らくガキ
その9
「はい、確かに。皆さんお疲れ様でした」
チェックマークの付けられたプリントを受け取って、担任の葉山先生はにっこりと。
許される時間を目一杯使って、プリントに書かれている箇所をしっかりと掃除。全てにチェックマークを付けられたときにはなかなかに達成感があった。
たまになら、こうして掃除するのも悪くない。
ほんとにたまになら。
「お礼と言っては何ですけど、ご褒美にアイスを買っておきました。他の人には内緒ですよ?」
片目を瞑り指を口元に当てて微笑む葉山先生。大人な雰囲気を感じさせる女性だ。
アイスという単語を聞いて喜びまくる親友の仁と狐のお面をかぶった語尾が変な留学生のリズ。
「うっひょ~! さっすが葉山先生! わかってる〜!」
『子供の扱いに慣れてる感じは恐れ入るミ!』
物静かなひとよと、おっとり天然な水野は、飛び跳ねる二人のそんな様子を端から眺めていた。俺もその内の一人。
アイスであそこまで喜べるのは正真正銘の子供くらいかと思っていたが、考えを改めた方がよさそうだ。
葉山先生が別室にある冷蔵庫から取ってきたのはカップのアイスが五つ。付属した木の板のようなスプーンを見ると、これぞ夏と思える。
バニラとチョコの二種類で、バニラが三つ、チョコ二つ。五人で奇数だからしょうがないけど、なんと仁とリズの二人が話し合いもなくあっという間にチョコをさらってしまった。
俺は別にバニラでも構わないけど、ひとよと水野はいいのだろうか。
「では、わたしはバニラをいただきますぅ」
「…………わたしも」
別にいいらしい。こんなところでまた変な争いに発展しなくてよかった。
――先生、自分の分は無いんですか? なんか俺たちだけで食べちゃうのは悪いというか……。
「気にしなくて結構ですよ。私は皆が頑張っている間に食べちゃいましたから」
そうか。もしかして、キリがいいように三つずつ買ってきたんだけど、先生が先にチョコ味を食べたからこの微妙な数に――、
「――抹茶味を」
一人だけ高級感漂うアイスを食べていた!
『なんですとっ?! ワタシもそっちがよかったミ!』
「オレもオレも! 先生ずりーよ!」
案の定、リズと仁は「大人ってずるい!」と食い付いていた。
言いたいことは分かるけど、すでにアイスを頂いている身なのだから、文句は言えまい。抹茶だろうがバニラだろうがチョコだろうが、アイスはアイス。
暑い夏に冷たい物を食べられるだけマシだ。
窓から外を見てみれば、まだ重圧感のある分厚い雲が空を覆っているが、雨は止んでるようだ。
雑巾レースで白熱したりはあったけど、なんだかんだでみんな真面目に掃除をしていたから全然気付かなかった。
「そんなに抹茶のアイスが食べたいんでしたら――」
「あるのっ!?」
『あるのかミッ!?』
「――先生のお願いを聞いてくれたら考えてあげますよ」
仁とリズの二人は、葉山先生に完全に遊ばれている気がする。
ふふふっ、と穏やかに笑って弄ぶ先生を眺めながら、木の板でバニラアイスをほじくる。
「…………ぉぃひ」
「ですねぇ」
うっとりと満足気につぶやくひとよに、同意する水野。
俺にはこの後の展開がそれとなく予想できるのだが、こんなに呑気にしてていいのだろうか。
「実は夏休み中にプールを開放する予定なんですけど、そこの清掃は教師の仕事なのです」
ほらきたやっぱり。
「ですから前もって清掃しておけば、わた――あなた達の株も上がりますし、どうでしょう?」
いま「私の株」って言いかけなかったかな葉山先生。絶対そう言おうとしたよね。
教師間だけで行われるらしいプール掃除を少しでも進めておけば楽に終わる。あわよくば俺たちが終わらせてくれれば、やらなくて済む。
そしてその手柄を自分のものとしようとしているんだなこの先生は。
考え方が汚い! 笑顔が綺麗なだけによりいっそう汚く思える!
「やってくれませんか? もちろん約束通り抹茶のアイスをご用意させていただきます」
「やるやる! もちろんやりますとも!」
『ワタシ達に任せてほしいミ!』
リズの言う「ワタシ達」には俺やひとよや水野が含まれているんじゃなかろうな。俺たちはやるとは一言も言ってないからな。
「よかった。では皆さん、よろしくお願いしますね」
穏やかに笑う葉山先生は、この場にいる全員に目配せしてから言った。
やっぱり、俺らも込みで話が進められているようだった……。
――勝手に話が進んでるけど、二人はそれでいいのか?
