ご不要な魔導書買い取ります

夙多史

Page-05 暴走

 倉へ向かいながら、月葉は『売りたい本』について訊いてみた。
「お爺様は古書コレクターなのです」
 依姫が世間話をする感覚でそう答える。
「古書コレクターって?」
「世界中の初版本や限定本、絶版になった古い書物、そういった稀覯本を集めることが趣味の人のことですよ。お爺様の書庫には三千冊を優に超える珍しい本が大事に保管されています」
 三千冊と聞いて月葉の目が点になる。小規模な図書館くらい造れそうだ。
「わ、私にはわからない趣味かな」
「同感です。全部読めもしないのに、集めるだけで満足する気持ちはわたくしにも理解できません」
 孫の依姫にはっきりと趣味を否定され、たはは、と先頭を行く桐吾は苦笑いを漏らした。
「つい先日のことです。お爺様がどこかのオークションで落札した大量の古書の中に一冊、いわくつきの本が混ざっていたのです。『売りたい本』とはそれのことですよ」
「い、いわくつき……?」
「はい。その本を持っていると、青白い光を放つ怪物に喰い殺されると言われているのです。わたくしが調べたところ、確かにこれまでの所有者は例外なくなんらかの事故でお亡くなりになられていました。ミステリアスでとても興味深い話だとは思いませんか?」
「う、うん」
 依姫は笑顔で語っているが、月葉は自分から血の気が引いていくのを自覚せずにはいられなかった。そういう怪談話は得意ではないのだ。
「光る怪物かどうかはわかりませんが、倉を掃除していた屋敷の使用人も二名、人魂のようなものに襲われて軽傷を負っています。おかげで倉へ近づくことができなくなりましたが、本日は専門家の方がいらっしゃるとのことでこうしてお供させていただいています。まさかそれが是洞さんだとは予想外でしたが、一体どのようなことをなさるのでしょうか? ああ、凄く楽しみです! 気になりませんか月葉さん!」
「え? なんか依姫ちゃん、テンション上がってない?」
 いわくつきの本を語っていくに連れて依姫の語気が強くなっている気がした。いや、気のせいではない。彼女は胸の前で祈るように手を組んで恍惚とした表情をしている。
「そうそう、凛明高校にも不思議な話がたくさんあることを月葉さんはご存知ですか? どこにでもある学校の七不思議みたいな陳腐な話ではありませんよ。図書館にある謎の地下室、秋に咲く中庭の桜の木、特別教室棟屋上に描かれた巨大魔法陣、わたくしもまだ全てを知っているわけではありませんが、これらは実在するものです。一つ一つを想像してみるだけでドキドキしてきませんか? 時間を見つけて徹底的に調べてみたいですね。ああ、名門女子校を蹴ってまで凛明に入学した甲斐がありました♪」
「あ、あの、もしもし? 依姫ちゃん?」
 依姫と付き合い始めて三年と少しになるが、月葉はこれほど輝いている彼女の顔を見たことがない。
 ――依姫ちゃんって、もしかして……。
「わたくしはいずれ、世界中の超自然的な不思議に触れてみたいと思っています」
 ――オカルトマニア?
「よろしければ、その時は月葉さんもご一緒しませんか?」
「えーと、私は遠慮しとくよ。あはは……」
 月葉は若干引いていた。引き攣った笑みが元に戻らない。別に依姫がオカルト大好きだからといって友達をやめることにはならないが、その趣味だけは古書コレクターよりも合わない自信がある。
「あっ……すみません、月葉さん。わたくしったらつい。このことは学校では内緒にしていてもらえませんか? その、変な子と思われたくないので」
「うん、大丈夫。言い触らすようなことはしないよ」
 彼女の意外な一面を知ってしまい動揺が隠せない月葉だったが、同時に得心もいっていた。お嬢様で頭もいい依姫がどうしてそこまで偏差値の高くない凛明高校に入学したのか、ずっと疑問に思っていたのだ。「月葉さんと離れ離れになりたくないからです」なんて嬉しいことを言ってくれていたが……たった今、本音を聞いてしまった。
「凛明高校は魔術師が創設した学校だからねぇ。魔術的な施設や設備が未だに残ってるのよ。私が在学中に全部暴いてやろうとしたけど、流石に謎の数が多過ぎて叶わなかったわ」
 いつの間にか月葉の隣に並んでいた日和が昔を懐かしむように絡んできた。
「そういう噂は私も多少は聞いたことありますけど――って、日和さん、OGだったんですか!?」
「そうよん。私は月葉ちゃんたちと入れ替わりに卒業したのよ」
「へ、へえ」
 もっと年上だと思っていた月葉は張り倒されても文句は言えない。
「まあそんなことよりも、月葉ちゃんが紀佐財閥のお嬢様と友達だったなんて驚きだわ。――どうも、紀佐依姫ちゃん。私は是洞日和。あそこのムスッとした可愛くない坊主のお姉ちゃんよん。よろしくね」
「あ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
 簡単に挨拶を交わす日和と依姫。「今後とも当古書店をご贔屓にしてねぇ」と日和が媚びるように付け足すと、依姫は困ったような顔で生返事をしていた。たぶん、こういう人がいるから依姫は家柄のことを話せないのだ。
 と、月葉は前を歩く真夜がこちらを鬱陶しそうな目で見ていることに気がついた。
「是洞くん、どうかした?」
 訊くと、ぷいっと顔を前に反らされる。月葉は少しムカッとした。
「ほーら、真夜も会話に混ざりなさい。ずっとだんまりだと存在感なくなるわよー?」
「フン、そんなものなくて構わん。だいたいキャーキャーうるさいんだ、お前たちは」
 相も変わらずつれない態度の真夜に、日和はやれやれと肩を竦めるのだった。

