それはきっと、番外編。

些稚絃羽

俺は彼女の隣に(貴斗)

「だから……一緒にいよう。」
俺の独り言の様な呟きに、金城は何度も頷いてくれた。涙を拭う事さえしないから、顔ははっきり言ってぐちゃぐちゃ。でもそれを言ったらかなりの確率で怒るだろうから言わない。
本人からこの頃から好きだとか、そういう明確なものは聞いていない。俺も話してないけど。
でも、もしかしたら俺の事好きなんじゃないかって思ったのは、昨年の年末だったか。


***
Partnerでの部署の異動は12月中に社長によって思案される。入社1年目に配属される部署と2年目とでは異なる人の方が多いらしい。現に俺もそうだったし、金城もそうだ。
だがそこで異動した人は3年目の異動は殆どない。立花さんから聞いた話では1年目はその人の技量を見るために適当に配置して、その仕事ぶりを見てその人に合う部署を2年目から割り当てるらしい。つまり3年目は様子見で異動させない事が多いという事の様だ。
昨年の年末、社長に会った時に「来年も楽しみだな。」と声を掛けられた。来年もLTPだという事だったんだと思う。
そこで金城だ。
俺と社長が話しているのをたまたま見かけたらしい金城は、何やら不安げな面持ちで上目遣いに俺を見ていた。
「異動、するんですか?」
***


今考えればあの上目遣いの様な目線は、身長差の所為だったんだろうと察しがつく。そもそもそんな事をわざとしたら確実に本人が照れる。結構な恥ずかしがりだと、最近分かった。
でもそれを知らないあの時の俺は珍しい事に若干舞い上がっていた。下から見上げられる視線に照れも出てきて顔を背けながら、いや、とだけ言って否定した。
その返答を受けた金城がぱっと瞳を輝かせたから、俺の事好きなんじゃないかってその時思ったんだ。

正直今では分からない。冷静に考えてあの時はまだだったのではと思ったりもする。
だから本当は少し、俺も心配だ。あまり出さない様にはしてるけど、俺の気持ちを重いって思われないか。
金城が不安になると寂しくなるけど、不謹慎にも嬉しくもなる。不安に思う位、俺の事を好きでいてくれているんだと思うから。

好きになった時から今まで、絶対俺の方が長い。断言できる。
金城が俺を好きになってくれたのが予想通りの頃でも、もう少し前でも。それじゃ俺より1年は余裕で短いんだから。


***
受付の前で囲まれているにいるのは、LTPの金城という人じゃないか?
「キューピッドちゃん、やっぱりすごいんだなぁ。」
「いや、そんな事ないですよー。」
「でも今回は結婚だからね。諸賀もろがさんと峯内みねうちさんが2人して
 金城さんのおかげだって言ってたし。」
「そうそう。キューピッドちゃん本物だ、って思ったもん!」
「お二人の相性が良かっただけですよ。私はちょっとだけ
 口添えしただけですし。」
「でもこれで何件目?社外まで噂になりそうよね。」
「いっその事商売にしてもいけそうだな。」
「流石にそれは言い過ぎですからー。」
5人の男女の隙間から一際小さな女性が見える。やっぱりそうだ。あの背丈と頭の上の大きな団子。

ガラス張りのブースから廊下を眺めると、度々あの人を見かけていた。まぁ、LTPのブースの方が奥にあるんだから当たり前だけど。
全体的に見てコロコロした印象。俺から見れば身長は大分小さいし、丸顔に丸い目は何だか小さな子供を見ているみたいだし、あの大きな団子もその印象を強調している。
その人が通るとよく紺野さんが話し掛けに出て行っていたから、先輩だという事だけは分かっている。

それで今、受付の前で社員に囲まれて褒めちぎられているあの人は一体何者だ?
時折聞こえる「キューピッドちゃん」という単語。結婚の話。つまりは、社内で幾つものカップルを作ったって事だろうか。
……何かイメージと違うな。自分の事に一生懸命なタイプかと思ったら、人の事をよく見て橋渡しのできる人らしい。見た目で判断してはいけないと思うが、かなり意外だ。
どんな人なんだろう。幼い子供の様に純粋に楽しそうな笑顔を見ながら、俺はあの人の事が気になり始めていた。


