自転車が回転して、世界が変わった日

ノベルバユーザー173744

親子は仲良く帰っていこうとしていました……。

 一応、妊婦と目の不自由な義父の散歩には、警護の者が同行していた。

 彼らも、当初は遊亀ゆうきを不思議に思っていたが、穏やかな時にはニコニコと好奇心旺盛で問いかける当主の嫁に、

「奥さまだからなぁ……」
「お転婆と言うよりも、可愛らしい」
「無邪気と言うか、考え方が面白い」

と笑う。
 時折見せる寂しげな表情に、当主の安成やすなりは、ただ抱き締めて庭を眺める。
 その姿は、年齢が逆転したようであり……それでいて、安成の少々物足りなさを成長させ、貫禄と言うか落ち着きをもたらすようになった。

「若君は、お強くなられた……」
「本当に……」

と、護衛は急に周囲の気配に剣を抜いた。



「……皆。遊亀をよくよく頼む」

 祝言の前夜に、安成は両親と家の者を集めた。

「遊亀は、お社の神……の御使い。この島を狙う不届きな輩を知り、駆けつけた。水無月……周防すおうより敵が参る」
「周防‼」
「大内か‼」

 周防……現在の山口県を中心に勢力を持つ大内氏……。
 大内氏は、京の都とも繋がりが深く、現在の乱れた幕府を潰し、自ら権力を掌握したいと思っている。

 しかし、京の都からは遠く、陸の道には侮りがたい存在が立ちはだかる。

 当時は、安芸あき……現在の広島には毛利元就もうりもとなりがおり、元は、尼子氏あまごしと手を結んでいた元就は、大内氏と当時よりも10年ほど前に手を結ぶ。

 元就は元々は、さほど有力な大名ではなかったが、父と兄、兄の息子である甥を支え、直系が途絶えた跡を継ぎ、戦乱を乗り越え生き抜いた強かな、知恵のある大名である。
 明応6年(1497年)に生まれた彼は、現在(1541年)数えで45才。
 老齢に向かいつつも、有名な3人の息子、隆元たかもと元春もとはる隆景たかかげと、周囲の豪族との婚姻関係等を用い着々と実力をつけていた。

 遊亀は、毛利や、次男の元春が養子に入った、元就の妻……戒名が妙玖みょうきゅうとある為、妙玖夫人と後年呼ばれる……彼女の実家の吉川、三男の隆景は、村上程では無いものの有力な水軍、小早川家に婿養子に入った、そこについては触れていなかった。
 しかし、大内氏がここを攻めるとなると、毛利氏が加わっている可能性があると安成は思い出したのである。
 そして密かに調べたが、こちらは出てくる気配はない。
 だが出ては来ないが、領地を通し、そちら側からも攻め込んでくる可能性がある。

「鶴姫様は……皆、噂をしているとおり、海を渡り、彼の者と駆け落ちをした。行方は解らぬ。遊亀は入れ替わるようにして、ここに参った。しかし、戻るすべも判らず、それでいて私の我儘を……」

 一瞬、目を伏せたが、顔をあげる。

「……私は弱い。そして愚かだ。皆に甘え、それでいいと思っていた。だが今日、皆を集めたのは、頼みがある‼」

 周囲を見回す。

「遊亀は、この地を思ってくれている。皆の事もまだ慣れていないのと、人見知りではあるが仲良くしたいと思っている。平穏を願う人だ」

 安成は告げる。

「この島の者の事を考えられる人だ……だから、見守ってあげてくれ。とても繊細で臆病で、寂しがりで……可愛い人だ」
「見守るというのは……」

 遊亀の傍に仕えることになる侍女のせんは、恐る恐る問いかける。

「怒ったりはしないであげて欲しい。焦るとどうしよう、どうしようと益々混乱して、泣きじゃくる。何か困っていたらそっと、『どうしましたか?』と聞いてあげて欲しい。最初はそうしてあげていると、せんには聞いても大丈夫と安心して慣れてくると思う。せんは、遊亀とさほど年も変わらない。よろしく頼む」
「はぁ?えと、私は、三十路ですが……?」
「遊亀は、今年30だ」
「えぇぇ‼あの……あの、本当に?あの、クリクリした瞳の……」

