それはきっと、番外編。

些稚絃羽

街灯の下で(沙希)

「あら、良い男ね!」
「沙希、もしかして騙されてるんじゃないのか……?」
「ちょっと、パパ。こんな良い男がそんな事しないわよ。」
「いいや、ママ。そういう奴は大抵顔が良いもんなんだ。」
「でもうちにも沙希にも大したお金無いわよ?」
「まぁ、そうだなぁ。」

「う、うるさーい!!」

***

「機嫌直してくれよ、な?」
「本っ当に、信じられない!!普通本人を前にしてそんな事
 言う?挨拶に来た貴斗の気持ち考えてよ。
 うちの人は失礼な人ばっかりね!恥ずかしいわ!!」
私は最上級に怒っている。だってさ、折角貴斗が私の両親に挨拶したいって言ってくれて、もしかしていよいよゴールも間近か!って喜んでたのに。玄関に入って早々、貴斗の事を私を騙してお金巻き上げようとしてる悪い人じゃないか、って疑うんだもん。それって失礼にも程があるでしょ、貴斗にも、私にも!!
おろおろし始めたお父さんに、その隣で貴斗をうっとり見つめるお母さん。お母さん、貴女聞いてないでしょ。

「沙希。」
耳慣れた心地良い声が降ってくる。……絶対引いたよね。お兄ちゃんに続き両親もだなんて、これは近付きかけたゴールもまたふりだしに戻ったんじゃない?
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。沙希さんとお付き合い
 させて頂いております、竜胆貴斗と申します。」
真剣な眼差しで、両親を見つめる貴斗。どうしてこうも、動じずにいられるのかな。貴斗の真面目さにポロシャツ姿のお父さんも居住まいを正す。お母さんは……どうしよう、更にうっとりしてるんだけど。もういいや。
「……父です。」
「母です!」
簡素過ぎる自己紹介を返すから、何かもうちょっとあるんじゃないの、と目で訴える。家主が黙っててどうすんの。

「それで、沙希の事は本気で……?」
「ちょっと、お父さん!!」
また玄関の続きを始めようとするお父さんに声を荒らげる。私の言ってる事全然分かってくれてない。
前のめりになる私の手にそっと重なる手。驚いて隣を見ると、貴斗は小さく微笑んだ。細められた目が大丈夫だから、って言ってくれている気がして、何も言えなくなる。

「僕の気持ちは最初から変わっていません。初めからずっと
 沙希さんの事を本気で、好きです。愛しています。」

「まぁ……!」
お母さんが自分の事を言われているかの様に頬を染める。違うから。
「そうか、失礼な事を言って悪かった。」
「いえ、とんでもないです。」
お父さんは一丁前に気取って言う。もっとしっかり謝るべきだと思うけどね。貴斗が許してるから許さない訳にいかないじゃない。
「あ、そういえば。成にも会ったんだって?」
唐突に話に割り込むお母さんの言葉を聞いて、顔を顰める。
「げ、お兄ちゃん何か言ってたの?」
「んー、「僕には負けるが中々の男だった」って。」
声を低めて真似て見せる。お母さんがするお兄ちゃんの物真似はいつやってもそっくりだから可笑しい。でもそれで、お兄ちゃんが貴斗の事を認めてるって事が十分分かった。僕には負けるが、って言う時はいつもお兄ちゃんが負けを認めている時なんだ。

――いずれは弟になるんだろ?
あの時の言葉が蘇る。そうなってほしいって、そう思ってくれたんだよね?

「成もねー、早く妹離れして良い人見つけてくれたら
 良いんだけど。本当、いつになる事やらね。
 ……あ、孫は早めにね?」
「え、ちょ、ママ?!何を言ってるんだ!!」
お母さんの発言にお父さんが動揺する。いや、私は呆気に取られて反応出来ないだけなんだけど。
「だって、若いおばあちゃんって思われたいじゃない。
 彼がパパならもう顔は保証されてるわよー。」
「もう!何言ってんの!!」
台無しだよ。もうこれ以上金城家の恥を晒さないで……。


やっと平穏が訪れたかと思った頃。
「貴斗君。君はその、沙希のどこを好いてくれたのかな?」
強く厳格な父を装っているのか、若干声を低く胸を張って尋ねる。そんな事したって受け継がれた低身長は隠せないんだから。声も揺れてるじゃない。
「そんな話しなくても良いじゃん。大体、」
親の前で言う必要も無し、と私が止めに入ろうとするのを、真っ直ぐな声が遮った。
「多すぎてキリがありませんが、強いて言うなら、」
そう言ってから続く言葉に、きっと誰もが息を呑んだ。

「僕は沙希さんの、人の幸せのために頑張れるところを
 尊敬しています。見返りを求めない、ただ幸せを願える、
 そんな愛情深いところに惹かれています。」
でも、と彼は続ける。
「人の幸せばかりを背負いすぎて、自分の事を後回しにする
 ところがあります。自分が幸せになる事に目を伏せてまで
 誰かのために働こうとします。危なっかしい人です。
 僕は、そんな彼女を幸せにしたい。誰かに注いだ彼女の
 幸せを僕が補いたい。……だから一緒にいたいんです。」

照れ臭くて聞こうとしなかった彼の想い。誤魔化すように冷たいコーヒーを流すけど、熱く込み上げた涙を抑える事は出来なかった。
夜の公園で、一緒にいようと言ってくれた事。
揺るぎない瞳で、私の幸せだけを考えると宣言してくれた事。
お兄ちゃんに、幸せにすると声を上げてくれた事。
それらが一緒になって振り注ぐから、もう怖いくらいに幸せなんだって言いたくなる。今まで人に手渡した幸せ全てを合わせたって、10倍にしたって全然足りないくらい、貴方と出会ってからの私は両手が塞がるくらいに貰っているんだって。言いたいのに嗚咽が漏れるだけで、何一つ言葉にならない。
ただそこにある大きな手を握り締める事でしか表せない。

