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夙多史

Page-00 少年と魔導書

 薄暗く、じめっとした空気が肌を撫でる。どこかカビたような酸っぱい臭いが鼻につく。
 高い天井にはいくつものノスタルジックな裸電球が均等に並べられ、その白く頼りない光が広い室内を照らしている。
 窓はない。地下だからだ。部屋の空間自体は広いが、見上げるほど背の高い棚で埋め尽くされているためどうしても窮屈さが否めない。棚には漬物石代わりに使えそうな分厚い本が隙間なく収納され、塵一つ積もっていないそれらから手入れに抜かりのないことが窺える。
 そんな整備の行き届いた地下書庫内を、小学校高学年くらいの少年がじっくりと見回していた。綺麗な黒髪の、日本系の端整な顔立ちをした少年である。
 少年は書庫内を見回し終えると、黒真珠のような瞳に不満の色を宿し、呟く。
「魔術師協会『白き明星』が誇る魔書収容庫にしては、蔵書量が少ないな」
「はい。ここにある書物は全て、一級の魔書閲覧ライセンス取得試験に用いられる物です。『白き明星』が所有する蔵書量の数パーセントにすぎません」
 事務的に答えたのは、少年の後ろに付き添う形で直立している二十歳前後の女性だった。大学の卒業式などで見られるアカデミックドレスに似たローブを纏い、ショートに切り揃えた金髪に蒼い瞳をしている。
「それで、僕はどれを選べばいいんだ?」
「魔書の選定に関して私は口出しできません。ただ、ご存知かと思われますが、魔書には魔術書と魔導書の二種類が存在します。部屋の半分手前が魔術書、奥が魔導書の棚になっております。確かあなた様には魔力の素養がおありでしたので――」
「ああ、だから僕は魔導書しか使えない」
 引き継ぐように素っ気なくそう言うと、少年は教えられた通りに奥の棚を目指す。
 その途中、女性が感心するような口調で雑談をしてくる。
「それにしても、そのお年で一級試験を受けられるとは驚きです。しかも初めての試験とは信じられません」
「魔書を読むのにライセンスが必要だなんて、面倒なだけだ」
「しかしそうしなければ、過ぎた力に身を滅ぼす魔術師が続出します」
「わかっている」
 部屋の中心には魔術書と魔導書の棚を区切るために赤いラインが引かれている。少年はそのラインを跨ぐと、適当に棚から魔導書を漁り始めた。
 どれも開けば意味不明な文字がびっしりと羅列されている。どこの国の言語でもない。これらの文字は全て暗号になっているのだ。それを読み解き、理解し、記された魔術を己の意思で使役することが魔書閲覧ライセンスの取得試験における実技である。そして、自ら魔書を選定する『目』も試験では評価されるのだ。
「どれもこれも単純だ」
 数時間後、少年は積み上げていた五冊の魔導書をつまらなそうに元の棚に戻した。
「え? 一級の複雑で難解な魔導書をもう五冊も読み解かれたのですか?」
「そうだが? ……この辺りは似たり寄ったりだな。おい、もっとマシな物はないのか?」
 信じられない、と女性は驚愕に目を見開いた。
「マシな物と仰られましても、ここに置いてある魔書は試験用に抜粋された評価し易い物ばかりなので。一級ですけど」
 無茶苦茶な要求にあたふたする女性を、少年は黒い瞳で見上げ、言う。
「お前もここの案内人を務めているということは、一級以上のライセンスを持つ魔術師なのだろう? お前の〝書棚〟にある物でいい。出せ」
「い、一級は一級ですが、お生憎と私はただの魔術師です。〝書棚〟は当然として、一冊の魔導書も持ち歩いておりません。それに、魔書をご自分で選ぶことも試験の一環ですよ」
 チッ、と少年の口から舌打ちが聞こえる。そんな少年の態度に少々苛立ちを覚えた女性魔術師は、さらに奥へと向かう彼を追わなかった。
 そしてすぐに、追わなかったことを後悔することとなる。
 最奥部の棚を曲がった少年が、『それ』を見つけてしまったのだ。
「なんだ、あれは?」
 壁に埋め込まれた本棚の一番上の端に、淡く光輝く純白の表紙カバーをした魔導書があった。明らかに他とは存在感が違う。それを、少年は持ってきた梯子を登って手に取った。
 その場でページを捲り、ごくっと喉を鳴らす。
「この魔導書、本当に一級なのか? でも、これを実演できれば逸早く特級になれる」
 満足げに笑い、少年は輝く魔導書を解読していく。
 なかなか戻ってこない少年の様子を女性魔術師が見にやって来たのは、それからさらに一時間が経過した頃だった。
 彼女は少年の持つ魔導書を訝しげに見やった後、さっと血の気が引き、愕然とした表情になる。
「あ、あれは〝永劫の器〟の魔導書!? なんで禁書がこんなところに!?」
 女性魔術師の声が届いてないのか、梯子の上の少年は真剣に魔導書と睨み合ったまま振り向こうとしない。
「いけない! 早くそれを手離してくださいっ!」
 叫ぶと同時、少年はパタンと本を閉じた。声が伝わったのかと安心しかけた女性だったが、残念ながらそうではなかった。
 少年は、禁書を読み解いてしまったのだ。
 瞬間、少年の持つ魔導書から閃光弾のように光が爆発し、地下書庫内を白一色に染め上げた。
「うわぁあああああああっ!?」
「きゃあぁあああああああっ!?」
 少年と女性魔術師の悲鳴が重なる。
 痛みもなければ熱もない。そのような不思議な光に包まれている時間はほんの数秒ほどだった。
 視力が戻るのにさらに数秒。
 女性魔術師の視界に映るものは、普段となにも変わらない地下書庫の寂れた風景。
 ただし、梯子から落ちたのだろう、少年は仰向けに倒れたまま放心して動かない。それから先程まで彼が解読していた魔導書が、影も形もなくなっていた。
「た、大変なことに……早く報告しないと……」
 女性は少年を置き去りにして踵を返すと、螺旋階段を駆け上って地下書庫を後にした。

 禁書に手を出したことで少年の精神が崩壊したのだと、勘違いして――。

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