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夙多史

Page-36 黒い魔導書

「貴様、なぜ死なない?」
「君こそ、そこまで斬り刻まれているのになぜ顔色を変えないのだね?」
 片膝をつく真夜は、目にかかった額の血を拭って前に立つアドリアンを見上げる。アドリアンも不気味な物を見るような目で真夜を見下ろしている。
 刺しても、斬っても、潰しても、燃やしても、感電させても、このアドリアンは死ななかった。それどころか立ちどころに傷が治るのだ。……いや、傷だけではない。〝千刃〟で滅多刺しにしたにも関らず、奴のスーツにも裂け目一つ見当たらない。ただの治癒魔術にしては異常だ。
 だが、真夜はこの異常現象に当たりをつけている。
「……その左手の魔導書だな」
 戦場をグラウンドに変えた時から奴は常に左手で一冊の魔導書を抱えていた。開く様子もなく、かといって交換することもしない。使わない魔導書を持っていても無駄なはずだ。
 アドリアンはニヤリと不敵に笑う。
「正解。だが少し気づくのが遅かったようだね。それとも警戒はしていたのかな? この魔導書は……いや、よそう。妙案を思いついた」
 嫌らしい笑みはそのままに、アドリアンはパチンと閃いたように指を鳴らす。
「クイズだよ、是洞真夜氏。この魔導書はなんだと思うかね? ああ、もちろん答えを外す度に君の体は斬り裂かれることになるがね」
「……」
「だんまりは不正解と見なす」
 ザシュッ! 砂刃が真夜の左二の腕を裂いた。鮮血が散り、遠くから誰かの悲鳴が聞こえた。この声は月葉だろう。
 僅かに首を動かして振り返る。サッカーゴールの横辺りに日和と理音、そして腰抜けにへたり込んでいる月葉が見えた。
「ふむ、丁度いいタイミングでギャラリーが集まったようだ。これから君が徐々に体を刻まれて死んでいく様を見届けてもらおうではないか。まあもっとも、私の正体を知ってしまった彼女たちにもすぐに後を追ってもらうことになるがね。ククク、〝忘却〟で記憶を消してもいいが、そのような生温い真似は私の好みではないのだよ」
 愉悦に満ちた口調でそう言いながら、アドリアンは右手の短剣で空気を薙ぐ。砂の刃が真夜の両太股を浅く斬った。
「君が苦痛の表情を見せるまで殺しはしない。どうも来栖杠葉の魔導書の開き方は君しか知らないようだからね。表情が変わるまで痛めつけてから、〝曝露〟の魔導書で吐いてもらおうと思っている」
 加虐性愛者のそれを思わせる言葉と笑みに真夜は反吐が出そうになった。だから――
「――消し飛べ」
 もう真夜は動けないと油断していたアドリアンの腹部に魔剣を突き刺し、その状態で魔力を衝撃波として放つ。
 ボフン! 体内で爆発が起こったかのようにアドリアンが僅かに膨張する――が、そこまでだった。
「反撃も不正解なのだよ」
 アドリアンは一度短剣を口に咥えて真夜から魔剣を奪い取り、引き抜く。するとみるみる内に傷口が塞がり、スーツの裂け目も付着した血痕ごと綺麗さっぱり元通りになった。
 ――やはり、そうか。
 右頬を斬り裂かれながら、真夜は確信する。
 その時――
「是洞真夜! そいつは〝回帰〟の魔導書を持ってる! だからなにをしても死なないんだぁ!」
 大声を上げる理音が先に答えを告げた。アドリアンは真夜の意識があるため魔導書に戻らない魔剣を邪魔臭そうに捨て、チッ、と面白くなさそうに舌打ちする。
「やれやれ、外野が答えを教えては意味がないではないか。といっても、どうやら今の一撃で気づいていたようだがね」
「……時間回帰。それが貴様の回復力の正体だろう?」
「ははは! 正解だよ、是洞真夜氏」
 高笑いするアドリアンは左手に握った魔導書を掲げ、
「この〝回帰〟の魔導書はだね、術者の時間を込めた魔力の分だけ戻すことができるのだよ。うまく扱えば肉体の時間だけ戻すことも可能だ。たとえ即死級の傷を負っても、直前に魔力を込めておけば時間差で発動し私は何度でも蘇る。少し遡るにもそれなりに魔力を消費するが、私レベルになると些事に過ぎない。まあ、その魔力が回帰しないことだけがたまに傷だがね」
 くっ、と真夜は呻吟する。厄介だ。寧ろ『厄介』という言葉で片づけられないほど厄介だ。一言で表すなら、アドリアンは『不死身』ということになる。ゾンビや吸血鬼を相手にしている気分だが、アドリアンは人間だ。日光や十字架といったアンデット特有の弱点なんて存在しない。
 ――手がないわけじゃない。だが、あれは、あの魔導書だけは使いたくない。
 そうは思っても、ここで諦めては自分も含めて皆が殺されるだろう。ある程度戦える日和や理音でも不死身のアドリアンには到底勝てない。魔術師ではない月葉など論外だ。
 ――使うしか、ないのか?
 真夜が迷っていると、アドリアンが怪訝そうに口を開く。
「む? まだ戦う気かね、是洞真夜氏? 君はあのフォーチュン家の娘とも戦闘して相当に消耗しているはずだ。精神力はともかく、あれほど大技を連発してもう魔力が残り少ないのではないのかね?」
 ――そうか、こいつは……僕のことを知らない。
 真夜は鼻息を鳴らす。
「フン、生憎と、僕の魔力は尽きない」
「くはっ! これは面白い冗談だ。祖国に帰ったら広めてみよう」
 どうもツボだったらしく、アドリアンは声高く大笑いする。そして一頻り笑うと、狂気を孕んだ青い瞳を真夜に向ける。
「さあ、いい加減に顔を苦痛に歪めたまえ。私はこれでも気が短いのでね。次はもう少し派手に斬りつけるとしよう」
 砂塵が舞う。それらはアドリアンの周囲に集い、死神が持つ大鎌のような刃を成す。
 今から新しい魔導書を取り出ている暇はない。
 取り出せたとしても、発動は絶対に間に合わない。
 砂塵の大鎌が来る。狙いは四肢のどこかを切断することだろう。
 万事休す。まさにそんな時――タタタタタッ!