なぜか盛り上がっている仁とリズには聞こえないよう、アイスをちまちまと食べ進めているひとよと水野の二人に話しかける。
特に水野なんかは、完全に巻き込まれた形なので本来なら今日の掃除ですら来なくてよかったはずなのだ。
その上、プール掃除まですることになるなんて思ってもいなかったはず。
「わ、わたしはみんなで過ごせればそれで……」
どんだけいい子なんだ水野は。惚れる男子が多いのも理解できる気がする。きっといいお嫁さんになるだろう。
「…………わたしも、天照がやるなら、やるわ……」
ひとよも無表情でいつも不機嫌に思われがちだけど、人付き合いはいいよな。
これだけみんなが前向きに考えている中、俺だけ参加しないというのも悪い気がするし、それにプール掃除というものには多少なりとも興味がある。
本当にプールの底でツルツル滑れるのか、試してみたい。
――だったら、みんなでプール掃除するか。
自分に言い聞かせるつもりでつぶやいた言葉に、各々が元気よく返事した。
*
カラッとアスファルトを焼く太陽が天頂に輝き、地面から陽炎のごとき揺らめきが立ち上る。
俺、ひとよ、水野、仁、リズのいつものメンバー5人が揃って立つはプールサイド。一応持ってきたビーチサンダルが溶けてしまうのではないかと思えるほどに、快晴で暑い。
「ではみなさん、本日もよろしくお願いしますわ」
そういう葉山先生はプールサイドの隅っこにパラソルを立てて、麦わら帽子とサングラスというサマースタイル。
対する俺たちはというと、普通に体操服。学校という場所で、濡れても問題ない服装と言ったらこれくらいだからだ。
「よっしゃー! んじゃあやりますかー!」
仁が両手を振り上げて、暑苦しく叫ぶ。
プールには先日降った雨がうっすらと溜まっているだけで、ほぼほぼ水は張られていない。どころかこの天候なので、このままだとあっという間に蒸発して完全に空っぽになるだろう。
これからホースで水を撒いてデッキブラシでこすったりするから、まぁこのプールが空っぽになるようなことはない。
「わたしプール掃除って初めてですぅ」
『ワタシもやったこと無いミ! 楽しミー!』
デッキブラシを握りしめた水野と、何やらよくわからない物体を抱えているリズ。
厚みのある円盤のような……。どっかで見たことあるような。
どうやらあの狐のお面のような発明品のようだが、リズの発明品には良い思い出はない。発想としては役に立つ物なのだが、たいてい最後は暴走して爆発オチが待ち構えている。
今日ばかりはそうならないことを祈りたいものだ。
「…………ぁぅ」
そしてひとよは突き刺すような日の光に当てられて参っているようだ。基本的に暑いのが苦手なひとよにしては、これでも頑張っているほう。
ボリューム満点な長い髪を後頭部で結い上げるポニーテールで、いつもの印象と違う。
やっぱり髪は結い上げた方が、首とか涼しくなるらしい。
――ひとよ、あまり無理するなよ?
太陽を遮るものがない中での作業になる。屋内の掃除とは違うので、日射病や脱水症状には要注意だ。それぞれ飲み物を持参したりはしてるけど、どうやって保管しようかと思っていたら、なんと葉山先生が気を利かせてクーラーボックスを持ってきてくれていた。
やっぱり大人の女性は目の付け所が違っていらっしゃる。
「…………別にへぃきよ」
俺に心配されるのは心外なのか、そっぽを向くように呟くひとよ。
強がる癖があるっぽいので、しっかり見ていた方が良さそうだ。
頑張ろうな、と言いつついい高さにあるひとよの頭をポンポンと撫でてやった。
「〜〜〜〜〜〜っ♡」
やっぱりこの羽角のような癖っ毛だけは直らない。
そういえば、髪を湿らせてプールキャップをかぶるとクセが直るという裏技を何かの番組で紹介していたのを思い出した。
……試してみたいけど、いまはプール掃除に集中しよう。
「うお、なんか水のないプールって新鮮だな……!」
角にあるハシゴから慎重に下りて、仁が感慨深く言う。
見てるだけでも何だか新鮮に感じるのに、中に入るのだから一入だろう。
「掃除中は滑ると思いますので、怪我には注意してくださいねー」
と、外野にいる葉山先生から忠告が。
ここには滑りの達人がいるので、滑ったとしても怪我はしないだろうけど、気を付けるに越したことはない。
「プールの底に側溝を速攻で発見しました! なんちゃって!」
仁のダジャレが亜音速で滑って心の怪我を深々と刻み込んでいる。気温が2度ほど下がった気がするからどんどんやれー。
『ミコさーん! 水出しちゃってくださいミー!』
「はぁ〜い!」
