らくガキ

鶴亀七八

その15

   【ひとよSide】



 こんなにも気持ちのいい目覚めはいつぶりだろう。
 起きてすぐにそう思えるくらいに、今日は寝起きがよかった。

 けれど、すぐとある疑問に躓いた。

 目の前の光景は見覚えがある。会津あいづの別荘のリビングだ。ここで天照あまてるに髪を乾かしてもらい、ブラッシングをしてもらっていたことは覚えているんだけど……。

 それからの記憶がどうも曖昧だった。

「…………?」

 体に力を入れるのがどうにも億劫で、視線だけ動かしていたら体にかけられた毛布に気づいた。

 ああそうか、ようやく思い出した。わたしソファーで寝ちゃったんだ。

 天照のブラッシングがあまりにもきもちくて、うとうとして、そのまま寝落ち。だからリビングで目が覚めたんだ。

 寝起きの気持ち良さにかき消されていたけれど、ようやく行き着いた答えに納得。

 ログハウスのくせに完璧な空調管理のおかげで、真夏なのに全く寝苦しくなかった。きっとこれが寝起きの良さに繋がったんだと思う。よく眠れたから。

 ——…………っ……。
「………………ひぅっ……?!」

 すぐ後ろからの小さな吐息で、わたしの体は瞬間冷凍されてしまったかのように固まった。

 それなのに心臓は大きく跳ね上がって、全身に熱い血液が巡るの感じた。

 待てまてマテ待ってっちょっとストップ。

 あっという間に自分の顔が真っ赤に染まっていくのが自覚できる。それくらい今の状況は恥ずかしい。

 まさか、と思いつつ固まった身体を必死に動かして、ゆっくりと後ろを確認すると、吐息がかかるほどの近くに天照の寝顔があった。

「〜〜〜〜〜〜っ?!」

 ぼんっ! と脳内の神経回路がオーバーヒートを起こして焼き切れるような……そのせいか、視線も定まらなくて目が回るようだし、口がうまく回らない。声にならない声が喉から発せられた。

 ど、どうしよう。どうしてこんな状況になっているのかしら……? なんで天照まで一緒に寝てるの……?

 あぁ……なんだかクラクラしてきた。心臓が激しく動いているせいか酸欠になったみたいな、目の前がチカチカとしてきちゃった……。

 とにかく落ち着いて深呼吸を繰り返して、全身に酸素を。鼓動を落ち着けないと……。こんなにドキドキしてたら、天照が起きた時にすぐにバレちゃう……。

 いや、その前に離れればいいんじゃないの? そうよ、そうすれば落ち着いて対処が——、

 そう思って億劫だった体に力を込めて身を起こそうとして、あ、と思う。

 天照の手が、抱きよせるようにわたしの体の前に回っていた。これじゃ動けない。

 後ろから〝抱き着かれている〟ということに、今更ながら気付いて、むしろこのまま天照に体を委ねて密着した時間を堪能したほうがいいんじゃないの?

 ほら、こんな経験めったにできないし。

 と、わたしの中にいる悪魔的な何かが甘い言葉を囁きかけてきた。

 全く争うこともできず、というか争うという選択肢すら現れず、そっと強張った体から力を抜いてみた。

 これが天照の腕の中……。すごい、安心する。ドキドキするけど、心地いい……。

 そんなことを考えていたら、だんだんとまぶたが重くなってきて……わたしは二度寝という長期休暇の最高の楽しみ方を意図せず行ってしまった。



   【天照Side】



 目が覚めたとき、最初に思ったことは、なんて寝覚めのいい朝なんだろう、だった。

 すぐ目の前の光景はいつもとは違う見知らぬ光景で、環境が変わると眠りが浅くなるという、いつもの枕じゃないと眠れない的な人種であるはずの俺は、珍しいな、と素直に思った。

