運命(さだめ)の迷宮

ノベルバユーザー173744

ローマ字の勉強も、確か明治時代のはず……小学校の勉強の中だったので覚えてないなぁ……。

「な、何なんだ!?これは!!」
「『ローマ字』です。いえ、文字のことは『アルファベット』と言います。アルファベットを大和やまと……この国の人々に解りやすく伝えるために、作った組み合わせ文字です」

采明あやめは、はっきりした口調で答える。

「良いですか?大和言葉やまとことばは、『あいうえお』と言う言葉を母音ぼいんになり、それをこの『aiueo』に置き換えます。わかりますか?」
「あいうえお位わかる!!子供扱いするな」
「では、『kstnhmyrw』はどうなるでしょうか?」

見たこともない記号か何かにしか見えないそれに、うんうん悩む。

「これは、良いですか?」

紙の上に、縦に一列『aiueo』、横に一列『kstnhmyrw』を書き、それの交わる部分に、文字が二文字でならび始める。

「『いろはにほへと、ちりぬるを、わかよたれそ、つねならむ、うゐのおくやま、けふこえて、あさきゆめみし、ゑいもせす(ん)』と『いろは』にありますね。『色はにほへど、散りぬるを、我が世たれぞ、常ならむ、有為ういの奥山、今日越えて、浅き夢見じ、酔いもせず(ん)』と言葉を覚えるためにいろは歌で覚えたりもします」
「お前、詳しいな……」
「子供の頃から、祖母にお手玉を数えながら色々な歌を覚えました。結構覚えてますよ?歌いましょうか?」

にこにこと笑いながら歌うのは、『早春賦そうしゅんふ』。

『春は名のみの 風の寒さや 谷のうぐいす 歌は覚えど 時にあらずと 声もたてず 時にあらずと 声もたてず』

「ほぉ……美しい歌だな」
「じゃぁ……」

『春のうららの隅田川 登り下りの船人が かいしずくも花と散る 眺めを何にたとうべき』
『菜の花畑に入り日薄れ 見渡す山のかすみ深し 春風そよ吹く空を見れば 夕月かかりて匂い淡し』

言葉の発音が美しくそして情景をそのまま言葉にたくして、音に乗せている。
この美しい歌は誰が作ったのだろう。

「こんな感じですが、神五郎様?この言葉を、表に出来るんですよ」
「表に?どうやってだ?」
「まずは、『k』です。日本ではこの文字を単独で言葉にできません。『aiueo』は母音、『kstnhmyrw』は子音しいんと言います。母音は『あいうえお』です。で、『k』に『a』が繋がると、『ka』になるんです」
「か?」

まばたきをする。
文字と言うよりも、記号である。

「はい、そして『ki』は『き』です。そしてこういう風になります」

采明の文字で出来上がったものに驚く。

「こ、こんなに綺麗に分かれるのか?」
「はい。これを練習することで、自分の名前を伝えられます。今日は文字について、大和言葉に当てはめる勉強です。神五郎様は、稽古に専念してください」
「あぁわかった。しかし珍妙な……このようなことで上手く行くのか……」

首をかしげながら歩き去ろうとするが、ふと振り返り、

「采明」
「はい、なんでしょうか?」

片付けていた手を止める。

「お前の時代の歌は本当に美しい。お前の声も可愛い。でも、周囲に問題があるようなら、勉強はやめてもいい。お前の知識は、今の自分達には解り得ない、それなのに、采明がそれを知っていることで、周囲が采明を異質な何かだと考えたら……」
「直江家にご迷惑をかけるようでしたら……」
「違うだろう!!お前が怪我を負っては困るんだ!!解るか?お前は、俺の嫁だ!!結婚する時に決めた。俺はお前を守るんだと。一生添い遂げると。解ったか?俺がいない時に何かあったら、姉上か欅兄上達に助けを求めろ!!いいな?」