仁のダジャレはどこ吹く風。リズが抱えていた謎の円盤は隅っこに置き、水野が水道の蛇口をひねる。
ホースから勢いよく飛び出した水は、狙い違わず仁の顔面へ。
「ぶうぉっふ!? ちょちょちょと!?」
『ミコさーん? もっと強くしてほしいミ!』
「はぁ〜い!」
「いやいやリズさん!? わざとやっておいでですか?!」
プール内の様子をしっかり把握できていない水野は、聞こえてくるリズの指示通り蛇口をさらにひねり、水の勢いを強くする。
俺とひとよはまだプールサイドに立っているので被害はないが、はたから見れば水かぶって気持ちよさそう。
――俺らも行くか。
「…………ぅん」
ビーチサンダルを脱ぎ、足裏が焼ける前にデッキブラシを手にして、隅っこのハシゴから下へ降りる。
リズがぶちまけた水により湿った底は話に聞いた通り、ツルツルしている。……ような気がする。なんというか、グリップは効いてるんだけど、一定ラインを超えると急に滑り出す。
――これは……気を抜いた瞬間、滑って後頭部強打の恐れが……。
「…………天照なら、だぃじょぅぶょ」
いつにも増して、俺への謎の信頼感を見せるひとよ。
俺は別にひとよみたいに運動神経抜群でもなければ、リズや仁のように打たれ強いわけでもないんだけど。どちらかと言えば、水野みたいな一般人寄りなわけで。
『アマテルさんヒトヨさんやっと来たミ! ちょっとホースお願いミ!』
やってみたいことがあるからとホースを俺へ引き継がせて、飛び込み台の下まで慎重な足取りで走って行く。
そして、プールの側面に到着した瞬間、手足を使って反対側へ勢いを付けて猛烈なスピードで底を滑る。
……仁に向かって。
『ヒトシさん退いた退いたミ-!』
「はぁっ!? おいおいおいおい――」
双方とも避けることが出来ず、あろうことが仁に対して完璧なラリアットをぶちかます。
ぐるんと一回転してから――ぐべっ、と潰れた蛙のようになる仁。
実は俺とひとよも何気なく参戦していて、カーリングの要領でリズの滑る先を見越して水を撒き、ひとよがブラシで擦って滑りをよくするというコンビネーションを見せていたり。
「お前らオレをどうしたいわけ!? バク宙して威力を殺してなかったら死んでもおかしくなかったんですけど?!」
この足場の悪い中で咄嗟にバク宙できるほうがおかしいと思うんだが。
ラリアットを喰らい、硬いプールの底に激突しても元気にピンピンしてるんだから、仁の頑丈さは常軌を逸している。
「えっとぉ……わたしは何すればいいんでしょうかぁ?」
蛇口をひねるという簡単な仕事を終えた水野がおずおずとやってきた。リズと仁がはしゃぐもんだからすでに全体的に水は行き渡っている。あとはブラシで擦るなりしていればいずれ終わるだろう。
「ひぃ!? ムシがいますぅ!?」
プールに降りてきた水野が早速ビクゥ!? と驚いた。
水辺には虫が集まりやすいもの。アメンボとかヤゴとかカエルとか。プールは広く、虫は小さいため分かりにくいが、目を凝らしてみれば結構多い。
『アレ? ミコさんはムシって苦手かミ?』
そう言いつつリズが掌に乗っけているのはおそらくミズカマキリ。細長いシルエットだが姿形はカマキリだ。
……よく触れるな。見るのはいいけど触るのは無理だ。
「女の子はみんな苦手ですぅ!」
『オンナのコは、みんな……? き、きゃームシこわーいミ!』
いや、今更怖がっても遅いから。そんな棒読みで言われても全然信憑性ないから。
カマキリなんてグロテスクな虫を平然と掴んでいた人のセリフとは思えない。
――虫は……流すしかないかな。多いし。
水野が怖がってるんじゃまともにプール掃除もできやしないだろう。
俺がホースの水で虫を流している間、背後からは騒がしくも楽しそうな声が。
『ヒトシさんをぶっ殺せミー!』
「そう簡単に殺られるかよ!」
若干、清掃に似つかわしくない単語と一緒にデッキブラシで打ち込まれたタワシが飛び交ったりしているが、基本的にはわいわいきゃーきゃーしている。ホントホント。
「リズちゃん。さっきから気になってたんですけど、アレはなんですかぁ?」
指差す先にはあの円盤。
水野が近寄りがたい戦闘を止めさせようと、気をそらすために振った話題なのだろうが、残念ながらそれは地雷だ。踏み込んではいけない話題だった。
しかしもう遅い。
『よくぞ聞いてくれたミ! これぞ全自動プール掃除機! 一夜城のごとく突貫で作り上げたミ!』
全自動プール掃除機!? そうか、なんか見たことあるフォルムだなって思ってたけど、あれは「ルンバ」だ! ルンバをプール掃除用に改造したのか!