 それどころかソファーで眠りこけてしまったにも関わらずこれほど快眠できるなんて、仁の別荘の快適さといったら天下一品ものだった。

 ——あれ……。

 なんということでしょう。

 軽すぎて(あと小さくて)気が付かなかったけど、俺の膝の上でひとよがぐっすりと眠っているではありませんか。

 そしてようやく、昨日の記憶が蘇ってくる。

 そういえばひとよのブラッシングをしてやっていたらひとよが寝ちゃって、それで動けなくなって、そのままここで寝てしまったんだったな……周りのおせっかいもあったし。

 しかしこの状況はどうしようか。起きたはいいけど、結局はひとよが起きてくれないと俺は動けないし、かと言ってこの状況で起こすのもなんだか憚られるし……。

 そんなことを思っていると、こっそりとリビングのドアが開かれる。

 向こうから顔を覗かせたのは、親友の会津ひとしに、天然ドジっ子の水野みずの巫女みこ、それから狐のお面をかぶったマッドサイエンティスト、リズベルト・パールホルンだった。

 あいつらが音を立てないように抜き足差し足でこちらへ近付いてくる。

「天照くん、おはようございます」
 ——おはよう水野。
『ハヨッスアマテルさん』
 ——リズもおはよう。
「おはようございます。昨晩はお楽しみでしたね」
 ——黙れ仁。腐って死ね。
「オレだけ扱いが酷すぎませんかね?!」

 すぐ近くでひとよがまだ寝ているので小声でのやりとりだったが、こいつらもよく眠れたようだ。随分とスッキリした顔をしている。あとはひとよが起きてくれれば全員集合になるんだが、本当にぐっすりと眠っている。

「もう少しくらい、寝かせておいてもいいんじゃないでしょうか? せっかくの夏休みですし……」

 水野が俺の心を読んだかのように優しいことを言ってくれる。それには俺も賛成の姿勢を示したいところなんだけど、身動きが取れないので、小さく頷いておくことにした。

「さて、じゃあラブラブカップルは放っておくとして、オレらは朝飯にしますか」
『賛成だミ』
 ——おいこら待て。

 せっかくみんなが一つ屋根の下にいるっていうのに、先にご飯食べるとは何事か。どうせならみんなで楽しく食べたほうがいいだろうに。何のためのお泊まり会なんだ? 旅行なんだ?

「…………ぅ……ん」

 あ、起きた。

 少し騒ぎすぎたかもしれない。これだけ近い距離にいたらそりゃ起きちゃうか。

 ——おはようひとよ。よく寝れたかな?
「〜〜〜〜〜!?!?!?」

 ひとよはビクゥッ!? と驚いた猫のように跳ね上がって、俺から距離を取った。とても身軽な動きだった。

 何故か真っ赤に顔を染めて小刻みに頷いている。よく眠れたらしい。よかったよかった。身動きとか取れなくて寝違えたりしてないか少し心配だったけど、問題ないようだ。

 これで俺も解放されたので、みんなと合流できる。

「ちっ」

 仁の舌打ちが聞こえた気がしたが、聞こえなかったことにしておこう。夜になったら覚えてやがれ。



   ***



 と、いうわけで朝食の準備ができた。

 昨日のBBQは主に男子が活躍したということで、今日の朝食は女子が手料理を振る舞いましょう! という流れになり、俺と仁の男子組はリビングで大人しく待機。キッチンから包丁の音と主にリズの叫び声が聞こえてくるのをBGMに適当な世間話に花を咲かせていた。

森井もりいさんと水野さんは料理できそうだけど、リズは……なぁ?」

 言わなくてもわかってくれるよな? みたいな顔でこっちを見られても……いやまぁわかるけどさ。これだけギャーギャー騒がれたら、誰だってまともな料理が出てくるのか心配になるってものだ。

 ソーセージだと思ったら血で真っ赤に染まった指じゃないか! みたいなホラーにならなきゃいいけど。

 ——ひとよと水野がうまくフォローしてくれていることを切に願おう。
「だな。本来なら男子的にはこの状況は非常に喜ばしいはずなんだがな……」

 まぁ、女子が作った手料理を食べられるなんて経験は、普通の男子高校生にはないかもしれないな。彼女がいるやつは別かもしれないけど、そういうのがいない俺らにとっては非常にありがたいものだ。

