らくガキ

鶴亀七八

その1

 夏真っ盛りなとある平日。俺は寝坊した。
 室内のクーラーがお休みタイマーで停止した瞬間、うだるような暑さに目が覚めてしまい、それからクーラーを再始動させて過ごしやすい室温になっても目が冴えてしまいなかなか寝付けず……あとは言わずもがな、だ。

 ――暑い。眠い。

 と呟いてみたところでそれらに拍車がかかるだけ。完全に余計な一言だが言わずにはいられなかった。
 わかるだろ、この気持ち。
 寝坊したと言っても、朝ご飯を抜いてきたからその分は時間に余裕がある。いつも通りの時間だ。

「……お……ぉは……ょ。ぉ……はっ……ぅ!」

 通学路を歩いていると、曲がり角の先から聞き慣れた声が。髪の毛と洋服が微妙にはみ出していて、隠れているのだとしたらバレバレだ。
 というか、カーブミラーでバッチリ見えてる。
 なんだろう、何か言ってるように見えるけど……何かの練習をしているのだろうか?

 ――おはよう、ひとよ。

 驚かせないようソフトに声をかけると、

「〜〜っ!! ……ぉおぉおぉおははは、よ……!」

 案の定、盛大に〝ビクッ!!〟と毛を逆立ててから、しどろもどろに挨拶を返してくれた。

 この子はクラスメイトの「森井ひとよ」。とても小さい女の子で、気も小さい。でも強い。
 ふわっふわの髪質で腰より長く伸ばしていて、フクロウの羽角うかくのような癖っ毛がある。髪はそのままだと広がってしまうので毛先の方でゆるく纏めている。
 羽角っていうのは耳みたいに見える飾毛のこと。

 ぽふっ。なでなで。

「……〜〜〜っっっ!!!??!??」

 この癖が超強力で、何度撫で付けてもぴょこんぴょこんと跳ねて収まらない。今日もダメっぽい。
 いつからか、こうしてことあるごとに癖っ毛を直すのが癖になってしまった。どうやっても直らないけども。

 諦めて手をどけると、恥ずかしそうにして真っ赤に茹で上がった小さな顔がそこにはあった。

「……ふしゅ〜…………♡」
 ――さて、じゃあ俺は行くな。
「あっ……わたしも、ぃくわ」

 と言って俺の後ろをぽてぽてと小走りについてくる。
 いつも誰かを待っている様子なのに、なぜか俺が来ると一緒に学校まで行ってくれる。他にも仲のいい連中はいるので、その人を待っているのかと思っていたのだが、違うのか。

 ジリジリと容赦なく照りつける太陽。
 汗をあまりかく方ではないが、暑いものは暑いのでシャツの襟を摘んでパタパタ。風が中に入ってきてヒンヤリ感を堪能する。
 これぞ夏の醍醐味だ。

「……っ! ……〜〜っ!」

 後ろから何かをやっている気配を感じたので振り返ってみると、手を使ってあおいでくれていた。手も小さいので風は全然こないが、いよいよフクロウみたいだ。

 ――気持ちは嬉しいけど、それだとひとよが暑いだろ?
「……べ、別に……そんなこと、なぃ」

 とは言ってるけど、俺と同じように汗をあまりかかないだけで間違いなく暑いだろう。この焼けるような日の中で余計な動きをするのは体力的に辛いはず。
 このままだと学校が始まる前にバテてしまう。終わる頃にはグッタリだ。

 ――ひとよ、こっち。
「……ひゃぅっ?!」

 背後にいるひとよを前へ押し出し、俺の影に入らせる。体が小さい彼女ならではの技で、余裕で収まった。
 これならば日に焼かれるのは俺だけになるし、ひとよも余計な体力を消費せずに済む。まだ日が出たばかりだからいいが、これが正午だと太陽は真上になるのでこの作戦も使えない。

 使えるものはどんどん使っていくスタンスでいこう。

「ぁ……ぁりが、とぅ」
 ――どういたしまして。

 しばらくは一本道。もっと背の高い家とか、そんな遮蔽物があれば日陰に入ることもできるんだけど……。
 お互い無言。
 ひとよは地面を見つめているのか、俺の影を見つめているのか。とにかく視線を下げて歩いている。

 彼女が前を歩いているので歩くペースはひとよ合わせ。歩幅が小さいので速度は遅いが、ここまできて置いて行くわけにもいかないし、そのまま合わせるしかなさそう。

 ――いや、ひとよなら抱えて走れそうだな……。
「……ぇ?!」
 ――ああ、ごめん何でもない。

 つい声に出てしまった。が、どこからどう見てもひとよはフェザー級だろう。122〜126ポンド(55.3〜57.1キロ)という意味ではなくて、羽根のように軽いという意味で。
 ずっとこのままのペースだと、せっかく朝ご飯を抜いてきたのに遅刻しそう。使えるものは使っていくスタンスで考えると、実行あるのみだが……。

 ――ひとよ。
「……ぁに?」

 振り返らず答えるひとよ。

 ――抱いてもいいか?
「〜〜〜〜〜〜〜っっっっっっっっ?!?!?!?!(ブッファァッ)」
 ――うわ?! 大丈夫かひとよ!