ちょいっちょい、と体操服を引っ張られる感じが。
見てみれば、ひとよが何か言いたげな顔してそこにいた。
無言のまま手を掴まれて、ルンバもどきから距離を取るようにプールの角へ連れて行かれる。
一瞬どうしたのかと思ったけど、察した。
「…………きけん」
――だよな。
リズはルンバもどきのスイッチをオンにする。
すると、どんな仕組みになっているのかサッパリ理解できないが、ギミックが作動して中から八本の細い腕が飛び出し、そのアームにはブラシやらスポンジやらが握られている。
体積から考えて収まるはずのないものが飛び出して度肝を抜かれるが、変形し終えた見た目がもう虫みたいだった。カチャカチャとキモく動き回る姿は、ルンバのえも言われぬ愛くるしさとは似ても似つかない。
『プール掃除は自分の手でやってみたかったけど、5人じゃ手が足りないかと思って作ってきたんだミ!』
と、言うことらしい。
確かに今現在は思っていたよりもちゃんと仕事をしているように見えなくもない。的確に汚れている部分を見つけ出して、ブラシでゴシゴシと擦っている。
リズにしては、珍しくちゃんと動いている発明品だ。
――意外と平気っぽい……?
と思ったのも束の間だった。
ルンバもどきについているセンサーが汚れを検知して、一直線に向かった先にいたのは、水野。決して水野が汚れているとかいう話ではなく、汚れている場所に水野が立っていただけだ。
だが水野は向かってくるルンバもどきを見てどんどん顔が青ざめていく。
「い――イヤァッ!?」
恐怖に彩られたような悲鳴をあげた水野は、その手を振り上げ……一瞬ぶれたかと思った時にはすでに振り下ろされていた。
その手は、手刀のかたち。
動きを止めたルンバもどきは、音もなく真っ二つに切断されてしまった。
「…………さすがみこ」
――人間業を超えてませんかね……。
瓦割りじゃなくて、瓦斬りになっていた。
水野……お前も一般人ではなかったのだな……。
『ンNOOOOOOOOッッッ!?!?!?!?』
というリズの悲鳴を引っさげて、ルンバもどきは無残にも爆散した。
*
――葉山先生、こんなもんでどうでしょう。
一通り掃除の終わったプールを見てもらうため、何やら黙々と作業している葉山先生に声を掛ける。
俺らが散々喚き散らしていても注意してこないほど集中していたらしく、何度か声をかけてようやく気付いてくれた。
「ああ、はい。お疲れ様でした。そこのクーラーボックスに約束の品が入っているので、食べて結構ですよ」
わーい、と子供のようにはしゃぐ仁とリズ。この二人はこれのためだけにプール掃除なんて買って出たからいいけど、こっちとしては少々割りに合わない気がする。
アイスは頂くけども。
クーラーボックスの中には抹茶味のアイスが5つ。念のためか、バニラやチョコも入っていた。
――葉山先生は何してたんですか?
ちょっと気になったので聞いてみると、
「休み明けにあるテストの作成ですわ。今からやっておけば後が楽になりますから」
テスト……その単語を聞いて、まだまだ夏休みは始まったばかりなのに気分が重くなってくる。
「それにしても暑いですわね。気が滅入ってしまいます」
俺はテストという単語だけで気が滅入ってしまったけども、葉山先生の言う通りでもあった。
――先生はアイス食べないんですか?
「みなさんが楽しそうに掃除してくれている間に食べてしまいましたから」
これだけ暑ければフライングもしたくなるか。そもそも先生が買ってきてくれたものだから、いつ食べようが先生の自由だ。抹茶味なんて高級そうなアイスを我慢する方が難しいか。
「――宇治金時味を」
さらに高級感あふれる味を堪能していらっしゃった!?