「なぜだろう……ただ料理を待っているだけなのに、緊張してきた……。何かの試験の結果発表を待っているような心境だ……!」
 ——それは緊張しすぎだろう……。

 いったい仁はどんな料理が出てくるのを想像しているのやら。まさか人が食べられないようなものが出てくるはずもないし、ここは男らしく待つべし、だ。

「ちょっとトイレ行ってこようかな……」

 どんだけー。

 仁がトイレに席を立とうとしたそのとき、とうとう女子組が作った朝食がリビングに姿を現した。

「お待たせしましたぁ。ちょっといろいろありまして遅くなっちゃいましたぁ」

 水野よ、言葉を濁してくれていているけど、苦労が滲んでいるぞ。

「…………」

 料理の乗ったお盆を持ったひとよは少し自信なさげにうつむいている。

『いやー料理ってなんでこうも人を選ぶんだろうかミ?』

 リズが作った料理だけは口にしないでおこうと心に決めた。今決めた。

 大きなテーブルにずらりと朝食が並ぶ。

 俺ら男子組は完全に女子に任せていたので、どのように役割分担をして作ったのか知らないが、なんとなく想像がつくようなラインナップだった。

 みんなで手分けして同じ料理を作っているものとばかり思っていたけど、どうやら違うようだ。

 個人個人で別々の料理を作ったのだろう。メニューも一貫性がないし、完成度もバラバラだった。

 一番美味しそうに見えるのが水野が作った料理でまず間違いない。お米にお味噌汁に魚の開きと惣菜という日本の古き良き朝食といった感じ。手が込んでいるし、何品か作る余裕があったのは手馴れている証拠。普段から家で料理をしているに違いない。

 ひとよの料理も美味しそうだった。とてもシンプルなサンドイッチだったが、ちゃんと綺麗に形を揃えて切れている。具材も豊富でバリエーションに富んでいる。なのにどうして自信なさげなのかよくわからなかった。

 リズが持ってきたのは、もはや料理ではなく「何か」だった。黒い何かだ。あれに細長い触覚とか脚とか付けたらGに見えてくるかもしれない。そう考えたら食欲が失せてきた。なるべく見ないようにしよう。

「さて、楽しい楽しい戦争しょくじの始まりだあぁ……!」
 ——仁よ……だったらせめてもう少しくらい楽しそうに言ったらどうだ?

 なんか変な風に聞こえたのは気のせいだろう。

 そして仁は何を血迷ったのか、いきなりリズが作ったであろう黒い何かに手を付けた。マジかよ仁、いきなりそれいくのか。勇者だ。

 ばぎゃり。

 仁の口からそんな音が聞こえてきて、悲鳴の一つも上げずに、仁は白目を剥いて後ろにぶっ倒れた。

 バカだ、と思ったが、同時にリズの料理すげぇ……とも思った。

 そして、死んでも口にしないと誓った。今誓った。

「…………天照」
 ——ん?

 水野が「仁くううううんっ!?!?」と叫んで慌てて介抱している中、ひとよはサンドイッチを俺に差し出してきた。

「…………これ、食べ……」
 ——お。どれどれ、いただきます。

 両手を合わせてからありがたく受け取り、一口かじる。

 ——うん、おいしい!

 そう言ってやると、ひとよはわかりやすく機嫌が良くなった。笑ったりはしないけど、雰囲気でわかる。

「…………これも……たべ……」

 そしてまだ食べきっていないのに差し出される新たなサンドイッチ。

 あぁ、これは昨日のBBQと同じ展開だ。

 そんなデジャブを感じながら、俺は両手にサンドイッチをたくさん持って、頬袋いっぱいに放り込むことになった。詰め込みすぎて、呼吸ができないほどに。

 それから少しして、仁の後を追うように倒れてしまったのは、言うまでもなかった。

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