ご不要な魔導書買い取ります

夙多史

Page-07 解析

 その後、日和は意味のわからない言葉を並べ立てて紀佐桐吾から魔導書を買い取っていた。『暴走魔導書の処理代』がどうのこうのと聞こえたので、恐らく買い取り値を極限まで下げていたのだろう。放心状態の桐吾はただうんうん頷いているだけだったので、なんかやりたい放題のように見えた。
「わたくし、是洞さんのことあまりよろしく思っていなかったのですが、今日で印象が変わりました。こんな身近に魔術師の方がいらっしゃったなんて感激です! あの、魔導書というものについて詳しくお訊きしてもよろしいですか? 普段からお読みになっている本も魔導書なのですか? それと是洞さんはどこから本の出し入れを? それから――」
「……お前、少し黙ってくれ」
 スイッチの入った依姫は目の色を変えて真夜に一方的な質問攻めをしていたが――
「是洞さん! 是非わたくしにも魔術の使い方を教えていただけませんかっ!」
 果てにそんなことを言い出したので、月葉たちは彼女から逃げるように紀佐邸を退散したのだった。
「依姫ちゃん、なんか凄かった……」
 普段は清楚で落ち着いている彼女にも、あそこまで興奮する趣味があるのだと知って少々気疲れした月葉である。
「フン、政府の上層部や上流階級の人間には魔術を認識している者も少なくない。あいつみたいな趣味を持っている奴がいたところで別に不思議はないだろ」
「……いちいち鼻を鳴らしてると感じ悪いよ、是洞くん」
「知るか。僕の勝手だ」
「仲がいいわねぇ、お二人さん。もしかして学校でもイチャイチャしてるのかな?」
「冗談じゃない」
「そ、そそそうですよ日和さん! 今日初めて話したくらいですよ!」
「ところで真夜、車酔いは治ったのかしらん?」
「思い出させるな……うっ」
 車内でそんな会話をしつつ是洞古書店に帰り着くと、外はすっかり夜の帳が下りていた。
 月葉の想像していた通り、夜の是洞古書店はおどろおどろしい雰囲気がある。オバケはいなくても妖怪くらい住んでいそうだ。
 店内に入るとタイミングよく日和の携帯が鳴った。電話に出た日和は青い顔をしながら「ちょっと待っててねん」と言い残して外へ引き返していく。
 何事かと思っていたら、
『もうちょこっと締切伸ばしてくれたらヒヨりん嬉しいなぁ、テヘ♪ ……え? ダメ?』
 と外から聞こえてきたので、電話の相手は彼女が書いている小説の担当者だとわかった。
「始めるぞ」
 店の照明をつけた真夜が唐突にそう言ってきた。まだ若干辛そうだ。
「始めるって、なにを?」
 きょとりと首を傾げると、真夜は大層面倒臭そうに長い溜息を吐いた。
「……お前、もしかしてアホか?」
「し、失礼ね!? 私はこれでも成績いい方なんだから(中の上だけど)」
「知識があってもアホな奴はアホだ」真夜はバッサリと切り捨て、「お前、今ここにいる目的を忘れてるんじゃないか?」
「あっ……」
 真夜の言う通り、月葉は頭からそのことがすっぽり抜けていた。あんな非現実を目の当たりにした後なのだから忘れたって仕方ないだろう。そう反論してやろうかと思ったが、言い訳しているみたいで癪だったので月葉は黙ってカバンから件の本を取り出した。
 それを認めると、真夜はどこか満足げに踵を返す。
「ついてこい」
 命令口調でそう言って、真夜は会計台の横にあるドアを開けた。
 ドアの奥には階段があった。
 二階に登る階段と、地下に向かう階段だ。
 真夜は迷うことなく地下へ。月葉は少し躊躇ったが、真夜が待つことも振り向くこともなく進んでいくので勇気を出して後に続いた。