嬉しそうに抹茶味のアイスを頬張るみんなには黙っておこうと心に決めて、胸の内にしまい込み、おとなしく抹茶のアイスを頂くことにした。
チェックマークの付けられたプリントを受け取って、担任の葉山先生はにっこりと。
許される時間を目一杯使って、プリントに書かれている箇所をしっかりと掃除。全てにチェックマークを付けられたときにはなかなかに達成感があった。
たまになら、こうして掃除するのも悪くない。
ほんとにたまになら。
「お礼と言っては何ですけど、ご褒美にアイスを買っておきました。他の人には内緒ですよ?」
片目を瞑り指を口元に当てて微笑む葉山先生。大人な雰囲気を感じさせる女性だ。
アイスという単語を聞いて喜びまくる親友の仁と狐のお面をかぶった語尾が変な留学生のリズ。
「うっひょ~! さっすが葉山先生! わかってる〜!」
『子供の扱いに慣れてる感じは恐れ入るミ!』
物静かなひとよと、おっとり天然な水野は、飛び跳ねる二人のそんな様子を端から眺めていた。俺もその内の一人。
アイスであそこまで喜べるのは正真正銘の子供くらいかと思っていたが、考えを改めた方がよさそうだ。
葉山先生が別室にある冷蔵庫から取ってきたのはカップのアイスが五つ。付属した木の板のようなスプーンを見ると、これぞ夏と思える。
バニラとチョコの二種類で、バニラが三つ、チョコ二つ。五人で奇数だからしょうがないけど、なんと仁とリズの二人が話し合いもなくあっという間にチョコをさらってしまった。
俺は別にバニラでも構わないけど、ひとよと水野はいいのだろうか。
「では、わたしはバニラをいただきますぅ」
「…………わたしも」
別にいいらしい。こんなところでまた変な争いに発展しなくてよかった。
――先生、自分の分は無いんですか? なんか俺たちだけで食べちゃうのは悪いというか……。
「気にしなくて結構ですよ。私は皆が頑張っている間に食べちゃいましたから」
そうか。もしかして、キリがいいように三つずつ買ってきたんだけど、先生が先にチョコ味を食べたからこの微妙な数に――、
「――抹茶味を」
一人だけ高級感漂うアイスを食べていた!
『なんですとっ?! ワタシもそっちがよかったミ!』
「オレもオレも! 先生ずりーよ!」
案の定、リズと仁は「大人ってずるい!」と食い付いていた。
言いたいことは分かるけど、すでにアイスを頂いている身なのだから、文句は言えまい。抹茶だろうがバニラだろうがチョコだろうが、アイスはアイス。
暑い夏に冷たい物を食べられるだけマシだ。
窓から外を見てみれば、まだ重圧感のある分厚い雲が空を覆っているが、雨は止んでるようだ。
雑巾レースで白熱したりはあったけど、なんだかんだでみんな真面目に掃除をしていたから全然気付かなかった。
「そんなに抹茶のアイスが食べたいんでしたら――」
「あるのっ!?」
『あるのかミッ!?』
「――先生のお願いを聞いてくれたら考えてあげますよ」
仁とリズの二人は、葉山先生に完全に遊ばれている気がする。
ふふふっ、と穏やかに笑って弄ぶ先生を眺めながら、木の板でバニラアイスをほじくる。
「…………ぉぃひ」
「ですねぇ」
うっとりと満足気につぶやくひとよに、同意する水野。
俺にはこの後の展開がそれとなく予想できるのだが、こんなに呑気にしてていいのだろうか。
「実は夏休み中にプールを開放する予定なんですけど、そこの清掃は教師の仕事なのです」
ほらきたやっぱり。
「ですから前もって清掃しておけば、わた――あなた達の株も上がりますし、どうでしょう?」
いま「私の株」って言いかけなかったかな葉山先生。絶対そう言おうとしたよね。
教師間だけで行われるらしいプール掃除を少しでも進めておけば楽に終わる。あわよくば俺たちが終わらせてくれれば、やらなくて済む。
そしてその手柄を自分のものとしようとしているんだなこの先生は。
考え方が汚い! 笑顔が綺麗なだけによりいっそう汚く思える!
「やってくれませんか? もちろん約束通り抹茶のアイスをご用意させていただきます」
「やるやる! もちろんやりますとも!」
『ワタシ達に任せてほしいミ!』
リズの言う「ワタシ達」には俺やひとよや水野が含まれているんじゃなかろうな。俺たちはやるとは一言も言ってないからな。
「よかった。では皆さん、よろしくお願いしますね」
穏やかに笑う葉山先生は、この場にいる全員に目配せしてから言った。
やっぱり、俺らも込みで話が進められているようだった……。
――勝手に話が進んでるけど、二人はそれでいいのか?
