魔術屋のお戯れ

神無乃愛

初出社


 一週間ほど、店と四条院との関係や、勤務方法などを突き詰めていき、あっという間に時間は過ぎた。


 あけて翌週。
 夏姫は自分が用意したスーツを着て、初出社である。

 事の起こりは、先週の金曜日。
 紅蓮の部下という女性と男性が大量の袋を持って店に来た。
 どうやら、あちらでの夏姫の「制服」らしい。
 紅蓮の趣味が満載なスーツに嫌気がさした夏姫は、たまたま、、、、来ていた葛葉にお願いをした。
 数着でいい、スーツを見立てて欲しいと。
 ところが、葛葉はそれを拒否。その為、適当なロープライスの店に入り数点スーツを購入した。勿論、中のインナーもだ。

 まず、会社の前で立ち止まった。
 規模が大きすぎる。

 固まっていると、こっそり獏が夏姫を促してくれた。それに勇気付けられるように中に入って、再度硬直。
 硬直していたら、「社員証の提示を」と求められたが、そんなもの預かっていない。
 守衛室に引きずられそうになったところで、杏里と杏里より少し年上の男に助けられた。
「ありがとうございます」
「社員証渡してないって、紅蓮どういうつもりなんだ?」
 杏里が呟き、もう一人の男の方を見るが、男は渡されたものをしっかり見ていないんじゃないかと言い出した。
 一応、休みのうちにもらったもの全てに目を通した。その中に社員証なんて崇高なものは何一つなかった。
「樹杏様」
 もう一人の男の傍に控えていた男が唐突に声をかけてきた。
「紅蓮様は社員証を渡していないそうです。メールで一緒に出社する旨送ったそうですが」
 週末から夏姫は一切携帯に触れていない。当然知るわけがない情報だ。
「……携帯もう少し使おうや。紅蓮はアレだな、嫌がらせに取られてもおかしくない行動だぞ」
 杏里の言葉にもう一人の男はこめかみに指をあてていた。
「兄貴、説教は……」
「紅蓮にするに決まっているだろうが。阿呆か。紅蓮は大学に行ってからの出社、それでは通常勤務の人間は間に合わん」
 そこまで言って、男は夏姫を見すえてきた。
「報告を聞くとお前は他者の顔を名前を覚えるのが苦手だそうだな。一度白銀の呪術師の店で紹介してもらったが、再度名前を名乗る。二度と名乗らんから、覚えておけ。四条院 樹杏。関東地方と海外部門の責任者だ。そして、俺の秘書の……」
城家 冬太じょうけ とうたと申します。お見知りおきを」
 にこやかに、そして不敵に二人は笑った。
「紅蓮が来るまで、俺のところで仕事してろ」
「分かりました」
 というわけで、夏姫は冬太に色々教えてもらう羽目になった。

 昼過ぎに樹杏の使う部屋から怒鳴り声が聞こえた。
「城家さん、勤務中にあれでいいんですか?」
「いつものことですよ。俺が呼び捨てに慣れていても山村さんが難しいでしょうね。……まぁ、時として俺のことはフルネームで呼ばないと分からないことも多いです。最たる例が紫苑様の『守役』も杏里様の『守役』も姓は『城家』ですからね。だから、名前呼びが大きいわけです」
 こう言われたほうが、夏姫としても納得がいく。
「総括責任者の秘書様でいいですか?」
「……役職名でもいいと言いましたが、訂正します。フルネームのほうが呼びやすいですし、俺も背中がこそばゆくならなくて済みます。通常は苗字のみで結構です」
 それにしても丁寧すぎる言葉遣いだ。こちらまで必要ないくらいに丁寧になりそうだ。
「間もなく昼休憩も終わるんだが、兄貴の説教はまだ続くのか?」
「間違いなく続きますね。何せ紅蓮様が反省どころか、今回の行動のどこに悪い部分があったのかすら気付いておりませんから」
「……問題大有りだろ」
 杏里が呟き、冬太たちがため息をついた。
 紅蓮の行動は問題が多すぎた。夏姫にだって分かる。
 まずは、社員証を渡していなかったこと。これに関しては当日「メールで」とはいえ、紅蓮は連絡を寄越したが、時間帯が出社直前であった。そして、初出社の人間を自分の我侭で「重役出勤させようとした」ことである。
 この二点だけでも大問題だ。特に後者が。
 夏姫は「外の者」だ。だから、一般社員からだってやっかみを買う。それを少しでも抑えるために、紅蓮と一緒の出社が望ましいと判断したそうだが、夏姫たちから見れば逆効果である。
 しかも出社直後、夏姫の服装に物申したのだ。「どうして俺が用意した服を着てこないのか」と。
 それを発言した場所は、従業員も通る廊下。夏姫はにっこり笑って殴りそうになったところを杏里に助けられ、樹杏のいる部屋まで来た。そして、この状況に至るのだ。
「山村さん、紅蓮様から用意された服を着てこなくて正解です」
「同感だ。おそらく、それを見てもっと意味深な発言で苦労したぞ」
「……あんな派手な服要りません」
 三人は思い思いに口を開いた。
「冬太、こいつと組んで四条院の常識を今のうちに教えておけるか?」
「……ここを移動するわけにはいきませんから、無理ですね」
 意味の分からない会話を冬太と杏里がしていた。
「じゃあ、こいつだけでいいわ。四条院の常識、教えてやれ」
「かしこまりました。では、山村 夏姫さん。申し訳ありませんが秘書課に移動しましょう」
 現状、樹杏のところで働いていることになるのだ。ちらりと杏里をうかがうと、にこりと笑って頷いた。
「樹杏様には俺が言っておきます。本来は疾風の役目ですが、今回の件をみても紅蓮様の暴走すら抑えられないでしょう。となれば俺たちに回ってくるところですが、紅蓮様たちの再教育もありますので、お願いするしかありません。
 尚近なおちか、申し訳ありませんが、本日はよろしくお願いします」
「承知」
 ここで初めて冬太の後ろに控えていた男の名前を知った。そして、恐ろしいほどに気配がない。
 何せ冬太が声をかけるまで、夏姫は尚近の存在に気付かなかったのだ。

 またしても上層部の秘書、しかも今度は杏里のだ、と一緒に歩いているため悪意ある視線が夏姫に投げつけられた。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品