ご不要な魔導書買い取ります

夙多史

Page-17 四つ折りのメッセージ

 片肘を机に置き、掌に頬を預けるようにして来栖月葉は浅く溜息をついた。
 ここ二日間、月葉はバイト先に行っていない。日和が小説の執筆を終えるまでは魔術師修行も保留になるし、その日和から『頑張り過ぎだから少し休みなさい』と言われたので月葉はお言葉に甘えることにしたのだ。
 ――だけど、お店大丈夫かなぁ? 日和さん、放っとくとごみ屋敷にしそうだし。
 しっかり者の月葉としてはそこが心配でならなかった。日和の小説の締切は確か今日だったはずなので、少し覗きに行ってみるのもいいだろう。追い詰められて奇声を上げている姿が目に浮かぶ。
「でさでさ、まだ捕まってないんだって、例の放火魔」
「怖いですね。もしあの時ケーキバイキングに行っていたら、わたくしたちも巻き込まれていたかもしれませんし」
 真夜がいるからごみ屋敷レベルの惨事にはならないと思いたいが、彼は基本的に地下書庫に籠ったまま出てこない。酷い時には食事も睡眠もそこで取っているのだとか。どこまで本の虫なのだ、と月葉は嘆息した。
 ――真夜くん、か。
 彼がアドリアンから月葉を救ってくれた時のことを思い出す。あのまま彼が来なかったとしても、アドリアンは彼と衝突して結果的に敗北していただろう。けれど……
 ――ちょっと、かっこよかったかも。
 真夜が来なければ、アドリアンが月葉に謝罪することもなかったはずだ。
「ねえ、聞いてんの? 月葉?」
「先程からぼーっとされていますが、ご気分でも悪いのですか?」
「え?」
 話しかけられて月葉はハッと正気づく。目の前では八重澤理音が机から身を乗り出して月葉の顔を覗き込んでおり、その横で紀佐依姫が心配そうに月葉を見ていた。
 今は昼休み。友人たちと机を寄せて昼食を終え、そのまま三人で談笑していたのだった。
「ご、ごめん。えっと、なんの話だっけ?」
「あーっ、やっぱり聞いてない! もう、この前の放火魔の話だよ」
 理音が膨れっ面で椅子に踏ん反り返った。放火魔……困ったことに月葉はその犯人を知っている。というか、月葉も無関係ではない。〝人払い〟の魔導書のおかげで人的被害は出なかったものの、決闘の場所を変えてもらえばよかったと後悔している。もっとも、あの時はそんなことを考えられる余裕などなかったが……。
 月葉はとりあえず笑って話を合わせておくことにした。
「あはは、そうだったね。商店街って今どうなってるの?」
 あれからバイトに行ってないため、月葉は商店街のその後を知らないのだ。
 依姫が顎を指で持ち上げるようにして答える。
「確か、外国の富豪の方が支援金を出されたとかで、徐々に復興していると聞いています」
「そこがわかんないよね。あんな近くに大型デパートでもできたら一気に寂れそうな商店街にお金出すなんてさ。見返りもなしでだよ?」
「理音さん、人の善意を疑っては失礼ですよ」
「そ、そうだよ。きっとなんか思い入れがあるんだよ。たぶん」
 その人が犯人です、とは口が裂けても言えない月葉だった。
「あ、次の授業ってなんだったっけ?」
 そろそろ話題を別の物にシフトしないとボロが出そうだ。そう思った月葉が机の中に手を突っ込むと――くしゃり。
「?」
 入れた覚えのない四つ折りのメモ用紙がそこから出てきた。疑問に思った月葉がそれを広げてみると――