 突如として鼻から赤いキラキラが吹き出して、凄まじい推進力でも生まれているのか、後ろ向きにもの凄い勢いで倒れていく。

 ――っとと。

 後頭部が地面に激突してしまう前に体を使って支えてやる。
 随分な勢いだったけど、やはり体が小さく軽いからか、衝撃はそうでもなかった。
 影に避難させたはいいけど、のぼせてしまったのだろうか。

 ――平気か?

 上から覗き込むようにして顔を見ると、真っ赤になっている。
 俺の問いには、小さくコクコクと頷くだけ。大丈夫なら、それでいいんだけど。

 やっぱりひとよを抱えて学校まで全力疾走した方がいいかもしれない。学校まで行けば日陰などたくさんあるし、教室に入れば冷房が効いているはず。クールダウンするにはもってこいだ。

「はよっす天照あまてる!」

 俺の後ろから呼びかける声が。

 ――悪いが遅刻しそうなんで先に行く。

 考えた作戦を実行すべく、ひとよを小脇に抱えて全力ダッシュ。

「……ぬ、ぬくもり……が……!」
「あらぁ?! まだオレの名前すらわかってないのに行っちゃうの?! てか森井さんいたんだ」

 安心しろ、このタイミングで出てくるのは親友だと相場が決まっているからな。あとでしっかり紹介してやるから、いまはひとよを教室まで連れて行くことを優先させてくれ、親友の「会津あいず ひとし」よ!

 ……と、ちゃっかり名前くらいは紹介しつつ、砂埃を巻き上げるほどのスピードで走ったおかげであっという間に校門に到着。入学してすぐにこんな走りを見せていたらきっと運動部の勧誘が殺到したに違いない。

 そしてそこに見知った顔、いや見知った背中と後頭部を二人分見つけた。

 ――おはよう水野、リズ。

 追い抜きざまに挨拶だけ残して、さっさと先に走り去る。

「あ、おはようござ――ってえぇ?!」
『アララ、ずいぶん急いでるミ?』

 驚いていた方が水野、語尾が変なのがリズ。
 校門で挨拶をしながら生徒の登校を見守っている先生を尻目に敷地内へ突入。とりあえず下駄箱まで行ければミッションコンプリート。そこまで行ければ自力で教室まで歩けるだろう。上履きに履き替えてもらう必要もあるし。

 ――ふぅ。

 小さく息を整えつつ、わずかに滲んだ汗を拭う。今更だが、ひとよは本当に羽根のように軽かった。
 校舎の玄関をくぐって下駄箱の前にひとよを下ろす。

 なぜかガチガチに固まって直立不動。フクロウは死んでるように動かないことが多いが、そんな感じ。
 とりあえず遅刻も免れたことだし、あとはゆっくりでも大丈夫かな。

「あ、いましたぁ! おはようございますぅ二人とも」

 上履きに履き替えていると、先ほど抜き去った水野とリズの二人が追いついてきた。少々息を切らしているところを見ると、駆け足くらいでやってきたらしい。

『シューマッハも驚きのスピードだったミ』
 ――人間がF1並のスピードで走ってたらそりゃ驚くよ。
「? ? ?」

 リズとのやり取りに疑問符を浮かべまくる水野。ひとよは相変わらず機能停止中。
 再起動するまでに少し、この二人を紹介しておこう。

「『しゅーまっは』って何です? とっても甘そうな響きですぅ」

 なんて言って、もわもわーんと想像しているのはきっとシュークリームに違いない。マッハの部分はどう解釈しているのか気になったが、人の心はわからない。

 そんな彼女の名前は「水野みずの 巫女みこ」。クラスメイトで、ほんわりした印象の女の子らしい女の子。ちょっと天然というか、いわゆるドジっ子属性を持ったおっちょこちょい。妄想癖あり。
 肩で切り揃えられたサラサラの髪に、ピュアな笑顔が男子に人気だったり。

『シューマッハは、マッハで作られたシュークリームのことだミ。音速を超えた速度を出して、空気の摩擦で焼くんだミ。ついでに焼きながら売り場に直送できるという優れものミ!』

 水野にありえない嘘を吹き込んでいるこの子は「リズベルト・パールホルン」。略してリズとみんな呼んでいる。名前からわかるように日本人ではないのだが、非常に日本に馴染んでいるというか、間違った方向に適応してしまった悪い例だ。

 どこが間違えているのかと言えば、まず見た目から間違っている。狐のお面を被っていて表情が読めず、言葉で感情を読み取ろうとしても語尾の「ミ」で全てが台無し。教室に入ってきて紹介された時には驚いたものだけど、今となっては日常の風景に溶け込んでいる。
 髪の毛もキツネのような明るい色をしているので、そこらへん合わせているのかも。

「す、すごいですぅ! 日本の技術はそんなところまで進んでいたんですね!」
 ――いや水野、嘘だからね。

 信じてしまうあたり、純粋な水野らしい。

『ところで何をそんなに急いでたんだミ? ヒトヨさんをタッチダウン?』
 ――それ地面に叩きつけてるから!