なぜか盛り上がっている仁とリズには聞こえないよう、アイスをちまちまと食べ進めているひとよと水野の二人に話しかける。
特に水野なんかは、完全に巻き込まれた形なので本来なら今日の掃除ですら来なくてよかったはずなのだ。
その上、プール掃除まですることになるなんて思ってもいなかったはず。
「わ、わたしはみんなで過ごせればそれで……」
どんだけいい子なんだ水野は。惚れる男子が多いのも理解できる気がする。きっといいお嫁さんになるだろう。
「…………わたしも、天照がやるなら、やるわ……」
ひとよも無表情でいつも不機嫌に思われがちだけど、人付き合いはいいよな。
これだけみんなが前向きに考えている中、俺だけ参加しないというのも悪い気がするし、それにプール掃除というものには多少なりとも興味がある。
本当にプールの底でツルツル滑れるのか、試してみたい。
――だったら、みんなでプール掃除するか。
自分に言い聞かせるつもりでつぶやいた言葉に、各々が元気よく返事した。
*
カラッとアスファルトを焼く太陽が天頂に輝き、地面から陽炎のごとき揺らめきが立ち上る。
俺、ひとよ、水野、仁、リズのいつものメンバー5人が揃って立つはプールサイド。一応持ってきたビーチサンダルが溶けてしまうのではないかと思えるほどに、快晴で暑い。
「ではみなさん、本日もよろしくお願いしますわ」
そういう葉山先生はプールサイドの隅っこにパラソルを立てて、麦わら帽子とサングラスというサマースタイル。
対する俺たちはというと、普通に体操服。学校という場所で、濡れても問題ない服装と言ったらこれくらいだからだ。
「よっしゃー! んじゃあやりますかー!」
仁が両手を振り上げて、暑苦しく叫ぶ。
プールには先日降った雨がうっすらと溜まっているだけで、ほぼほぼ水は張られていない。どころかこの天候なので、このままだとあっという間に蒸発して完全に空っぽになるだろう。
これからホースで水を撒いてデッキブラシでこすったりするから、まぁこのプールが空っぽになるようなことはない。
「わたしプール掃除って初めてですぅ」
『ワタシもやったこと無いミ! 楽しミー!』
デッキブラシを握りしめた水野と、何やらよくわからない物体を抱えているリズ。
厚みのある円盤のような……。どっかで見たことあるような。
どうやらあの狐のお面のような発明品のようだが、リズの発明品には良い思い出はない。発想としては役に立つ物なのだが、たいてい最後は暴走して爆発オチが待ち構えている。
今日ばかりはそうならないことを祈りたいものだ。
「…………ぁぅ」
そしてひとよは突き刺すような日の光に当てられて参っているようだ。基本的に暑いのが苦手なひとよにしては、これでも頑張っているほう。
ボリューム満点な長い髪を後頭部で結い上げるポニーテールで、いつもの印象と違う。
やっぱり髪は結い上げた方が、首とか涼しくなるらしい。
――ひとよ、あまり無理するなよ?
太陽を遮るものがない中での作業になる。屋内の掃除とは違うので、日射病や脱水症状には要注意だ。それぞれ飲み物を持参したりはしてるけど、どうやって保管しようかと思っていたら、なんと葉山先生が気を利かせてクーラーボックスを持ってきてくれていた。
やっぱり大人の女性は目の付け所が違っていらっしゃる。
「…………別にへぃきよ」
俺に心配されるのは心外なのか、そっぽを向くように呟くひとよ。
強がる癖があるっぽいので、しっかり見ていた方が良さそうだ。
頑張ろうな、と言いつついい高さにあるひとよの頭をポンポンと撫でてやった。
「〜〜〜〜〜〜っ♡」
やっぱりこの羽角のような癖っ毛だけは直らない。
そういえば、髪を湿らせてプールキャップをかぶるとクセが直るという裏技を何かの番組で紹介していたのを思い出した。
……試してみたいけど、いまはプール掃除に集中しよう。
「うお、なんか水のないプールって新鮮だな……!」
角にあるハシゴから慎重に下りて、仁が感慨深く言う。
見てるだけでも何だか新鮮に感じるのに、中に入るのだから一入だろう。
「掃除中は滑ると思いますので、怪我には注意してくださいねー」
と、外野にいる葉山先生から忠告が。
ここには滑りの達人がいるので、滑ったとしても怪我はしないだろうけど、気を付けるに越したことはない。
「プールの底に側溝を速攻で発見しました! なんちゃって!」
仁のダジャレが亜音速で滑って心の怪我を深々と刻み込んでいる。気温が2度ほど下がった気がするからどんどんやれー。
『ミコさーん! 水出しちゃってくださいミー!』
「はぁ〜い!」