それからというもの、気付けば観察する様に「金城沙希」という人物を目で追っていた。
同僚と楽しそうに笑ったり、落ち込む後輩を慰めたり、真剣な顔で上司の話を聞いたり……。どれも当たり前の、どこにでもある光景なのに彼女のその様だけを見ていた。それだけで少し気分が良かった。
同じ企画課であってもチームが違えば一緒に仕事をする事はまずない。フロアで挨拶を交わしたり、食堂や近くの店でばったり会うくらいしか交流はないと言う。実際俺は未だにあの人とフロアで挨拶をした覚えしかない。つまり個人的に接触しなければ知り合う機会は皆無という事。俺は知り合いたいと言うよりは、話をしてみたいという感覚だけれど。

聞くところによると俺は社内で話題になっているらしい。確かに先輩方からよく声を掛けられている。ただあの人が近付いて来た事は一度もない。
「竜胆さん、これお願いしますね。」
同期で同じくSLPに配属された菅野が書類を渡してくる。それを受け取りながら考える。菅野も確か、男性社員の間で話に上がっているのを聞いたな。
「なぁ、1つ聞いていいか?」
「はい、何でしょう?」
「LTPの金城さんと、話した事あるか?」
俺の質問に一瞬きょとんとした菅野は平然と、ありますよ、と答えた。あんのかよ。
「あ、でも紺野さんとお二人で話されている時にご紹介して
 もらった形ですけど。」
「そうか。」
紺野さん、そういう気が利かせられるなら俺にも効かせてください。それが無理ならその力、仕事に当ててください。
年下だけど先輩だし失礼とは思ったが、心の中ではっきりと言っておいた。
紺野さんは正直、仕事の要領が悪くて3分の1くらい俺の方に仕事が回ってくるんだ。しかもそれを嫌そうな目で見てくるし。あの人と頻繁に話してるし。……いや、別に深い意味はない。

俺も一度くらい、話がしてみたい。そう思っている内に何度かそのタイミングはやってきた。
挨拶は毎日していたと思う。おはようございますとか、お疲れ様ですとか。でも大抵彼女は誰かと一緒にいて、挨拶だけして俺の横を通り過ぎて行った。
ある日は俺が書類を落としてしまったらしく、それを拾って追いかけて来てくれた。
「落としましたよー。竜胆さん。」
振り返った先に彼女がいて、慌てて受け取った。
「すみません、ありがとうございます。」
「いえいえ。」
小さくお辞儀をする彼女にもう一言くらい掛けたかったけれど、駐車場で先輩が待っているのを思い出し、丁度エレベーターも来てしまった。彼女の方もブースの方から呼ばれて駆け出して行ったため、結局叶わなかった。
エレベーターに乗り込むと今の出来事を無意識に反芻する。そして、気付いた。
「名前、知られてた。」
***


名前というたった1つの情報でさえ、知ってもらえているのが特別な事に思えた。後ろ姿で俺だと気付いてくれたんだとか。ただずっと後になって先輩から、お前は背格好ですぐ分かるから便利だな、と言われた時に少しがっかりした。俺の名前を出すのは簡単な事だったんだと。
まだ真実に気付いていなかったその頃の俺は、名前を呼ばれたあの日からそれまで以上に彼女と話す機会を伺っていた。
そしてその日は突然やって来る。


***
「あ、おはようございまーす。」
快活な声が経理課のフロアに響く。その声は明らかに俺に向けられていた。
経理課に領収証の提出に来た俺は、用を済ませて企画課フロアに戻ろうというところ。エレベーターまで戻る途中で、同じく領収証の提出に来た彼女とばったりあったのだ。
「お、はようございます。」
彼女ももう戻るらしく、共にエレベーターを待っている。挨拶くらいでこんなに緊張したのは初めてだ。突然のタイミングに上手く対応ができない。エレベーターの扉が開く。
「竜胆さん……。」
降下し始めたエレベーターで名前を呼ばれる。
「その身長、少し私に分けてください!」
「え?」
何とも突拍子もない発言に固まる。身長分けてくださいって、何だそれは?
「私、高1で止まっちゃったんですよー。155cm。せめて、
 160は欲しかったなー。竜胆さんは幾つですか?」
「……185です。」
「いいなー。絶対景色違って見えますよね!」
機械音と共に扉が開いて、お先に失礼します、と彼女が出て行く。俺を見上げて最上級の笑顔を見せてくれた。閉まりかけた扉から慌てて出る。
結局自分は挨拶と身長を知らせただけで終わってしまったが、彼女が話し掛けてくれて俺にだけ向けた笑顔をくれた事がとてつもなく嬉しかった。
***


