
 現実からの逃避を促す、小さく揺らめいているその銀色の火。それは、すとんと火皿に落とされて、一際大きな輝きを見せた後消えた。そのあと、ふわりと紫煙を漂わせてる。どういう構造になってるんだろう。
 刻んだ草も入れてないし、煙草盆いらずなんだな。そういえば、おじいちゃんが吸っているときは、火入れの中で赤くなる炭を眺めるのが好きだったなあ。

 悠々となまめかしい口に、咥えて離す。すぅっと細く吐き出される銀色の紫煙は、風に流されて墓石の向こうに消えていく。

「……ふん、挨拶もなしに逝きおって」
「……」

 ぼそりとそう呟いた銀露。僕は、何も言うことができなかった。多分、その言葉にはいろんな感情が込められていたんだと思う。

「銀露は父さんの事好きだったの?」
「くふふ、馬鹿を言うでないわ。言ったじゃろ、こやつとはただの呑み仲じゃ。ただの退屈しのぎ、話し弾みこそすれそういった感情は全くなかったのう。それにこやつは儂の好みではなかったからの。まぁ、不思議な間柄であったことは間違いないが」

 そこになんの動揺も見られなかった。銀露の言っていることは、紛れもない事実なんだろう。また銀露は、煙管の吸口を咥えて煙をくすぶららせる。
 その、様になっている動作がなんだか切なげだ。目を細めて墓石を見下ろす彼女は、どこか泣いているように見えたんだ。

「少し冷えるのう。風邪をひいてはいかん、ぬしは先に戻っておいてくれんか?」
「あ……うん」

 少し一人にしてほしい。素直に、そう言えばいいのに。下手に気を遣っちゃってくれるものだから、僕も曖昧な返事しか返せなかった。僕から気を遣えよって話なんだけれどね。
 ここで断る理由もないから、僕は素直に返事して、ここから立ち去ることにする。銀露にも、呑み仲間に積もる話があるんだろう。



「かか、素直なよい子じゃ。遥か昔、儂への贄として差し出されたどのより愛らしいわ。まだ中身までは把握できておらんが、あの様子じゃと、きっと清らかで無垢なのじゃろうの。京矢」

 目を閉じ、まるで話し相手がその墓石に居るかのように独り言。銀露自身、それをわかっていながら、思うところをつらつらと言葉にし。

「しかし、確かにあの子は普通ではないの。ぬしが儂に頼ったのも納得がいく」

 何が普通ではないのか。それは具体的に言い表さなかったが、彼女はどこか楽しげに、表情をほころばせ。

わしもまた、こうして人里を歩ける日が来るとは思っておらなんだ。その点においては感謝せねばならんな。ちょうど退屈しておったところじゃ。また、霊酒れいしゅでも入れば馳走ちそうしてやろう」

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