「やめて!!」

 必死に駆けてきた来栖月葉が、真夜とアドリアンの間に割って入った。涙目の彼女は両腕を大きく開いて真夜を庇う位置に立つ。月葉を止められなかった日和と理音も慌てて走っていた。
 月葉の右肩を砂塵の大鎌が掠ったところで、アドリアンは攻撃を中止した。一般人への攻撃をやめたのかと思いたいが、奴はそういう人間ではない。
 興が醒めたようにアドリアンは言う。
「来栖月葉嬢、君の順番は最後にしているのだよ。邪魔をしないでくれたまえ」
「嫌です! この魔導書ならあげます! だからもうこれ以上真夜くんを傷つけないで!」
「もちろん魔導書はいただく。だが、君たちの皆殺しは決定事項なのだよ。――そこをどきたまえ!」
 アドリアンが凄み叫ぶ。大鎌の形に集っていた砂が一旦散り、巨大なハンマー状になって真横から月葉を殴打した。
「きゃあっ!?」
 月葉は何メートルも吹っ飛んでグラウンドの地面を転がった。彼女は起き上がることなくピクピクと痙攣している。そこに「月葉!?」「月葉ちゃん!?」と叫びながら理音と日和が駆け寄った。
「そうだ。君たちは魔導書の暴走に巻き込まれて死ぬことにしよう。是洞真夜氏を殺せばダブって不要になる魔導書もあるだろうからね。ははははは!」
 名案とばかりに哄笑するアドリアン。
 プチン。
 真夜の中で、なにかが切れた。
「姉さん! 僕はあれを使う! 見なかったことにしてくれ!」
「あれって……まさかあれを!? ……いいわ。お姉さんはなにも見えない」
 倒れた月葉を抱き起こしていた日和が許可を出す。理音はなんのことかわからない困惑した顔をしている。
「ほう、なにをする気かね? 面白い。見せてもらおうじゃないか」
 不死身の余裕からか、アドリアンは泰然と構えるだけでなにもしない。それなら好都合だと、真夜はその段列数を唱える。

