運命(さだめ)の迷宮

ノベルバユーザー173744

所で、神五郎さんには気になることがあるようです。

「なぁ……采明あやめ

その日から明子あきこを間に、川の字で眠る形になる。
本当は夜泣きの為に、別の部屋と思っていたのだが、神五郎しんごろうが反対したのである。
当然采明はお乳が出ないので、新しい明子の為の乳母になってくれた悠真ゆうしんの妻、埜々ののかが、少し大きい娘のはなと隣室で休んでいる。
悠真も、別に元々の生活空間があるのだが、娘と妻といたいと一緒にいる。

「何ですか?あきちゃんはいい子ですね~?お母さんとねんねしましょうね?」
「采明?俺を放置するな。拗ねるぞ」
「あらら……お父様の方が子供みたいですね」
「采明!!」

クスクス笑う采明に、神五郎は、

「気になってたんだが、お前、歌幾つも知ってるが、習ったのか?妹殿もそう言っていたけれど……」
「あ、声楽を教わっていました」
「声楽?妹殿とは違うのか?」
「発声法が違うんです。喉で歌うのではなく、お腹から声を出すんです」

その言葉に、

「ん?喉ではない?不思議だな」
「明日、歌ってみましょうか?」
「いや、お前のその声が気に入っているんだ。明子も。明日、明子がぐずったら歌ってくれ。教わっていたと言うのは、先生なのか?」

よだれを拭いていた采明は、にっこり微笑む。

「先生の免許は持っているのですが、私以外には教えてない方です。7才で、ここから遠く西にある、少年合唱団に入って、ソロパートを担当されていたとか。あ、ソロと言うのは、合唱……大勢の男の子達が歌っているのですが、その中でも特に美しい声を持っている方が、特別な部分を担当して歌うんです。声は成長すると低くなってしまいますが、その場合、低くとも、高めの甘い声をテノール、低い渋めの声をバリトン等といって、その高低の差で曲を歌ったり、能の舞台のように、演技をしながら歌ったりするオペラに出演するんです。私に教えてくれたお兄様は、父のお弟子さんだった方です。歌の後に、この国に戻ってきて勉強されて……。私の名前の一文字が、その方の名前に関係があるんですよ」
「へぇ……」
「その方は諸岡亮もろおかりょうさんと言われて、お母さんが三国志が好きで、諸葛孔明しょかつこうめいさんから亮と名前がつけられたそうです。父が、私が男の子だったら、孔明ってつけるつもりだったとか。でも、女の子でもそのまま出そうとして、母が怒って、采明になったそうです」

神五郎は、顔をひきつらせる。
采明の父親は、どんな人なんだろう……と疑いたくなる。
可愛い娘に孔明はないだろう……亮ならまだしも。

「それに、お兄様は、今は色々と大変そうでした」
「ん?何かあったのか?」
「百合と同じ年の女の子がこの国で、酷い目に遭ったとか……。お母様を生まれてすぐに亡くし、お父さんが、その方を捨てて……孤児院という、親のいない子供や、理由があって育てられない子供を預かる場所があるんです。そこにいた女の子を、国が追い出したそうです。力を持つ権力者のちらつかせたお金を懐にいれたとか」

神五郎は眉を寄せる。

「それは酷いな……そうか、孤児!!……それに夫に先立たれた女人達は、苦労して子供を育てているだろうな……。そうだ、采明!!子供達や女人達に何か出来ることはないだろうか?そうすれば、子供達も女人も苦しまずにすむ!!」
「そうですねぇ……あ、はいはい、明ちゃんはねんねですね~」

うにゅうにゅと口が動き、すよすよと眠る。

「あぁ、そうです!!旦那様。赤ちゃんのむつきですが、とても洗濯が大変ですし、赤ちゃんを育てつつ、何回も洗濯をして、干して……と言うのは大変だと思うんです」

采明の声に、

「そんなに大変なのか?」
「そうですよ。赤ちゃんはお乳を飲んで育ちます。私達なら、自分で何とかなるでしょうが、赤ちゃんはお母さんや乳母やさんに、兄弟にむつきを何度も取り替えて貰うんです」
「あぁ、そう言えば……」

神五郎は思い出す。
この家には二人の赤ん坊がおり、庭には白いむつきの布が日々はためいている。

「なのでですね、もし良ければ、旦那様。お家にある使わない綿の布を下さい!!あるだけです!!」
「はぁ!?」
「そして、あの、今は使っていない離れに、洗濯場と干す場所、そして、お仕事をする人達が共同で住めるお家に改装して下さい」

キラキラと采明は目を輝かせる。

「おい、采明。そんなにしても、良く解らないのだが?」
「奥様……」

そぉっと顔を覗かせたのは埜々香である。

「あのっ、奥様!!もし、もし宜しければ、私の姉の佐々さざれも、その……」
「あぁ、佐々礼さんですか。お子さんが5人もいて大変ですものね……!!」
「おい、采明?良く解らないのだが?」

