いつかその手を離すとしても

ノベルバユーザー172401

3 むかしのひと

お昼休みになったので、私は保健室に駆け込んだ。
珍しく人がいない保健室は、同僚の林原あかねが君臨する、白い場所。
お弁当を片手に入ってきた私をみて、あかねが目を丸くする。
この高校に赴任してきてから仲良くなった彼女は、とても鋭く勘が強い。――私と神埼のことを知る高校の時を除くと唯一の友人でも、ある。

保健室のテーブルで二人で向かい合って座り、お弁当をつつきながら私はここまで来た要件を話し出す。

「昔付き合ってた女の勤務先に手紙送ってくるのはどういう気持ちからかしらね」
「知らないわよんなもん……っていうかなによそれは」
「手紙、きた。わけわからん」
「――ねえ郁、あなたテンパってるわね?」
「……どうしたらいいのかわかんないだけよ」

昔、付き合っていたような男だ。付き合ってすらいなかったかもしれない。高校の時に、何回か関係をもってけれどそれきり。
デートは2回位した思い出がある。
彼と付き合ったのは神崎への思いが叶わないと知った時に、やけになったからだった。
相手も好きな女はほかにいると言っていて、だから傷の舐めあいのような付き合いをした。神埼ではない人に、ぬくもりを求めた馬鹿だった私。
その男とは何度か体を重ねた気がする。一番最初、相手が神崎でないことに絶望して、でもその次から私はそのことすら考えられなくなった。

別れたのは、いつだっただろう。知らず知らずのうちにというのが正しいかもしれない。その時に確か神崎が死に別れたのだった、恋人と。そのことで手いっぱいで(というより余計なお節介を焼いていた)、私はその男と付き合っていたことすら忘れてしまっていたのだ。
男もたまに廊下ですれ違っても何も言わなかった。見るたびに違う女子を連れていたのできっと向こうもわかっていたのだろう。

そんなことを考えながら、私は届いていた手紙をかさかさと手でいじくった。
あかねは私の手の中にある手紙が気になっているらしい。じっと見つめてくるので、それを無造作に手渡した。

手紙は私宛に学校に送られてきていた。事務的な封筒だったので何も言われず、私も何か書類の一つだろうかと開けたそれ。中身を見て思わずげ、と声を上げてしまったのはいわずもがなである。
隣の机の、坂上先生にどうかしましたかと柔らかな声で聞かれ思わず話してしまいそうになるくらいには、私は確かに動揺していたのだった。

「『お久しぶりです。渡したいものがあるので今晩6時に校門前でお待ちします』ってなにこれ」
「昔からよくわかんないヤツだったけど…時間経ってさらによくわかんないヤツになってるわよね」
「郁、あんたもしかして会う気じゃないわよね」
「え、だめ?」

まさに、そのつもりだった。
用事は特にないし、私は彼に言わなければならないことがあるのだ。

「馬鹿?渡したいものが何かもわかんないんでしょう?ヤられておわりよそんなの」
「…ないと思うけどね、それは何が何でも」
「とにかく、行くんだったら気をつけなさいよ。っていうか仙道君でもこの際神崎先生でもいいわ、連れてきなさい」
「いやいや、それはいくらなんでも…」

それではまるで、警戒しているようでちょっといただけない。
あかねは目線を手紙からあげないまま、静かに問うた。

「…郁は会いたいの?その手紙の人に」
「会いたいっていうか、ごめんって言いたいっていうか」

どうしても会いたいわけじゃなくて。ただ一言謝罪なりをしたいと思っただけだ。あの時神崎の代わりにしたことを。神崎のことにかまけて、彼と付き合っていることを忘れてなかったことにしたことを。
今更だ。今更。手紙が来なければきっとそんなことを思いもしなかった、そんな薄情で嫌な奴だという私を正当化したいだけ。自己満足に浸るだけ。

「久しぶりに会って流されるままに寝て、それでできちゃったとかやめてよね。郁って流されやすそうだし」

と、あかねがため息を吐きながら言った言葉のあとにばさっと何かが落ちる音がした。
ぎょ、として二人して振り返れば、ノートを落とした神崎と目を見開いている坂上先生の二人の姿が。二人一緒なんて珍しいと思う前になんでここにという疑問がおおきい。

「どうかしましたか?」

しれっと先ほどの会話をなかったことにしてにっこり笑うあかねに、我に返ったらしい二人はそれぞれに用件を済ませていく。書類とかをお気にきたらしい。私はそろそろ昼休みも終わるしと座っていた椅子から立ち上がった。
神崎が、何か言いたげな目をしていたけれどスルーして、私はさっさと手紙をしまう。だってこれは神崎は関係ないこと。
同じく国語教科室へ向かうらしい坂上先生と歩きながら、神崎が私を見ているのがわかった。
なんで見ているのかなんてわからないけれど。でも見るな、と思う。
坂上先生が大丈夫ですか、と言った。だいじょうぶです、と答えた声がいつもより
心もとない声に聞こえて吐き気がした。

――そして私は思い出す。以前付き合っていた男の名前は千崎優貴という、神崎雪斗とよく似た名前の男だったことに。



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