「第千七百八十段第二十列」

 取り出したのは、真っ黒い表紙の魔導書だった。
「はあっ!? な、なんなのだねその段数は!? それに黒い魔導書だと!?」
 今の今まで余裕綽々だったアドリアンが小物を演じていた時のように狼狽する。
「貴様の〝書棚〟の最大収容数は三千三百四十冊だったな。ついでだ。教えてやる。僕の〝書棚〟の最大収容数は三万五千六百冊だ」
「――ッ!?」
 自分の十倍以上ある収容数を聞いたアドリアンに衝撃が走る。
「馬鹿なっ!? ただの人間がそれほどの魔力を持てるはずがない!?」
「フン、残念ながら僕は人間じゃない。あの禁書――〝永劫の器〟の魔導書を読み解いた日から」
 真夜から空恐ろしいオーラを感じ取ったのか、アドリアンは萎縮して後ろに下がった。
「〝永劫の器〟だと……? なんだね、それは?」
「知らないなら構わん。そこまで教えてやる義理などない。ただ、この魔導書は〝永劫の器〟となった僕でないと使えない」
 真夜が黒い魔導書を開く。吸い取られるように膨大な魔力が真夜から魔導書に流れていく。すると次の瞬間、その魔導書が淡黒い光を放ち始めた。
 無理やり落ち着こうとしているアドリアンが引き攣った笑みを浮かべる。
「は、はは、はははははっ! ハッタリはよしたまえ、是洞真夜氏。たとえ本当に魔力量が人間離れしていようとも、それだけで魔導書使いの実力は決まらない。私にはこの〝回帰〟の魔導書があるのだよ。これがある限り私に敗北はな――ッ!?」
〝回帰〟の魔導書を掲げるアドリアンの表情が、驚愕と絶望の入り混じったものに変わる。

 黒い魔導書と連動するように〝回帰〟の魔導書が淡黒く輝いた数瞬後、それは光の粒子となってサラサラと霧散したからだ。

「なっ!? ありえん!? 魔導書は――」
「魔導書はどんなことがあっても傷つくことはない、か? それはもはや常識だろうが、一つだけ破壊する手段がある。この〝魔書破壊〟の魔導書がそうだ」
 目玉が飛び出そうなくらい双眸を大きく見開くアドリアンに、真夜は温度のない口調で告げた。
「〝魔書破壊〟だと!? 冗談は魔力量だけにしたまえ。魔導書が傷つかないことは制作者の魔書作家たちですら未だに解き明かせていない謎の一つなのだよ。〝魔書破壊〟などという魔導書が存在するはずがない!」
「フン、謎を解明した魔書作家がいた。それだけの話だ」
「誰だね!?」
 憤激の叫びを返すアドリアンを真夜は冷たく見詰め、懐かしむように静かに、言う。

「是洞恭夜。僕の父さんだ」

 母親が魔導書使い、父親が魔書作家。お似合いの夫婦だと真夜は思うが――
「……そんな魔書作家など聞いたことがない」
「当然だ。父さんはこの魔導書しか残していない」
 父親は本来魔書作家ではなく、魔導書の仕組みについて専門に研究していた魔術師だった。その成果が〝魔書破壊〟の魔導書なのだが、どのような本も宝物同然に大切に扱っている真夜はこの力を嫌悪している。できれば使いたくなかったと思っている。この世から一冊の魔導書を消してしまったことを後悔している。
 しかし、やるしかなかったのだ。魔導書か命かの二択だと、真夜は限界まで悩んだ末に命を選ぶ。特にアドリアンのような屑のために捨ててやる命などない。奴が月葉を殴り飛ばした瞬間、原因不明の怒りが沸いて真夜の覚悟が決まったのだ。
「第百六段第十二列」
 真夜は呟くように唱え、取り出した〝千刃〟の魔導書をアドリアンに突きつけた。
「とにかく、これで貴様は終わりだ」
 天空を覆う巨大魔法陣。夥しい数の西洋剣がそこから雨霰と射出される。
「ハッ! 〝回帰〟を失おうとも私がそれを防げないわけではないのだよ! ――第九十段第十四列」
 アドリアンが虚空から魔導書を引き抜いた刹那――パシン! 不可視のなにかがその魔導書をアドリアンの手から遠く弾いた。魔導書は魔力供給が叶わない距離まで吹っ飛び、地面に落ちる。
 青筋を額に何本も浮かべた形相のアドリアンが、不可視の力が飛んできた方角を睨む。

 八重澤理音が〝風刃〟の魔導書を開いていた。

「この、フォーチュン家の娘がぁあッ!?」
 満面朱を注いで痛憤するアドリアンに、天から降り注ぐ凶刃の群れが突き刺さった。
 スプリンクラーのように血を撒き散らして倒れた彼は、そのまま今度こそピクリとも動かなくなる。
「感謝しろ。急所は外した。貴様には生き地獄の方がお似合いだ。せいぜい協会の牢獄で自らの人生を悔むことだな」
 意識なく虫の息となったアドリアンを見下げ、真夜はそれだけ吐き捨てた。

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