それはきっと、番外編。

些稚絃羽

欲張りに我儘(幸多)

「うーん、やっぱり無理だよなぁ。」
「何が無理なんスか?」
「え? ……戻ってたのか。」
独り言に言葉を返されて振り返ると、林田が不思議そうに首を傾げて立っていた。この感じだと1人で悩みながら椅子でくるくる回っていたのはバレていないらしい。その事にほっとした自分に気が付いて、恥ずかしさを隠す様に小さく咳払いをした。
「いや、何でもない。」
そんな俺の様子にも気付かず、林田は自分のデスクに落ち着いて純粋な視線を向けてくる。
「立花さんにも無理な事ってあるんスか?」
「……お前は俺を何だと思ってるんだ?」
この男は過剰に評価してくれるから困る。俺が何でも出来る訳じゃなくて、周りのサポートが良いだけなんだけどな。今悩んでる事だって、他の誰にも分かってもらえないと思うし。
「分かった! 今日菅野ちゃんに会うのは無理だって事ッスね!」
「そうじゃないっての。」
確かに今日は会えないんだけど。と言うのも、カフェがオープンしてから2、3ヶ月に一度交代で定期視察をする事になっていて、今日は湖陽と天馬がその番なのだ。朝から行って直帰するから1日会う事が出来ない。でも昨日も仕事で会ったし明日も仕事な訳だから、1日会えない事に駄々をこねるなんて流石にしない。……まぁ、調子狂うってのはあるけど。
「おや? 2人共もういる。」
そんな事を考えていたら金城と竜胆が戻ってきた。休憩から大抵一番に戻ってくる2人からすれば俺達から迎えられるのは珍しい。
「立花さんが菅野ちゃんに会えなくて寂しいってー。」
仲睦まじく並ぶ2人を眺めていたら、林田が勝手にそんな事を言い出す。
「だから違うって!」
「あー、だから今日静かだったんですね。」
「納得するな!」
「明日まで我慢しましょう。」
「竜胆まで乗るな!」
こんな時に湖陽がいてくれたら、こいつらの事を止めてくれるのに。今はまるで無法地帯だ。……何でも湖陽に繋げてしまうなんて、会えないのが寂しいって認めてる様なものじゃないか。
色んな思いを誤魔化すために荒く頭を掻いた。そんな俺をにやついた顔が眺めていて、妙にばつが悪かった。

「それで? 本当は何に悩んでるんですか?」
「ん?」
「え、悩んでたんじゃないんですか?」
金城が平然と言いのける。今日静かだった、って俺はそこまで分かりやすく悩んでいたんだろうか。
「大した事じゃない。」
「折角だから言って下さいよ。たまには頼って下さい。」
いつも頼りにしているとは癪だから言ってやらない。でもその目から純粋に言ってくれているのが分かって、俺は結局白状する事にした。
「……古本市があるんだよ。」
きょとんとした3人に説明を加える。
「湖陽といつか行こうって約束したんだ。けど全国的にも
 頻繁にあるものじゃないし、この県では今のところ開催
 されてないからなかなか機会がなくてさ。
 それが今月末に2つ隣の県であるんだけど、世間は夏休み
 でも俺達仕事だろ? だから今回は無理だなって。
 ただそれだけだよ。」
その約束は付き合う前にしたもので、湖陽が覚えているかも正直分からないけど。それでも連れて行って、と言ってくれたその気持ちが嬉しかったからどうしても一緒に行きたかったんだ。
今回だけは世間との休みのずれに少しだけがっかりした。
「行けばいいじゃないですか。」
「はい?」
「行けばいいと思うんですけど。ね?」
竜胆も林田も、そんな金城の言葉に軽く頷いた。何を言ってるか分かってるのか?
「いやいや、仕事があるのに。それともさぼれって?」
見渡した俺に3人が顔を見合わせる。そして
「それ本気で言ってんスか?」
「ほら、立花さん使った事ないから。」
と小馬鹿にした様に言ってくる。一体何を言われているのか分からなくて、一番まともそうな竜胆に視線を向けた。竜胆は小さく笑って答えてくれた。
「有給休暇が使えますよ。」