 女子三人でたわいのない談笑を始めてから約三分、屋敷を半周したところで桐吾が立ち止まり、前方を指差した。
「あれが例の本を保管しておる倉じゃ」
 そこには常緑樹の林を背景に中規模アパートくらいの建物が鎮座していた。『倉』と表現するほど薄汚れた感はなく、寧ろ誰かが普通に暮らしていそうな『家』に近い構築だった。
「あそこはお爺様の書庫にもなっているのです」
 と、依姫。あれが書庫なら一般庶民たる月葉の自宅なんてウサギ小屋だ。
「……なんか、嫌な感じしない?」
 先程まで気持ちよく晴れ渡っていたのに、見上げると分厚い暗雲が立ち込めている。そのせいか、一軒だけ佇む倉が不気味な雰囲気を纏っているような気がした。
 不安になる月葉だが、一人立ち止まって引き返せるほど空気を読めない人間ではない。内心ビクビクしながら皆について歩き、倉の入口まで残り十メートルを切ったその時――
「下がれ」
 真夜が一言でそう命じた。彼の表情は特に変化していないが、その声は険呑な色を孕んでいた。
「はいはい、みんなあと三メートルほどバックして」
「日和さん、なにが始まるんですか?」
「うん、後で説明するから今はとにかく下がって」
 日和に促され、月葉たちはわけがわからないまま真夜を残して後退する。
 次の瞬間――バリバリズドーン!!
 耳を劈くような激しい雷鳴と共に、一本の青白いプラズマが書庫となっている倉を貫通した。
「きゃっ!?」
 反射的に目を閉じ縮こまる月葉。少し経ってからそっと目を開くと、炎上し一部が崩壊した倉の中から、なにかが浮かび上がってくるところだった。
 ――あれは……本?
 だった。月葉の見ている幻覚や夢でなければ、確かに本が宙に浮いていた。しかも帯電しているのか、青白い火花をバチバチと散らしている。
「やはりあの魔導書、暴走しているようだ」
 真夜が冷静な口調でそう言った。しかし彼の言葉は月葉をさらに混乱させる。
「ひ、ひひ日和さん! なんなんですか! アレなんなんですかっ! 魔導書って一体なんですかっ!?」
「ちょーっと落ち着こうね、月葉ちゃん」
「――ッ!?」
 ぎゅむっ、と月葉は日和に抱き寄せられ、彼女の豊満な胸に顔を埋められる。温かくて柔らかい。そんな優しい感触が、息苦しくて「うーうー」と呻く月葉の狼狽を別の意味にシフトさせる。
「大丈夫? 話聞ける?」
「は、はい……窒息するかと思いましたけど」
 まだ動悸が収まらない。月葉の顔は耳まで真っ赤になっているが、日和の突飛な行動のおかげで周りの様子が目に入る程度には心を鎮めることができた。
 桐吾と依姫は先程の落雷に驚いて腰を抜かしている様子。二人とも口をぱくぱくさせて陸に打ち上げられた魚みたいだ。ただ依姫だけは目が煌めいているように見えるが、きっと気のせいだろう。
「あそこに浮いてるのが、今回私たちが買い取りにきた魔導書。これはオーケー?」
