ご不要な魔導書買い取ります

夙多史

Page-24 盗まれた魔導書

「真夜くん!! 日和さん!!」
 授業を終えた月葉は、友人たちに捕まる前に学校を飛び出して是洞古書店に直行した。
「ど、どうしたの、月葉ちゃん? そんなに慌てて」
 会計台でスナック菓子を頬張っていた日和が、血相を変えた月葉に魂消てぎょっとする。彼女は安物っぽいTシャツにジーパンといった普段通りのラフな格好だった。
「大変なんです! 大変で、えっと、だから大変で……とにかく大変なんですッ!!」
「あー、大変なのはわかったわ。でもとりあえず落ち着こうね、月葉ちゃん」
 ぎゅむっ。
 会計台から回り込んできた日和に、月葉はいつぞや紀佐邸でされた時と同じように抱き締められた。柔らかくて温かい抱擁感に、学校からダッシュしたせいで切れていた呼吸まで正常に戻っていく気がした。こういうのを『母の温もり』と呼ぶのかもしれない。日和に言うと『そんなに老けてないわよ』と怒られそうだが……。
 月葉が落ち着きを取り戻したとわかると、日和は抱擁を解除した。
「なにか飲む?」
「あ、はい。いただきます」
 日和は会計台の下に設置してあるミニ冷蔵庫を開けてペットボトルのオレンジジュースを取り出すと、それを紙コップに注いで月葉に渡した。
 月葉は冷え冷えのオレンジジュースを一気に飲み干し、何度か深呼吸を繰り返して息を整える。
「それで、なにが大変なのかしら?」
「えっと、実は……」
 椅子に座り直して頬杖をつく日和に、月葉は昨夜自分の身に起こったことを記憶に残っている範囲で全て伝えた。聞き終えた日和は思案顔になって数秒瞑目する。
 それから彼女は机の上で両手を組み合わせ、確信に近い光を黒い瞳に宿して開口する。
「そいつはウチに侵入した犯人と同一人物の可能性が高いわね。月葉ちゃんに使われた魔導書はたぶん――〝誘夢〟の魔導書。対象者を深い眠りに落とす三級魔導書よ。ウチにも売ってあるわ」
 やっぱり、と月葉は溜息を零す。犯人もそうだが、魔導書の力も学校にいる間に予想していた通りだった。
「〝誘夢〟だけじゃない。奴はもう一冊、音もなく部屋へ侵入する魔導書も使ったはずだ」
 と、会計台横のドアから現れた真夜が口を挟んできた。彼は学校を休んでいたから、制服ではなく生地の薄い長袖のジャケットにスキニージーンズといった私服姿だ。
「なぜもっと早く伝えに来なかった?」
 苛立ちの混じった真夜の声に、月葉はおどけながら訥々と答える。
「だって、目が覚めたら朝だったし……学校行かないと、お父さんや友達に心配かけちゃうし……」
 月葉は俯きがちになる。学校へ行ったのはいいが、盗まれた魔導書のことが気になって授業に集中できなかったのだ。そんな月葉を見た理音や依姫にも結局心配されてしまった。
「フン、まあいい。おま……月葉は奴の姿を見たんだろ? 特徴を言え」
 日和の視線に気づいた真夜は月葉の名前を言い直した。
「特徴って言っても、黒いローブで足下まで見えなかったし、フード被ってたし……背は高かったと思うけど。――あっ!」
 人差し指で顎を持ち上げるようにして犯人の姿を記憶から手繰り寄せていた月葉は、重大な特徴を思い出して声を上げた。
「えっと、私すぐに眠らされちゃったから夢かもしれないけど、フードから少し銀色の髪が見えたような気がする」
 言うと、真夜と日和は得心がいったような顔をする。
「……あいつか」
「あいつね」
「あの、もしかして、アドリアンさんですか?」
 遅れて月葉も思い至った。だが、元貴族のプライドを持っている彼が盗みを働くとは考えられない。壊した商店街も弁償していたし、昨日は自分たちを助けてくれた。魔書に対する執着心は強いけれど、悪い人間ではないと月葉は思っている。
