異世界で、英雄譚をはじめましょう。
第三百二話 聖戦、東京⑫
リュージュの城塞は上空一万メートルの高さに位置している。それは後々分かることになるのだけれど、実際はとても高い所にある、という非常に曖昧な情報しか入手することが出来なかった。
では、どうすれば良いか。
時間さえあれば雲海の中を探せば良い話だ。しかしながら、今の僕たちにはそんな時間は無い。
「……そこで使うのが、このコンパスだ」
バルト・イルファは右の掌に載せていたそのコンパスは、かつてタイソン・アルバから受け取った物だ。確か捜し物を見つけることが出来る、捜し物がある方角を指し示す不思議なコンパスだったと記憶している。
「それにしてもタイソン・アルバがこんなものを持っていて、それを君たちに渡していたとはね……。僕も迂闊だった。いや、今はこの状況を喜ばしく思うべきかな。そのお陰で時間をかけることなく、リュージュの居る場所を見つけ出すことが出来るのだから」
「タイソン・アルバ……」
もはや僕たちにとっては懐かしいと言ってもいい名前だ。
海に巣くう海賊のリーダーとして存在していた彼だったが、実はいち早くリュージュの悪事に気付いて逃げ出したのだということ。そこで僕たちは初めてリュージュが敵であることを認識し、その旅の終着点に設定したのだ。
「でも、このお陰で私たちは最短のルートでリュージュの城塞へと向かえている。だから、そこに関しては彼に感謝しないと」
「……そうだな」
バルト・イルファは歯切れの悪そうな受け答えをした。
聞いてはいないが、恐らくは彼がタイソン・アルバを殺したのだろう。タイソン・アルバは裏切り者だ。だったらリュージュの配下――バルト・イルファや他の存在に命を狙われていてもおかしくはない。
そして今の歯切れの悪い受け答え。――確定的になるのもおかしくはないだろう。
だからといって今それを言うつもりはない。言ったところでタイソン・アルバが生き返るわけもない。
後ろを向き続けるより、前を向いて生きる。
それはタイソン・アルバの記憶を忘れるわけじゃない。タイソン・アルバの記憶も、それ以外のみんなのことも忘れずに――僕たちは生きていく。
それが、残された僕たちの使命、或いは義務のようなものだと思っているから。
「……フル。どうかしたの?」
メアリーの言葉を聞いて僕は我に返る。
「……ううん。何でも無いよ。今、少し考え事をしていただけ。リュージュの城塞は、恐らく何らかの障壁をしているだろうから、それを破壊しないといけないか、或いはどうにかして潜り込まないといけないな、と思っていてね」
「確かにそれもそうね。……私たちも対策をしないと」
「そうだ。このままだと酸素が薄くなって、まともに活動出来なくなってしまう。ええと……ガラムドの魔導書に何かいい魔法が無かったかな……」
「だめよ、フル」
僕がガラムドの魔導書に書かれた魔法を使おうとしたタイミングで、それをメアリーが制した。
「どうして?」
「だって、ガラムドの魔導書は威力が高いかもしれないけれど、それと同時にこの世界に悪影響を与えやすいんじゃないかしら? それに、きっとあなたも気付いているはずよ。ガラムドの魔導書を使うことで、いや、正確に言えばあなたが使う魔法の力を……」
「どういうこと?」
「……あの世界に生きる人間は皆『エーテル』という力を身体に宿しているの。それは、簡単に言ってしまえば精神力をエーテルに変換し、それを魔法の源にするのだけれど、フルは別の世界からやってきた。だからエーテルに変換する力を生まれつき持ち合わせていない。でも、あなたは魔法を使うことが出来る。どうしてだか……分かる?」
僕は分からなかった。
確かエーテルの仕組みは学校で習ったような覚えがあるけれど、僕も魔法が使える=エーテルの変換能力を持ち合わせている、という認識だったからだ。
メアリーは溜息を吐いて、話を続けた。
「その様子だと、本当に分かっていないようね……。だったら、教えてあげる。私も調べたのだけれど、あなたは特殊な力でエーテルを生み出しているのよ。しかし、そのエネルギーは記憶。知恵の木の実と同じ、記憶を使っているの」
「記憶……だって?」
記憶。
確かに僕の記憶は、少しずつ劣化しているように思えていた。初めて魔法を使った時、幼子の記憶を僕は思い返せずにいた。それは偶然だと思っていたし、それが魔法を使ったことによるものだという因果関係をつかめずにいた。
だから、自ずとそんなことは分からなかったし、理解できなかった。
僕が使った魔法、そのエネルギーの源は――自らの記憶であるということに。
「だから魔法を使い続ければ、いずれその記憶は消失する。精神力はしばらくすれば回復するけれど、記憶は回復しないからね。つまりあなたの記憶は有限だし、それはイコールとして、魔法を放つことの出来る回数も有限なのよ。そしてそれを使い切るということは、あなたがすべての記憶を失った時……。それは、してほしくない。私もあなたも、出会ったときの記憶をすべて失ってしまうのよ」
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