魔術屋のお戯れ
第三章――影と揺らぎ――その六
ぴきん。
夏姫が妖魔を抱きかかえた瞬間、ここにいる誰もが何もしていないのに、結界が発動した。
「白銀の旦那!」
黒龍がすぐさま剣を出し、結界を破ろうとしていた。
「やめろ、破れば夏姫もただでは済まない」
それにこれは夏姫を連れて行くため、もしくは夏姫に危害を加えるための結界ではない。
「サファイ、皆に茶の替えを。少し長くなりそうだからね」
葛葉の買ってきた茶菓子と共に、優雅にティータイムとなった。
気がついたら、聖どころか誰もいない。そして分からない空間にいた。
――我に名を――
どこからともなく声が響いた。
――我に名を。主の命の下、我、命の限り……――
きょろきょろと辺りを見回したが、声の主はどこにもいなかった。そして、腕の中にいたはずの妖魔の姿すらない。
――我に名を――
「誰?」
その瞬間、辺りは一瞬暗くなり、黒い霧が一つに集まった。そして巨大な犬の姿となっていく。
これが本来の妖魔の姿だと夏姫は瞬時に理解した。あの小型の犬は仮初の姿でしかないのだろう。
夏姫よりも大きな犬の足元へ夏姫は近づいていく。
何となくだが、触れてみたいと思ったのだ。触った感触は、狼なのかなと思うくらい毛が固かった。それになぜか心地いい。抱きかかえた時は冷たくて、どちらかといえば、かすみに触れているのかと思った。今は違う。
「あったかい……」
犬は伏せと取れる形で座り込んだ。
その腹部へ思わず顔をうずめた。
――我に名を――
声の主はこの犬だったのか。
「獏」
――我、主との盟約ここに有り。我、主の命の下、命の限り尽くさん――
妖魔が急に立ち上がったため夏姫はよろめいたが、すぐさま体勢を整え立ち上がった。
ぴきん。
何かの音がした。
「お帰り、夏姫。すでに夕飯だよ」
のんびりとくつろぐ聖と、緊張した面持ちの黒龍と、二人の違いにさてどうしたものかと迷う葛葉の三人がそこにいた。
「契約は無事完了したようだね。その妖魔も夏姫の『使い魔』だよ」
「にしても、でけぇな」
気がつくと獏の大きさは腰くらいまでに縮んでいたが、魔青とじゃれ付いていたときよりもかなり大きかった。
「もう少し小さくならないかな?」
「どうやって?」
「君が命じればそれでいいだろうに」
その言い方が気に食わない。命令するのが当たり前、その雰囲気に。
首を撫で、しゃがむとすぐさま獏は小さくなっていた。察したのだろう。
「何、食べるのかな」
その言葉に全員がこちらを見つめてきた。
「獏の好き嫌いってあるのかなって思ったんだけど」
「あ~の~なぁ~」
「基本的に妖魔は他者の気を餌にしてはいるよ。ただ、使い魔になった妖魔には餌はいらない」
黒龍の怒りを抑えるように聖が口にしていた。
「じゃあ、魔青は?あの時飲み物欲しいって駄々こねたけど。飲み物買うときだって黒龍は一切止めなかった」
「ありゃ、穏便に済ますためだ。瓶も割れそうなくらい暴れて……」
「だったら、飲食はするって事でしょ?今まで魔青はサファイと一緒に食事してるんだと思ってたけど」
「魔青はしない。私も不思議だよ。それを知ってるはずの黒龍がそれを了承したことの方が驚きだけどね。あの飲み物は君が欲しくて買ってきたと思っていたし」
「一般論としてですが、妖魔は私たちが食すようなものを食べたという記録もあります。妖魔の眷属によって色々ございますが、主たる餌はやはり我々の『気』です。『気』を夏姫さんが妖魔へ与え続けるのは無理がございます」
「普通の食べ物でいいって事?」
「ですから……基本的には……」
「あたしの『気』って事?それは無理があるんじゃ、やっぱり普通の食べ……」
「そもそも食わなくても平気なんだよ!妖魔は!!」
「食べなくても平気って事は、食べてもいいんでしょ?」
「……君の使い魔だ。好きにしなさい」
呆れた口調で聖が言った。
「あたしと同じものでいいのかな?」
「夏姫さん、さすがにそれは……」
「じゃあ、ドッグフードか」
今から買いに行くのは遅い気がする。
「聖……」
「前借りは来週にして欲しいね。それに、あともう少しで期日だよ。獏の分は君の給与から差し引いておくから」
言う前に全てを言われた。
その後、四条院へ連絡を入れるため黒龍が出て行った。
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