 しかし、真夜と日和は月葉ほど彼を善人だとは思っていないようだ。
「他に誰がいるっていうの? 銀髪長身で月葉ちゃんの魔導書を狙ってるヘンタイなんてあいつくらいなもんよ」
「それはそうですけど……」
「でも、なんで月葉ちゃんにあの魔導書が戻ったことを知ってるのかしら?」
 日和の疑問に月葉も同感だった。母親の魔導書を真夜から渡された時、犯人はその場にいなかったはずだ。なのに、なぜ数時間の内に月葉を狙うことができたのだろうか。
「……まさか」
 なにかを黙考していた真夜が月葉をまっすぐに見詰めてくる。彼は「え? なに?」とオロオロする月葉の傍まで歩み寄って来ると――
「――ッ!?」
 突然、月葉の体に触れてきた。
「ふぇえッ!?」
 肩、腕、腰回り、髪の毛も梳くように撫でられ、月葉は恥ずかしさのあまり信号機のように全身を真っ赤に点灯させた。なんの覚悟もしてなかった月葉は狼狽し、されるがままである。はわはわと言語機能にまで障害が発生している。
「あ、え、う、い……はふぅ」
 ボフン! とついに頭が噴火したような感覚に陥った月葉は、力が抜けてその場にペタンとへたり込んでしまった。鏡を見たら頭部から湯気が出ていそうだ。
 真夜は……今度は月葉のカバンを漁っている。しかし月葉には咎める余裕などなかった。
「……あった。やはりな」
 真夜は月葉のカバンからなにかを摘まみ上げ――ゴン!
 日和にゲンコツをくらった。
「なにが『やはりな』よ! 月葉ちゃんオーバーヒートしちゃってるじゃないの! でも可愛かったからグッジョブ! 月葉ちゃんに謝りなさい!」
「ひ、日和さん、今、一瞬本音が聞こえたんですけど……」
 声が裏返りながらも抗議する月葉に、日和は素知らぬ顔で「気のせいよん」とはぐらかしてくる。絶対に気のせいではない。
「ほら真夜、ごめんなさいは?」
「フン、知るか。それよりこれを見ろ」
 謝罪の要求を一蹴した真夜にムッとしつつも、へろへろな月葉は立ち上がって日和と一緒に彼の掌に視線を落とす。
 そこには、超小型のイヤホンみたいな黒くて丸い物体が乗っていた。
「盗聴器だ。たぶん発信機としても機能している」
「と、盗聴器!?」
 月葉は驚愕した。そんな物、推理漫画くらいでしか見たことがない。
「恐らく、奴は二度目の接触時に仕掛けたのだろう」
 真夜は掌を傾けて盗聴器を床に落とすと、右足を軽く上げ、靴の踵部分で思いっ切り踏み砕いた。二度目の接触というと、昨日の高級マンションでのことだ。
「なるほどねぇ。私たちが火事に気を取られている隙に盗聴器を仕掛けて、その後で善人ぶって現れたってわけか。とんだキツネね、あのヘンタイ」
 眉を吊り上げた日和は椅子から立ち上がると、会計台の引き出しを開いてビーズのケースやらなにやらをポーチに詰め始めた。魔術の準備をしているのだ。
「あの、でも、まだアドリアンさんが犯人だと決まったわけじゃないですよ」
 これで冤罪だったら彼のプライドを深く傷つけることになりそうだ。
「確かに、奴だと腑に落ちない点もある」と腕を組んで、真夜。「あの雑魚が姉さんの術式を破壊し、突破できるとは思えん」
「それは本人をぶちのめして吐かせればいいじゃない。月葉ちゃん、あのヘンタイの居場所は教えられてるんでしょう? どこだっけ?」
「あ、はい、えっと……」
 月葉は財布に入れていた名刺を取り出し、その裏に記されている住所を確認する。

「駅前にあるロイヤルホテルの最上階、です」

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