 階段は明かりをつけても薄暗く、底が見えないほど長い。この屋敷の住人が魔術師であることから、これより先は普通の世界ではない気がする。ホラーゲームを体感プレイしている気分だった。いきなり天上から腐りかけの動く死人とかが落ちてきたら……と想像しただけで足がガクガクと小刻みに震え始める臆病者・月葉である。
「ビクビクするな。別に人肉を喰らう怪物なんていない。余計なことせず僕の後ろを歩け」
 壁に両手をついて亀のようにノロマになる月葉を、真夜は立ち止まって苛立たしげに見やる。だが、彼の口調は幾分か優しく感じた。おかげで気持ちが少し楽になった。
 ――もしかして是洞くん、私のこと気遣ってくれた? ……まさかね。
 気のせいだと思い直していたら――カチッ。
 月葉が手をついた壁からなにかのスイッチを押したような音。
「このアホがっ!」
「ひぇ!?」
 ぐいっと腕を真夜に引っ張られた月葉は、バランスを崩して彼に抱き留められる。そのことに羞恥心を覚える前に、紫色の光が轟音と共に薄暗い階段を照らした。
 振り返ると、さっき月葉が手をついていた壁に魔法陣が描かれ、そこから何本もの紫色の電流が対面の壁へと流れていた。
 紫電の防壁。真夜が咄嗟に腕を引っ張ってくれなかったら、月葉は今ごろ黒焦げになっていただろう。
「あ、ありがとう」
 月葉はお礼を言いつつ、密着状態の恥ずかしさが遅れてやってきたため慌てて真夜から離れた。顔が自分でもわかるほどに紅潮している。
「だから余計なことをするなと言ったんだ。この店には姉さんが防犯対策に様々な魔術的トラップを仕掛けている。死ぬほどの仕掛けはないだろうがな」
「そ、そういうことは最初に言ってよ!」
 是洞古書店はオバケ屋敷じゃなくて忍者屋敷だった。
「とにかく、痛い思いをしたくなければしっかりと僕の後をついてくるんだ」
 真夜の態度にムッとするも、ここで逆らうわけにもいかない。観察していてわかったが、真夜は時々ジグザグに動いたり一段飛ばしたりしている。それも月葉にもわかる大げさな動作でだ。そこにトラップがあることは理解できるが、そんな見てないと気づかない親切よりも口でちゃんと説明してほしいと思う月葉だった。
 階段を下り切ると、そこには頑丈そうな鉄の扉があった。奥が地下牢だとしてもなんの不思議もない厳つい扉だが、入ってみるとそこも数多の本が収容されている書庫だった。
 窓と会計台がないことを除けば、一階の店と大差ない空間が広がっている。ただよく見ると、ぎっしりと棚に詰められている本が魔導書や魔術書といった類の物だと今の月葉ならわかる。
 本棚の間を縫って奥へ行くと、部屋の中心に小さなスペースが設けられていた。そこには神殿の柱を切り取ったような大理石の台座がポツンと佇んでいる。
「お前の魔導書をそこの台に置け」
「これからなにをするの?」
 月葉は疑問を口にしながら言われた通り『開かずの本』を台に乗せる。
「その魔導書が開かないのは封印がかかっているからだ。そいつをこれから〝解析〟する」
 端的に言うと真夜は右手を真横に伸ばし、
「――第八十三段第二列」
 唱えるのとほぼ同時に、虚空から一冊の魔導書を抜き取った。何冊か見て思ったことだが、魔導書の色・大きさ・厚さはどれも似たり寄ったりで月葉には見分けがつかない。
「ねえ是洞くん、その魔導書を取り出したりするのもやっぱり魔術なの?」
「お前も紀佐みたいなことを訊くんだな」
「いいでしょ、気になったんだから」
 真夜は取り出した魔導書を開く前に、フン、と面倒臭そうに鼻息を鳴らした。それはもう彼の癖なのだろう。とっても捻くれた癖であるが……。