 平然と怖いことを言ってのけるからリズは恐ろしい。狐面のビジュアルも相まって恐怖さは二割増しだ。
 登校中に倒れそうになったので、抱えてここまで連れてきたことを伝えると、

『ナルホドナルホド。それで石化ミ』
「はうぅ……ひとよちゃん大丈夫なんですかぁ? 保健室行った方がいいんじゃ……」

 心配そうな声をあげてひとよを見つめる水野だが、対するリズは悪戯心がくすぐられているのか、ウズウズしている。
 余計なことをしそうな予感。

 リズがひとよに近付くと、背中をこちらへ向くよう調整し、腕を腰へ回した。その間もピクリともしない。
 ひとよを挟むような立ち位置だが、何をする気だ。

『ここまで連れてきてくれたんだから、お礼だミ!』

 バサッ。

 ワイシャツを一気に捲り上げて露わになる白い背中。そして横一直線に伸びる水色のブラホック。

 元々細い体をしているのにさらにくびれていて女の子らしい体型が丸見え。腰に引っかかる紺のスカートと肌の色のコントラストがなんとも言えない。

「…………ふっっっ!」
『ぐドボワッハァぁぁぁっっ?!!!!?』

 急に再起動したひとよが、猛烈な足技を見せる。
 鳩尾に膝をぶち込んで相手を宙に浮かせ、間髪入れず潜り込むように懐へ入り込むと曲芸並みの体のひねりを利用して足の甲を脇腹に打ち込み体を引っ掛け、そして床に叩きつけた。

 サッカーで言うところの、オーバーヘッドキックの横ひねりバージョンでボールを床に向かって蹴った、と言えば伝わるだろうか。

 床がヒビ割れるほどの威力に唖然となる。

「い、今のはリズちゃんが悪いですよぉ……?」
「……………………みた……?」

 いそいそと身なりを直しながらひとよが聞いてくる。こういう問いに、男としてはどうやって答えたものか。

 ――いや……んと……ご、ごめん。

 乳白色の小さい背中にかかる水色の橋が脳裏をチラついてしまい、言葉に詰まる。自分でも今どんな顔をしてるのかわからなくて、なんとなく恥ずかしくなり腕で隠す。

「天照くんがてれてます?! 珍しいですぅ!」

 どういうわけか、ブッシャー! と鼻から赤いキラキラを噴出させて倒れる水野。妄想をこじらせて耐えきれなくなるとこうなるらしい。たびたびあるので変に騒ぐ人はこの場にはいないが、困った。

「べ……べつに天照はわるくなぃわ……じこ、みたぃな……」

 もじもじと言う。
 良かった、許してくれたっぽい。そもそも俺は悪くないんだけどね、罪悪感みたいなものがあったから少し楽になった。

『ミコさんはいつものだけど、ヒトヨさんが倒れたのは気温じゃなくてアマテルさんにお熱だから、それで逆上のぼせたんだ――ビィぃっ?!』

 あれだけの蹴撃を受けながらも謎の執念で余計な一言を放り込むが、セミの断末魔のような声を上げてひとよにトドメを刺されたリズ。

 遠慮容赦のない踏みつけだった。さらに床にめり込んだ気がするのは、気のせいだろう。きっと。

「うおっ、なにこれどんな状況?! オレが来るまでに一体何があった?!」

 遅れてやってきた親友の仁。いきなりこの惨状を見せられたら誰だって混乱するだろう。
 逆に俺は冷静になってしまい、だからこそ疑問に思ったことがある。

 ――ひとよ。
「……ぁに……?」

 叱られるとでも思っているのか、視線を合わせずそっけない態度を見せる。
 でも、全然そんなんじゃない。

 ――今朝、もしかして俺を待ってたのか?

 いつも一緒にいるメンバーはこの場に揃った。
 が、待ち合わせしそうな水野とリズの二人は先を歩いていた。あのまま待っていても二人はこないというわけだ。

「…………しらない」

 ぷいっ。

 それだけ言って、倒れている二人を置いて先に行ってしまった。

「よくわからんが、とりあえず保健室運んどくか」
 ――……そうだな。

 仁の適応力の高さに感謝しつつ、ボロボロのリズとキラキラまみれの水野を保健室に運んでやったのだった。

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