「はい、オーケーです」
 あんな怪奇現象的な本を魔導書と言わずしてなんと言うか。頭では夢だと否定しようとしている自分がいるが、見てしまったものを受け入れる自分の方が圧倒的に強かった。
「うんうん、月葉ちゃんはどこぞの坊主と違って素直でいい子だねぇ」
 よしよしと頭を撫でられる。落ち着かせようとしてくれているのはわかるけれど、そんな子供扱いに月葉は少し唇を尖らせるのだった。
「姉さん、ついて来たのなら遊んでないで働いてくれ」
「働いてるわよー。今結界を張るとこ」
 苛立たしげな真夜の声に日和は答えると、腰に提げている小学生の時から使っていそうな可愛らしいけど古びれたポーチに手を突っ込んだ。そしてそこからじゃらりと鷲掴んだものは――大量の色鮮やかなプラスチックビーズ。
「それじゃあ、月葉ちゃん、お待ちかねの魔術を披露してあげるわ」
 日和は月葉に向かってウィンクすると、ビーズを頭上に放り投げた。するとビーズは不自然な軌道で空中を走り、月葉たちを囲むように地面に散らばる。
 ――え?
 月葉は呆然とする。ぽわっ、と七色の淡い輝きがビーズから発生したかと思えば、その輝き同士が結合して大きな五芒星を描いたのだ。月葉たちは五芒星の中に立っている形で、真夜だけが外にいる。
 手品ではない。実際にこの目で見たからわかる。今の流れは『手品』なんて言葉じゃ片づけられないほど自然を超越していた。
「魔術……本当に……魔術師?」
「そうよ。これは身を守るための結界だから、陣の外に出ると危ないわよ。――あっ、ビーズは動かさないでね。配置、色の順番、全体の図、そういうこと一つ一つに意味があるから少しでもずれると機能しなくなっちゃうのよ」
 日和が注意したのは月葉ではなく、輝きに触れようとしていた依姫だった。彼女はコクコクと頷くと、これから映画でも観賞するかのような顔をして祖父の横に正座した。
「日和さん! 是洞くんが!」
 浮遊し帯電しているという、どう考えても危なそうな本――魔導書とやらに近づいている真夜を見て月葉は焦った。彼もこの結界に入れなくてもいいのだろうか。
「ああ、真夜なら心配しなくても大丈夫よ」
 弟が危険に飛び込もうとしているのに、日和はそれをさも当然といった様子で見ている。だが、そこに感じられるものは無関心ではなく、強い信頼だった。
「是洞くんも魔術師なんですか?」
「正解だけどハズレ。私はただの魔術師だけど、真夜はそうじゃないのよ」
「どういうことですか?」
「魔導書使いって言ってね。魔術師よりは魔法使いに近い感じかな。魔導書のことは魔導書使いに任せるのが一番なのよねぇ。まあ、見てればわかるわ」
 今はそれ以上説明する気がないらしく、日和は視線を真夜に戻した。だから月葉も黙って彼を見守ることにした。

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