「魔導書使いは〝書棚〟という自分だけの魔術的空間を持っている。〝書棚〟に収納できる魔導書の数は術者の魔力量に比例し、僕が今やったように取り出す時は収納している場所を唱えなければならない」
「……なんかパソコンみたい」
 月葉は先日行った選択科目の情報の授業を思い出していた。コンピュータのメモリには容量があって、そこへ格納されるデータにはアドレスがつくとかなんとか。
「わかったなら黙って見ていろ。この〝解析〟の魔導書を使うにはそれなりに集中しなければならないんだ」
 真夜は『開かずの本』と向き合い、今し方手に取った魔導書のページを繰る。
 すると、大理石の台座を中心に薄青色の魔法陣が床に広がった。〝雷獣〟の魔導書を鎮圧する時に見た魔法陣とは違い、こちらは美術5の月葉でも模写することすらできそうにないほど複雑な紋様をしている。
 魔法陣に連動し、真夜の持っている魔導書も薄青に輝く。一定間隔でページを捲っていく彼の横顔は真剣で、月葉は集中を乱しては悪いと思って口を噤んだ。
「ハロハロー、やってるわねぇ。どんな感じ?」
 と、重たそうな鉄扉を普通のドアと変わらない感覚で開けた日和が軽いノリで話しかけてきた。
「あ、日和さん、小説の方はいいんですか?」
「うっ……訊かないで、月葉ちゃん。大人には大人の事情ってものがあるのよ」
 どうやら締切は伸ばしてもらえなかったようだ。
 日和は真剣に作業に没頭している弟に視線を投げ、
「ふぅん、あの真夜が〝解析〟の魔導書まで持ち出したんだ。相当厄介みたいね」
「あの、日和さん、是洞くんはなにをしてるんですか?」
「あはは、やっぱり真夜、ちゃんと説明してなかったのね」
 苦微笑する日和はそのメロンみたいな双丘を持ち上げるようにして腕を組む。
「あれは〝解析〟の魔導書って言ってね、あらゆる魔術を分析してその構造や効果などを自動でページに書き記していく魔導書なの。使うために一級ライセンスが必要な上級魔導書の中でもトップクラスの複雑さだから、流石の真夜でもあんなに集中しないといけないんだよねぇ」
「その、前にも言ってましたけど、ライセンスってなんですか?」
「んとね、世界最高最大の魔術師協会『白き明星』が発行する魔書を所持・閲覧・使用するための許可証のことよ。他にも魔書の売買とかにも関ってくるわね」
 魔書というのは確か、魔導書と魔術書のことだ。
「魔術にしても魔導書にしても、術者の力が及ばないものを使用すると肉体や精神が壊れたり酷い時には死んだりすることだってあるの。それを防ぐために設定されたのが魔書閲覧ライセンスってわけ。初級から特級まで六段階で分けられてるわ」
「なんとか検定みたいな感じですか?」
「そうそう、そんな資格試験みたいな感じよん」
 物わかりのいい月葉に日和はニコニコの笑顔を向けてくる。月葉は一人っ子なので、もしも姉がいるとすれば日和みたいな人がいいなと思った。
「……ふぅ」
 息をついた真夜が〝解析〟の魔導書を閉じた。それと同時に床の魔法陣も消失する。
「終わったみたいね、真夜。どうだった?」
「フン、どうもなにも、まだ全体の五分の一も解析できていない」
「はい? 終わらなかったわけ?」
「流石は来栖杠葉のかけた封印だ。〝解析〟の魔導書を用いてもそう簡単に調べがつくものじゃなかった」
 残念そうに目を伏せる真夜。その様子に若干疲れの色を含んでいるような気がした。
 大理石の台座に置かれていた『開かずの本』を手に取り、真夜はその黒真珠のような瞳で月葉を見た。
「そういうわけだ。悪いが、お前の魔導書はしばらく僕が預かる」
「え? ちょっと、どういうこと?」
「今日はもう閉店ってことだ。これ以上解析を続けると僕の体が持たない」