采明は振り向き、にっこり笑う。

「采明が商売をします!!」
「はぁ!?」
「佐々礼さんを中心とした、お母さん達に、ありったけの布でむつきを作って貰います。そして、孤児の子供達や、大きな子供達が、まずは一度私達と一緒に荷車を引いて、城下を回ります。仕立てたむつきを水通ししたものを持って回るんです。そして赤ちゃんがいるお家に」
「むつきを売るのか?」

その言葉に、采明は兎も角、埜々香に悠真までが残念そうな顔をする。

「違いますよ、旦那様。売るだけでは、後々続きませんから。奥方様が考えているのは……」
「むつきを貸し出して、毎日回収して、洗って干します。そして乾いたら又翌日お家を回って新しいむつきを置いていくんです。それを、毎回それぞれのお家の台帳を作って書き込んで、毎月どれだけ使ったのでこの値段と決めておいて、次の月に貰うんです。そして収入は子供達やお母さんのお給金とお食事代、洗濯代、としておくんですよ。そうすれば、お母さん達が生活できるようになれば、出ていくこともできますし、時間があれば、子供達にもそろばんとか基本的なことを教えて、独立もできるでしょう?」
「……はぁ!?お前は商売と言うより、先を見越して考えているのか!?」

神五郎は妻を見る。

「そうですよ。とどこおれば、意味がないんです。前に前に進められるように、未来を見据えて考えます」
「奥様は……本当に!!夫に伺った時には、信じられませんでしたが、とてもとても素晴らしい方ですわ!!」

埜々香は瞳を潤ませて采明を見る。
最初、自分にも花と言う娘がいたものの、悠真はこの家でも新入り若造とも呼ばれていて、仕事も重要なことは任されていなかった。
それなのに、直江家の正妻の采明は、屋敷に来た当初から悠真を、

「お兄様!!教えて下さい!!」

と、必死で頼み込み、屋敷のことを学んでいたのだと聞いた。
このような下働きの者にと言う夫に、

「下働きとか、上とか関係ありません。関係があるのは、私にとって、悠真さんはお兄様です!!お兄様に色々教わるのです!!沢山勉強出来ました。お兄様は本当に教え方が上手です。又教えて下さいね!!」

と笑顔で、しかも頭を下げたのだと言う。
その事に渋い顔をする長年の働き手には、采明は、

「皆さんを軽く見ているのではないのです。すみません。私は、元々、そんなに身分のある人間ではなくて、少し気が引けていたのです。皆さんは本当に旦那様やお父様、御母様、お姉様を支えられ、直江家は磐石です。でも、私はまだ力が足りず、戸惑いがあって……お仕事の邪魔は出来ないと思ったのです」

小柄な采明は首をかしげ、見上げる。

「こちらの余裕がなく、気を使うことができず……本当に申し訳ありません。まだ若輩ですが、旦那様を支え、直江家の嫁として頑張りますのでよろしくお願いいたします」

……うるうると瞳を潤ませた采明に敵う人間はいなかった。

そして、明子の乳母をと周囲は、それなりの身分の女性をと言っていたのだが、采明は、

「悠真さんの奥さんの埜々香さんにお願いします。花ちゃんも女の子ですから、女の子同士仲良しですよ」

とにっこり笑い、普通、主なのだから命じればいい筈だが、采明は埜々香の元に明子を抱いて直々に来て、

「埜々香さんには本当に大変だと思いますがお願いできますか?」

とまで言ってくれたのだ。
そんな気遣いをしてくれる主はいなかった。
いや、神五郎は、堅物ではあるがぎこちなくではあるが気を使ってくれていたし、橘樹たちばなは元々そう言う上下は気にしない人である。
埜々香と悠真は、采明が嫁に来る半年ほど前に勤め始めた新入りだったのだ。

前の仕事場は、余りいい環境ではなかった。
埜々香などの若い女人は、主や主の客人に提供される食材も同然だったのだ。
埜々香は、姉の佐々礼の機転で難を逃れたが、代わりに佐々礼は捕まり、行為を強いられ、子供を身ごもった。
その頃、主の命令で遠方に出向いていた義兄は、姉を罵り、暴力を振るった。
そして、姉は居場所がなくなり、古びた小屋で5人の子供を育てていたのだ。
姉と共に屋敷を出ていった二人は、今はいないが景虎かげとらを探し回っていた神五郎と、同じく甥たちを探していた悠真が共に遊んでいた子供たちを説教し、その時に悠真や母親、叔母のことを聞いた景虎が、

「のぅ、神五郎兄上。この者達の御母上は、とても辛い思いをしておる。そして、この叔父夫婦も……我の遊び相手として、そして我が暴れすぎて困るゆえ、監視役として連れて帰ったと言ってくれぬか?兄上に頼み、皆のことは我が何とかする!!頼む!!」

と頭を下げてくれたのだ。
景虎のことも、采明のことも、悠真や埜々香、佐々礼達には命の恩人であり、生涯仕えたいと願う存在である。

「そうだな。それもいいかもしれん。明日、兄上や姉上に相談しよう」
「本当ですか!!良かった!!」

喜ぶ采明に、ホッとする悠真夫婦を、少しだけ照れ臭く思いながら微笑んだ神五郎だった。

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