 どよめく。

 祝言前に挨拶をと家中歩き回り、挨拶をしていた遊亀は、丸顔で大きな瞳の女性である。
 女性と言っても、年齢は良く判らず、皆口々に幾つだろうかと言っていたのだが……。

「本当に30なんだ。だからよくよく頼む……」
「は、はい」



 最初は戸惑ったものの、慣れると普通の……と言うよりも、姫君ではない女性に慣れてきており、その上義理の両親や、働き手にすら気を使う遊亀を慕うようになり……。

「遊亀‼」
「お父さん!」

 義父に抱きすくめられ、ぎょっとする。

「……何をしよるぞ……どこのもんや‼」
「……亀松かめまつ。この俺に無礼だぞ‼」
「……あぁ、安房やすふさか……物騒な、何ゃこれは‼」

 海の男である亀松の声に、安房は一瞬怯むが、

「お前が、この俺にそんな口を……」
大祝職様おおほうりしょくさまは、『安房はここの者ではない‼この鶴が私の娘』そういわれとった‼海の男として戦いもせず、何をしとるんぞ‼しかも、わしらに‼」
「五月蠅い‼この女は鶴ではないわ‼偽物の女‼殺してくれる‼どけ‼」

亀松は遊亀を後ろにかばう。

「逃げえ‼お前は、逃げるんや‼」
「お父さん‼いかん‼」
「言うことを聞け‼はよ‼いかんか‼」
「お父さん‼行けん‼絶対にいかん‼」

 後ろからしがみつき叫ぶ遊亀の耳に、2騎の馬の蹄の音が近づいてくる。
 敵かと振り返ると、

「何をしている‼」

という鋭い声が響いた。
 兄の安舍やすおくと安成である。

「父上‼ゆ……鶴‼」
「安成‼」
「皆‼父上と鶴を‼社まで‼いいか?行け‼」
「は、はい‼参りましょう‼」

 数人の手練れのみが残り、後は、親子を守り去っていく。

「……何をしに参った。逃げた者が」
「兄上‼あの女は‼」
「鶴がどうした。大祝職様はおっしゃられたはずだ。そなたは海に向かえと。命に背いた人間がのうのうと戻ってくるでない‼海に向かい、船団を率いる訓練をするがいい‼出来ぬなら去れ‼」
「……あの女にたぶらかされたか‼この島は‼」
「何?」

 安舍は弟を見下ろす。
 見た目は温厚で穏やかな安舍だが、本物の鶴が生まれる2年前には初陣を果たした、それなりの腕の持ち主である。
 幾ら身を清め、神に仕える神職であろうと、自らや周囲に火の粉を被る時には刀を佩き、鎧をまとうのに些かの躊躇いもない。
 荒くれ者の海の男と対等に向かい合うには、温厚さと厳しさ両方が必要なのだ。

 安房は、安舍のように戦い抜いた経験はない。
 戦いとは、生き抜く為のものであって、乱暴を働き、周囲が眉をひそめるものではない。
 生きるか死ぬか……それすら解らないのか?
 まだ若い安成ですら知っているのに……。
 安舍は嘲るように笑う。

「愚かな……これが、私の弟とはな……」
「何を‼」
「……私と安成、この2騎で、来ている訳がなかろう?皆‼」

 ザザッ!

物陰から現れたのは、弓を構える者と、刀を抜いた兵たち。

「この者共‼捕らえるに値せぬ、神に刃を向けし者ども‼行け‼」

 安舍の声に、刀をすでに抜いていた安成が、馬を走らせたのだった。

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