「だったら本は返してよ。また来るから」
 月葉は手を差し出して本を受け取ろうとするが、真夜は頑として返そうとしない。
「ふざけるな。無ライセンスどころか魔術師でもないお前に魔導書を渡せるか。封印の解析が完了して解除できれば内容くらいは教えてやる。だが、その後でこの魔導書は買い取らせてもらうぞ」
「ちょ、ちょっと勝手過ぎないかな! その本は私にとってお母さんの形見なんだよ!」
「だったらお前も魔術師になってライセンスを取得すればいい。来栖杠葉の娘なら不可能じゃないはずだ。そうなれば買い取った時の値で売ってやる」
「そんなの……無理だよ……」
 真夜の言い分はきっと正しい。月葉があの魔導書を持っていることは、無免許運転をしていることと同義なのだから。
 でも、月葉はどこにでもいる平凡な女子高生だ。魔術師なんて非現実な存在になるなんてそれはもう漫画かアニメの世界である。無理に決まっている。このままでは、母の形見は永遠に返ってこない。
 そう思うと急激に熱いものが込み上げ、月葉の目尻から水滴が零れた。
 ――あれ? 私、どうして涙が……?
 こんなに悲しい気持ちになるほどに、月葉は母親との繋がりを求めていたのだろうか。
 泣き顔を見せないために俯いた月葉の肩を、日和がそっと抱いた。
「女の子を泣かせるなんて最低よ、真夜」
「僕はなにも間違ったことは言っていない。所持できる資格を得るまで売らずに取っておいてやるんだ。これでも良心的だろう」
 全く悪びれる様子のない真夜に日和は溜息を一つ。彼女も真夜の方が正しいとわかっているのだ。
「ごめんね、月葉ちゃん。でもこの真夜は特級ライセンスを持つ魔導書使いよ。信頼はできるわ。だから月葉ちゃんの知りたいことはすぐに教えてくれるはずよ。そう、アレよ。貸し金庫に預けてると思ってさ、元気出して、ね?」
「……はい、くすん。わかりました」
 日和の慰めを受けて月葉はとりあえず了解したが、まだ諦め切れてはいなかった。
 と、そこに――
「初級くらいなら、姉さんが教えればすぐ取れる」
 真夜が〝解析〟の魔導書を〝書棚〟に仕舞いながら、ぼそりと呟いた。すると日和が「それよ!」と頭上で豆電球を光らせたみたいにパァと閃いた顔になる。
「ねえ、月葉ちゃん、私の弟子にならない?」
「え? 弟子……ですか?」
 月葉は指で両目の涙を拭う。
「そうよん。丁度お店のアルバイトも欲しいなって思ってたとこだし、バイトしながらお姉さんが手取り足取り教えちゃうぞ」
 アルバイト。学校の校則では特に禁止されていないけれど、月葉は家の家事全般を任せられているためそんなこと考えたこともなかった。
 しかもこれはただのアルバイトではない。魔術師になるためにここへ通う名目上のアルバイトだ。承諾してまうと、月葉も非現実の道を突き進むことになるだろう。
 ――でも。
 聞くところによると、月葉の母親――来栖杠葉は魔術師の世界では有名人だったらしい。魔術師の道は、おぼろげな記憶の中にいる母親が通ったものと同じ道だということだ。
 月葉が母親のことをあまり知らないのは、きっと住んでいる『世界』が違ったから。
 ――魔術師になったら、もっとお母さんのことわかるかもしれない。
 だとすれば、迷うことはない。
 小さい頃に憧れた魔法少女になれると思えばいい。右も左もわからない世界ではなく、是洞姉弟という道標もあるのだ。
 覚悟が、決まる。
「……やります。私、アルバイトやります!」
 ポジティブな想いと一抹の希望が、月葉の口を動かしていた。

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