神五郎は、懐に手を忍ばせ、投げる。
采明の傍を這っていた毒蛇の頭が、柱に留まる。
横を見た采明が、蒼白になり、

「へ、へへ、蛇~!?こ、ここ、怖い~!!」

泣き出し、駆け寄ってきた神五郎にしがみつく。

「……この辺には余り見た事のない蛇だな」
「マムシです。毒蛇です……。大和には多くいるそうですが、見た事はないですか?」
「余り、な。時々は見るが、このような屋敷の中にまで来る事はない」

周囲の気配を確認していると、采明の声に気がついて駆けつけてきた橘樹たちばなけやきたち。

「どうしたの!?」
「お、お、御姉様……」

ボロボロ泣き出す義妹に、橘樹が駆け寄る。

「ど、それにしても、何ですか?との。こんな不気味な飾りは……」
「兄上。この屋敷の警備を厳重に、采明に何かがあれば、困ります」
「かしこまりました。厳重にさせて戴きます」

采明を抱き締めた神五郎は、

「稽古は今日は止める。采明を落ち着かせたい。それと、皆。采明はこの家の者。私の嫁だ。危害が及ばないように、手分けをして、何かが起こったら対処を頼む。姉上、もしくは欅兄上に。頼む」

本当に怖かったのか泣きじゃくる采明を抱いたまま立ち上がり、背中を叩く。

「解ったわ。神五郎……とののご命令には従います」
「は?姉上、気持ち悪い事を言わないで頂けますか?」
「何が気持ち悪いよ!?」

神五郎は呆れ返り、

「姉上は私の姉でしょう?その姉上に主などと言われたくないですよ。気持ち悪い」
「何ですって!!」
「お転婆で、女だてらに薙刀を振り回す豪胆で周囲に知られた姉上に、早々夫が出来ますか。欅兄上に婿養子に入って貰います。一応私が当主にいますが、欅兄上も、直江家なおえけの人間として私を支えて貰います。良いですね!?」

ぎょっとする周囲に、しゃくり上げる采明。

「ふあぁぁん。怖いよぉ~。蛇、蛇、嫌だよぉ」
「大丈夫、大丈夫だ。守ってやるから。休もう。な?」
「ふわぁぁん……」

神五郎は、采明を抱いたまま障子を閉めた。



「もう泣くな……大丈夫だから」
「でも、私が……私が、異質だと思っているんだと思うんです……」
「異質?」

腕の中で告げる少女を見下ろすと、

「私が、私が……」
「何が悪い?俺と出会うんじゃなかったのか?」
「私は……」
「お前はお前で、俺の嫁だ。傍にいれば良いんだ。それに、俺は好奇心旺盛なんだ。俺に新しいものを教えてくれ。俺はそれを知りたいし、お前の見るものを一緒にみたい」

よしよし、頭を撫でる。

「で、『ろうまじ』?とか『あるはべっと』を教えてくれ。そうすれば、一つ覚えるごとに、お前に近づける。何かあったら困るから傍にいろ」
「……居なくなったら、忘れてくださいね?」

涙に濡れた采明の目をぬぐい、

「忘れるものか。その前にお前がいなくなる前に捕まえておく!!逃げられないと覚悟しろ」
「本当……ですか?」
「本当だ。だから、明日からは勉強させろ。あの『あるはべっと』は難しそうだ。でも、絶対に覚えて見せる!!」

意気込む夫に、泣き笑う。

「頑張ってくださいね。応援だけはしますね」
「おい!!夫を助けるのが妻の務めだろうが!!」
「知りませーん。私は、神五郎さまのお手伝いしません。残念でした」
「なんだってぇ!!」

と、顔をしかめたものの、顔を見合わせ笑いだす。
しばらく笑い、そして、

「そうやって笑っていろ。お前の笑顔を見るだけで俺も、家の者も嬉しい」
「お手伝い……」
「勉強と、家の掃除と、炊事場位で外に出歩くのは止めることだ。怪我もしているんだし、姉上や、欅兄上に着いていて貰うことだ」

いいな?

その言葉に頷いたのだった。

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