仁のダジャレはどこ吹く風。リズが抱えていた謎の円盤は隅っこに置き、水野が水道の蛇口をひねる。
ホースから勢いよく飛び出した水は、狙い違わず仁の顔面へ。
「ぶうぉっふ!? ちょちょちょと!?」
『ミコさーん? もっと強くしてほしいミ!』
「はぁ〜い!」
「いやいやリズさん!? わざとやっておいでですか?!」
プール内の様子をしっかり把握できていない水野は、聞こえてくるリズの指示通り蛇口をさらにひねり、水の勢いを強くする。
俺とひとよはまだプールサイドに立っているので被害はないが、はたから見れば水かぶって気持ちよさそう。
――俺らも行くか。
「…………ぅん」
ビーチサンダルを脱ぎ、足裏が焼ける前にデッキブラシを手にして、隅っこのハシゴから下へ降りる。
リズがぶちまけた水により湿った底は話に聞いた通り、ツルツルしている。……ような気がする。なんというか、グリップは効いてるんだけど、一定ラインを超えると急に滑り出す。
――これは……気を抜いた瞬間、滑って後頭部強打の恐れが……。
「…………天照なら、だぃじょぅぶょ」
いつにも増して、俺への謎の信頼感を見せるひとよ。
俺は別にひとよみたいに運動神経抜群でもなければ、リズや仁のように打たれ強いわけでもないんだけど。どちらかと言えば、水野みたいな一般人寄りなわけで。
『アマテルさんヒトヨさんやっと来たミ! ちょっとホースお願いミ!』
やってみたいことがあるからとホースを俺へ引き継がせて、飛び込み台の下まで慎重な足取りで走って行く。
そして、プールの側面に到着した瞬間、手足を使って反対側へ勢いを付けて猛烈なスピードで底を滑る。
……仁に向かって。
『ヒトシさん退いた退いたミ-!』
「はぁっ!? おいおいおいおい――」
双方とも避けることが出来ず、あろうことが仁に対して完璧なラリアットをぶちかます。
ぐるんと一回転してから――ぐべっ、と潰れた蛙のようになる仁。
実は俺とひとよも何気なく参戦していて、カーリングの要領でリズの滑る先を見越して水を撒き、ひとよがブラシで擦って滑りをよくするというコンビネーションを見せていたり。
「お前らオレをどうしたいわけ!? バク宙して威力を殺してなかったら死んでもおかしくなかったんですけど?!」
この足場の悪い中で咄嗟にバク宙できるほうがおかしいと思うんだが。
ラリアットを喰らい、硬いプールの底に激突しても元気にピンピンしてるんだから、仁の頑丈さは常軌を逸している。
「えっとぉ……わたしは何すればいいんでしょうかぁ?」
蛇口をひねるという簡単な仕事を終えた水野がおずおずとやってきた。リズと仁がはしゃぐもんだからすでに全体的に水は行き渡っている。あとはブラシで擦るなりしていればいずれ終わるだろう。
「ひぃ!? ムシがいますぅ!?」
プールに降りてきた水野が早速ビクゥ!? と驚いた。
水辺には虫が集まりやすいもの。アメンボとかヤゴとかカエルとか。プールは広く、虫は小さいため分かりにくいが、目を凝らしてみれば結構多い。
『アレ? ミコさんはムシって苦手かミ?』
そう言いつつリズが掌に乗っけているのはおそらくミズカマキリ。細長いシルエットだが姿形はカマキリだ。
……よく触れるな。見るのはいいけど触るのは無理だ。
「女の子はみんな苦手ですぅ!」
『オンナのコは、みんな……? き、きゃームシこわーいミ!』
いや、今更怖がっても遅いから。そんな棒読みで言われても全然信憑性ないから。
カマキリなんてグロテスクな虫を平然と掴んでいた人のセリフとは思えない。
――虫は……流すしかないかな。多いし。
水野が怖がってるんじゃまともにプール掃除もできやしないだろう。
俺がホースの水で虫を流している間、背後からは騒がしくも楽しそうな声が。
『ヒトシさんをぶっ殺せミー!』
「そう簡単に殺られるかよ!」
若干、清掃に似つかわしくない単語と一緒にデッキブラシで打ち込まれたタワシが飛び交ったりしているが、基本的にはわいわいきゃーきゃーしている。ホントホント。
「リズちゃん。さっきから気になってたんですけど、アレはなんですかぁ?」
指差す先にはあの円盤。
水野が近寄りがたい戦闘を止めさせようと、気をそらすために振った話題なのだろうが、残念ながらそれは地雷だ。踏み込んではいけない話題だった。
しかしもう遅い。
『よくぞ聞いてくれたミ! これぞ全自動プール掃除機! 一夜城のごとく突貫で作り上げたミ!』
全自動プール掃除機!? そうか、なんか見たことあるフォルムだなって思ってたけど、あれは「ルンバ」だ! ルンバをプール掃除用に改造したのか!