この会社にも有給休暇という制度はある。ただ必ず消費しないといけないものではなく、社長に申請を出して受理されれば気軽に取る事ができる。1年で使える上限はあるがその範囲内であれば簡単に受理してもらえるらしい。俺自身は使った事がないから聞いた話だけど。
「でも、言ってみれば遊びに行くんだぞ? 流石に社長も
 許さないだろ。」
もうすぐ夏休みだからと断られるのは目に見えてると思うんだけど。
「大丈夫ですって。今まで使ってない人は優先的に取らせて
 もらえますよ。」
「そうそう! この前俺が風邪引いた時も、実は有給にして
 もらったんスよー。」
「てっしゃんのそれは怠慢だわ。」
「何でだよ!」
風邪で有給使うっていうのもいただけないけど、皆が仕事してるのに自分達だけ休むのは気が引ける。珍しくあまり忙しくないとは言っても、それなりに仕事は抱えているのだ。
悩む俺に竜胆が言葉を掛ける。
「休むとしてもせいぜい2、3日ですよね?」
「そりゃ、勿論。」
「だったら俺達に任せてもらって大丈夫です。
 立花さんがいないとこなせない様な仕事ありませんし。」
そう言われると、何だか複雑なんだけど。
「たまには仕事の事忘れて、菅野とゆっくりしてきたら
 どうですか? 菅野も喜ぶと思います。」
言い合っていた金城と林田もぴたりと口を噤んで、頷いて見せた。
元々仕事のできる奴らだけどいつの間にかこんなにも頼もしくなっている。俺達を気遣ってくれて、自分達の仕事が増えるのも構わないと言う。これが俺が作ってきたチームなんだと思うと誇らしかった。
「本当に良いのか?」
「勿論。」
「社長が受理したらですけどね!」
「お前ら……良い奴だな。」
「今更じゃないですか?」
そんな冗談を言い合って、俺の悩みは解決した。
「菅野ちゃんが断らないといいっスけどね!」
「てっちゃん!」
ついでに誰かが爆弾を落としてくれた。


翌日。爆弾が頭の中で燻ってやけに早起きした俺は、久しぶりに朝のジョギングをした。だけどやけにそわそわしてしまっていつもの道を一本間違えてしまった。
昨日の内にメールで伝えようかとも思ったけど、どうせなら直接言いたいし反応も見たい。そう思って今日の昼休みに話そうと思っている。メールで断られるとかショックが大きそうだったし。
一緒に行く事を了承してもらえたらそのまま有給を申請しに行こう。いつもより少しだけ気合を入れて、出社の準備を始めた。


「あのさ。」
「はい。」
彼女の好きなパスタ屋で、皿を半分程空にした頃。やっとの思いで話を切り出した。
「前に古本市の話したの覚えてる?」
「はい。連れて行ってもらう約束しましたよね。」
うん、と返した声が弾んだ。覚えていてくれた事に浮かれているのがばれてしまいそうだと、改めて声を落として話し始めた。
「今月末、あるんだけど。」
「行きたいです!」
「あ、そっか、えっと。」
最後まで説明しないまま返事を返されて、予定していた言葉を言い淀む。言わないといけない事が案外沢山あるんだ。途中でやっぱり行かないと言われないか、内心緊張が増した。
「それが2つ隣の県であってさ。」
「この辺りじゃしないですもんね。どうやって行きます?」
「一応車で行こうかなって。」
「運転、大丈夫ですか?」
「うん、それは大丈夫。」
「じゃ、お願いしますね。」
完結しそうになって、いやそれでさ、と何とか話を続ける。不思議そうに俺を見上げて紙ナプキンで口を拭う姿が可愛い。……じゃなくて。
「平日なんだよ。27日から31日までの5日間、平日しか
 やってなくて。」
「あ……。」
「でも! 昨日あいつらに話したら有給取れば良いって
 言ってくれたんだ。任せてくれて大丈夫だからって。」
「でも有給ってそんなに簡単に取れるものなんですか?」
「俺も取った事ないから知らなかったんだけど、今まで
 使ってない人は優先的に受理してくれるらしい。
 ……湖陽さえ良ければ、俺は一緒に行きたい。」
彼女も使った事のない人間だ。当然心配になるだろう。でも皆があれだけ言っていたんだ。恐らくすぐに受理してもらえるだろう。いや、ここまで来たら無理を言ってでも受理してもらう!
「……私も、行きたいです。」
俺の気持ちに答える様に、微笑んでそう言ってくれた。俺も嬉しくて笑い返した。
そこでふと思い出す。もう1つ大事な事を言い忘れている事に。
「あの、さ。言い忘れてたんだけど。」
「何ですか?」
別に疚しい事なんてないしいつもそうだから言うだけだから。本当に疚しい気持ちはないよ?
「泊まりでも、良いかな?」
「え?」
「いや、いつもそうしてて! 折角だからゆっくり見たいし
 遠いのもあって、その日は泊まって翌日帰るみたいな。
 でも湖陽が日帰りが良いなら、勿論そうする!!」
こんなに焦ってしまったら、疚しい気持ちがあるみたいじゃないか。俺はただ純粋に2人で古本市を楽しみたいだけで――!
ふふ、と笑う声が聞こえて我に返る。彼女は楽しそうに笑っていた。
「泊まりで良いですよ。運転も疲れるでしょう?」
無駄に慌てている俺が可笑しかった様だ。変に勘繰られていない事にほっとしたものの、2人きりの旅行という事態に1人戸惑っているのが何だか切なかった。相手が湖陽なんだから仕方ないのだけれど。
幸い、落とされた爆弾は無事処理されてどこかへ飛んでいった。あとはこの約束を現実にするだけだ。