【今日は必ず店に来い】

 とだけ書かれてあった。
 ――これ、もしかして真夜くん?
 店に来いということは……本当にごみ屋敷になったから掃除しろということだろうか。それとも、例の件でなにか進展があったのか……。
 ドクン。後者だったことを考えると、月葉の胸の鼓動が緊張で高まった。
「月葉、それなに? ――ハッ! まさかラブレターってやつ!? うわーっ、三角関係どころか四角関係になりそうな勢い!?」
「え? あ、違うって理音ちゃん! それに三角関係とかそういうのじゃないって依姫ちゃん言ってたよね!」
「そうですよ、理音さん。あれはその、先生に言伝を頼まれただけです」
 依姫が弁明している間に月葉は教室を見回してみる。といっても真夜は昼休みにはいつも図書館にいるから見つかるはずがない――と思っていた。
 ――あれ? 教室にいる? なんで?
 珍しいこともあるものだ、と月葉は廊下側の席に座っている真夜を観察する。どうも誰かと会話をしているらしい。これもまた珍しいことだ。
 真夜の会話の相手は、爽やかそうな顔をした長身の男子生徒だった。クラスメイトではない。ということは、別のクラスからやって来たのだろう。
「あー、あれは椎橋陽だよ」
 と月葉の視線に気づいた理音が言う。
「知ってるの、理音ちゃん?」
「月葉さんは知らないのですか? 校内でも有名な方ですよ。中学の全国体操競技大会で好成績を残されていて、体操部の期待の新星と評判です。性格も気さくで誰に対しても優しくて、一組では確か学級委員に推薦されたとか」
「へえ」
 月葉は感嘆の声を漏らした。ついでにイケメンとくれば、男女問わず様々な意味の込められた視線がクラス中から集まるというものである。
 真逆の属性を持つ是洞真夜と会話していなければ……。
「椎橋陽はあのネクラ野郎と小学校からの付き合いらしいよ。なんでもネクラ野郎を体操部に入部させたいとかで時々ああして誘ってるんだってさ。本の虫のくせに運動できるっぽいから」
 確かに真夜がアドリアンと戦った時に見せた動きは常人離れしていた。禍々しい大剣を軽々と振り回している姿を月葉は脳内で再生する。
 ――でも、真夜くんが、体操?
 続いてあの真夜がいつもの無表情でウルトラCを決めている姿を想像してしまい、月葉は思わず吹き出しそうになった。
「理音さん、よく知ってますね。それはわたくしも知りませんでした」
「ふふん、この理音様はなんでも知っているのだ」
「なんでもですか? では現在のスロベニア共和国大統領の名前を仰ってみてください」
「え? あー、いや、その、そういうのはちょっと……」
 そんな遣り取りをしている理音と依姫を残し、月葉は席を立った。椎橋陽と真夜の会話が終わったようなので(様子からして勧誘は失敗)、先程のメモ用紙について直接彼に訊いてみよう思ったからだ。
「真夜くん、今日は図書館じゃないんだね」
 まずは簡単なコミュニケーションを計ってみるが、
「……」
 無視された。最近はきちんと応答してくれていたから、月葉は少々ムッとする。
「ちょっと、無視しないでよ真夜くん!」
「……」
 声を張ってみたが、真夜は机上の分厚い本――今日はなぜか一般書のようだ――に目を落としたまま振り向きもしない。椎橋陽とは会話していたのに、と流石にカチンときた月葉は彼の読んでいる哲学系と思われる本を取り上げた。
「真夜くん! 話しかけてるんだからちゃんとこっち見て答えてよ!」
「……お前はアホか」
「なっ」
 やっとのことで口を開かせたと思えば、人を馬鹿にした言葉が返ってきた。
「(少しは周りを考えて行動しろ。学校で話しかけるなとは言わんが、せめて苗字で呼べ)」
 イライラを全面から滲ませた真夜の小声に、月葉はようやく自分がとんでもなく目立つ行為をしてしまったことに気づく。
「聞きまして奥様? 月葉ってば『真夜くん』だってさ。いつの間に下の名前で呼ぶ仲になったんザマしょ?」
「ばっちり聞きましたよ、理音さん。やはりアルバイトが関係しているのだとわたくしは思います」
 ニヤ顔の理音と瞳をキラキラさせた依姫を中心に、クラスメイトたちが月葉たちを見ながらヒソヒソ話を行っていたのだ。
「あ、あの、その、こ、これはね、えっとえっと……」
 かぁああああああっ。
 慌てふためく月葉に弁解の言葉など思いつかない。顔から火が出る勢いで赤面し、わたわたと意味のない身振り手振りをするだけだった。
 助け舟を、と思って真夜に振り返るが――
 ――い、いない!?
 彼の席は、既に蛻の殻だった。

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