その時はまだ、好きかもしれないという程度だった。本当は既にかなり好きだったんだと思うが、自分の気持ちにそこまで追いついていなかった。
改めて気が付いたのは、それから1ヶ月程後。残暑の厳しい頃で、昼休みの殆ど誰もいないフロアでの事だ。よく覚えている。


***
彼女は、あの小さく華奢な体で大きなダンボールを2つ重ねて、前が確実に見えていない状態でエレベーターから降りてきた。覚束無い足取りで。
すぐそばのブースにいる俺は、気が付いた瞬間動き出していた。駆け寄ろうとノブに手を掛けたところで、目の前を誰かが横切った。
その人は彼女の持つダンボールを2つとも奪い取って片手で抱える。そして空いた手で、金城の額を軽く小突くのが見えた。

……それは立花さんだった。LTPのリーダーで、社内でかなりの人気があると聞いていた人だ。
彼女は小突かれた額を両手で押さえて恨めしそうに抗議していて、立花さんは笑っている。閉じた扉の向こうとこちらではあまり声は聞こえなかった。
ブースの前を通る2人に気付かれずにやり過ごした後、その後ろ姿を追う様に少しドアを開けた。

「……だって、皆のいない昼休みの内に運んで置いたら、
 皆嬉しいかなって思ったんですもん!」
「だからって何となく無理だって分かるだろ。」
「失礼な。ここまで持って来れたんですからー!」
「はいはい。……marieのフルーツタルト奢ってやる。」
「本当ですか?!やったー!!」
「それにしても……」

2人の世界ができている気がした。俺の知らない会話で盛り上がっていて、立花さんの言葉にあの人は本当に嬉しそうに喜んでいる。
あの人の事を自分は殆ど何も知らなくて、立花さんは知っていて。
俺の中にあるのは、確かに嫉妬だった。焦燥と落胆の入り混じる嫉妬。
あぁ、俺はこんなのも、あの人を好きになっていたんだ。
***


「竜胆さーん。」
「……え?」
頬に流れた涙は拭われているものの未だ潤む瞳をこちらに向けて、金城は俺を呼んでいた。
「どうかしたんですか?」
「あぁ、いや。」
そう否定しかけて、悪戯心が湧いてくる。
「ただ、金城を好きになった時の事を思い出してた。」
「へ!?」
金城が目と口を大きく開けて固まる。暗い夜の公園の小さなライトの光でも、その顔がみるみる内に赤く染まっていくのが分かった。可愛い。
「あの時から、気持ちは少しも薄まってない。
 寧ろ濃くなる一方なんだけど、どうしたらいい?」
「な、な、何を仰ってるんですか、もう!」
急に改まった口調で慌てる姿も面白い。俺がどれだけ好きかって事、そろそろ理解してほしい。

「……いつ、なんですか?どうしてだったんですか?」
「何が?」
「わ、私をその、好きになったのが?」
視線を手元に下げて、絞り出す様に尋ねてくる。そしてちらちらと俺の方を見上げる。
「俺も聞いてないけど。」
「はい?」
「俺だって、金城が俺を好きになった理由聞いてない。」
隠す程の事じゃないけど、俺ばかり「好き」を確認されるのは嫌だ。本当は告白してくれるのを待っていたのに、結局待ちきれなくて自分から言ってしまった。金城からの「好き」を俺はあまり聞いていない。
「それは!……話せば長くなります!」
「別に良い。今日だけで聞き出そうなんて思ってない。
 じゃ、先に聞く?俺が金城を好きになってから今まで
 見てきた事全部。思った事全部。相当長いけど。
 何だったら好きな所全部上げて言っても良いし。」
はぐらかそうとするから、そう言ってみる。冗談とかではない。言えと言われればずっと言い続けられる。好きな所は全部、と一言で済ませる事もできるけど、知りたいと言うなら幾らでも列挙できる自信がある。そのくらいずっと、好きだったんだから。

「い、い、今は聞かない事にします!!
 もう心臓が壊れそうなんでやめて……。」
そんな所も好きだって思ってるんだけど、本当に聞かなくていいのか?

 

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