ちょいっちょい、と体操服を引っ張られる感じが。
見てみれば、ひとよが何か言いたげな顔してそこにいた。
無言のまま手を掴まれて、ルンバもどきから距離を取るようにプールの角へ連れて行かれる。
一瞬どうしたのかと思ったけど、察した。
「…………きけん」
――だよな。
リズはルンバもどきのスイッチをオンにする。
すると、どんな仕組みになっているのかサッパリ理解できないが、ギミックが作動して中から八本の細い腕が飛び出し、そのアームにはブラシやらスポンジやらが握られている。
体積から考えて収まるはずのないものが飛び出して度肝を抜かれるが、変形し終えた見た目がもう虫みたいだった。カチャカチャとキモく動き回る姿は、ルンバのえも言われぬ愛くるしさとは似ても似つかない。
『プール掃除は自分の手でやってみたかったけど、5人じゃ手が足りないかと思って作ってきたんだミ!』
と、言うことらしい。
確かに今現在は思っていたよりもちゃんと仕事をしているように見えなくもない。的確に汚れている部分を見つけ出して、ブラシでゴシゴシと擦っている。
リズにしては、珍しくちゃんと動いている発明品だ。
――意外と平気っぽい……?
と思ったのも束の間だった。
ルンバもどきについているセンサーが汚れを検知して、一直線に向かった先にいたのは、水野。決して水野が汚れているとかいう話ではなく、汚れている場所に水野が立っていただけだ。
だが水野は向かってくるルンバもどきを見てどんどん顔が青ざめていく。
「い――イヤァッ!?」
恐怖に彩られたような悲鳴をあげた水野は、その手を振り上げ……一瞬ぶれたかと思った時にはすでに振り下ろされていた。
その手は、手刀のかたち。
動きを止めたルンバもどきは、音もなく真っ二つに切断されてしまった。
「…………さすがみこ」
――人間業を超えてませんかね……。
瓦割りじゃなくて、瓦斬りになっていた。
水野……お前も一般人ではなかったのだな……。
『ンNOOOOOOOOッッッ!?!?!?!?』
というリズの悲鳴を引っさげて、ルンバもどきは無残にも爆散した。
*
――葉山先生、こんなもんでどうでしょう。
一通り掃除の終わったプールを見てもらうため、何やら黙々と作業している葉山先生に声を掛ける。
俺らが散々喚き散らしていても注意してこないほど集中していたらしく、何度か声をかけてようやく気付いてくれた。
「ああ、はい。お疲れ様でした。そこのクーラーボックスに約束の品が入っているので、食べて結構ですよ」
わーい、と子供のようにはしゃぐ仁とリズ。この二人はこれのためだけにプール掃除なんて買って出たからいいけど、こっちとしては少々割りに合わない気がする。
アイスは頂くけども。
クーラーボックスの中には抹茶味のアイスが5つ。念のためか、バニラやチョコも入っていた。
――葉山先生は何してたんですか?
ちょっと気になったので聞いてみると、
「休み明けにあるテストの作成ですわ。今からやっておけば後が楽になりますから」
テスト……その単語を聞いて、まだまだ夏休みは始まったばかりなのに気分が重くなってくる。
「それにしても暑いですわね。気が滅入ってしまいます」
俺はテストという単語だけで気が滅入ってしまったけども、葉山先生の言う通りでもあった。
――先生はアイス食べないんですか?
「みなさんが楽しそうに掃除してくれている間に食べてしまいましたから」
これだけ暑ければフライングもしたくなるか。そもそも先生が買ってきてくれたものだから、いつ食べようが先生の自由だ。抹茶味なんて高級そうなアイスを我慢する方が難しいか。
「――宇治金時味を」
さらに高級感あふれる味を堪能していらっしゃった!?
嬉しそうに抹茶味のアイスを頬張るみんなには黙っておこうと心に決めて、胸の内にしまい込み、おとなしく抹茶のアイスを頂くことにした。
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