休憩が終わる前に、社長室へと向かった。ノックをすると、いつもの明るい声が帰ってきた。
「失礼します。」
中に入るとやたら嬉しそうな顔でこちらを見る社長と目が合った。あまり良い予感はしない。
「お、2人揃って。アンケート持ってきた時みたいだな。
 まぁ、あの時とは違うか。」
「はい?」
顔を顰めて聞き返すと、俺達にソファを勧めながら意地の悪いからかい顔になる。そして顔の前に手を出して、親指と人差し指を何度も引き合わせては離してみせた。何だ、それは。
「距離感が。」
「……下世話です。」
「そう言うな。儂も嬉しいんだ。」
嬉しさも別の仕方で表現してほしい。今のじゃ酔っ払いに絡まれている気分だ。
社長は向かいのソファにどかりと座ると、姿勢を正した。
「菅野君。」
「あ、はい。」
「幸多をよろしく。」
少し真面目な、父親の顔をして湖陽に告げる。隣に座る湖陽がはい、と大きく頷いたのを目の端に見て、ほんの少し目が熱くなった。

「それで、今日はどうした?」
いつもの社長の顔に戻って聞いてくる。俺も緩んだ顔をきちんと社員に戻して、
「実は、有給休暇を取りたいんです。」
とはっきりと答えた。それに社長は目を丸くした。
「有給休暇!?」
「え、駄目ですか?」
簡単に取れると聞いていたのに、意外な反応が返ってきて身構える。すると首を振って、駄目じゃない、と言われてふっと肩の力が抜けた。
「お前が有給休暇を取りたいなんて初めてだったから。
 菅野君も初めてだろう?」
「はい。」
「だから驚いてしまってな。」
そう言って立ち上がると、有給休暇の申請書類を用意してくれる。それを受け取って書き込んでいると、向かいから言葉が続く。
「仕事が好きなのは良い事だが、プライベートが充実して
 いないと仕事の幅が広がらない。特に企画課はな。」
顔を上げると社長はにかりと笑う。何も聞きはしないが、分かってるぞと表情で伝えてくるのが嫌だ。マスターくらいやんわり気遣ってほしいものだ、と心の中でそっと毒付いた。
書き終わった2人分の書類を差し出すと、社長はふんふんとわざとらしく確認して、
「はい、受理しました。」
と、どんと判子をついた。それを見て俺は立ち上がる。ここに長居すると色々と詳しく聞かれそうだ。それに倣って彼女も慌てて立ち上がった。
「何だ、もう戻るのか?」
「昼休みももう終わりますからね。失礼しました。」
「失礼します。」
そのままドアまで進む。湖陽が出たところで後ろから幸多、と呼び掛けられた。振り返ると社長が表情を引き締めて立っていた。
「良かったな。大切にしろよ?」
「……当然です。」
こういう時、やっぱりこの人は父親だと感じる。幸せを願ってくれて、それを喜んでくれる。冗談ばかり言うのは厄介だけど、ずっと俺を見ていてくれた人なんだと感じさせてくれる。いつかちゃんと恥ずかしがらず誤魔化さず、今までの感謝を伝えたい。だってこんなにも大切に思ってくれているから。
「そうだ、あとな。」
「ん?」
「羽目外して襲うなよ?」
「襲わねぇよ!!」
前言撤回。やっぱりこの人、一言多い。

「どうかしました?」
大きな音を立てて閉まったドアを見やって、彼女が尋ねる。だけど本当の事が言える筈もなくて、
「旅行、楽しみだな。」
と、それだけ返した。心配そうだった顔が破顔して、はい、と答えるから心の中で早く来いと未来を急かすのだった。

 

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