「……ありがとう。沙希が君みたいな人と出会えて本当に
 嬉しいよ。沙希の事を頼まれてくれるかな。」
「はい。勿論です。」
お父さんの言葉に優しい笑顔で応える彼に、私は何を返せるだろう。握っていた筈の手がいつの間にか逆に握られていて、そこから伝わる熱に涙を溢すしかなかった。

**

「もう帰るのー?」
「明日仕事だもん。」
「土曜に来れば良かったのにー。」
「……お母さんが土曜はママさんバレーがあるから無理って
 断ったんでしょ!!」
「あ、そうだった。」
軽く謝って来るお母さんに脱力してしまう。あれから時間が経っているとはいえ、もうちょっと余韻に浸るとか、そういう情緒がないから困る。
「また、いつでも来なさい。」
「はい。ありがとうございます。」
お父さんと貴斗は結構気が合ったらしく、あの後も結構話が弾んでいた。結局は上手くいったって事で良いのかな?


家を出ると、駅までの道程を歩き出す。そこから快速に乗れば家まですぐだ。
日が傾いてきている。遠くの空に浮かぶ雲がオレンジ色に染まっていく。日中焼け付いたアスファルトに柔らかなそよ風が流れて、少しだけ熱を冷ましてくれる。
時間はあっという間で、それが嬉しかった。お父さんとお母さんと貴斗との4人の時間がこれから当たり前に来てくれるような、そんな予感がしたから。
「緊張した。」
「本当に?全然そうは見えなかったよ。」
「必死に隠してたからな。」
そう小さく笑う彼が嬉しそうで、きっと彼も同じ気持ちなんだって思った。一歩ずつ、家族に近付いていくような感覚が、くすぐったい。
「ごめんね。」
「何が?」
「うちの両親、失礼で。怒ったって良かったんだよ?」
本当にあれは怒っても良かったんだよ。初対面なのにひどすぎ。そんな事を言っていたら、ぽんぽんと頭を撫でられる。
「それだけ心配だったんだろう。でも認めてもらえた。」
それで十分だ、ってそう言って頭にあった手が下ろされる。そしてそのまま左手を包み込む様に握られる。
手を繋いで歩くのは何回目だろう。私が恥ずかしがって、それを見て彼が照れ臭がって、ただ並んで歩くだけになっていた。――どうしてかな、今だけ恥ずかしいよりも涙が出そうな程幸せって思うのは。
車道を駆け抜ける車も歩道ですれ違う人達も、何も気にならないから不思議。

「さっきの。」
「え?」
「さっき言った事、全部本心だから。」
どう返して良いか分からない。本当に?って聞き返すなんてありえないし、分かってるって言うのも何だかおこがましいし。
「数え切れないくらい、一緒にいればいるだけ好きなとこが
 増えてく。嫌なとこも無い訳じゃないけど、言えば直、」
「ちょっと待って!!い、嫌なとこってどこ?」
飛び上がる程嬉しい言葉の後に、聞き捨てならない言葉が続いて思わず遮る。立ち止まって繋いだ手を軽く引くと、はは、と声を上げて笑われた。
「そうだな、例えば、」
「いや!やっぱり良い、言わなくて大丈夫だから!!」
「でも伝えておいた方が、」
「いいって、何か怖いから!」
激しく首を振る私を、貴斗は分かったからと制する。聞こうと思ったけど、幸せな気持ちの時にわざわざ凹みたくないんだもん。
「まぁ、大した事じゃないしな。」
そう言って歩き出すからそれに倣う。本当は悪いところも聞いておかなきゃだめなんだろうな。でもまだ彼の優しさに甘えていたい。……これから、ちゃんと頑張るし!!


駅までまだ少し距離がある。たわいも無い話を続ける。お互いの家族の話とか、小さい頃の思い出とか、そんな話。知らない貴斗がそこにいて、貴斗の知らない私を話して、そうして笑い合うこの時がかけがえのないものだって思えるんだ。――まるで宝物みたいに。

突然立ち止まる彼に引っ張られる形で、私は足を止めた。
「どうしたの?」
「今、言っておかないといけない気がして。」
「何を?」
日の暮れかけた空は青白く、近くの街灯がチカチカと点滅しながら、やがて辺りを照らす。
小さく光る2つの目が真っ直ぐに私を見つめている。
「本当はもっと、こうロマンチックな場所でした方が嬉しい
 とは思うんだけど。その。」
初めてその声に言い淀むような戸惑いの色を感じて場違いに可愛いな、と思ってしまった。

「これからもずっと、俺は沙希と一緒にいたい。
 沙希じゃなきゃ、もうだめなんだよ。
 幸せにするって言っても、いつだって幸せにして
 もらってるのは俺の方だけど。
 それでも絶対幸せだって言わせてみせるから。
 ……愛してる。他に言葉が見つからないけど。
 ――結婚しよう。」


付き合い初めは信じられなくて、気持ちを疑う事もあった。
お互いの勘違いによる嫉妬から、ちょっとした危機もあった。
だけどそういうものを乗り越えてから、彼は一層頼もしくなった。私の未だ拙い言葉を必死で受け止めてくれるし、自分の気持ちも隠さず話してくれる。
好き、って気持ちの上に、信頼だとか結束だとか、そういう確かな繋がりが上乗せされていっている気がする。
私には勿体無いような人だけど、今もこれからも私には彼が必要で。
そして彼が私を必要としてくれる限り、私の居場所はここしかないって思うから。

「うん!」

だから、答えはこれしかありえない。

 

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